rokoのNotebook


rokoのNotebook



横綱貴乃花の引退

2003年01月20日(月)


とうとうその日が来た。
どんな名横綱でも最後は“引退”で終わるし、今場所の相撲を見ているとその日は近いだろうなとは思っていた。
でも、昨夜「一晩考えたい」と言ったという事を聞き、今朝は「もう少し頑張る」という答が返ってくるのではないかと心のどこかで期待していたのも事実である。

世間では、この引退が「遅すぎた」とか「まだ出来る」とアレコレ言っているが、そんな事は問題ではない。
彼自身が決めたのだから、彼にとって一番いい時だったのだろう。
引退会見で「すがすがしい気持ち」と言っていたように、穏やかな顔をしていたのが、その証拠であろう。

30歳という年齢を聞いて「もう30歳になっていたか」と思う反面「まだ30歳だったか」という気もする。

これから先、暫くは父親である二子山親方と一緒に後進の指導にあたるわけだが、15年間師匠と弟子だった父子関係、相撲を離れたところでは父と子に戻って欲しい。

それにしても“横綱”って、過酷だ。
怪我を治すために休場していても、長引けば色々言われるし、無理して出場しても言われる。
勝っても勝ち方が悪いとまた言われる・・・同じ“勝ち”なのに。

兄である若乃花が引退する時に、貴乃花が言葉を詰まらせていたように、今日は若乃花が言葉を詰まらせていた。
色々あった兄弟だが、やっぱり二人きりの兄弟なんだ。


お疲れさま、貴乃花!


因みに、人はよく「ご苦労さま」って言うけど、目上の人に対して「ご苦労さま」は失礼にあたる、って知っていて使っているのかなぁ~







8年前・・・

2003年01月17日(金)

8年前所謂阪神淡路大震災がおこった。
それは、神奈川に住んでいて、直接的には被害を蒙ったわけではない我が家にも少なからず影響を与えた。

その前年の年末、当時小学校3年生だった息子が足を亀裂骨折した。
入院はしなかったものの、腫れが中々引かず、お正月をはさんで自宅で安静が続き、彼の部屋は2階にあったが、急遽階下のリビングに布団を敷いて、そこで寝起きするようにした。
痛みさえなくなれば、退屈そのもの。
おじいちゃんが「かわいそうに」といってお見舞いに買ってきてくれたゲームボーイ(それまで我が家では禁止していた。テレビゲームも勿論なし)で遊ぶかテレビを見るしかない日々が続いていた。
ようやく松葉杖で自宅内を歩くことが許され、一人置いて私も近くのスーパーぐらいだったら買い物に出かけられるようになった矢先阪神大震災がおこった。
当たり前のことだが、どのチャンネルを回しても恐ろしく悲惨な光景、夜は燃え続ける火事・・・
彼の心に「恐怖心」が植え付けられた。
「ママが留守中に地震が起きたら、僕はどうやって逃げればいいの?」と言われれば「大丈夫」という保障はどこにもない。
彼が登校できるようになるまで、私は一切外出が出来なくなった。

あの日から8年。
勿論息子の足に後遺症はなく、あの日のことは忘れたように生活している。
でも同じ年代の他のお子さんより、遥かに母親にべったりしている姿を見ると、無意識のうちにあの恐怖心が影響しているのではないか・・・と、ふと思うことがある。


オバタリアン?

2003年01月16日(木)

日記にも書いたが、久々に行ったバーゲンセールでの出来事。
レジが一つしかなくて、長蛇の列。
私の後ろに並んだおばさん、何処かでお仕事をしているらしく制服姿。
彼女並び始めてからずーとぼやきっ放し。
それも廻りに聞こえるような声で「昼休みに来ているんだから、遅れると怒られちゃうよ。」って。
マァ私も会場に入った時からこの長蛇の列にはうんざりしたし「バーゲンなのにレジが一つしかないの?」とは思っていたけど、そんな事ぼやいてみてもどうなるものでもないし、嫌ならやめればいい。
それともこのおばさん、前の人が順番変わってくれると思っていたのか?

