みかんの日記
みかん



 また明日お休み?

今日は週の始まり+月末でこちらは忙しいのに
子供達の学校はまた明日はお休みで
間の抜けた登校日のようだ。
心なしかウキウキムードの彼等。
しかし、息子達の中学は3、4日と
中間テストが待ちうけている。
明日は遊べるなーなどとうれしそうに呟いている彼等に、
あら〜、ということは
5教科皆90点以上の自信があるということね〜、と
ちょっとキツイ釘を刺しておく。
そうでもしないとうかれムードで何の準備もせずに
テストに臨むことになりかねない。

ちゃんとやってるんだよーと言っているけれども
勿論信じてあげたいのだけれど、
転ばぬ先の杖をついつい差し出したい
お節介な母なのだった。

2002年09月30日(月)



 温かな言葉

ささくれだっていた心
温かな言葉でほぐれた

初めは何の変哲もないことだったのに
だんだん自分の気持ちが後ずさり
どんどん袋小路に入ってしまったようになって
どうしよう どうしたらいいのかな と
消え入りたいような気持ちでいた
ちょっと仲間に入りたい
お友達になりたいと思いながらも
加われない自分

そうなると
普段なら何とも思わないようなことまで
神経を研ぎ澄ませて逆に過敏に反応してしまう

そんな自分に嫌気が差して
いっそのこともう目も耳もふさいで
何も見ないように聞かないようにしてしまおうか
そうすると楽になれるかもしれない
そうすると醜い自分にならないかもしれない
どうして私ってこうなんだろうって
自分を責めながら落ち込んでいた

そんな錆びついた心
温かな言葉でほぐれた

どうもありがとう
自分らしい自分に戻れる気がします

2002年09月29日(日)



 有り難いお方

午後に地元の工務店の社長さんが買い物に見える。
以前、隣りの土地の件で相談に乗ってくださったお方だ。
その後どうなりましたか、とお尋ねになる。
私はきっと気がかりで心配されていらしたのだとピンときた。
主人は色々と今までのいきさつと
これからの状況を話しだした。
よろしかったらと椅子を勧めてしばしお話をする。

とにかく今色々と話を聞いてアドバイスをしてくれる人が
私達の回りにいないのだ。
勿論最後に決めるのは自分達だというのは分かっているが
こういう状況を聞いてもらいたい。
聞いてもらうだけでいいのだ。
かといって近所の人や同じ商店街の人達には
とても言えないのだ。
心を打ち明けることが出来る人がいないのである。
自分の仕事の部下に話すのもどうかとも思うし、
製薬会社のプロパーなどに話すのも
それこそ噂を撒き散らして下さいと
いわんばかりのことである。
二人でどうしようと堂々巡りをしているだけでいたので
そのお気持ちが有り難かった。

ゆくゆくは土地を探し住いを越すかもしれないというお話は
以前にして、何度か物件も紹介してもらっていた。
が、隣りの進行状況がいっこうに進まないので
こちらも頓挫していたわけであった。
今日はご自分の土地の一部をよろしければという
お話もして下さった。
悩んで答えが出ないで途方にくれていただけに
本当にそのお気持ちが有り難く、涙ぐんでしまう。

どうなるかわからないけれど
前向きに頑張っていくしかない。
こんな私達を気に掛けて戴いて
ただただ感謝するばかりだ。

2002年09月28日(土)



 お直し

娘の冬の制服のスカート丈を直してと言われていたので
いつものお友達の裁縫のお上手な人に
電話をかけて頼む。
ついでに自分の夏物のスカートと、
ワンピースのファスナーが具合が悪いものがあるので
それもお願いする。

朝9時半に薬局に取りに来てくれてしばし立ち話。
子供の近況や色々話に花が咲く。
しばらく話をしてまたね〜と帰って行く。
洋裁が得意な彼女は自宅でも仕事をしていて
その傍ら頼まれる仕事もチョイチョイとしてくれるのだ。
お裁縫のお上手な人は本当に尊敬してしまう。

そして夕方。電話があった。
もう出来たと言う。本当にびっくり。
ファスナーの付け替えは大変だろうに。
ましてやスカートのダーツの出したり引っ込めたりは
大変だったろうに。
おまけにメインの娘のプリーツはいっぱいついていて
その上げは大変だったろうに。

仕事が手間取り、8時近くまでかかって薬局にいると
彼女が持ってきてくれた。
これからバレーボールをしに行くのだという。
全て完璧に直してくれた品々を受取る。
元気な彼女から元気をももらった感じがした。
感謝。

2002年09月27日(金)



 うとうと

起床5時半。
お弁当を作って朝食を作って娘を送り出す。
続いて息子達の食事&支度を促す時間。
皆が出ていってそのまま家事をしようと思うが
今日は疲れが残っていてすぐに動けない。

少しだけそこでうとうとした。
この「少しだけ」がとても幸せな時間でもあり、
けっこう元気が出るのだ。
が、少しだけが少しだけでなくなってしまうこともある^^;

ふと気がつくと9時になっていた。
慌てて家事を済ませて薬局を開けた。
午後までお留守番だった。

何もなければ自転車で土手まで行って
のんびりしたいような陽気だった。





2002年09月26日(木)



