written by 田村 MAILHOME
#誕生日プレゼント
2002年12月29日(日)

これまで、何度か私の誕生日について述べさせていただいた。
その都度誕生日プレゼントをくれだのなんだの言ってきたわけであるが、どういう訳か一向にプレゼントが贈られてくる気配がない、そんな恥ずかしがらなくても良いのに。

・・・という展開を期待した諸兄方々も多いであろうが、期待に反して実はいただいているのである、プレゼントを。本当にさみしい誕生日とか送ってるんじゃないの?と期待していた方には、見事に裏切ってしまって大変申し訳ございませんと言っておこう。本日は、そのエピソードを披露したいと思う。

 

プレゼントをくださったのは、職場の方である。

 

誕生日当日、出社すると私の机の上になにやら置いてあった。B5サイズ程度の包みで、なにやらメモ書きが貼り付けてある。何かと思い、貼ってあったメモを読んでみる。

 

『誕生日おめでとう、プレゼントです』

 

無造作に置かれた包みとメモ書き。どこぞの誰かは分からないが、恐らく直接手渡すのが恥ずかしかったのか、このような方法を取ったのだろう。見れば誰なのか名前すら書いていない、余程焦っていたのだろうか。知らない間にファンが出来てしまうとはまったくt(略)。

 

そう言えばプレゼントはなんなのだろうか?
 

 

 

 

 

 

 

 



金融取引小六法〈2002年版〉
石井 真司 (編集), 黒田 直行 (編集)



 

 

 

「あ、たむちゃん、それは私からのプレゼントです」

 

隣の席から声を掛けられる。ありがとうございます、M田さん(上司)。

 

 

田「あ、あのこれ、いただいちゃっても宜しいんですか?2,900円もしますけど・・・」

M「ああ、いいの、僕もう一冊持ってるから。間違えて2冊買っちゃったんだよねぇ。失敗した」

 

2冊・・・。

 

 


というオチはさておき、実は他にもいただいているのだ。上記はほんのネタである。

 

それは誕生日から何日か経過したある日、部内の忘年会の翌日であった。重い頭で出社すると、これから恐らく煙草でも吸いにいくのであろう、休憩室に向かう部長と遭遇した。

 

田「あ、おはようございます」

部「おう、おはよう〜。お前の机の上にプレゼント置いてあったぞ」

 

プレゼント?

既に誕生日からかなりの日数が経っているのであるが、今更であろうか。さてはこの間のHPでの告知が効いたのかもしれない、タイミングを逃していたファンがまだ間に合うと安堵して置いていったのであろうか。直接渡されてもこちらとしては一向に構わないのであるが。

などと思いつつ部署に入り、自分の机の上を見てみる。置いてあったのは。

 

 

 

 

 

 
これ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

部長、冗談でも止めて下さい。というかこれは、忘年会の2次会で行ったオ○マバーの備品じゃないですか。持って帰ってくるな。そしてそれをプレゼントするな。机の上に放置するな。後から聞いた話であるが、そのオカ○バーには出入り禁止になったらしい。

 

非常に処理に困っています。欲しい方は、ご一報ください。(秘密厳守いたします)

あと誰か、まともなプレゼントいただけないでしょうか。

 

 

いや、勿論他にも誕生日などプレゼントがすべてではない。言葉という素敵なプレゼントならたくさんいただいているのである、当然だ。「今日誕生日なんですよ」「あっそう」といった職場の先輩との心暖まる会話や、「今日誕生日だよね、おめでとう。なんかくれ!」と若干勘違いしているものの心から祝福してくれる友人など・・・

 

バーカバーカバーカバーカバーカバー(略)




#イエモン・鹿・サイト管理
2002年12月23日(月)

今更ながら、イエモンをものすごく聞いている。 聞いているのはシングル集の「GOLDENYEARS」であるが(さすがにアルバム全部ひっくり返して聞いているほどではない)。

吉井のジョンレノン追悼コンサートへの参加や、先般リリースされた廣瀬のバンド形態のソロ活動など、ソロはさておき、2001年1月の活動休止以来、バンド自体の活動再開の話がまったく出てこない。歩んできた道が道だけに大丈夫なのかと心配になってしまうが、心配をしたところでどうにもならないのが連中なので、そのうちひょっこり「帰ってきましたー」とか照れつつ且つけぬけと言い活動再開する日を妄想しているわけなのだが。そのときには一発ぶん殴ってやりたい。

彼らが居ないシーンは寂しいもので、今はこういう曲を出すバンドなりアーティストは居ないもんだなと改めてその存在価値に気付いたりしている。世紀が変わる近辺では、90年代活動していたバンドがそれぞれの壁を破ろうとして、突き破ったバンドは今でも進化し続けながら活動し、何となく壁に当たってしまった感のあるバンドは活動休止なり解散なりの選択肢を迫られたと個人的には思っている。
一方でそれまでアングラとして扱われていたジャンルのバンドがメジャーに踊りだしたりと、色々変化の時期であったのかもしれない。単純に20世紀から21世紀へと数字が変わっただけではないようだ。

イエモンも例外ではなく、活動休止直前の楽曲などは、今から聞きなおすと随分切羽詰ったものばかりであった。「バラ色の日々」から始まった変化、「聖なる海とサンシャイン」「SHOCK HEATS」などの実験的とも言える楽曲、壁を打ち破ったかのように見えた「PEARL」。どれも切羽詰っており、久々に聞いたそれらは息苦しいものだった。色々言いたいことがあったのだが、取り敢えずゆっくり休んでまた戻って来てほしい。

