rokoのNotebook


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ハッピーハロウィン!

2003年10月31日(金)


  今日は「ハロウィン」です。

  「ハロウィン」とは、万聖節(11月1日、天国の諸聖人を祭るキリスト教の祝日)
  の前夜祭。
  元々は、古代ケルトが起源で、1年の収穫を祝い、悪霊を追い出す祭りをキリ
  スト教が取り入れたらしい。(古代ケルト暦では10月31日が1年の終わり
  の日。新年と冬を迎える祭りで、夜には死者の霊が家に帰るといわれる。・・・
  日本でいえばお盆とお正月が一度にやってきたいなもの)
 
  アメリカでは、ハロウィンが盛んで、毎年10月31日には、カボチャをくり
  抜き、目鼻口をつけた提灯を飾り、夜になると、魔女やゴーストなどに仮装し
  た子供たちが「Trick or treat (お菓子をくれないといたずらするぞ!)」
  と近所を回り、子供からそう言われたら「ハッピーハロウィン」と応えて、
  お菓子を渡します。

  
  ハロウィンといって思い出すのは、平成四年、ルイジアナ州でハロウィンの夜
  に起きた高校生の痛ましい射殺事件です。
  あの日から10年以上も経ってしまいましたが、銃社会アメリカの現実を見せ
  つけられたのを、今でもよく覚えています。

  


  












「ハロウィン」とは、万聖節(11月1日、天国の諸聖人を祭るキリスト教の祝日)の前夜祭。
11月1日は、万聖節(All Saints' Day)です。
「万聖節」というのは、キリスト教で、諸聖人を記念するため
毎年11月1日に行う祝祭。
正式には「諸聖人の祝日(諸聖徒日)」。

カトリックの有名無名の聖人すべてを一度に
お祀りする日です。
(あえて、日本でたとえるならお彼岸)
カトリックでは、クリスマスなどと並んで、
大切な祭事だということです。

万聖節の前夜祭。古代ケルトが起源で、秋の収穫を祝い悪霊を追い出す祭り。アメリカでは、カボチャをくり抜き、目鼻口をつけた提灯を飾り、夜には怪物などに仮装した子供たちが「Trick or treat (いたずらかお菓子か)」と近所を回り菓子を貰ったりする。(All hallow's Eveともいう )
→古代ケルト起源 :古代ケルト暦では10月31日が1年の終わりの日。新年と冬を迎える祭りで、夜には死者の霊が家に帰るといわれる。

アメリカでは、HALLOWEENが大変盛んで、毎年10月31日の夜になると魔女やゴーストなどの仮装や、Pumpkinの中味をくり抜きランタンを作ったりする。また子供たちは、仮装して“Trick or treat”(お菓子をくれないといたずらするぞ)と言いながら近所の家々を回り、お菓子などをもらう。


矯正施設

2003年10月26日(日)


  矯正施設って知っていますか?
  刑務所,少年刑務所,拘置所,少年院,少年鑑別所及び婦人補導院の総称
  です。
  我が家から徒歩10分足らずのところに「少女少年院」があります。
  「少年院」は家庭裁判所から保護処分として送致された少年に対し,社会
  不適応の原因を除去し, 健全な育成を図ることを目的として矯正教育を
  行う法務省所管の施設であり、「少女少年院」には、少女だけが入っている
  施設です。

  さて、我が家の近くの施設は、目の前に都営住宅があり、近くには市営の
  総合体育館やプールもあり、一見すると普通の学校です。
  名前も○○女子学園(少女少年院にはこの名前が多い)といい、昔は高い塀
  があったようですが、今はその塀もありません。
  只、普通の学校のように、元気のいい子供達の声は聞こえてこないし、通学
  する姿も見る事はありません。
  ここにいる少女達が、外の空気を感じる事が出来るのは、たまに行われて
  いるボランティアによる「慰問」の時だけのようです。

