みかんの日記
みかん



 漢方薬

たまにはお仕事の話も書こうか。
つまらないかもしれないけれど 笑

数日前、NHKの夜8時からの番組で漢方薬のことを取り上げていた。
テーマは更年期。
女性だけではなく男性も更年期はあるという。
自分も後々無関係とは言えないこととなるので
興味深く見た。

その夜から仕事の漢方相談や注文、質問などが殺到する。
やはり、と思う。
テレビで取り上げられると必ずと言っていいほど
その影響が出るのだ。

漢方薬はこれはこういう症状に効くと言っても、
一概に全ての人に効果があるわけではない。
これらはその人の体質によって合うもの、合わないものがある。
どの処方が効くかは細かい質問に答えて体質を理解した上で決まる。
その質問をまとめたものを問診票というが、
こんなものだ。
男性用、女性用とあって
女性の場合は生理に関しての情報がかなり処方を決める大切なカギとなる。
どのお薬がいいか教えて下さいと言われると
必ずこれを記入の上送信してください、とお願いする。
それから大切なのは舌の状態と
熱いものを好んで飲むか、冷たいものを好むか。など。
熱いものが好きな人は身体が冷えているそうで、
冷たいものが好きな人は逆に身体に熱がある人だそうだ。

漢方は奥が深くて、少しだけ勉強したけれども
なかなかどの処方がいいか、までの判断は
それこそ本と照らし合わしながらでなければわからない^^;

自分で簡単に処方を選べるコーナーもある。
それからじっくり選べるコーナーも。

別にPRしているわけではないが、
自分の健康に関心がある人は面白いかもしれない。
是非お試しを 笑。
(合った漢方薬がわかるだけで 注文は別のところなのでご安心を。)



2002年08月31日(土)



 先輩

長男は今日午後部活で他校に練習試合に出かけた。

その前日の昨夜、電話があった。
1年生の後輩からである。
すぐそばに住むその子は
場所がわからないと何かと電話をかけてきては
息子に一緒に行ってくださいと頼むらしい。
「まただ〜、しょうがないなぁ。」
そう呟いて受話器を置く長男。
そうは言ってもやさしいので下級生からは慕われているようだ。

バス停で待ち合わせをして出かけたようだった。

2002年08月30日(金)



 家庭教師

夕飯を作る時間になると必ず電話が鳴る。
子供が出て、またみたいだよ、と私に渡す。
○○さんだって。
必ずぴんとこない名前である。
でも無難な、よく何処にでもいるような苗字。

時間も惜しむこの大切な時に替わると
必ずと言っていいほど、家庭教師の勧誘だ。
ひどい時は日に2回もかかってくることもある。
1本調子の無表情な言いまわし。
いつもまったく同じパターンだ。

以前はうちはいいです、とか間に合ってますなど
無難な答えで丁寧に断っていたが、
毎日毎日かかってくるので
最近は替わってからそれだと知ると
ついいじわるを言ってやることにしている。

何処の大学生ですか?と始まって
何年生?と逆にたずねる。
向こうはひるんで××大学です、と答え、
学年も3年生が多い。
(もちろんこれが真実であるとはわからないが。)
就職活動の時期にこんな勧誘をしていないで
もっと自分の将来を考えた方がいいわよ、とか、
人の子供の勉強を気にする前に
自分で勉強なさい、と言って電話を切る。

向こうはお金を貯めたくてやってるんだから、と娘が言うが、
(中にはいい企業もあるのかもしれないが
殆どが怪しいと思う)
人を陥れる勧誘などをアルバイトとして働くなんて。。

我が子は人の為になるようなアルバイトをするといいな、と思った。



2002年08月29日(木)



 CD-ROM

ボーイスカウトの活動記録のCD-ROMが回覧で回ってきた。

約2年前くらいのハイキングやお餅つき、地引網や
ナイトハイクなどの画像がたくさん収めてあった。
息子達の顔が本当に無邪気であどけなく、
こんな時があったんだとしみじみ見入ってしまった。
親のいないところでこんな表情をしているのだ、
こんなことをしているんだ、と改めて感心してしまう。

二月の極寒の日に夜通し歩く、
ナイトハイクの画像が3年分収めてあったが、
長男が年を重ねるにつれて
自信と余裕が溢れた表情になっているのがわかる。

9月には上進といって1年上に進級する。
長男はボーイスカウト隊の中では最高学年になる。
今年は副班長を務めた彼も、
来年度は班長や副班長などの役目も回ってくるだろう。
次男もすっかり中堅の学年となるであろうし、
ますます隊活動もリーダーシップが必要となり、
責任も重くなることだろう。
週休二日の学校生活では味わえない、
貴重な体験を今後もしていくだろう。


2002年08月28日(水)



 とこやさん

次男がかなり髪がぼうぼうだった。
彼は後ろにつむじが2つあり、
伸びると髪が寝癖で立っているようになってしまうのだ。

日曜日に主人と一緒に理髪に行く予定だったが、
結局行かれなくなったからだ。
今日一人で行っておいで、とお金を5000円渡す。

一時間以上経って息を切らせて息子が帰って来た。
おつり、と言って3500円出す。
え、随分安いなぁと思っていると
蒲田まで行って来たんだよ、と笑って言う。
主人と一緒に行った安い理髪店に行ったのだった。
私はてっきりならびの理髪店だとばかり思っていたのでびっくり。
自転車で行ってきたのだと言う。

