あまおと、あまあし
あまおと、あまあし
 夢「狐/風」 2002年04月29日(月)

「狐の夢」

齢四百を超える、狐でした。
竹林の奥に座す、古い家をずっと守護していました。
請願は遥か昔のこと、ただ心に残っているのは護らなければならないという思いだけ。

最も若い者、九つになる娘は美しく、狐を見ることも出来る力の持ち主。
彼女の事を最後まで守り抜きたいと、狐は強く願っていました。

だが、当代の当主は狐の事を信じてはいず、他所からきた呪術師の言葉に惑わされ、狐を追い払う結界を屋敷に張ってしまいます。
狐は屋敷の中から追い払われ、竹垣の外から必死に娘の気配を求めました。
娘は座敷の奥へ。
ついに呪術師と当主は、破魔矢を持って狐を追います。
飛び来る矢を避け、屋根から屋根へ、宙を駆け、それでも狐は屋敷の傍から離れる事が出来ません。
もう一度、娘と見えたい。守護の誓約を交わしたいと、その一念が、あまりに強すぎて。
矢が、足を射抜きました。
怒りが、狐の胸を熱くしました。
恩を忘れた当主に対する怒りと、娘に対する思慕と、二つの感情に引き裂かれながら、目を覚ましました。


「風使いの夢」

 村を護る風使いが死んで、一年。
 畑の作業に合わせ、風を呼んだり雨を呼んだりする事が出来ず、村人は困っていた。
 私は、白い服を着て畑の脇に立つ。
 右手を上げる。左足で大地を蹴る。
 風が手を引き上げる。
 歌が自然と口をつく。
 踊ると、風がよってくる。
 そのうち、身体は宙に浮かび、踊りながら村を上空から見渡す。
 芽生えを待つ、土中の種の声に、雨を呼ばねばと思う。
 雨は、南の風に頼めばいいと、何かが教えてくれる。
 踊りながら、雨を降らせる。
 風はそのまま私を乗せ、全ての風が集まる山頂の窪地に連れて行く。
 そこで風の吹いてきた路、見てきたものが、私の脳裏にどっと流れ込んでくる。
 風使いの継承が、そこでなされた。
 村へ戻る。緑が、雨を吸い込んで一気に成長している。
 その様子を見ながら、喜びと興奮で目がさめた。


 ※ ※ ※
 実際に見た夢ですのであしからず。
 単にネタ切れとも言いますが、書いておかないと忘れるのも事実なので。
 
 





 (断片) 2002年04月28日(日)

 
 よちよち歩きの娘は
 振り解いた手を
 空にかざす
 花冷えの空は
 どこに果てがあるだろう
 掴めもしない縁を
 手探りで背伸びしながら

 いつか
 その幼い手は
 無心さゆえに
 たどり着くのかと
 恐ろしくなる

 願い事を
 ひとつひとつ捨てながら
 私は春を迎えてきたはずだ
 否応無く
 世界を覆うもの
 その度に目隠しは増え
 息を詰まらせながら
 季節は繰り上がり
 繰り上がり

 教えもしない言葉で
 娘は春を語る

 あの鳥を撃ち落せば
 空は広くなるだろうか


 
 
 
  



 山吹の、たちそよひたる 2002年04月26日(金)


 山吹を貫く珠の緒を手繰り 君を招かん春の木陰に
  やまぶきをつらぬくたまのおをたぐり 
     きみをまねかんはるのこかげに

私は、鮮やかな夢を見る方だ。
嗅覚以外の四つの感覚が、ほぼ備わっている。
生まれたての赤ん坊を抱き上げる腕の重さや、柔らかな皮膚の感触とか、風に乗って空を飛ぶときに胸に受ける空気の抵抗とか、それは目覚めた後でも思い出すことが出来る。

