10歳になる娘が お友達と約束をしていました 街に買い物に行く というのです およその女の子の10歳といったら もう バスや電車を利用して 少し都会まで出かけたりしているのではないでしょうか 我娘は いつも私にくっついていて いや・・・私がくっつけていて・・・かな ただぶらぶらとウィンドショッピングを楽しむなんて 冒険は したことがありません 今回も 仲良しのお友達の誘いがなければ 自分からは お出かけしようなど 考えもしなかったことと思います 「お友達が 街のほうに買い物に行きたいって」 娘はお友達の提案どおりに私に伝えます 私もはじめは この子には無理だろうと打ち消しましたが もしかするといい機会かもと承諾したのでした
そして今日 緊張気味の娘に 「中学生がいたら できるだけその中に 入らないように よけて通るのよ 『お金を出せ』って言われたら とにかく持っていませんていい通してね それから お金を持っていくからって 全部使ってこなくていいんだからね」 言い聞かせながら 私が不安になってきます 5時には家につくように向こうを出てくること 腕時計を持たせます 何かあったら電話すること テレホンカードを持たせて・・・ 親馬鹿をします
出かけている間中 時計を見ては 大丈夫だろうかと 心配になります 約束の5時まで後10分 「ただいまーーー」 ちゃんと時間前に戻りました 『おかえりぃぃぃぃ どうでしたぁ?』 「うん たのしかったぁー」 『よかったねぇ』 「はい これお母さんに お誕生日プレゼント」 『ええええええええええっ!』 もぅ びっくりです 後3日で私は誕生日・・・でも・・・ 初めてのお買い物で 自分の欲しいものが たくさんあったでしょうに しかも 千円しか持たせなかったのに・・・ うるうるうるうる・・・ プレゼントは スヌーピーの絵のついた 目覚まし時計です 「これねぇ 400円だったの お母さんさ スヌーピー好きだからね」 なんだか もう めろめろです 嬉しいなぁ・・・ できる範囲で・・・がモットーの我が家は 誰かの誕生日というと 娘は10円の飴を 駄菓子屋で買ってプレゼントしてくれていました それもいよいよ卒業したのかな・・・
宇宙服を着て にっこり笑っているスヌーピーは 私の持っているどのスヌーピーより かわいい笑顔に見えます
贈り物
贈られた物
私のことを考えて
悩んで選んだ物
私がそこにいなくても
思っていてくれたことが
何より嬉しかった
春の野草 細かい花々が あちこちにびっしりと咲いています
金曜日に桜を観にいったとき いぬふぐりとたんぽぽが 空き地を彩っていました 先日調べたばかりの紫の花 今までは「ほとけのざ」と間違えていたものですが 調べてみたら「ひめおどりこそう」と言うのだそうで 何でも かさをかぶった踊り子が踊っているように見える のだそうで・・・ちょっと見たところでは どうこじつけても 踊り子には見えなくて・・・ まぁ 素敵な名前ですし そう見てしまおうと その気になって見ます この「ひめおどりこそう」は もともと日本の野草ではないようです ヨーロッパ生まれの 帰化植物と書いてありました 明治の初めに 東京で始めて確認されたものだそうです それが今 どこへいっても 空き地にびっしりと 生育していて すっかり日本の顔になっています 秋の野草である 「せいたかあわだちそう」も 北アメリカから来た植物です 蜂蜜を取るために 明治時代に日本に入ったものです それが秋になると 川原や原っぱに 我が物顔で背高く 茂ります これが日本人の花粉症患者には 大変迷惑な植物になるようで 春同様 秋の花粉症の原因になっています こうした野草は 繁殖力が強く 日本の野草を枯らして育つのです 「せいたかあわだちそう」のように 周りの植物が枯れるような毒素を分泌しながら 生育していく植物の作用を「アレロパシー」 というのだそうで 黄色の綺麗さとは裏腹に とても恐ろしいことを 日本の植物に起こしています 急速に分布してきた「せいたかあわだちそう」 秋の野草 「すすき」を脅かしています ところが 「アレロパシー」の作用は 「せいたかあわだちそう」自身にも働いてしまうので 繁殖がコントロールされているのだそうです
せり・・・神経痛・リウマチ・解熱 なずな 薺 (ぺんぺんぐさ)・・・目の充血・高血圧低下 おぎょう 御形 (ははこぐさ)・・・咳・痰・利尿・皮膚病 はこべら 繁縷 (はこべ)・・・歯茎の出血・歯槽膿漏 ほとけのざ 仏の座 (こおにたびらこ)・・・歯痛 すずな 菘 (かぶ)・・・しもやけ・そばかす すずしろ 蘿蔔 (だいこん)・・・冷え性・神経痛
春の七草です 「仏の座」は「こおにたびらこ」のことで 「ほとけのざ」は食べてはいけないのだそうです 1月7日におかゆと食べる七草ですが 今の時季 花を咲かせて のびのびとしています 「ひめおどりこそう」 「ふじばかま」と似ていますが違います
これ 試験で覚えるときに 「子 母 背中だ」と私流に覚えました こははせなかだ こおにたびらこ はこべ ははこぐさ せり なずな かぶ だいこん ねっ!
野草の名前を調べていたら どんどんそれていってしまいます 花の名前をたくさん覚えて 見つけたときに 呼んであげたい・・・
野草
石の間から
土手の斜面から
こんなところから あんなところから
小さな息吹が
こぼれてる
「見つけてちょうだい」
そんな声にも聞こえるから
そんな顔にも見えるから
ちゃんと名前を知っておきたい
久しぶりに学友に会いました 5人集まる予定が それぞれに忙しく 3人になってしまいました 卒業してから 何年!? それぞれいろいろなことがあります どんなにしばらくぶりに会っても 昨日別れたように話せるのは 何年経っても変わりません
今日尋ねた友人宅は 彼女の実家で 彼女のおじさんが亡くなり 彼女の母親が 彼女の祖母を引き取り 生活を始めたばかりというところ おじさんの納骨に 遠方の墓地に出かけた留守を 友人が任されたのでした 彼女の子供2人と 痴呆の祖母との留守番です ちょいと賑やかしに遊びに行ったのです
彼女のおばあちゃんは 96歳です 痴呆が進んでいて 同じ事を何度も聞きます 住み慣れた地を離れて 娘の家へ来たものの やはり世話になっているという気持ちは 常に彼女の心の中をいっぱいにしています 「どうしてここにいるのかねぇ」 「誰が連れてきたんだろうか」 「うちの鍵はどうしたろう」 こういった言葉の繰り返しです 優しい声で尋ね 数分おきにトイレへ歩いていきます 友人の母は このお年寄りをなかなか受け入れられずに いると聞きました 友人の母様は まめでめんどうみがよく 友人宅へ遊びに行ったときは 手料理や手作りケーキなどでおもてなしをしてくれます 優しくて 日本の母と言った感じの女性です ・・・でも やはり自分の母親は 厳しい目で見てしまうものなのでしょうか そんな穏やかのお年寄りでさえ 共に生活する自信が持てずにいるということです 友人もあれこれ説得をしている様子でした 友人自信も姑が脳梗塞で 半身不随になってしまい 病院に通っている生活です
それぞれの生活の中でも 長い時間の流れを感じました 自分達の祖父母の死 親の老い 自分の年齢 子供の成長・・・ 変わらないと信じていた身辺の環境や心・・・ 着実に年を取り 変わらざるを得ないことを 思い知るのです
ずっとずっと これからも 友達でいよう
友
どんな環境で
どんな生活を送ろうと
ずっとずっと友達
暖かい日が 三日続き とうとう桜の枝先に 白いものがちらちらと見え始めました ・・・咲きました・・・・
さて 枝垂桜はどうでしょうか 車椅子で勇んで出かけようとすると すれ違ったヘルパーさんが 「いま 枝垂桜を見てきたけれど 全然咲いてないわよ」 と ちょっぴり自慢げに教えてくれました そんなはずない・・・と 思っては見たものの ちゃんと確かめなくてはと 『そうでしたかぁ・・・ちょっと私たちも行って来ます』 と 急いで出かけます 実はその前に 彼女の子供たちにはがきを書いていました あれほど嫌がったはがきでしたが 『桜が開花したことをお伝えしましょう』 と 話すと 魔法にでもかかったかのように すらすらと4枚ものはがきに [さくら] と書いたのでした 目的目標を持つと 人からは不思議な力が出ると 何度か経験したものの 忘れていたことです またしても 不思議に触れた気がしました そのはがきを出すのに 本当に開花したかを 確かめたかったのです