倹約倹約〜♪
ちょっと得意そうに言う息子。
また主人が喜びそうだ。

2002年08月27日(火)



 水あめ

次男がこのところ水あめに興味を抱いている。
スーパーで売ってるのとか、色々聞いてくるので
この前ひとつ買ってきておいた。

それを午後に私がまったり映画を見ていたところで
食べたいと割り箸を持ってやってくる。
色が白くなるにはこうするのよ、と
ちょっと教えるといたく感激して、
ママ、上手だねぇ〜と誉められてしまった^^;
(豚もおだてりゃ木に登るのだ 自爆)

それからは無言でしばらく水あめと格闘していて
ほら見て、と言われて見ると
白いきれいな水あめになっていた。
「空気が入っただけなんだろうけど、
おいしくなったような気がするね。
一生懸命割り箸でぐるぐるしたからかな?」
知らないうちに低い声になっているのに
言うことは本当に無邪気だ。

「だけどこれで夜店で売ってるのは高いよね、
みかんとかあんずがついただけなのに。
買うと高いんだなぁ。ソース煎餅だって高いし」
さすが、商人の息子だと主人なら大喜びするであろう言葉。
彼はすぐに色々なことを商売などに結びつけることが多い。
僕に似ているなぁ、と喜ぶわけである。




2002年08月26日(月)



 サイクリング

娘は今日は陸上部の大会があるということで
4時起床で5時に家を出た。
送り出してからまた一休み。
これが毎度ながら至福のひとときだ。

長男が9時から主人と参考書を買いに出かけて行く。
戻ってきたら弟と息子達でサイクリングに出かけた。
弟は最近サイクリングにはまっていて、
車の中に分解して持ってきたと言う。
今まで100キロは走ったというので驚いた。
実は私もいつかは実家まで自転車で行きたいなと
密かに思っている。

皆が出かけてしまっている間に
ゆっくり家事をして仕事を片付けた。
今日どうしても発送してほしいというものがあったので
研修会に出かける主人に頼まれたのだった。
宅配便の引き取りを待って友達のライブに出かける。
息子達は東京湾まで走ってきたという。
とてもうれしそうだった。
子供達も誘ったが留守番すると言っていた。
残念。

急いでいたので
ネットでスタジオの住所だけを書きとっていたため、
駒込駅で降りて少し迷う。
知らない街を歩くのはちょっと不安でもあり、
さみしくもあった。
人があまりいない、しんと静まり返った夕方の街。。
そこをコツコツ早足で歩く。
果たして逆方向の出口に出ていたので
かなり歩いてやっと辿り着いた。
ちょうどお友達がセッションで出てるよ〜と
トリをつとめるSさんが入り口で教えてくれた。
演奏はとても心温まる素晴らしいものだった。

終わった後に「日記、随分一遍に書きましたね〜」と
思いがけなくもHさんに言われる。。
おぉ、なんかプレッシャー(;^_^A
見てくださってるんですかーと驚く。
ヘンなことは書けないな 爆

慌しくて大変だったけれど
行ってよかったとしみじみ思いながら家路に着く。

明日からまた頑張るエネルギーをもらってきた♪


2002年08月25日(日)



 

実家の弟が久しぶりに泊まりに来た。

息子達が先日泊まりに行った時に来てねと約束をしたらしい。
とんかつで夕飯を食べて、息子達とゲームに興じる。
私と11歳離れているので若い叔父さんだ 笑

夜、子供達が皆寝静まった頃、(といっても12時過ぎだったが)
二人で話をして初めて知ったことがあった。
弟は霊感が強いらしい。
子供の頃から金縛りにあっているという。
それは初耳だったのでとても驚いた。
それからやおら怖い話になってしまう。

以前弟は一人暮しを始めると言って
部屋を借りて住んだことがあった。
しかしまた最近実家に戻ってきて同居になって
私は結局1度もその部屋を訪ねたことはなかったのだが、
その部屋で実は何度も出たという^^;
彼の場合は姿は見えないのだが、
音や気配などを感じるそうだ。
また曰く付きのお部屋などに入ると
独特の匂いがあって鼻がつまったりしてわかるそうだ。。
お友達には新しい部屋を借りるけど、見に来てと言われるらしい。
それなのに自分のときにはわからなかったという。

部屋を見に行ったときは何も感じなかったのだけれど、
引越しで入ったときに下水の何ともいやな匂いが立ち込めていて
慌てて窓を開け、パイプユニッシュなどの下水の洗剤を散布したけれど、
すぐにまた匂いが出たそうだ。
そのうちに昼間に部屋を歩く音がしたり、
誰もいないのにシャワーを出している音や
声も聞こえるようになったという。
そこまできくともう背中がゾクゾクしてしまった。
そのうち旅行先でも足の裏を掴まれたりするようになったというのだ。
「あなたのせいよ」と言う声もしたとかいうし、
とたんに背中がぞーっとした。
手を掴まれたりもしてから実家にずっと泊まるようになって
結局引っ越すことにしたんだと彼は話した。
後で不動産屋さんに聞くと、細かくは話してくれなかったが、
やはり、というような様子だったという。。

他にも怖い体験は色々しているんだ、と言って、
この後も怖い話をいっぱいしてくれた。
が、ここで今日はやめておく。
深夜でもあることだし・・・。
何といっても怖い^^;

