99745..チェリー
真夏日
2007年07月31日(火)
昨夜は、久しぶりに、涼しいなぁ〜と感じたのですが、一夜明けると、暑さが戻ってきました。
さすがに、夏!ですね。

夏休みになると、ほぼ、毎年、卒論の学生さんが、我が家に来られます。
障害を持つ立場として、いろいろアンケートや、インタビューに答えたり。
私は他にも、○○○なことをしてたり(謎…)、対象者が少なかったりで(益々謎…)、そっち方面に興味を抱かれる学生さんも、毎年、ちょっとは、いらっしゃったりする。

それがきっかけで、去年は、在宅現場での実習と(福祉用具製作)、学校においての講演(ゼミ内で)の依頼があったのですが、体調不良もあり、お断りすることになり…。
まぁ、自分を見てもらうこと、知ってもらうことに、まだ抵抗も感じてたから、あれはあれで、無理して引き受けなくて、よかったんだと思ってます。

ですが、今年は、ちょっと違った気持ちでもいて…。
むしろ、伝えたいことが溢れてるというか、私なんかの、一個人の話を、聞いてもらえる場や時間を頂けるって、すごい貴重な体験なんだなって。
だから、できるだけ、体調が許す範囲で、協力させてもらいたいなと思っています。

それで、こんなこと言いながら、こんなこと書くわけなんですが…。

先週、久しぶりに、実際に学生さんとお会いして、アンケートに答えて、『アンケートや統計における、ある原理』について、思い出しました。
アンケートや統計は、(結果が出る前に、作成者が答えを出している)、というものです。
これは、結構、有名なものだと思います。
アンケート作成者の、心理的誘導により、回答者の答えは、最初に(アンケートする前)、アンケート作成者が出した答えに、結果は、導かれる。というものです。
これは、いわば、アンケート作成者の無意識的な意図(無意識下での心理的誘導)により、アンケートする前から、すでに結果が出ることが多いですよ、というもので、統計を取る側は、必ず、慎重に注意を要さなければならない事項となります。

やっぱり、思った通りの答えが出た!と思うのではなくて、ちょっと待った!と感じないといけない時も、あるのかもしれない。

統計は、いわば、資料の裏付けでもあるわけで、何かを訴える時の資料としても、貴重な対象物とされることが多いです。
しかし、よく言われるように、アンケート結果は、対象人数と、対象範囲を、よくチェックした上で、読まないといけない。
何人の対象者中、何人の人に、調査をして、それは例えば、年代は?地域は?など、アンケート対象者についてを、まずは詳しく把握してから、アンケート結果を、正しく読むことができる。
決して、アンケート結果のみが、絶対的に正しいわけではなく、アンケートや統計は、アンケートを取る方法を変えるだけで、その結果さえ、安易に変わってしまう場合があることを、忘れてはいけません。

何が言いたいのか、よくわからなくなってきましたが…。
結構、こちらも、年々有り難く、勉強になってきてたりします…。
学生さん…皆さん、暑い中、頑張っておられるのではないでしょうか?
いろんな困難に負けじと、ファイトです!と、いつも陰ながら、応援させてもらってます。

そして、学生さんには、「お若くて車椅子なのに、明るくて。しっかりされてて。」と、お世辞を言われる私です…。
外とか出たくなくて、数年単位で、閉じこもりの車椅子ユーザの方も多くいらっしゃるらしいのです(いや、でも、通院とかしない?それも、外出だよね?)。
てか、私も、普段は閉じこもりですがね…。
買い物は、好きだから、行きますがね。
それが、何か?

まぁ、いきなり車椅子になって、上がれてた階段が上がれなくなったり、当たり前なことが当たり前じゃなくなり、人にジロジロ見られてるのが気になり、外に出たくないわ!…と思うのは、当然ですよね?

ですが、まぁ、家にいる方が気楽なのか、買い物好きだから、出るかは、本人が選ぶことでしょう。
どっちがよいとか悪いとか、私はないと思います。
外に出るには、お金が出ますし、経済的に、遊びにいけないというのもあるのかもしれませんし…。
(あーお金ない…!!!)

私は、見た目は、障害が軽く見えるらしいです。
一緒にいて、そこで、初めて、いろんなことができないことに、気付く。
元気そうとか、顔だけ見てたら障害を忘れるとかも、言われます。
褒め言葉なのか、単に障害をきちんと見てくれてないのか?…よくわからない複雑な心境なんですけどね…。

そういうのもあるからか?
「私が車椅子になったなら、そんなに明るくいられない。落ち込んで立ち直れない。」と言われることがあるんですが、私には、一番ショックな言葉なんです。
なったもんは、この体で生きてくしかないんです。
それは、人生は、自分の力で、変えられるものと、変えられないものがある。
病気は、後者の1つです。
変えたいならば、人生を辞めるしかありません。
いわば、自殺を選ばなかったから、今の私がいるだけのことです。

頑張りもしなかったし、自然に、あるがままに、なるように来ただけのことです。
乗り越える必要もないし、病気になって落ち込む時もあるし…。
逆に病気になったから、今の私がいるのかもしれない。
←まぁ、こういうのは、普段は、あまり考えないし、気付かないけど。
学生さんと話してると、つくづく感じるんです。
もしかしたら、私の病気の経験って、貴重な経験なん?って。

人生、いつどこで何が起こるかわかりません。
だけど、病気という、また難病という、貴重な体験をした分、人とはちょっと違った人生を、歩むことになったかもしれないことに、…そうなん?と感じるくらい、車椅子の自分にも、自然と慣れてくるもんです。

最近、誰もが車椅子や障害を持っても、過ごしやすい社会になればいいなぁと、感じるようになりました。
自立が無理な人にも、そういう意味で、働くこと=自立以外の、自立の見方を、本人も社会も変えて行って欲しいと願っています。

人に支えてもらうのも、自立。
結局は、社会は、人と人が支えられる中、個は確立してるように思います。
全てを、1人でできる人間は、いないのですから。

そうは綺麗事言っても、障害があるから、できないこと、困難なこともたくさんあるし、悔しい思いもします。
頸損の人が、脊損の人を、「手に障害がないからいいね。」と羨み、MSの患者さんが、頸損の患者さんを、「再発をしないので、障害が固定するからいいね。」と羨むというのも、聞いたことあるけど、いろんな障害や病気があり、誰と比べても、それを、選ぶことはできません。
健康に見えても、内臓疾患を抱えてたり、悩みを抱えたり、見えない部分で、気持ちが落ち込んでる人もいます。
健康な人や、病気や障害が軽い人に、頑張ってもらうんではなくて、個々が今できることをする。
ほんの少しだけ、自分ができることをみつけるだけで、周りへの配慮や優しさになるんではないだろうか?

