いっしょくんの日記

 へ(* ̄ー ̄)> 
なんとなく 書くんで〜
なんとなく 読んで下さいね。

2005年06月30日(木)  駅ビル


 駅ビルができたのです
 たくさん店舗が入って
 ちょっと都会的になりました!?
 私の大好きなソニープラザが入り
 早速目指していきましたが
 横浜のように所狭しと物がある風ではなくて
 どちらかというとがらんとした感じ
 でも お店の匂いはソニプラです
 娘はバーバパパのココアクッキーを買って
 私はスヌーピーのミントを 上の娘のお土産に
 チェリーグミを買いました
 横浜に行ったら買わないのになぁ・・・
 なんとなく気分で買ってしまいました
 1階の食品売り場はとても賑やかで
 デパ地下みたいです 
 駅周辺のお店が次第につぶれていく中で
 景気のいい様子に 市民としては嬉しくなります
 観光地に挟まれて通過地点のこの駅に
 人が集まるていいですね

 さて 今日のYさんですが
 私が行ったときには60度の傾きで
 ベッドの頭部を上げていました
 『すごーい もう座れるようになったのね!!』
 「あのな わからんけど」
 あれ?落ち着きがない?
 だいぶ自分を取り戻してきて
 いろいろなことがありすぎたせいか
 記憶が辿れなくなっていたようです
 ここはどこなのか どうしてここにいるのか
 みんな知っているのか 杖はどこにおいてきてしまったのか
 ここにいてもいいのか 休んでいいのか 着る物はどこにやったか
 これを繰り返し繰り返し聞きます
 (骨折前の頃のYさんだ!)
 「昼の薬をのまんでいいのか?」
 そうか・・・精神薬だ・・・
 看護士さんに聞いてみました
 今まで飲んでいた精神薬を再開したほうがいいのでは・・・と
 早速担当の先生と相談してもらい
 今夜から眠剤がつくそうです
 本人にそう伝えると嬉しそうにしていました
 しばらくすると 60度はお尻に負担があり
 横向きにしてもらうよう看護士に頼み
 飲食禁止になっていたので 飲みものはもう大丈夫か
 確認して ポカリの冷たいのを買ってきて飲んでもらいました
 ひとつひとつ解決し 落ち着くまで繰り返し
 『大丈夫だよ』といい続けました
 錯乱が始まっていて歩こうとしてしまったり
 点滴をはずしてしまったりが心配です
 転んだときも きっとこんな精神状態であったと
 私は思っているからです
 これからが目の離せない時期になってきましたね
 慎重に対応していきましょう
 



2005年06月29日(水)  検査


 昨日の暑さからすると
 雨が降っている分 和らいだように思います

 娘もとても憂鬱そうでしたが登校しました
 行けば元気になって帰ってくるのが常です
 思ったとおり 帰ってくるなり
 「遊びに行ってもいいでしょう?」
 が 始まりました
 昨日の今日なので反対しましたが
 ピンポーンとお友達が来ました
 「今日ねお出かけだから遊べなくなっちゃった」
 よかった・・・お断りでした
 そんなことで Yさんのお見舞いに
 一緒に行くことになりました
 
 病室にはYさんがベットごと居なくて
 看護士さんに聞くと MRIを撮ったのだそうです
 ・・・あれ?足なのに?
 部屋に戻ってくると今度はリハビリの先生が
 ベットのそばに座っています
 6人部屋の入り口で 窓際の話に耳を傾けます
 大きな声で話すので聞こえてきました
 Yさんはまだ私たちが来たことを知りません

 若い男の先生です
 「○○さんおいくつですか?
  今 平成何年ですか?何月かわかりますか?」
 これって 認知症の検査じゃない・・・
 どうして?
 「今から三つの単語を言うので 覚えてくださいね
  さくら ねこ でんしゃ 一緒に言ってください
  ・・・そう ではこの三つを覚えて置いてくださいね
  では これから三つの数字を言うので
  逆から言ってください 例えば 1・3・4
  といってら 4・3・1というようにね」
 数字の後で
 「さっき覚えた三つの単語を言ってみてください」
 下の娘が 得意げに私に向って「さくらぁ ねこぉ 
 でんしゃぁだよね」
 と小声で言います
 『そうそうそう・・ってあなたが答えられないと困るよね
  いい?このテストは 年をとって おばあさんになったときに
  どのくらい色々覚えていられるか調べているの
  お話がわからなかったり どんどん忘れたりしていないか
  先生が知るためにしているんだよ ○○は
  まだ脳みそが新しいから 覚えていられるのね』
 「うんうん」
 次の検査は
 「では ここにあるもの見てください
  えんぴつ・くし・ろうそく・くぎ・・・
  では 今見たものを言ってください」
 「100から7を引くといくつですか」
 そんなかんじのものです

 出てきた先生を廊下でつかまえて聞いてみると
 やはり認知症の検査だそうです
 30ある項目のうち 20できないと
 疑いありだそうです Yさんは15でした
 年齢からすると いい状態だそうです
 95歳ですから・・・
 『ご家族に頼まれたのですか?』
 と 聞いてしまいました
 「これは リハビリを始めるにあたって
  どの程度こちらの話を理解できるかという
  目安になるものなので」
 なるほど
 「でも 年齢のこともあるし
  精神病を患っていることもあるので
  今回はこういう結果でしたが
  次回やったらもっといいかもしれないし
  もっと駄目かもしれないですからね
  その程度のことと思ってください」
 簡単に Yさんのことをお話しました
 車椅子生活と決めてしまわずに
 歩けるようになるという希望はすてないように
 言ってあげてください それで落ち込む人ですから
 「それはこちらとしても 
  自分で排泄できるくらいは目標にしていますから
  そう言うようにしましょう」
 若くて 話のわかる先生でした
 