おかげでぞくぞくしながら涼しく休む事が出来た(;^_^A
いい弟だ。









2002年08月24日(土)



 読書の面白さ

長男が読書感想文を書くために
私が前に買ってきた新書版の本を読んでいた。
地元の職人さん達を尋ねて取材したという内容のものだ。

それが最近になって彼が急に読書に目覚めた。
部屋に次男の読んだ「ダレンシャン」という本が置いてあったので
何気なく読み始めたら止まらなくなってしまったという。
私も読んでいないので今一つわからないが、
怖いお話で吸血鬼が出て来たりするそうで、
次男曰く、ハリーポッターより簡単だよ、とのこと。
それも瞬く間に5巻まで読んだらしい。

午前中は主人と一緒にメーカーの展示会に出かけていって
そのときにその本の話をしていたと主人も言う。
本を読む面白さに目覚めてくれて、うれしい。

今までカタカナの登場人物の本は
読んで行くうちに何が何だかわからなくなってしまい、
ゆっくり読み進めると筋を忘れてしまうだの、
よくぼやいていた彼だった。

よかった。
これで彼も本好きの仲間入りになってくれそうだ。

2002年08月23日(金)



 お茶と言ったら・・

昼間薬局で仕事をしていると
若いセールスの男性が来る。
見ると左胸に見覚えのある襟章。
お茶の「伊藤園」のセールスだった。
自販機を置いてほしい、というお願いで来たのだった。

伊藤園というと、色々思い出すことがある。
かつて銀行の職場に伊藤園の社長さんがよくお見えになった。
そのお方は背の高い、すらっとしたお方で、
腰の低い、感じの良いお方だった。
お茶を出すと、心を込めて入れたお茶はおいしいんです、と
嬉しそうにおっしゃって飲んでくださった。

当時20ウン年前は、お茶の缶というのは
まだまったく市場に出ていなかった。
お金でお茶を買うなんて、という風潮だったのだ。
それを伊藤園の社長さんが中国の鉄観音茶を缶にして出したので
是非飲んでください、とよく宣伝していらした。
銀行の生協でも売っていたし、
役員さんにも箱で差し上げてもいた。
確かに飲むとおいしいものだった。
売れればいいね、と同僚と話しているうちに
あれよあれよと売れ出して、
そうこうするうちに今では当たり前のようにお茶の缶が売れている。
そして伊藤園もすっかり名前の通ったメーカーとなっている。

そういうことを頭に浮かべながら、
今の社長さんはなんておっしゃるのですか、と
思わず聞いた。
当時のH社長さんの弟さんが現社長だそうだ。
お元気でいらっしゃるのですか、と尋ねると、
それが先月の24日に亡くなったんです、とおっしゃる。
とてもびっくりした。
伊藤園のペットボトルや缶を見るたびに思い出していたのに
ごく最近に亡くなられたとは。。。

つまらない昔話ですけど、と
職場においでになった社長さんのお話を若い彼にお話しした。
よかったら頭に留めておいて下さいね、と。



2002年08月22日(木)



 再開

約9ヶ月ぶりでお稽古再開。
ここしばらくはやめようか、
どうしようかと迷っていたのだが、
忙しい中でもやろうという気持ちになって
えいっと始める。
昼間だとどうしても仕事と両立できそうにないので、
7時から9時まで。
夕飯の支度を慌しくして出かける。
今日はビーフカレー。
圧力鍋が大活躍だ。

練習は申し訳ないが全然していなかった。
左指がもうフニャフニャだ^^;
ケースから出すのも数えるほどだった。。。
でもその忙しさと事情は先生がご存知なので、有り難い。

途中メールで娘から鍋の開け方を教えてと来る。
そういえば教えたことがなかったな。
これで覚えてくれればいいんだけど。

重い荷物を下げてのお出かけはけっこうキツイが、
その先の楽しいひとときがあるからこそ。
今日はIさんから譲っていただいたお品を持って行った。

久しぶりにお会いして、楽しくお喋りをしながら
唄ったり弾いたり。。
指がやはり柔らかくてダメだった。
途中で痛くなったので
ご本人のお品と替えていただく。
感激♪

あっというまの2時間。
今日はお茶も飲まずに自宅直行だった。
おなかがすいて食べたカレーは格別だった。



2002年08月21日(水)



 洗濯物・・・

娘が夕方に帰ってくる。
だんだん家族が元通りに揃ってくるのは嬉しいことだ。
洗濯物の山のお土産をもって帰ってきてくれた。
楽しかったようだが、疲れてしまってすぐに眠っていた。
きっと夜更かしをしてお話をずっとしていたのだろう。

夕食も食べずに朝まで眠ってしまっていた^^;
ちょっと頑張って作ったんだけど。
まあいいか^^;

明日は長男が帰ってくる。

それから約10ヶ月ぶりにお稽古再開。
心機一転、忙しいけど頑張っていこうと思う♪

2002年08月20日(火)



 次男ひとり

昨日次男がキャンプから帰ってきた。
今日はその洗濯物に追われる。

週末に実家の弟が泊まりに来ると言う。
人が泊まりに来るのは実家の家族くらいで本当に珍しいことだ。
何でも息子達が実家に泊まりに行った時に
泊まりに来てといわれていたらしい。