お日様は 残念なことに ちょうどぽっかり浮かんだ厚い白雲に隠れて 日がかげってしまいました 風も出てきてしまいました が 確かめなくては投函できないという思いで 足が逸ります 『全然咲いていないって・・・言っていましたね だとしたら 来週に投函しましょうか・・・』 そんなことを言いながら 桜のもとまで来ました 先のほうに 白い花がちらほら・・・ 『咲いてますよ・・ほら 咲いてます』 何だかものすごい発見のように 嬉しくなります 桜の前に設置してある お団子やさんも 開店しています 『見えますか? 咲いているのが見えますか?』 「ええ ええ 見えますよ 見えますよ」 『これならはがきが出せますね 来週からが見ごろですね』 よかった・・・私たちは 寒い日 蕾のかたいうちから ここに来ています 日に日に先が赤くなり 今日の開花の変化が とてもよく感じ取れました 昨日まで 起きることもままならないほど 落ち込んでいたこの方・・・ 久しぶりの 車椅子での散歩と 嬉しい開花と 楽しみなはがき・・・ タイミングが合うとは こういうことかな 投函した後『はがきが出せた 私の念願が叶いました』 思わずそう言ってしまいました その言葉に はにかむ様子が伺えます 彼女も嬉しそうです これから散るまで 私たち2人の楽しみとなることでしょう
はがき
誰かに送ると
受け取った様子や
見えない反応に
期待が膨らむ
見えないということ・・・
想像力が豊かになる
相手への思いが強くなる
あらら? 一週間ほど前から 花粉症の症状が ぱったりと途絶えています お彼岸の前後で 気温が下がったせいかと思い 騙されないぞ・・・と思っていたら どうも 暑くなっても強風に打たれても 症状は出ないのです 朝起きたときに くしゃみの5連発くらいは あるのですが そのあとまったくなんともなくて・・・ ううう・・・ありがたいことです 扁桃腺の薬を飲む前に寒い日が続いて そのまま扁桃腺の薬を飲み始めたので もしかすると タイミングよく 薬が花粉症にも効いたりしているのかもしれませんが・・・ 世の花粉症に悩む方たちはいかがでしょうか・・・ 私だけ得したような気になっていますが 皆さんそうだったりして・・・ みんなで一緒にすっきりしたいですよね
今夜はすごい風が吹いています 星が綺麗です 子供たちは おばあちゃんの家に泊まりに行き こんなにも気が楽かと思うくらいの夜です なんか・・・寝てしまうのが惜しいなぁ・・・ 明日仕事じゃなければ 朝まで起きて居たいくらいです 不良母だこと・・・
星
ふと 夜空を見上げたら
うるうると 星が光を伝えてた
風に邪魔されて
やっと届いたその光は
今にも消えてしまいそう
気の遠くなるような時間をかけた光を
私の目が受け止めた
私の目は何億光年の光を
受け止めたのだ
昨日の日記は 壊れてたな・・・
今日も 担当の女性は元気が無く 離床以前に 目を開けることすら 億劫な様子です 話しかけていれば 何とか応対しようと 口は動くのですが 何を言っているのか 何が言いたいのか 理解するのに一苦労です 日一日と 命をともすように 静かに静かに 生きている・・・ 今 目の前でこのまま眠るように 逝ってしまうのではと 考えてしまいます 昼夜逆転してしまったようです 昼間離床しているのに・・・ 尿漏れを気にするあまり 寝られないようだと介護日誌に書かれています 眠剤を使い始めたようで 午前中まで薬が効き続けているとも考えられます 「一日ぐらい何もしないで良いのよ・・・」 かすかな声でつぶやきます 『私にとっては・・・貴重な一時間なんです 一時間といえ 無駄にならないように 私と 向き合っていただけたら嬉しいですが・・・ 無理はいけないですけれどもね・・・』 私の気持ちが少しだけ伝わったようで 「大切にしなきゃね・・・」 と 小さな声が返ってきます
『明日はベットから起きて 私と遊んでくださいね』 「・・・・・・・」 『じゃあ・・・また・・・明日来ますからね』 「行っちゃうの?いなくなっちゃうの?また私・・・ 1人になっちゃうじゃないの・・・」 え・・? 『大丈夫ですよ 1人じゃないです このボタンを押せば いつでも誰かが来ますから・・・』 「あなたは来ないんでしょ・・?」 『必ず明日来ますからね だから明日は 起きましょう 背中やかかとに よくないですしね』 話をはぐらかすように 別れを告げます 以前の私なら ウルウルしてしまうところです 祖父母の死を見てきたことで 自分の気持ちの持っていきかたを 学べたのかもしれません 図々しくなったのかもしれないです
この人にとっての1時間は 負担なのでしょうか でも 来ないより来たほうがが良いのかな 落ち込み・・・甘え・・・ どうにもならない寂しさとのたたかいなのでしょうか オムツを替えてさっぱりとしたところで もう1度離床を進めると 少しその気になります 車椅子に移動してゆっくり部屋を出ると 「部屋がいい・・・どこにも行かない」 です 結局 昼食も食べたくないとのこと 初めての欠食です
毎日違うから やりがいがある・・・ それがこの仕事です 元気になっていただくために 私がさらに元気でなくては・・ね
元気
ビタミン カルシウム 鉄分 元気 っていうサプリメントが
あったら嬉しいな
膨らみ始めた桜の蕾を 朝から雨が 優しくぬらしています 枝垂桜への上り坂には 歩行者を保護するための赤いコーンが 並べられました 空き地には仮設トイレが・・・ いよいよ枝垂桜の豪華な舞台が始まろうとしています 昨日車椅子を押して お散歩に行った時 まったく咲いていなかったのに 写真をとる人が2人もいましたから これからはどんどん観光客が増えてくるでしょう 雨というのに 仮設の歩道には 人の列ができています
担当の方の居室に入ると 呼びかけに対して 返事をするのですが 目を開けません ずっと話しかけているのに ときどき「はーー」っといういびき・・・ このままスーッと息をしなくなってしまうのではと 少し心配になります 外は雨・・・ 『・・・雨です・・・午前中ですよ・・・ 火曜日です・・・目を・・・あけてくださいな・・・』 93才の春・・・ 長い時を生きて 静かな時をここで過ごしています この静寂の時を邪魔するかのように 話しかけ続けます 『お昼ご飯の前に 車椅子に座りませんか・・・?』 声をかける意味 離床の意味 私が関わる意味 私の頭の中を ぐるぐると回り始めます 関わる時間 関わることに対する報酬 要求に答える努力は 怠ってはならないのでしょうか こんな時を買っていただいても いいのでしょうか
時給
私といる時間を
買ってください
私を買ってください 精一杯の私を
お届けしましょう
桃・・・ 喉に桃がなってます そんな感じ 扁桃腺が腫れました
5日ほど前から 喉に物が詰まったような声になり あまり気にもとめていませんでしたが とうとう夕べ 痛くてたまらなくなりました でもいつものような熱っぽさはなくて 扁桃腺とその前のあたりが ひりひりと痛むばかりです 何か飲み込むたびに 頭にまでびりびり来るようになり いつも喉に力を入れていないと 息ができなくて・・・ いつもと違うみたい・・・ そう思って 今日は病院に行けたらいいと考えていました あいにく子供を頼もうと思った母は忙しく また日を見てと 諦めていました
今日の午後は子供と遊ぶことにしていたので 気を取り直して どこかへ行くことにします と いうところに幼稚園のお友達からのお誘いです 合流させてもらうことに・・・ ふと・・・子供たち遊んでいる間に ちょこっと 病院に行かせてもらおうかな なんて考え お友達にお願いしてみると 快く引き受けてくれて・・・ ・・・・ありがたい・・・・ 申し訳ないけれど ひどいことにならないうちに 何とかしてもらってくることにしました 初めての病院です 熱があれば内科にでも かかるところですが 体は元気で 喉だけ扁桃腺だけだったので 咽喉科の病院へ行ってみました 1時間以上も待たされて 子供たちが気になります 先生は 働き盛りといった感じの男性 前もって書き込んだカルテをみながら 簡単な質問から入り 「では みせてくださーい」 結構明るい先生・・・ あーんと口をあけると 「あーらまっ おおきいのねぇ」 子供のころから 悩まされてきた扁桃腺です 大きさにはちょっと自信あり・・・ ひときれのガーゼを渡されて 「それで自分の舌を引っ張ってて」 えええええっ!? 何が始まるのぉ? 『えええっ』思わず反応してしまいました 舌を引っ張り再びあーん・・・ 上から舌を押さえて扁桃腺をぎゅっと押して薬を塗って 「はいはいごめんねー」 と 謝られながらも ケホケホしてしまい おしまい 「治ったら来なくていいよ」 そりゃあそうでしょ・・・ そのあと薬の吸引をして おしまいです 甘い薬を塗られて 口の中が甘くなっています 懐かしい・・これは 小さな頃から 扁桃腺が腫れるたびに 小児科で塗ってもらっていた あれと同じだ・・・
