rokoのNotebook


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Dr,コトー診療所

2003年09月12日(金)



  今期、一番嵌っていた連ドラの一つです。
  原作本はマンガですが、コトー先生のモデルは実在している医師です。
  主人公のコトー先生を演じたのは、吉岡秀隆さん。
  この人「北の国から」の純役の印象が強すぎて、原作本のファンの一部には
  コトー先生=純でイメージが違うという声もあったようです。
  「北の国から」を見た事の無かった私は、何の先入観もなくコトー先生に
  近づけたし、原作本を読み始めた今も別にイメージが違うとは思わないけど・・・

  さてその「Dr.コトー診療所」も昨夜が最終回でした。
  エー実は原作本とはストーリーが違います。
  原作本では、コトー先生の過去が暴かれた事件と以前勤めていた大学病院で
  胃癌の手術を行う為、一時島を離れるのは別の事件なのです。

  コトー先生の過去がわかった時点で、島の人々の信頼を失い診療所は閑古鳥が
  泣いた事もあったし、コトー先生が島を訪れた記者の手術を優先する事を決め
  た時、島民から「出て行け!」っていう言葉を浴びたのは事実だったけど、
  コトー先生が記者と子供、両方の命を助けた事でチャンチャンっていう感じ
  でした。

  以前勤めていた大学病院から胃癌の手術の依頼を受けた時、コトー先生は、
  引き受ける気持ちはなく、一度は断りました。
  でもある日突然訪れた大学病院の外科部長から患者である政治家の幼い孫娘の
  「おじいさんと助けてください」という手紙を見せられ、上京します。
  東京でのコトー先生は、医者に放って置かれている病棟患者サン達に優しく
  接します。
  例えば、孫が見舞いにきてくれないと淋しがり、食欲をなくしている患者さん
  と政治家の孫娘が一緒に遊べるようにしたり・・・
  有名な政治家の難しい手術を成功させ、一躍有名になったコトー先生は、もう
  島に帰ってこないのではないか?と島の看護婦さんは心配しますが、コトー
  先生は元々手術だけのつもりですから、直ぐに戻ってきてくれます。

  ですから、原作では、星野さんが胃潰瘍で吐血する・原親子が東京までコトー
  先生を迎えに来る・・・なんて事はありません。

  コトー先生を取り巻く人間、西山茉莉子は原作にないキャストです。
  シゲさんや原さんも原作とはちょっとイメージが違うけど(テレビの方が
  かっこいい)、一番違うのは和田さんです。
  和田さんは、患者さんの一人で、あんなに手術を手伝ったりしてません。
  大のネコ好きで、診療所にも必ずネコと一緒に現れるし、お家は「ネコ屋敷」
  です。
  コトー先生は、このネコちゃんの名付け親になったり、ネコちゃんが和田さん
  の命を助けたりします。ネコの恩返し?

  あ、そうそう。
  東京の大学病院で記者会見で真実を語った三上医師は、コトー先生と同じよう
  に、離島の医者になります。
  島の生活に中々慣れなかった三上先生は、コトー先生に相談にのって貰ったり
  して、2人の交流は続く事になります。

  只一つ残念だった事・・・
  大学病院で政治家の手術が終わった後、三上医師は、嘘の検査結果を伝えた事
  をコトー先生に謝りますが、コトー先生は
  「謝る相手は、ボクでなく、患者さんにでしょう。
  医師は知り得た情報を全て患者さんに話さなくてはなりません。
  手術をするかどうかを決めるのは医師でなく患者さんなのですから」
  と諭しますが、その台詞がテレビでは、割愛されてしまっていました。。。
  


男子マラソン

2003年09月01日(月)



世界陸上は殆ど見なかったけど、男女マラソンだけはしっかり見ました。
男子マラソンはメダルが取れなくて残念だったけど、一時期の低迷期に比べれば
かなりよくなったでしょう。

その男子マラソンを見ながら(正確に言うと佐藤選手を見ながら)昨年秋29歳にして、現役を引退した選手を思い出しました。
「渡辺康幸」

大学駅伝のファンの方なら覚えているでしょうか?
早稲田のエース、箱根駅伝・出雲駅伝で活躍した早稲田の渡辺君。
それまでに多少の差があっても最終区間、彼が走れば何とかしてくれた。
「瀬古二世」って言われていた。
現在も1万m、高校記録(日本人)、学生記録、保持者。
瀬古(利彦)さんがコーチをしているSB食品に入社して、マラソンに本格的に転向。
本来なら今回の世界選手権にも出場していてもおかしくない選手だった。
彼が社会人になってマラソンシーズンになるとエントリー名の中に彼の名前を
探したものでした。

しかし、彼はアキレス腱痛に悩ませ続けた。
1996年にSB入社、アトランタオリンピックで10000メートルの日本代表になったけど、予選からレース自体を欠場。
その後、97年ニューイヤー駅伝も故障欠場、98年ニューイヤー駅伝に初出場、区間新記録を始めとして30K自己新、と98年4月の5000m、10000m2レースで完全復活といえる状態にカムバックしが、その年の12月に行われた福岡国際マラソンで33キロで途中棄権。

結局フルマラソンは大学4年の時に走ったびわ湖(2時間12分39秒)の1回だけとなってしまった。

その渡辺君が今春から早稲田のコーチになりました。
早稲田は箱根駅伝で昨年3位総合3位に浮上したが、今年は15位へ転落。
予選会から出場しなくてなりません。
来年のお正月、選手達がスタートラインに立てるように、古豪早稲田が復活
するように、若き新コーチに期待したい。

ご本人も言っているように、一度でいいから満足な身体でマラソンのスタートラインに立たせてあげたかった選手である。

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