ついでに言えば、目覚めているときの経験がすぐに夢に影響を与えるほうでもある。
例えばホラー映画を見る。
と、夢の中でチェーンソーで切り刻まれたり、電動鋸で頭を割られたり(←しかも痛かったり!)
だから私、小学生の頃からずーっとホラー映画は見ていない。
あるいは「ナイルの宝石」という映画を見た日には、ヒロインになって映画の最初から最後までそっくりストーリーを追体験した事もある。
映画というのは視覚に訴えるものだから、夢に変換されやすくはあるのだけれど。
同じようにハマッたゲームやアニメというのも結構登場する。
この場合、明らかに世界は二次元なのに違和感を感じていない自分がいて、後で思い返すと不思議。

一時期は、自分の見たいゲームの世界とかを念じて眠りにつけば、本当にその世界を夢に見ることが出来たりもした。
これは昔試した、自覚夢を見る方法が影響してるのかもしれないが、その話はまた機会があったらという事で。

最近のように仕事が忙しくて意識が現実生活に縛られているときは、夢の中でもしっかり仕事をしている。
ユニットバスの組み立てを最初から最後まで夢でやっていたり。
キッチンの収まりが悪くて、どうやったら見栄えが良くなるか試行錯誤していたり。
こういう時は、目覚めた後で本当に仕事をしたような疲労が残っていて、色々な意味で最悪。
夢の中でくらい、現実の生業からは離れていたい。


とにかく。
私にとって夢の世界というのは、かなり確かに存在しているもので。
そこへ、ずっと昔に死んでしまった人が出てくるというのは、精神的にダメージが大きい。
その人の少し高い体温とか、目じりのしわとか、短くてクセのある髪とか、かすれぎみの声とか、寸分の狂いも無く再現されていて。
目覚めている私は、もう朧にしか思い出せないのに。
あなたは、何故そこにいるのかと、もう何処にもいないはずではないのかと、そう問いただしたくなるのだ。
それが一度でなく、何度か続くと、苛立ちすら覚えるのだ。
喪ったものを、取り戻したいと願ってなどいないはずなのにと。

あるいは
私の無意識が、その人を招いていたりする、そんな事などあるのだろうか。
そんな情の深い人間では、ないはずなのに。


 山吹を貫ぬる珠の緒を手繰り君を招くは誰が魂か
  やまぶきを つらぬる たまのをほたぐり
     きみをまねくは だれが こころか


   



 三千の烏 2002年04月23日(火)


三千世界の
仏の掌の上に
それは転がっている

目覚めたばかりの蛙の
青い皮膚に
詰め込まれた
命は数え切れぬ細胞の形で
増殖し分裂し死滅し
決して融合はせずに
生きる
ただ生きる
その集合が
どうして何かを成し遂げる
生命になりうるのか

三千世界の
そのたった一つの細胞に
私は目を覚まし
傍らの異界に
いつか捨ててきた未来を
透かし見るのだ
手に触れるほどの
距離にあるもう一つの世界
決して行き着けぬ
遥かな場所は
現在と比べれば
いつも鮮やかで

花のうちの
時間軸は停止している
目を覚ますはるか以前から
世界と生命は
同じ場所を同じ形で
廻りつづける
私の歩みは
何処へも行き着くことのない軌跡
蛙の皮膚が
花になることがないように

三千世界の
仏の掌の上に
それは
転がっている

 春眠 2002年04月15日(月)


 窓の外は
 暗闇? ──いいえ消えることのない
 灯火がきらめく
 カーテンの薄い布地を通して
 聴こえてくる
 車の音
 バイクが一台
 峠を登っていく
 スキール音

 闇は
 内側にばかりあって
 きっと
 不安になるのだ
 四角い部屋に閉じ込められた
 静寂に
 あなたが
 喪われてしまったような
 錯覚 幻覚
 ──現実?

 夜気は暖かで
 放たれた体温は
 紛れてしまう
 春の夜

 息を詰めて
 かすかな寝息を探す
 貴方の
 存在を
 怯えながら

 探している



過去 一覧 未来


My追加
 著者 : 和禾  Home : 雨渡宮  図案 : maybe