娘の小学校のバザーに 学区外から幼稚園のお友達が集まりました 通学路途中の我が家に立ち寄り バザーでお茶しようというお誘いです 今日は比較的暖かい日で 上り坂をのぼり詰めたところにある学校に ついたときには汗ばむほどです (用事がたまっていた私は車でしたが・・・) でも長くは続きません お日様は早くも隠れ 待ってましたと冷たい風が吹いてきます もう帰ろうか・・・ でも話し足りなくて 我家によっていただく事にしました 我が家か・・・・ 忙しさと風邪ひきで かーなーり ひどいことになっています 吹きさらしで話をするよりはいいのかもしれないけれど・・・ 先に帰って とりあえず片付けましたが 間に合うわけもなく 散らかっているけれど・・・どうぞ
昨日バザーで買った 九助のクッキーの出番です 九助・・・・ 欠けたおせんべいやクッキーを九助というけれど どうしてなのでしょう・・・ お店の名前が九助屋では・・・ないわけでして 欠けた物の事のようですが・・・・ 十・・・・十分ではない そんな意味かしら 十になれない九 どうしてなのか知りたくなりました 九助のクッキーは 定価よりも安く たくさん入っています いつものクッキー屋から取り寄せる九助クッキーは お味もよく じわじわとファンも増えてきました 素性のいいクッキーらしく 材料もいいものを使っているようです まるでなぞ解きティータイムですね どこのお菓子屋さんから出た九助なのか どうして九助というのか 幼稚園の卒園生なのか いくらで仕入れているのか 本当はいくらなのか・・・ おいしくて ファンが増えるたびに なぞが深まりそうです
あはは・・・なんだかほのぼのするなぁこういうのって
九助クッキー
無駄を出さずにクッキーを作るために
同じものができる機械を買いました
だから九助はでないのです
なのに注文すると届く九助
まるで魔法のように
突然機械がおへそを曲げて・・・
こんなに失敗してくれるのね
クッキー屋さん いつもありがとう
本当は
成功品なのでしょうに・・・・
連続ものにして どうしようというのでしょうねぇ でも今日で 「熱」ものは 終わらせられそうです 朝目覚めて 検温したら 7度2分・・・ そ・・・そんなはずない 布団の中で どうしよう・・・今日の予定・・・ そんなことが頭の中を回ります お弁当を作って洗濯して子供を送って・・・ 今日は大人のリサイクルバザーがあるのです 楽しみにしていたから ちょっとでも参加したいのです あぁ・・・どうしようかなぁ 起きる時間が迫ってきます もういちど 検温 6度7分 なるほど・・・そういう7度か と・・・自分なりに納得して ええいっ! と起きます
熱が下がった後の ふらつきはありましたが 気分はとても良いのです これならいけそう 幼稚園に着くと バザーのお手伝いが すでに2人お休み・・・風邪がはやりだしたようです こんな私でも 猫よりましかしら・・・・と 少しだけお手伝いをしました ぜんぜんお役に立っていなかったみたいですが・・・とほほ
今回は 大人のものに絞り 喫茶コーナーも設けて 大繁盛です なるほど・・・食べ物は儲かる 喫茶店を経営したくなるくらいです かなりいいスーツや 香水 口紅など 飛ぶように売れていきます やってみるものですね 子供のリサイクルバザーで 2万円くらいの利益が 3万円を越えたそうです 品数もそれほど多くは無かったのですが 手作りのバザーという感じで とてもよかったです
値付けしながら熱を出した私は 搬入が手伝えず 陳列もできず わずかな時間のレジだけで 片付けもせず 帰ってきてしまったのですが それだけでも 大満足です ほかの方には ご迷惑でしたね・・・ 早く元気になって 今日頑張った人たちに ゆっくりしていただくことにしましょう
あ・・・それと・・・今日のバザーで 素敵なバックと暖かそうなコートを買いました ・・・・合計額400円でしたが・・・ いい買い物をしました
風
冷たい風が
乾いた風が
人の体を壊していく
いつもはたくさん
話をしてくれる
大好きな風だけど
こんな時の風は
嫌い
今日も一日熱でした
扁桃腺持ちなので 熱がでると高いのです でも 小さいときからですから 高熱経験は豊富です 前回は 40度から下がらず 近くの病院へ行き 一気に解熱したら 倒れてしまいました 今回もし 39度を越えたら 警戒です それ以上にならないうちに 病院に行かなくては・・・・ 5分おきぐらいに 検温していました 38度の壁は厚く 上がりもしなければ 下がりもせず・・・・ 夕方になってやっと7度台です 起きた感じも 回復に向かっている手ごたえありで 明日には 熱が取れそうです たぶん・・・インフルエンザなのでしょうか 扁桃腺は腫れていません 扁桃腺が腫れると 唾を飲むにも 頭の神経全部が痛みますから それがないだけでも 楽です
朝はお弁当を作って 幼稚園に送って 洗濯を干して・・・ 主婦の意地? こんなところで無理してどうする・・・ ただ・・・たまるのが嫌なだけかな・・・ あらあら・・・ もう横になることにします 早く治さないとね
おやすみなさーい
熱がでてしまいましたので 日記はお休みします
頑張って治すぞーーーー
(* ̄0 ̄)/ オゥッ!!
