レプリカントな日々。

2002年07月28日(日) 固まるかんてんの不思議。


 溶けそうなくらい暑い日々が続いております。
 皆様いかがお過ごしでしょうか。
 寄る年波には勝てず、様々な体の故障に悩まされているオヤジです。
 色々ありまして、今年の夏はあまり海には行けないっぽいんで、かなり欲求が不満しそうです。
 太陽が無駄に暑いです。

 ということで・・・黒豆で黒糖で「真っ黒」な水羊羹を作ってみようなんて思い立ちまして、丹波の黒豆をわざわざ買ってきてしまいました。
 十数時間煮込んで、先程完成しました・・・。
 うーむ。
 うーむ。
 美味しくも不味くもないです。ふつーです。
 確かに豆の風味はかなり生きてますが・・・元々豆は嫌いです。
 なんてこったい・・・。

 一番後悔したのは煮込み時間でも味でもなく、黒くはならなかった事。
 中身をつぶすと、色は小豆色になってしまうんですね・・・。
 おバカな私です。
 全部を裏ごししてやろうと思ったんですが、すぐに挫折しました。(笑)
 実にまぁ、中途半端なつぶあん状態です。ぎゃははははは。
 なんだか笑える食感です。
 こ、これだけコストがかかる水羊羹では、最早二度と作ることはないでしょうね。大体、黒くならないってことが頭にきます。やはり特売の小豆をかんてんで固めるのが一番です。コストも味も手間も。
 かんてんでお腹の中も奇麗になるし。
 サウナでフラダンスを踊らなくても大丈夫です。

 他にも固めてみようと、ケーキ用ココナッツを牛乳で煮込み、ココナッツはこした後、牛乳にかんてんを入れて固めてみました。
 ココナッツかん、ですねん。
 一口食べて「まっず〜〜〜」という感じでしたので、きちんと捨ててやりました。ゼイゼイハァハァ・・・。
 食べ物を無駄にしないためにも、以後は安易に固めないよう頑張ります。

 じゃ。







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2002年07月26日(金) 100ギガか100メガか。


 アップルパワーアップキャンペーンとかで、G4を買ってしまった奴には80Gのベアドライブがおまけでついて来るそうで。
 今週頭にやっと来やがりました。
 ありがとうっ。多謝多謝。ぺこぺこ>アップル
 内蔵140Gです。
 かなりごいすーな世界です。
 夢のように広大な、スペインの廣野に雨が降るくらいな(<うろ覚え。正解求む)内蔵ハードディスクの容量です。
 ビスが「付いてます」と書いてあるのに付いてなかったり、マニュアルに書かれている「内蔵ハードディスク用ラックの外し方」の図解が、実際とは全く違っていたことくらい、この際忘れられるくらい広大な容量です。(危うく壊すとこだったぜ・・・)
 昔・・・4Gを内蔵したマシンを買った時「こりゃあ一生使えるな」と思ったくらいですから。
 そしてまたさらに、えらいこっちゃっ、と感じたのは。
 MOやらCDにバックアップしてあるデータを、全部DVD-Rにまとめて書き出そうと思い、ハードディスクにコピーし始めたはいいんですが。 
 100G埋まってもまだ未コピーのメディアが・・・。
 なんてこったい。
 一体何のデータがこんなに・・・。
 や、、、ひ・み・つです。
 ともあれ、過去数年分のデータがDVD-R、30枚弱に収まるのはすごいなぁと実感している次第です。

 私がネットの世界に足を踏み入れたのが・・・確か89年か90年くらいだったんですが、当時は「パソコン通信」という国内だけの営利な世界でした。
 NIFTY-SERVEです。今もあります。
 まぁ・・・色んな伝説が巷間伝えられてますが、目の前でそれらを経験出来たことは、何にもまして素晴らしい事だったなと思っています。 
 カプラーなんてものを電話にくっつけて、300bpsという通信スピードの頃には手を出してませんで、モデムというものが出来た頃に入会しました。
 当時のスピードは1200bps。(今は最低でも56000ですよね)
 チャットが少しもたつくくらいのスピードですね。
 ニフティには「フォーラム」と呼ばれる・・・今で言うサイトがあり、その中に10個前後の細かいテーマ別会議室があります。
 やりとりされるのは全て「文字」だけです。
 論客というにはほど遠い私でしたが、末席を時々汚したりもしました。
 チャットには常駐してましたけど・・・。
 当時のログはフロッピーディスクに落としていました。
 そうです、1メガのあのフロッピーですね。
 伝説の会議室ログが100メガほどあったでしょうか。
 当時私はワープロで通信をしていました。
 ネットの世界もグローバル化が進み、インターネットなどというものがポピュラーになるにつれ、そこここで沸騰していたギロンも平坦化というか陳腐化というか収束というか・・・。
 要するに、あまり面白いものではなくなっていきました。
 丁度その頃にパソコンに移行したんですが、1、2年したある日、ワープロのログをバックアップしようと思い立ちまして、フロッピーを読もうとしたんですが・・・。
 何故か?全てのフロッピーがエラーを起こして読めなくなっていたんですね。
 まぁ・・・覆水盆に返らず。
 たった100メガのデータですけど、今ある100ギガのデータより貴重だった気がします。
 迂闊にもパソコンを池の中に落としてしまったとして、中から神様が出てきて「お前が落としたのはこの100メガか?それともこの100ギガか?」と聞かれたら、絶対100メガの方を取ります。(笑)(すいません、オチを考えるのを忘れました)

 ついこの間、中でも過激な部類に入る論客さんをネット某所で見かけました。「をを、今もまだ元気に闘ってらっしゃるのね」と感動したんですが。ふと気がついたのは、私にはもうギロンなどするパワーが無いんだなってこと。
 生活に疲れたオヤジに成り果てたようです。ひゃっひゃっひゃ。
 さ、明日も頑張って働きます。







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2002年07月24日(水) たまにはフツーな日記でも。


 たまにはといっても、あまり数も書いてないですねん。
 しかし暑いです。
 暑さのあまり夏風邪をひいてしまいました。
 心も体もすぐれないので、ふと壺羊羹を作ってしまいました。
 んー、要するに水羊羹なんですが、壺みたいなガラス瓶で作るので壺羊羹と呼んでます。でへへ。
 石垣島特産「純黒糖」などというものを貰ってしまったのも理由の一つで、さすが純黒糖、そりゃもうバカウマです。
 やはり粉小豆を煮戻す?時にはシナモンは必需品ですね。
 今回は杏露酒などもたらしてみたり。

 そうそう、頂きものといえば。
 夏野菜を山のように頂きました。感謝感謝です。
 トマト、ナス、ニンジンです。
 野菜の姿形が奇麗さっぱり消えてしまうまで8時間ほど煮込み、ひき肉やらタマネギやらも加えて夏野菜のカレーにしてしまいました。
 でかい鍋一杯に出来てしまいましたから、半分以上を冷凍して保存。
 ぐうたらしたい週末にでも解凍して食べますです。はい。

