少しだけ……。 2002年12月31日(火)
年末に遊んでくださった皆さま、有難うでした♪ きっと初体験であろう人ごみの中、西→東の無謀な移動に付き合わせてしまった レディには、平にご容赦を(笑) ええ、どうぞ一生に一度の体験だと、B型女二人の行動力と共に記憶に封印しておいてくださいまし。 夏には是非、ゆっくり飲みたいものであります。 自宅へ帰ったら、ゆっくりお礼のご挨拶に伺いますので宜しくです。 (以上私信) そして。 ホテルに帰って、例の番組を見たりして、激しく後悔。 めさくさ胸糞が悪かったです。 いえ。彼と彼女に対してではなくて。 テレビ番組というもの、それを作って企画する側の姿勢、に対して。 そもそもエセドキュメンタリーな番組が好きではない、のですが。 それにしても酷かった。 途中でテレビぶんなげて壊してやろうかと思いましたよ。マジで。 人ってのは、そんな漫画みたいな安っぽい描写やナレーションで割りきれる、 単純な構造では出来てない。 過去の傷があるから、人と関わることが苦手、だとか。 幸せな家庭に育ったから、孤独を知らない、とか。 そりゃ解りやすいテキストであります。 孤独な人間が、他人の存在を受け入れて、支え支えられる関係を知ることで成長していく……ああ、それは美しい物語であります。 それは私も否定はしません。 人生の一過程において、誰しもが大なり小なり経験はするでしょう。 だけどさ。 だけど、そのテキストから沢山の感情とか経験が抜け落ちているんじゃないのか。 とか。 そんな、好きな人が出来るだけで、人間の抱えてる問題全部が解決するのか、 とか。 ナレーションの、「人間が成長するための100のステップ」みたいな、紋切り型で押し付けがましい解説を聞いてると、吐き気がしました。 人ってのは、二次元の画面に切り抜けるほど単純なものじゃない。 恋の事と同時に、政治の事だって考える。 愛する事と同時に憎むこともして、人を抱いたその手で虫をひねり潰したりもする。 ……たとえ、そこに存在した感情が純粋なものだとしても。 私はちょーっと許せなかったのです。 人間が、人と人の関わりが、そんな子供向けの漫画のような解りやすいモノだと、勘違いさせるような番組制作の姿勢、その番組を受け入れてる視聴者の存在、が。 まあこれは、私が以前から彼のシンパであったという、贔屓目のせいでもあります。 そういう場所で切り売りされてしまった、彼の人生の大事なヒトコマを惜しむ気持ちが言わせる愚痴であります。 つか。 やっぱり私、テレビが嫌いなんだと確信しました(きっぱり) さて。 2002年、こんな愚痴で締める馬鹿でございました。 どうぞ2003年もお見捨てなきよう。 来年こそは、創作活動に真面目に励みます。 ビーンズにも間に合うように頑張ります。 本も出せるように頑張ります。 来年こそは……っ(汗) 皆様もそれぞれの目標に向かって、邁進してくださいませ。 そうそう。 ○○さん、どうぞお幸せに(謎) 郷愁。 2002年12月22日(日) 辺りは一面の雪化粧。 で、あるのに。 唐突に、夏の、海辺の朝を思い出していました。 幼い頃から、毎年お盆をはさんで一週間。 舞鶴の、市街地から湾を挟んだ対岸の小さな集落にある祖母の家へ 家族揃って出かけたものです。 山しかない信州の景色とはまた違う、原色の鮮やかな景色が、 行かなくなって久しいというのに、まだ、私のうちに残っています。 一日中聞こえる波の音、それは早朝には一際耳について まどろみの中にある意識を揺り動かすのです。 そして、トンビの声。 遠く、近く鳴き交わす声が、夢路と現実の狭間に響いて。 今でも鮮やかな、記憶のひとこまとして、私のうちにあります。 私は、海と、山とに育てられました。 舗装道路が集落にたった一本しかない田舎の、鬱蒼とした森に囲まれた小学校。 通学路の彼岸花、お寺の紅葉、夕暮れを飛ぶコウモリ。 マムシの出る裏山。竜神様のいる泉。森の奥にある天然のスケートリンク。 そして、祖母の家から坂を下った、すぐの波止場、 びっしりとついた牡蠣。ムラサキイガイ。 ナマコを拾って、ヒトデを手裏剣にして、くらげに刺されて。 ──そのどちらも、今はもうありません。 数年前に祖母の家を尋ね、集落の佇まいこそ変わらぬのに、目の前の海の余りの変わりように絶句しました。 さし入れた手の指さえ見えない、濁った海。潮の匂いさえしない、死んだ海。 峠を超えた場所の海水浴場も、泡立ち濁り、潜って魚や貝を捕まえたことさえ、そこではないどこか別の場所であったかと不安になるほどに。 もう一つの故郷も。 大きなバイパスに貫かれ、どこに行っても同じパチンコとフランチャイズの店が建ち並ぶ、無表情な街に変わっていました。 記憶のカケラは、どこにも、見つけられません。 みんなみんな、 失われていくのだと。 そして郷愁が、本当に郷愁としてしか語ることが出来なくなったのだと。 帰る場所はもう、記憶の中にしかないのだと。 険しく聳え立つ山と、雪に覆われた街並みと。 今、うつくしいと思うこの景色も、いつか帰れぬ場所になるのでしょうか。 帰れぬ場所を、戻れぬ景色をいくつも幾つも心の中に焼きつけて それは、幸せなのかそれとも、不幸せなのか。 ………自分が年をとったのだと、痛感する瞬間、でもありました。 2002年12月20日(金) さみしさの、重み、を はかりたがって、いる、君の、手の 雪原はどこまでも明るい 夜の光源はどこかに隠れているというのに 梢についたまま萎れた柿の実も 枝の先で膨らむ桜の蕾もはっきりと見える 常ならば隠されているものを 明らかにする幽かで確かな輝きは あるけれど無い月の国の昔語りのようだ さみしさの、重み、は、 てのひらの、くぼみ、を、満たす 雪の、あかり、ほど あるけれど、ない、見えるけど、見えない 今宵の鳥の、夢路ほど は、ハウル……? 2002年12月16日(月) 基本的に活字人間であります。 だから映画化については激しく抵抗がある。 てかっ。 スタジオジブリの次回作がとっても許せないのであります。 邦題は「魔法使いハウルと火の悪魔」 もう、本当に、大好きな大好きな作品なのですよ。 世の中を斜めにしか見られない、ひねくれ者で怠け者、派手好き遊び人の大魔法使い(笑)ハウル。 長女だから自分は何をやっても成功しないと思いこんでいた、少女ソフィー。 ソフィーは呪いによって老婆に変えられてしまっても、パワフルで最高にラブリーなのですよ。 二人がすれ違いを重ねつつ、火の悪魔の呪いを解くその過程は、恋愛ものとしても最高にスリリングでありましてねえ。 何故に <科学と魔法が入り交じった世界を舞台に、戦争前夜、魔法をかけられ、90歳の老人にされてしまった18歳の少女ソフィーと魔法使いハウルの恋を描く> こーんな話しになってしまうんでしょう。 いつ、いつハウルの世界が科学と魔法の入り混じった世界になったと? 戦争前夜ってどこの国の話よ? そもそも。 誰もが振り向くような美形のハウルが、ジブリ絵ではどう表現されるのかっ。 老婆になってしまったソフィーは。 カルシファーは。 ああ。 止めてくれーーー。 設定をこねくりまわすんなら、潔くオリジナルで勝負しろよ。 ハウルの名前を使うなーーー(涙) 「はてしない物語」の映画化作品に、落胆の涙を落としたのはもう遥か昔のことでありますが。 こいつも変な続編が製作されているらしく、ダブルショック。 映画化なんて大っ嫌いだーーー。 こっそりと贈る。 2002年12月13日(金) 僕はどちらかといえば、君が守ろうとしている立場の人間に近いので。 頑張って、とか。 いつかは通じるよ、とか。 安易な言葉を送ることができなくて。 自分の考えている世界のルールと、周囲の人のルールがどうして違うのか。 カキワリであるはずの、僕の物語の登場人物であるはずの周囲が、どうして 僕の予想通りの反応をしてくれないのか。 完全であるはずの僕がどうして不完全なのか。 いろいろな事が、ずっとずっと、謎だった。 今でも、時々わからなくなる。 どうして親が悩んでいたのかも、解かってはいなかった。 残っているのは、かけられた言葉の記憶だけ。 だけど。 記憶というものは、後になって意味を持つこともある。 与えられた当時、ただの単語だったものが、意味有る言葉として、蘇ることもある。 君が注ぐものは、決して蒸発して消えてしまう儚い露ではなくて。 きっと、吸収されて、潤しているのだろうと。 ……そう思う。 そう、願っている。 多様性というものが、もっと認められる社会であってほしい。 「普通」なんてものは何処にも無い。 集団生活に適応して、「普通」と呼ばれる行動規範を身につけることが、優秀なのではない。 歩くことが遅い人間もいる。話すことが苦手な人間もいる。勉強は出来るけれど人付き合いは出来ない人間もいる。人と楽しく過ごすことが得意な人間もいる。 他人の存在を感知することの出来ない人間もいる。 几帳面な人。ルーズな人。 いろいろ、いて。 それでいいじゃないかって。 決して同じ人間はいないのだと、存在の多様性について寛容であることこそを、子供のうちに学ばせて欲しいと思うよね。 理解できない他者を排斥し、糾弾することを教えるのではなく。 (実際、僕が子供の頃は、学級会でつるし上げなんてよくあった事だ) 理解できないなりに、共存していく方法を教えて欲しい。 見えない側に努力を強いるのじゃなくて、見えている人が、歩み寄るべきじゃないのか。そういう素地を社会全体に作るべきじゃないのか。 君と、君の天使たちに幸有れと、いつでも遠くから願っています。 ごめんよ、不義理な人間で。 でもやっぱりあの場所で僕は部外者だと思うので、こっそりとこんな場所から。 君と、君の天使たちと、君の仲間たちに。 精一杯の祈りを。 2002年12月09日(月) さみしさの重みを、はかりたがっている、君 ないよ、どこにもないよ、あるよ、どこかに 2002年12月01日(日) まみれて、泣く 握りしめたまま、開きもせずに 夕暮れの重さが 日に日にまして ふりかえる事 もう やめようかと思う 閉じてしまえば 見えないし 雨、雪、それから降ってくる ふってくる、君の。 ひらいて、その指を 蕾んだままでは 握りつぶして しまう、よ、だから だから 雨 雪 かなしみ 降ってきて 君の声 まみれて、泣いても それでも 聞こえてしまう ゆびさき、暖かかった 少しだけ |
|||||||||
過去 | 一覧 | 未来 |