 Yさんの近くへいき 声をかけると
 びっくりしたように目を大きく開いて
 「来てくれたぁぁ そうかそうか よかったぁぁぁ」
 と 喜んでくれました
 娘の顔をみて 笑顔になり
 娘もなれたせいか 笑顔を向けています
 『検査で疲れたでしょう?
  リハビリの目安になるんですって
  Yさんは足の骨折だけだから 異常なし
  すぐにリハビリ始まるからね
  それにしても くたびれちゃうね・・・
  検査検査でね
 「検査検査でね」
 あはははは
 声をそろえてしまいました
 今日は検査のために何も食べていないそうです
 ポケットに忍ばせていた水羊羹も
 約束どおり持ってきていたよと
 見せるだけになってしまいました
 「冷蔵庫入れてくの?」
 『ここのじゃなくて 私のうちの冷蔵庫に入れておくね
  明日また持ってくる』
 「そうかそうか」
 
 検査を待って 結局1時間過ぎてしまいました
 また明日来ると約束をして 戻ってきました
 ちゃんと食べられるようにならないと
 治るものも治らないですよね
 本当に実験材料みたいにされちゃうんだな・・・と
 おもいました

 頑張れ Yさん!



2005年06月28日(火)  手術

 Yさんの手術は無事に終わり
 Yさんも順調に経過を辿っているようです
 
 今日お見舞いに行って見ると
 京都からみえていた長女が
 最後に私が帰るところですと
 私がいいところへきてくれたと言っていました
 兄弟が順番に帰っていき 長女が最後に残ったそうです
 一昨日からビジネスホテルに泊まっていたそうです
 それぞれに生活がある中でのことですから
 急の立会いは大変だったでしょう

 娘さんが帰ってからYさんの近くに座り
 ポツリポツリと施設の話などしました
 時々宙を仰ぐようなしぐさがあります
 麻酔のあとで幻覚が出ているのか・・・
 高齢から来るものなのか・・・
 でも 会話は成立しているし
 私をわかってくださるので
 いつものYさんです

 『ひとつひとつ乗り越えて
  また一緒に過ごそうね
  退院したら私の出番!
  ここでは看護婦さんが出番だからね』
 
 また明日も来る約束をして帰ってきました



2005年06月27日(月)  休み


 下の娘が 金曜日から熱を出し
 土曜日に下がって食欲も出て
 いつもの熱と思っていたら
 日曜日には朝から8℃の熱・・・
 珍しくぐったりしていて
 食欲がありません
 今朝は7℃ 
 私も1時間仕事とはいえ
 お休みをして 小児科へ連れて行きました
 原因は夏風邪だとか・・・
 水疱瘡ではないかと体も診ていただきました
 虫刺されが年々ひどくなるという相談も兼ねて
 抗生物質やら軟膏の痒み止めをいただいてきました
 虫刺されと掻き壊しについては
 夏中お世話になることにしました
 去年の掻き壊しの跡が消えないうちに
 今年の掻き壊しが始まったのです
 ダンスを始めてレオタードを着るようになったら
 なんて汚らしい足か・・と がっくり・・・
 ちゃんと治さなきゃという あせり・・・
 お医者さんと相談できるのは心強いです
 
 午後になって 実家に娘を預けて
 Yさんの病院に行って来ました
 今日が手術です
 息子さんご夫婦と 京都の長女
 次女は間に合うか・・・山口からです
 千葉から三女ご夫婦が見えていました
 ごあいさつをして Yさんのそばへ・・・
 「うんうん・・・・」と力ない笑顔・・・
 ・・・あれ?元気がない
 確かに 骨折から5日も動けずに手術を待ち
 今朝は手術のために食事をとっていませんから
 元気なほうが不思議かな・・・
 『明日もまた来るからね 頑張って 治るからね』
 手を握りましたが力が返ってきません
 『Yさん・・・握り返して・・・』
 ・・・きゅ・・・
 ほんの少しだけ返してくれました
 ご家族がいらしているし
 疲れてもいけないので 失礼してきました

 開始予定から4時間半
 連絡がないところを見ると
 成功したようです
 覚醒しますように・・・
 祈る思いです

 ・・・・娘の熱は
 夜になってまた8℃です
 薬を飲んだので 回復するでしょう
 



2005年06月26日(日)  電話


 今朝方 担当のYさんの娘さんから
 電話をいただきました
 
 内容は
 今回の骨折の手術は 年齢から言って
 とてもリスクの大きい手術になるそうです
 手術をしないと 痛みとたたかいながら
 寝たきりの状態で機能低下し
 亡くなるのを待つような感じだそうです
 手術はそう難しいものではないのですが
 麻酔に耐えられる心臓かどうか
 骨折部分をとめる金具が もろくなった骨に
 耐えられるかどうか
 ・・・色々といわれたそうです

 電話の声は少し興奮気味で 時々涙声になります
 『私は・・・手術が成功して ちゃんと施設に退院してきて
  リハビリを頑張って 歩けるようになると思っています
  望みは捨てずに 本人を励ましていくつもりでいます』
 私まで泣くわけにはいきません
 「今まで良くしていただいて 本当にお世話になりました」
 ・・・なんといっていいのか
 退院してくる・・・そう信じているのに

 Yさんの様子は 娘さんとも共感したのですが
 とても素直で 明るくて 聞き分けがいいということ
 Yさんの賢さがよくわかります
 娘さんがご主人に言うと「最後の輝きだろう」
 と言われたそうです
 娘さんご夫婦は 手術のリスクの話を聞いて
 心を決めたと言っていました
 すっかり諦めてしまったようです
 望みは持ち続けましょう と
 何度も話すと「そうでしたね 気持ちが通じていたら
 いいものも駄目になってしまうものね 
 希望を持ちましょうね」
 と 言ってくださいました
 