そろそろ自宅の物件なども探そうとそれとなく見るようにしている。
ファックスで送られてくるものもある。
いいものがあればいいが。。

夜は先日娘と3人で行った鶏の手羽先揚げの居酒屋にまた行く。
息子は初めての場所なのでキョロキョロとしていた。
前回のときは20人は座れるほどの、
長いおぜんに掘りごたつ方式の畳に座ってだったが、
今回は平日ということもあってか、個室で
4人くらいまで入れるお部屋だった。

長男だけまだ一緒に行ってないということになるが、
それはまた後日。。必ず機会があるだろう。


2002年08月19日(月)



 合 宿

生暖かい風が強く吹いている。
今朝から長男が今度はバスケットの合宿に出かける。
午後からは雨がすごい勢いで降り出した。

合宿の手伝いをしましょうと色々声をかけられたが、
とうとう行かないことにした。
中学生の合宿で何故親がついていって
練習用のTシャツの洗濯などをするのだろう。。
どうしてもその点だけは初めから理不尽な感じがして、
納得できなかった。
おまけに今回は金一封出さなくてもいい、ということで
前年よりも3千円アップしたというのに、
結局足りないようだからカンパをしようと電話が回ってきた。
尤も、我が家はやはり手伝いをしないお友達と合同で
金一封を渡そうと決まっていたのでその件は辞退した。

親が手伝って当たり前という先生の態度が
どうも納得できない。。
あまり入部当初はそういう思いはしなかったけれど、
この頃どうしても疑問が出てしまってきている。
まあ 子供の部活のことだから いいのだけれど。
手伝わないことで肩身が狭い思いをしていたり、
処遇が違うのではないことを祈る。。。

2002年08月18日(日)



 ゴーヤーチャンプルー

沖縄旅行で食べて以来、ゴーヤーチャンプルーが好きになった。
以前作ったときはゴーヤを塩ぬきしなかったので
苦くて食べられたものではなかったが、
「塩ぬき」という作業を覚えて以来、
おいしく食べることが出来るようになった。

今夜も作る。
長男も主人もおいしいらしく、きれいに食べた。

こういうときに「おいしい♪」と実家の家族は良く言っていたな。
おいしいならば言葉に出しておいしいって言ってよ〜と言うと、
目が醒めたようにはっとして「うんうん、おいしい」と慌てて言うが、
それではあまり嬉しくない^^;

2002年08月17日(土)



 八ヶ岳

朝娘が陸上部の合宿に出かけて行く。
学校に7時前に集合なので5時半頃に出かけて行った。
その後に少し眠る。

午後から長男のボーイスカウトのキャンプ先まで
主人と迎えに行くことになっていた。
私は山を見ながらのドライブにもなるし、
ちょっと楽しみにしていた。
ただ、運転は私は出来ないので
主人にばかり負担がかかり、
ちょっとその点は申し訳ないと思っていた。

2時頃に出発しようと思ったのだが、結局出たのは3時。
これだと着く頃には暗くなってしまって
どこにテントがあるかわからなくなってしまうのではと不安だった。

晴れた陽射しのもとの八ヶ岳はとてもきれいだった。
きれいだねぇと言っても主人は浮かぬ顔。
対抗車線の混雑振りを見ては深い溜息をついていた。
なるほど。帰りの渋滞を思って気が重いのか。
そうなるとこちらの顔も曇ってしまう。
隊長さんに携帯で連絡をとろうとかけるが通じない。
実践農場の直営場に電話をしても
もう終了しましたとの留守電が流れるだけだった。
住所は番号がただ書いてあるだけで、地図をみてもわからない。
だんだん不安になる。
実践農場の人に聞いて何とか探しまわり、
やっと辿り着いた。
途中原町のペンションを見てきれいだなぁと感激し、
そのときだけ明るかった主人。
一方私は場所がわからずそれどころではなかった。。

ちょうどハイキングから帰ってきてお風呂に入ってきたところだった。
ハイキングの後は隊パーティと言って、
リーダーが心をこめて御馳走を作ってその慰労をねぎらう。
息子はそれには残念ながら出ることが出来ず、
特別にその御馳走の天丼をもらって車中で嬉しそうに食べていた。
明日から仕事で帰京する隊長さんとビーバー隊の副長も同乗する。
主人はなによりもそれが気が重かったらしい。
しかしながら隊長さんの人なつっこいお人柄で
会話もスムーズに楽しく帰ることが出来た。
途中かなりの渋滞にも巻き込まれたが、
夜半には自宅に着く。

相変わらずちょっと不機嫌な主人。
楽しいと思えばいいのにと。。ちょっと残念でもあった。


2002年08月16日(金)



 終戦記念日

沖縄に行って以来、戦争という言葉を聞くと
以前とは違う感情を抱くようになった。

朝テレビをつけると偶然に先日行った
糸満市の「平和の礎(いしじ)」前から中継で映し出されていた。
戦争孤児で混血で盲目の男性歌手が
その場で「さとうきび畑」を唄っていた。
思わず眠っている娘を無理やり起こして一緒に見る。

こういう方は一生戦争の傷痕を背負って生きていかれるのだろうと思うと
本当にお気の毒で、
知らず知らずのうちに目の前が曇ってしまった。
その方は生まれてすぐに助産婦さんの投薬ミスで盲目になり、
少年時代は自分の存在自体を呪い、
産んで見捨てた母親を憎んでいたこともあったそうだが、
牧師様に出会って家族同然に愛情を受けて人生が変わったという。
丘に響く澄んだ歌声を聞いてとても心打たれた。