 宣告

8月に隣りにどんどん建てますよと
捨て台詞を吐いてマツキヨが来てそれっきりだった。
何の音沙汰もなく、工事も始まる様子もなかった。
一体どうなっちゃったんだろう、と
首をかしげていたのだった。
そばのスーパーに行けば
おえらいさんがどうなったの?と私を見つけると聞く。
私だってわかりません(;^_^A 

それがまた今日来たという。
来月から工事を始めますとのこと。
それ以来主人が憔悴の表情でいる。

どうしようと言われたって私もわからないから困る。
自宅の引越しはどうなるんだか。
ここの薬局も閉めて事務所にするのだろうが、
それもどうなるんだか。
相手の様子を見てからといいつつ
新居も探すのもいつのまにかやめてしまっていた(; ̄ー ̄)
私はこういうのがどうも苦手だ。
右なら右、左なら左と潔く決めて行動したい。

とにかくじたばたしても、イライラしても仕方がない。
こういう時は女性の方が腹が座っているのかな。

2002年09月25日(水)



 お休みの翌日

連休明けで私も久しぶりに2連休を過ごすことが出来た。
ちょっと嬉しい。

しかし仕事の量がまた多いこと(; ̄ー ̄)
有り難い話ではあるのだが。
メールのやり取り&発送処理20件以上。
伝票に送り先コードを記入するのも大変だ。
送り先コードとはその住所の都市や街によって
四桁の番号が決まっていて、
それをコード表と照らし合わせながら
赤マジックで記入していくのだ。
この作業は地名を覚えるのに結構役立つ。
夏休みには子供達に書かせたものだった。

問い合わせや注文の電話もかかってくる。
メシマコブというきのこのお薬も
またお願いという注文のお電話が何件かあった。
秋田の方の女性からの口コミが広がっているらしい。
あの人が具合がいいと聞いたので
私も、というお話がちらほら。
ああ、有り難や。

○通の宅配便の他にもう一つの会社のものを増やした。
手数料がこちらの方が安いらしい。
色々あるのはいいのだが、
こちらの処理がまた煩雑になって
面倒でもあるかもしれない。。


2002年09月24日(火)



 お供

娘と買い物に出かける。
息子達はH高校の学園祭に。
(実はそちらの方に行きたかったかも。。^^;)
仕事をしてお留守番をさせられるかと思ったが
休んでいいよと言われてすごく嬉しかった。
処方箋がないから以前のように店を開けなくちゃ、と
ヘンな義務感に追われなくなってよかった。
2日続けてのお休みは本当に久しぶり。

このところむっつりしていた彼女だが
私を一人占め&自分のお買い物といううれしいイベントで
すっかりご機嫌。
場所はどこがいいかと聞くと新宿がいいと言う。
すっかりご無沙汰している街。
やはり随分と様変わりしていた。

最初にお洋服を見たいといって高島屋に行く。
この頃はギャル系の服は欲しくないようで
あのチェックのブランドがいいと言う^^;
3点買って○万円だった。
さすがにカードを使う 爆
その後、オーバーオールがほしいと隣りのブティックで探す。
お店の名前がプリントされた
"TOMMY"と書いたTシャツに気を取られる。
娘のものだけで私は結局買わなかったが。
最後にブーツが欲しいそうで、
駅ビルに移動して探す。
これで買い物は終わり。かなり物入りだった。

お茶を飲もうとお店を探すが
コムサのカフェがいいなどと言って
並んで待つこと20分。
それでもおいしいお茶とタルトに感激して元気を取り戻す。
学校の話など珍しく色々としてくれる。
自分の将来なりたいものなども。
同じ年頃の私と比べるとしっかりしているなぁと
しみじみ顔を眺めた。

自分に買ったものはピアッサーだけ。
ついにピアスを開けようと買ってきた。
今時そんな決心するほどのことではないが、
自分としてはかなりの勇気がいるのだ。
娘に開けるの手伝ってねと言うと、
私サドじゃないもんなどとヘンな事を言う^^;
うーん、自分でするしかないかな。これは。

2002年09月23日(月)



 誕生祝い

ゆうべの自転車往復は片道20分ちょっとかかるものだったが
危惧していた筋肉痛も現れず、
何と強健なカラダなんだ〜と改めて自分に驚く。
やはり運動不足なんだろう、少し鍛えないと 笑

長男は部活の練習試合、次男はボーイスカウトの班ハイクなので
お弁当を作って送り出す。
お休みだったのでまたまた二度寝の幸福感を味わう♪
長女は昨日の体育祭の疲れで、
お寝坊をしてからお友達の学園祭に出かけて行った。

お昼は結局夫婦二人になり、外食に行こうかと出かける。
いつものいつものファミレスというので、
あのね〜この前の結婚記念日も何にもないし〜
ひどくない?とちょっとおかんむりになる。
それなら、と迷った末にようやく
私が少しお気に入りなスカイラーク系の
SKYLARK GARDENというところに連れていってくれたが
(これもファミレスなのだが(;^_^A )
なんと同じSKYLARK系のまま様変わりしていた。
少し高級感のあった雰囲気はすっかり払拭され、
お手軽価格のイタリアンのそれになっていた。
が、味もまずまずでこれなら家族で来れるね、と
主人は喜ぶ。

