レプリカントな日々。

2002年08月31日(土) 生きている不思議、死んでゆく不思議


 うーむ。

 「千と千尋の神隠し」
 恐ろしい物語を見てしまいました。
 寓意もメタファーもギミックも関係ありません。
 その心の中に浸っている自分を見つけた時、エンターテイメントに、アニメーションに、こんなことが出来るんだなと心底驚いています。
 この時代に生き、この気持ちを味わえたことに、素直に感謝すべきなんでしょう。
 実体験とオーバーラップする、一生忘れ得ぬ映画が二本あります。
 どうやら三本目が見つかったようです。
 この映画の持つ「日本人の原風景」が今の日本にほとんど見られないことは、とても残念な気がするとともに、それで良かったのかもしれない等と感じることがあります。
 この映画に関する「噂」をほとんど聞いたことが無かったのですが、なるほどその意味がよくわかりました。
 人それぞれの原風景を旅させてくれる物語など、そうそうあるものではありません。
 時代を越えて生き残る物語というものがあります。
 この映画は一体いつの時代まで私たちの心を溶かし続けるのでしょう。







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2002年08月28日(水) 奇麗なおねえさんが闘うんですよっ。


 何故かMSNが叉サインイン出来るようになっちゃった今日この頃です。皆さまにおかれましては、いかが御過ごしでしょうか。
 相変わらずお疲れモードのオヤジです。
 何故かレンタルビデオ屋さんの会員になってしまいまして、ビデオ見てます。
 奇麗な女の人のビデオです。
 二人も出てます。
 あげく闘います。

 「ハムナプトラ2」ですねん。
 隅から隅までオヤジ好みの映画です。
 心地よいチープさを感じるCGといい、無茶ですこーし「をいをい・・・」というストーリー展開といい、まさにエンターテイメント。
 2時間楽しく過ごさせてもらいました。
 このキャスティングをした人、オヤジの好みを知っているのか?と聞きたくなるくらいキャストの二人の女優さんはツボです。
 素晴らしい!
 「神は細部に宿りたまう」との言葉通り、途中から登場する飛行船は最高のギミックでした。
 あの比率では飛べるはずもないし、1933年にジェットかよ・・・と言いたくもなりますけど、誰か作って欲しいです。乗りたいです。
 いっそ自分で作ってしまいたくなるくらい惚れました。
 どこかにプラモでも売ってないかな。
 字幕では「地元ピー(ジモピー)」と呼ばれていたミニサイズのミイラは、ちょっと反則気味だと思います。
 怖いです。今夜うなされそうです。
 吹き矢って・・・。

 「ジュラシックパーク3」
 はぁ・・・なんとも感想を言いがたい映画ですね。
 毎回パワーが落ちている気がするのは私だけでしょうか。
 監督さん・・・一体何がしたいんでしょう。
 つい最近読んだロバート・A・ハインラインの「説教オヤジ化」した代表作の「トリガー」(2001年ハヤカワ文庫)を思い出してしまいました。
 どちらも充分面白いんですけど、ついつい「説教されてもなぁ」と感じてしまいます。ま、これはオヤジが裏を読みすぎるというか、根性が曲がってるせいでしょう。
 そういうことさえ気にならなければ、とても面白いエンターテイメントです。恐竜さんは相変わらずリアルです。
 ヴラァーボ!>ILM。

 他にも見たんですけど、どーもテーマが重すぎて、疲れ切ったオヤジには語れないようです。
 さ、次は何を見ようかな。
 奇麗なおねえさんが出てるのにしよっと。







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2002年08月20日(火) 酔っ払いオヤジの愚痴。


 台風のせいか湿った風が吹いている町中の臭いをかいでいると、ふと秋の気配なんぞ感じたりしてしまう今夜、皆さまいかがお過ごしでしょうか。
 今夜は酔っぱらってしまい、なんだか明日を見失いそうです。
 先月末に体脂肪率が23%という、あり得ない!と叫びたくなる数字を見てからこっち、三週間もプールをさぼっているオヤジです。
 今ごろは叉26%あたりにまで回復しているのでしょうか。
 この夏は結構ビールなどをきこしめす機会が多く、何故か全く酔わない日もあれば、顔が破裂しそうなくらいに酔い?が回る日もあったりして、相変わらずわけわかんない体だったりします。
 さーてさて。
 ちったぁマシな写真が撮れるように日々是丹精してはいるのですが、なかなかブレークスルーなどはやって来ませんで、今日も今日とてイマイチじゃん!な写真を量産しているこの頃です。
 どうもイケてない人生を送っていると、写真もイケてなくなるようで。
 イケてるモデルさんを撮影しているにも関わらず、ちっともイケてない写真になるのは、そのあたりに原因があるのでしょうか。
 まぁ・・・答えは風に吹かれているんでしょう・・・。
 ということで今週は少し趣向を変えて、夜景を撮ってきますです。
 俗に、作家は「オンナと食い物が書けて一人前」などと言いますけど、写真もそうなんですかね。
 をを、食べ物の写真も挑戦してみますか。
 今年はセットを組んで室内でのお花の写真にもチャレンジする予定だったんですが、中々出来ずにいます。
 ううむ、デジタル写真の奥義を極めねばっ。
 ぼちぼち頑張ります。