2002年08月15日(木)



 3人で

家族が3人だと食事を作る量も極端に減り、
それから洗濯物が少なくなる。
普段は1日に3回くらいは洗濯機を回すが、1回で充分だ。
そうなると張り合いもなくなって
料理も不思議と作る気持ちがいつもより失せてしまう。
残っている家族にはお気の毒な話だが。。^^;

ピアノに行くという娘に帰りは遅いのときくと、
どうして?という。
たまには3人で外食もいいかな、と思ったのと答えると
じゃあ 早く頑張って帰ってくるとうれしそうに言った。

そういうわけで、主人にせがんで
3人で蒲田の鶏の手羽揚げやさんに行く。
名古屋風のもつの煮込みや天むすなどが置いてあって
名古屋風なのかもしれない。
メニューも目新しいものがたくさんあって
自分の料理をする上にも役に立つ。
生ビールがおいしかった。

娘が私達のお酒を飲んでいるのを見て
いいな〜としきりに言う。
さては、飲んだことがあるな(; ̄ー ̄)
でも大学生になるまでは一緒に飲めないよ、と
アセロラソーダやウーロン茶など、
ソフトドリンクだけにさせる。
部活で打ち上げなどの時に飲まないようにと
担任の先生に言われてるんだよ、と言っても
うんうん、だから飲んでないよーと答える。
(;¬_¬) ぁ ゃι ぃ ・・・
でもお料理がおいしいと喜んでくれたので嬉しかった。
ダイエットダイエットとばかり言って
あまりおいしそうに食べてくれないこの頃だったので
喜びもひとしおだった。

子供が一人だといつもとちがって
ゆとりをもって接することが出来る。
話もきちんと目と目を見て話せる。
日頃の注意散漫で1/3に分散された愛情(?)とちがって
彼女も満足してくれたかもしれない。





2002年08月14日(水)



 静 寂

朝キャンプに息子達が出かけて行った。

後ろから頭も見えなくなるほどの
大きなザックを背負って出かける姿は何とも頼もしい。
田園調布駅まで送るのは主人にお願いして、娘を送り出す。

店に行って出かけようとすると
主人が今日は歯医者の予約をしたという。
仕方なく帰ってくるまで留守番をした。
週に三日ほど、調剤薬局の午後のパートの女の子が
午前中に仕事に来るようになった。
商品のPOP(広告)などを書いてもらったり、片付けたり、
整理したりと色々と頑張ってもらっている。
それだけで店の感じも変わるし、不思議と活気付いてくる。
夫婦だけでいるとどうしても馴れ合いになってしまうが、
他人がここに一人入るだけで全然雰囲気が変わってくる。
いいことだ。

静かな我が家で静かに夕食。
少し寂しい 笑


2002年08月13日(火)



 また横浜

休み開けの仕事は忙しい。
メールの返信も30通以上はしただろうか。。

発送もごっそり山となり、
午後にその処理に追われていると
次男がこれから横浜に行くという。
あら、なんで?と聞くと
昨日ボーイの進歩記録帳買ってきてくれなかったでしょ、と
寂しそうな顔で言う。
あ^^;そうだった。すっかり忘れていた。
ごめんね〜〜〜〜とあやまる。

その後慌しく仕事をこなして、
6時前にそろそろ夕食のお買い物をしようかなと思っていたところに
長男が交通費ちょうだい、と来る。。
ん?どこにいくの?と聞くと、
横浜に行くという。
なんで?^^;と聞くとボーイのベレー帽を実はなくした、というのだ。
明日出かけるというのに何故今になって買いに行くのだろう、
ましてや午後一番に弟も同じ所に行ったのだから気がつけばよかったのに。。
そう思いつつも場所わかるの?と聞くとわからない、という。
次男は以前一緒に行って
しっかり場所を教えておいたので知っていたが
長男は部活などがあって心して教えながら行った事はなかった。
しかたがない、と一緒に行く。
閉店の時間がきになった。
もし間に合わなかったら、と思いつつ不安になる。
横浜に着く頃になって
そういえばお友達で行かない人のを借りてしまう手もあったなと
ひらめく。(遅い^^;)
まあ いいけど。。。

デパートで買い物をしてまたもや今夜のお惣菜を買う。
手作りしたいのに〜。

でもおかげで行きと帰りに息子と色々話ができた。
自分の将来を考えているようだった。
明日二人がキャンプに出かける。
早起きしてお弁当を作らないと^^;



2002年08月12日(月)



 地図を求めて・・・

昨日旅行から帰ってきたのだから
今日はのんびりしようと思っていた。
甘かった。
長女が合宿で着る短パンなどがほしいと言う。
それからボーイスカウトのキャンプに使う地図を
買いに行かなければならなかった。

娘と二人で昼食を食べてから出かける。
川崎に行って最初に娘の服を買う。
お気に入りのものが手に入ってご機嫌な彼女。
買うまでは何と素直でいい子なのだろうか。
このままいってほしいのだけど^^;

それから地図を買おうといつもの本屋さんを見る。
「八ヶ岳西」というところのものだった。
が、ない^^;
いつもここにくれば必ずあるというのにないのだ。
買ってからお茶を飲もうねと言い聞かせながら、
西武の上にいくがやはりない。
もうひとつデパートに行ったがそこには何と書籍売り場がなかった。
地下街の書店でもなかった。
商店街に本屋があるかと探すがない。