誕生日にと仕入れのついでに買っておいたお財布をあげる。
こういうプレゼントのもらいかたは
私は1度もされたことがないんだよねーと
ついつい文句を言う。
くれないから自分で好きなものを買う、というスタイルに
すっかりなってしまった。
いいのか、悪いのか。。

夜は長男の誕生祝をするべく、
帰ってきてスポンジを焼く。
平日にするとどうしても二日かかりになってしまうので
今日は1回で出来てうれしい。
朝煮ておいた皮で稲荷寿司を作る。
お弁当に4つ持って行ったので26個あった!
ポークソテーを焼いて娘が帰宅するのを待たずに食べ始める。

帰ってきてからキャンドルを灯し、歌を唄ってお祝いする。
恥ずかしそうな顔。もうすっかり青年になりつつある。
これからも明るく元気に育ってね♪


2002年09月22日(日)



 体育祭

娘の体育祭に行って来た。

当初来なくていいよ、と言っていたので
そうなんだ、じゃあやめる、と思っていたが、
昨日になってお友達のMちゃんのママが
一緒にお昼を食べようって言っていたらしいいよ、と言い出す。
え〜〜〜^^;今更行けっていうのか。
まあ 気分転換にもなるし、行ってくるか。
ただそのMちゃんのお母さんのお顔はあまり覚えていなかった。
この大勢の人ごみの中で果たして見つかるのだろうか。
不安を抱きつつ観戦する。
見せたくないーと騒いでいたダンスは
残念ながらもう終わってしまっていた。
ちょうど百足競争をしていたところで、
小柄な娘は一番前になっていた!
結局彼女が出ていた競技を見たのはそれのみとなってしまった。
残念(;^_^A

まもなくお昼休みになり、キョロキョロしながらいると、
MちゃんのママことHさんが声をかけてくれた。
彼女は午後も少し観戦されるとおっしゃっていたが、
私はもうこれで帰ろうと思った。
仕事も残してきたし。。。
近くの喫茶店でお昼を一緒に食べる。
高校のお母さんとお昼を食べたのは初めてだった。
ちょっとドキドキしたが、とても感じのよい方で
お話も弾み、とても楽しいひとときだった。

その後、私は自宅に戻る。
途中で夕飯のおかずを適当に買って帰る。
今日は夜7時からボーイスカウトの委員会があるのだ。
場所は奥沢。
ここから5キロくらいの所だが、
以前委員になったとき、自転車で行ったことが何度もあった。
今日もそうしてみようか。。。
久しぶりだから筋肉痛になるかもしれないが^^;
おまけに疲れて話を聞けずに船を漕ぐかもしれないが^^;
運動不足解消のため、行ってみよう♪

2002年09月21日(土)



 命日

今日は私の敬愛するGAROの元メンバー
日高富明氏の命日である。
先日13回忌のトリビュートライブがあったと思ったのが
3年前のこと。
もう16年になるなんて。。
時の過ぎるのは早い。

お墓参りには行かれなくてちょっと残念だった。
実家のすぐそばというのが本当に偶然。

今日は夜中からTOMMYの曲をいっぱい聴いている。
今夜もずっと。

ありがとう。
どうぞ見守って下さいね♪



2002年09月20日(金)



 

昼間は天気がよくて気温が高いとしても
朝晩はすっかり冷え込んでもう秋のそれになっている。

中学になると体育の授業で夏には水泳があるが、
小学校の時のように気温や水温でなくなったりはしない。
寒くても少しの雨でも決行なのだ。
水泳の好きな息子達はそれが嬉しいらしく、
体育のある日は俄然意気揚揚として出かけて行く。
タイムを計っても長男などは2クラスの中で一番だったと言っている。
(ホントなのかな^^;でもどうやら嘘ではないようだ)

今日もあるんだよ、この寒さだとキツイかな、
などと言っていたが
日中はその心配もよそに気温が上がってきたので
よかったな、と思いながら洗濯物を干した。

2002年09月19日(木)



 電話

最近仕事のネット通販の方式が新しいカートになった。
それによって迷う人が多いらしい。
クレジットも使えるようになったが、
その入力方法もわからず、
とんちんかんな注文をしてくる人もいる。
その後、電話がかかってきたり、
こちらからしたりでてんやわんやになる。

先日お金がないから
クレジットカードで漢方薬3種を買いたいという人がいた。
クレジットカードの登録番号は秘密事項なので
自分で入力してもらうしかない。
そして送られて来たメールが漢方薬1種になっていた。
どうしたもんなんだろう、と思いつつ
確認メールを送ると
3種頼んだのに、1種しかない、と
朝一番に電話がかかってくる。
絶対にこちらのシステムが悪いのだと言い張る。
向こうの入力ミスで一点だけの注文になったのは
火を見るよりも明らかだった。
クレジット番号を言うから代わりに入力してほしいとも言われるが、
それは個人情報を漏らすことになるので
こちらでは出来ませんと断る(; ̄ー ̄)
(何を考えているんだか。。)
一応こちらで調べてお昼に折り返し連絡をすることで決着がつく。
ためしに自分が注文したことにして同じ品を入力するが、
やはりその人と同じようなミスにはならなかった。
結局その人が入力ミスをしたことになる。
お昼にその旨報告して
追加で2点また注文してもらうようにお願いする。
うるさく言われた送料200円は発送の荷物に同封する旨も。
ご本人は納得されて、夕方また注文が入ってきた(;^_^A

