散歩主義

2007年02月28日(水) まぼろしの処女作

「アエラ」3月15日号は吉行淳之介特集。
明日発売なので、大型書店だと今日並んでいた。
なんといっても、吉行さんが旧制静岡高校二年の時に書いたノートが公開されたことがトピックだった。
題名を「星が流れつつある」という。

吉行さんが手もとにある古い原稿を燃やしてしまったことをエッセイに書かれていたから、驚きだった。
高校時代からの友人が保管されていたという。

生原稿の隅に「小説」と書き、それを消して「散文詩」と書いてある。
読んでみるとたしかにこれは「散文詩」だけれど、シュールな「小説」とも読める。

書かれたのが終戦の一年前。軍国主義の社会に反抗的だったという吉行少年のひりひりした絶望感が鋭く吐き出されている部分が印象的だ。

他の記事も吉行ファンには堪えられないムックとなっている。
特に吉行さんの最後を看取った阿川弘之さんの文章は、簡潔に臨終の様子を描写されていて、厳粛な気持になった。

愛用の万年筆はモンブランと書かれているけれど、もしパソコンの時代に吉行さんがおられたら、絶対キーボードを打っておられたと思う。
そういえる根拠は吉行さんが明朝体が好きだったことにある。

「吉行淳之介による吉行淳之介」(青銅社・1980年刊)には
『活字、特に明朝体の活字が、私はたいへん好きだ。あれは、書き手の文字の個性をいったんすべて取り払って、文体(内容といってもいい)の個性をゆっくり滲み出させる』とある。

また本にのめり込みそうだけれど、自分の作品を書かなければいけない。
金曜まで時間がない。



2007年02月27日(火) 花籠

今日は母の誕生日。
妹と連名のカードをつけて花いっぱいの籠をプレゼントした。
いつまでも元気で。



2007年02月25日(日) 縁日

北野天満宮の月例縁日。今月も花を買いに出かけた。
チューリップ。濃い赤。10センチほど成長したのを六本。
サイネリア。赤と白の花を三鉢、青と白の鉢を三鉢。

どちらもとても安価だ。近所のホームセンターや花屋さんの七掛けから半額。

この縁日の、「骨董」の方へは足が向かなくなった。
今は植物以外に興味がない。

帰宅してサイネリアを西側のスペースに置いてみる。いっぺんに明るくなった。「生きもの」だからなおさらだ。

チューリップは北側のスペースにずらりと並べて植えた。開花が楽しみ。

「チューリップ」
大好きな歌手クミコさんの「十年」というアルバムには、カバー曲以外に「チューリップ」というオリジナル曲が書き下ろされている。
作詞は松本隆さん。

昨日、今日とパット・メセニーとチャーリー・ヘイデンの「ビヨンド・ザ・ミズーリ・スカイ」をよく聴いている。
パットの作品で、今一番よく聴くのはこれ。

詩を少し。小説も。
読書は藤原伊織さんを読んでいる。



2007年02月24日(土) まだ冬/新書

二月で「寒の戻り」というのも奇妙だけれど、ほんとに「寒の戻り」でした。

新書を二冊購入。ひとつは「ウェブ人間論」。
ここでもとりあげたことがある梅田望男さんの「ウェブ進化論」を巡る、梅田さんと作家、平野啓一郎氏との対談です。

月刊「新潮」紙上にも掲載されたものだけれど、そこに手を入れられて「本」として完成させたものだと理解しています。

「新潮」で読んだときもそうだけれど、熱のこもった対話にこちらものめり込んでしまいます。

もうひとつは「字がうまくなる…『字配り』のすすめ」
これも以前ここで書いたと思うけれど、「人生がガラリ変わる!美しい文字を書く技術」の著者、猪塚恵美子さんの著作。

とにかく子供の頃から「字」を綺麗に書きたいというコンプレックスがあって、そのスキルとして今までになかった切り口を提示してくれる彼女の本には文句なしに飛びついてしまうのです。