 デジタルカメラマガジンという月刊誌があります。
 そこに田中長徳御大の連載があるんですけど。
 長徳センセイ、今月号でも面白いことを書いてますね。
 街頭テレビ華やかなりし頃の「プロレスラーやボクシング選手にしていた応援」と、先だっての「W杯日本代表への応援」を、銀塩カメラとデジタルカメラの違いと同じだと感じてらっしゃるようです。
 詳細は雑誌を読んでいただくとして。(2pの短いものです)
 私自身最近のカメラのデジタル化の勢いには恐ろしささえ感じてます。
 私のような市井のおっぺけぺーな人間が600万画素のデジタルカメラを駆使?して、最早写真にしか見えないプリントをこさえてるわけです。
 私はぎりぎり鉱石ラジオを作った世代ですから、デジカメのその集積の密度たるや、夢の世界です。
 ある高名なお方が言ってましたね。
 「充分に発達したテクノロジーは、それを知らない人間から見れば魔法に見える」
 私にも最新のデジカメは魔法にしか見えません。(笑)
 いつかはハッセル・・・それは今でも変わってませんし、もう後戻りは出来もしなければする気もありません。
 ただ、ふと思い出すのは、我が心のお師匠様である開高健が言っていた「我々はお湯を流すのと一緒に子供も流してしまった」という一行です。
 仕組みさえ理解出来ない道具が氾濫する時代、デジタルデバイドもこれから大きな問題になっていくでしょう、何が本当で何が嘘なのか、そうしたことが全く見えない時代、そんな時代だからこそ変わらないものをしっかり心に刻んでいきたいものです。

 ビネツにうなされるフクザツなオヤジゴコロでした。







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2002年07月23日(火) オヤジたちの熱い水泳部。ーーーイスカンダル上陸編ーーー


 様々なフェチを秘めていた3バカトリオでしたが、共通して惚れ込んでいたアイテムがありました。
 ある日、路上にサイフが落ちているのを3人で見つけました。ちゃんとちゃんと交番に届けてしっかり半年間待った後、我々が買ったものは。
 ゴムボートです。

 何故そこまでゴムボートが欲しかったのか。
 我々は藤前干潟で有名な川の、河口付近でいつも遊んでいました。
 満潮時には川は見事に「逆に」流れます。
 いつもその川で釣りをしていたのですが、あまり釣りにも熱心ではないKが、川の流れを眺めているうちに、ふと何やら思いついたようです。
 「川の流れに乗って海まで流れて、満潮の流れに乗って戻ってこれねえかな」
 さすが世界同時革命を夢見ていた男は、言うことが違います。
 私もYもその構想に同時感染してしまいました。
 情熱も気合いも根性もありますから、あとは乗り物だけです。
 最初はドラム缶で筏を作ってしまおうかとも考えていたのですが、どうやって運ぶのかを考えると、それはやはり無理な相談でした。
 3人の夢は次第にゴムボートに傾いていきます。
 スパイ映画で見たゾディアックみたいなカッコイイやつに憧れてました。
 結局、拾ったお金で買えたゴムボートは、2人乗りの小さなものでしたが。

 私たちがいつも遊んでいる橋から河口までは4キロ。
 果たして無事に帰ってこられるのか・・・。
 結局は・・・「コンティキ号漂流記作戦」は決行されませんでした。
 すこーしだけ根性が足りなかったようです。
 それほど大きくはない川とはいえ、我々のゴムボートを浮かべてみると、それはあまりにも小さく頼りなげでした。
 4キロを下って戻ってくる乗り物にしては、あまりにもダサかったんです。

 しかーし、そんなことにくじける3人ではありません。
 代わりに考えたのが「パンチDEデート作戦」です。
 お気に入りの女の子を「川でボートに乗らない?」と誘うわけです。
 2人乗りですからね。ええ。
 可愛い女の子を目の前に、オールをこぐ手にも力が入るってもんです。
 とある橋のたもとから、1キロ程川下にある公園までの遊覧コースを設定してました。ただ・・・やはり小さなゴムボートで大自然に挑むのは、女の子には怖すぎたようで。
 「こ、これに乗るの?」と乗船そのものを拒否した子、乗ったはいいけどあまりの不安定さと川に流される恐怖に泣き出す子。
 結果は惨憺たるものでしたが・・・。

 ま、それはさておき。
 河口付近ですから、当然中洲というものが存在します。
 満潮時でも水没しない、サッカー場くらいの大きな中洲もありました。
 ゴムボートでしか渡れない場所ですから、思いつくことは一緒です。
 2mを越える葦が生い茂る中洲に、我々は秘密基地を作ったんです。(笑)
 ミステリーサークルのように葦を倒して丸い広場を作り、段ボールで差し掛け小屋を作っただけですけどね。
 我々はそこを「イスカンダル」と命名しました。

 休みの日にそこで昼寝をすることが、3人の無上の喜びとなりました。
 コンロで固形燃料を燃やして作ったインスタントラーメンは、いつもバカうまでした。
 釣りもしますから、魚もあったんですが・・・。
 私もKも「そんなもの食えるわけが無い」と一蹴してたんですが、Yだけは「焼いて食う」ことに執着してました。
 「なぁ、焼いて食おうぜ」
 「そんなの食ったら水俣病になるに決まってるだろ」(をいをい・・・)
 「よく焼けば大丈夫だってー」
 「ばーかばーかばーか」
 「ばーかばーかばーか」

 火を使う時は葦原に火が移らないよう、土が露出しているエリアでしていたんですが、Yがライターで大きなボラを焼いている(いじめている?)のを見てかなり哀れになり、仕方ないので焼いてあげました・・・。
 「食え」
 恐る恐る焼き魚を口に運んだYでしたが・・・。
 「まっずー、なんか変な匂いがするぞ、これ」
 「ばーかばーかばーか」
 「ばーかばーかばーか」

 以来、Yは魚を焼くことは、すっかり忘れたようです。
 居酒屋でも、彼が焼き魚を頼む所を見たことがありません・・・。

 かなり荒っぽい使い方をしてたせいで、我々のゴムボート1号は、我々の情熱が冷めるとともに朽ち果てていきました。
 そして、台風でイスカンダルが流されるとともに、我々のゴムボート遊びは終わりました。
 ゴムボートは3号まで続くんですが・・・。
 それは叉別の機会にでも。

 次回は、中学生だった3年間にわたって行われていた、ちょっとホラーな「クリスマスパーティ」をお送りします。







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2002年07月22日(月) オヤジたちの熱い水泳部。ーーー机渡り編ーーー


 暑いっすね。
 とうとう梅雨明けだそうで。
 夏本番です。日曜日だというのに外は灼熱ヂゴクです。
 こそこそ書いていた私小説のデータを、パソコンのシステム移行時にどこかに見失ってしまい、発見できなくてかなり凹んでいます。
 がお〜〜〜。(涙)


 水泳部といっても単なる中学校の部活ですから、有名私立校のように屋内プールがあるわけでなし、当然冬場は陸上トレーニングが主となります。
 腹筋やら腕立て伏せやら、学校の周りをひたすら走るといった地味〜なことばかりの暮らしになるわけです。