これからもこういう電話はかかってくるだろうが
けっこう気が重いのも事実だ。。(; ̄ー ̄)
応対してとても嬉しくなってしまうお電話もあるのだけど。

2002年09月18日(水)



 14歳

今日は長男の誕生日。
今月は色々目白押しの月である。

朝いつも早く起き出す長女が起きてこない。
昨日の雨の中、大会で濡れていたので
今日は熱がありそうで具合が悪いという。
確かに連日6時過ぎに家を出て
大会の手伝いをしていたのだから
それはきつかったに違いない。
中学時代は楽な部活に入っていただけに
こたえていると思う。

学校に欠席の連絡をして休ませる。
今週の土曜日には運動会もあって、
陸上部は色々と忙しいといっていた。
今日だけいっぱい眠って体力回復を心がければ万全だろう。

休み開けの仕事量は多かった。
発送の数も多く、あたふたしているうちに
もう夕方になっていた。
長男のケーキの材料を買って支度をしようと思いつつ、
あっというまに塾の時間が迫っていた。
ケーキは已む無く後日にすることにする。
申し訳ない。

食事を食べながら
プレゼントだけ何が欲しいか考えていてね、と話すと
長男はうん、と頷いて塾に出かけて行った。


2002年09月17日(火)



 17周年

今日は結婚記念日だった。
あっという間の17年。
子育てと仕事に追われてきたという感じがする。

長女だけ今日は部活の大会二日目で6時半に出かけた。
連続の早起きで疲れていそうだ。
夕飯は先生や部員と一緒に焼肉だそうだ。

午前中は色々と片付けをしたり、家事をしていて
それから仕事に出る。
この頃は薬局に買い物に見えるお客さんも減ってきたので
ネットの仕事に集中できてとても有り難い。
途中自宅で少しお昼寝をする。
連日5時半起床はこたえる。。。(;^_^A

夕方次男と一緒に買い物に行くと、
僕違う方を見てきていい?と離れて姿を消す。
あら、珍しいこともあるものだ。
お菓子も最近欲しがらないのに、と思いつつ、
買い物をしていると
「はい」といって花束を差し出す。
「結婚記念日おめでとう」
次男はいつもやさしい思いやりで私をほろっとさせる。
自分で花束を持っているのは恥かしいらしく、
手渡そうとしている。
本当にうれしかった。

娘は夕食は食べないのでその他の家族で食事に出かける。
自宅で食べてもよかったのだが、
次男が主人に外に行こうと言ってくれて
ちょっと楽をさせてもらった♪
お姉さんと同じものにするか、と焼肉を食べる。
息子達の食欲の素晴らしさに目を見張った日であった。



2002年09月16日(月)



 楽しかった

朝子供達を時間差で6時、7時、7時半と送り出して
また二度寝の幸せを満喫する。

が、電話に起こされた。
実家の父だった。
那須のマンションを弟と友達が使っているので
行く所がない、などと言う。
要するに遊びに来たいということだ。
うーん、どうしよう。。夜私はライブに行くのよ、と話すと
そんなに長くはいないから、と答える。
どうしても遊びに来たいようだった。
じゃあどうぞ、と言うと声が明るく高くなって
後で行くね、と言って電話が切れる。

あ〜本当はのんびりしたかったのにな。
まあ、たまにはいいか。
寂しいのだろうな。
昼すぎに次男がボーイスカウトから帰ってくるだけで
残りの子供達はお弁当持ちなので
夕方過ぎになるまで帰ってこない。
お昼はここで食べてもいいけれど一緒に外食でもいい。
主人が3時半から10時まで薬局当番なので
入れ替わりが激しい日だこと。
そう思いつつ洗濯物を干したり、
洗い物をしたりとあくせく家事をこなす。

ほどなく両親が来る。
母はいつも色々と手伝いたがるが
お客さんに徹してとそのたびに言う。
次男が帰るのを待ちながら色々と話をする。
平日だと仕事をしているので電話でも長く話せないので
とりとめのない話をするだけでもうれしいようだ。
実家の弟が赤ちゃんの頃に一緒に撮ったスナップを
大きく引き伸ばして持ってきてくれた。
ちょっと懐かしいけど、
こんなに大きくしてどうしよう^^;
小さいなら写真立てにも入れられるが。。。

次男が帰ってきて主人が一緒に昼食に連れていってくれる。
帰ってから娘から夕食はおでんがいい、とメールがあったので
母と買い物に行く。
いつも目が疲れると言ってこのところ行かなかったので
本当に久しぶりの買い物だった。
ちょっと嬉しい。
おでんの種と野菜、ゴーヤーチャンプルーの材料を買う。

夕食の準備をして
それをいっしょにお土産に詰めて持ちかえってもらう。

その後支度をして出かける。
Kさんのライブを見るのは本当に久しぶり。
ひょっとしたら1年ぶりかもしれない。
行きたいと思いつつ、行かれず仕舞のことが何度かあった。
今回はコゾフのお誕生祝いライブでもある。
ワンマンなのにもうほぼ満員。
立ち見の人もたくさんいた。
彼等のフリーへの情熱は並々ならぬものではない。
それは演奏を聴いている側にもひしひしと伝わってくる。
初めてお邪魔したときはそれこそ耳栓をして聴かせて戴くという
失礼なスタイルだったが、
今は音量にも慣れた 笑
慣れたというか、それも心地よい。