おすすめ筆記具が万年筆、というのもいいです。

二冊とも新潮新書。



2007年02月22日(木) どこまでも考え続けるからいいんだ

明日のメルマガ発送に向けて、原稿のチェックをした。
ぼくのメルマガは「まぐまぐ」を使わせて頂いているのだけれど、ここでは一行の字数が決まっていて、普通の文章のようにつらつらと繋げてはいけないことになっている。
ある字数でどうしても行替えしなくてはいけないのだ。
そのリズムが癖のようになってくる。

今回、ほんとうに畸編小説の掲載が危なかった。
メルマガの趣旨は「極々私的な京都からの発信」だから、書かなくてもいいんだけれど、なるべくはずしたくなかった。

題材はおとといノートにメモして、昨日、考え続け、今日、一気に書いた。
「寝かすこと」も、推敲しまくるのもいい。
しかし、今は「決められた時間内に書ききる」ことがテーマだ。
「了」と書き終えるまでずっとぴりぴりしていた。
とても短い作品だけれど。

婦人公論では知っている方が連続で佳作だった。
また、驚いたのは、入選も佳作も、ぼくよりも投稿歴の長い人たちがずらりと勢揃いしていたこと。
なかなかこういうことはない。

特に入選の田添さんは、思潮社から詩集を出している方である。
前にも書いたけれど、ここの投稿欄のレベルはとても高い。

選者の井坂洋子さんの「何を」「いかに」書くのか、という指摘は、基本であり、いつまでも考え続けるポイントである。
答えはない。
強いて言えば、考え続けることが答えである。

或いは、答えは「べからず集」のような箇条書きで書き出せるだろう。
だけど詩に昇華していく個人の体験なり思惑が普遍性を持つとき、そういうスキルはあまり意味を持たない。
そういうときは燦然と輝く一行があらわれる。

じっと煮詰めていくことが必要だ。
だけど、いつまでもだらだらと続けていくわけにもいかない。
時間を切る。

最近、ゆったり構えて書いてきたけれど、詩の方にも締め切りをつくった。
毎週必ず最低一つは書ききること。具体的には投稿すること。
考えてみれば、ついこないだまで毎日書いてたんだ。

今月の井坂さんの文章で目が醒めた。
さまざまなことを自分に課そうとおもう。




2007年02月21日(水) あきらめない

チェ・ゲバラのドキュメンタリーを見た。
ゲバラ終焉の地、ボリビアに民主的な政権ができたのが1997年。
それまでの軍事独裁政権下で沈黙を強いられてきた人たちが、その年から死の真実を語り出した。
それを戸井十月氏が、直接その人たちから話を聞く旅である。

戦闘下で負傷し亡くなったのではなかった。
当時のボリビア政府軍が捕虜となったゲバラたちを惨殺したのだ。
殺された場所も、行方不明になった遺体も発見された。

「人生に大事なことは、何を残したか何を為したかではない。何に向かって生き続けたかだ」
戸井氏はそう総括された。

ゲバラは「忘れられた土地の最も貧しい人たちを助ける」というところに向かい続けて死んだ。
私は思想信条をゲバラに倣っているわけではないけれど、戸井氏の指摘には大いに首肯する。

彼は殺される寸前まで、ボリビアのインフラ整備を語り、あきらめることはなかったという。

あきらめない、といえば
映画「かもめ食堂」もそうだ。
フインランドの日本人女性が開いた食堂。
客足はさっぱりでも、まじめにやっていればいつかきっとお客さんは来てくれる、という信念を崩さず
こつこつと、淡々と食事を作り続ける。

ゲバラと「かもめ食堂」
ボリビアのアルゼンチン人(ゲバラはキューバではなくアルゼンチン出身)
フィンランドの日本人(映画「かもめ食堂」の主人公は小林聡美)

