2003年04月30日(水) |
選挙戦を終えて。。。。。 |
選挙期間の為に休止していた活動期を再開します。 6182.017票でトップ当選を賜りました。(小数点があるのは同姓や同名の候補者がいたので記載がそれのみの場合、按分計算になるためです。) 本当に大勢の方にお世話になりました。当初はというより、選挙戦を通じても大変厳しい結果になることを予想していました。しかし、この結果は私が知らないところで様々な方が声を掛けていただいたからだと思います。 自分自身、前回の選挙に向けた準備や活動と比べて今回は、議会や県議選への携わりや通常業務など、いろいろな事情で至っていない状況で選挙戦に突入しました。不安ばかりでありましたが、沢山の仲間や支援者が常に支えてくれて乗り切ることができました。 (本来なら御礼を申し上げるところですが、公職選挙法により一定期間御礼等を述べることは禁止されていますのでご容赦願います。) そして、この予想しなかった結果は、前回の3位の時と同じように、改めて票の重みを感じている次第です。 今後もご支援ご期待いただいた皆様を裏切ることなく全力で取り組んで参ります。そして、あらゆる機会を通じて発信して参ります。 頑張ります!!
ここのところ忙しさのあまり更新ができませんでした。 申し訳ございません。 気がつくと、いよいよ明日から選挙戦がスタートとなります。 4年前の平成11年4月25日に当選してから続けてきました政治活動も一つの区切りとなります。再開は27日投票日後となります。 よって、この活動記も公職選挙法により立候補届けが受理された時点で更新ができなくなりますので一旦休止となります。 活動記をスタートしてから約8ヶ月間ご覧いただき、ありがとうございました。 7日間お騒がせをいたします。。。
早朝の駅頭での活動報告を再開しました。各種選挙期間中は政治活動ができなくなりますので休止をしていましたので、約2週間ぶりとなります。 選挙まで残り僅かになったので、様々な準備の為、寝不足(2時間位?忘れた・・・)少し疲れましたが、思っていた以上に楽しくできました。 不定期でしたが、4年前に当選した次の日から行っている早朝駅頭報告もあと5日しかできません。振り返ると、本当に「あっと」言う間のことでした。 さて、明日も頑張ります。。。
2003年04月13日(日) |
県議選の結果(相模原選挙区) |
日付が変わり14日となりました。只今は午前3時です。 24時30分に標記が確定しました。皆さんがこの書き込みを見られた時には既に結果を新聞等でご承知のことと思いますが、速報として掲載をします。
投票率46.54% 1 あかま二郎(自民) 26,683票 2 きりう忠一(自民) 24,503票 3 たてもり勝弘(自民) 22,479票 4 富田光男(公明) 21,803票 5 渡辺ひとし(公明) 21,592票 6 もとむら賢太郎(自由)19,173票 7 長谷川くみ子(無) 17,561票 8 かわの幸司(共産) 16,801票 以上、当選 9 てらさき雄介(民主) 15,576票 10 小林のりとし(民主) 13,504票 11 本間としぞう(無) 13,363票 12 嶋田やすなが(社民) 4,829票
自民と公明が強かったのと民主が当選0のが印象的です。 やはり、地方選挙は国政選挙の政党別得票率とは違う数字がでるのですね。 さて、次はいよいよ私たちの番になります。 明日から活動再開です。
13日の知事・県議の投票日まで僅かとなりました。 世情様々な憶測が流れています。「○○は確実」「△△は難しい」との具合にです。マスコミの方数人とも話をしましたが、確定的な話をする方と予測がつかないと見解の方とありました。異口同音に言うのは「これほど解らない選挙は最近ではなかった」とのことです。 ある世論調査によると、新聞に折り込まれている選挙公報で誰に入れるか決める方が案外いる(割合は忘れました)とありました。 過日、その公報が折り込まれていました。少ない紙面ですが、公報に対する各陣営の考え方の違いが表れていたように感じました。 皆さんはどこで判断されますか。公報をご覧になってどのように感じましたでしょうか。
昨日、上の娘が小学校に入学しました。私が通ったのと同じ小学校です。 思い起こせば6年前の平成9年1月に行われた相模原市長選挙の最終日である1月25日(土)に生まれてから「あっ」という間でした。 当時は叔父が市長選に挑戦していて、私は半年前より藤井先生の秘書を手伝の為退職し臨んでいました。 妊娠中の妻には何もしてあげれず、出産についても知らない内にタクシーで一人で病院に行ったような次第でした。母親から「病院に向かうって連絡があったよ」と電話をもらい、抜け出して駆けつけたときには既に分娩室に入っていました。 次の日、選挙結果は叔父の落選。その後はしばらく後かだづけ。待っていたのは子供が生まれ次の日から無職・・・。もともと仕事については選挙後に考えるつもりでいたにせよ、「責任」を再認識した時でもありました。 そして今回、その娘が小学校に入学しました。 同じように忙しく何もしてあげていません。同じように選挙時期となっています。そして、叔父も・・・不思議なものを感じます。 今は寝顔程度しか見ることができませんが、子供の成長の早さを感じながらです。。。