私にも、もちろんできることはあります。
やってもらうことばかり、求めるんではなくて、役割をみつけることができたら、毎日が充実する気がする。
そういう意味で、これからも、いろんな出会いを、大切にしたいと思っています。

車椅子駐車場や、他いろんな私のつたない経験を、知ってもらいたい。
もちろん、私は、社会の中で、障害を持つ立場として、一個人でしかありません。
世の中には、いろんな立場や、考えがたくさんあります。
自分の意見として伝えたいし、相手の意見も聞かせてもらえたら、新しい風が、私の毎日の刺激になってくれそうです。

って、かっこよく書き過ぎ?
というか、ただ単に、人と遊べることが、楽しくて仕方がないだけの私ですが…(汗)

学生さんの中には、社会人から入学した方で、私と同い年くらいの方もいらっしゃいます。
だから、おしゃべりが、楽しいんですよね〜♪
長くしゃべると、私がしんどくなるんですが、気遣って下さいながら、ついつい長話してしまうんですよね〜(笑)。

話は変わりますが、そういえば、特定疾患を更新に行ってもらった母が、保健師さんとケンカしたらしい…。
ケンカというか、きっぱりと言っちゃったんだって。

「チェリーさんのこと、ずっと心配しておりました。」
と、保健師さんが言うから、

「それは、建て前上、聞いてるだけですか?」
「本当に心配ならば、家に電話掛けてくるとか、訪問に来るとか、されないのですか?」
と…。

無言になったらしいです…(怖;)。

あと、私のかかりつけの近くの病院は、神経難病(特に、ALSや、障害が進行したMSなど、介護度が高い疾患)は診なくなった方針で、他の方は転院されて(追い出された形らしく…)、私のことを「どうされてるんだろうか?と思ってたんです。」、と。
それで、他の患者さんの、相談に応じては、「ALSやMSの障害が進行された方は、ほんとに、困難なケースで、私達も、困るんです。」と言われたらしい。

困るんですと、保健師さんに言われても、実際に困ってるのは、患者さん本人と家族でしょ?
何かおかしなこと言ってるなぁ…と思って、「私達が、困るから、何なんですか?その先は、何がおっしゃいたいんですか?」と、先を促して聞けばよかったのに〜と、思ってしまいました…。。。
まぁ、実際そこにいたら、私も、聞けないけど…。

介護保険ができたから、保健所は、母性(赤ちゃんの検診ね)のみ対応で、難病の対応はなくなるとかって、本当なんでしょうか?
数年前までは、在宅で、訪問診療や、在宅医療を受けてる難病患者さんの自宅に、保健師さんが訪問したり、もっと積極的に関わりを持って下さったんですが…。
在宅は、病院も遠い存在で、保健所も遠くなれば、孤立してしまう気がする…。
介護保険の適応ではない、私のような若い世代の難病患者さんも、社会には多くおられます。

何か、たくさん書き過ぎたかも…。
長くなり、すみません!
医療格差と崩壊。
2007年07月30日(月)
参議院選挙、昨日終わりましたね。
もう選挙が終了したので書きますが…。
今回、どの党も、医療問題について、あまり討論されなかったというのは、残念に感じます。

地域における医療格差に、新臨床研修制度から生じた、医局人事崩壊。
本当に、医療崩壊は、現実的に凄まじいものになりつつあるんだ…と、ひしひしと感じております。

リハビリの、日数制限に、特定疾患制度も、一部負担制度に、疾患により、軽症者枠を設けられて、厳しくなってきました。

また、私は大阪で、都市部に住んでいますが、府内で、医療が充実した北部と、医師の人数が足りなく、専門医が不在だったり、また、科の閉鎖があったり、医療が不十分な、南部の市町村と、きっぱりと分かれてきました。

阪南市民病院の、内科閉鎖は、その代表例だと思われます。
私の住んでる地域でも、年々、神経内科の閉鎖が相次ぎ、何の改善もなされていないままです。
派遣医師による、外来診療を設けられましたが、毎日外来はできなく、入院を受け入れることが、できません。

私のかかりつけの近くの病院も、これまで、2人の医師で対応していましたが(それでも医師不足)、今春に、1人の医師を大学に戻した結果、常勤医1人となってしまいました。
医師お1人で、外来、入院、救急を、対応されておられます。

また、消化器が突然、閉鎖することになったり…。
周りの病院を見ても、眼科が閉鎖されたり、内科だけど、呼吸器科しか運営していない、また、24時間救急対応はできないなど、あちらこちらの病院で、見受けられるようになりました。

住む地域により、医療に格差が生じることは、あってはならないことだと思います。
大阪北部には、専門医がいるのだから、そこまで通えば?
と、言われても、高齢者の方は、現実的に、なかなか通えないし、入院するとなったら、お見舞いに通う家族も、大変だと思います。
なるべく、地域で、医療を受けたい。
そういった願いを、持ってると思います。

また、今の診療報酬制度には、医療を受けたくても、受けられない患者さんも、存在しているのではないか?と、危惧する内容です。
医療保険報酬を、長く入院すれば、報酬をどんどん落ちるようにしたり、ベットの回転率と満床率を求めていたり。
病院は、常に早期退院と、ベットを稼働させることを、求められています。

5月末に、救急車で搬送された時も、入院ベットが空いていないけれど…という状況で、受け入れしてもらいました。
他にも、本来ならば、入院する必要がある病状にいる患者さんも、ベットが空いていないために、入院することができない状況下にありました。
その日が特別なことではなく、私が、救急外来に受診した時、常日頃に、「ベットが空いてない!」ことなので…。

また、私のような神経難病や、慢性疾患の患者さんは、急性期疾患を主に診て、平均入院日数が(全入院患者の平均的な入院期間の日数)、6日を打ち出している地域病院では、抱えられないという状況も起きているのを、ひしひしと感じさせられます。

今日、母に特定疾患の更新に行ってもらいましたが、保健師さんから、そういう話もあったらしいです。
現実的に、神経難病の患者さんが、どんどん地域医療から、切り離されています。