では今度は横浜に行こうと移動する。
特急が来たので車掌さんがこないといいな、と思いながら乗ると
降りる間際に見まわりに来る^^;
特急料金二人分で1100円也。高い地図だこと。。。

高島屋には書籍売り場はなかった。
ジョイナスの本屋に行く。
ここにもない^^;
反対口のルミネに行く。
これでなかったら・・・と思ってみると
やっとあった。
くたくたになって二人でお茶を飲む。
もうすでに6時半過ぎて七時近かった。
お惣菜を買って帰る。

ぐったりして食事をしながら大変だったんだと話すと
主人が一言、「そんなのコピーすればいいのに」と言う。
さすがに疲れていたので私も聞き流せなかった(;^_^A

あれだけ歩いて探したのに〜。
簡単に言わないで欲しい。。

なんだか疲れる1日だった。


2002年08月11日(日)



 戦 争

朝9時半にホテルをチェックアウト。

タクシーの運転手さんに観光をお願いする。
最初に首里城。
日本とは思えない異国情緒溢れる建物だ。
琉球王朝ののどかで華やかな様子が伺えた。
建物の入り口で靴を入れるビニール袋をおば様達が手渡してくれて、
団扇が箱に入っていて使えるのがうれしい。
所々で当時の衣装を身にまとった男性が立っているのがおもしろい。
とにかく陽射しが強く、頭がぼうっとしてしまうほどだった。
高台にあるというのに首里城は涌き水がでていて
下界と遮断されても生活ができるし、
風通しがいいので暑さをしのぐには適している。
地下には沖縄戦当時の作戦司令室があったそうで、
今はすっかり壊されてしまっていて見ることができないと
運転手さんより説明を受ける。

その後糸満市の平和祈念資料館に。
スペイン風の赤レンガの瓦の白いおしゃれな建物で、
最初はホテルかと思ってしまった。
そこを越えると海を臨む傾斜地に
沢山の戦没者の名前が刻まれたいわゆる「平和の礎(いしじ)」が
さざなみのように並んでいた。
その向こうの海は真っ青。
まったくの異空間だった。
この世にいるという実感がない。
いまだに自殺者が絶えないという。

刻まれた礎を見て回る。
沖縄らしい苗字の人が多い。
昔の人の名前なのでカタカナのものも。
子供達がカマドだって、クマだって、と
面白いものを見つけてはくすくす笑う。
村別に分けて書かれてあるが、
勿論アメリカ人のも、イギリス人のも韓国人のもあった。
出身地が沖縄だけではなく、北海道から東京と全国に及んでいた。
何枚かスナップを撮るが
物悲しい場所で笑顔を作るのは辛かった。

記念館の中を見る。
1階は世界中の子供をテーマにした展示。
戦争の暗い影は微塵も感じさせない。
ふと、ぬいぐるみが置いてあった。
サラエボでぬいぐるみに地雷をしかけてあったのを知らず、
それを自宅に帰って抱きしめて死んでしまう子供が多かったとあった。
何の罪もない子供を死に追いやるなんて痛ましい。

2階に行くと、沖縄戦争当時の展示があった。
かなりのショッキングなものだった。
戦争に至るまでの展示なども多かったが
一番目を引いたのは当時の人々の証言がファイルにしてあって
沢山置いてあったコーナーだった。
息子達が1歩もそこから動こうとせずに、
黙ってそのファイルをあちこち読んでいた。
防空壕の中で泣き叫ぶ赤子を静かにしろと言われて
殺そうとしている母親の様子など、
本当に痛ましい、涙を誘うものばかりだった。
展示を見終わって出ると目の前にガラス越しに真っ青な海が。
それはきれいで悲しすぎる海だった。
子供達がアンケートに真剣に書き込んでいて来て良かったね、と
主人としみじみ話した。

その後ひめゆりの塔に。
入館時間があと10分というギリギリのところで入れた。
ここでも当時の痛ましい展示があって、
たくさんの亡くなった看護生の写真のパネルが飾ってあった。
証言のファイルも同じように置いてあって、
そこに出ていた名前と同じ名前のパネルがあるのに気がついたと
娘が言っていた。

ただ海がきれい、楽しいだけの沖縄旅行にしたくなかった。
最後に戦争という痛ましい出来事がここであったのだということ、
それもたった50年前に実際にあったのだということを
認識してほしかった。

印象深い観光が出来て、運転手さんにお礼を言って別れる。
おかげで帰りは子供達は少し静かになっていたかな 笑
空港で夕食を取り、慌てることもなく8時の便で帰京。
自宅に11時頃に戻る。

仕事のメールを開けるとフリーズしてしまうほど注文メールが届いていた。
ざっと4〜50件ほど。
お返事は明日になってからにしよう。


2002年08月10日(土)



 津堅島

朝食は豪華なバイキングだった。
あまり欲張らないように。。
でもついつい目で追ってしまう。

目の前でシェフが作ってくれるオムレツは
チーズ・ミートソース・ゴーヤとあった。
ゴーヤを頼む。茹でてあるのでそれほど苦くなかった。

フロント前で集合し、バスに乗って船着場まで行く。
そこから船で15分ほど。
津堅島についた。
人参に形が似ているからか、
イメージアップを図っているのか
キャロットアイランドなどという
わざとらしいキャッチフレーズがついている。
海がきれい。
空も真っ青だった。
日焼けするのが怖いので日焼け止めを塗ってパラソルの下で眺める。
大人二人がパラソルの下、
子供達が海で遊ぶ。