 そんな暮らしに3人が我慢出来るはずもなく。
 今日も今日とて3人の悪巧みは続きます。
 私はランニングというものを嫌悪しておりまして、その戦いは小学校から高校まで続くわけですが・・・。
 部活の練習なんてどこも一緒で、柔軟体操をしてから走り出すわけです。
 ただ、その日はいつもと違いました。
 走り出して暫くすると、昔はトリだったYが、お腹を押さえてうずくまってしまったんです。
 「うお〜、腹が痛ぇ〜〜」
 すかさず私が介抱します。
 「大丈夫かっ、をを、これは大変だっ、保健室に行かねばっ」
 クサイ芝居ですが、そのままヒミツの隠れ家に直行します。
 ええ、そうやってしばしばランニングはさぼってました・・・。
 フォーメーションBといいます。

 冬のプールは水を半分だけ抜いて、そのまま放置してあります。
 我々は近くの川で釣りをするのが好きで「釣りの上手な少年たち」ということで地元の新聞に掲載されたこともあります。
 休みの夕方に釣りに行き、クーラーに水を張って生かしておいたフナやコイを、家に帰る途中、プールの塀越しにプールに投げ込みます。
 ホッチキスで色紙のタグをヒレに打ち付け、名前をつけて飼ってました。

 ある朝のこと・・・。
 「ゆうべ俺の山田が死んだらしい」
 「えっ、俺の幸子は大丈夫なのか?」
 「いや、朝練をしてたテニス部の奴に、緑のヒレのフナが浮いてたって聞いただけだ。でも、昨日の夕方、Kが幸子に新開発のモリを打ち込もうとしてたけどな」
 「あの野郎、俺の幸子を不幸にしやがったら、ぶっ殺してやる。あいつの『赤い旅団』(魚の名前です・・・)も生かしちゃおかねえっ」
 私の話を聞いたYは、Kの教室にすっとんで行きました・・・。
 どうやら私の『山田』は、Kの最新の武器の試射の犠牲になったようで。
 あまり腹が立たなかったのは、何故かプールに放流した魚たちは、一週間と持たずに死んでしまうんですね。「最長育成記録」を目指して3人とも頑張っていたのですが。濾過の機械は止まってますから塩素は抜けているはずで、ただの水道水のハズなんですが、今も原因はわかりません。

 すいません、おバカで。よい子は生き物で遊んではいけません。

 さ。気を取り直して本題の「机渡り」です。
 私が中学生の頃は、まだ木の机を使っていました。二人で使用する大きくて重い木の机です。
 それがたまたまプールサイドに置いてあったんですね。
 やたら寒い真冬のある日、堂々とサボリを決めこんでプールサイドで3人でダベってました。
 コンクリートが冷たくて机の上に寝ていた私は、ふと面白いことを思いついちゃったんです。
 プールの水は半分抜いてありますから、その机を沈めると、浅い所で5センチ程が水面に出るくらいです。大きな木の机ですから、浮力も大きく、少し気を抜くとひっくり返りそうになります。

 そーです・・・「稲葉の白兎」です。
 机に乗ってプールを向こう側まで渡ろうと思いついちゃったんです。
 ただ、机は一個ですから、それを長手方向にぐるんと回しながら、その上を歩いて移動します。
 プールサイドから進行方向に向けてまっすぐ机を放り込み、その上に乗ります。
 進行方向の端に乗り、反対側を体重移動で持ち上げます。
 机が立ち上がりそうになったら、素早くその「上」に移動します。
 そして、進行方向に倒しながら、叉素早く、今度は机の脚の部分に移動します。この「脚」への移動が一番難しい瞬間です。
 早く倒すと返し波でバランスが崩れますから、動作は常にゆっくりとしなければいけません。

 「そんなこと出来るわけねえよぉ・・・」Yはいつものように緊張ではばたいています。
 「ふーん、好きにすれば?」ニヒルな(<当時の言葉)Kは、いつものように興味の無いふり。

 「行くぜ・・・」

 30歳に手が届きそうになる頃、KやYと酒を飲んでダベっていたある夜、二人に言われました。
 「お前があの薄ら笑いを浮かべてコトを始める時は、マジで怖かったぜ。ああ、いつかこいつはこうやって死ぬんだなって思ったな。でもよ、死ぬ瞬間はちゃんと俺の前でやってくれって思ってたな。だってよ、そんな面白いものを見逃したくなかったしよ」と相変わらずスケベなY。
 「大体お前が18を過ぎて生きてるのがおかしい。お前は『不幸』っていう名前の橋の下で、下半身丸出しにして死ぬはずだったんだ。もうすぐ30ってお前、それは生き恥だぞ?」
 貴様の言葉は、ありがたくて涙が出るぜ。
 ま。机渡りで失敗しても真冬のプールに落ちるだけですけど、長じるにつれて命がけのバカを繰り返していくことになります。その最初の「ワクワク感」がこの机渡りだった気がします。

 勿論、見事に25m渡り切りましたよ。
 足を少し濡らしただけです。
 「俺もやるっ」と、まずはYが挑戦。
 最初の縦が乗り切れず、見事に轟沈。
 「けっ、お前はほんとにアホだな、こうやってやるんだ。見てろ。机をこっちに押せ」と、Kも挑戦しましたが、元々体力の無い奴ですから、2回転目で轟沈しました。

 Yが「F〜〜〜F〜〜〜」と、いつもの哀れな声を出して、冷たい水の中から私の方を見ています。KもFのマネをして、私を誘います・・・。
 「卑怯だぞぉぉぉ、お前だけなんで上にいるんだぁぁぁ」
 そんな目で俺を見るなよ・・・。
 「わかったよ、行きゃいいんだろ・・・」
 ジャージのまま頭から冷たい水に飛び込みましたよ。
 暫く泳いだり、お机様を投げあったり。いや、投げられるのは私だけでしたけど。
 3人で大笑いしながらヤケクソになって叫びました。
 「バンザーイ、バンザーイ」

 ランニングを終えた部員たちが、三々五々プールサイドに帰ってきました。
 吉川くんが冷たい視線をこちらに向けてました・・・。
 何を思ったのか・・・Sが机渡りもせずにいきなり飛び込み、バンザイに加わったのは何か訳でもあるのでしょうか・・・。
 新しい遊びじゃないって。

 アホ以外皆風邪をひきました。
 Kの親に説教されました・・・。
 Sの姉ちゃんにひっぱたかれました・・・。

 まだまだ続きそう・・・。







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2002年07月21日(日) オヤジたちの熱い水泳部。ーーーロックアウト編ーーー


 本格的な思い出話を少々・・・。
 私が通っていた中学校は、名古屋でも1,2位を争うマンモス校でした。
 その中でも特に目立っていたらしい?のが我々3バカトリオでした。
 「愛こそ全て。いつか芥川賞を取ってやる」がスローガンの「責任者」と呼ばれていた私ことF。
 「いつか必ずハーレムを作ってやる」と女体以外には全く興味の無いY。
 「革命だ、革命」と当時からかなり危険だったK。
 そんな3人が水泳部で出会ってしまったわけです。