幸いにも、在宅医療を熱心に支えて下さってる、開業医の先生方がいらっしゃるおかげで、私は、今こうして在宅で暮らせてるわけですが。

そういう現状を、もっと政治家の皆さんに、真剣に考えてもらいたいです。
他にも、年金問題以外に、もっと考えないといけないことも、山程あると思います。

また、話は飛びますが…。
特定疾患の更新の書類と、もう1つ患者側が自分で記入する用紙があったのですが。
高度医療の欄に、『バルーン』はあるのに、『自己間欠導尿』はないんですよ。
むしろ、1日に何度も、導尿をしてたり、本人ができなくて、家族が介護されてる場合(そうなると、『自己』導尿ではないけど)、バルーンより、手間がかかるのが、間欠導尿だったりします。
なので、自己間欠導尿も、含めて欲しいです。
自己導尿というと、自立してるイメージがあるのかな?
でも、私のように、医療スタッフや、家族の手を借りて、導尿してる患者さんもいます。
むしろ、バルーンよりも、手間と時間がかかるし、バルーンと同じように、清潔操作や、継続的な医療指導を、必要としています。

夜に、ずっと選挙の報道をしていましたが、各局、関心があり、チャンネルを替えながら、観たり。
2時くらいまで、観続けてしまいました…。
国会中継とか、観るのは好きです。
自分が参加したい!と感じさせられたり…。
この年になると、関心が高まりました。
たぶん、自分の病気の経験とか、医療に政治がどんどん関わってのが、実感させられるようななったのも、多いにあるんですが…。

当選された方は、これから大変だと思いますが、どうか頑張って頂きたいです。
選挙だけ、頑張って、国会では、寝る…とかないようにして頂きたいですねぇ…。
経過報告。
2007年07月26日(木)
4月末からの、病状経過について、メモ〜。

4月末→左腰〜股関節が痛む。
(近くの病院の、救急外来受診して、腰痛性との診断。湿布薬処方。)

5日後に、40度の発熱。
(同じく、近くの病院の、救急外来受診して、採血と、胸のレントゲン、点滴をして、ウィルス性の感染症との診断)。

夕方になると、38度以上に上がる、熱が下がらなく、遠くの病院の、総合内科受診。
(採血をして、細菌性の感染症との診断で、抗生剤の内服を開始。)
いったん、痛みと、熱は下がる。

5月末→同じく、40度近くの発熱と、左腰〜股関節の痛み。
翌朝に、腹痛の激痛で、救急車で病院搬送される。
(採血、胸部と腹部のレントゲン、腹部エコー←3時間待った!)で、胃粘膜障害と診断される。
とにかく、痛みを何とかしてくれ!と訴えても、いきなり、治すような魔法はない、モルヒネを使うわけにはいかないと…痛みを止める、薬はないと言われる…(涙)
いや、いきなりモルヒネじゃなくても、痛みを止める薬は、他にあると思うんだけどね…。
胃粘膜を保護する薬の内服、胃液の分泌を控える点滴、ナウゼリンの内服→腹痛は治まらない。
クローン病の再燃の可能性も考えて(しかし、腹部レントゲンと、エコーにおいては、今の所は、腸の腫れは、見られないし、穿孔とか閉塞とか、緊急事態は起きてないので、今すぐ何らかの緊急の処置を必要としてたり、生死に関わることはない。
また、腹痛がひどくなれば、救急で来て下さいと言われた。)、プレドニン15ミリ×3日を、処方。

帰りに、在宅医に寄り、点滴(ブスコパンと、アタラックスP)で、何とか我慢できるくらいに、治まる。
在宅医の意見として、ステロイドについては、感染症の場合は、悪化する場合があるので、今すぐ使わないで、様子を見て、使う時には、15ミリではなく、もっと多くの量をガツンと使った方が、効果があるとのことで、使わない指示が出て、結局、飲まなかった。

夜中の2時頃に、また激痛…。
ブスコパンを2錠内服。何とか効いて、朝まで、耐えれる。
朝から、下痢が始まる。

遠い病院の、消化器科を受診。
(クローン病発病時から、5年前まで、診てもらってた病院→障害が進行して、通えなくなり、近くの病院でフォローしてもらってたけど、消化器科が閉所して、内服薬は、在宅医から処方してもらい、この2年は診察に通ってない。)
昨日の病院から、紹介状の連絡と、検査データは連絡入れてもらってた。
(昨日の時点では、白血球、CRPとも、正常値。)
急性胃腸炎との診断。
あと、胃粘膜障害(胃潰瘍)の可能性が高い。←たぶん、昨日の病院から、連絡が入ってて(汗)
下血があるため、腸粘膜の炎症が、起きてるかもしれないので、大腸カメラを勧められる。
今の病状は、全くMSが関連あるか?ないか?は、何とも言えない。
この病院には、神経内科がない病院なので、そこら辺りの判別がしにくいから、正直言って、医師にも、わからない部分が多いと言われた。

胃薬に関しては、マーロックスと、ガスター10を飲んでたけど、それより、強烈な胃潰瘍の薬(オメプラゾール)と、整腸剤(ビオフェルミン)を処方。
下痢が続いてて、腹痛で、飲食ができていないため、帰ってから、在宅医から、訪問看護に来てもらい、点滴をしてもらう。

依然、夜になると、38度〜40度近い高熱が出る。
翌日も、通院。採血(白血球が、3000と低く、CRPが3とやや高い←0.6以下が正常値。)
急性胃腸炎でも、このくらいの炎症値は出るし、感染症の可能性があるので、ステロイドは使わない。というか、使えない。

この後、2週間に渡り、白血球は、2000まで下がり、CRPは6まで上がる。

結局は、急性胃腸炎ではなくて、胃粘膜障害と、腸の炎症(CDの再燃)の可能性が高かったみたい。
結論は、後からでないと、わからないわけですが…。
前までは、小腸型だったのが、大腸の直腸型にもなり、出血(鮮血)と、痔ろうが、ひどくなった。
ステロネマは、便意を催しちゃうので…ステロイドの座薬を、使うことに。←今でも、継続して、使ってる。
腹痛は、胃粘膜障害から、来てたようだ。
ここまで、ひどい腹痛は、尿路結石以来だった。
尿路結石に、匹敵するくらいの、激痛!!!
お腹の粘膜に、刃物で、キリキリ穴を空けられてるみたいな、胃液がすごいしみる…みたいな…。
加えて、腸がねじれちゃう!みたいな…激しい痛みだった…。

CDは、口腔〜肛門まで、炎症を起こすんだったっけ。
ちょうど同じ頃に、口に口内炎が、いくつもできて荒れたり、口腔粘膜に潰瘍ができて、血が出たりしてた。
これって、関連あるのかなぁ…???