 これからが心のケア 本番・・・ですね
 私のほうがしっかりしないと・・・



2005年06月24日(金)  Yさん

 今日は担当のYさんが入院したので
 仕事を早く切り上げてきました
 
 色々と用を済ませて
 様子を見に行きました
 「来てくれたの!そうかぁ よかったよかった」
 元気そうです
 施設での様子から想像すると
 「家に帰りたい」と 大騒ぎするのではと思っていました
 ところがとても穏やかに落ち着いているのです
 私の母に様子を話すと
 いかに隣のNさんが重たい存在だったかっていうことじゃない?
 ・・・なるほど
 それは頷ける話です
 毎日部屋に入ってきてソファーの隣に座り
 「あんたは馬鹿だ」「社会性がない」「困ったおばあさんね」
 と 言い続けられたら おかしくもなります
 それをぶちまけないだけ Yさんはできた人なのだと思います
 「ここは1人だし寂しいよ」
 という顔にも おだやかな笑顔が見られます
 私の話に良く笑うし わからないことを繰り返し要求したりしません
 大好きな黒砂糖のかけらを こっそり部屋から持っていったのですが
 すぐに食べたいと口に入れたのですが
 「○○さん(私)と話したいから」
 とすぐに口から出して置きました
 『あ・・ありがとうごめんね』
 施設では考えられない心の交流です
 『口が寂しくなったら食べてね
  それはそうと 入れ歯はどうしてるの?』
 「ここに来てから一度もしてない・・」
 『え・・・昨日の朝からって言うことね?』
 うーん さてどうしようかな
 コップがないし 横になっているから吸い飲みでもないとね・・・
 吸い飲みは看護士さんに頼み借りました
 飲料水は・・・照灯台にポカリを置いてきたと言ってたっけ
 それを使おうとYさんと決めました
 入れ歯をはずしてもらい 給湯室でささっと洗い
 ティッシュで磨きました 
 思ったより綺麗です ポリグリップを塗り
 自分で入れてもらいました
 このあたりは 3年間の積み重ねです
 あっという間に綺麗になり
 「あぁ・・・さっぱりした」
 と言ってくれました これも初めて聞いた言葉です
 『さっぱりしたね』『すっきりしたでしょう?』
 と こちらから促しても言ったことがなかった言葉
 これが 本来のYさんなのかもしれない
 そう思ったら 今までとは違った思いが湧いて来ました
 「治るやろか・・・」
 『うん!!もちろん 治そうね
  Yさんは根性があって努力するから
  絶対に歩けるようになるよ
  私がみてきた人たちもそうだったから
  退院したら一緒に頑張ろうね』
 「・・・よかった・・よかった・・・
  涙が出るわ・・・」
 『そんなそんな Yさんらしくないよ
  まずは手術が上手くいくことを考えようね
  次のことはまたその時に考えよう!』
 「・・・そやな」
 
 本当に Yさんという人の心が見え始めた気がします
 どちらのYさんも 今を生きるのに大切な人格です
 どちらも大事にしなくてはいけないですね・・・
 

 



2005年06月23日(木)  仕事

 今朝職場に行くと
 看護士に呼び止められました

 講堂では昨日亡くなった方の葬儀が行われていました
 待機するかのように夕べ亡くなった方の
 ご遺体が応接室に安置されています
 ヘルパーの出入りが激しく 忙しそうです
 
 「Yさんなんだけどね 今朝1人で食堂に出てきて
  転んじゃったのよ 動かないように言っても
  足を引きずってふらふらしちゃって大変
  これから病院に行きますね」
 『あらら・・・わかりました 車椅子持って
  支度しておきますね』
 「何で1人で出てきちゃったのかねぇ」
 話を聞いていた年配のヘルパーが言います
 『高揚してたのかな 今も興奮してます?』
 「ううん 落ち着いてるよ」
 『はい』
 車椅子を持って居室にいきます
 病院に付き添うヘルパーが玄関の椅子に腰掛けている
 Yさんの前にしゃがんで話をしていました
 『大丈夫?痛みがひどいの?』
 「あぁぁぁ 来てくれた 今朝食堂で転んだ 
  どうして転んだりしちゃったかね
  家のことしておいてね」
 『やることは私に任せてね お医者さんに診ていただけば
  安心だからね 待ってるからいってらっしゃい』
 「はい・・・はい・・・」
 ちょっと興奮気味でしたが 錯乱まではいっていませんでした
 いつものようにすることをして
 担当のKさんの所から戻っても
 Yさんの付き添いからの連絡が入れません
 1時間前でしたが 退勤して連絡は家で待つことにしました
 夕方になり 電話が入りました
 入院して 手術・・・
 どうやら骨折のようです
 それから自転車を走らせて病院へ様子を見に行きました
 思ったよりも落ち着いていて
 ちゃんと落ち着いて会話もできるくらいです
 いつもどおり 歯のことを気にしていました
 確かに 1番厄介な問題です
 いっそのことはずして過ごすように言おうかな
 まぁ 明日施設と相談して考えることにして
 これからしばらくの私の仕事のことも相談しなくては・・・

 少しバタバタな週末です
 
 
 



2005年06月22日(水)  短編

 色々あったので 短編で・・・

 昨日 小学校の同級生から電話がありました
 私の実家を尋ねて 電話番号を聞いたそうです
 小学校3年のときの仲間で集まりたいというのです
 先生は覚えていますが 誰が同じクラスだったっけ・・・
 全然わからない私・・・
 電話をかけてくれた彼女は その時の仲間と
 結婚したからなのだと思います
 色々なルートを回ってそのことを知ったのですが
 あのふたりが!?と 驚いたのと 嬉しいのと
 なんだかくすぐったいのと・・・
 でも考えると 恥ずかしかったりもして・・・
 私の返事は「うれしい!ぜひぜひ!」です 
 駅前の飲み屋で集合らしいです
 まだ日にちと時間の調節が厳しいらしいです
 でも 実現できたら嬉しいですよね
 3年生といったら8歳かぁ・・・・
 あまりにも年月が経ってしまったなぁ
 今日ウォーキングしていたら
 その頃のお友達のお母さんに何人かお会いして
 「あ・・・○○ちゃん(←私の名前)でしょう?
  変わらないわねぇ すぐわかったわよ」
 皆さんお綺麗になったのでしょうね
 私は小学生のままだということかな・・・
 あはは 
 同窓会 予定があうかなぁ・・・