 ビキニの海パンにバスタオルのマントを付けて、校内の様々なクラブ活動に従事していました。(泳げよ・・・)
 あるときは卓球部。あるときは陸上部。演劇部なんてのもありましたね。
 日頃「水浴びクラブ」と小馬鹿にされていた野球部とは仲が悪かったです。
 男子は丸刈りと黒ソックスが義務というアナクロニズムを抱えた学校でしたけど、部活は生徒の自主性にまかされていたようです。
 時々見回りにくる先生の目を逃れ、海パントリオが今日も行くってなもんです。部活に参加させて頂いたお礼に3人で踊る「カモメの水兵さん」は結構好評だったのではないかと・・・。

 私とKはそれなりの注意を払って遊んでましたし、ええ、逃げ足だけは早いです。Yという男、こやつは女体以外には何も興味が無いので、注意が散漫というか、女子部員を見つめ過ぎというか、いつも逃げ遅れます。
 先生に捕まっては「F〜〜〜」と悲しげに私の名前を叫ぶわけです。フェードアウトしていくアホの叫び声を遠くに聞きながら、二人ですたこらさっさと逃げます。一緒では危険なので、バラバラに逃げ、逃げおおせたあとで落ち合います。
 んで暫くすると「責任者、ちょっと来〜い」と校内放送が入りますから、隠れ家でタコヤキを食べながらまったりしてるにも関わらず、仕方なしに身柄を受け取りにいきます。
 「もっとしっかり面倒見んか」と「私が」一発殴られて終わりです。

 サッカー部で活躍してた頃・・・このアホのYがいつものように猥談をバックス(今でいうディフェンダー)としていたせいで、1点を相手に献上してしまいました。タコヤキ&ジュースがかかってますので、取りあえず蹴りを入れてからお説教をかまします・・・。
 「もっとしっかりカバーしろよっ」
 Yは昔、トリだったようで、くるっくーと鳩が豆鉄砲くらったような顔をして悩んだあげく・・・。
 「かば〜〜〜かば〜〜〜」とトリがはばたくように舞い始めました。
 サッカー部員まで踊るなよ・・・。しかも流行るなよ・・・。
 この時のことがトラウマになったのか、奴はいまでも時々小さくはばたいてホバリングします。
 あのな、いくらはばたいても人間は飛べないんだってば。
 勝負は? 私たちの笑わせ勝ちでした。

 校内最大の私と、校内最小のKとは、何故かいつも喧嘩ばかりしていましたけど、遊ぶ時はいつも一緒で、私は彼をいつも肩に乗せて走ったり泳いだりしてましたね。
 力でねじふせる私のやりかたに対抗して「目玉潰すのに力は要らねえんだよ」と小さな体でぼそっとつぶやく、そんな奴でした。何度か本気で殺されそうになりましたので、こやつにはかなり護身に関する心得みたいなものを学ばせてもらいました。(笑)

 中3になった時、当然最年長の中から部長が選ばれるわけですけど(勿論水泳部の)民主的な方法をということで選挙が行われました。
 通常、最速の部員が部長をするのが通例なんですが、私(<当時は名古屋市でベスト10に入ってました・・・)はハナからする気など無かったし、Fに部を任せるととても危険だ!ということで投票になったんですが・・・。
 私は勿論、どいつが部長だと一番遊べるかということだけ考えて投票しました。
 アホのYがしっかり立候補してましたけど・・・。
 「私が部長になった暁には、女子は全員トップレスで泳がせます」って、おい・・・男子部員も投票してないじゃん。(笑)
 「ばーかばーかばーか(延々とリフレイン)」というKの言葉責めをくらったのはいうまでもありません。

 ということで選ばれた部長、名前と名字がほとんど同じ音だったせいで「キャンディキャンディ」というあだ名の奴です。
 副部長にはもっこりで目立っていた「ニイタカヤマノボレ」もしくは「スカンジナビア半島」というあだ名の男子部員。
 女子部長にはいつも私に「Fくん、もっと真面目に云々・・」と、いつも私に説教をしてくれてた女子部員。あだ名は当然「吉川くん」
 いや、別に私は太陽に向かって走ったりはしないタイプなんですけど。

 5月の最終日曜日がプール開きです。
 プールでの練習が始まったある日、キャンディキャンディが青スジを立てて私たちに説教ぶっこくんです。
 去年までは「ハック」という私よりでかくて速い、先生ですら従ってしまいそうな威厳を持った1コ上の部長がいましたので、私たちが悪さをするたびに「お前ら、草むしり行ってこい」と、学校周辺の草むしりを罰としてさせられていました。
 「むかし〜むかし〜草むしり〜助けた亀と草むしり〜 竜宮城で草むしり〜絵にも描けない草むしり〜」と歌いながら草むしりをしたものです。
 ところがどっこいしょ。
 威厳も何もないキャンディキャンディでは、我々だけでなく、誰も何も聞いちゃあいません。
 まぁ・・・色々ありまして・・・(校閲削除)
 そして、とうとうブチ切れたキャンディキャンディは「お前ら3人全員退部」という決定を下したわけです。
 「ああ、やめてやるよ!こんな部活」と、見得を切ったYでしたけど、私とKに「よし、やめろやめろ」と声を揃えて言われたせいか「やめるもんかっ!」と開き直るという一幕も。泣くなよ・・・冗談だろ・・・。(ダチョウ倶楽部の上島竜平を見ると、いつもこのシーンを思い出します)
 プールサイドでの話し合いでしたけど、私には閃くものがありました。
 「少し考える時間をくれ」と、二人を連れて部室に入りました。
 最近3バカトリオに付いて回ってる、Sという1年生も付いてきちゃったんですが・・・。「尊敬してます」って目をキラキラさせて言わないでくれ・・・巨乳の姉ちゃんに「うちの弟をバカな道に引きずり込まないでくれる?」って叱られるんだぞ・・・。

 そーなんです。
 内側から鍵をかけて部室に立てこもったんです。(笑)
 暫くしても出てこない我々をいぶかしんで、部員達が部室前に集まり始めました。
 目の前にいるんですが、ハンディメガホンで叫びました。
 「我々わぁ〜〜〜我々のぉ〜〜〜退部の取り消しとぉ〜〜〜部長の解任を要求するぅ〜〜〜我々わぁ〜〜〜要求が貫徹されるまでぇ〜〜〜ここを封鎖するぅ〜〜〜以上!」
 Yは緊張のあまりはばたいています。
 Kは「これがロックアウトかぁ、安田講堂を思いだすよなぁ、ちきしょー火炎瓶持って来りゃ良かった」とか言ってますけど・・・思い出すなよ・・・。
 んなもの投げるなよ・・・放水は無いから安心しろって。
 奴等の着替えは「ここ」にあるんだから。
 まだ肌寒い6月の頭、私たちは男子部員の着替えを人質に、立てこもったわけです。
 ったく・・・テレビ世代のガキは怖い・・・。