彼等の音源がポール・ロジャースご本人に
聴いてもらえるというお話もMCでされる。
コゾフのお父様にも。。
メールを戴いてそのニュースを教えてもらったときは
Kさんのうれしい気持ちが痛いほどわかった。
本当に感無量だろうなぁと。。
あの音を聴かれたらこの次は見たい、となるのだろうな、と
ちょっと夢を膨らませながら・・
家路を急いだ。






2002年09月15日(日)



 コンビニ巡り

昨日の夕方に薬局の外を眺めていると
次男が自転車で道をすう〜っと通りすぎていった。

あれ?どこに行くんだろうと思いつつ、
帰ってきてから尋ねた。
お友達の家に行っていたの?と聞くと、ちがうよという。
何をしていたのかと言うと「コンビニ巡り」だという。

なに?コンビニ巡り?^^;
そうそう、色々な道を自転車で走って
コンビニを見かけると中に入って店内を見るんだ。
面白いんだよ。

まったく知らないところでそんなことをしてるとはびっくり。
あっけに取られていると、さっきは長原というところで、
本当は大森まで行こうと思っていたんだよね。
今度は蒲田も行けるから又行けるし。
明日のボーイスカウトも奥沢駅前の清掃奉仕があるので、
本当は自転車で行きたいという。
今度行き方教えてね、と頼まれてしまった。

知らないうちに色々世界を広げているんだなぁと
しみじみ思ってしまった。


2002年09月14日(土)



 長い一日

朝子供達を送り出してからぼうっとしている。
それから馬喰町まで仕入れに出かけた。
革靴を履いて出かけるのは久しぶり。
もうサンダルもそろそろお別れの時期かな。
最近買った白いミュールは
結局履かず仕舞いになってしまうかもしれない。

地下鉄を降りて仕入れ先に向かう。
漢方薬の箱とあと少々が必要なもの。
それ以外は結局余計なもの^^;
ピアスをまだ開けていないのだが、
娘のを見ていてきれいだなぁと思い、
ついに何個か買ってきた。
開けてもらうのは彼女にお願いしよう。
それから色々なものに目移りする。
あまりゆっくりもしていられない。
午後2時半から中学の保護者会なのだ。

地下鉄の駅まで行ってモスでお昼を食べる。
時間が気になるので味わうのもそこそこに。
本当はめったに来ないので
まったりゆっくりしたいところなのだが。
主人にそのまま中学に直行すると電話をかけ、
自転車で向かう。
道徳の公開授業というのをやっていたのだが、
それには間に合わず、見ることが出来なかった。
こういうときも結局かけもちで
長男と次男と半分ずつに出席することになる。
どちらも中途半端になるのだ。

終わってお母さん方とお話しするのもそこそこに
慌てて帰宅する。
全く後ろ髪が引かれる思いをいつもしている。
でも仕事の残りが気になっていた。
それから今日は用事が目白押しで、
8時から2階のとんかつやで商店街の打ち合わせがあった。
それに備えて食事の支度もあった。
買い物を手早く済ませ、ビーフカレーを作る。
圧力鍋が強い味方だ。
サラダはマカロニサラダに決めて、
卵とマカロニを茹でる。
きゅうりがなかったのに気がついたが
キャベツを千切りにして混ぜたらおいしそうになった。

2階に行くと果たしてちょうど始まったところで、
会長が挨拶をしていた。
そっと入ろうと思ったが割合と上座が並んで二つ残っていた。
もっと早くくれば良かったと思いつつ、下を向いて話を聞く。
長い挨拶の後、会計報告と続き、やっと乾杯の音頭となった。
目の前のカツの盛り合わせはもう冷めていた。
なんだかちょっと今日のは小ぶりだった。
これで足りるのかな。
ようやくしてから天ぷらが運ばれる。
ここで天ぷらを食べたのは初めてだった^^;
それからは酔いも回ってか言い争いになりそうな
不吉な雰囲気になってくるので早々に女性の方々と立ち去った。
出なくてもよかったな、と思った。




2002年09月13日(金)



 9-11

昨夜は皆でテレビをじっと見つめていた。
誰が呼ぶともなく集まってきて見始める。
そう、もう1年たったのだ。
現場はもう当時の瓦礫の数々がきれいに取り除かれてあった。

その前日の朝に救助犬が番組で取り上げられていた。
去年何日も過酷な捜索に活躍した救助犬はすっかり疲れ果て、
病気になってしまっているものや
既に死んでしまったのもいるそうだ。
画面で映し出されている犬は1年前の写真から見ると
まるで別人のように疲れ果て、
目が死んでいる。
飼い主の人もあれから二人の人生が
全く変わってしまったと言って抱き合う。
見るも哀れだった。

こういう場面、色々な悲惨な出来事、
平和という意味、
ただ数字だけの死亡者でなく、
一人一人が人生や家族があったという認識などを
子供達が見て頭に刻み付けてくれるといいな、と思った。

2002年09月12日(木)