しばらく炎症を起こしたところに 薬がしみます ヒリヒリヒリヒリ・・・ 結局 熱の出ない扁桃腺炎だったようです 扁桃腺だけ風邪ひいた状態のようです 抗生物質 炎症止め(強) 炎症止め(弱) 胃薬 と たくさん薬が処方されて 買ってきました 薬でおかしな反応が出ないといいなぁ・・・ 薬が苦手な私なので 薬を見ただけで かなり憂鬱です
でも 扁桃腺を切りましょうとか 喉頭種とか 恐ろしいことを言われなかったので一安心です 子供たちをお願いしていたお友達には 家によっていただきました ありがたいことです・・・感謝♪
扁桃腺
高熱がでて
うなっている私に
透明のりんごジュースは
もう届かないんだね・・・
おばあちゃん
また腫れちゃったんだ・・・
上の娘の使っている勉強机は 私の祖父が使っていたライティングデスクです と 前にも日記に書きましたが とにかくガラクタでできている机ですから 机で何か書こうとか 宿題はここでしようとか 思えないのではと 娘に言うと 「全然大丈夫 欲しいものが すぐ届くところにあるからいいんだよ」 ・・・届きすぎます そして 意を決して一掃することにしたのです まず机を片付けるのには おもちゃの押入れを整理するところから はじめなくてはなりません おもちゃの押入れを整理するには 赤ちゃんの頃のおもちゃを一掃しなくてはなりません ということで 急遽 大掃除が始まりました まずは押入れを空けます そして机のおもちゃ=がらくた を 捨てながら移動します 「それ捨てちゃだめ」「それまだ使うの」 ええい・・・掃除にならん と 外で遊んでいてもらうことにします 「これとこれと・・・・これもこれも 捨てないでね・・・これは絶対にね・・・」 なんだか鬼に嘆願しているようで 『わかってる・・・大事なんでしょ? できるだけ捨てずに片付けるから・・・』 思えば私も かなりの収集家だったので 消しゴムの缶 シールの缶 エンピツの缶と 品物豊富でお店屋が開けるくらいでした 懐かしいな・・・ 娘の場合は とにかく何でも良いのです どこに誰といって拾ってきた石 とか 誰と何のために行って買ったお守り とか・・・ その物と物の合間を縫って消しゴムのかすやら 切り刻んだチラシなどが混ざっていますから もう 手のつけようがない感じです とにかく ゴミ袋にふたつ分の 要らないであろう物が出ましたから すーーっきりです 貝殻やビーチグラスは とっておくことにして 人間の子供の机らしく!?なったのです 「あーーーすっきりした」 『何か言うことないの?』 「えへへへ ありがとね」
今夜は机の前面を使い お尻をちゃんと椅子に乗せて (夕べまでは机の角だけ使って 椅子の角にお尻を引っかけてすわっていました) 宿題ができるようです あぁ・・・望ましい姿・・・ 何日この状態が保てるでしょうか・・・
娘
「夢を見たの・・・」
体が変わっていく年頃
娘が初潮の夢を見た
そろそろ準備をするようかしら
「うん 大丈夫かな」 心配ないからね
慌てないようにね
大きくなったんだね
何だか・・・複雑だな
髪が伸びました なんともだらしのない感じです 髪の量が多い私は ショートにしていましたが 美容院を変えてから カットが長持ちするようになり とうとう首が隠れるくらい 長くしてしまいました ショートがいい と母に言われながら もうちょっとバサバサしてみたいのよ なんて ぐずぐずしています 仕事もあるし 花粉症ということもあって 両側をとめることにして はじめは カットにいけるまでと思って とりあえず 若気の至りで購入した 熊ちゃんのピンや ちとさび付いたピンなどで 我慢してきましたが だんだんそれも具合がよくなく とうとう買う決心をしました
このあたりで1番ピンどめの量が あるであろうお店に行きます そこは ピンク系 ブルー系 緑系 茶系 銀系 黒系 と 色別に分かれていて なかなかおしゃれなデザインが揃っています どれにしようか 悩むのも楽しいものです
と 忘れてはいませんか? 我が家には 娘が2人いるのですよ ゆっくり選ぼうにも 「お母さんはこれがいいんじゃない?」 「ちょっとお母さんこっちに来てよこっちこっち」 「ねぇ みてみてみてみてみてみてみてみてみて」 ・・・・・くーー・・・ 好きなだけ選ばせていただけないでしょうか わたくしのピンでございます・・・ 「私も欲しい」 「ねえねが買うなら私も欲しい」 ・・・結局 ピン屋の前で ああでもないこうでもない 私が両側をとめるピンを買いに行って どうしてこんなに出費がかさむのよ? と くたびれ果てて帰ってきたのであります
これから大きくなったら みんな同じ趣味でいきましょうよ 服も 靴も 髪どめも で とっかえひっかえ 貸したり借りたりすれば きっと 安上がりよ・・・・ ね・・・おねがいーーー
おしゃれ
好きな色
好きな形
好きな柄
女三人寄れば
好みが違う
お互いの選ぶものに刺激を受けて
お互いを認める気持ちになる
それぞれの個性を
落ち着いて受け入れられる部分
・・・おしゃれ
いいお天気です 仕事はお散歩です あ・・・いやいや お散歩をしてお給料いただけるなんて 申し訳ないような・・・
お日様の出ているときは 積極的に外へ出ます 離床からリハビリ 精神安定 その目標にしてきたのが 枝垂桜を観にいくということ 施設からの道はけわしく!? 片道30分は登り続けるようです 本人も自信がないようですが 私も坂道の入り口に立つと この坂かぁ・・・と力をなくしていたのです 昨日 主任に「枝垂桜を観たいという希望を かなえるには どういう方法がありますか?」 と尋ねると とても簡単に 『あの坂を登れば 後は平らな道一本よ』 ・・・って そういう風に言ってくれなかったでないのぉー なんとなんと 目標に掲げてきた あの枝垂桜まで 歩いて10分というではありませんか 今までの計画は・・なんだったのでしょうかというくらいです そして早速 下見の散歩 片道10分を頭に入れて 誘い出しますが ベットの上で少々ごね気味です 「枝垂桜の近道を教わりましたよ 下見に行きませんか?」 というと 『はい』と素直に返事が返ります 居室を出たのが 20分過ぎ・・・あと40分です フルスピードで!?玄関を出で 1人では無理かもしれないと言われた急勾配を ブリブリ登りつめます 自分でも怪力だと驚くぐらい・・・ 平坦な道に出てからは 日が当たり 両側はみかん畑で 遠くに海が広がっていて 春霞です 人気がなく 鳥のさえずりだけが 遠くの山に反響しています いぬふぐりや仏の座 なずな・・・春の七草も見られます ひっそりと梅の大木があちらこちらにあり つきやまが森になっていて 春日の局のお墓だと言われる 場所があります しばらくいくと 杉林が始まり 木漏れ日がとても綺麗です 同時に沢の音がして 鳥のさえずりと重なり合います 1人で歩くには 昼間でもぞくっとします 何故か人の足音のようなものが聞こえて 何度となく振り返ってしまいましたが・・・ しばらくいくと もう枝垂桜に到着 あまりの近さに 2人で驚くほどです こんなに近いの? あわてたせいか 5分で着いてしまいました 枝垂桜はまだ蕾すらかたく 花びら一枚も 確認できません それでも これから咲くという 勢いのような 力のようなものを感じて わくわくしました お茶屋もかたく閉ざしていて これがあのお祭り騒ぎになってしまうのが 不思議なくらいです
これから時々ここに来て 咲き始めから散り終わるまで見届けられます 目標は なんなく散歩コースに変わり 日々の楽しみとなったわけです
道を知るって すごく得をした気になるものです
桜道
桜に会いに行きましょう
久しぶりだけれど
私を覚えているかしら
あなたを見上げて
ため息が出た日
歓声があがった日
涙がこぼれた日
三百年も人を見続けて
ほんの一瞬の私との出逢い