 最初はまぁ、文字通りごく当たり前の説得がありました。
 吉川くんもドラマ通りの説教をくれましたし。
 中には面白い奴もいて「君たちのご両親は泣いているぞ」とか叫んでるのもいましたけど。
 当たり前の話なんですが、それで退部が取り消しになるとか、部長が解任されるとかは全く考えていませんでした。
 いつもの冗談のつもりだったんです。
 ま、最後に一花ってやつですね。

 先生が来て一件落着というオチだと考えていましたし、私も先生を前に立てこもりを続ける気はありませんでした。
 ところが。
 当時の顧問はやたらさばけた人で、生徒同士のもめ事には介入しないポリシーな人だったんです。
 女子部員が泣きながら呼びにいっても「自分たちで解決しろ」とだけ言って、取りあわなかったそうで。

 鉄の扉越しに、説得と拒否が続けられました。
 そろそろ飽きてきたんで、早く先生来ないかなぁなんて考えてた頃、吉川くんがキャンディキャンディ&ニイタカヤマノボレを説得したらしく、最後の説得に来ました。
 「部長は解任しないけど、あなたたちの退部は取り消すわ」
 日も暮れて薄暗い中での決定でした。
 もうかれこれ3時間は立てこもってたでしょうか・・・。
 ふと後ろを見ると。
 YがSに「女はいいぞぉ〜〜」と猥談の真っ最中。(だからぁ、俺があんたの胸を揉めってSに言ったんじゃないって・・・>姉ちゃん)
 Kはずっと「放水しろよ、てめえらそれでも男か。官憲を呼んでこい。機動隊呼んでこい。鉄球なんか怖くないぞっ」とわめいていました・・・。
 呼ぶなよ・・・。
 Yが私を見て「なぁ、そろそろタコヤキ食いにいかねえか?」と一言漏らしたのをきっかけに、私は彼らの決定を受け入れることにしました。

 「我々わぁ〜〜〜その回答を受け入れるぅ〜〜〜」

 部員たちから歓声が上がりました。
 ええと・・・部長・・・泣くなよ・・・。
 俺が悪かったって・・・。
 明日からちゃんと練習するからさ。

 Kはなおもわめき続けてました。
 「この根性無しどもめっ、放水するのが世の理ってもんだろっ」
 ヨノコトワリって、食ったらうまいものか?
 タコヤキよりうまいのか?
 チェリオよりうまいのか?

 Sよ・・・その誇らしげな態度はやめたまえ・・・。
 見てる俺が恥ずかしいじゃないか。
 ええ、姉ちゃんからは以後シカトされ続けました。(笑)

 とっくに着替えて帰るばかりの身支度だった私たちは、海パンいっちょで締め出された部員達に別れを告げて、タコヤキ屋に向かいました。
 何故か・・・誰も私たちを責めなかったのが今でも不思議です。

 次の日。
 水泳部の顧問の先生に、練習前に4人で呼びだされました。
 「あまりキャンデイキャンディやニイタカヤマノボレを苛めるなよ」
 そう一言だけ言われ、私が代表で一発だけ強烈なビンタをくらいました。
 その日は日が暮れるまで、校庭の草むしりでした。
 俺が殴られた瞬間、お前が悲鳴を上げて転んでどうする?>Y

 ああ・・・なんだか色々思い出しちゃった。
 続けよっと。

 次回は冬の水泳部の遊び「机渡り」をお送りいたします。
 この日記は全て実話です。マジで。







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2002年07月20日(土) オヤジたちの熱い海。ーーーすもぐりゃんど建設が夢編ーーー


 人は昔々〜鳥だったのかもしれないね〜
 こんなにもこんなにも空が恋しい〜♪。

 違います。
 ヒトは昔魚だったんです。
 ホモ・デルフィナス(イルカ人間)を目指したフリーダイビングの第一人者、ジャック・マイヨール氏の冥福を祈ります。合掌。

 ということで年がら年中海が恋しいオヤジです。
 我々は自分たちのことを、素潜り+erで、すもぐりゃーと呼んでいます。
 そう、素潜り+islandで、すもぐりゃんどですね。
 いつかさだまさしみたいに小島でも買って、素潜りが好きな人たちのための聖地を作りたい。
 それがすもぐりゃんど構想です。

 フリーダイビングは「ヒトは体一つでどこまで潜れるのか?」を競うスポーツです。ジャック・マイヨールはヒトとして初めて100mの深海まで到達しました。水深100mでは、上下左右どこを見ても青一色になるんだそうで。
 明るさも何故か上下左右同じくらいなので、上下左右の感覚が消えます。
 その状態を表した言葉「グランブルー」というのは、同名の映画にもなりましたね。
 素潜りをしてても、水深10mを越えたあたりから上下左右の感覚は消え始めます。
 勿論、競技には最早体がついていけませんので、普段からそんな深海に潜ることはほとんどありません。
 すもぐりゃーはお遊び人です。海と海の生き物とたわむれるお遊び。
 大体・・・8mを越えたあたりで写真が奇麗に撮れなくなります。
 それより深いと大きなストロボが必要になります。
 ですから、最近では潜っても10m以上いくことはほとんどありません。
 10mあたりでふと上を見ると、ものすごく怖いです。(笑)
 「う、うそ・・・」っていうくらい水面が遠いですから。
 なるべく上は見ないように潜るのがコツだったりします。
 若い頃は20mくらいまではなんとか潜れました・・・。
 「暗いよ怖いよ狭いよ」の世界です。
 100mまでいったら、確実にちびります。
 ま、いくときは帰ってこない時なんで、恥ずかしくはないですけど。

 昔はウニやアワビをたらふく食ってました。
 今はそんなこと、興味もないです。
 最近はアワビさんを見かけないんですけど、何処へ・・・。
 環境保護? 基本的にそんな概念はオヤジにはありません。
 ゴミは持ち帰りますけど、それは環境保護以前にヒトとしてのマナーの問題ですね。

 スキューバダイバーさんによく言われます。
 「魚を上から見ても面白くないよ、横から見ないと」
 いえいえ、少しだけ気合いと根性が必要ですけど(笑)ちゃーんとお魚は横から見られますよ。
 一番の違いは、ふぉっふぉっふぉ。
 スキューバは30分でおしまいですけど、スキンは体力の続くかぎり海の中にいられます。
 若い頃は大きなゴムボートに飲み物や食べ物を置いて、8時間くらい入っていたことがあります。今思うと無謀の一言です。
 口の中の塩辛さをぬぐうためにも、あんパンとミルクティーは必需品です。
 海上がりのコーヒーは不味いので・・・。
 あとは奇麗な海が必要なだけです。
 海が豊饒なら三点セットで充分です。
 ただ・・・Tシャツは着てた方が日焼け防止にグッドです。
 友人夫妻はビキニのみで海に入りますけど・・・。
 南紀には水中生物最強の毒を持つというイモガイや、オニダルマオコゼもいますから、グローブもあれば最早完璧です。
 いや・・・基本的に生き物に触らないのが一番ですけど。