熱帯魚ウオッチングというのに参加し、
沖の方まで船で行ってさんご礁の海をシュノーケルで潜ってみる。
えさを魚達にあげるといっぱい集まってきた。
見たこともないような変わった形の魚や、オニヒトデ、
青いヒトデなどを見つけた。

1時間ほど遊んでから海辺に戻る。
もうこうなると日焼けを気にするよりも
海に入りたくなった。
主人と交代して子供達と海で遊ぶ。
ふと気がつくと集合時間が迫っていて
慌てて戻り、着替えて身支度を整える。
そのときになって足が真っ赤に日焼けしているのに気がついた。
そういえばそこにだけ日焼け止めをつけなかったのだ。
しまったと思ったが時すでに遅し。

ホテルの部屋のバスルームでぬるめのお湯に入る。
普段はあまりぬるめは好きでないけれど
今はそれどころではなかった。
ひりひりの足で夕食はホテルでバイキング。
またまたバイキングで外で探索をしたかった主人はちょっとお冠。
でももう時間が遅くて外出よりもホテルで済ませたほうがよかった。

そろそろ疲れがでてきたのか、
時々不機嫌になる主人。
子供よりも疲れるなぁ(;^_^A




2002年08月09日(金)



 沖 縄

ニ泊三日の家族旅行に出かける。
子供達のリクエストで海がいいということで
今回は沖縄になった。

早起きをして8時15分の便で二時間後には那覇に着く。
ホテルはステキだった。
お昼をタクシーの運転手さんお薦めのお店で
沖縄の家庭料理を食べる。
本当にアットホームなお店でおいしかった。

その後、海にも行こうかと思いつつ、
翌日の津堅島(つけんじま)ツアーで泳ぐので
北谷(ちゃたん)のアメリカンビレッジに行く。
作られた異空間というかんじ。
東京だと原宿みたいなイメージかな。。
夕食はそこの居酒屋でのんびり食べた。
帰り広場で女性が二人ギターとキーボードでライブをしていた。

お部屋に帰って大浴場に娘と行く。
大きくてとてもきれいなお風呂だった。
のんびりと身体を伸ばして休める。

明日の支度をしてベッドで眠る。
下の庭で沖縄民謡のショーをしているようで
歌声が聞こえていた。




2002年08月08日(木)



 タクシー観光

沖縄旅行の最終日、帰りの便が夜の8時なので
この日はゆっくりと観光をしようと思っている。
タクシーでお願いしようと思っていたが
実家の父が名刺を見せてくれた。

私が大学生の頃に沖縄に家族で行ったときに
観光をして戴いてお世話になった運転手さんの名刺だった。
(尤も私はその時は海外に行っていてその旅行に行かなかったのだが)
今はもう現役を退いていらっしゃるが
お友達を紹介してくれるから、と父が話してくれた。

午前中に早速電話をかけると奥様らしき人が応対して下さって
10日に予約をお願いした。

まだ何も支度をしていない^^;
これから夕食を準備してからだ。
眠ってしまわないといいけど(;^_^A 

では明日から少しリフレッシュしてきます♪
(。∩_∩。)ノ”” 


2002年08月07日(水)



 間の抜けたおつかい

起床5時。
娘は今日友達と東京ディズニーランドに行ってくるそうだ。
毎日目いっぱいのスケジュールで本当に楽しそう。
送り出してからうとうとしていると
「行ってくるね」と長男が顔を出して出かけて行った。

?この時間に出るとなると
もしかしてお弁当が必要だったのでは?
昨日の時点では彼からは何も言われていなかったが
気になって後でお友達のお母さんに電話をかける。
早くおわるがやはりパンは持たせたよと聞き、
私も仕事が一段落したらパンを持って行くことにする。

中学の体育館はとにかくりっぱで3階建てになっている。
1階は柔剣道場になっていて、2階はミーティングルーム、
3階がバスケットコートがある。
スリッパに履き替えて階段を上ると歓声が聞こえた。
知らなかったのだが
今日は他校との試合をやっているようだった。

そっと足を踏み入れて息子を探す。
いた、それも顧問の先生のすぐそばに。
先生の怒鳴り声が大きいこと。。
気がついてくれないかなぁとじっと見つめていると
やがて気がついた。
こっちへ取りにおいでよ、とそっと手招きすると
首を振って出て行くようにと促される^^;
あれ〜いらないのかな。
でも仕方ないか。
そう思ってすごすごと自宅に戻る。

折角なのに、食べてしまおうかとも思ったが、
帰ってきて塾に行く前に食べるだろうと取っておく。
やがて息子が帰ってきた。
あのねー、と始まって
持ってこなくてよかったんだよ、悪かったんだけど。と言われる。
まして、私が立っていて呼んでいた場所は
いてはいけないところだったらしい。
それを聞いてひぇ〜っと思って青くなってしまった。
息子は先生に怒られなかったというのでよかったかな、と
ホッとする。

そのパンをおいしそうに食べて塾に出かけて行った。

2002年08月06日(火)