 次男の苦労

我が家では今ヤクルトが人気である。
5本パックのものを買ってきても一日で消えている。
私なぞは飲んだこともない。

一番冷蔵庫で目新しいものを見つけて手を出すのは長女だ。
こっそり自分の部屋で飲んだり食べたりしている。
何度も今までダメだと言っても聞こうとしない。
この頃は食べたらその容器をこっちにもってきてね、と
お願いが変わってきてしまっている。

買い物によく一緒に付いて来てくれる次男が
昨日もヤクルトをかごに入れた。
本当に好きなのねーと言うと、うんと頷く。

主人が夕方自宅にちょっとおやつを食べに行って戻ってくると
笑ってしみじみ話をする。
「△△って本当に頭がいいなぁと思うよ。」
何のことかと思ったらヤクルトのことだった。

姉が買ったばかりのものを冷蔵庫に見えるように置いておくと
必ずいっぱい飲んでしまうので、
小細工が必要なんだと言っていたという。
パックのビニールを破って1個だけにしたものを
ビニールにかぶせたまま、手前に見えるように置き、
残りは奥に隠しておくのだそうだ。
そうすると全部飲まれないで済むんだよ、と言ったらしい。

次男がわなを仕掛けて
それにまんまと騙されてしまった長女の図を思い浮かべて
思わず爆笑してしまった。





2002年09月11日(水)



 婦人会

夜商店街の婦人会の打ち合わせがあった。
夏におこなった盆踊りの反省会も兼ねてであった。

これがおばちゃんたちの激論が飛び交い、
けっこう手に汗を握る場面が多い^^;
またその後で陰口悪口がごちゃごちゃと耳に入り、
後味が悪いのだ。
そういう話を聞くと
自分も絶対に言われてるなーとわかるし
あまり係わりたくない、と思う。

喫茶店で行ったのだが軽食とあったのが
けっこうな御馳走が出る。
おかずはある食堂で折りを頼み、
別にお寿司屋さんで握り寿司を一人ずつ。
おまけにフルーツもあった。
ビールを戴き、少々おなかが空いていたので酔いが回る。
お隣りの若い奥さんと子育て話が盛りあがって楽しかった。
そのうちに反省話やこうしたら、などの話題が盛りあがる。
あれこれゆがんだ人間模様が見えていやだこと。

早々に片付けも手伝うことなく帰ることにする。
一緒に後ろに歩くオバ様達の文句が早速始まる。
なんであそこのお寿司を取ったのかしら〜。
全然知らなかったわ〜、だの
会計報告をこうしたほうがいい、っていっても
はい、と答えたってあのままよーとおっしゃる^^;
あ〜やだやだ、駆け出したかった。。
あの悪口がストレス解消なのかもしれないが、
もう少しいい方法があるだろうに(; ̄ー ̄)

2002年09月10日(火)



 ミーハー

我がサイトも日記と献立掲示板を日夜書き続けるのが精一杯で、
模様替えなど微塵もその気にならなかった。
がふと自分の好きなガロのコーナーをメニューに加えることにした。
尤もそれも以前からプロフィールから入ることは出来たのだが、
敢えて表立ってお見せするのはとても恥ずかしくて、
気がついた人だけ見れば、という風にひっそりと置いてあった。

当時自分はどちらかというと
キャーキャー騒ぎたてるミーハーではなく、
そっと見つめる静かなファンであったと思うが、
それでもガロにまつわる思い出はたくさんあって、
今でもそれとなくああ、そういえばこういうことがあった、と
思い出してしみじみ感傷に耽ることがある♪
よってメニューに出したからには、と
トップも凝りに凝ってしまい、
おまけに掲示板もつけたのだった。

お友達がたくさん出来るきっかけとなった
ガロファンページの方が「本家」と
自分の中で考えてしまっていて、
あまり出過ぎたことをしてはいけないかな、と
二の足を踏んでもいたが、
もっと気楽に考えてあちこちで書いたり語ったりするのも
楽しいかもしれないと思い、
今回掲示板を開設するに至った。

堅苦しいことを言っているが^^;
内容はやはりミーハーで、
書き込む心は当時の中学生に戻っているのである。

2002年09月09日(月)



 負けてもいい

昨夜娘と洗濯のことで言い争いになった。
もう息子達は寝静まった頃だった。
これ以上激しい言い争いをしても
こちらも具合が悪くなってしまいそうなので、
やめてしまう。

息子達がボーイの集会から帰ってきて
お昼ご飯を食べている時、
長男が言った。
「ママ、言うの負けてるよ、○○ちゃんに」
あら、きいていたの、と言うと
うん、と言う。
もっと言い負かさなくちゃ、という息子に、
あまり言い合いしてると
ママも具合が悪くなってしまいそうだから
やめちゃったのよ、と話す。

鼻の奥がツンと痛くなってしまった。
食後、二人がお友達のお宅に遊びに行って、
一人になったとき、
なんだかわけもなく目の前がぼやけてしまった。

きっと母も同じような思いをしたんだろう。
今頃になってわかる 母の気持ち。
たまには電話をしてみようかな。

2002年09月08日(日)