 友人のカノジョさんは、ボラを見ると水中でけたたましく笑います。
 水の中では簡単にヒトを見失いますので、場所がわかっていいんですが。
 「こっち見てボケ倒してるもん」とか言ってますけど・・・。
 どうやら彼女にはボラがお笑い芸人に見えるらしいです。
 ウニはぐねぐねと、あのトゲトゲを動かしてるんですよ。
 ハコフグはヒトに見つかると、目を見開いて硬直します。
 暫くして「はっ」と気がついてトコトコ逃げます。
 ドクウツボさんはいつ会っても怖いです。
 歌舞伎役者みたいに見得を切るのはやめて下さい。
 ツノダシやカゴカキダイは、いつ見ても誰かが塗ったような色です。
 キンギョハナダイは実に優雅に水中を舞っています。
 イシガキフグ?の背中の模様が人の顔に見えるからって、シビトフグって呼ぶのはいかがなものかと・・・>友人
 確かに、海藻の間に顔が揺れていると、息をするのを忘れますけど。
 アカハタを共産党と呼ぶのはアリということで。

 海に潜るなら息を止めなきゃ潜れない〜
 息を止めるのが嫌なら海には潜れない〜♪

 一世風靡セピア(誰それ?って突っ込まない・・・)の歌ですね。
 あの頃のギバちゃんは若かった・・・。
 私も・・・。

 さ。そういうことで皆さんもすもぐりゃーになってみませんか?
 海水浴場脇の岩場が僕らのステージです。
 海水浴場なら、帰りはシャワー浴びてすっきりね。
 数十万もする機材は必要ありません。
 近所のスーパーのワゴンに積み上げられている三点セットで充分です。
 海の中の景色も、生き物も、面白いよっ!

 今夜はまったりモードでお送りしました。






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2002年07月19日(金) オヤジたちの熱い海。ーーーすもぐりゃー誕生編ーーー


 ええと、オヤジですが海が好きです。
 ついでに言うとバツイチ独身ですけど海が好きです。

 とある蒸し暑い夏の夜、ふらふらと遊びに行っていた友人宅で、いきなりその一族に拉致され、船でしか渡れない南の島の大自然にいきなり放り込まれて以来、海の虜になりました。
 あれは19の夏でした・・・。(遠い目)

 上は還暦を過ぎたお婆ちゃんから、下は三才の幼稚園前の子供まで、車数台を連ねての「キャンプ」です。
 深夜にこちらを出発し、夜明けに某漁港に到着。話をつけてある漁船に乗り込んで海上を30分ほど移動します。
 その時の荷物たるや・・・。
 一族で十数人の移動だったと思うんですが、多分、4トントラック一杯分くらいの「荷物」があったと思います。大きな漁船に総出で1時間近くは大汗をかいて運んだでしょうか。
 現地の砂浜にはその大きな漁船では水深が浅くて接岸出来ませんから、船外機付きの小舟で何度も荷物を運びました・・・。
 正直、あまりの荷物の多さに「一体これは中に何が入っているのだろう・・・」と悩んだものです。
 その参加が決まった夜「一緒に来るならまず仕事してもらおうか。トラックのホロを洗っておけや」ということで、10トントラックの上にかぶさるあの「幌」を若者だけで洗いました。
 それが何に使われるのかは「行けばわかる」とだけ言われて。

 現地の砂浜に到着したら、まずはテントの設営です。
 そ〜〜なんです。
 あのホロはメインダイニングとなるテントなわけです。
 骨組みは?
 ええ・・・その砂浜は崖を背にしてるんですが・・・その崖から何本か大きな木を伐りだしてきて骨組みにするんですね。
 若者(当時は私も若者)とオヤジたちで、今思えばかなり危険な「伐りだし」をやりました。(笑)
 子供たちは「土のう」に砂を詰めています・・・。意味はわかりますね?
 その幌は崖の二点に固定されたロープを経て、先程伐りだした三本の大木で海側を支えます。大木は子供たちが詰めた土のう数十個で固定されています。
 なんとっ、到着2時間で天井が3mもある、10トントラックの荷台のスペースと同じオープンテントの出来上がりです。すごすぎ・・・。
 すこしはキャンプ用品とかいうものを使ったら如何でしょう・・・。

 女たちによって、そのテントの下に「家庭」が再現されていました。
 ええと・・・どうして畳があるんでしょう?(笑)
 「わしゃあ、畳じゃないと眠れないからなぁ」という方2名。
 そ、そのちゃぶ台はゆうべまで友人宅にあったものでは・・・。
 あう! そ、そのテレビは何ですかっ。
 アンテナ持って崖を上がれって、何言ってんですかっ。
 ええ・・・上がりましたよ・・・。
 「水戸黄門を見ないと眠れない」方が一名いらっしゃいましたので。
 鍋も釜も、全て日常使っているそのままをそっくり移動してきたわけですね。
 「はい、Fちゃんはこれね」とか言われて、ちゃんとした塗りの箸を渡されました。ええと、割りばしで充分なんですけど?
 ここまで来て瀬戸物の茶碗使いますかっ!
 移動中、割れたらどうするんですかっ。
 大体・・・重いじゃないですかっ。
 発電機で炊飯ジャーでご飯て、すごすぎです・・・。
 プロパンのボンベは見えてましたから・・・説明は聞きたくないです。

 なんとかテントを設営して腹ごしらえをした後「よし、自由時間」というキャンプリーダーの「御言葉」によって、若者たちは海の中に消えていきました。
 をいをい・・・消えるなよ・・・。
 こ、これでも水泳部ではオリンピックも夢じゃないと言われた男です。
 気合いと根性だけは・・・。
 「アムロ行きま〜〜〜す」と、私も海に消えようと思ったんですが。
 さすが大自然、ものすごーく怖いです。きゃはははは。
 今でも怖いです・・・。
 まさに「太平洋ひとりぼっち」状態。

 大きな漁船から小さな小舟に荷物を移動させて砂浜まで運んでいる最中、腰まで水につかって小舟を待っていると、水の透明度がものすごいことに気がつきました。
 ふと50mほど沖にいる漁船を見ると、完全に船底まで見えているんです。それどころか、光線の加減によっては、海底まで見えるんですね。
 その大きな漁船が、空中に浮いているように見えました。
 疲労ゆえの見間違いでもなんでもなく(笑)船は空と海の真ん中に浮いていたんです。
 あの光景だけは一生忘れられません。

 そんな海へ三点セット(マスク、フィン、シュノーケル)で砂浜から沖へ泳ぎだすと、遠浅の海底が、どこまでもくっきりと見えます。
 真っ白な砂浜が、どこまでもどこまでも広がっているように見えました。
 小学生が多かったと思うんですけど、ガキ軍団は砂浜左端の岩場に沿って、どんどん沖へと泳いでいきます。
 手にはモリを持って。
 男ですから、負けてられません。
 岩場の複雑な地形ですから、海流も叉複雑に流れます。
 岩がある場所は、水深も浅く1mから数m、でも、その岩場の向こう側には深さ20mはある海底が広がっているわけです。
 当時は深い方が安全だなんて知りもしませんから、吸い込まれそうな深場が怖くて、ついつい浅い岩場の中に入り込んでしまうんですね。
 そうです・・・波に押されて岩に体を何度もこすりました。
 その傷を見てメンバーのオヤジが一言。
 「素人はこれだからな」