幼稚園の保育参観でした
テーマは「お買い物遊び」です 11月の保育参観は これと決まっています 今日まで準備してきた売り物を 紙で作ったお金を使って買うのです ケーキ屋さん おすし屋さん アイス屋さん ポップコーン屋さん・・・ 全部いらないものや紙などを使ってできています 毛糸を使ったスパゲッティー 折り紙を使ったおすしなど 本物に似せて作るのに 頑張った様子が伺えます 娘は八百屋さん・・・ たぶん・・・みかんかな いちごかな なすかな と思われるもの お金は 足りなくなると作るらしく 作り足していました
お友達から買ったものは わたあめ お好み焼き ポップコーン お弁当 本 どれも 「これは・・・なにかな」と聞くと 「なるほど・・・よくできてるね」と感心するものばかり 切ったり貼ったりしながら出来上がっています
この日を迎えるにあたり 町へ出かけたり 商店街を歩いたりして お店屋さんを見学しました このごろでは スーパーを利用しますから お店屋さんのやり取りを知るのは難しくなりました この地域でも 大きなスーパーができたので 八百屋さんや 肉屋さんは みんななくなってしまいました それでも残ってる商店街へ出かけたようです
思えば 八百屋さんで買い物をしてお金を払い 魚屋さんでお金を払い 肉屋さんまで歩く そんなことが とても面倒に感じるようになってしまいました 欲しいものを欲しいだけ 品数も豊富で 安いし 1度の支払いで済む・・・ 始めにスーパーマーケットを考えた人って すごいです 商店街の様子を子供に伝えるのは難しくなりました 「働いている」そんな子供たちの様子を見ていて 楽しくなります それぞれの個性も出た 面白い参観でした
おみせやさん
お客さんに声かけて
自慢の品をお勧めしよう
どれもいい品 自信作
損はさせないものばかり
紙のお寿司に 毛糸のおそば
知ってる顔には
おまけをするよ
いらっしゃいませ
さぁさぁ どうぞ
買ってらっしゃい
見てらっしゃい
石版画を観ました 先週のことです お友達と東京の大手町まで行ったのです ビルしか見えない 灰色の街 そこに おのぼり1号2号です 東京駅について 持っていた地図を広げ ああでもないこうでもない まぁ・・・お友達は東京に慣れていたので ついていけば良いのですが 口うるさいわたくしにしては 黙ってついていくことのほうが不安だったりして・・・ 2人の周りには 漫画にある ワイワイ印がついていそうです
美しい版画で 色も夢の中のように綺麗です 繊細で 子供の天使が中心でした 日本の女性画家ですが どれも西洋の顔立ちです 点数もどこでやった展覧会よりも 多いとのこと 画廊の売り子さんが お客さんよりも多くて驚きました ゆっくり眺めていると 「この作品は 先生がまだお若い頃・・・」 何て何気なく背後から迫り来るのでした 妖精の絵も とてもかわいらしく綺麗な物です
これが先週のこと・・・ その日はそのままお友達と別れたのですが 後日そのお友達に会ったときに 版画の話になりました 友「色も図柄も美しくて綺麗だったよね」 でも・・・ 私『心は動かなかったよね・・・・・』 ちょっと自信無げにきくと 友「そうだね・・・あれは装飾なんだよ 心を動かされるものではないんじゃないかな」 と そんな風にいっていました うん なるほど・・・ 心を動かす絵・・・ 目に綺麗に映っても 心に届かないもの 観ていて気持ちいいのに 感動しないもの 版画展の その場に居たときに なんとも 気持ちの中で納得できなくて 居心地が悪かったのは 何なのかしら でも せっかくここまで来たからには 心に何か残したいという気持ちもあるし ひとつひとつをじっくり観たりして・・・・ 人の目と 脳と 心って ものすごく不思議だと感じました
なんだかんだ言っても 妖精のポスターは購入したのですが・・・
そういえば・・・・ 最近心が動くようなこと・・・あったかしら!? ・・・・ありすぎてるからかしら・・・
感動
心がぎゅっとした感じで
その後ワクワクしてくる
そうなると 何でもいいから
言葉で伝えたくて
でも当てはまる言葉もなくて
すごい! すごい! なんて何度も言ったりする