桜・・・ 桜・・・
あなたは後どのくらい
たくさんの人と出逢うのかな
下の娘の幼稚園は 今日から 春休みです (いよいよ年長さんですね)
送り迎えやお弁当がない分 気持ちがのんびりできるのです 上の娘はもう一息がんばるのですが・・・
すっかり携帯時代になり お母さんたちから お疲れ様メールをいただき 私からも お礼やお祝いメールを送ります
子供の成長のこと お母さん同士の人間関係のこと・・・ 幼稚園時代は 人とのお付き合いが どうしても濃厚になります 安心をいただいたり 経験から 安心をお伝えしたりと 情報交換をしながら 助けられることが多いのも この時代です 学校に入ってしまうと とんとお付き合いも希薄になってしまうものです 苦楽を共にする というと大袈裟かもしれませんが この頃に仲良くなったお母さんとは 学区が違ってしまっても 久しぶりに会っても 抱き合ってしまうくらい 許しあっていたりしています ・・・・ありがたい くじけそうになると そういう人のあたたかさが 身にしみて ありがたく思えてきます
そして二度目の幼稚園・・・ やはり いいお友達が 親子共々できました 彼女たちの悩みや辛さに対して 何とかお役に立てないものかという思いでいっぱいになります ・・・自分も助けられてきたように・・・
出逢い
新しい環境の中
必ず出逢いがある
そして別れ・・・
これからは
この出逢いを生かしていく力を
自分自身の身につけたい
どこかで私と出逢った誰かに
いい出逢いであり
この出逢いを大切にしたいと
感じてもらえるように
サイモン&ガーファンクルの有名な曲に スカボローフェアがあります
今朝 ラジオを聴いていたら 戦争を取り上げたコーナーのゲストが とても興味深いことを言うジャーナリストで 彼が言うには この歌には とても深い意味があると・・・ 興味が湧き 早速調べてみると こんなことがわかりました
サイモン&ガ−ファンクルの 「スカボローフェア」がイギリス民謡(マザーグ−ス)を もとにして作られた曲だということは ファンの間ではかなり有名な話です。
Tell her to make me a cambric shirt, 亜麻布のシャツを作ってくれるよう伝えてほしい Parsley,sage,rosemary and thyme. パセリ、セージ、ローズマリー、タイム Without no seams nor needle work. 縫い目もなく針も使わずに Then she'll be a true love of mine. そうしたら彼女は私の恋人になるでしょう
このあと「波打ち際と海水の間に 1エーカーの地面を見つけてほしい」 「革製の鎌で刈り取った収穫をヒースで束ねてほしい」と 原曲を引用した 無理難題な歌詞が続くのですが 実はこれは人間以外の者(妖精、魔物) が人間に向かって言っている問いかけの言葉なのだそう まともに答えられないと異世界に引き込まれてしまうため 答え手(人間)は「パセリ、セージ、ローズマリー、タイム」の 4つのハーブの名前を呪文として唱えることで この不可解な問いかけから身を守っているのだと 言われています。 そして、その歌詞の合間に別の歌詞が入って 二重構造になっているところが 「スカボローフェア」の特徴。
丘の斜面に舞い散る木の葉が 銀色の涙で墓石を洗い 一人の兵士が銃を磨く 戦争の吹子が緋色の軍勢を焚き付け 将官たちは兵に殺せと命じる 彼等も忘れてしまった理由の為に戦えと。
この曲が作られた1968年といえば ベトナム戦争の真ただ中 死んでいった何万人ものアメリカ兵への 鎮魂歌ともとれる歌詞には メロディーから受ける叙情的なイメージとは裏腹に 重すぎるほどの意味が込められていたのかもしれません そして、この日常的な4種類のハーブを連ねた 摩訶不思議な呪文こそが この歌の最大のメッセージのように聞こえてきます。
Are you going to scarborough fair? スカボローフェアに行くのかい? Parsley,sage,rosemary and thyme. パセリ、セージ、ローズマリー、タイム Remember me to one who lives there, そこに住んでいる娘によろしく伝えておくれ She once was a true love of mine 彼女はかつて私の恋人だった
参考資料 「サイモン&ガーファンクル・グレーテストヒット」 「またまたマザーグース」和田誠訳(筑摩書房) 「映画の中のマザーグース」鳥山淳子(スクリーンプレイ出版)
美しい旋律と 歌声と 通り一遍に読んだ訳詩からは ここまでの洞察力は使わずに 過ぎていました この歌・・・良いと思いませんか?
仕事場に行き 担当者の居室に入ると いつもと様子が違います 居室に入る前には必ず日誌を確認するのですが 何も特記事項はなかったのに・・・ ベットサイドの柵が 2つはめ込んであり 柵とベット本体が紐でくくってある・・・ これが通常です 柵を抜いて ベットから下りて歩こうと錯覚し 転倒事故防止のためでした ところが今日は 柵が1本で 紐ははずされ ベットに平行して マットが並べて敷かれているのです 「あれ・・・このマットは どうされましたか?」 ご本人に尋ねても 『おっこってもいいようにかしら』 とのお答えです 「うーん ちょっとお待ちくださいね もう1度確認してきます」 と・・・ヘルパーは1人も見つからず 仕方なく マットをたたんで ご本人の枕元に到達です 「やっとお顔がみえたぁ・・・」 の 声かけに 嬉しそうです そこへヘルパーさん オムツ替えにあちこち歩き回っていたようで この方のオムツも替えていただきます 「いつもと違うのですが 何かありましたか?」 と 聞いても 転倒防止なんですよ なんて答えで 要点がつかめません
その場はそれで済ませて 帰りの日誌記入のときに 居合わせた主任さんに ちょっと質問です 「今日はいつもと違って マットが敷いてありましたが・・・」 と聞くが早いか 顔色がさっと曇り 『今日は査察が入っているのよ 抑制はしないとうたっているから 柵の固定はまずいの 事故防止だってわかってもらえないの 柵の固定は抑制なのよ』 ・・・・なーるほどー 納得です 事故防止が 見方によると抑制です なんとも 理解納得することの難しい話ですが 説明したり 各々に合わせた処遇の説明は 時間もかかるし 手間の要ることなのでしょう 後で柵を固定すればいいことです 早く査察を終わらせなくては 通常に戻れない そんなところでしょうか 査察のポイントはわかりませんが 査察に入る人は 施設職員経験者なのでしょうか 中を理解するには 中を知っている人に見て欲しい そんな気持ちになりました 査察団が帰った後 通常に戻すのも またひと手間・・・ですね
自由
怪我をしないように自由を奪う
自由を奪わないように解放する
高齢者への敬意とは
どういうことだろう
昨日キャラメル味の飴を食べてから始まりました なんてまずい飴なんだろうと 腹を立てていました それが今朝 クラッカーを食べていたら 古いのかなと疑うような味で クラッカーが悪いんだと思っていましたが コーヒーを飲んでもチョコレートを食べても なんともわけのわからない味に感じてしまうのです
あれこれ考えてみました これはきっと・・・ 花粉症の薬のせいではないかと・・・ 薬を飲むと 口は渇いて 唾液も出なくなります その繰り返しで 味覚が狂っているのかもしれません ストレスからもなると書いてありますが 味覚を失うほどのストレスもなく やはり薬かと・・・・ とにかくものが苦い 甘さを感じない アイスクリームは 冷たい塊です 何かはっきりする味のものはないかと 探して口にするのですが・・・苦い 食事をしていても 苦くて途中でいやになるほどです 薬を飲まないと くしゃみと鼻づまりで 仕事にならないし・・・ 薬が合わないのかな もう1度薬屋さんと相談してみようかな 行きつけのお医者さんができると良いのでしょうね
検査と待ち時間に耐えられれば・・・ お医者さんに行く気持ちになるのに あぁ・・・憂鬱です
味覚
一口 口に入れただけで
美味しいか美味しくないかを判断する
あたりまえに脳に働きかけ
判断してくれる
それが少しわからなくなっただけで
こんなにも食べる楽しみが失われる
新年度に向けて 移動の季節となりました