整形外科で、左股関節のMRIを撮ったが(閉所恐怖症で、かなり怖かった〜〜〜汗)、ステロイドを長期に使ったら起こる場合がある、医師は、大腿骨頭壊死の可能性を考えられてたけれど、大丈夫との診断でした(ホッ♪)
結局、左股関節の痛みと発熱は、ばい菌が入ったために起こった、感染症の可能性が高いとのことです。
再発する可能性があり、その時は、抗生剤を長めに使うことになる。←「抗生剤を長く使うと、耐性ができる心配はないか?」尋ねたら、「医師の管理の下で使う範囲ならば、心配はいらない。」との答えでした。

今の所、左股関節の痛みは、治まって、大丈夫です!(^o^)/

今回の、CDの再燃については、絶食が一番効果が出たかな、と…。
10日間、絶食で、在宅医さんに訪問してもらい、入院中と同じように、点滴できたのが、助かりました。
あと、エンシュアは下痢するし、エレンタールは匂いがダメ…←わがままな私…。
行き着いた先は、アミノバイタルという、ゼリー状の飲み物でした。
点滴の成分と同じように、アミノ酸が取れることと、1本が、160キロカロリーと、ご飯一膳分を摂取できること。
アミノバイタルを、1日2本と、具のないお味噌汁や、重湯、お粥、うどんと、少しずつ食べ始めていきました。
←点滴は、お粥が食べられるまで、続きました。
点滴できると、脱水の心配がなく、体も楽だったかな。
毎日訪問と、病状確認に、電話を1日に何度もかけてくれた、訪問看護師さんに感謝です。

結局、今回も、大腸カメラ(CF)は、逃げてしまいました…。
あれすると、私はより悪化することが、経験上多い…。
もちろん、主治医と、話し合った結果です。(勝手に、キャンセルしたわけじゃないですよぉ〜。)
今度悪くなれば、即入院←CFの約束してますが…。

前も(家の近くの病院にて)、CFをキャンセルしたことがある私に、地元の神経内科の先生からは、わがままみたいに言われて、叱られたが…。
「きちんと、消化器の主治医と話し合った。」と言うと、「病状を見ながらだからね〜。向こうの先生が、そう診断されたなら、いいですよ〜。」と、何ら、今回は、怒られなかった。ホッ♪

これから守るのは、食事療法!
これは、喉元過ぎれば、何とやら〜に、ならないようにしなければ!(今日すでに、ショートケーキ食べたし(汗))

ちなみに、心配してた白血球も、4000前後まで、回復しました。
あれは、何だったのか?医師にも、わからないらしいです…。

MSに関しては、顔面の痛みと、耳鳴りに、悩まされてて…。
(相変わらず、足の痺れはひどい…涙)
これは、延髄の病巣の可能性があるらしいです。
でも、これくらいなら、経過観察しようかなと…。

とにかく、内服で、ステロイドを使うことが多いし(CDも患ってるから)、パルスも含めると、総量としては、かなり…。
股関節の感染症になったのも、抵抗力が弱まってることは、否定できないらしい…。
とりあえず、今の段階では、ステロイドをなるべく、使わずに、使っても、少ない量で、行きましょうと。
(0→30は効果が高いけど、25→30とかは、効果が出ない場合が多いらしい。)

あと、不整脈とか、サチュレーション低くなるとか、心臓にも負担がきてるらしい。←ステロイドの影響か、わからないみたいだし、原因不明やけど…。


以上に、書いたことは、あくまでも、私についての病状と、治療に関する見解であり、同じ病気でも、他の患者さんにも当てはまるとは、限りません。
というか、基本、病状や、治療法は、それぞれ、異なるわけで、全く当てはまらないと思います…。
その点、了解願いますよう…m(_ _)m

あと…、Googleの、ニュースアラームで、知ったのですが…。
視神経脊髄型において、ベタフェロンで、病状悪化という、新聞記事が、非常に気になります…。

ヤフーニュース

読売新聞

私…ベタフェロン教育入院中に、再発したんですが…。
その後も、再発多かったんですが…。
関係あるのだろうか…?

チェリー☆Diary 2002年に、再発した日
信頼関係って?
2007年07月20日(金)
信頼関係って、築き上げるのって、大変だよねぇ。
医療スタッフとの、信頼関係って、大切で、よりよい信頼関係は、よりよい治療やケアに結び付くと思うし、患者の私にも、努力が必要だと思う。

けど、どう努力したらいいんだろ?と、わからないままで。
頭を抱えてしまうんだなぁ…。

信頼関係って、人間的に、仲良くなることなん?

私は、正直、あんまり、医療スタッフとは、仲良くしたくない。
世間話や、楽しい話はするけど、プライベートな深刻な話や、自分の過去とか、わざわざ話したくない。

なぜって、やはり、彼女達は、プロだからね。
プロの訪問看護師さんとして、仕事しに来てるのだから、私情は、あまり深入りしたくないというのが、ある…。

今まで、スタッフの入れ替わりや、出会いと別れを繰り返してきて、仕事として終われば、もちろん関係はなくなるわけで。
深入りして、仲良くなれば、そりゃ寂しくもなるよねぇ…。

中には、プライベートまで、友人として、仲良くなった人もいるけど…。
それでも、仕事中は、仕事としての関係を保ってた上で、職場が移動になられてから、友人となった。
ほんとに、彼女とは、奇跡的に気が合ったんだと思う。

関係を深入りし過ぎると、面倒な先入観を持たれたり、適度な距離で、医療ができなくなったり、お互いに良くない面も生まれてくる場合もあったり…。

あと、患者に深入りしてしまって、バーンアウト(燃え尽き)してしまったり。
真面目な医療スタッフが、抱えやすいパターンだと思う。

まぁ、これは、1つの例えでしかないし、医療スタッフと患者との関係も、人間対人間の付き合いだから、「患者と、プライベートで仲良くなってはいけません。」と、医療界では、当たり前の決まりとなってるみたいだけど、患者としての私は、「そんなことは、言い切れないんじゃない?」と思う。

だって、患者を人として見ないと、患者を1人の人間として、感情移入できないと、良い看護ができるわけないじゃん!ねぇ…?

私は、でも、人としての感情のあれやこれや、行き違いとか、うっとおしく感じて…。
医療スタッフとは、サラリと付き合いたいと思ってしまう…。

ケアを、支えてくれる人以上の、心のケアは求めないし、どんなに言葉で優しい言葉を言ってもらっても、きちんと私が求めるケアを提供してくんないと、嫌いだ!