両極端の事例だけれど、共通点がある。



2007年02月20日(火) 芝浜

HV特集で「立川談志・71歳の反逆児」をみる。
老いをさらし、苦しみ、のたうち回る姿までが「芸」になっていた。
「天才」だ。
努力するなんてあたりまえ。
恥ずかしくてそんなこといえない。
人の何百倍も努力できるから天才なのだな、とおもう。
もう努力という言葉も必要ない。落語が生きているようなものだから。

クロマニヨンズの甲本くんのコメントが秀逸だった。彼もファンなんだ。
心の底から好きだという気持がにじみ出ていた。

普段の生活で突然、落語を語り出す。
そして落語を書く。書く、書く、書く。
さすが、でした。



2007年02月18日(日) 「ダナエ」は凄い

藤原伊織「ダナエ」読了。
他の二つの短編も力作だった。読後に残る感情が心地いい。
何度も読みたくなるし、時間の経過に耐えうる作品だと思う。
藤原さんの作品はすべてそうだ。
再読するたびに新鮮である。

文章のうまさも特筆すべき。
文の長さ、語彙の豊富さ、物語の進行のうまさ、構成のうまさ、どれをとってもお手本になる。

これぞ短編小説。



2007年02月17日(土) ハゲタカとダナエ

予告編をみて、これはおもしろそうだとおもっていたテレビドラマが始まった。
NHKの「ハゲタカ」である。
これは民放では作れないだろうな、とおもう。

企業もの、あるいは経済のものなら「華麗なる一族」なのだろうけれど、リアルさとスピード感が全然違う。
ぼくは「ハゲタカ」は見ようと思う。

俳優も「ハゲタカ」の出演者の方が好きだ。
大森南朋、松田龍平、柴田恭兵。そして栗山千明だ。
ほかにも多彩な出演者。

藤原伊織「ダナエ」を読む。
表題作を読み終える。あと短編が二つ。
ハードボイルドにありがちな暴力シーンも出てこない。
ただただ鋭く心にしみてくる。
大人の小説。



2007年02月16日(金) 北側の庭

朝、5時。メルマガの配信を確認する。

ほとんど手を入れていなかった、北側の狭いスペースをチューリップで埋め尽くすために、掃除をして土をならした。
とても狭い。だからといって荒れるにまかすのはもったいない。

京都に関係する小説家たちについて調べる。
大正から昭和初期に知らない人がぞろぞろとでてくる。

アルベルト・カミュと永井荷風が絶賛した孤高の小説家も知る。
読まないわけにはいかない。

夜、マイルスのsomeday my prince will comeを聴く。



2007年02月15日(木) まだ二月なんだから

今日は北風が強い日だった。
他の日に時間がとれなかったので、メルマガの制作に集中。
畸編小説が長くなった。記事は少ない。

「ひまわりの祝祭」を読む。
ここのところハードボイルドにぴったりの、研ぎ澄まされた短い文体ばかり読んでいる。
昔だったら文体が伝染ったかもしれない。
今は伝染らない。

吉行さんの「焔の中」を読もうかと思うぐらいだ。
小説家にも物語構築派と詩人派がいる、と清水良典さんが書いていたけれど、作品を読んでいて感じることがある。
吉行さんはたぶん詩人派だ。藤原さんはどちらだろう。

さて
もう一段階、書くことに集中するには何かを止めなければならないと感じている。
まだ二月ではあるけれど、
もう二月、でもある。



2007年02月14日(水) 細い雨

雨が降りしきる一日。昨日から一人でパソコンに向かうときは必ずkind of blueを聴いている。
スイッチを変えるため。

「ひまわりの祝祭」を読み始める。



2007年02月13日(火) 仕方がないもの

大がかりな整理をする理由は、本の重みで床のネダがいかれてきたからである。
とにかく本の整理である。


本以外にも訳の分からないメモや、なにを書いたのか分からない原稿用紙が出てくる。

躊躇なく捨てる。
書いた本人が忘れているんだから置いておいても仕方がない。
もうなるべく分厚い本を買うまい。
部屋が壊れる。
しかし発注済みの本は全部ハードカヴァーの本だ。
溜息が出る。

