花曇り、といいたいところだけれど、それにしては寒々しいし、桜もそれほど咲いていない洛北です。
平安神宮や円山公園はどうなのかなあ。 メルマガで紹介しなかったけれど、嵐電の「桜のトンネル」がある。 来週紹介したいけれど、まだちらほら咲き。
一応「外から見た、桜トンネル」の動画を少しだけ見てください。 場所は嵐電の「高雄口」から「鳴滝」の間です。
深夜の豪雨の後、ゆっくりと天気は回復したけれど、とうとうすっきりしなかった。 夜になって冷えてきた。 今夜の花見は冷えるから用心しないと風邪をひきそう。
京都新聞で「世相解剖」というおもしろい企画がスタートした。 社会学、比較文化、経済論の学者三名がホストになり、毎回一人のゲストを迎えて、「世相を解剖」してもらう、というもの。
第一回は京大助教授の小倉紀蔵さん。専門は東洋哲学。 今の日本社会を「おれちん」が跋扈しているという。
「おれちん」とは「おれさま」と「ぼくちん」を掛け合わせた、小倉さんによる造語。 どんな人間かというと、自己中心手的で尊大だが、自閉的というタイプ。
記事の中に出てくるスケッチとしては、 ●「おれちん」は威張っているが、依存心が強く、しかも依存の対象を破壊するぐらい強い自己を持っている。 それは例えば ●同居する家族を殺してしまう現代の事件でもそうしたタイプの人が浮かぶ。 精神的に家族に依存すると同時に反抗して破壊してしまう。
●プレモダン、モダン、ポストモダンの悪いところばかりが重なっている。
その「おれちん」がどう成熟していくのか。 さらに自閉していくのか。 結局、問われているのは「他者性」というところになりそうだ。 他者とどう関わるか、ということ。
ぼくはこのことと小説や詩がリンクしていると感じた。 つまり、小説とは人と人の関係性を描く、という大事な側面があるからだ。それこそが小説だ、という人もいる。 そして詩は、「私」を語ることからしか始まらない。と、しても、 しかし、それは時として陳腐なものに堕してしまう。
文学は、世界のなかで、徹頭徹尾、孤立しているのか。 あるいは孤立の中から結ばれようとするのか。 だとすればどのように。誰と。 あるいは結ばれることを拒否するのか。 だとしたら何故。
それとも、どこかから「決壊」していくのか。
「おれちん」というモデルを初めて知ったので、詳しくは著書を読まなければならないけれど、 仮に「おれちん」が成熟せずに窒息していくのだとしたら、他者に開いていくヒントは恋愛にある気がする。 開かれざるを得まい。 会社で、社会で、全能感を木っ端みじんに打ち砕かれるよりましだろう。
あるいは、もう一方に「おれちん」を見限り、あらたな関係性を獲得しようと行動する人たちもいるだろう。 女性…かな。いや男性もあり、か。
今書いている小説と微妙にリンクするところがあって、いろいろと考えているところです。
自分だけの時間が持てた三日間が終わった。
特別に変わったことは何も起きなかった。 相変わらず朝五時前には起きて珈琲を淹れていたし、掃除をして、シャワーを浴びて、ハナの散歩に行って、猫にごはんをあげて、植物たちをみて…。 何も変わらない。
ただ変わったことと言えば、静かな時間の中で自分と向き合っていたこと。 作品のことだけを考える時間がゆっくり持てたこと。 それだけでもとても貴重だった。
さて、黄砂が舞う京都ですが、気温がぐんぐん上がり桜はあっという間に見ごろになってきました。 明日のメルマガは、そんな桜づくし。 画像も奮発。動画もあります。それもふたつ。時間は短いけれどね。
動画を貼り付けるのに、あたらしいwebサービスを利用しています。 新しいサービスが次々と出てきて、ネットの枠を広げていますね。 どれもこれもWeb2.0時代にふさわしい。 シェアすること、どんどん公開していくこと、簡単、この三つが特徴。
御所の桜を見ることができた。 西の方はそうでもないけれど、旧近衛邸のあたりの枝垂れ桜は見事だった。
西の方の動画が撮れました。 cliplifeへ。
画像サイズは小さいので、再生画面の下にある□ボタンをクリックしてください。縮小されます。