  それでも確かに、この中で、日々の生活を送り生きている人々がいるので
  す。
  どんな少女達が、各々にどのような事情を抱えているのか、ココに来る事に
  なってしまった経緯は知る由もありません。
  昨今、「少年院の実体」と称して、その酷い内部を暴露するテレビ番組も
  少なくありませんが、ココの中での生活がどのようなものかわかりません。

  この閉鎖された空間で、更正した(ように見えた)少女達は、外に出ても、
  厳しい現実の壁にぶち当たるでしょう。
  厳しいのは、社会や世間だけではないのです。 
  本来、安らぎになる筈の家庭が立ち直っていない事が多いそうです。
  相変わらず、夫婦がいがみ合っていたり、子供の事に無関心だったり、腫れ
  物に触るように扱ったり・・・
  中には、離婚した両親の双方が、引取りを嫌がったり・・・ 
  罪を犯した少女達は法の名の元で矯正しますが、家族(親)の方の矯正は
  どうなっているのでしょう??

 
  

  


両雄の引き際

2003年10月24日(金)


  小泉首相が自民党比例単独候補の73歳定年制をめぐり、中曽根、宮沢
  両元首相に衆院選不出馬を要請した。
  宮沢氏が「総理・総裁に恥をかかせる訳にはいかない。自発的に立候補を
  辞退する。党の若返りに貢献したい」と不出馬を明言したのに対し、
  「総理・総裁をやった者に対して、突如として爆弾を投げるようなものだ。
  一種の政治的テロだ。こんな非礼なことはない」と拒否した中曽根氏。

  政治家の73歳定年制がいいかどうかは別にして、今回のこの騒ぎに対する
  私の率直な感想。

  「中曽根さん、みっともない~」

  中曽根氏曰く
  ①「長年のライフワークである憲法改正と教育基本法改正が政治日程に上が
   ってきた。最後の仕事が目前にあって議員を辞めることはできない」
  ②1996年の衆院選の群馬県内の候補者調整で出された橋本首相(総裁)
   と加藤幹事長による裁定により、中曽根氏が比例選に転出する代わりに、
   「比例北関東の候補者の最上位とし、終身処遇する」と決められた。
  ①に関しては、別に中曽根氏がやらなくても、後を他の政治家に託せばいい。
  政治に限らず、研究だって、自分が手がけても最後は後進に道を譲って任せ
  るっていう事は幾らでもある話。
  
  確かに先輩として立てなくてはいけないとは思うけど、総理・総裁をやった
  者ってそんなに偉いのかねぇ~。
  中曽根氏が小泉さんに対して「非礼」って言うのなら、中曽根氏の「政治的
  テロ」発言は、少なくても現在の日本国の総理大臣に対して失礼ではないの
  かしら?
  立派な名誉毀損だよ。
  小泉さんが安倍幹事長起用など、内閣改造・党役員人事で「世代交代」を
  掲げて、斬新な人事を断行したけど、これだって、今回の選挙を考えての事。
  その時は「すごい!」って褒めていたくせに、自分の人事に関しては
  「選挙という目前の利害だけで動かす(議員引退を迫る)ことは誤りをおか
  す」だって。
  勝手な言い分!!

  中曽根氏と同じように出馬を表明していた宮沢氏の心の内はわからない。
  でも、党内の若手候補を中心に73歳定年制の完全実施を求める声が強い
  上に、衆院選で世代交代をアピールしなければならないといった周りの情勢が
  わかっているからこそ、引退表明になったのだろう。
  それに加えて、自分も総理経験者だから、小泉さんが先輩である自分に引退
  勧告をしなくてはいけない立場であるという事を理解して「総理・総裁に恥を
  かかせる訳にはいかない」という発言になったのではないか。
  又記者の質問に対し「高齢である事は、事実。自分はまだまだ大丈夫と
  思っても他人からみればそうは見えないのでしょう」と、答えていた。
  周りの情勢がわかっている宮沢氏に比べ、中曽根氏はそれが見えてない。
  それだけ見ても、中曽根氏はご高齢になったという証拠!
  