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2002年08月16日(金) 戦後57年によせて。

 日付は変わってしまったけれど。
 思いつくままに・・・。

 私は1999年7月12日に日本国籍を取得した、元在日韓国人です。
 「私はこの国の花鳥風月を愛しています」
 この一文は帰化動機書に書いた、偽らざる正直な心境。
 祖父の代からこの国で暮らしている私にとって、この国は紛れもない母国だ。そして叉、30数年をこの国で「ガイジン」として暮らしてきた私にとって、この国はとても不思議な国に見える。

 「ヒロシマ・ナガサキ」を知らない若い世代にとって「国」とは何に見えているのだろうか。
 かまびすしいギロンが続く「歴史的事実」だが、私にしてみればとある歴史的事実があったか無かったなどに興味はない。
 結局の所、そのどちらかの「宗教」に与するしかないのだから。
 そもそも、あなたには「第二次世界大戦」があったかなかったか、論証出来るのか?
 してみせろというなら、私はいくらでも「第二次世界大戦など無かった」という論陣を張ってみせよう。
 我々は「あった」とする宗教に入信するか「無かった」とする宗教に入信するかを選択するだけだ。我々に許されるそれ以外の答えは「その問題に関わる気はない」というものだ。
 あなたがソフィスティケイテッドされたコスモポリタンであるなら、迷うことなくその第三の宗教を選べばいい。
 現代社会において「右派・左派」等といった「思想」が、力を持った価値観として生きていると信じられるのであれば、あなたはコスモポリタンではなく、野蛮な田舎者だが・・・。
 我々は「その究極的価値観でさえも趣味や嗜好といった個人的なレベルで取捨選択出来る時代」に生きているのだ。
 消えたのは「国家観」ではない。
 パブリックという概念そのものが消失したのだ。
 ケネディが言う「国が何をしてくれるのかではなく、国に何が出来るのかを考え」るといった「市民」としての機能を捨て去ることによって得られる「自由」もあるということだ。
 「環境」も「戦争」も「私が快・不快」だからという「個人的趣味嗜好」で語られているのだということに気がつくべきだろう。
 私はその価値観を否定する気はない。
 いやむしろ、水木しげる氏がいう通り「いい線いっている」国であり時代だとさえ感じている。

 現代においてただ一つだけ私が不愉快さを感じるのは、その個々人が持つリアルな人間としての皮膚観の希薄さかもしれない。
 戦中の政府・軍隊と戦後の政府とは「連続していない」ハズの「日本」でありながら、何故か不思議なことに「靖国」ではそれが連続している。
 国のために人がいるのか?それとも人のために国があるのか?
 梅原猛氏の「神々の流ざん」(ご本人も「仮説」だとはしてますが)を読めばわかる通り、神道は柔軟すぎるくらい柔軟であったはずなのだが、いつからここまで依怙地になったのだろう。
 日の丸を国旗とし、君が代を国歌とし、靖国をこの国の精神的支柱として位置づけたいのであればそれでいい。お好きにどうぞ。
 謝罪をしたくなければしなければいい。それは同感だ。
 問題は他者の痛みを知る心だろう。
 単なる偶然なのか、これも不思議なことに「新しい」人たちは歴史的事実に対する価値観だけでなく、今を生きるリアルな人間としても他者の心の痛みを知る皮膚観に乏しいと感じるエピソードに事欠かないのは何故なのか。
 最近とある若者のサイトを再発見し、彼がそうした「皮膚観」を欠落させていることを再認識させられた。

 私個人としては、10年1日、変わらぬ明日を希みたい。
 しかし。
 我々はいつか「国」か「人」か、選択を迫られる日が来るのかもしれない。

 ああ、それからもう一つ。
 もう語る気にさえなれないが・・・。
 「誇り」は後からついてくるものではなかったのか?

 私が「それ」を宗教だと断じるのはその皮膚観の希薄さからだ。
 他者の痛みに共感することの出来ない人間だけが、シンプルでわかりやすい「新しい」ことを語っていると感じるのは、私の幻想であってくれればいいと、心底願う。



 戦争について語るより、イイオンナについて語りたい。
 国について語るより、美味いモノについて語りたい。
 ウマイものを喰ってイイオンナの白い腹の上で死ねるなら、それで本望。







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2002年08月14日(水) 路上にて。ーーー三十代最後の誕生日を迎えちまった編ーーー