 ご心配をおかけしていた車が
 戻ってまいりました
 以前にも増して かわいく思えます
 色形ではなくてね
 車は道具!!と言い続けている私にとって
 「愛車」なんて言ってしまうのは恥ずかしいのですが
 大切に乗ってあげなくてはと思いを強くしたのです

 夕べ遅くに 昔の仕事仲間から電話が来たのです
 アメリカから帰ってきたというのです
 嬉しくて すごく元気になってしまいました
 4年ほど日本で生活するそうです
 こちらに来て 初めて携帯というものを持ったとか
 夕べはそれから メールが開通するまで大変でした
 結局 今朝になって 私のところにメールが入り
 やっとメル友です
 これからしばらくは楽しみです
 大親友が日本に居るだけで こんなに嬉しいものなのかな
 彼女については 後日日記にも書こうと思います
 
 実家の母が 今日から岡山へ旅行に出かけるはずでした
 夕べ遅くなって電話が入り
 「目の前に黒くひらひらと飛んでるのよ
  暗いところだと花火みたいにちかちかと綺麗で・・・
  明日の旅行はやめにするから・・・」
 岡山は両親の大親友が住んでいて
 私の祖母が亡くなって 両親が旅行できるようになって
 初めて会いに行ってから 今回が2度目です
 お寺めぐりも予定していて それはそれは
 楽しみにしていたのに・・・
 朝一で眼科に行きましたが 特に何もしなくていいそうで
 ホッとしたと言ってはホッとしたのですが・・・
 兄が仕事でお世話になっている女医さんで
 とてもよくしてくださったそうです
 兄が今朝も眼科の前で待っていてくれたとか
 兄ちゃん頼りになるなぁ・・・
 私は役立たず・・・
 両親に何かあると・・・そう思うと
 辛いですね しっかりしなくちゃ!



2005年06月21日(火)  安定剤


 担当女性のKさんは
 ひと月ほど前から 精神薬をやめています
 子供さんたちと外出をするためでした
 やめてからというもの
 別人のようにしゃっきりしてしまい
 ・・・いいのか・・・悪いのか
 わかりません
 覚醒しないで過ごすのも辛いけれど
 ・・・どうしたものか

 呼んでも顔を拭いても オムツを替えても起きなかったのに
 ベットの柵につかまって上体を起こすのです
 柵からおりようとして
 「早く行かないと」となるわけです
 私の仕事は ここが出番です
 毎日違う この精神状態を
 同じ状態に持っていき
 安心を取り戻していただくのです
 とはいえ 精神病の治療はできません
 
 薬をやめてから 私が部屋に入るたびに
 「あらぁ 会いに来てくださったの?まぁ〜〜」
 と ベット上で私の手を握って離そうとしません
 この方はオムツを使っているので取り替えるときも
 恥ずかしがったりします
 人として大切な反応なのです
 なのです・・・だけど
 恥ずかしい思いをすることで 落ち込むのです
 「こんなになってしまった」「もう死んだほうがいい」 
 という具合に・・・
 車椅子で出かけても 「どのくらいお金が残っているか
  みてこないと 早くして」
 不穏になるのです
 薬に頼ってはいけないし この状態なら
 対応で何とかなるのです

 わからないほうがいいのか・・・
 わかるほうがいいのか・・・
 いつも思い悩むことです
 



2005年06月20日(月)  芋

 ジャガイモをコンテナいっぱいいただいて
 娘のお友達が遊びに来ると
 分けて差し上げたりして
 ずいぶん少なくなってきました
 肉じゃが ハッシュドポテト ポテトグラタン
 マッシュポテト フライドポテト
 蒸したじゃがバター ポテトサラダ
 リクエストはビシソワーズなのですが
 朝から作って冷やして夜食べるくらいなので
 なかなかその気になれなくて
 今日はコロッケにしました
 少し多めに作って冷凍することにして
 下の娘がピアノに行っている間に買い物を済ませ
 迎えに行って戻ってから作りはじめました
 
 ・・・しまった
 こんな時間のかかるものをはじめちゃって・・・
 そうです 今日から上の娘の定期テスト後の塾再開です
 1時間勝負です!
 冷まさないと破裂するので
 ドライヤーやら保冷剤やらを使っておおさわぎ 
 私は汗だくです
 それでも 時間には食べさせて 送ることができました
 でも さすがに揚げてるあいだに
 ポロッと穴があいたものもありましたけどね・・・
 でも おいしいと食べてくれました

 いよいよ ビシソワーズかな・・・
 かぼちゃの季節以来です
 ミキサーにかけないとなめらかにならないかな?
 つぶすだけでは・・・じゃがなら大丈夫かな
 手間がかかるわりには ぺロッと食べてしまうからなぁ
  
  



2005年06月19日(日)  一輪車

 
 あざを作り 擦り傷を作り
 血が出て 汗かいて
 とうとう 下の娘が一輪車に乗れるようになりました
 
 丁度上の娘が このくらいの頃一輪車にはまって
 サンタクロースがプレゼントしてくれたのです
 もうさびさびの一輪車ですが
 空気穴の虫ゴムを取り替えて
 まったく問題なく使えるようになりました
 それからひと月ほどでしょうか
 日に日に乗れる距離が延びて
 とうとう30メートルほど乗り続けるようになりました
 近いうちに 広い公園に持って行って
 障害物なく乗り続けられるようにしてあげましょうね
 上の娘もそうしていたっけ・・・
 
 上の娘も5年ぶりに一輪車に挑戦していました
 さすがに乗っていた歴が長いだけあって
 かなり安定した走りとスピードです
 サーカスに出してもらえそうだね なんて
 言いたくなるような姿です