  公認されなかった場合、小選挙区で無所属で出馬する?
  この際、そうしてみれば?
  同じ選挙区に福田官房長官がいるのだから、勝てるとは思えないけど、
  それで、負ければ「国民の声」という事で、文句ないでしょう。
  ネ、
駄々ッ子の頑固ジジイ


  昔から「終わりよければ全て良し」って言う言葉があるけれど、宮沢氏の
  終わり方は潔い。

  最後に、↑の②の目先の選挙しか考えずにバカなお約束をした橋本氏。
  黙ってないで、何とか言ったら?
  小泉さんに代わって、貴方が、中曽根氏に印籠を渡すべきだわ。

  

      
  


青春の思い出・・・①

2003年10月18日(土)



  プロフィールの「バイオグラフィ」を更新しようと思ったら「あぁ~こんな事もあった
  なぁ~」と色々思い出したので、その中の幾つかをこちらでご紹介しましょう。
  ・・・って、Notebookの方がネタ切れで、半月も更新してないから、無理にこじつ
  けたんだけど(;^_^A

  ラジオの深夜放送なるものが何時から始まったのかは知らないけれど、私が
  聞き出したのは、浪人時代からだったかなぁ。
  所謂完全な「ながら族」でした。
  当時の深夜放送といえば「オールナイトニッポン」「セイヤング」「パックインミ
  ュージック」
  「オールナイトニッポン」は、殆ど聞いた事なかったけれど「セイヤング」と「パック
  インミュージック」は、メインパーソナリティによって聞きわけていました。
  そういえば、局アナが「レモンちゃん」なんて言われて、凄い人気が出ていました
  ね。
  
  私が大学3年の頃、「いちご白書をもう一度」「さちこ」のヒットで知られる某歌手が
  「パックインミュージック」のパーソナリティをやっていた事がありました。
  その番組の中で「ミスキャンパス」と称して、一般の女子大生が一夜だけ、 
  アシスタントをしていたのですが、何を考えたのか(っていうか、何も考えず)応募
  しちゃったんです。
  誰が?って、この私がです。
  応募したのをすっかり忘れていた頃、1本の電話がなりました。
  「パックインミュージックの○○ですが、ミスキャンパスに応募なさいましたよね?
  来週の生放送に来られますか?」
  俄かには信じられない私。
  私が応募した事を知っていて、誰かがイタズラ電話?
  ン?応募した事は、親にも言ってない、ッて事は、この電話本物?
  「深夜放送」っていう位だから、午前1時~3時の生放送。
  なのに、親の承諾も得ずに、即OKしちゃいました。
  
  当日。「一人で来るのがイヤだったら、お友達でも親御さんでも連れてきていい」
  という事だったので、仲のよかった友達と3人で行きました。
  放送は1時スタートだったけど、確か9時ぐらいに来るように言われた覚えが
  あります。
  3人で夕食を済ませ(と言っても、私は殆ど食べられなかったけど・・・)、
  その日は、確かDJさんのお誕生日だったので(という事は、冬だわ)、差し入れ
  にケーキを持っていきました。
  
  番組が始まる時に、「ミスキャンパス」が言う決まった台詞があるのですが、
  それは、本番前に練習して録音しました。

  1回目・・・「もう少し大人っぽくネ、それじゃーまるで子供だよ」
  フン、どうせ子供の声だよ。
  高校時代の放送劇だって、ずーと少女の役立ったんだから)`ε´(
  (勿論、そんな事は言いませんでしたが・・・)

  2回目・・・私が話し出すきっかけは、DJの人が合図してくれる筈なのに合図が
  ない(;^_^A
  そのDJさん、直ぐに「あ、ボクが合図するのを忘れちゃった。ごめん、ボクのミ
  スだ」って大きな声で言ってくれました。
  その後、数回練習して、OKが出て(少女の声のまま諦められた?)、本番までは
  DJさんと雑談。

  さぁ~本番です。
  アシスタントといっても、DJさんの読んだ葉書に感想を言ったり、聞かれたことに
  答えればいいだけの事(Hな話もあったよ~)だし、あっという間に、2時間は
  終わりました。