そして、その人として持つ性格で、特定の医療スタッフを嫌ったりしたくないし、自分と相性が合わないかも?と思ったら、むしろ、より仲良くなりたいなぁと、努力なんかしたりして、結果的に、相手の良い面も見れて、うれしくなる!

何か、相手から仲良くなろうと、努力してこられて、自分の思うような、理想の看護が描けなくて、バーンアウトされて、嫌われるのも、どうかと思う…。
とにかく、どんな理由でも、慣れで、最初と、態度が変わる看護は嫌だなぁ…。

在宅は、病院と違って、看護師さんの色が、薄いと思う。
むしろ、患者が主役で、患者自身が、自分で、体を治療する人であり(自分のあらゆる症状への対処法とか、医療スタッフがいない場で、自ら学んでいくわけで)、看護師さんは、脇役だと思う。

病院は、病院スタッフが主役で、患者は管理されるって感じかなぁ。
だけど、その管理が、時には必要な時があるけど、今の医療は、まだまだ管理し過ぎる所が、あるかなって思う。

だけど、国は、在宅を推薦してるみたいだけど、患者にどんどん自己管理を押しつけて、今の日本的には、大丈夫なん?って思ってしまう…。
日本人的には、自己責任とか、自己主張とか、文化的に、あまり身近に経験しなく、時代を越えてきたかなぁって。

在宅では、薬飲まなくても、誰にも、管理されないし、タバコ吸って、寿命縮めることになっても、私は、それはそれで、本人が充実した人生をと、選んだならば、いいじゃない!って思うなぁ。
(こんなこと言ったら、禁煙家さんに叱られるかもですが…。)
自分の人生に、それなりの、責任を持つならば(タバコはガンを発生する率が高いことを認識し、副煙炎もが、ガンを発生する率が高めることを、自分事のように認識し、周りの人に、迷惑にならない場所を選び、喫煙するならば)、どう選ぼうが、自由でしょ。
どんな選択にも、必ず、良い面と、悪い面を抱えるのは、当たり前なことなんだから。

なぜか、私のような考えを持つ、日本人患者は、医療スタッフには、敬遠されやすいそうです。

もっと甘えて欲しい。
頼って欲しい。
わがまま言って欲しい。

=頼られてる感が、欲しいらしい…。

なんだかなぁ…。
これって、どう思う?

結局は、病気と向き合うのは、私なんだよね?
退院して、いきなり荒波に放り出すやり方も、今の日本的医療だと思うのだ…。
病院は、管理という名の元で、過保護過ぎないかい?

これからは、患者本位の医療を!
と、望むならば、もっと病院内から、患者にも、自己管理を学べる空間を与えることが、必要だと思います。

糖尿病で、食事療法を守らなくて、入退院を繰り返してる人で、その度に、「透析することになるから、食事療法は守りましょう。」と、主治医の先生がおっしゃっられてて、それでも、入院中から、食事療法を守らなくて。
で、透析することになって、「なぜ、私だけ、こんなことに…。」と、涙ぐんだり、愚痴ってるのとか見たりすると、腹が立った…。
いや、その患者さんは、嫌いではないし、むしろ、人間的に心情がわからないわけではない。

だけど…。
なぜ、ドクターは、「食事は、守りましょう。」とか、ナースは、「あれ食べちゃダメ!」 とかしか言わなくて、「あなたの人生なんだから、食べたいを選んだ結果の、責任は持ちなさい。」と、突き放さなかったんだろか…と思った。

守ってあげるのは、一番、簡単だけど、結局は、人のは、誰も変わってあげられないわけで。
人の一生の、管理をできるくらい、あんたは偉いのかよ!?
…とか、思ってしまうんだよなぁ…。

今日の担当訪問看護師さんは、「悩みない?」とか、聞かれたことないから、逆に気が楽に過ごせる。

何か、悩み話したら、より気が重くなってしまう時があったり…。

あっ!でも、友人関係とは、こういうのは、別ですよぉ。
友達とは、悩み聞いてもらうと、心が楽になるもん。

と、何か、まとまらない文章で、結局、何が書きたかったんだか?…(笑)
東京の空。
2007年07月18日(水)
「余命1ヶ月の花嫁」〜乳がんと闘った24歳最後のメッセージ〜、という番組を観ました。

話は、この番組のこととは離れて、ちょっと私事になりますが…。
もう月日が経ったので、正直な出来事を話します…。
この2〜3月くらいにかけて、メディア取材との間で、すれ違いを起こしてしまい、かなり心苦しい経験をしました…。
(私自身が取材対象ではないのですが、ちょっとかなり近い距離にいました。)
テレビは、視聴率優先だなって思ったし、障害や病気を題材にするには、感動とか仕立てることになったり、当事者の思いや、現実とは離れてしまったり…。
(そんなメディアばかりではないことも、知っていますが、今回出会った方々とは、ちょっと運が悪かったのかもしれません…。)

なので、それまでは、感動や同情になったとしても、病気や障害と共に過ごしてる人がいるということを、健康な人に知ってもらうには、メディアは有効であるとか、テレビで流す意味はあると思ってました。
例え、それが、健康な人には、明日になれば、流した涙など、忘れられてしまったとしても…。
もしかしたら、いつか、たまたま、病院に行くことになった時、怪我した時、家族が病気になった時、街でたまたま障害を持った人と出会った時、何か心に思い出したりすることも、あるのかもしれない…と。
そう信じ切っていました。

そういうわけで、メディアを通して、辛い思いもしたけれど、今も、メディアは全く嫌いではないし、こういう番組も、嫌悪はしません。
そう再び思えたのは、今夜、この番組を観たからかなと、思った。

乳がんの転移で、余命1ヶ月と告知された24歳の女性が、彼氏や友達や、家族や親戚と、共に過ごした1ヶ月間を、取材されたものです。
友達が、結婚式のサプライズを用意したり、女の子として、ウエディングドレスを着たいという夢を叶えたり、身近な人に、愛し愛されて、そして、天国に旅立ちました…。

番組最後に、彼女が、「東京の空気は、おいしいんだよ。」というような言葉を、話していて…とても心に残っています。
今、健康に過ごしてる人は、自分の今ある身近な幸せに、気付かないで、暮らしてると思います。
病気になったら、日常生活の、ほんのちょっとした幸せに、気付くんです。
だけど、これは、健康な時にも、気付けるといいのにね…。

彼女を支え続けた彼や、結婚式のサプライズを用意した友達は、とても素晴らしい人だなと思ったけれど…。
素晴らしかったのは、やはり、病気と闘った彼女なんだと思う。
自分がいなくなった後も、彼や家族や友人、みんなが仲良く過ごして、人の縁が彼女を通して繋がっていく。
そこに、彼女がいなかったことに、涙が込み上げてきた…。

今何してる?