常に感動できるものを探して
素直に心を奮わせたい
我が家には 去年からカレーの缶詰があります そのカレーの缶詰は とても珍しく いつか食べよう ゆっくり味わおう なんて思っているうちに 賞味期限は過ぎ ドカンと落としたため 腹はへこんでいます
カレーの缶詰は2つあり どちらもだいたい1人分ずつといった量でしょうか 味はそれぞれ違っているので 分けて食べるのも難しそうです でも 缶がへこんでいて 賞味期限を過ぎていたら 食べないほうがいいといわれたのです 缶の中身と缶とを別々にして ゴミに出すのに 捨てるために缶を開けるのも嫌です でも食べるのもなぁ・・・
これはめったに手に入らないでしょうから 話の種に食べるのもいいかもしれません 誰か食べたことある人いないかしら・・・ このカレーの良し悪しを語れる人・・・・ 居たら聞きたいのになぁ だってかなり勇気が要りますよ この味
「北海道特産 熊カレー えぞ鹿カレー」
『北海道の雄大な大地に生息するヒグマをカレーにしました 北海道ならではのカレーをお楽しみください』 『北海道の雄大な大地に生息するえぞ鹿をカレーにしました 北海道ならではのカレーをお楽しみください』 もう・・・想像力も雄大です あけたらガオーーーとか? いやいやきっとさ にんじんとかジャガイモがさ 熊の形に切ってあるとか ごろんと熊の手がカレー味になって入ってるのかも じゃあ鹿は? もののけ姫の切り落としたししがみの首みたいに 缶にごろんとはいってたら・・・? 想像力たくましくするにも 方向が違うような気がしますが・・・
とにかくどうにかしないと 来客の話題はみんなそっちに持っていかれています 「なにこれーーー 具合が悪くなりそうなカレー」 とほほ・・・ますます開けにくくなるのです
いっそこのまま インテリアにしてしまおうかしら
〜熊〜 思いがけないこと
鮭を食べようと川に入る
待ち構えた猟師にズドンと撃たれ
薄れ行く意識の中
皮をはがされ 肉は保存食に
人間の一冬を支えるのだろうと
無念を残して息を絶つ
わが肉の
思いもよらない使い道も知らずに
山登りの予定が 雨のために中止になってしまいました すっかり気の抜けてしまった私は 今日の予定が組めずに ぼーーっとしていました
一緒に行く予定だった仲間たちから 科学館に行くとの話 早速便乗させていただくことにしました
車で50分ほどのところ なんともわかりにくい道でした カーナビなんていうものは贅沢品ですから もちろん持っていません 人間ナビですよ 人間勘を働かせなければ 人間らしさを失ってしまうぞ・・・・ そんな強がりを言いながら・・・
科学館は 地球型 どこから見ても科学館て言う感じです 皆さんよりも30分ほど後についた私たちは お昼は後にして まずはプラネタリウムに入ります 少しリクライニング気味の椅子 薄暗い室内 「・・・・星は塵から始まり 塵に帰るのです・・・」 あ・・・寝てしまった・・・ 気がついたら大事なところを聞き損なったようです 娘は学校で勉強したばかりらしく 星座がわかっていました まぁいいか・・・娘が楽しめていたようだから・・・ 下の娘には少々退屈・・・ 下の階には 巨大な虫の卵と 蟻の巣 とんぼ せみの抜け殻などがあり その間に滑り台などがあり かなり 喜んでいました
上の娘がはまっていたのは 鳥の声を当てるクイズです 5問当たるとファンファーレが鳴ります キジバトやウグイス カラス カッコー コジュケイ カナリアあたりはわかりやすいのですが メジロ スズメ ホオジロ ツバメのような 小鳥類は まーーーったくわかりません どうしても 最高4問でした
私が楽しんだのは 音楽が流れてきて 国を当てるもの かなり楽しめました
科学の不思議などが体験できるようになっていて かなりの長い時間 楽しむことができました
連休とあって ずいぶん車が多かったです
鳥の声
「ちょっとこい ちょっとこい」
コジュケイが呼んでいるよ
何か見つけたのかな
寂しいからかな
秘密を教えてくれるかもしれないね
大きな声で呼んでいるのに
ちっとも姿を見せてくれないよ
素敵な歌を
聞いて欲しいだけなのかもね
どんな顔して 歌っているのかな
