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バレンタインデー

2003年02月14日(金)



 世の中「バレンタインデー」って浮かれているけど、一体どの位の人がこの日の由来を知っているのだろうか?

 バレンタイン・デーは、英語では「Saint Valentine’s Day」、訳せば「聖バレンタインの日」という意味。
 つまり、バレンタインというのは、人の名前なのである。
 
 西暦3世紀のローマ・・・時の皇帝クラウディウス二世は、富国強兵策として兵士の結婚を禁じていたが(若者たちがなかなか戦争に出たがらないのは、彼らが自分の家族や愛する者たちを去りたくないからだと確信するようになったから)、バレンチノというキリスト教の司祭が、反対、次々と兵士を結婚させたいた。
当時のローマでは、キリスト教が迫害されていたため、皇帝は、バレンチノに罪を認めさせてローマの宗教に改宗させようとしたが、バレンチノはそれを拒否。そこで、投獄され、ついには西暦270年2月14日に、処刑されてしまった。

 時が流れて・・・中世ヨーロッパで聖バレンタインは愛の守護神とみなされるようになり、ヨーロッパではこの日に花やキューピッドの絵のカードを贈る風習がうまれ、14世紀頃から女性から愛の告白をしてもよいという日に変わっていった。

 そしてこれが第一次世界大戦後にアメリカで急速に恋人達の日として普及し、日本でも昭和50年代前後から「女性が男性にチョコレートを贈って愛を告白する日」として広まった。
チョコレート業界では昭和33年のキャンペーンからであり、女性が男性にチョコレートを贈る習慣は日本独自のもの。
 
 自分の命を犠牲にしてまで神の愛を伝え、実践したバレンチノ・・・。
 今年のバレンタイン・デーは、そんな彼のことを思い出して、少しは厳かな気持ちになってもいいんじゃない?



幼女姉妹行方不明事件

2003年02月12日(水)



 岡山で幼い姉妹が行方不明だった事件(事故)・・・行方不明から10日目に小さな記事が出ただけで、その後報道がなかったので、どうなっているのか心配していたが、残念な事に最悪の結果になってしまった。

 行方不明・・・といえば、我が家にも苦い経験がある。
 my wish(娘)が小学校へ入った頃の事である。
 まだ行動範囲が狭くて、幼稚園からの一緒だった近くのお友達ぐらいとしか遊ばず、5時過ぎれば決まって帰ってくるのが日課だった。(今は知らないけど、その頃は母親同士の間で「5時になれば遊びに来ている子を帰す」というのが不文律のようにあった)

 陽が延びて、5時だとまだ明るいけれど6時を過ぎると急に外は真っ暗になるという季節のその日・・・いつもは帰ってくる5時15分過ぎてもmy wishは帰ってこなかった。
そのお家は子供の足でも徒歩10分位・・・「まだ遊んでいるのかな?」と軽い気持ちで、電話をしてみたら「いつもと同じように5時には帰りましたけど・・・」という返事。
家の外で待っていても帰ってくる気配も無い。
友達のお母さんも心配して家まで来てくれたが、いつも通る道にはいなかったという。
同じ学校へ通っている近所の家でも自分のお子さんに「○○ちゃん、見なかった?」と聞いてくれたが、どの子も「今日は見てない」。
「どこから電話がかかってくるかわからないから、お母さんはお家で待っていて」と言われ、ご近所の方たちが夕方の忙しい時間にもかかわらず、皆が手分けして探してくれた。
電話の前で待ちながら、生きた心地はしなかった。事故?誘拐?悪い悪い方へと想像が膨らむ。
6時半過ぎ、大泣きをしながら、my wishは帰ってきた。

 遊びに行ったお友達の家を出たあと、もう一人違うお友達に会って、誘われてその子の家で遊んでいたという。
「まだ明るいし、ちょっとだけならいいか」と思ったmy wishだったが、まだ幼い子供の事、遊びだすと時間を忘れてしまったし、その子の母親も留守だった。
母親が帰宅して「あら、○○ちゃん、そろそろ6時半になるわよ。お母さん、心配しているんじゃないの。」と言われて、(そう思うのなら、送ってくれるなり、せめてこちらに電話をくれるなり、してもいいじゃないか・・・っていうのが本音)慌てて外へ出てみたら、思いもかけず真っ暗、急に心細くなって泣きながら帰ってきた。

 my wishの場合、幸いな事に事故に巻き込まれていたわけではないが、あの時の生きた心地がしなかった思いは、経験したものでないとわからないだろう。
 小中学生が携帯を持つのは「早すぎる」と思うけれど、あの時携帯があったら、きっと私は翌日から一人で外へ出す時には持たせただろう。