暫くぼやいていて周りから反応がない・・・と思ったかどうかは知らないけど、突然その後ろの人に「ちょっと順番取っておいて」と一つだけ入った籠を預けたまま消えちゃった。
そう、後ろの人の返事も聞かないで。。。

レジの人の要領がいいのか、思ったより早く順番が回ってきそうだった。
あのおばさん、未だ帰らず。
順番を取っておくように言われた女性も「もうすぐ順番なのに、どこ行っちゃったのかしら?」と困惑気味。
ギリギリ戻ってきたおばさんの手には、両手では持ちきれないような品物の山。
つまり、この人、他人に順番取らせておいて、自分はチャッカリ品物選びをしていたのだ。
「今時のおばさんは~」と言われそうな光景だった。

因みに私の少し前の茶髪の(というより金髪)若いカップル。
途中で「あぁ~もう時間切れ。残念だけど諦めよう」って籠に入れた品物を一つずつ元の場所に戻して会場を後にした。

全くどちらが大人かしらね。。。


成人の日・・・②

2003年01月14日(火)

成人の日の大きなイメージの一つとして女性が着物(和服)を着るという事がある。
着物は昔に比べて多少は値段が手ごろになってきたといってもまだまだ高価である。
そのため「成人式」を企画する自治体は、新成人の親の負担を軽くするために「平服で」と呼びかけたりしているらしい。
しかし、新成人の親にとって、本人より親の側が積極的に着物を着ることを薦めることが多々あり、着物は、成人式のための着物を買うことを、親が娘にする最後のプレゼントとする見方も多いらしい。
マァ、最近はレンタルも多いから、新成人女性の方は着物はレンタルして、浮いた金で海外旅行等の高価な商品をねだることも多いらしい。
成人式や結婚式に着物を着せるというのが、母親にとっては夢の一つらしい(私にはそんな事全くないけど)から、親がちょっと可哀相かな。。。
って、私は成人式にも結婚式にも着物を着なかった親不幸者^^;(友人の結婚式とかお茶会とか違う時には着たけどね)

成人の日は、着物業者にとっては、成人の日向けの着物を売ることは死活問題である。
ところが逆に、成人式は一生に一度のイベントであるため、成人式で着物を着ることによって、着物が「成人式などの特殊なイベントでのみ着る服」というイメージが定着してしまうというジレンマが起きている。
「着物=成人式」というイメージによる、「特殊な服」という印象を和らげる事を目的として、大手着物メーカーでが若手タレントをイメージキャラクターとした宣伝
しているらしいけど、どんなに親しみやすい若手タレントを起用したってやっぱり「特殊」。
だって、タレント自体特殊だもの。





成人の日・・・①

2003年01月13日(月)

「成人の日」をネットで調べてみた。
子供の成長のお祝いには数々あり、 お七夜から始まり、お宮参り、初節句、七五三と続き、成人の日を迎えて一段落する。

ホーなるほどね。
我が家の場合、諸事情によって、お七夜も・お宮参り・初節句も省略、七五三のみ細々と行った程度だから、今更「成人式」って大騒ぎする事もない(っていうか、そのつもりもないけど)。
私自身はは七五三はかなり派手にやっている。
三歳の時は稚児というのをやったし、七歳の時は、着物が着れるのが嬉しくて、風邪をひいて前日発熱、1週間延期しようという両親を説き伏せて、強行した。
う~ん、まともにというか普通に育てられたのに、何時狂っちゃったんだろうね^^;

1月15日が成人の日と定められたのは、昭和23年で、20歳を成人としたのは、中国の古書に由来する。
中国では男子の20歳を弱といい、元服し冠をつけて成人を祝い、若者のことを弱冠というのは、ここからきているそうだ。
中国のことは知らないが、日本では、満20歳で大人の仲間入りをしたと認められ、選挙権が与えられたり、お酒や煙草が許されるわけだが、結婚適齢は違う。
未成年でも結婚すれば成年者として擬制され、民法上は成人として扱われる。

但し、成人の日が「1月15日」と決まったのには、ちゃんとした理由はなく、別に「1月15日」でなくてもよかったようである。
現に、地方では地元にいない成人のために夏の帰省時期に行うっていう所も少なくない。

成人の日に正装して成人式に出席して、それで、ちゃんとした大人?
翌日から何が変わる?
昨今の成人式を荒らす新成人を見ると(一握りの新成人だとは思うが)、甚だ疑問である。
勿論、自分自身の中での一つの区切りにはなるのかもしれないし、改めて自分の進路について考えたりする事もあるだろう。
が、諸事情によって、成人式に出席する事や着物を着る事が出来なくても(しなくても)、立派に大人に成長している新成人も多い筈である。
要するに、成人になったお祝いというのは何も成人式に着物を来て・・・という事に拘らず、本当に成人になった日(つまり誕生日)にでも、家族揃って子供が20歳まで元気に成長してきた事を祝ったり、その個人(家庭)によって色々な祝い方があっていいのではないか、と思っている。


注・・・未成年者が婚姻をした時に、成年者として擬制されるのは民法上の事であり、選挙権(公法)や飲酒・喫煙など(刑法)に関しては未成年者として扱われます。


ぼ・や・き

2003年01月10日(金)

あのねぇ~、私は聞きたいことがあったから、問い合わせメールしたのよ。
それぐらい、レスしてくれてもいいんじゃない?