  帰りは・・・何しろ放送が終わるのが午前3時ですから、私達3人は、ちゃんと
  局が用意してくれたタクシーで、家の前まで送って貰いました。
  勿論、DJさんにも1台タクシーが用意されていたのですが、私の家の場所を
  聞いて、「同じ方向だから、一緒のタクシーでいいよ」と、同じタクシーで帰ってきま
  した。 
 
  これが、私の一度だけのラジオ出演のお話です。
  この話にはちょっとだけ、後日談があるので、「青春の思い出・・・②」と続きます。 
  
  


子育て

2003年10月01日(水)


 長崎市で起きた男児誘拐事件で長崎家裁が中学1年に「決定」を言い渡した。
 少年が児童自立支援施設に送致されるのは予想通りだった。

 その処遇理由の中で少年と両親との関係について語られている。
 特に母親との関係は過剰ともいえるほどの緊密な関係にあったようだ。
 こう書くと今までならさぞかし甘やかして育てだろうと想像するところである
 が、この母親はスパルタというか厳しいしつけをしていた。

 少年は幼少期、筋肉の発達の遅れでお尻を床に付けないと階段を降りれず、
 小学校に入っても簡単な図形すらかけなかった。
 これは脳の障害によるものだったものだと見られている。
 言語の発達に遅れがなかったから幼児期の健診でも見逃されてきた。
 母親は、少年の運動能力が劣る事や不器用である事を気にして幼児期からその
 改善のために特訓をしたり、小学校入学後は他の児童に馬鹿にされないように
 付ききりで勉強を教え、寄り道をすると厳しく叱責していた。

 幼児期の健診で障害が見逃されてきた、といっても毎日一緒に生活している
 母親には「我が子が他の子供とは違う」と気がついていたのだろう。
 気がついていたからこそ、其の事を気にして必要以上に厳しく接したのだろう。
 
 幼児期の発達というのは、個人差がある。
 障害がないにも係らず、発達が遅れているからといって、障害と決め付けられ、
 健診でボロクソに言われ、傷ついた母親も少なくない。

 又、障害がある子を叱咤激励しても、その子が立派に育った時、子供は「母親
 が甘やかさずに厳しく育ててくれたおかげだ」というのを聞く事もある。
 障害が有る無しに係らず、親は我が子ができない事を出来るようにさせようと
 するのは常であろう。
 例えば、自転車の補助無しにした時の練習、逆上がりが出来なければその特訓、
 我が家の長男も小学校の低学年の頃、「自分の思っている事を書いているつも
 りでも書いた文章は助詞が抜けている」と担任の先生に指摘され、先生の指導
 のもと毎日日記を書かせていた。

 只、この母親の思い(愛情)が、少年に伝わらずに、母親からの叱責を極端に
 恐れるだけになってしまった。
 何処かで親子関係に狂いが生じてしまったのだろう。
 
 人間は十人十色である。
 同じ人間など有り得ない。
 同じように子育てもその子にあった育て方があるように思う。
 マニュアルなど役に立たない。
 親は手探り状態で、身体ごと子供とぶつかり合いながら、失敗の許されない
 子育てをしなくてはいけないのである。
 それだけ、子育ては大事業なのだ。

 この少年が立ち直るまでにどのぐらいの年月を有するかわからない。
 しかし、少年が児童自立支援施設で保護処分を受けている間、親の方も変わら
 なくてはならない。
 新聞記事によると、夫婦の諍いが絶えなかったという。
 同じように夫婦が諍いが続いていたら、少年が心からくつろげる家庭でなかっ
 たら、少年は戻ってこれない。



 この夫婦、大丈夫かなぁ~って言うのが本音。
 子供が何かしでかした時、よく相手のせいにする夫婦がいるでしょう。
 「お前の育て方が悪い」とか「私ばかりに押し付けていたくせに」ってなじりあう夫婦。
 何が原因だか知らないけど、今までだって諍いが絶えなかったという夫婦が何処までやり直せるか?
 「夫婦の絆は強い」とも言うけど「夫婦は所詮他人」とも言うし・・・

 
 
 
 
 
 
 
 

 

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