 13日の夜は怪しい面々で京都でご飯でした。
 久しぶりに会うねえさまとトレ君は、なんだかとても懐かしくて。
 ねえさまは4歳のまゆちゃんを連れての参加でしたけど、移動の時には私が抱っこしてました。
 「まゆちゃん、ちゅーして」って何気なく言ったんですが。
 いきなり唇を奪われました・・・。
 長い髪をかきあげる姿がとってもセクシーな、とっても美少女な4歳に。
 三回も・・・。
 最高の誕生日プレゼントでした。
 さんきゅ、まゆちゃん。

 ということで三人を京都駅で見送った後、一人名古屋へ向かいました。
 高速道路は帰省?ラッシュで大渋滞でしたが、予定より早く地元に帰り付き、いつもの川のへどろ臭をかぎながら路上にて誕生日を迎えました。
 昨日と変わらない今日、今日と変わらない明日でしょう。
 そうやって人間は一つづつ歳を重ねていくんですね。

I have a dream.
that my four children will one day live in a nation where they will not be judged by the color of their skin but by the content of their character. I have a dream today. 1963年8月28日ワシントンD.C.

 1963年8月に生まれた私は、今日、キング牧師が亡くなった39歳になりました。無駄に時間を重ねてしまったことは仕方がないにしろ、これからも私に何が出来るのか?という事を考えつつ、いつまでも夢を持ち続けていられる人間でありたいと思います。







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2002年08月13日(火)  「サーティブルー」マイク・ゲイル著 2002年ソニーマガジンズ


 MSNが全くサインイン出来ない状態になってしまいました。
 サイトからメールボックスにはログイン出来るのに・・・。
 はぁ・・・面倒くさいんで暫くほっておきます。


 たまには趣向を変えてこんな小説も。
 いつもの通りSF小説を物色してたら、ふと目に付いたカバーのイラストに惹かれて、買ってしまいました。パラパラとめくっているうちに、最後まで一気に読まされてしまいました。
 解説から引用すると「読み始めると止まらなくなり、大いに共感し、涙し、笑い、励まされた」ということになります・・・。

 背表紙の要約。
 「安定した収入があって生涯をともにできるパートナーがいる・・・それこそ三十歳が最低限押さえておきたい生活スタイルだと思っていた。三十歳になったら、人を何を思い何を求めるんだろう・・・サーティブルーに陥った男性心理をコミカルに描いた物語」

 明日、私めは39歳になってしまいます。
 四十路まであと一年です。ふぉっふぉっふぉ。
 三十歳になる時はどんな感じだったか・・・。
 ああっ、思い出せないっ。
 確か、ものすごく忙しくてそんなことにも気がつかなかったような。
 今は暇なせいか「もうすぐ四十」っていうカウントダウンの音が、しっかり聞こえてますね。

 この「サーティブルー」(原題はTURNING THIRTY)の中で、主人公はこんなことも言ってます。
 「・・・とはいえ、結婚や二・四人の子供にはまだ少し余裕がある。ただし、家のローンがやってくるのはもうすぐだ。要するに僕は、無闇に若返りたくはないが、人生が終わったみたいな言動には走りたくはないのだ。だからといって、コンバーチブルに乗って、ロンドンに派手な家を持ち、十八歳のガールフレンドをとっかえひっかえしながら身を落ち着ける予定のない四十歳になりたいとは全然思わない。気が滅入るだけだ」

 残念ながらコンバーチブルにも十八歳のガールフレンドにも縁は無いんですけど、身を落ち着ける予定も無いです。
 この主人公が言うとおり、人生は自分が予想していた通りには運ばないわけで。
 はてさて、来年はどんな四十歳になっていることやら。
 人間、そうそう簡単に成長はしませんね。
 ピーターパンなオヤジですし。

 現代社会では「歳を取ること」はあまり良くないことという価値観がありますね。石原都知事みたいに「老いてこそ人生」等という方もいらっしゃいますけど。「明確な自己認識が気概を生む」ですか?
 四十路手前になったからといっての負け惜しみじゃないですけど、四十には四十の面白さがあります。勿論、二十歳には二十歳の面白さがありました。
 結局の所、何をどうあがいても年齢は変えようがないわけで。「今」を楽しめない人は、いくつであっても「他人の芝生が奇麗に見える」んでしょうね。

 この作品で繰り返し語られている「当たり前のものの大切さ」は、若いうちには余りピンとこないものかもしれませんね。主人公の言う通り、親や友人の有り難みは大人になってこそわかるのかもしれません。
 でも・・・主人公の持っている「ノスタルジア」にはかなり共感するんですけど、その「ありがたみ」には時々反発を感じるのは、私が成長しきれていないせいかもしれません。ひゃっひゃっひゃ。

 とはいえ、三十歳前後のあなたなら、この小説は面白いこと間違いなし。

 ああ・・・叉なんだか説教オヤジになっちまった。
 本人はいたってマジなおちゃらけたオヤジにすぎません。
 偉そうなこと書いて申し訳ありません。
 明日はもっと偉そうなこと書いちゃいます・・・。えへへ。







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