私の何が気に入らなかったのか知らないけど(私が鈍感なんだろうけど・・・)、ある日突然音信不通になる事ないじゃない。
大体以前に「自分の言動に不満があるのなら、直接言って欲しい」って言っていたのは、貴女でしょう。
全く言う事とやる事が違うんだからぁ~。

って、こんな所で幾らぼやいてみても、当の本人は見てないんでしょうけどね。。。

マ、いいか・・・

以上、rokoの「ぼやき」でした。


大河ドラマ

2003年01月08日(水)

本当はDiaryの方に書こうと思っていたけど、かなり日数が過ぎてしまったので、こちらに書くことにした。

お正月2~4日の午後、NHKは過去に放送された大河ドラマの総集編を放映していた。2日が織田信長・3日が豊臣秀吉・4日が徳川家康。
1年間に渡って放映されたものを各々5時間程度に編集したので、よく知れ渡っているエピソードを並べた・・・という感が拭いきれなかったし、マァよくも主人公たちを善人に仕立て上げたものだ。(本編で見た時はあんまり感じなかったけど)
当然、この3人とは知り合いではないので、真実のところはわからないが、タヌキじじいなどは、あの世で苦笑しているかも・・・
CMなしの5時間ドラマを見るというのも結構疲れるものだが、結局最後まで見入ってしまったのは、出演者たちが芸達者だったからだ。
主人公のみならず、脇もしっかり固められていて、正に「大河ドラマ」だった。

それに比べて、昨今の大河ドラマは・・・特に昨年は酷かった。
最初の数回は見ていたが、直ぐに挫折してしまった。
大河ドラマの視聴率が下がっているかどうかは知らないけれど、何しろトレンディドラマに出てくるような俳優のオンパレード。イヤ、何もトレンディドラマの俳優が悪いと言っているわけではないが、歴史ドラマを見ているのだかトレンディドラマを見ているのだかわからなくなってしまったのた。

最終回に近づいたある日の事、新聞で酷評されているのを読んだ。
そこは天邪鬼の私のこと、それでは見てみよう!とチャンネルを合わせた。
もうすでに物語りも終盤、主人公たちは一生の終わりの時期に差しかかっている筈。なのに、まるで、それが感じられない。
今の私よりずーと若く見えてしまう。
メイクだけの問題ではなく、台詞回しが始まった頃と全然変わってないのである。
現に豊臣秀吉役の香川照之は見事に演じている。
見事に演じている方が浮いてしまっているという悲劇が起こっていた。
女優というのは、色々な女性を演じるのが仕事であって、只綺麗ならいいというものではないという事をわかっているのだろうか、とさえ疑いたくなる。
このままなら「女優」という看板を下ろし、化粧品のCMだけやっていればよい。
NHKも視聴率欲しさの配役はさっさとやめるべきである。

因みに「徳川家康」には故夏目雅子が淀役で出演していて懐かしかった。



年頭にあたって・・・

2003年01月02日(木)

本当は昨年末に「1年を振り返って」という事で、書こうと思いながら、今日までズルズルときてしまった。

昨年は専門学校へ行き始めたというだけでなく、このHPを開設した事で、ネットだけでなく、実生活に於いても色々な人と出会う事が出来た。
その陰で、残念な事ではあるが、別れも経験した。

以前にある人が「友達と言える人間が多くいても、一度に付き合える友人の数というものは限られていて、不思議な事にその数は一定である。何人かと疎遠になっても、必ずどこからかその欠員分が補充される」と言ったことがあったが、正にその事を実感した年でもあった。

学生時代と違って私のような年齢、しかも専業主婦と言う狭い世界に生きていると、新しい友人と出会うチャンスは少ない。
そして、人間として生きている以上、別れはつきものである。
その別れがある日突然、どんな形でやってこようと、その人との楽しい思い出が心に残るような・・・そんな付き合い方をしたい。

「一期一会」これからの人生、何人の人にどのような形で出会うかはわからないが、一人一人とその出会いを大切にするような人間になりたい。

 < 過去  INDEX  未来 >


roko [MAIL]

My追加