「手のひらの闇」を読む。
「午前三時のルースター」も読み始める。



2007年02月12日(月) TOO MUCH


今日からジャズを聴くときのヴォリュームをあげた。
耳をつんざくまでにはほど遠いけれど。

藤原伊織「手のひらの闇」を読み始める。
吉行淳之介「樹に千匹の毛虫」再読。

これからはCDも本も絞っていく。

数が多すぎる。

幾冊かの本を選び出しそれを繰り返し読むこと。
CDは数を制限する。手もとには本当に好きなものだけを選別しそれを繰り返し聞くこと。

数が多くてもなんにもならない。
明日から大整理が始まる。






2007年02月11日(日) 負けるとわかっていたゲーム

彼は藤原伊織さんの小説は「蚊トンボ白髭の冒険」一冊しか読んだことがなかった。友人が執拗に他のものも読めと勧めるので「テロリストのパラソル」を読み始めた。まだ四分の一にも達しない程度なのだけれど、彼は夢中になっている。
百万遍交差点での京大入試粉砕闘争、すなわち市電軌道内を投石が埋め尽くした日。それがごく短く語られていた。

あれは1969年から1970年の頃だとおもう。ネットで調べればすぐに分かるだろうけれど、彼は調べる気にもなれない。いずれにしろそのころだ。

その当事者たちよりも5つか6つ年下だった彼はその隊列にいたのだろうか。
数日後、彼はその様子を目撃した友人が目を輝かせて「百万遍カルチェラタン」と語っていたことを思い出す。

彼は思う。
藤原伊織さんが書いているように「闘争」は「負けるとわかっていたゲーム」だったのかもしれない。東京の大学から京都の大学へ入り直した彼の四つ年上の先輩が「河原町で女の子をナンパするのも隊列組んで今出川を蛇行するのも質は一緒」といっていた。
その数年前なら全身暴力装置と化した誰かに殴られていたであろう発言が、静かに、その場にいたみんなの胸に吸い込まれていった。
彼がキャンパスにいたときはすでにそうだった。

「カルチェラタン」。きれいな言葉。それだけ。

彼は高校の時から、そして進学をしてからもキャンパスから離れ、一人のギタリストを追っていた。京都の様々なライブハウス関係者の間で、ギタリストのいたグループほど毀誉褒貶の激しいバンドはなかった。やがて東京でも有名になるにしたがって、京都では反発する人間が増えていった。

アンファン・テリブル。
そのままだった。
人を揺さぶる力を「暴力」というのなら、そのギターは暴力そのものだった。
やがてバンドは空中分解する。

壊すのはいい。だけどその後どうする。
結局、それだ。いつでも。どの場面でも。最後まで。
リアルな生活とリアルな肉体が「あなた」を裏切り続ける。
結局、彼はギタリストを見失い、壊れ続ける自分を見つめる以外に何もできなくなった。

そこから初めてきちんと生きはじめたのかもしれない。

彼は「テロリストのパラソル」に戻っていく。
短いピッチの歯切れのいい文章が続く。






2007年02月10日(土) 立方体の一日

テラコッタの鉢が一つだけ不揃いだったので購入。
白い小さな花のラインになった一部に橙の花が入ったので、白い花を買う。
花を植える。

昼下がりは音もなく、犬と猫たちはみんな午睡。
藤原伊織を読む。

「新潮」3月号に島本理生さんの「あなたの呼吸が止まるまで」が掲載されている。こちらは「です、ます」も含めて語りかけてくるような文体。
藤原さんとはまったく違う。だから並行して読む。