 どちらも運動神経 私に似なくてよかったです♪



2005年06月18日(土)  海

 今朝 テレビを観ていたら
 大磯に「あおばと」という鳩がいて
 岩海岸に水を飲みに来る というのです
 「あおばと」は首の辺りが黄緑色して
 何故か海水を飲んでいるのです
 しょっぱくないのかな・・・・
 それよりこの「はと」綺麗だねぇ・・・
 上の娘と テレビを観ながら
 「観に行ってこようか」
 ということになったのです
 「お母さん ○○ちゃんも誘っていい?」
 『いいけど』本気ではなかったのでいい加減な返事・・・
 即電話をして誘うと
 「もう1人行きたい子がいるって言ってる」というのです
 『いいけれど 居るか居ないかわからない「はと」を
  捜しに行くなんて 耐えられるタイプ?』
 ・・・・電話で相談
 「是非いきたいってぇ」
 『それならいいよ』
 
 まったく調べもしないで出かけました
 大磯について 海辺へ下りると
 「あおばと」なんてどうでもよくなり
 すっかり波打ち際でおおはしゃぎです
 薄日とはいえ この時期の日差しはきついですから
 私はすぐに引き上げました
 車で待っていると砂だらけで戻って来て
 ビーチグラスの品評会です
 大笑いをしたり 足を浸けたり 歩き回ったり・・・ 
 テスト期間中の生き抜き・・・でしょうか

 帰りの車では お友達の噂話で持ちきりです
 誰がかっこいいとか悪いとか・・・
 女の子の嫌いなタイプとか・・・
 それはそれは面白かったです
 マイペースの子は嫌い
 自分の話ししかしないで こっちの話を聞かない子は嫌い
 かなりはっきりとしていました
 『おばちゃんも 中学生の頃は
  好きな子嫌いな子ははっきりしてたなぁ
  それがおばちゃんくらいの年になると
  まぁ そういう人もいるさ って感じになっちゃうのよね』
 「あ・・でも 自分の子供の自慢ばっかりしてる親のこと
  嫌いだって言う人が居るみたいですよ お母さんが言ってました」
 『あらら・・・そうかぁ・・・
  でも そのくらい子供を愛してあげなきゃ駄目なのかな
  おばちゃんも 子供の自慢しなきゃ駄目かなぁ』
 そんな言葉にちゃんとうけてくれたりして・・・
 人気アニメのキャラクターのマネをさせられたり
 私も会話と運転に忙しかったです

 子供達の話しは続きます
 「マイペースな ○○さんとか △△さんとか
  苦手ぇ」
 わぁわぁ話しています
 『・・・・でもぉ うちの○○(←娘)も マイペースだよぉぉぉ』 
 と 私
 「あぁ でもぉ面白いから全然オッケーですぅぅぅ」
 さりげなく娘の様子を聞いてみたりして
 内心ホッとしたりして・・・
  
 難しい年頃です 幼い娘とだけ接していると
 なかなか気がつかないけれど
 世の中学生は 大人ですね
 私よりもしっかりとした考えを持っているかも・・・
 時々こんな風に遊びながら
 子供達の様子に触れるのもいいですね
 
 早速 横浜と 鎌倉へのドライブを
 約束させられました
 
   



2005年06月16日(木)  整体


 午後から整体に行ってきました

 追突されてから5日目の夜
 右首から肩にかけて
 突っ張るような痛みが出ました
 5日も経ってたら
 追突のせいではないだろうと思うのですが
 1ヶ月も2ヶ月も先に出る人もあるそうです
 むちうちの可能性もあるらしく
 軽い追突も 侮れないなと感じました
 確かに後ろからあたってきたとき
 ズキンと心に衝撃が走り
 しばらく体が震えていました
 ショックが体の中に入ったようです
 それが痛みや何かの異常となって
 表面にでてくるというのです
 それを上手く見つけ出して
 「解決」していかなければなりません

 どこを押されても引かれても
 ものすごい痛みです
 冷たく硬く感じるそうです

 何をしていても 落ちついた気持ちになれず
 いつも何かしなければならないような気持ちになり
 心臓がズキズキするのです
 「体のバランスが悪く
  頭ばかりが回ってしまう状態だからそうなるのは当たり前です」
 と 言われました

 今 心と体のバランスの悪さを
 体感中です



2005年06月15日(水)  約束

 買い物をした後
 デパートの駐車場で
 駐車料金の清算を待っていると
 久しぶりに聴覚障害の女性と
 ぱったり会いました
 1年ぶりくらいです
 私がじーっとみつめて《・・・あぁぁぁぁぁ》
 っていう表情をすると
 (顔はわかるけど 名前が出ない)
 と 申し訳なさそうな表情です
 名前をつげて いきなりではありましたが
 《お仕事してるの?》
 (ううん 今はしてないから暇にしてる)
 うう・・・このチャンスは逃せない!
 《実はお母さんたちが集まって
  手話を習いたいと頼まれているの
  聞こえる私では 教えてもわからないことがあって
  聾者と一緒にできたらいいなと思っていて・・・》
 (私はかまわないよ そういう時は呼んで)
 《本当に?ファックスしてもいい?》
 (今時ファックスなんてしないよ メールでいい?)
 《うんうん 書く書く 私のアドレス書けばいいかな》
 (紙ない?書くもの貸して 書くから
  なんか 積極的だね)
 《ちがう 図々しいというの》
 (厚かましいのか)
 《申し訳ない 本当に困ってた》
 (オッケーオッケー かまわないよ)
 なんてことを 私が大笑いしながら手話でお話しして・・・
 駐車場には 私の車が出庫の準備をして待ってます
 うう・・・ごめんなさい
 おじさんに何度もお辞儀をしました
 スラスラっとアドレスを書いてくれて
 私からメールをすることに・・・

 数少ない聴覚障害者が仕事を持ち
 なかなか交流ができないこの地域に
 こんなチャンスは宝物を見つけたのと同じくらい貴重です
 しかも 私のめちゃくちゃな手話もわかってくれる人は
 そうそういらっしゃらないわけで・・・
 しかも「アドレス持っている」 「暇だ」 なんていう人は
 いらっしゃいませんよ
 本当にラッキーでした
 この前の幼稚園の手話の前だったら・・・
 贅沢を言ったらきりがないけれど
 でも ありがたい再会でした