娘の幼稚園でも 牧師先生の移動です 以前二度ほど日記にも書いた方です 歳が近い・・・といっても七つ八つ上になるのでしょうけれど そういうこともあってでしょうか 話のしやすい方でした 先日の聖書の会のときに 時間を半分にして お別れのときを持ちました 最後の「素朴な質問」です 『先生はご自分の哲学をお持ちで この世界に入られたのですか』 と・・・ 「いえいえ・・・僕には哲学なんてものはありませんよ 確かに身近に 教会生活はありましたが ある時期から 神に呼ばれているような気がし始めて それが神の声なのか 自分の思い込みなのか 確かめたかったから・・・と言うことはありますが」 宗教に対する自分の考えや姿勢というものは 言葉に変えて口に出すことって 難しく感じます それぞれの捉え方があり 感じ方があり 考え方があるわけですから この方なりにわかりやすく話してくださったものと 思います 他愛のない疑問のなかに 不思議な習慣や 考え方 聖書の解読の仕方など 今思えば この牧師だから質問してみる気持ちにもなれたし 答えが返ってきたのだろうと思うところもあります
日本中のこの系列の教会を移動し続けるお仕事 たくさんの出会いと別れの繰り返しなのでしょう だったら・・・いつかこちらからその地を訪ねるという 楽しみができたと 思うことにして 感謝の気持ちでお送りいたしましょう
別れ
もう少し話がしたかった
そんな別れは
寂しい
近頃 悪い人をみなくなりました それだけ図々しくなったということでしょうけれど 見てきた人の数も増えてきたことですし 自分自身 結構嫌なヤツだと思うし 人を責められるような人間ではないことも わかってきたということもあります
人は 人の言動で 自分の常識をはかるところがありますから 自分とちがった意見や考えを持った人には 興味関心を持ちます 違っているところは 受け入れようとしますし 受け入れられないところは 主張します 年を取ると それほど驚くほどの 人との大きな違いを感じなくなりましたが とても細かなところで 違いを感じることがあり それを微調整しようとします そんな私の性格が 人からすると 面倒でとっつきにくいところなのではないでしょうか 私は頑固だと自分で思うのです 自分というものを持っていたいと思うから そういうところがそう感じるだろうと想像します でも 嫌な頑固ではありたくないです 間違っていたら 正せる自分は持っていたいと思います でもきっと・・・頑固者には注意しようと 思われていることでしょう
私もただの人ですから こうと決めたら間違っていても 人を傷つけても突き進もうとは思いません でも ちゃんと向き合ったときには ちゃんと言って欲しいものです 誰もが言えるものではないと 言われそうですが だったら 誰にも言わないでいただきたいものです 本人にはいえないが 人には言える それが1番人の怖いところだと感じました いい人って・・・どんな人でしょう 自分の位置を作るためなら どんなことでもできる人でしょうか 人から見て 悪い人だといわれたくないのは 誰にでもあるでしょうけれど 多少癖のある人のほうが この歳になると わかりやすいということはあるようです はっきりと自分を出さずに 調和をとる人 そういう人のほうが 突然傷つけてきたりしますから わかりにくい人といえるのではないでしょうか
とにかく 知らず知らず たくさんの人を傷つけて生きているのですから 反省の毎日です 傷つけようとして ものを言う人より 傷つくこともわからないで ものを言う人のほうが 悪い人だと お友達が言っていましたが どちらにもなりたくないです こんな気持ちのときは 自分を見つめる いいチャンスです
こんなことの繰り返しで 成長していくのでしょうか 十人十色・・・ 十人受け入れて 十色見極めるのも 大変です まだまだいろいろな色の人と出会っていくことでしょう
ちょっとブルーな私です
評価
人の中で生きる限り
付きまとうもの
そんなものが無いところで
馬鹿になって暮らしたい
仕事の担当の女性の リハビリを始めることにしました
元気に歩いていた記憶が 頭にも体にも残っているようです 「いつかよくなるわよ」 そんなことが彼女の口癖のように出ていました 何度も転倒しては骨折を繰り返していて 転ぶたびに頭部を強打 車椅子に移動のとき ヘルパーの抱え込みで 胸部圧迫骨折もしていますから 慎重になっていました これからのリハビリ計画をたてる上でも 1度みておかなくてはなりません
ヘルパーさんに頼んで 訓練室の鍵を開けてもらいます 訓練室の中は 冷蔵庫のように冷えきってます 始めからお連れしなくてよかった・・・ まずは暖房を強にしてその場を離れます 担当の女性に挨拶をすると とてもいいお顔 これならできそうと 説明をします 「ありがたいねぇ」 とはおっしゃったものの 半信半疑ですし イメージも湧かない様子です 訓練室にお連れしたときは だいぶ暖かくなっていて持って行った上着は 使わなくてもよさそうです 訓練用の平行棒を調節していると いきなり立ち上がろうという様子です 『まってまってまって・・・1つずつ準備しましょうね』 やる気はいっぱいです 立ち上がるのは 最近 車椅子移動のときに 自力で立ち上がるのと 足が運ぶようになってきたのは できるようになってきたと感じていました
準備運動を済ませて バーにつかまって立ち上がります まずは立つ練習から・・・ そういうが早いか 「歩いてみます」 といって 足を出し始めます でも膝がカクカクします 久しぶりの歩行ですから無理もありません ・・・1メートル 『歩いてみてどこか痛みませんか?』 「どこもいたくないの」 うーん・・・ ・・・2メートル 3メートル・・・ だんだんカクカクもよくなってきます 久しぶりですから あまり根を詰めないようにと 終わりにしようとしますが 嬉しいのか 試したいのか 立ち上がろうとします 結局 合計で8メートルほど歩くことができました マッサージをして 屈伸をして終了です 『うれしい!歩けましたね!!!』 大喜びの私を見て 照れくさそうに微笑みます 93才の女性が 歩きたいと願う・・・ 最後まで歩く生活 口から食べる食事 お年だから無理をしないで・・・なんていうのは もう何もしないで死を待ちなさいと いうようなものなのかもしれません できることなら私も最後の最後まで 人らしく生きていたい そう願ってしまいました
ほめる
いくつになっても
人にほめられたり
人に認められたりすることは
励みになる
原動力の元となる
不思議な力を持つ
魔法のことば
仕事に行くと 担当の女性が パジャマで横になっています 日誌をチェックして何もないことを確認していただけに 不思議に思います 「あ・・・ちょっとお待ちくださいね」 もういちどヘルパー室へ戻り 日誌をチェックします 若いヘルパー副主任さんが1人いらしたので 確認を取ります 「パジャマで横になってますが 着替えないほうが良いのでしょうか」 『あ・・・いいですよ 着替えてください お願いします』 居室に戻り 当人に話します 「パジャマなのですが 着替えませんか?」 『お風呂までこれでいるように言われたの』 ・・・だって お風呂は午後ですよ その前にお昼ご飯もあるし・・・ そういうと 『このままで居ろっていわれたの』 なんだか様子がおかしいのです 私が通うようになってから 初めてのパジャマ姿です もういちどヘルパーさんに確認です 『あぁ・・・午後からオフロだから どうせ横になっているだけならいいかと・・・』 やっぱり・・・そうかぁ 一日中ベットで過ごし 時間も日にちの観念もなく ただ気がふさいでいたこの女性です まずは離床からと 私なりの目標を立てています 起きたら身だしなみを整える 確かに マンツーマンなら当たり前の介護と 生活習慣のリハビリですが ヘルパーさんにしてみたら 仕事の流れの中の いち女性になってしまうのでしょうか たまたまこの方には私が入るので 時間をかけても離床して身だしなみに気をつかえる でも そうしたくてもできない人が ここにはたくさんいらっしゃるわけです 少ないヘルパーでは 対応も限られてくるのです 以前私が仕事をしていた特養も とにかく仕事に終われる日々でした その上に掃除洗濯など 日常のことも やってきました 今では 掃除夫が雇われ オムツは紙ですから捨てればいい パートがたくさん雇われている 好条件になったのは 入居者に気配りが行き渡るためではなかったのでしょうか お風呂までパジャマでいるように・・・ 几帳面な人で 身だしなみも気にする方なのに 言われたとおりにしなくてはと パジャマを掴んで離しません 着替えを納得していただくのに 20分以上費やすことになってしまいました それからも 気分が乗らず 気力も失せてしまったようです