 高所恐怖症の方は、透明度の高い海は危険です。
 ビル数階分の高みから海底を見下ろすわけですから・・・。
 まぁ・・・ちびっても大丈夫ですけど・・・。

 その海の豊饒なこと!
 私の手のひら二つ分くらいのワタリガニがあちこちの岩の下に居ます。
 ウニをモリでぐさぐさぐさっとつぶすと、小魚がわらわらと・・・。
 イソギンチャクが魚を食べているシーンを初めて見ました。
 タコって、あんな風に泳ぐんですね。
 当時は魚の名前なんて知りませんでしたけど、釣り師垂涎の魚が山のように居ました。絵の具をぶちまけたようなカラフルな魚の大群をあんな間近で見たのも初めてでした。
 
 夕方の宴会はご想像の通り、素晴らしいものでした。
 ええと・・・カラオケの装置を見ても、もうその頃には驚きませんでしたよ・・・。
 若者が海水浴?を楽しんでいる間に、沖に漁船で出ていたオヤジたちが釣ってきたボラ、カワハギ、アジ、サバ等の薄造りが、鍋一杯に入れられた氷の上に、出来たそばから投げ入れられます。その包丁さばき・・・一体何者?
 お寿司通の方ならご存知でしょうけど、旬?のボラは「鯛」だと言ってもわからないくらい美味しいです。

 でかいタコの姿焼き。子供たちが網の上から逃げないようにモリでつつきつつ「けけけ」とか笑いながら焼いてました・・・。
 をを、初めてキャンプらしいものを見た気がする「炭火焼き」ですけど、それも伐りだした木を豪快に燃やした、その熾火なんですね・・・。
 カニも小魚もみーんな焼かれてます。
 やたら大きな発泡スチロールの中には、氷と一緒にジュースやらビールやらが大量に・・・。海の家でも始めるんですか・・・。
 氷って、あの荷物の中に入っていたものですよね・・・。
 重いですよね・・・。
 いや、幸せなんでよしとしますか。

 私がこのしゃあない人生の中で出会った「旨いものベスト3」の一つが、ここで食べた「ボラのヘソの塩焼き」です。
 たまんないです。20年の歳月を越えて、今でもりあるにあの味が蘇ってきます。こりこりっとした食感に、淡泊だけれども「海の豊饒さ」を思わせるジューシーなお味でした・・・。

 酒の飲める男(当時はかなりイケました。年齢?時効です時効)だけで車座になって、鍋一杯の刺し身やら数々の焼き物で、その夜はやたら盛り上がったことはいうまでもありません。
 「Fちゃんがさぁ、やたらびびってんの〜」
 き、きさま、、、小学生が酒飲んで遥か年長の私をタメ口で肴にしていいと思ってるのかっ。
 酔ってない時も老若男女問わず、全員が全員にタメ口な一族でしたけど・・・。
 全員が全員を名前で呼ぶものだから、誰が誰の子供なのか親なのか、どういう従姉妹なのか、最後までさっぱりわかりませんでした。

 明け方、ごそごそと私の横でみそ汁を作り出すお婆ちゃん。
 マッチ一本で炭を熾すその手際は見事の一言。
 ええと、プロパンはどうしたんでしょう?
 「最近の嫁は姑よりも遅く起きられてええねえ」
 慌ててみそ汁作りに参加しだした若いお姉さんがきっと「嫁」なんでしょうけど・・・。
 ええと・・・、嫁いびりも、あの重い家財道具と一緒に運ばれてきたんですね・・・。

 つづかず。






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2002年07月13日(土) 「グリーン・マーズ」キム・スタンリー・ロビンスン著 2001年創元SF文庫

 暑いです。
 カメラの返品交換&今まで使っていたパワーブックの売り飛ばしに行ってきました・・・。テスト撮影は日曜日にでも。
 何年も一緒に寝食を供にしたパワーブックちゃんとお別れするのは、なんだか身体の一部をもぎとられるようです。でも、体重が減らない所を見ると、身体の一部にはなりきってなかったんでしょう。

 エンピツは今は有料版しか無いそうで、それを申し込んだのをこってり忘れておりまして、お試し期間がとっくに過ぎていたせいか、書き込み出来なくなっておりました。先日お金を振り込んでの復帰です。


 この「グリーン・マーズ」は「レッド・マーズ」に次いでの第二段、三部作だそうです。
 いわゆる超大作ってやつですね。
 上下巻でやたら分厚いです。
 「2061年のカタストロフィーののち、火星社会は驚くべき復興を遂げていた。今や火星を支配する暫定統治機構は地球の企業体の化身であり、火星の緑化がもたらす、可能な限りの富を手に入れようとしている。秘密コロニーに潜んだ<最初の百人>の生き残り達は、これに対抗し火星の独立を目指してレジスタンス活動に出るが・・・」背表紙の要約。

 環境保護運動と国家独立運動を火星で繰り広げちゃってます。
 しかしまぁお話のリアルなこと。
 あの物語は「キャラがたっているねえ」等といいます。
 要するに・・・フィクションであるはずのその登場人物が「生きた人間」としてリアルに感じられるということですね。
 吉永小百合はトイレには行かないそうですけど、我々ふつーの人間は喜怒哀楽だけでなく、怨憎会苦だの不求得苦だの七つの大罪だのビフィズス菌だの、様々なドロドロを腹に抱えて生きている生身の哺乳類なわけです。
 そうしたナマのリアルさを、この物語はきちんと表現してくれちゃいます。
 驚くほど長いお話ですけど、それも全く苦にならないほどのリアルさ。
 冒頭の「隠れコロニー」のシーンは実に幻想的で、こんな場所なら私も住みたい!!と思わせてくれる世界です。様々な人種が自由な発想で学ぶ学園都市「アスカ」。この都市はまさに学究の徒の理想都市ですね。私もそんな場所で学びたかった・・・。
 随所にちりばめられたSF的ギミックも見所の一つです。
 アーサー・C・クラークが提唱した?「軌道エレベーター」や、熱を発しない岩石カモフラージュカー。シド・ミードが描く小奇麗な未来社会ではなく、人間臭さがしっかりと香る世界は、我々がごく当たり前に横浜のランドマークタワーやパリのエッフェル塔を受け入れているように、そこにある当たり前の建造物として受け入れることが出来ます。