大量の烏賊げその生と 腸(わた)をいただきました ・・・・・・・
さて・・・どうしましょうか・・・・
腸を見てみたら ぴかぴかぷりぷりの新鮮さです 全部茹でて冷蔵庫に保存しようと考えましたが それだけではつまらないかと 塩辛にしてみました
足を持ってカラスを引きちぎると 吸盤がくっついてきました なんだか足だけでも生きているみたい・・・ 突然動いたら嫌だな・・・ ・・・考えない考えない 新鮮だからかな 魚介類の大好きな私です 生臭くて 嫌と思いながらも おいしく食べたい気持ちが大きいみたい・・・ 本当においしい魚介は さっと茹でたり焼いたりして 軽く塩をしていただくのが一番ですよね
烏賊
食べられるために
生まれてきたような生き物
食べる者の食欲を誘い
満足のいく歯ごたえ
骨も少なく皮も気にならず
料理方法も数多い
始めに食べた人に
感謝したい
幼稚園の娘のお友達が遊びに来ました
午前中出ることが多く 午後も何かと忙しいので ・・・・と言うのはいい訳なのですが 家の中はごった返しています ここで遊ぶのね・・・ 子供といっても ちょっと嫌だろうな なんて思ったりしたのです
そこで 庭作戦!! まずは 庭掃きをします そのままダンボールを燃やし 集めた枯葉も焚き火にしていきます 私が外でそんなことをしていると 子供たちも外でのんびりと遊び始めるのです よしよし・・・
そのうち桜となつめのブランコの出番です とにかく桜のロープブランコ・・・ 通称「ターザン」は1度乗ったらやめられないもの 交互にひっきりなしに乗っています そのうちにおやつです 今日は比較的暖かいし 風もなく 陽も十分さしているので キャンピングセットを出して 外でおやつです 子供は大喜び 実は私が楽なのですが・・・ 椅子つきテーブルセットを広げると もぅ 何がはじまるのかと大騒ぎ 部屋からおやつの登場に 子犬のように私の周りをぴょんぴょんはねます 「いただきまーす」も元気! あっという間に 食べちゃった その後も「ターザン」は続き 少し押してあげることに・・・ 後で聞いた話だと お友達は「ターザン」系の 遊具は初めてだそうで どうもこいでいる間中 変な笑い方をしていたのです 笑っているのに 悲しげな顔・・・ 笑い声なのに 泣き声混じり 「こわい?」「やめる?」「大丈夫?」 押すたびに声をかけるのですが 「ふへへへへへ・・・・」 といった反応 不思議に思って「とめるね」ととめると 「もっとこいで」というのです 怖くなったらすぐに言う約束をして またこぎます しばらく大揺れにすると 「お腹がフーフーするの」 と言い出しました なるほど・・・ジェットコースターに乗ったような感じなのかも と 思い「わかったそうかぁ! そういう感じわかるよ!」 と言いながら 押します 夜 寝ぼけちゃうかもしれないなぁ・・・・ でも そのふわふわ感が楽しいらしく やめてとは言いません ジェットコースターが好きな人と そうでない人がいますが こんな頃から その違いが出るのかしらと なんとも愉快になりました
ジェットコースター
カタカタカタカタ
上がる上がるどこまでも
空へ向かって飛ぶように
落ちる落ちるどこまでも
獲物を狙った鷹のように
回る回るどこまでも
渡って来たばかりのツバメのように
ジェットコースター
私を人の世界から
遠ざけてくれないだろうか
今日は幼稚園がお休みです 先生の勉強会という名目で・・・ おいしいものでも食べに行かれたのではないかと ちょっと想像したりして・・・・
そこでお友達を誘って お昼を食べに出かけました 安いチェーン店で イタリア料理のお店があるそうで おいしいものの発掘にはこの人あり というお友達なので 早速行ってみたのです ごく普通のファミリーレストランのつくりです でも天井には イタリアの聖堂を思わせる・・・ と言ったら言い過ぎかしら・・・ 天使の天井画が描かれています 音楽はイタリア語らしきイタリー歌曲のようなもの そこここに「イタリア」です 頼んだらあっという間に運ばれてきて 食器もちゃんとイタリアのもの 分厚くて 手描き風です お子様ランチ280円 スパゲッティー580円 だいたいその程度で