今日から三日間、久しぶりに自分のためだけに使える時間が増える。 だからといって、やることは変わらない。 犬と猫の相手と世話がまずあって、自分のことはそれからだ。
自分のことといってもメルマガの原稿を書くのに余裕ができたぐらい。 それはそれでとても嬉しい。 早速、パソコンに向かう。
雨が降っていたこともあって、外には出て行けない。犬猫も長時間は放っておけないし。 実は昨日、三日間どこにも行かなくてもいいように食料の足りないものを買いだしておいた。 だけど、また木曜日の夕方から忙しくなる。メルマガの配信予約をする日である。それまでにまとめなくてはならない。 せっせと書く。
時間ができたので、大急ぎで取材に行って画像を撮影する。 平野神社にもいけた。全然咲いていない。 京都新聞の開花情報の誤りを発見した。 平野神社は七分咲きじゃない。まだちらほらだ。
時間ができたので、テレビで一番好きな番組、BSの「地球ふれあい街歩き」が観ることができたのでご機嫌だ。 ハンディカメラを持ってそのまま街の中をずっと歩いていくだけなんだけど、それがとてもいい。 目線が固定されているから歩いている気分になってくるんだ。 特に坂のある街、古い街、迷路のような街がいい。
今日はリスボンを堪能。 不思議な感覚になる。たぶん蝶の目線と同じだからじゃないかと思うのだが。
時間ができたので、久しぶりにサイトのトップページを更新しなければいけなかったんだけれど、それは明日だ。
時間ができたので、「プロフェッショナル」を見ることができる。 今日は宮崎駿さんだ。
時間ができたので…。やっぱり時間はひねり出さなきゃダメかな、と思う。
雨が去った後、北風が吹いた。もう冷たくはなかった。 爽やかな感触を皮膚に残して、すり抜けていく。
午後が熟した頃、南風が吹いた。 とても柔らかい。
能登半島沖で大きな地震が発生した。 京都では、ばらつきはあったものの、震度2から3だった。
ちょうどキキとピピの相手をしていて、二匹がぼくの上で丸くなっていた。 「ゆーらゆーら」ときたから、反射的に、ここでストップ!と念じていた。 阪神淡路大震災の記憶がまだ残っていて、 あのとき、その「ゆーらゆーら」がいつまでたっても終わらないんじゃないかと焦るほど異常に大きく長かったのだ。
あのとき京都の震度は5強。 それに比べれば小さくてすんだけれど、震源地近くのみなさんは大変だと思う。余震も続いている。
そんな日なのだが、京都地方気象台は桜の開花宣言をした。 近畿で一番だって? うちの近所の染井吉野は一本も咲いていないのだが。
夜。 ピアノインプロヴィゼーションを聴く。 何かが身体の中で反応している。
昼前から雨が降り出した。 久しぶりに江國香織さんの短編を読む。 雨の音がする窓の横がふさわしい居場所だった。
2007年03月23日(金) |
Uncle John`s Band |
うららかな春の日、昨日までが嘘のように気温が上がった。 朝、閉じていたチューリップがゆっくりと開いていく。 蓮の花と同じだ。
昼過ぎには光を白く感じはじめたので、グレイトフル・デッドを聴く。 Uncle John`s Bandをリピートモードにして何度も。 この曲はWorkingMan`s Deadに収められている。
トリップ・ミュージックの導師としてのジェリー・ガルシアの存在ははもちろん、デッドといえば宙を舞うような澄み切ったギターが代名詞でもあった。
だけれど、実はアコースティカルなデッドがぼくは大好きだった。それは今でも変わらない。 高校時代からこの曲を何度聴いたか分からない。
セピア色のWorkingMan`s Deadのジャケットを見たとき新鮮に感じた。 ちっともサイケじゃなかったから。 そしてコーラスのハーモニーの美しさにはとにかく驚いた。 C,S,N,&Yが全盛の頃だったけれど、デッドの方がずっと好きだった。
もしデッドの中で何がいいかと訊かれたら、迷わずWorkingMan`s DeadとAmericanBeautyと答える。 二枚とも1970年のリリース。双子のようなアルバムで、ちっともぶっ飛んでいない。清涼剤のようなアルバムだ。 心の芯が温もるような。