 

そう言えばシーンのジャンルの入れ替わりを先述したが、最近は随分とパンク系がランキングの上の方に来るようになった。しかし残念なことに、それぞれのバンドの違いが私にはよく分からない。一時期のビジュアル系やらなにやらに取って代わっただけのような印象だ。

最近取り上げられる機会の多くなったヒップホップ。マジリアル。しかし周りで聞いている人を見かけたことが無いのは何故だろう。取り敢えず、彼らほど強気にはなれないのは確かだ。

 

 

先日記述した鹿出没の話題であるが、会社の常務に話したところ、鹿の大群が崖を降りていくところを目撃したとの告白をされた。随分と会社近辺は野生の宝庫である。もっと探せば色々出てくるのではないか。UMAとか。連日の取材、野次馬根性の人ごみ、それにかこつけた便乗商売。会社、大パニックか。

野生動物といえば、タマちゃんはどうなったのだろう。最近めっきり話題に出ないが、あの騒動は一体なんだったのか・・・などと思っていたら相変わらずあの近辺で生息しているらしい話を「笑っていいとも増刊号」で言っていた。飽きられたようである。

いっそのこと、タマちゃんがうちの会社近辺に来てくれれば話題騒然なのかも知れない。富士山麓+アザラシ、UMAが見つかるより余程平和的且つ癒しであろう。名前はこれまでの命名の法則に則って、フジちゃ(殴)。

そもそも河が無い。

 

 

よく閲覧するコラム系サイトより引用。

 

>●コラムとしてではなく、まさに日記を自サイトに上梓してる人は多い。
>●あなたの上梓しているものが、コラムではなく日記だと思ってらっしゃるのなら、この俺、世界50億分の一の少数意見である俺の意見を聞いてくれ。
>●月に数回しか更新はしないけど、毎日それなり誰かが観に来てくれているとしたら、その数はあなたのことを愛してくれている人の数です。大事にしていきましょう。
>●だって、更新しない「他人の」日記サイトなんて、全く意味ねぇもん。やめちまえよ、ぐらいの勢いで。

 

返す言葉も御座いません。申し訳ない。だから今回の更新で堪忍して!

 

>言われたから嫌でもやるってのはガキの使いってんだぜ

 

申し訳御座いません。



#顔のつくりと遺伝
2002年12月14日(土)

文字サイズを大きくして、スペースを稼ごう。などとせこいことは勿論考えていない。嘘だと思うならこの目を見てほしい。僕を疑うのか!

 

友人との会話で、たまたま顔の話になった。

顔の話題になると、いつもネタで話すことがあるのだが、私の顔は、家族の誰とも似ていないのだ。

どこがどう、といわれると難しいのだが、兎に角似ていない。
造型自体、違っているといっても差し支えない。本当に血が繋がっているのだろうか。幸いなことに、自宅から徒歩30秒で橋まである有り様だ。あまり笑えないのかもしれない。今更「実は・・・」などと切り出されても困る。

 

仮に橋の下であったとしよう(あくまで仮である)。
一体自分はどのタイミングで、出生の秘密を教えられるのか。例えばドラマなどでは、20回目の誕生日など、大抵切りのいいところでその秘密を聞かされるものである。それは今まで両親だと思っていた人によって。

 

自分の場合はどうであろうか。

20回目の誕生日はかなり昔に過ぎてしまった。タイミングとしては、その辺りが最も適切だとは思うが、過ぎてしまった物は仕方がない。今更20歳などと主張すれば、ある意味犯罪である。

あと切りが良いところと言ったら25、30ぐらいであろうか。それ以降は、タイミング的に有り得ない。そんな遅くに聞かされても、聞かされる方も迷惑だ。三十路を過ぎたいい歳の大人に向かって、「実は・・・」も何もないだろう。
とすると25であるが、それは先月過ぎてしまった。いくらなんでもこのタイミングでは遅すぎやしないか。やはり今更聞かされたところで困る話だ。タイミング、逃してるし。

30という線も考えられなくはないが、30といえば而立、己の能力をこれから発揮する重要なターニングポイントだ。スタートダッシュをくじくつもりか。

などと考えると、切りのいいタイミングなどないことに気付く。

26、27辺りの誕生日に言われても困る。そんな中途半端な。私は中途半端がモットーだが、周りまでそれでは困る。誰もフォローできないじゃないか。
いや、本当はタイミングを計るなど、そこまで深慮していないのかもしれない。ある日なんでもない日に、いきなり切り出されるかもしれない。いい迷惑だが、うちの家族ならやりかねない。そう考えると、夜も熟睡できなくなる。明日、いきなり告白されるかもしれないのだ!誇張が過ぎた。

 

ちなみにそこまで話したところで、友達には呆れられてしまった。

 

ただ更に白状すると、この話はここ最近考え付いたわけではない。10代ぐらいから結構真剣に考えていたし、勿論今も継続中である。脳の容量はもう少し他のことに使いたいと、最近、切に思うことが多い。



誕生日の話が出たが、私の誕生日は11/15である。既に一ヶ月前の話であるが、まだまだ贈り物は受け付けている。どうせなので、受付期間はあと11ヶ月ぐらい延長してもいいくらいだ。




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