 出逢いを生かせるといいなぁ
 



2005年06月13日(月)  気遣い

 子供の目っておもしろいですね
 下の娘の言動には いつも笑ってしまうのですが
 最近 上の娘の気遣いに驚くことがあります
 
 上の娘は 今週末から定期テストが始まります
 部活が休みになり 早めに帰ってきて
 塾へと通います

 昼間のこと
 振り替え休日で母に預けていた下の娘を
 実家に迎えに行くと
 父が泊まりで出かけたので
 夕食を一緒にしないか と母に誘われて
 そのことを上の娘に伝えると
 塾を休んで食事したいと言い出しました
 テスト前だし・・・塾は行ったほうがいいでしょうというのですが
 先週と同じことをするから
 今日はいい というのです
 じゃあ自分で断って お友達にも電話しなさい
 というと さっさとそうしたりして・・・

 「ずーっと前から ばぁばと一緒にご飯食べたかったんだ」
 『へぇ 知らなかった そうなの?』
 「うん お母さんには言えなかった」
 『・・・なんで?』
 「だって一生懸命作ってるのに
  ばぁばのほうが美味しいって言ったら
  泣いちゃうじゃない?」
 『・・・・あははは いいじゃない
  お母さんはばぁばにはかなわないもの』

 そんな気遣いができるようになったことが
 嬉しいような でも 味が比較されたことは
 ちょっと 厳しいような・・・
 いつまでも 私の影響が絶対な子供のように思っていたら
 いつのまにか 親を客観視できるほどに
 成長していたのですね
 これから私を 1人の女性として見るようになるとしたら
 もっとしっかり生きていかなくてはね♪
 厳しい点がつけられそうです 



2005年06月12日(日)  テスト


 上の娘の定期テストが近づいてきました

 初めてのテストに 
 私がそわそわしています
 のんきな・・・というか
 勉強の仕方がわからない娘は
 ちょろっとやってはぼーーーっとして
 私立に行ったお友達が遊びに来て
 これまたのんきに遊びほうけています
 こうしたら・・ああしたらと
 アドバイスすると
 「そうやってる」「それしってる」
 と 答えます
 ・・・うううう
 
 親の会で 相対評価から絶対評価になった話を聞いて
 ホッとして帰ってきたのですが・・・
 でも・・・ねえ

 カリカリしているよりは・・・・いいかしら

 ちょこっと机に向った後
 オセロをやろうと言われ
 それどころじゃあないような・・・
 とも思いましたが
 『1回やったら テストのことしてね』
 と約束・・・
 ところがいつこんなに強くなったのか
 私が負けてしまったのです
 すごーく悔しかったけれど
 約束だしなぁ・・・
 『今度やるときは負けないもん』
 と 負け惜しみを言うと
 「もう1回やってみる?」
 と 挑戦的
 大人気ない私は
 『約束じゃない・・・仕様がないなぁ
  あと1回よ 終わったらやることしてね』
 私としたら 負けたまま終われなくて・・・
 仕方なさそうに 再挑戦です えへへ
 何とか勝てて 引き分けということで
 終わりにしました
 
 こんなテスト前の我が家です
 のんきなのは私に似たのかな
 



2005年06月11日(土)  自由参観


 土曜日に月曜日の日程を入れて
 自由参観がありました
 給食も有りです
 
 半日ずっとはちょっときついので
 3時間目から出かけていきました
 いつも仕事帰りのまま出かけるので
 今日はちょっぴりおめかししました
 
 国語の漢字テスト・・・
 夕べ私は 中学校の親の会があり
 漢字練習をみてやれませんでした
 上の娘に頼んで しっかり覚える手伝いをしてもらいました
 どんな方法で見てあげたのか
 はっきり教えてくれなかったので
 ちょっと不安でしたが
 テストはできたようです
 終わってから私を見つけて
 親指を立てて(できた)とサインを送っていましたから・・・
 その後 新しい漢字をゆっくり覚えて
 授業は終わり 4時間目は パソコンです
 ネットにつないで 計算ゲーム遊びをしていました
 時代ですね 「ダブルクリックします」
 私たちの時代にはなかったものが
 こうやってどんどん入ってくるのです
 親が勉強を見てあげる時代も終わってしまうのでしょうか
 親が子に習う時代が来るのかな

 楽しそうに何事にも取り組むクラスです
 みんなが学ぶ姿勢で 落ち着いていて
 自然体で真面目な雰囲気がありました
 親がいると きょろきょろしたり
 落ち着かない空気になりがちですが
 全然気にかけることなく
 普段のように過ごしていたようです

 第二子は どうしてこんなに見る目が違うのでしょうか
 心配事もなく帰ってきました
 父兄同士もいい関係でしたよ
 とりあえずは 安心といったところでしょうか
 よかった
 
 
 
 



2005年06月10日(金)  追突

 上の娘をスイミングに送っていくときのこと

 反対車線にお母さんの車が止まっていて
 道路を渡ってお母さんところに行こうか
 どうしようかとまよっている子供が居たのです
 前の車が急ブレーキをかけました
 うわっ 止まるのか!
 あわてて私も急ブレーキ!

 バキッ!

 えっ?

