みかんの日記
みかん



 ギターに魅せられて

最初にギターが弾きたいと言った時に
伯父がガットギター、いわゆるクラシックギターを母に頼まれ買ってきてくれた。

教えてくれる人や一緒に弾く人はいないので独学。
教本を見て習う。

しかし、私がやりたいのはクラシックではない、とふと思う。

教本が違うと書店で探し、
GUTSやヤングギター等の雑誌に出会う。

外国のロックバンドのきらびやかな写真が入ったその雑誌は全く新しい世界。
おっかなびっくり手に取り購入。


そして
最初に弾いたのは「小さな日記」だった。
そして「赤色エレジー」。


昔から歌謡曲の番組は
あまり見せて貰えなかった。
小学校一年生の時に「帰ってきたヨッパライ」が面白くて
そしてザ・タイガースがかっこよくて「モナリザの微笑み」のシングルを買って貰う。

しかし親から見てGS始めとする歌謡曲は
「よくない音楽」と決めつけられ
私が見たくても敢えて遠ざけられてあった。
三歳から習い続けていたピアノに
よくない影響を与えると考えていたかららしい。

さすがに小学校5、6年以降は見るようになったが。


ギター雑誌を見ながら当時のフォークやヒット曲、洋楽に触れて

このギター、確かに指が痛くならないけど
これは違う。
私が弾きたいのはこれではない。


そう言って
次に伯父が買ってきたのはフォークギター。
全音のrojeというメーカーのものだった。

白っぽい木目でピックガードに鳥が刻まれていて
ボディはがっちりと大きめ。

そう、ギブソンのハミングバードに似ていたのだった。

弦を押さえる左手の指が痛かった。
びっくりするほど痛かった。
でも弾けるようになりたかった。


そして
友達から話を聞いて毎日聞いていた
文化放送のラジオ番組「ハローパーティ」で
ちょっと売れ始めていたGAROのハーモニーとギターの音に出会う。

背筋がぞっとした、と感じるほどの美しさに
衝撃を覚える。

この人達って一体どんな人達?

やっと買えるようになった月刊明星や平凡で彼等の記事を見て
その美しさに心を奪われる。


その日まで部屋中に貼りめぐらされてあった郷ひろみのポスターは全て外され、
GAROのそれが取って変わる事となったのである。

2010年06月30日(水)



 学校生活

自分のコンプレックスが目立たなくなるにつれて
学校生活は楽しくなっていった。

部活動は一年生に3ヵ月間バレー部に入ったが、
指を気遣う事と準備運動のハードさに根を上げて退部。
その後一年間演劇部に所属した。


演劇はけっこう楽しくて
キリスト教の宗教色の強い劇も楽しかった。
学校の創立40周年記念に行われた聖劇は印象的だった。
ローマ時代の演劇で
中学一年の自分は裏方の大道具で
ドーリア式の柱を作ったりした。

その後、顧問のシスターから
劇に映える顔立ちだと
一度主役を演じさせて戴いた。

これも旧約時代の聖劇で
ユディットという寡婦の役。
ホロフェルネスという大男の軍人を誘い込み
寝所で首を切り落とす女性だ。

中学2年にして寡婦で烈女の役というのも
インパクトがかなり強くて戸惑いもあったが、
実際は余り深く意味も解っていなかったし、
とてもいい経験をさせて戴いた。


この後、友達に誘われて「ギター部」に入部する。


2010年06月29日(火)