集団生活ですから 多少の無理も強いられます それもわかるのですが・・・ 人としてどうでしょうか 自分なら? 自分の親になら? 同じように するでしょうか こういう世界では 永遠の課題です 着替えないほうが本人は楽であるか ヘルパーの手順がいいか 本人にとっては着替えは大切なことではないか 誰の何を優先させるべきか わからなくなる瞬間です
私は独断で 昼間ですから着替えましょう 洋服を着て食堂に出て食事をしましょう 館内散歩は 着替えて車椅子で行きましょう と 判断し おむつ交換をして着替えいてただきました 私がここのヘルパーだったら やはりお風呂まで パジャマで過ごしていただいたのでしょうか・・・
負担
自分のことが
自分でできなくなったとき
誰かの力を借りなくてはならない
力を貸してくれる誰かが
私を負担に感じ続けたとしたら
私は生きる意味を
見出すことができるだろうか
仕事を始めてから 一ヵ月半近くになります
このごろ 職場で言っていただくのは 私の担当の方が とても明るくなった 表情が良くなったということです 素直ではない私は もちろん嬉しいことは 嬉しいのですが やはり 今 彼女の心の波が 上向きなのであって 私と接していなくても 今がそういう時期なのではないかな なんて考えてしまうのです
私のすることといったら 介護と 少々のリハビリと 心のケアで しかも 1日1時間しか接していないのですから・・・ どのくらいの効果が現れるものなのか 人を相手にしているだけにわかりません ただ 毎日お会いして 楽しいことだけをお伝えして 外の話を聞いていただいているうちに 自分も 明るくなっていくような気がしているのは 確かなのです 私が明るく楽しければ この人も楽しそうにする・・・ 相乗効果とでもいうのでしょうか・・・
今日は 三女の方が訪問されていて これで子供さん全部にお会いしたことになります 基本的には 午前中なのですが 今日は幼稚園の行事もあり 午後からとなったのです 娘さんは 大喜びです 「兄も姉もお会いしていて とても喜んでいるのに 私だけがまだお会いしていなくて 今日ももう お帰りになったと思っていたから・・・」 そんな嬉しい言葉をいただいたうえに その方が 嬉しそうに 「チョコレートです」と くださるのです 『私への気遣いは無しにしてください』 と 言いつつ 私に渡したくて 遠くから買っていらしたと思うと それが心にしみるようで・・・ ありがたく いただいてしまいました この方の子供さんたちは どなたも優しくて ニコニコとしていて あたたかい感じの方ばかりです 私が訪ねた時に 娘さんがいらっしゃるので どのように過ごそうかと 少し考えていたら 「お散歩なら 私も連れて行ってくださる?」 なんて 少女のようなしぐさでおっしゃるし・・・ そんな風にお願いされたので 知る限りの館内散歩をしてしまいました なんだか3人で「楽しい楽しい」言いながら 屋上のハシゴをします 大きな建物ですから 屋上だけで 六つあります その内 四つを制覇しました どの屋上から見る景色も 全部違った 海や山や 木々なので 感動があります
こんな風に 接する者が 喜んだり 楽しんだりしているうちに 自然とそばに居る人も そんな気持ちになっていくものなのでしょうか 「共に楽しむ」私の仕事のモットーです
笑顔
もし・・・
この素晴らしい笑顔を
私がひきだしたのだとしたら
こんなに幸せなことはない
人が笑う 人が喜ぶ 人が楽しむ
ずっとずっと私が
求めて続けていること
私が幸せに感じること
年度末です いよいよ 幼稚園の役員も終わりとなりました 月一度だった行事も 一つ一つが 最終となります 名残惜しむような 年長組みの子の役員のお母さん 今日はいつも使っている会館のお掃除をしました お掃除をしながらも 来年度になっても 参加したい行事がある また来たい なんていう話が 何度も出ます 来年は 私もそんな思いでいっぱいなのかな
一年間 たくさんの刺激を受けたり 共感したり 腹を立てたり またまた盛り上がったり・・・ 本当にいろいろなことがありました その分 学ぶものも多かった・・・ やはり人は人の中で育つものです
来週は卒園式・・・ その運びをよく見ておいて 来年度は私たちが 主役になります まだ一年も先のことなのに なんだか今から 寂しくなっちゃいました・・・
初めての別れ(卒園)
大好きなお友達とのお別れ
生まれて初めてのお別れ
もう会えなくなることなんて
本当にそうなってみなければ
わからないけれど
だけど別れは悲しいものと
小さな胸の中で想像して
涙がこぼれるほど
このときを感じている
何がどうしてどうだから 花粉症が楽なのでしょうか
昨日一昨日と 薬を飲まなくても ほとんど症状が出なかったのです なぜでしょうか・・・ そして今朝は 鼻づまりで目覚めるほど 症状がひどいのです 理由がわかれば 対策できるのに・・・
というわけで今日は 迷わず朝から薬を飲みました 薬の副作用で眼球が動きにくいように感じますし 味覚もおかしいので ミントのような 刺激の味を感じていたいのですが いつものミントキャンディーも 薬の後だと 苦いのです そして 避けられないのが 眠気です 少々暗示のようなところもあるのかもしれませんが 眠くなります 動いているときは良いのですが 座って1分もたたないうちに 意識が飛ぶほど眠くなります しかも・・・恥ずかしいことに うわごとまで言ってしまうのです 「ちょっと眠らせて・・・・」 と 耐えられない眠気で 横になると 子供が話しかけてきます 私が完全に眠って 答えられなくなるまで 話しかけてくるのです 自分の描いた絵についての 説明をしているようです 私は薄れ行く意識の中で なぜか私はパン屋に行っていて ごちょごちょ言っている娘に 「パン買って来た」 と 夢の中で言ったのに 現実でも言っていて 『パン買ったの?』 と 子供が聞き返したので目が覚めたりします
それから勝手な判断ではありますが 眠気の入った薬は 気力 やる気まで 奪うようです 虚脱感と眠気・・・これはただ 春だからと 思われる方もいらっしゃるでしょうが 薬の副作用に違いありません どよーんとして言葉も少なくなるのです あぁ・・・花粉のバカ・・・ 早くいつもの私にして欲しい・・・
これがいつもの私なのかも・・・
花
早くたくさんの花を見せたくて
春が待ち遠しい
人に喜んで欲しくて
こんなに春が待ち遠しいのは
初めてかもしれない
一週間ほど前でしょうか 鮭の半身の真空パックしたものをいただきました
立派な半身で ノルウェーと書かれています 見た感じでは 生なのかスモークなのかわかりません ノルウェーから輸入するくらいですから スモークして塩もしているんだろうと想像していましたが あけてみたら 生の匂いがします ノルウェーの川を 優雅に泳いでいた鮭なのね・・・ それを日本人の私たちが食べる しかも生です 時代だなぁ・・・
生かぁ・・・ きっと 生でも食べられるのでしょうけれど 遠いノルウェーからですから・・・ 火を通したほうがいいだろうと ムニエルにすることに 半身です 切り分けると10切れほどになり これだけの量をスーパーで買ったら かなりのお値段だろうと思われます
上の娘は サーモン好きで 回転寿司へ行っても 合言葉のように「サーモンのさび抜き」を 頼むのです ましてあぶり寿司の味を覚えたら 「サーモンのあぶり」ばかり頼みます 小さい頃は お腹に虫が湧いちゃうとか 体が痒くなっちゃうとか あまりの食べる量に 心配してそう言ったものでしたが 体も大きくなり それも通用しなくなったようです
大好きなサーモン・・・ ありがたい頂き物です たっぷりと食べさせることができました
鮭
川を上ると
過酷な運命が待っている
それでも恐れずに進み続け
川に託して死に絶える
優しい桃色の体
透き通る宝石のような卵
体そのものも
生き方も
美しい魚
このごろ下の娘が 突然まじめにおかしなことをいいます