U2「ヨシュア・トゥリー」を聴く。
にゅわん「hohoemiてがみ」を聴く。



2007年02月09日(金) 烟る街で

一日中、街は烟っていた。
昨日より少し気温が低いとはいえ、犬と散歩していた彼には頬に当たる雨が、春雨のようにおもえた。

散歩の途中、、「侘び助」が咲き出したことに気づく。
緑の葉のあいだから、鮮やかな深紅が突き出していた。
冬が崩れだしている。

メールマガジンを配信した彼は、来週の題材を考えている。
しつこいようだが、小説を早く完成して欲しい。
今月は詩がまだ完成していない。

夕方、ロンドンから素晴らしい笑顔の画像が届く。
彼は何度も何度もそれをみつめていた。



2007年02月08日(木) ゆっくりと雲が

昨日、彼は友人の誕生日プレゼントに藤原伊織「ダナエ」を選んだ。
文庫本しか読まない、といつも言っている友人だが、藤原伊織と高村薫だけはハードカヴァーで持っている。
新刊ハードカヴァーを手渡しても怒られることはないだろうと彼は考えたのだ。

今日、彼はノートに毎週金曜日に配信するメルマガの小説部分を書き込んでいた。
それを知っている友人は会うなり、まさか小説に「あるがまま」を書いていないだろうな、と言う。

問われた彼には、実際に起きたことしか書かないでいようか、という迷いがあった。
そういう方向で書きたいという欲求が、正直、あるのだ。
そこを友人につかれたので彼は考え込んでしまった。

作文と小説の違いは「文学」の「場」にあるかどうかであって、「あるがまま」だろうが「つくりもの」だろうが関係ない、と彼は思い直す。

ただし「本当のあるがまま」と「あるがままのような魅力」とはまったく違う。人々が読みたいのは後者だ。
それも彼の正直な気持ちだった。彼が読んでくれる誰かに向けて書くというのなら、このことは無視できまい。

午後からゆっくりと雲がひろがった。

東京から「音楽の手紙」が届いた。
「にゅわん」さんのhohoemi tegamiというCDだ。
昨年、彼がライヴで聴いた唯一のミュージシャンである。
彼は彼女の声が好きだった。
彼は耳をすまして聴き入っていた。

メルマガの準備は整ったようだ。
配信予約が済んでいる。
「あるがまま」は記事に、「構築した話」は小説に。
ほんとうだろうか。
記事だって「かたち」を整えている。構築した話は「事実」が散りばめてある。

どこが違うのか、読んでみる。
やはり違う。小説は小説だ。

このどちらでもないのが詩である。彼は詩を書いたのだろうか。

夜、雨が降っている。



2007年02月07日(水) 転機

彼は自分の書いた昨日の日記に具合の悪さを感じたようだった。
せっかく、ほとんど毎日書いている日記なんだから、と独り言を呟いて考えこんでいた。
それが昼過ぎのこと。夜になると彼は日記のためのノートを万年筆で書き始めた。

今日から日記を書くことについてある仕組みを作る、と決めたという。
「手続き」といってもいい。
読み手の人たちに対するものではなく書き手の本人に対する「仕掛け」である。

本人のためとはいえ、それが書く内容に影響するのだとしたら、結局読む人のためにも「よい」のではないか、と彼は考えたようである。



2007年02月06日(火) 大谷崎

吉行淳之介や梶井基次郎を何度も読んでいると、彼らに影響を与えたであろう大作家の影を感じるときがある。
谷崎潤一郎である。

梶井基次郎の場合だと志賀直哉の影響の方が多く語られる。志賀の文章に感嘆した梶井が、作品の筆写をしたのは有名な話である。
その結果、流麗に思えた志賀の文章が実はごつごつしたものであることを感得した、と述べている。

梶井基次郎の作品には言葉によって五感を刺激してくる鋭さがあるのだけれど、おそらくその影響は谷崎によるものだと思われる。
志賀同様に谷崎を耽読したことは彼の年表にもあらわれてくることで、たぶんこのことに関しては志賀よりも谷崎の影響ではあるまいか。