 その人となりが判る

このような状況になると
周囲の人達の反応で
思いがけずその人となりが判ってくるものだ。


優しいと思っていた友達が面白そうに
座った私を意味ありげに見下ろしたり。


仄かな憧れを抱いていた若い男性の先生が
そのような描写のある箇所をわざと自分に指名して音読させたり。

宮沢賢治の「よだかの星」のあの一節は今も忘れられない。



今思えば
よく登校拒否にならずに通ったものだと思うが、
それは自分の周りがそんな人達だけでなかったからだと思う。

全く何の態度も変わらず、温かく接してくれた友人や先生方、シスター方…。


またそんな冷たい仕打ちをする人達にさえも憎悪は抱かずに
「いい人達なのだ」と自分自身に言い聞かせてきたのだと思う。

その人達に対し自分は背中を向けず
親しみを以て接していたのだから。


悪の本質に冷静に目を向けず、
「よいもの」と自身に言い聞かせながらそれに馴れていく…。


今までの斯様な自分の姿勢に対し
この頃は疑問を感じてきている。

2010年06月28日(月)



 気になり出す

そうして中学に進学。

弟は愛らしく、とても可愛かった。


春頃か…
登頂部の髪がツンツン飛び出ているのが気になり始め、
自分で抜き始める。
夢中で抜き始める。

そして気が付くと
頭のてっぺんに半径2センチほど…
地肌が露になっていた。


小学校なら帽子があり隠す事が出来た。
が中学になり、隠しようがなかった。

電車で座れば立っている人の視線が気になり
友達にも気付かれて言われるのではとビクビクしていた。


暗黙のうちに話されたり言われるのはまだしも、
親から担任に話をしたのか
ホームルームで
先生からそういう人を馬鹿にしないように、と言われた時には
大変傷付いた。


抜いたのは自分…。
もちろん自分が悪い。

でも気がつかない振りをして欲しかった。


この地肌が隠れるまでの時間の長かったこと…。


それから
そのような…外見が普通と違う人を見ると
絶対に驚いたり見つめたりはしない。

自分がさんざん嫌な思いをしたから。


外見はその人の人格に於いて
取るに足らない事だと思うから。


2010年06月26日(土)



 修道女への関心

当時の学校の修道会のシスターは
髪を出さずベールを被り
服もきちんとした修道会のものだった。


後年、
自分が通った大学の違う修道会のシスターが
私服を着て髪を出し、一見ごく普通の人の姿でいたのを見たときは
びっくらこいた…。



シスターの生活ってどんなだろうか?

どんな食事をして
お風呂はどう入って
ベールの下の髪型はどうなっているのか?
お小遣いは?

などなど興味は計り知れず。

シスター本人にこんな事を直接聞くには
余りに威厳に満ちた方々だったのでおこがましく…


信者の友達に話を聞いて


あのベールの下は三つ編みにしているとか
お風呂は服を着たまま入るとか
嘘か誠かわからない話に夢中になったものだ。



食事については
イタリア系の修道院だから…
その肉付きからして
さぞ美味しいことだろうと話が落ち着いた(笑)


2010年06月23日(水)



 キリスト教との出会い

最後に小学校入学によって私が受けた
一番のカルチャーショック。

ぼんやりとそんな宗教があるというのは
子供であっても知っていたが
まさか、自分の日々の生活に深く関わるようになるとは
夢にも思わなかった。


毎日の朝と帰り祈り、食前食後の祈り、
聖歌を唄うこと、
週二時間の宗教の授業、
月一度のミサや宗教的行事はかなりの大きなインパクトだった。


図書室にはキリスト教関連の本がふんだんにあり
図書室の先生はシスター。

今まで全く知らなかった事に深く興味を抱き
たくさん本を借りて読んだ。


ミサで受洗者が聖体拝領をする際に貰っている白いパン…
新約聖書、旧約聖書など
渇いたスボンジに水が染み込むように
知りたいという意識によって
自分の中に…
深く深く関わるようになっていったのである。

2010年06月21日(月)