近所の医師のお宅から、不要の植木鉢を譲り受けた。 病院にお見舞いとして持ち込まれる鉢付きの植物を、患者さんの退院後処分せねばならないことが多々あって、 鉢はもったいないからとためておいたのだけれど、置き場に困るほどになったから、とのことだった。
うちの近所はみな植栽をしているけれど、その中でも特に、いつでも家の回りを花だらけにしようと企んでいる、うちとTさんの二軒が、すぐに名乗りを上げた。 といっても二軒だけだったが。
素焼きのものをTさんが、蘭が入っていた鉢をうちがいただいた。 蘭が入っていた鉢は薄い。それでも普通に使えるわけで、時期はずれで売れ残りの薔薇を植えよう、とか、草花を季節ごとにどんどん植えようなどとTさんとはしゃいでしまう。
昼に、明日のメルマガの準備ができる。配送予約を済ます。メルマガ購読者のためのブログは公開予約を済ます。今回は画像が多い。
夕方、婦人公論で「詩」をみる。 ネットでの知りあいの方が連続で佳作になった。 ここのところ絶好調だ。
こちらは黙々と詩作に励む。
咲きました。
もう少しでチューリップが開きます。 ここのところの寒さで蕾の状態はとてもゆっくりになってはいるものの、確実に大きくなり、ゆっくりと開こうとしています。 明日の朝も氷点下だといますが、その後気温は上がるようです。 そろそろ花を見ることができるかも。
日陰のジャスミンもようやく花芽が成長し始めました。 深く剪定した薔薇たちも血色の新葉がゆっくりと濃い緑に定着しつつあります。
春への流れは止まりません。
今日は新月です。 いま過去のデータを見ていたんだけれど、2002年からエンピツで書いているんですね…。
それを思うとなかなか引っ越しもできません…。 膨大なデータを残していくのも辛いですし。
だけど変わるなら今かもしれません。 悩んでいます。
冷え込みました。 午前中ずっと雪が断続的に降りました。積もるとことはなかったのだけれど、二月と三月が入れかわったみたいです。
マラルメの本を探しています。 明朝の予想気温は氷点下二度です。
2007年03月17日(土) |
The first of a million kisses |
昼過ぎからCDを聴き続ける。
キース・ジャレット・”スタンダード”トリオのBye Bye Blackbirdを聴く。 パット・メセニーのWay it upを聴く。
それからFairground AttractionのThe first of a million kissesを聴く。 1988年のリリースだけど、いつ聴いても古くならない。
柔らかで、きらきらしていて、お茶目で、メランコリィで…。 愛聴盤です。
かきもの。短編小説のピッチをあげています。
毎朝の散歩には、路上に落ちているさまざまなものと出会いがある。 紫色の雲。黄金の朝日。真っ白な月。椿の花。
綺麗なものばかりじゃない。 酔っぱらいの反吐。踏みにじられて粉々になったケータイ。コーラとマクドナルド。コンビニ経由の様々なレトルト容器。 時々、見るに見かねて道の端に片づけるときもある。 夏はこれに燃え尽きた花火が加わる。
高価なものはあまりない。 今までで一番高価であろうとおもわれるのは、カルティエの時計だった。 あとは財布かな。 交番が通り道にあるので、すぐに届けることができる。 すべて落とし主に戻っていった。
途中、公園によるのだけれど、ここに落ちているのが子供の忘れ物。 手袋、帽子、縄跳びの縄、ボール、ショベルなど シーソーの上とかブランコの上など目立つところに置いてやる。
拾うこともある。 主に木の実。それと壊れたものだけれどおもわず拾ってしまったもの。
今朝、何かからはがれ落ちた陶製の小さなウサギと出会った。 間の悪いことに、目が合ってしまった。 ずっとポケットの中にいる。
2007年03月15日(木) |
熱い「ウェブ人間論」 |
昨日はメルマガの原稿も書かず、日記も書かずに本を読み耽っていた。 結局読み終えたのだけれど、そこから書き始めると、またしても睡眠不足に陥るのでさっさと寝て、今日はひたすらメルマガの原稿を書いた。 今回も畸編小説付きである。