吉行淳之介の作品にも同様のこと(言葉によって五感を刺激する)をぼくは感じるのだけれど、谷崎の影響であるかどうか、はっきりとはわからない。
吉行さんが書かれていた頃、谷崎潤一郎は評価の定まった大作家であったから、当然読まれたであろうとは想像がつくのだが。

そういえば、おもにエッセイについて、流麗な文体であるようにいわれた吉行さんだけれど、実はごつごつした文章である、と書いたのは村上春樹さんだったな。

いずれにせよ言葉によって五感を刺激する作品の、日本現代文学における先駆は谷崎潤一郎であろう。その系の中に梶井、吉行を感じるのだった。

ところで自分の作品を書くとき、吉行さんの作品を読み返すことがおおい。
今書いている小説もそうだ。
文体ではなく、組み立て方を学んでいる。

最近、もっと「皮膚」に迫らねば、とおもった時、谷崎という名前が浮かび上がってきた。
「大谷崎」である。名付けたのは三島由紀夫。
もちろん「大近松」になぞらえている。



2007年02月04日(日) 気温5℃ 北北西の風 曇りのち快晴 

北野天満宮から南へ歩くと下の森商店街に突き当たる。
そこを右へ曲がった北の歩道にいくつかの屋台の店が出ている。
一つはキムチの店、もう一つは八百屋さん。

屋台なので商品の数も種類も限られているうえ、斜め向かいにはしっかりした八百屋さんが店を構えている。
しかし、この屋台の野菜を買うという人が多い。
じつはぼくもそうだ。断然、こちらのほうがおいしいのだ。

ここの屋台の人は滋賀県の中主(ちゅうず)というところから売りに来ている。
中主とは近江八幡の近く。琵琶湖の南東である。

最近、湖東にとてもひかれる。
もっと南の三重県よりもいい。
いちどこのあたりにいったことがあるのだけれど、見るからに土地が肥えてみえた。土地の「気」がとてもよかった。

水も土地もいい。近江米の産地でもある。
京都からどこか別のところに行けるのだとしたら、今なら迷いなく「近江」という。それも湖東の、もの凄く辺鄙なところ。

誰も来られないし、こちらからも出て行きにくいところ。
そんなところで骨になることを夢想していた。



2007年02月03日(土) 寒桜

千本釈迦堂の節分会にいってきた。
ここは西陣の真中ともいえる場所で、とても庶民的。
豆まきも普通とは違う。
どんなものなのか、詳しくはメルマガで。
京都に住んでいる方はご存じの方も多いとおもう。

釈迦堂に行く前に平野神社に寄った。
「十月桜」という名の寒桜が咲いていた。
樹齢400年といわれる、楠の巨木の下から、北風に飛ぶ雲をみあげていた。



2007年02月02日(金) 笑顔

妹、彼、ぼくの、京都での記念写真がロンドンから送られてきた。
早速開いて、プリンターで紙焼きする。
笑顔、笑顔、笑顔。
母に渡そうとおもう。

雪は朝だけ。昼には融ける。
気温だけは冬らしいものに。
西側の花壇の隙間に白いプリムラ・ジュリアンを植える。
西側は全部白い花だ。




2007年02月01日(木) 金曜日の午前五時には届きます。


メルマガの配信予約をすませました。

「暖冬」のことに触れたのですが、明日の朝は雪が積もっているかもしれないとのこと。
長引く寒波ではないそうですが、皮肉な巡り合わせです。

昨日、今日と白洲正子さんの特集をハイヴィジョンで観ました。
車谷長吉さん、渡辺保さん、仲畑貴志さん、水原紫苑さん…。
様々なヒント、様々な言葉が「白洲正子」というメディアを通過して、それぞれの方からこぼれていました。

特に「顔に蓋をする」という発想は、目から鱗でした。


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