 「ぶつけた?」
 子供達が心配そうに聞きます
 『ううん 後ろ ぶつけられた・・・』
 「えええええ」
 『ここから歩いていきなさい
  車がぶつかって遅くなったって言うのよ』
 
 車を降りると 反対車線で
 子供を叱るお母さんが見えます
 まったくなぁ・・・
 それを横目に 後ろの車に歩いていきます
 「すみませんでした」と ぶつけた相手
 『いえいえ どうしましょうか とにかく
  警察呼びましょうね』
 若い男性でした 携帯で連絡しています
 「あの・・・ここは駅の何口ですか?」
 『えっと・・・西ですね』
 どうやらここの人ではなさそう
 東京から仕事できたそうです
 27才だそうです しっかりした人でよかった
 
 駅の駐在所からおまわりさんが来ました
 反対車線から叫んでいます
 「お体は大丈夫ですかぁぁぁ?」
 『はーい ありがとうごさいきぁす』
 ・・・そうか 私 相手の体を気遣うの忘れてた
 『そうでした お体大丈夫?』
 「いえ 僕よりそちらのほうが・・・」
 ・・・とまぁ 穏やかな方で・・・
 おまわりさんもいい方でした
 
 トヨタに行ったら
 お体大丈夫ですか?
 と まず聞かれ
 だんだん心配になってきたりして・・・
 でも 体は大丈夫みたいです
 でも心には ちょっと亀裂が・・・
 
 まぁ 最悪な厄年ですから
 これもひとつの厄落としですね

 ・・・・ということで
 
 
 
 



2005年06月09日(木)  痒み

 唇が痒い
 そう感じたのは もう2週間以上前です
 唇から口の周りへ
 それが輪を広げるように広がって行き
 今朝はとうとう頬からあごにまで痒みが広がりました
 口のまわりはバリバリになり
 気になって仕方がない状態です
 
 覚悟を決めて 皮膚科にいきました
 『顔が痒いんです・・・唇から始まって・・・』
 「・・・・・唇ね・・・」
 『食べるものにでもかぶれたのかと思っていたら
  時間が経つにつれて広がってきたので
  気になってきたんです・・・』
 「・・・・・・・」
 ・・・・・・・・・・・・
 なんだろう・・・この沈黙は
 かなりの沈黙のあと
 「まぁね 私の言うことなんて信じられないだろうけど」
 ・・・・・・・え?
 「季節柄とか 日に当たるとか 心意的なものとか
  いろいろなことで痒くなったりするものでね
  多少そういう質だったのかもしれないし
  今まで出ていたけれど 今回ほどじゃなかったりとか
  すっかり綺麗に治るものだし
  食べものは関係ないし 化粧水もつけてへいき
  しみるのに我慢してつけないでね
  それでは治らないから 薬を出しますよ」
 なんだか良くわからない話・・・
 でも 看護婦さんにも塗ってもらい
 マスクをして 隠して帰ってきました
 
 塗ったばかりのときは
 ちくちくちりちりといたがゆかったけれど
 すぐに痒みが引いてきました
 「抗生物質だから 痒いところにつけて
  ひどくないところは化粧水でいいから」
 なんだか心配しすぎていたようです
 お医者さんにはそんな心情が伝わったのかな
 
 薬をつけて きっちり治そう!
  



2005年06月08日(水)  月謝


 見学に行ってきました
 ダンスです

 お友達が娘を見つけて
 「一緒にやろうよ」
 と 近くに来てくれました
 やりたくてやりたくて仕方がなかった娘は
 レッスン室に入るとすっかり借りてきた猫になっていましたが
 お友達のおかげで すぐに踊り始めました
 真剣なまなざしで鏡にうつして
 お友達や先生に合わせています
 上の子にはまったくない姿なので驚きました

 今日の見学も お友達のお母さんから聞きだして
 私に場所と曜日と時間を伝えて
 連れて行ってと頼んだくらいですから
 かなり本気なようです
 言われたように体を動かす娘
 「素直に動けますね」
 なぁんて言われたものだから もうご機嫌です
 お稽古が終わって終わりのあいさつが済むと
 私のところに飛んできて
 「お母さん 明日も来たい 明日から習いたい」
 明日はやってないの 来週から来る?
 「来週の水曜日来たい」
 もう 擦り寄って何度も何度も言います
 ・・・・根負け

 下の娘は後回しのことが多く
 ダンスもチャンスを逃してばかりでした
 今がチャンスなのかな・・・
 話しはトントンと進み
 来週から通うことになりました
 格安で習えるところも魅力でしたしね
 
 家に帰る途中から
 すっかり有頂天です
 帰ってからも 上の娘に報告をし
 1人で歌って踊ってご機嫌です
 よほど嬉しいと見えます
 
 かわいいなぁ・・・
 こんな風に 表現できるのか・・・と
 発見することができました

 ・・・さぁ 親は大変ですね



2005年06月07日(火)  ダンス

 
 下の娘がモダンダンスを習いたいと
 場所と時間を聞き込んできました
 お友達の発表会に招待されて
 見てきたのがきっかけです
 不思議ですよね
 上の娘のお友達にもバレエをしている子がいて
 何度も観に行っていましたが
 まったく関心がなかったのですから・・・
 下の娘は 小さいときから歌ったり
 踊ったりして見せてくれました
 ジャズダンスでもしたら喜ぶだろうな・・と
 ずっと思ってきただけに
 こちらも悩みます
 まず お月謝のことが心配ですが
 下の娘にとって 今がチャンスかとも思い
 明日 見に行ってみようかと話しています

 子供は可能性がいっぱいですよね
 色々な経験をさせたいと思う親心・・・
 何をするにもかかるお金・・・
 でるのはため息ばかりなり・・・

 がんばりましょう



2005年06月06日(月)  手話

 
 久しぶりに幼稚園へ行きました
 
 お母さん向けに手話を教えてほしいというのです
 私はもう 人に教えるほどの技術もなく
 知識もないので 本当に私でいいのか
 確認してしまいました
 卒園児の母ということで
 引き受けたのですが
 園長先生も代わり 知っているお母さんも少なくなり
 やはり私では役不足だと感じながらの始まりでした
 
 乗りかかった船というか・・・
 はじめたらもう 迷いは捨てなくては
 
 参加人数は20人くらいでしたか
 お若いお母さんたちのパワーで
 こちらも元気が出ます
 この中で 手話を続けて物にしたいと思う人は
 いないかもしれないけれど
 伝えたいことは 伝えることができたかな・・
 という手ごたえを感じました
 この地域で 手話を続けて勉強していくのは
 難しい状況です
 何かのきっかけになればと思います
 聴覚障害者だけに限らず
 障害者への関わりが広がっていくといいですね