さて途中で止められなくなった本が「ウェブ人間論」(新潮新書)である。 梅田望男さんと平野啓一郎さんの対談。「新潮」に掲載されたものに、さらに対談を重ねて、濃い内容となったもの。
何に惹きつけられたかというと「未来」が語られていたからだ。 それも「今」から地続きの未来である。 空中に浮いたものではない。
インターネットが変えた世界をどうとらえるか、世界はどう変わり、どう変わっていくのか。その世界をどう生きていくのか。 世界観の論議から、創造のあり方、個人の生き方まで踏み込んだ熱い論議である。
日々、ブログの更新をしている人たちには励ましとなるだろうし、ネット上で小説を書いている人には刺激あるヒントが得られることだろうと思う。
細かいことはここで書く必要はないけれど、この本でもっとも感じたことをまとめると、梅田さんのプログに行き当たる。 これに尽きるといっても過言ではない。
My Life Between Silicon Valley and Japan
このアランによる「定義集」の「楽観主義」と「悲観主義」の項は目から鱗の思いがした。
明日、午前五時にメルマガ送ります。
PCに向かう時間や、原稿を書く時間のシフトを変えようと思う。 今のままだとどうしても深夜になる。 朝は4時半には起きるから、どうしても睡眠不足になる。
睡眠不足は良くない。 自分にも良くないけれど、一緒にいる愛犬がやはり可哀想だ。 寝ているようで起きているから。
たしか、朝一番に前日のことを書いて一日を始める人がいた。 どうせなら早く寝て、三時起きにしようかと思う。 それが無理なら、夜の一時間だけを集中して、後はもう寝てしまったほうがいいかもしれない。
今日はメルマガの記事の部分を書いた。 「ウェブ人間論」を読む。
メルマガの小説を書く。 以前に書いた「天使形」の続編にあたるような短い物語である。
時間の隙間を縫って「ウエブ人間論」(梅田望男・平野啓一郎)を読む。 「新潮」に掲載されていたものをすでに読んでいたのだけれど 新書として読み直すと、アタマに入ってくる「具合」がずいぶん違う。
「創造」に関しても刺激的な対談が続いていく。 いわゆるネット「高速道路論」の次は何が必要か、ということも提示されている。まだまだじっくり読み続けたい。
ところで
今日、毎日放送の夕方のニュースで、ある自費出版会社に対する抗議の声が特集されていた。東京と大阪では「被害者の会」の準備が進んでいるそうだ。
自分から読んでくれる方へ、手渡す感覚で制作し販売するのなら パソコンとインターネットは大きな力になるとおもう。 今や「紙の本」も自分で作れる時代だ。 印刷も簡易製本も自宅でできる。 或いはオンデマンドの出版である。
ぼくは「手づくり」に全く違和感がない。 全国の書店におけなくても、日本の様々な地域からネットを通して注文がいただけるからだ。 ただ製作に時間がとられてしまうことがネックかな。 そんなときはオンデマンドが有力だとおもう。
ずいぶん冷え込んだ。 風が強く、天気が猫の目のように変わる。 雪も舞っていた。 明日も寒いようだ。
そんななかでもチューリップが順調に成長している。 赤ばかり七本。蕾が 葉にくるまれるようにできています。 もっと多くても良かったかな。
入れ替わりにスイセンの花が終わった。 明日はカスミ草の種を植える。まず箱蒔。
詩を投稿した。 畸編小説を考える。
「昼から曇り、夜には雨が降り出すでしょう」という天気予報が信じられないほど晴れ渡っている間に祇園の「ごまや」さんにいく。
静かな道を選んだ。
帰ってから詩の推敲。 夜に出来上がる。 明日、投函。
夜になって雨が降り出した。 メルマガの原稿を少しだけ書く。
ほとんど毎日読ませて頂いているブログののひととつに、現代音楽の作曲者の方のブログがある。
彼はブログで自らの「創造的認知過程」をあきらかにされている。 そのいかにもウェブ2.0的発想に敬意を表して ここ二日ぐらい深く考えることになった、彼が紹介した言葉を紹介したい。
それはシューマンの言葉である。
「作曲をするようになったら,まず頭の中ですっかり作ってしまうこと。そうして,その曲がすっかりできるまで,楽器でひかないように。心の中から湧いてきた音楽なら,ほかの人が聴いても,やはり同じようにうたれるであろう。」 シューマン著「音楽と音楽家」岩波文庫 (1958)