「生きてる。」

と答えた彼女の、真っ直ぐな瞳が、カメラを通じて、どんな長くて立派な言葉より、心にズシンと…届きました。

メディアって、何なんだろう…?
病気の人をテーマに取り上げると、視聴率も上がり、健康な人は、自分の健康に感謝して、生きる喜びを知るのかもしんない。
それじゃいけないんだろうか…?
私だって、健康だったら、そうかもしれない。

だけど、それだけではなくて、メディアには、きちんと真実も伝えて欲しいと思う。

番組の終わりに、乳がん検診について、説明されていました。
彼女が取材に応じた気持ち。
「がんと闘う自分の思いを、同世代の人達に伝えたい。」
という思いが、伝わってきました。
番組の制作過程において、彼女の意思が、生かされてるんだなぁ、と感じることができたような気がします。
この番組を通して、彼女の気持ちに触れた方々が、乳がん検診を受ける女性が、1人でも増えますように。
もちろん私も、含めて。

乳がん検診と、子宮がん検診には、行きたいなと思ってるんですよ。
在宅医のスタッフは、「若いがんは、滅多にない。」と言いますが、重度障害の身で、がん検診?と、思われてしまうかもしれないけど、私だって、自分の命は大切に思ってますから。
私は、人より、腫瘍とか、がんとか近い場所で、過ごしてきたんで、遠くには感じないんです。
それと、死についても。
健康な人だって、明日事故に遭うかもしれないし、心臓が止まってしまうかもしれない。
命の終わりは、いつかなんて、誰もが知らずに生きてる。
だけど、私は、命の大切さを、病気から教えられたから、ちょっと得した気分もする…♪

外に出たら、車椅子から、よく空を見上げます。

大阪の外の空気も、おいしかったりします(^ω^)
地震とか、大雨とか。
2007年07月17日(火)
昨日の地震…。。。
新潟には、お友達が2人暮らしてるのですが、1人とは連絡が取れないまま…。
お家の電話は繋がらないし、携帯は持ってない子なので…。
避難所暮らしになってるのかな…。
3年前の、中越地震の時は、後日に、必ず連絡をくれたので、待とうと思います。
こんな時に、何もできなくて、歯がゆいですが…。。。


話は変わりますが…、最近、在宅医療スタッフと接するのが、心労を感じるというか…。
スタッフ側に、何か嫌なことされたとか、言われたとかは、ないんです。
でも、何だか、あの救急車事件以来、関係がしっくりこなくなってしまいました…。

詳しいことを書くと、長くなるし…、愚痴になってしまうから…、書きませんが…(あと、書くのが、大変というのもありますが…汗)。

どうも…私についての印象が、在宅医療スタッフに、誤解を与えてしまったようで…。
言葉の端々に、そういう意味合いが、聞こえてしまう…。
あくまでも、私の受け取り方に問題があるのかもしんない…。
相手は、何気なく話してる言葉に、一々、気にし過ぎなのかなぁ…?

そういうわけで、在宅医療スタッフとの、コミュニケーションの取り方に悩んでて、何だか、気が重くなり…。
(実際に、訪問診療や訪問看護の後は、気持ちがズトーンと、落ちます…。)

医療スタッフなんだから、一番、きちんと自分の体の病状を、伝えないといけない人達なのに、ありのままを言えない…。
症状を、きちんと正直に、伝えられません。
もっとひどくなった時に、「いつもしんどいとばかり言ってる人だから…。」とか、誤解されて、対処してくれなくなったら困るので、よほど悪い症状にならないと言わない、言えない…。
医療スタッフの前では、無理しても、作り笑顔を作ってしまう。
(ほんとは、心は、かなり辛くて、泣いてる。)

そして、医療スタッフからは、「いつも元気そうで、どこも体の苦痛や、精神的な悩みはない人だ。」と、誤解されてしまう。
「チェリーさんは、歩けないだけだしね。」と、言われたことある…。

陰では、辛い症状も抱えてるし、眠れない日も多い…。
それなりに、悩みもあるんだけどな…。
特に、体の症状については、在宅スタッフには、理解してもらいたい。
だけど、医療スタッフは、何日かに1時間しか滞在しないし、私の性格や生活がわかってるわけないし、わかって!とも、私は、言えないんです…。

医療スタッフとしては、我が家での、滞在時間内で、私や家族の会話や、これまで、医療スタッフと、積み重ねてきたコミュニケーションから、「チェリーさんは、○○な人だ。」と、印象付けられるわけで。
だから、その医療スタッフが、私という人について抱いてる、固定観念というものと、私のほんとの思いとの間の、ズレというものに、私は、「そうじゃないのに〜〜〜。」と、どんどん悩んでるような気がして。
これ以上、そのズレが大きくなるのが、怖いから、頭で考えれば、どう話したらいいのか?わかんなくなってきて…、素直に言葉にできなくて、自分を出さないようにして、ほんとをどんどん見せられない…みたいな?

それが、症状とか、病状に繋がることだから、医療スタッフに伝わった方がいいのにな…という思いがあるから、よりしんどい。
精神的な理解は、私は、医療スタッフには始めから求めてないのだけど…。
(今の環境では、医療スタッフ側にも、時間がないだろし、そもそも、私の人生について、他人である医療スタッフに、悩みに関わらせるのも、私にとっては、負担に感じてしまう。ほっといてくれ!とも思ってしまう…。いわゆる、甘え下手なんやけどねぇ…。)

そもそも、私は、誤診の経験があり、医療者からの散々な言葉に傷付けられたので、元々から医療には、全信頼してないから、心まで理解してもらおうとは思わない…。
きちんと診断治療してくれれば、OK!と思う。
まぁ、きちんとした診断と治療というのが、望んでも難しい現実がある…。
医学に、絶対や、100%はなく、まして、難病だから。

言葉が、キツくなってしまったけど…。
何か、私って、結局は、同じ悩みにたどり着いてるような…。

甘え下手。
弱みは見せない。
我慢強い。
他者に頼らない。
そういう表面から、誤解を生んでしまいやすい。
誤解を解けるように、話し合う努力とリスクは、踏まない。

医療者が、例えば、私についての、固定観念(誤解)を抱いてるとして、それを解くには、リスクと向き合わないといけない。
医療者が、チェリーさんはこんな人だと思ってる(形)を、私が、「そうじゃなくて、こうなんです!」と、違った形を伝えるには、「そんなことあるわけないでしょ?こう見えるから、こうなはずよ。」と言われたら、私が話す、私についての真実はいったい何なの?と、思ってしまう…。
人からの印象が正しくて、私のほんとの気持ちは、きちんと伝わりもしないのか…と凹