先日 ひな祭りの歌を覚えたと 一番からずっと歌っていきました ♪お嫁にい〜ら〜した 姉さまに よく似た官女の 黒い顔〜♪ 受け狙いだったら ちゃんとした歌がわからなくなるよ なんて 文句を言う私ですが 私が大声で笑い出して やっと気がついた様子で 恥ずかしそうに あ・・・間違えちゃった と 言うのです
今日は 車に乗っているときに ギターのCDを聴いていて あまりにも素晴らしいので 私が「このギターうまいねぇ〜」 というのを聞いて 『美味しいの?』 と 真顔で聞くし 「このギター弾いている人って可愛い笑顔なのね なんか・・・エルモみたいな・・・」 (赤くないけど・・・) 頭の中でつぶやくと同時に 『赤い人なの?』 って・・・一瞬にして 頭の中が とぶようで おかしいのです ガラスの向こうに行って 手を振るから 「靴下をあげなさい」 と 大きく口をあけて言うと 『○×△◇・・・・』 って言う感じで めちゃくちゃに口を動かしています 中においでと手招いて 入ってきた娘に 「靴下をあげて」 というと すぐまたガラスの向こうにまわり 『靴下をあげるの?』 と 口をあけていっています 声が聞こえなくてもわかりたい その気持ちはわかりますが 聞いた後でも わざわざガラスの向こう側に行くところが おかしくて・・・
2年ほど前は 何をするにもブリブリと怒っていて 叩く蹴るで 扱いに困っていたのに 頭の中に 癇癪の起こる場もないくらい いろいろな考えが生まれてくるようで 心の成長を感じます
それともう1つ・・・ ♪ おぶつだんの はせがわ〜〜〜♪ という CMがあります 車でお店の前を通ると なむなむしている女の子の大きな写真が貼ってあります それを見て ♪ おだぶつ〜の はせがわ〜〜〜♪ こんな言葉知らないはずなのになぁ きっと本人もなんとなく出てしまったのだと思いますが 意味無く発する言葉に 笑わせてもらっています
五歳児
小さな発見
小さな驚きが
全て新鮮で
周りを笑いに巻き込む
全身で一生懸命生きている 小さな生き物
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3/9
今日の笑えた話 ぬれティッシュで 手を拭いた後 そのティッシュを口にあて 「どろぼうさんてこうやってしゃべるんだよね」 と いいます それを目に当てて 「どろぼうさんてこうやってみるんだよね」 なるほど・・・ストッキングをかぶって 強盗に入るシーンをテレビで見たのでしょう ティッシュの両端を持って ぎゅっと口や目に当てている姿に笑えました
おもちゃのピアノを弾くのが大好きです ドレミファソラシドと書いてあるのをじぃーっと 見つめて「お母さん大変「な」がない」 と とてもあわてて教えてくれました
幼稚園で読書の会がありました
ええ・・・ネットゲームにはまってしまった私には 本を読む時間が無くなりました なんていうことでしょう・・・・ 仕事を始めてからは 毎日絵本と新聞を欠かさずに読むようになりましたが ですから 人様に紹介する本が ・・・・ないです
今年に入ってから 読書の会では ビデオやCDの紹介も許されるようになったので CDを持っていくことにしました 今日の気分はぁ・・・・ ラフマニノフ なぜか・・・ラフマニノフです ラフマニノフのピアノコンチェルトが むしょうに聴きたい朝でした 紹介を終えて 皆さんに聴いていただけることになり ウキウキとかけてみました いやぁ・・・やっぱりいいです 皆様は聴いちゃあいないかもしれませんが 聴きたかった私には うっとりです
昔の映画で あるピアニストが この曲の練習を始めて 恋人が去ってしまうという話がありました ゆっくり練習を始めて 弾けるようになっていく様子が 素晴らしくて この曲に入り込んでしまったのです 流れるようなピアノの音と音の数 人の指がこんなに動くものなのかと 聴くたびに感心してしまいます ベートーベンの「皇帝」も オーケストラの前で指揮を振ってみたいと思うほど好きで 聴きこんでいます 第二楽章なんて 鳥肌が立ちっぱなしです いつ何度聴いても あきません
いつか生で聴きたいものです そんな夢のような日が来るでしょうか・・・
コンチェルト
ピアノ
オーケストラ
どちらも素晴らしい旋律
引き立てあい
音が絡み合い
邪魔することなく
主張して
こんな音楽のような
人の輪が作れたらいい
今日 仕事場へ行くと どこからともなく ハーモニカの音色が聞こえてきました どなたか趣味で吹いているのかと とりあえず担当の方のところへ行き ハーモニカの音がしたから 行ってみましょうとお誘いしました
いつものラウンジには 人がいっぱい その前に立って 男性がハーモニカを吹いています すぐにお客さんの仲間入り ハーモニカを聴きます 1つのハーモニカから 旋律と伴奏が聴こえてきます いったいどの口で吹いているの? といいたくなります 曲は私にはよくわからない「懐メロ」 お客さんは ハーモニカに合わせて 口ずさんでいます うわーー・・・私にはわからない・・・ なんて思っていたら お連れした女性が歌っているではありませんか ご存知なのですね?と聴くと はっきりわからないけれどね と答えます そうか・・・こういう歌も歌えるのかぁ・・・ 私が勉強してこないといけないじゃないの と ちょっと反省 美空ひばりさんの歌 少し覚えなきゃ
ハーモニカは 箱の中に綺麗に並んでいます 全部同じ形なのに 音が少しずつ違い 全部で3オクターブあるそうです 長調の箱と短調の箱があり 1曲で調が変わるときは 2本1度に持つのだそうです 私のイメージだと きっと戦時中に 仲間を癒すのに 吹いていたのかなぁ・・・ 軍服姿で 彼を囲んだ兵士たちが 歌を口ずさむ・・・ そんな感じかと思っていましたが 「いやぁ・・・65で始めてねぇ かれこれ7年になりますかねぇ」 えっ! そうなのですか・・・・ 「まだまだ上手い人にはかないませんわ」 なんだか えらいなぁ・・・ 60代から 何かを身につけようと 新しいことに挑戦して 人前で演奏できるまでになるとは・・・・ きっと この有料施設の利用者なのでしょう 何かに関心が持てて 挑戦しようという行動力があって 努力をして・・・・ なんだか若い私のほうが 心の老いを感じてしまったりして・・・ 「ハーモニカはね 1番簡単な楽器ですからね」 別れ際に そう声をかけられました 難しいとか簡単とかよりも ずっとずっと 何かに挑戦していこうという 心の若さを持ち続けたいと感じたのです
ハーモニカ
吸っても吐いても 音がする
息の調節で強弱をつけて
1曲弾きこなすのは
大変なこと
懐かしい歌には
ぴったりの音色は
物悲しくて
心にしみる
お日様が当たると ぽかぽかと暖かいのに 風が吹くと 震え上がるくらい寒いです
♪ 春は名のみの 風の寒さや 谷のうぐいす 歌は覚えど 時にあらずと 声を立てず 時にあらずと 声を立てず ♪
この頃の陽気を体で感じると この歌が頭をよぎります 日本の童謡は とても綺麗な日本語の表現が 多いと思います ♪ 春の小川は さらさらゆくよ 岸のすみれや れんげの花に 姿優しく 色美しく 咲いているよと ささやきながら ♪
四季のある日本の情景を こんなに優しい眼差しで見つめるなんて 素晴らしいです
老人施設へ行くと こういう歌はよく歌われます 言葉が古風なせいか 子供には歌い聞かせることがあまりないです 日本の古き良き歌を 伝えていくには どうしたらいいのでしょうね・・・
♪ 菜の花畑に 入日薄れ 見渡す山の端 霞深し 春風そよ吹く 空を見れば 夕月かかりて 匂い淡し ♪
夕焼けが終わって 青明るい空が 山の形をくっきりと浮かび上がらせて 温かい優しい風が ふわっと通り過ぎて 空を見上げたら 明るくなり始めた月が出ていて 菜の花の匂いも 運ばれてきて・・・ そんな感じでしょうか・・・ 朧月夜・・・くっきりとした月は 美しいと 多くの人が愛でるのに対して ぼんやりと輪郭をなくした月に魅せられて 春ならではの情景を歌に織り込んでしまうなんて すごい感性です
仕事で童謡を歌うことが多くなり しみじみと歌詞を噛みしめて歌うと 昔は感じられなかった日本語への 愛着を感じてしまいます 日本の歌って 本当に美しいと思います
童謡
子供のころは
何度歌っても 感じることができなかった
日本の言葉の豊かさ
日本の心の繊細さ
日本の情景の美しさ
日本の歌の素晴らしさ
いろいろな行事が切り替わる時期です