 お仲間

今日は主人の誕生日。
夜はボーイスカウトの総会があるので
お祝いは日曜日に延期することにした。
そんなことはしなくていい、と必ずいつも言う主人。
へそ曲がりなんだから。
そんな〜つまらないよ〜と息子達が言うと、
じゃあいいよ、とようやく言う。
それなら最初から有難うと言えばいいのに(; ̄ー ̄)
いつもこんな調子だ。

ボーイの総会はあまり出る必要もなかったが
今年度から団委員を仰せつかった。
今回で3度目だ。。
毎月の団委員会に出席するのと
当番で年に一度ほど、清掃奉仕の手伝いに行くのが役目だ。
それから4月にある周年行事という
ハイキングや潮干狩りなどに出たり、
(これは無理にでなくてもいい)
1月のお餅つきの手伝いなどもある。
だから一応出席しなくてはならないかな、と思って
いくことにしたのだ。

出席と団にお知らせしてから
同じ日に長男の部活の懇親会があると知って
がっかり。
手紙ももらってなかった。
でもそれも顧問の先生におべっかを使うような会で、
お酌するのもなぁとあまり気が進まないものなので、
今更変更する気もなく、いいや、とボーイの方に出席した。
お酌してもレギュラーになれるわけでなし 爆
幸い午後に仲良しのお友達のお母さんから
うちの息子も言ってくれなくて知らなかったというメールをもらい、
お仲間がいてうれしい〜と思わず思ってしまった。

夕食の支度をして出かける。
相変わらず総会は人数が少ない。
父兄は10人はいなかっただろう。
リーダーという指導者の方々も
ご自分のお子さんを入団させていらっしゃる方が多いので
それを足せば20人ちょっとだろうか。
会の終了後、簡単な軽食とビールなどが出されて、
公の集会所なので早々に片付けて終わる。
手際がいい人が沢山いるからその点は本当にてきぱきと素早い。
帰りは10時頃になってしまった。
バスがないので田園調布からタクシーでいいや、と思っていたが、
同じ委員の方がご主人にお迎えに来てもらい、
同乗させて頂く。

その息子さんはどうやら次男より1年年下で、
おっとりした子なので
うちの息子達がキツイことを言っているかもしれない^^;
キャンプの話もしたが、
思い出したくもない、と本人が言っているという。
確かに一番年下は雑用が多く、したっぱといわれて
辛い事も多いようだ。
でもそれも順繰りに行われることで、
水のポリタンク運びなどもその仕事をするからこそ、
キャンプの生活が成り立つわけなのだ。
そう隊長さんは息子に言い聞かせていました、と
その方はおっしゃる。
次男などはおいしい食事は年長者から取るので
自分はお焦げだけだったと言っていたこともあったし、
皆同じ思いをしてきているのだ。

でも何だか心配になってしまって
その方に念の為謝ってしまった。
息子達がいやな思いはさせていないと思うんだけど。。
ついつい弱気になってしまう。。
謝りながらも、
何でこんなことを言わなきゃいけないんだろう、とも思う。
年長者に対してのフォローを
普通は言ってくれるもんなのだが。。

2002年09月07日(土)



 懐かしい電話

ちょっと前の話だったが、
昼休み、自宅でのんびりしているときに電話が鳴った。
懐かしい声。
高1の娘が小学6年生のときに
担任をしてくださった先生からだった。

お久しぶりです、お変わりございませんか?
今日はちょっとヘンな用件なのよ。
先生が恥ずかしそうにおっしゃる。
なんでしょうか?

それは2階のとんかつやさんが
営業しているかどうかのお伺いだった。
学校が始まったばかりで給食がないので、
皆で食べに行こうという話になったの。
でもお休みだと困るからお電話しちゃった。
思いがけないお電話でこちらも感激してしまう。
どうぞ、今日は営業していますよ、おいでください!
定休日は火曜日ですから。
思わずニコニコ笑顔で答える。
そう、じゃあお伺いしますね、と先生のやさしいお返事。

○○ちゃんは元気に高校通ってますか?
また是非皆さんで一緒に会いましょうね。
そうおっしゃって電話が切れた。

ちょっと心がほんわか温まる。
先生には子供だけでなく私まで育てて戴いたという感じがする。
有り難い。

2002年09月06日(金)



 僕だって頑張ってる

昨日テーブルの上に
選択授業の希望を書いたプリントが置いてあった。
保護者のサインも必要なのである。

今年度から息子達の中学は特色を出すと言う意味で
英語と数学に習熟別のクラスの授業を
普通の授業の他に導入することになった。
それはテストの点で決めるのではなく、
本人の意志を主眼としてクラスを決めるそうで、
プリントの科目は英語だった。
英語は真中のクラスを希望しているらしい。
サインをして手渡すと、
食事をしながらそういえばねぇ、と珍しく彼が話を始める。

数学は応用クラスにするのだという。
へえ、そうなの、えらいねぇ、と言うと、
「だって10人くらいしかいないし、
他のクラスはすごく多いんだ。
ただ、授業はけっこう難しいんだけど、負けたくない。」
頼もしい一言でうれしくなってしまう。
えらいねぇ、本当に、頑張っているのね、と言うと、
そうだよ、僕だって頑張っているんだよ、と
照れ笑いを浮かべて話す。
のんびりやの彼がそういう気になってくれるとは、と
起きてきた主人にその話をする。
もちろん大喜びでえらいねぇとほめちぎる。