 帰ってきた

子供達が帰ってきた。
また賑やかで片付かない我が家になったが、
それでも火の消えたような静けさに比べたらずっといい。

食事の支度も面倒でも一緒に食べたほうが楽しいし、
人数が少ないとだんだんと料理をしようという気持ちが失せてしまう。

今週後半は家族旅行で沖縄に行くので
それまでに仕事もお勉強もがんばろうねと話しながら
夕食を食べた。

2002年08月05日(月)



 デパート

娘と横浜のデパートに行った。
目的は水着と洋服を買うため。
ママのも買えばというが、それはオマケであって、
メインはもちろん彼女のものである^^;

バスで田園調布に出て、お昼を先に食べる。
おいしいイタリアンのお店に初めて彼女を連れていった。
室内の席はいっぱいでテラス席に。
誰もいなかったけれど風が通って思ったよりも涼しく、
おいしいランチを食べてご機嫌に。

日曜日の横浜はバーゲンの時期でもあって
人がごったがえしていた。
あーここで色々見るのはしんどいな。
ましてや自分のものでないのは^^;
少し気が重くなりながら
彼女のほしいものを一緒に見たてたりする。
ついでに私も水着と服を買った。
ジーンズを2本試着した彼女は
店員さんに着ていた自分のジーンズまで返してしまい、
大笑いだった。

一人ならもう少しゆっくりと自分のお気に入りのお店を見るのだけれど、
両手に紙袋を下げて回る気力がなかった。
今回はもういいや、次回ゆっくり来よう。

帰りにお茶を飲もうと思ったが
横浜は何処も人でいっぱいで
田園調布についたらにしようということにした。
が、その後に友達と約束をしているという彼女に合わせて
結局はその時間もなくとんぼ返りに帰ってきた。

貴重なお休みが慌しく過ぎて行く。
夕方長男が塾の後実家に、そして娘が出かけて行った。
子供がいない家はしんと静か。

明日はレセプトの締めきりなので、
その仕事をするか・・・(;^_^A
子供がいないと(もちろんいても)ムードのない二人であった!

2002年08月04日(日)



 お泊まり

次男がさっさと実家にお泊まりの支度をして出かけて行った。

お土産は勿論自分の好きな芋ようかん^^;
残された兄や姉達はちょっとさみしそう。
もちろん私達親も。。
兄はバスケの練習が明日とあさってはないとわかったので
明日の夏期講習が終わった後に一泊で僕も泊まりに行くと決める。
翌日の講習の時間には間に合うように帰って来るので
とんぼ返りになるのだが。。
それでも泊まりに行くのは楽しいのだろう。

夜実家に長男が泊まりに行くと電話をかけると、
まだ7時半頃だったのにもう次男は寝てしまったという。
昼間私の弟が一緒にサイクリングをして
運動公園でランニングしたのですっかり疲れてしまったとのこと。

そういえば私も長いお休みには祖母の家に泊まりに行ったっけ。
遠い昔、あの夏掛けのおふとんの懐かしい肌触りや
祖母の何とも言えないいい匂いを思い出したのだった。

2002年08月03日(土)



 マツキヨ

隣りの会社の重役の人が今日来た。

こちらから何も打診がないのでマツキヨを建てることにした、と。
そうするとこちらは閉めるしかないですね、と主人が言う。
思わず目の前が曇ってしまった。
こういう修羅場のところにいいお客さんが買いに見える。
赤い目で応対してアガリクス56700円也を売った。

会社の人は言う。
閉めることはないでしょうに、と。
マツキヨ側の人も今日は来たいと言っていたので
いずれご挨拶に来るでしょうと。
うまく隣同士でやれますよ、と。
調剤がこちらは出来るのだから
それを売りにすればいいのでは、と。
自分のことではないからそういうことが言えるのだ。

きっとこうなるとは思っていた。
仕方ない。
前向きに考えるしかない。
新しい住いを考えて、楽しいことを考えて。。

でもこのところちょっと凹んでばかり。
蒲田のJTBに旅行のチケットをもらいに行った。
帰りに夕立にあう。
駅ビルの喫茶店でお茶を飲んだ。

娘から電話。
雨が降っているので駅まで主人が迎えにきてくれるという。
その後主人から電話。
駅に行ったのにいないという。
どうして私に文句を言うんだろう。
全然違う場所にいる私に。。

その後、ボーイスカウトのキャンプのお金を銀行のATMで振り込む。
機械が壊れた。
行員さんがなかなか来なくてイライラしてしまうが、
じっと待っていた。
それでもなかなか来なくてインターフォンでまた呼び出す。
早く帰りたいのに。

うまくいかないことが重なってしまうと
雨と一緒に泣いてしまいたい気分になった。

だれか助けて・・・。

2002年08月02日(金)



 8月

もう8月に入った。
カレンダーをめくるとスケジュールがびっしり。。
見ただけで目が回ってくる^^;

長男の夏期講習が明日から始まる。
まだまだ先と思っていたのだがもう目前となった。
本人に今日しか宿題を1日出来る日はないよ、と
少しハッパをかける。

日中はさすがに暑くて薬局で仕事をする以外は
何もしたくない、という感じだが、
早朝はとても涼しくて洗濯物を干したり、
何かするのには気持ちがいい。
子供達の部活も娘は午前中にあることが多いが、
中学では午後3時以降からというパターンだ。

さて、今夜のメニューは何にしよう? ^−^
元気が出るものがいいな♪



2002年08月01日(木)
初日 最新 目次 MAIL


My追加