 音楽の日々

小学校には
5、6年で編成するオーケストラがあった。

音楽の授業でもなく、部活動でもない。

希望の楽器を選び、
音楽の先生からレッスンを受け、
そして皆で演奏する。


音楽の先生は容貌はともかくとして
芸大卒の素晴らしい先生だった。

あの当時富田勲のシンセの曲や
ドビュッシーの沈める寺などをピアノで演奏していた。
縄跳び体操という運動会の出し物も先生のオリジナルの作曲だった。


私は楽器はフルートに決めた。

放課後レッスンや練習の日があり、
かなり夢中になって練習した。

ビゼーの「アルルの女」第二楽章や
宮城道雄の「春の海」、
モーツァルトの「フルートとハープのためのコンチェルト」などが
自分の弾けるようになりたい目標だった。

6年卒業時には
何となくその辺りにまでは行き着いた。


全く変わった環境の二年間の小学校生活で楽しかったのは

このような音楽、
ドッジボール、それからキリスト教との出会いだった。

ドッジボールは大好きだったので毎朝早く登校して
鐘がなるまで楽しんだ。

男子が1クラス、女子が2クラスの男女別のクラス編成で
別々の生活だったが
ドッジボールの時は割と仲良く遊べた。

中学校には男子部はなく、
外部への中学受験を控えた男子は
時々休み時間が終わりに近くなると
三階の教室から担任シスターが顔を出し、
補習の時間を促されて中庭から消えていった。
それがとても口惜しく残念な瞬間だった。


目まぐるしい環境の変化にも
何とかうまく順応していき、
卒業時には在校生と全く違和感ない顔になっていたと思う。

弟が生まれ、家庭中のの注心が彼に移っても
勿論弟に対しての愛情も抱いていたし

このように自分で没頭出来るものがあったのが
良かったのかもしれない。

2010年06月18日(金)



 マンガと家庭教師

小学5年生の頃のお小遣いは週に百円だった。

それで週刊少女フレンドを買う。
これが70円。
残りの30円で当時集めていた消しゴムを買っていた。

きれいな色のいい匂いの消しゴムが好きだった。

大体一個10円。


少女フレンドでは当時流行っていた
サインはVや金メダルへのターンなどが連載されていた。

夢中で読んでいた。

が、家庭教師の先生が来ると
読むわけにはいかない。

買ってきたばかりで
まだ読んでいないものを置いて勉強するのは
子供の自分にとってはキツかった。


更にはその家庭教師がそのマンガに興味を抱き、
読んでいい?と先に読まれるのは
無性に腹が立った。

自分が読んでからならまだ許せたが
読む前に読まれるのは嫌だった。
嫌だと言っても
いいじゃない、と言われて読んでいたのが
子供ながらに許せなかった。

その家庭教師はT大法学部に現役で入った
頭のとてもいい人だった。
在学中に司法試験に合格したらしい。


が、そんなこともあって、
自分ではどうしても好きになれない人だった。




2010年06月17日(木)



 編入

5年生の新学期が始まってまだ1日か2日しか経っていないある日、
学校から帰ってくると
母が
「これからテストを受けに行くから」と言う。


訳も解らず
筆記用具を持って母とタクシーに乗る。

見たこともない
綺麗な広い敷地にあるその学校で
私は突然試験を受けた。


応対に現れたのは黒いベールを被り
黒い衣服を纏い十字架を首にかけたおばさん…

シスターであった。


シスターを見たのはこの時初めてで
私の中ではかなりのカルチャーショック(^-^;

翌日から果たして私はその学校に通うことになった。


真新しい教科書は無駄になり
地元区立小学校に通った日々とその日からお別れ。

新しく決まった担任の先生やクラス替えしたばかりの友達とも挨拶なしにお別れしたのだった。


弟が生まれた故に
私立の中学受験のフォローが完璧に出来ないであろうと父と母が考えた事からの編入学の決断なのだろうが…

当事者は全く青天の霹靂。

その上新しい学校は男子は1クラス、女子は2クラスと
男女がクラス別になっていた。

英語の授業が一年生からあって
5年生では中1の教科書を使っていた。

早速家庭教師をつけて特訓の日々。

ストレスを感じながらも
「いい子」でいることが自分には大切なのだと無言のうちに察知していて
かけられた期待に答えるべく努力を惜しまなかった。

2010年06月07日(月)
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