まぁ、簡単に言うと、人にわかってもらうのは、大変なことだし、「わかってもらわなくていいよ。」と思って生きてるわけなんだけど(医療者にね)、それが、病状になると、理解してもらいたいとは…、患者としては切実に願うものだし…。
だって、きちんと病状が伝わり、正しくこちらの症状を、理解してもらえないと、治療に支障が出るもん…。

医療も、しょせんは、人間関係で、そういうの、苦手な私は、同じ悩みをグルグルしてるんだなぁ…。

あと、どうして、私って、誤解されやすいんだろ?
自分でも、わかんない…。
自分の何か、どこか、話し方や、性格に、原因があるのかな…(たぶん、そうだ…。)。

「えーーーなんで、言葉の意味を、そう受け取ったん?」

と、日本語が通じてない時がある…。

あと、「痛そうに見えない。」とか、よく言われる…。。。

お母さんは、しょせんは、全てなんか、他人に伝わりようがないんだから、誤解だと思っても、とりあえず、反論はするな。
医療者は、プライドが高いから、患者が、「そうじゃない。」と訴えたら、よけいに理解してもらえにくくなる…と、言うんやけどね。。。
確かに、私の話を聞いてもらえなくて、医療者の話を聞く時間の方が長いというのはある…。

誤解されても、とりあえず、聞き流せばいいんだろか…?
でも、「大して痛そうに見えないけど…。」とか言われたら?
ほんとは、私は、すごい痛いのに…。
痛く見えない程度なんだから…と、我慢しないといけないんだろか?

あと、やはり、医療スタッフは、健康な人達なんだなぁ、と思った。
あくまでも、仕事なんだなって。
まぁ、現実は、そうなんだけど、あまりシビアには、そういうの、感じたことなかった。

今回の地震で、うちの母が、「在宅医療してると、台風でも地震でも、訪問休めないですねぇ。」と言ったのだが(どんな状況下でも、待ってる在宅患者がいるという意味)…。
訪問看護師さんは、「小学校みたいに、台風だから、お休みとかなれば、うれしいんですけどぉ。」と…。

在宅患者は、頼れる医療スタッフは、訪問看護師さんや、在宅スタッフしかいないわけだけど。
たぶん、毎日、訪問を待ってる患者さんも、多いんだろうけど…。
訪問看護師さんにとっては、単なる業務(仕事)であって。
私達が(在宅患者)、在宅スタッフに頼ってる(医療や精神面)部分と、訪問看護師さんは、仕事であるだけという部分とで、かなり距離があるなぁ…と感じた。

ぶっちゃけ、私は、台風や地震の中、動けない体で、助けてもらえるとも、助けてもらいたいとも、傲慢なことは感じてないが…。
だって、歩ける人だって、災害下では、弱者になるわけで…。

だけど、地震に怖がる気持ちとか、ちょっとは、心配してくれてるかなぁ…とも思ったりもするけど。
この人達は、仕事が終わったら、医療から離れて暮らせる人達なんだなって。
(これは、入院中も、白衣を脱いで、帰宅する看護師さん見て、感じてたけど…。)

地震で、歩ける人達に、先に逃げられたとしても、私は、人を憎む人間にはなれないし、なりたくないと思う。
だから、医療者とか患者とか、健康とか病気とか、健常とか障害とか、日常から、分けたくないけど…。
分けないわけにはいかない時も、あるのかもしれない。

何か、「同じような年やのに、この差は、何なんだろか…。」と、よく訪問看護師さんを見て、思う…。
痛みとか、ありのままが伝わらない悔しさより、痛みさえなかったら…とか、何で、この人には痛みは感じてないのに…!!!!!!と思ってしまう。
私が今ある苦痛を持ってない人で、理解してくれない人と比べてしまう…。

今、お世話になってる、医療スタッフは、みんないい人ばかりなんよ。
だから、余計に、誤解されても、訂正しにくかったり(まっいーか、とか)、それが、積もり積もってきたんかな…。

とにかく、何で、私にも、辛いことあるのに、何でもないよ〜と、平気なふりしないとならないわけ?

と思って、苦しい…。

病気に負けるわけではない。
だけど、チェリーさんは、乗り越えられて、当然!みたいに、思われたくない。
乗り越えられる人とか、何も苦労してないとか、思われたくない。

あーーー人に何かを求める生き方は、ナンセンスやと、日頃から思って生きてるのにーーー。
幸せは、自分のチカラでしか、掴めないと思い込んで、これまで、生きてきたのに…。


結局、精神論になっちゃったね。
女性的脳視点で、論理と、感情を、ごちゃまぜに書いてしまった、今日の日記でした。。。


すみません…ペコリ。。。
神経内科受診。
2007年07月13日(金)
今日は、近くの病院を、受診しました。
特定疾患の書類を、書いてもらうのを、お願いしてきました。

何かね、ここに書くまでもない、医療不信感が、芽生えて、苦しんでたのだけど…。

でもね、この前に、MSと診断が付いた、大学病院の先生と話したら、新たな気持ちになれたんだ。

医師も人間である。
患者も人間である。

そしたら、今までお世話になったこととか、往診してもらってた日々のこととか、この6年間の年月を、いろいろ思い出した。

何か今日はね、お互いに、ハッピーに診察を終えられた感じがする。
先生から、「在宅で、よく頑張ってるね。」と、言われて、うれしかったぁ〜(涙)。。。

『人と自分は、合わせ鏡』というのは、よくわかる。
全部がそうとは限らないけど、自分から嫌うと、相手からも嫌われる。
だからって、必要以上に、好かれようとしなくていいけどさ。

大学病院の先生とも話したんだけど…

今後の医療体制は…

・MSについては、大学病院(5ヶ月毎に受診)と、近くの病院(3ヶ月毎に受診)。←今までと同じ体制。
しかし、緊急受診や入院が必要となり、近くの病院で受け入れできない。または、高度治療を希望した時には、大学で引き受ける。

・消化器は、クローン病と診断が付いた病院で、悪化時は、受診する。

・普段の病状管理は、在宅クリニックで。(訪問診療と、訪問看護と、訪問リハビリ)

・神経内科も、消化器も、普段の薬は、在宅クリニックから、処方。
ということになりました。
通院は、私の体力には、負担になるし、病院は、感染率が高まるので(特に冬季は)、なるべく、在宅医療を軸にする。

とりあえず、このような体制を決めておいて、あとは、その時々で…って感じかな。


私はこの数年間、MSについて、積極的な治療をしたい!!!思いがあった。
でも、近くの病院は、地域病院だから、パルス以外の治療は無理で、基本的にパルスでは、入院できなくて、あきらめるしかないの?と…、だけど、あきらめきれない思いと葛藤してたのですが…。←自己分析。

近くの病院の先生も、大学の主治医も、私の今の体の状態を見て、選んだ治療をしてくれてたというのも、わかったし。
ぶっちゃけ、難病だし、確実な治療法はないので、積極的な治療を選ぶには、副作用もきちんと、理解しないといけない。
(どんな治療にも、副作用は付き物)

このままジッと何もしないより、治療したい!!!