深夜に娘を連れて桜を見に行きました。 忙しさのあまり、ここ数カ月遊んであげてなく、ろくろく話もしていなく悪いな〜と思っていたところ、例のごとく遅くに帰宅したら、たまたま起きている時がありました。 「ちょっと散歩しよう」と上の娘と二人で夜桜を見に行きました。 満開ですね。凄いの一言です。 仕事に忙殺されるあまり忘れていた四季の香を感じることができました。 娘はカメラで写真を一生懸命撮っていました。 たかだか15分程度の時間ですが、束の間の休息になりました。
神奈川県議会議員選挙が告示されました。相模原選挙区は定数8人に対し、現職5名・新人7名の計12名が立候補したようです。 党派別では、自民3(現職)・民主2(新人)・公明2(現1新1)・自由1(新)・共産1(現)・社民1(新)・無所属2(新)となっています。 13日の投票日まで9日間の選挙戦です。知事選は少し遠い感じの方も多かったと思いますが、これからは市内も俄に騒がしくなると思います。 さて、有権者の皆様に置かれましては、是非、投票所に足を運んでいただきますようお願い申し上げます。政治を変える第一歩は投票だと思います。どうぞ宜しくお願いします。 尚、13日に予定がある方には不在者投票制度があります。 けやき会館や各出張所で行っています。 お問い合わせは 相模原市選挙管理委員会事務局 電話 042−769−8290(直通) までお願いします。
切っ掛けがあり、相模原市内在住を中心とした学生たちと知り合いました。 大変前向きな考えを持っていて、「若い世代で相模原を少しでも元気にしたい」との思いから「元気隊」を結成しました。 いろいろな手伝いなりができればと思い、些か協力した経緯があります。 その元気隊の初イベントとして花見が開催され、お邪魔してきました。 最初は「10人程度かな」などとたかをくくって行ったら、何と40人を越える20歳位を中心とした若者が集まっていました。 正直、驚きました。 今後、様々な活動を行っていくことを計画しているようです。私たちより若い世代が元気で頑張っていると、こっちも「負けていられない」「頑張らなきゃ」との気持ちになります。 自称(?)元気隊相談役として、今後も彼らの活動の手助けをしていきたいと思います。 これから、この名前を皆さんが耳にするような機会がありましたら、どうぞ宜しくお願いします。。。
2003年04月01日(火) |
中核市になりました。 |
4/1付で相模原市は中核市になりました。 私が初当選した4年前は、中核市になるための面積要件が早々に緩和されるとは思っていませんでした。100平方キロメートルなくてはいけないのですが、本市は当時90.77平方キロメートルしかなく(現在は90.41)もう一つの人口30万人以上という人口要件は十分にクリアしているのですが、中核市になれませんでした。市長を始めとする職員や、国会議員・同状況の東大阪市などの地道な働きかけにより、人口50万以上の都市は面積要件が緩和されたことにより移行できることになった次第です。 中核市は、都市計画・環境保全・保険衛生などの分野での権限が約1200ほど県から移管されることになります。本市は既に保健所を設置している保健所政令市なので、現段階では約1000件の移管となります。 但し、これら仕事に関する財政的な処置がはかられていないので、市の持ち出しとなります。(県の激変緩和処置は3年間だけあります) では、市民生活はどのように変わるのでしょうか。 実は、ほとんど変わりません。 本来は、このことをしっかりと市民に伝えなければいけないのですが、「中核市」との言葉だけが先行して、実態を伝えきれていないのが現実です。議員や次期選挙に立候補を予定されている方で、「中核市」との言葉を使う方がいますが、どこまで理解して発信しているかは聞いている限りでは疑問があります。 私が考える「中核市」としての最重要課題は、県ではできなかった、相模原地域に見合った独自のスタイルで関係条例などを常時整えることだと思います。地方分権・地域主権が一歩実現したことを地域として表すことだと思っています。 この考えに沿って取り組んでいきます。。。
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