 三部作なせいか?「グリーンマーズ」は「え?それでお終いかよ」的な感じなんですけど、ここは一つ、最終話に期待しましょう。
 グリーンマーズは、是非「レッドマーズ」を読んでから読んでみて下さい。
 火星の寒さや、赤い砂でザラザラした感じを「体験」していないと、最初の百人が何故ああも「レッド」なマーズにこだわるのかが伝わらないのかもしれません。
 そう、このお話ですこーしだけ<?>なのが「レッドなマーズを!」な人たち。火星は赤くなきゃいけないという信念が宗教化し、その衝動が破壊行動やサボタージュにつながっていきます。
 んー・・・誰だったか・・・海外の有名な歌い手さんが東南アジアの森林伐採に関して「森林がレイプされている」と歌ってましたね。まさにそんな感じで「火星がレイプされている」「火星を守れ」ということになるわけですけど・・・。
 悲しいことに、私は火星でのそうした発想にはリアルさを感じないんですね。
 命がけでテラフォーミングをしている彼らが、何故「開発のスピードが早い」とか「表面を汚すな」といった発想をすることになるのか・・・。
 いや・・・地球でなら「どんな発想」でも驚きはしないんですけど。(笑)
 色んな人がいますから・・・。

 しかし、リアルさも善し悪しで、この話とは関係ないんですけど・・・時折あまりに不愉快なリアルさで、本が読めなくなることもあります。
 今年に入って二冊、しかも大作で読めなくなったブツがあります。
 一つは二度と読む気はないんですけど、もう一つは10年後には読めそうです。(笑)
 誰しも、自分の腐った部分を鼻面におしつけられたくはないですよね。







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2002年07月12日(金) 「幻影の構成」眉村卓著 1966早川書房


 相変わらず買ったものに初期不良?が続いているオヤジです。
 何か憑いているんでしょうか・・・なーんて思ってたら、まぁ、カメラ以外は私の勘違いや知識不足などが原因でした。
 まさに妄想が構成されちゃったわけですね。

 さ、夏真っ盛りですが皆さんいかがお過ごしでしょうか。
 あまりに暑いと色んなものが見えてきません?
 暑くも寒くもない、気候も人の行動も完全に管理された未来都市、時は2020年、そこで暮らす人々には色んなモノが見えたり見えなかったりするお話が今回のSF小説です。
 私がこれを読んだのは高校二年の時です。ええ、遥か時空を越えた過去の出来事ですが・・・。そっちの方がSFっぽい? これを授業中に読んでいて、都留文科大出の若い先生に怒られたことを今でもはっきりと覚えてます。
 そして、この本がきっかけで私は「ヒトノココロ」に興味を持ったことを告白しちゃいます。十代に影響を受けた本というやつですね。

 イミジェックスという情報管理システムが都市の隅々まで行き渡り、人々は全ての行動をヘッドセットでイミジェックスに質問しながら(会話しながらではなく)暮らしています。完璧な平和が訪れたかかに見える2020年、ある人物がその危険と矛盾に気がつきます。自由で自律的で強い個人を全ての人々に取り戻そうと一人戦うのですが・・・。(ストーリーはうろ覚えです、すんません)

 イミジェックスによる「幻影」を説明するのはとても難しいので、少し話は変わりますけど、例え話を。
 ハナミノカサゴという魚がいます。
 ええ、幻でもなんでもなく(多分・・・)、図鑑にも載ってますし、私はシュノーケリングをしますのでこの魚には何度も出会ってます。写りは良くないですけど、写真もサイトにあります。
 ところがどっこいしょ。
 私の友人のカノジョさんの友人(ああ、ややこしい・・・)は「そんな魚はこの世にはいない」と言い切ったそうで。「ホントなら今ごろ世界中で大騒ぎだ」とか「その人(私のことですね)に騙されてるんだよ」とか言われたそうで。その友人のカノジョに頼まれて、先だって写真を渡しました。
 ただ・・・「『これはCGだよ』とか言われたら一緒だよ」とは言いました。幻影の構成は、それほど強いものだったりします。
 こうした話は白黒つけやすいので笑い話にもなりますし、別にこだわる程の話でもないかもしれません。

 でも・・・。
 恋愛だったら?
 生きたハナミノカサゴを目の前に差し出すという「証明」が出来るわけでもなく、とてもヤヤコシイことになりますね。
 源氏鶏太という作家が「男は女に虹をかける」という名言を残してます。確かに恋愛感情そのものが「幻影」だということになるんでしょう。
 昔々私がまだ19だった頃、4つ年上のお姉さんを好きになりまして、必死で口説いてたんです。その時にこの話をしたら「あなたは私に虹をかけている」とちゃっかり言われたんですね。
 いえいえとんでもない。
 20年経った今でも、あなたが素敵な女性だったという確信は揺らいでませんよ。最早恋はしてませんけど、それでもやはり、あなたが素敵な女性であることに変わりはありません。

 「十四や十五の娘でもあるまいに 繰り返す嘘が何故見抜けないの
  約束はいつも成り行きと知りながら 何故あいつだけは別だといえるの」

 中島みゆき御大が実に見事に幻影を歌にしちゃってくれてますね。
 あいつだけは別なんだよ、別なものは別なんだっ!!
 そんな感情は確かにあります。
 これを幻影と言わずして何と言いましょうか。
 「どうしてあんな奴を好きになったのか」これはよく聞きますね。
 偶然か神のいたずらか、私は恋が冷めてもそう感じたことは一度も無かったりします。ま、一生幻影から覚めない奴もいるということでしょう。(笑)
 今まで恋をしてきた相手に対して、結果としていつまでも「素敵な女性」だと言える私は、かなりメデタイというか幸福な人間なんでしょう。
 ええ、伊達に恋愛至上主義を標榜しているわけではありません・・・。

 ただ・・・幻影を見た自分を許せないがために、恋愛そのものを肯定していくような人間にはなりたくないものです。

 イミジェックスに管理された都市で暮らす人間は、目の前に「死体」などを置かれても、それを「見る」ことが出来ません。
 生きたハナミノカサゴを目の前に差し出されても「よく出来た作り物」としか感じないというだけでなく、そのうちに「何も居ないじゃない」という状態に陥っていくわけです。
 「ある人」にとって非日常のブツは、最早そうした人間の網膜にもニューロンにも(正確には「意識」ですね)辿り着くことさえなくなります。そう、ヒトという生き物はそうした確信を持てる生き物です。
 普段の生活の中では、それはとても便利なものでもあるんですが・・・。

 はてさて、私は「ハナミノカサゴがいる世界」で暮らせることを楽しいことだと感じていますけど「ハナミノカサゴがいない世界」で暮らしている人々よりも幸せなのか?正しいのか?眼がよく見えるのか?
 そんなことは誰にも決められることじゃないですよね。
 何が幸せで何が幸せでないのか、それは自分で決めるしかないわけです。
 人と比べたり、人に聞いたりするもんじゃありません。
 常に私が私の意志で選択していくしかないのでしょう。
 (選択制夫婦別姓問題のように「選択しないことが小さな幸せ」であることもありますけど・・・)
 禍福はあざなえる縄のごとし、とはよく言ったもんです。
 いや・・・幸不幸を「感じない」人生が一番かも。

 うーん、一体いつまでオヤジの思い出話が続くのか・・・。
 そろそろサイバーパンクでも語りたいです。
 えっ?サイバーパンクももう古いって?







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