彼はこのシューマンの言葉を座右の銘としている。 実際、頭の中でできる前にピアノを弾いてしまうと、「脳内の仮想」が潰れてしまうのだという。 彼はそのためにピアノに鍵をかけて川に投げ込んだことさえあるというから凄い。
これは「書くこと」に通底しているとピンときた。 河野多恵子さんの主張と重なる部分があるように思えたのだ。 つまり 『創作過程で終始、非常に意を用いるべことは、モチーフの強い把握であり、その深く鋭い表現である。最も書きたいことは何か、どこに力点を置くべきか、とよく考えることでその作品の進め方も自ずから分かってくる』
そうなのだ。 そうやってモチーフを把握しきって書かれた作品は、出だしから「気配」がある。 その「気配」は河野さんの言うように、読者に感じられることも必要だけれど、まず作者自身がつかむことが必要なのだ。
また河野さんは 『「もの」に飛びつくな「こと」を書け』ともいう。 「書くこと」が何か、が大事なのであって、組み立て、論理の飛躍、人称などははっきり言って、その後に付随してくるものだと
河野さんは小説を想定して上記のようなことを書かれているのだけれど、いつか井坂洋子さんが書かれていたように、このことは詩を書く上でも大切なことだとおもう。
詩人はどうか。 「シュールなリアリズム」を作品に実現した孤高の詩人、吉岡実さんの作詞風景はこうだ。
『わたしは詩を書くときは、家の机の上で書くべき姿勢で書く。いってみれば極めて事務的にことをはこんで行く。 だから彫刻家や画家、いや手仕事の職人に類似しているといえよう。 冷静な意識と構図がしずかに漲り、リアリティの確立が終わると、やがて白熱状態が来る。倦怠が訪れる。絶望が来る。』
詩人は白紙から書き起こす。 ゆえに詩人でもあり、つまり危険でもあるのだ。
マイナー・ポエトにたびたび言及されていた吉行淳之介さんの書き出す瞬間も、書かれたエッセイによれば実は詩人の姿によく似ている。
強力なモチーフがあるかどうか、なのだ。 それが脳の中に現れれば、たちどころに白紙の原稿用紙の上に作品のすべてがバーチャル画像のように立ち現れたことだろう。
荒野に向かうように、最初の一字が記される。 それは五線譜に書き出される瞬間と同質の気配が漂っていることだろう。
メルマガの配送予約を済ます。 画像も公開予約を済ます。
友人と話しをしていて、毎週一本、短い記事と小説を書いているといったら、だから詩がだめなんじゃない、といわれる。 詩は今日も推敲。
小説は平野啓一郎さんの短編小説集「あなたが、いなかった、あなた」にとりかかろうとしているところ。 ところが、最近横に置いているのは河野多恵子さんの本だ。噛み砕きながら繰り返し読んでいる。
寒さはしばらく居座るらしい。 珈琲の焙煎屋さんで、さむいね、と声を掛け合う。
メルマガの原稿を書く。 画像がもう少しほしい。
最近聴いているジャズは「メセニー/メルドー」だ。 パット・メセニーとブラッド・メルドーの「デュオ・アルバム」というべきか。 厳密に「デュオ」と書けないのは、全十曲中、二つの曲にメルドー・トリオのベースとドラムが参加していて、この二人の演奏も抜群だから。 基本的にデュオ・アルバムであることには違いないんだけれど。
全体に演奏についての形容は不要。いうことなし。 とにかく凄い。
昨日までと一転、きりりとした寒さに戻った。
メルマガの原稿を書く。 詩の推敲もひとつ。
婦人公論が溜まりに溜まったので、一冊ずつバラバラに解体し大切な記事はファイルをして、後はすべて廃棄する作業をした。
「フォーラム詩」のファイルはできているので、対象はそれ以外の記事である。 ファイルされたもので目立っているのはアンリ・マティス特集、ピアニスト内田光子さんのインタヴュー、松本隆さんと大石静さんの対談など。
特にもう一度読み込んでしまったのが免疫学者・多田富雄さんへのインタヴュー記事である。 多田さんは国際的な免疫学者として国際的に活躍され、数々の医学賞を受賞された。 私にとっては優れた文章家・エッセイストでもある。
