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■ つづきなんて書かないよ
どうせ鬱々しさに輪をかけることになるのはわかりきっているのだからあぁもう。
バイト休憩時、同僚のバイトの人とグロ話になった。 グロもスプラッタもさして苦手ではない、嫌いじゃないと云ったら、マグロ拾いの仕事とか向いてるんじゃないかと冗談交じりに云われた。そう云われたことは別に不愉快でもなんでもなかったが。 その仕事が、かなりな稼ぎになると聞いて「じゃあやるかもしれない、向いてるかもしれない」とあたしは云い、そしてすぐに違うなと思った。 人の死を自分の生きる糧にするってのが、合わないなと。 倫理的に、なんて問題ではなく。むしろ非倫理的ともいえる問題で。 周りがどう見るか、周りにどう見えているかはともかく。あたし自身は積極的に生きていこうとはしていない、思っていない。夢や希望をいっぱい抱えて、もっとあれがしたいこれがしたいとはそれほど思っていない。 そんなやつが、精神的背景はどうあれ実際に死んだ人間の肉片を拾い集めて、それでもらった金で自分が生きるために食っていくってのは、どうよ? と自分に問うてみたわけで。 なんか虚しくなるだけだと思って。そこまでして生きていきたくもないわ、とか思って、自分が拾われる側になりかねないのではないかなんて思って。 あたしは今こうやって親の金食いつぶして(一応稼いでいるけど)なにをやっているんだろう、何を求めて生きているんだろう。
生きたいとは強く思わないけど、生きている。 死ねもしないから、生きている。 親やまわりの人間や世間やなんかに体裁があるから、生きている。 いなくなったあとが多分めんどいだろうから、生きている。 こんなんが死んでも悲しむ人がいるかもしれないから、生きている。
あたしがいま生きているというこの事実には、 あたしの意志がどれだけ編みこまれているのだろうか。
けれど。 もし明日誰かにいきなりナイフを喉元に突きつけられて殺すと云われたら。 あたしがある程度パニックに陥りながら瞬間的に思いそうなことは。 きっと、些細で自己中心的でお門違いなことばかり。人を想いなど、できやしない。 結局自分だけが大事で、結局死ぬことが怖くて。 そして結局、最後まで生に執着するのだろう。 なんかなぁ。いろいろ矛盾してばかり。虚しいばかりだ。
2004年09月20日(月)
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