 その後、my wishは、時間に敏感な子になった。
 遊びに行くにしても「5時に帰宅するのか、5時まで遊んでいるか」を明確にするような子に育ったし、今でも大学の授業が延びたり、お友達とお喋りして、何時もより帰宅が遅くなる時はメールが来る。

 住み慣れた住宅街でも、暗い道を歩くのに、心細くて泣きながら帰ってきたのだから、山道で道に迷ってしまった姉妹はどんなに心細かっただろう。
妹さんは、きっとお姉さんを頼って泣いた事だろう。
早くお家に・・・お母さんのところに帰りたかったんだろうと思うと胸が痛む。

 合掌。




万引きした少年の事故死・・・②

2003年02月05日(水)



15歳の少年へ


君が踏み切りで事故死したあと、ちょっとした騒ぎになったんだよ。

君は幾つかの過ちを犯してしまってね。
先ずは、漫画本の万引き。
何でやってしまったのかな?
でも、万引きが「悪い事」だって事ぐらい、わかっているよね。

そして、自分の学校や名前を正直に話さなかった事。
受験生だったのかな?
「もうすぐ高校受験、こんな時に「万引き」が学校へばれたら、受験が出来ない、どうしよう」
って、君の頭の中はそんな思いがグルグル回っていたのかもしれないね。
でもね、自分のやった行為に対しては責任持たなくてはいけない。
小さい頃からご両親や学校の先生にそう習わなかった?
最近、大人でもこれが守れてない人多いけどね・・・
少しの勇気を出せば、書店の店長さんだって警察を呼んだりしなかっただろう。
警察なんて行った事ないだろうから、パトカーと警官がが来た時は怖かったかもしれない。
遮断機が下りている踏切に入れば、どうなるかって考えるより、君はもう「逃げる」事しか考えていなかったんだろう。
それが、結果的に一番ご両親を悲しませる事になっちゃったね。
自分の子供が自分より先に死ぬって事は、親にとっては万引きよりもずーと悲しい事なんだよ。
生きてさえいれば、いくらだってやり直せるじゃない。
特に君はまだまだ若かったのだから。
これからやりたい事だっていっぱいあったでしょう。

私は死後の世界を信じているわけでも、神様がいるって信じているわけでもないけど・・・
君は今何をして、何を考えているのかな?


万引きした少年の事故死

2003年02月03日(月)


 書店で万引きした中学生が、名前も何も喋らないので、店主に警察に通報されて、パトカーに乗せようとされた際に逃げ出し、電車に撥ねられて死亡した事件。

普通こういう場合警察が責められるのだけど(それもおかしいと思うけど)、今回は、この店主に対して、誹謗中傷の電話・FAX・・・中には数名店まで来て非難していった人もいたらしい。

その書店の店長はこの非難に、いったんは廃業を宣言していたが、閉店の報道を受け、激励が多く寄せられ、今日から営業再開した。

何でも「警察に通報したのがいけない」、「親のような愛情を持って接する事が出来なかったか」、挙句は「人殺し」という非難が25件あったそうだ。(内2件が直接来店して非難)。

この非難した皆さん、万引きが犯罪だって事忘れてませんかね。(窃盗・・・第235条 他人の財物を窃取した者は、窃盗の罪とし、10年以下の懲役に処する。)
店主としては、名前も学校名も言わなきゃ、警察に通報するしかないでしょう。
親のような愛情って万引きを見逃す事じゃないでしょ。
「万引きがいかに悪い事か」って教えるのが親の愛情でしょう。
尤もこの中学生の親「店を閉めてくれれば、どんなに嬉しいか・・・自分の子供がその時どんな思いでいたか考えると辛い」だって。
ハァ?親からして間違えているジャン!
この書店を非難した人たちを止めるのが普通だと思う。。。
そりゃあ、自分の子供がこんな形である日突然この世から消えてしまったのだから、気の毒だとは思うし、動転してする気持ちもわかるけどね。
(後日、書店に誤りに行ったらしい)

日本人は昔から「半官びいき」ではあるけれど、今度ばかりは、非難するべき対象が間違っている。
平和ボケ?

書店の方は暫く営業して、この先どうするか結論を出すとの事だが、営業は続けるだろう。
というか、一旦「廃業」を宣言する事で、今回のように逆に世間から激励される・・・っていう事を、店主の方もわかっていたのではないかなぁ~。


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