子供たちと遊ぶ子育て支援の会も 今年度最終日となりました みんな大きくなりました お母さんの背中にくっついて通っていた子も 自分で歩いて来たり なかなかお母さんから離れられなかった子が 1度もお母さんを求めることなく スタッフとの関係だけで過ごす事ができるようになっています 子供の1年は早ものです 言葉も 身のこなしも成長しました スタッフのお手伝いもできるようになったり 目つきや顔つきまで 変わってきています
今日のメニューは のんびり語らいの時を持とうと考え 時間を半分に区切ることにしました フープを使った遊び・・・ フープを用意しただけで 遊びが始まります いくつかメニューを考えていたのですが 子供の遊びの中から あ・・・それいただき! というものがあり 遊びは子供から学べ・・・といったところです フープを電車に見立てて 中にお母さんと入って出発進行 ときどき駅で乗り換えのために フープを取り替えたりします 次は「あなぐまやでー」遊び NHKのお母さんといっしょに出てくる でこぼこフレンズの1人 あなぐまになります フープを所々において 音楽が止まると フープに入る椅子取りゲームのような要領です で 入ったときには「こっちやでー」なんて言ってみたりします 結構楽しい・・・ そしてフープをほぼ一列に並べて ケンケンパをします なかなか高度な遊びで ひとつなら「ケン」ふたつなら「パ」というのが 難しいのです 年齢の高い子が なんとか飛びながらケンパケンパしますが 小さい子は丸の中を走る感じです そこで1つお母さんにお手本を見せてもらうことに・・・ お若いお母さんを指名します スリッパを脱ぎ捨てて腕まくり! そのやる気に まず拍手! 1つも丸を抜かさずに向こうまで行くという 条件付です ケンパケンパケンケン・・・ さすがにこなしが軽いです ほかにお母さんいかがですか? 皆さん遠慮がち・・・ 「はーーーい!」 と 手をあげたお母さんは 妊婦さんです 『いやいやいやいやいや お母さんは無理でしょ?』 というと 「飛ばないからやりたい 飛ばないから」 です・・・ 『さては 丸を見るとケンパしたくなる性格でしょ・・・』 「そうなんです・・・」 『じゃあ 胎教のためにしてもいいです!?』 ぴょんぴょんは飛ばないまでも 結構飛んでるじゃないですか・・・ でも すごく嬉しそうな様子に ハラハラしながらも嬉しくなって・・・ 次々にお母さんが ケンパします やはりお母さんも楽しみたいのでしょうね そんなお母さんに 子供も嬉しそうです ほかにもいくつかゲームをして それぞれに楽しむ時間を過ごしました
保育園や幼稚園に入る子は今日で最後です 長いお付き合いでしたが なかなか会えなくなります 成長の喜びと これからの楽しみと 巣立っていく寂しさがいっぺんにやってくる この時期です こういうお仕事に携わっている時にしか 味わえない 充実感でもあります
来年度は新しいスタッフを迎えて 私もそろそろ退く時が来たようです 新しい感覚で 新しいやり方で この会を盛り立てていっていただけるように願います いよいよ5年目 子育て支援「のえんどうの会」も 本腰が入ります
ともだち
お母さんだけで満たされていた心に
少しずつ ゆとりが出てくる
そこは友達が埋める隙間
1人の友達が2人となり
やがて仲間となって
世界中に広がっていく
今日でおばあちゃんが亡くなってから 四十九日が過ぎました 身内だけでの 法要です
とても丁寧なお経をあげてくださる御住職さんです 仏壇に新しい仏像を置くので その魂入れの儀式もしていただきました 見ていてなかなか不思議な儀式でした
四十九日というのは 亡くなった方がいよいよお釈迦様の近くへと たどり着く頃だそうで 今までは亡くなった霊が 暗黒の中をさまよい 自分はどこへ行くのか どうしたらいいのかわからなかったものを 初七日 ふた七日と生きている者たちが お参りするたびに 死を受け入れて お釈迦様の元へ近づくのだそうです こちらではないよ お釈迦様のもとへ行くのですよと 生きる者が導く意味があるそうです そして今日からは お釈迦様の元で 修行が始まり 亡くなって行く者を 釈迦の世界へ導く勤めを果たすのだそうです 生きる者と 死んだ者との関わり合いとは そういう風にできているそうです 祖母がなくなる間際に見た 傘を持った祖父の姿は まさしく修行中の身である祖父が 死後の世界へと導き始めたということだそうです
白木に黒字だった戒名も 今日からは黒地に金のものに変わります 金という色は お釈迦様が金色のお姿だったように あの世の人となったという証になるそうです そしてお菓子屋さんに注文して買ってきた 四十九日餅のひとつを ちぎってみんなで分けて食べ 無病を祈願するそうです 後の48個は みんなで分けました お菓子屋さんのおばさんも 「あのおばあちゃん亡くなられたの? よく買いに見えてくださったのよ」 こんなところにも祖母がいました 亡くなってもなお 故人をしのぶ儀式が続きます 存在していたものが存在しなくなることを 生きるものが納得いくようにこう考えていくのかな 目には見えなくても 心の中にいき続けていることを 昔の人は大切に考えていたのかな
心に生きる
祖母が好きだったお菓子
祖母が好きだったお花屋さん
祖母が好きだった場所
祖母が好きだったお酒
思い出すたびに
祖母がそこで微笑んでいた
皆の心の中で
微笑んでいた
夜 テレビを見ていたら 面白いコーナーがありました
ある男性の評判を聞いてまわり 突然本人が見ているテレビで それを放映するものなのです ご近所からは まめな人とか 行きつけの飲み屋さんは 飲んでも乱れない・・・口が乱れる・・・とか 娘からはいつもママが一番好きだっていっている その姿が男性としてかっこいい・・・とか その人の人柄がうかがわれます 面白そう・・・ もし私のことを 知人に聞いたら・・・ 人から見る私ってどんななのかな そんなことを考えていたら あの人のことを聞かれたら どんな風に答えるかな・・・とか あの人を一言で言うとどういえばいいかな なんて考えて遊んでしましました
人からどう見られているのか 考える間もなく日々過ごすときと それが気になって仕方がないときがあります だいたい気になるときの自分は 自己中心的で自己嫌悪に陥っているときが多いでしょうか きっと人から見たら 笑われているだろうとか 傷つけたであろうとか・・・ 人の中の自分の評価が 心配になります もし 自己反省と人からの評価で 自己を向上させることができたらいいのに ・・・まぁ・・・そんな簡単にいかないから 面白いのでしょうけれど・・・
『私』って・・・ どんな人なのかなぁ・・・
人柄
たった1分間の対応で
こういう人 と
決めてしまわないで欲しい
ほんの一瞬垣間見た
針の先ほどの
心のかけらだから
一日中 雨降りです 出かけにくいです こんな日は 昨日から上の娘と約束していた 本屋には行こうかな・・・・と 車で出かけて見ました
雨の日の本屋さんは 気を使います 売り物が本だけに 傘でぬらしてはいけないと・・・ 入り口の傘ビニール袋をしっかり上まで包み込みます 娘たちにも同じように・・・
この本屋さんは 大きくて 2階に文具 事務用品 1階が書籍です まずは2階に・・・ このごろの事務用品は おしゃれでカラフルで 使わないけどなんだか欲しくなったりします 下の娘も同じ思いらしく お花の画鋲やら ハートのクリップなどなど 細かくて ごそっと入っているものは 何とも魅力的だったりします・・・ 下の娘も同じ思い・・・ 上の娘のお目当ては ブタのキーホルダーがおまけについている シャーペンの芯・・・だそうで どうせ買うならおまけつき・・・らしいです 下の娘には 納得いきませんよね ブタ付なんて・・・
1階の書籍で 下の娘が 何か買ってもらおうと 交渉してきます ジェニーちゃんの表紙の雑誌・・・ それはジェニーちゃんの服の型紙よ・・・ シンデレラの絵本・・・ 絵が違うけど 家にあるよ・・・ 「じゃあ 何を買えばいいのよ!」 と すぐに怒りだします 欲しいものが見つからないときの イライラ台詞です お姉さんばかり ずるいですものね でも 何も買うものが見つからず 出てきてしまったのですが・・・ 本屋さんて飽きないです
本屋
この建物の中に
計り知れない数のドラマが
ひしめき合っている
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