「免疫の意味論」は医学に造詣の深くない私でも、「自−他」を考える上でとても示唆深かった。 他に洒脱なエッセイも良く読ませて頂いた。 また能に造詣が深く、新作能を書き下ろされてもいた。
そんな多田さんが脳梗塞で倒れられたのが2001年。かなり厳しい状況だったようで、消息が気になっていたのだった。 このインタヴューはその後の多田さんの姿と「言葉」を知った最初のものだったとおもう。
発語にダメージを受け、歩行もままならず、口がゆがみ、手首が曲がったままの姿に正直いって衝撃を受けた。 ダンディな方だったからなおさらである。
しかしその写真が「宝物」になった。曲がった手首でキーボードを打つ姿が、である。
記事のタイトルは「生きることは苦しみの連続である」。 過酷な身体の状況と厳しいリハビリの詳細が語られている。 しかし、自らの状況を姿も含めて明らかにすることになみなみならぬ「意気」を感じたのだ。
幸い意識の部分は犯されなかったため、明晰な文章が今でも読めるのだが、明晰ゆえに自らの状況をくっきりと認識せざるを得ず、それはさぞ辛いことであろうとおもう。
しかし多田さんは諦めていない。 自分を、世界を。ゆえに表現活動が止むことがない。
脳梗塞後の自分を「新しい人」と認識し、曇りない観察眼で苦しみそのものを腑分けするように見つめる。 強い人だとおもう。
同じような状況になられた柳澤桂子さんとも往復書簡集「いのちへの対話 露の身ながら」を上梓された。 柳澤さんの著作にも親しんできたので、これは是非とも読みたい一冊である。
倒れられてから、いのちとはフラジャイルなもの、露のようなはかないものだと認識を新たにされたという。 しかしながら、まさにそれ故に 「燃え尽きるまで表現したい」と。
大切なファイルができた。 「宝物」の所以がおわかりいただけただろうか。
2007年03月05日(月) |
My Last Fight |
朝から雨が降っていた。 昼過ぎに上がる。 立ち寄ったショッピングセンターで流れていた有線は インストのBGMになっていて、 聴いたことのあるメロディーが流れてきた。 リフにも聞き覚えがある。
なかなか誰のなんという曲か思い出そうとしながら買い物をした。 店を出てしばらく歩いていて思いだした。 ラヴサイケデリコの”My Last Fight”だった。 帰ってから「裸の王様」と一緒に聴く。
久しぶりに詩をアップしました。 詩 帽子
人に死は必ず訪れる。 しかし、それが唐突であると、残されたものはただおろおろするばかりだ。
哲学者・池田晶子さんが亡くなった。 その死を知らぬまま、今週も「サンデー毎日」の彼女のコラムを読んでいた。
今日の新聞紙上でその通知を読み、ただおろおろし、しばらくして溜息がこぼれた。 彼女流に言えば「何故?」となるのだろうが、その文章に惹かれ続けたものとしては、こうならざるを得ない。
平明な言葉で哲学を語ってくれた。 哲学、つまり「考えること」の大事さを教えられ、「考えること」の楽しさを説いてくれた。 もっともっと語ってほしかった。
残念。
ご冥福を祈ります。
「詩を書いています」と他人に堂々と語り出したのはいつ頃からだろう。 Nは自分が投稿を続けている雑誌から詩を切り取り、ファアイルをつくりながらふと考えた。
Nは思う。 高校の頃から書き始めていたが、「私は詩を書いています」と他者にいうことは面映ゆいことだった。 あれから30年が過ぎ、Nはいまだに詩を書こうと何度目かの発心をしているようだ。毎月、なにがしかの詩を書いているにもかかわらず、「発心」というのはあるらしい。
書かなければ生きていけなかったが、 書かなくても生きていけるようにならねばならなかった。
しかし、詩はそんなレベルで語り終えることなぞ許さなかった。 経験がNを変えたのかもしれない。 「私」から出て「私」を超えろ、とねがった。
Nは白紙を前に、周りから音も色も消す。 誰にも言わなかったことだけれど 別にもう、言っても良いのだろう、とNは思う。 「詩が私を書いています」と。
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