という気持ちに、追い詰められもしてきたのだけれど…。

何かを選んだリスクも、きちんと理解しないといけない。
だけど、良い結果を選べる方法ばかり、探してた。
そういう意味では、私は単なる駄々っ子だったなと、思いました。

はっきりと、内臓とか、体が耐えられないと言われたし、だから、積極的な治療をしようと言ってくれた病院は(セカンドオピニオンした病院)、「MS以外に、病気(内臓)があるならば、治療しにくいなぁ…。」と、言われたのだ…。
副作用のリスクを避けられないならば、効果を望むより、『今がベスト』と思って、今まで通り生活した方がいいのかなぁって。
難病である限り、リスクを受け入れても、絶対的に効果が出るわけでもない…。
そういうのも、真剣に考えて、出した結論です。

私が、積極的に、何とか治療したい!という思いと、先生との、「今、できうることをしている」という思いとの中で、気持ちの距離ができてたのかも…。

そういうわけで、ですが、場合により、積極的な治療を選びたいという状況になれば、大学にお願いすることになりました。
私の体や病気をわかってくれて、主治医の先生が、そうおっしゃって下さったし、今後の治療法を選択していくのは、時と場合によるかな、と…。

とりあえず、当面の目標は、大学の主治医と約束した、ステロイドを切っていくことです!
この5年、依存してたから、大変な挑戦です…。

しかし…私は、あまり人の会話に、気持ちを左右されたいようにしなくちゃと、思いました。
私は、人の感情の起伏に、敏感過ぎるようだ…。
医療者の中には、傷付くことも、平気で言う人もいるけど…。
一々、気にしてたら、キリがないというか…。
忙しいから、言った側は、案外、深く考えもせずに、言葉にしてるというか…。←それが、罪深いんだけど…。

病院は、病んだ人が行く場所で、更に、医療者との関係に、病むって、本末転倒なようだけど、信頼できる医師と出会えるのは、稀だと私は思ったりするので…。

それと、患者の良くなりたい気持ちは、特に難病においては、医師にとっては、負担にもなり得るんだな、と。
患者と医師、立場が違うから、これは、仕方がないね。

在宅医療では、家という場所だからか?医師の本音が聞けたりして、意外なことを知れたりします。。。
←それも、マジーーーと、心の動揺に…(汗)

だけど、救急車で痛がってるのに、6時間放置は、マジでひどいです!!!
体の痛みを、もっと深刻に、受け止めて欲しい。
データや、命に関わるか?ばかり、見ないでさ。
難病のように、今すぐ命がどうのこうのはなくても、身体も心も痛めている患者がいるってことに、もっと関心を示して欲しいです!

だけど、先生は、頑張っていらっしゃる。
近くの病院は、地域医療格差で、医師が、どんどん大学に戻されて、減ってる中、24時間救急外来をしてる。
地域病院に残ってる先生方には、負担になってると思う。
良い医療は、余裕から生まれると思うから、地域医療格差が進むと、どんどん悪化すると思う…。
ミスも、そういうのから生まれるんだと思う…。


というか、私…おりこう患者に書き過ぎ?(汗)
まぁ、また、愚痴も書くかもですが、許して下さいm(_ _)m

この連休は、日本列島、台風が通過ですね…。
くれぐれも、お気をつけて下さい。。。

私の手足も、接近する低気圧に、ガンガン痺れて、睡眠不足です…。
体は、天気に敏感です…(涙)。。。
お久しぶりです!
2007年07月08日(日)
しばらく、更新滞ってしまいました…m(_ _)m

サイトの方が、サーバーダウンで見れないままなので、そろそろ移転を考えてます。
やはり、私にとって、サイトは大切な位置付けにあるようで。
他所での、自己紹介で、ブログアドレスのみ紹介するのも、何だかなぁ…って、しっくりこない。
サイトを見てもらった方が、リアルの私に近いかなって。

毎日点滴外せなかったり、バルンや管ばっか繋がってたり、入院ドタキャン騒動や、いろいろあったけど…。
ほんとに、4月末から、発熱ばかりして、股関節痛や、腹痛や、下痢や、救急車に生まれて初めて乗ったり…。
辛かったけど…。。。

体調は、何とか、回復傾向にあります。
だけど、ステロイドはよく効くなぁ!って、怖い…。
ステロイドを切ってから、いろいろ悪くなったし…。
だけど、これからはMS的なパルスの回数は減らそうかな…と。
大学病院の主治医は、そんな感じで言ってた。
今の主治医は、パルスが回数が多くて、肝心な時に、せっかくのステロイド効果が見られないとか、なんとか…?

だけど、ステロイドを減らすには、血漿交換とか、免疫抑制剤とか、他の治療法への変更も必要な場合もあるらしくて、私の場合、どれも、ダメ!な結論だからなぁ。
とにかく、治療できる体力がなさ過ぎるらしいです…トホホ。

この2ヶ月、白血球が謎の2000前後という…低下してました。
それ以下には下がらないから、経過観察中です。
相変わらず、ステロイド量上げたら、肝機能上がるし…。

とにかく、快腸になっても、食事療法は守る。
今までは、不良患者過ぎた。
CDもMSも、自己免疫疾患だから、原因は同じだと思う。
ストレス溜めない。
規則正しい生活が、大切なんだろなぁ、できないけど!

これからは、ステロイド減らす計画だから、自分をみつめて、再発と再燃しないように暮らしたいなぁ。

梅雨は空けないけど、暑いですね〜。
皆様も、くれぐれも、体調にはお気をつけて下さいね。

では、また、書きに来ますね♪

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Edit by オレンジミルク 。

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