 まぁ・・・
 のんびりいきましょう



2005年06月05日(日)  美化清掃


 組長の仕事です
 美化清掃がありました
 
 家の前には火災用水の川が流れています
 ここには蛍や沢蟹がたくさんいます
 上流で水をせき止めると
 川底が見やすくなって
 近所からわくように子供達が出てきます
 それぞれのバケツにごそごそと音をたてたカニが
 所狭しとはいっています
 とっていい草と残す草 
 環境作りのために 結構難しいです
 
 せき止めた水が戻る頃
 大人たちに追い立てられて
 子供達も川から上がってきます
 大人には大変な朝ですが
 子供にとっては 楽しい美化清掃のようです



2005年06月04日(土)  運動会

 中学校の運動会でした
 お天気が心配でしたが
 カンカン照りでもなく
 ほどほどで運動会日和でした

 中学生ともなると みんな大きくて
 社会人の運動会みたいです
 思ったより力が入っていて
 グループで戦う物は負けそうになると
 泣き出す女の子達までいました
 青春ですね・・・

 珍しい競技で 最後まで飽きなかったです
 娘が出たものに 「どこに行っちゃうの?」
 っていうのがありました
 これ・・・楽しいですよ〜
 校庭の真ん中で パラシュートが無数に飛び散る
 花火を打ち上げるのです
 小さいときに パラシュートの花火をすると
 誰のものか争ったものです
 それが競技になってるのです
 いいなぁ やりたいなぁ と 下の娘と
 指をくわえてました

 そして 名物ムカデ競争
 1年生は約4人 2年生は約6人
 3年生は10人弱です
 それぞれプログラムのあいだに学年ごとに競技するもので
 みんな燃えてます
 1年生は転んだときに
 小指を骨折してしまった子がいました
 近くにいたお母さんが 小指が反対側に折れていた
 と証言・・・鳥肌立ってしまいます
 ムカデ競争は転ぶとひどい怪我になるようですね
 足の自由が利かないから 前を突き飛ばしてしまったり
 手だけで支えようとするから
 骨折してしまったり・・・
 過酷な競技でした

 それから 棒上り
 二人三脚で走ってきて
 足を離して1人が竹の棒を上り
 リボンの端を引っ掛けて下りてくる
 もう一方の端は 下に待っている生徒が
 一本ずつ持って リボンの三角屋根のようになります
 竹のぼりはできる子が選ばれたようですが
 思いがけなくできなかったらしい男の子
 あと少しというところで落ちてきてしまうのです
 「がんばれ〜〜」
 みんなから声援が送られます
 でも・・・どうしても駄目・・・・
 断念したのかと思ったら
 最後に再度挑戦! 今度は上手くいき
 父兄からも生徒からも歓声が沸きました

 最後にフォークダンスです
 懐かしいですよね
 男の子と女の子が肩に手をやって
 オクラホマミクサーっていいましたっけ?
 相手が代わっていくものです
 1曲終わると 生徒から自然に
 「アンコール!アンコール!・・・・・」
 もう一度踊っていました
 女の子の人数が多いので
 男役の女の子もいて
 家の娘も背が高いから男かな・・・
 と思ったら さらに大きな男の子が
 娘の肩に手を回して 手をつないでいました
 どこに行っても「お兄ちゃん」て言われるので
 私としてはホッとしました
 いやいや みんな背が高い!

 無事に予定通り終えてよかった
 思ったより楽しめました
 
 



2005年06月03日(金)  ピアノ


 ムラムラとピアノが弾きたくなります
 しかも今日はバンバンと・・・
 華麗なゆっくりとした曲ではなくて
 攻撃的に叩く曲なのです
 ・・・ところが
 いつも弾いていないので
 悲しいことに指が動かないのです
 まずは指をほぐすための練習曲からです
 1本1本が独立していない
 指が転んでしまいます
 昨日も弾いたので 今日は昨日より動く
 こうして毎日弾いていたら
 また指が動くようになるのでしょうか

 ピアノ・・・
 小さいときは ピアノを弾く時間が辛い時間でしたが
 今は 大切な時間になりました



2005年06月02日(木)  兄


 私には兄ちゃんが1人います
 小さいときは喧嘩ばかりしていたので
 大きくなっても嫌なやつだな・・・って
 思うんだとばかり・・・
 
 だけど お嫁さんもらって
 女の子と男の子が生まれてパパになり
 貫禄がついて経済力もあり
 家庭も仕事も上手くいっていて
 両親に優しくて
 なぁんかいいなぁ・・・

 そんなこと考えなかったけど
 兄がちょっぴり自慢になってきました
 私も年をとったということかなぁ



2005年06月01日(水)  たたき


 担当のYさんは
 超たたき食です ミキサー食ではないのです
 常食 刻み食 たたき 超たたき ミキサー 流動
 その人の体の調子や歯の具合
 血圧 糖尿 腎臓などなど
 さまざまな状態に合わせて
 食事の形態も変わります
 Yさんは超たたきです

 お粥と おかずはそれぞれに分けて
 たたいてあります
 オレンジの山 緑の山 茶色の山・・・
 にんじん ブロッコリー 鳥肉
 見た目を損なわないよう 盛り付けてあります
 ですから 毎日のメニューは
 前日に私がメモに書いて渡しておき
 それを見ながら食べるという感じです

 以前麺類は かけそばかけうどんでしたが
 栄養士が代わってそば粥 うどん粥になってしまいました
 それはもう・・・まるで・・・吐いた物の様で
 うう・・・表現が悪くてごめんなさい
 で・・・
 本人と相談しました
 『前はかけそばだったけど それにしてもらわない?
  いま 何食べてるかわからないよね・・』
 「うん 長いそばがいい」
 ですよね ということで
 次回からは かけにしてもらうことにしました
 とても熱心な栄養士で
 調理人も板前さんを雇ってもらったほどです
 なので すぐに了解してもらえました
  
 高齢者の食事って 難しいですよ


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いっしょくん [MAIL]

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