すっかりいい気分になった息子。
今日は得意の水泳の検定もあるから頑張るぞ〜と
うれしそうだった。
朝起きてまだ水着が乾いていないと
自分でドライヤーで乾かしていたけど(;^_^A

2002年09月05日(木)



 ハチマキ

2学期早々次男のハチマキが見当たらないという。

体育で使うものなのだが、毎年四月にクラスが決まると
そのクラスのカラーのハチマキが配布される。
次男のは白だった。
裏表が両方とも白のものだ。
あちこち色々探したがないという。
きっと自分の部屋のどこかにあるのだと私は見ているが。。。

仕方がないので近所のスーパーでハチマキを買うことにした。
見に行くとやはりオーソドックスな
片方が赤、もう片方が白になっているものだけだった。
少し考えた末に2本買ってきた。

明日にでもそれをほぐしてまた縫いなおそうと思っている。
真っ赤なものと真っ白のものとに作りかえるのだ。

あ、明日は無理か^^;
あさってかな。
(明日は処方箋の最後の締め切り日。。)


2002年09月04日(水)



 携帯

娘は肌身離さず携帯を持っている。

食事の時もメールがくると手を休めてすぐに返事を送る。
やめたら、といってもやめない。
全然言うことを聞かない。
メールが来ない時は携帯でゲームをしている。
目が悪くなるわけだ。

今朝慌てて7時過ぎに家を出て行った娘。
小さな音がするのでふとみると携帯がある。
忘れてしまったらしい。
もしかしたら間に合うかもしれないと思い、
自転車で行かれるところまで追いかけて行くが
戻ってくる様子もないので引き返した。
弟達の食事もあったからだ。

後で電話がかかってくる。
メールが届いてるでしょうと聞かれるが、中は見ない。
追いかけて行ったのよ、と話すと
そうだったんだ、引き返さなかったの、という。

久しぶりに携帯なしの日。
きっと落ちついた日になるか。
それとも逆に禁断症状が出て落ちつかない日となるか。
私は後者だと見たが・・・。

果たしてどんな顔で帰ってくるのやら。
どんな一日だったやら。。





2002年09月03日(火)



 防災の日

二学期が始まった。

今日からもう本店の薬局では調剤はしないことになっている。
表のガラスのドアにも地図を大きく張ってあるというのに
それでも見える患者さんがいらっしゃる。
有り難い話なのだが。。

午前中にやや目が悪いご婦人が
目薬の処方箋を持って見えた。
ことのいきさつをお話しして
調剤薬局は歩いて3分ほどなので一緒に行ってご案内する。

陽射しが真夏のように強く、
そんな日に目が不自由な方なのに
歩かせてしまうのは申し訳なかった。
お荷物をもっていらっしゃるので代わりにお持ちする。
以前実家の母の目のことなどもお話したこともあって
一層親しみを抱いていたお方だった。

調剤をもうこちらでしないということは
楽な反面、ちょっと寂しいことでもあるなぁと思いつつ歩いていると
前から中学生の団体が先生を先頭に並んで歩いてくる。
どうやら防災の日なので地域毎にグループで帰る練習のようだった。
見ると息子達がその中に紛れていた。
次男には気がついたが、彼は恥かしいのかそっと目をそらす 笑
私もあまりそれ以上は無理に呼びかけずに
ご婦人と薬局に入った。

ご案内して薬局に戻ると次男がいた。
あっちの薬局に患者さんを案内したの?と聞かれる。
そうよ、というと、そうなのかな〜と思ったと笑顔で話す彼。
やっぱりシャイなんだなぁ。




2002年09月02日(月)



 シャイ

10時に美容院に行く。
髪型がきれいになると気持ちも明るくなる。

そのまま次男の英語の発表会に行く。
数日前から彼が習っている英語のグループで発表会をすると聞いていた。
主人と待ち合わせてバスで向かう。
何をするのと聞くと「3匹のやぎのがらがらどん」をするという。
懐かしいお話。
絵本の挿絵がはっきりと浮かんでくる。
息子はナレーターだそうだ。
プログラムも何もないので
12時からという開始時間を一応守って出かける。
主人は早く帰って仕事をしたいようで落ちつかない様子だ。

司会や進行などが全て大学生や高校生の先生の習い子さんで、
とてもほほえましい雰囲気だ。
最初に小さい子供達のグループが出て、
「だるまちゃんとかみなりちゃん」を
英語を交えながら劇をする。
この話もとても懐かしい。
よく読んでと言われてはお昼寝前や夜に読んであげたっけ。
だるまちゃんもかみなりちゃんもたくさんいるので
なんともほほえましかった。

息子の出る劇は次だった。
同じ学年の男の子5人で行う。
畳み椅子が向かい合わせに舞台を横切ってずらっと並んでいる。
これが橋なのだろう。
次男はかなり声が低くなっていて、
少し緊張した顔だったが一生懸命に諳んじた英語を話していた。
主人が本当に恥ずかしそうだ、とこっそり言う。
それはあなた似でしょうが^^;
恥かしいから来ないでと言われつつ、結局見に行ったが
彼は本当にシャイだ。

ずいぶんお兄ちゃんになったねぇと
しみじみ感心しながら帰りにおそばを食べた。

2002年09月01日(日)
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