まるで飲み屋さんの金額です ・・・・例えが不思議ですが・・・ お子様ランチにはイタリアの旗が立っていて 値段のわりには いい内容です なんとも不思議な名前の クラッカーのようなもの ビスコッティーのようなもの どれもおいしいのです 何がいいって・・・お安いところでしょうか 久しぶりの外食に 上の娘が加わっていないのは 後々気になりますが・・・ その後近くのデパートへ 内装はすっかりクリスマスです もうクリスマスプレゼントが並んでいました 早すぎる気もしますが 11月も後半に入ったのですものね これからお歳暮や クリスマスでここもごった返すのでしょう 忙しない月になりますが クリスマスの飾り付けや 寒さの中で暖かいコートを着て歩くのは 大好きです 行事続きの毎日で このまま冬休みまで 突っ走ることになりそうです
クリスマス会の内容も 早く考えないとなぁ・・・
フウの樹
自然の衣替え
フウの樹が秋に身を託し
丸くちくちくした実をつけた
まるでクリスマスツリーのように
フウの実が風に揺れる
もみの樹に負けないような
飾り付けをしてくれた
秋に感謝して
子供と遊ぶ日でした 今日は人数が少なく 年齢が低い そんな雰囲気でした
わらべ歌を勉強している方が いらっしゃる日です お母さんの膝の上で 歌いながらゆすられたり くすぐられたり 抱っこしたり ゆっくり落ち着いた時間が流れます
珍しく 終わった後でお茶でもと声がでて スタッフだけで 紅茶をいただきました
その中で わらべ歌の方から私に質問です 「始めの牧師先生のお話のとき 子供たちを自由にさせているけれど 大人が話をしているという 場をわきまえることも大切ではないですか?」 というものでした ・・・おっしゃる通りです でも少しだけショックでした 今までのことがあまり伝わっていなかったのかな そんな思いがしたからです もちろん子供であっても 場をわきまえさせることは大切です 音楽会や講演会であっても 子供を連れて行かなくてはならない場合があります そこではぜひ お母さんの常識でしつけてあげてください でも ここは子育て支援の会です 子供を中心とした会ですから ここに来てまで 大人の話をしているからと 子供を黙らせたり 座らせたりする必要があるのでしょうか 牧師先生が 「話している間は静かにさせてください」と 注意をする方でしたら それも考えるでしょうけれど どちらかというと 「子供を抑えないでください」 と おっしゃいます 先生が話している間 遊ぶ子供の腕を掴んで 「静かにしなさい」「座りなさい」 と 眉を顰めるお母さんに その手から逃れようとする子供 それはここではあって欲しくない姿だと思っています 「このごろの母親は 静かにしなければならない場所で 子供を制するようなことはしなくなってしまったから」 さらに 投げかけられました それは母親の常識としつけの問題で 子供と遊ぶ会で求める姿ではないと思うのです ここだけは・・・子供が主役であってほしい どんな子であっても 受け入れたいのです お母さんに安心してこの場に居て欲しいのです 私自身 上の娘が 落ち着きがなく どこへ行っても どう叱っても駄目でした 落ち着きのない子供をつれて歩くことは とても恥ずかしく思える時期もありました 第一子というものは 何もかも気になるようです 育て方が悪いからかもしれない しつけ方が悪いのかもしれないと 子供を育てることが 不安で仕方が無かったことがありました 落ち着いて座る子のまわりを うろうろしたり 奇声を発したり・・・ そんなときに 「大丈夫ですよ」と 誰が言ってくれたでしょうか
自分の経験からです 仲間を前にして はしゃぐ子供を制することができないのは 娘を追う私の姿が重なるからなのです
「子供を育てることには全く自信がありませんから 『私はこんな駄目母です』と 安心してもらうことならできそうです」 そんな気持ちからお手伝いを始めた この会です
不安を抱えて帰って欲しくない これでいいんだと 安心や自信を持って 帰って欲しいのです
今日指摘されたことは 人の持つ教養としては とても大切なことだと思います 決して否定してしまわずに 心にとめて携わることが大切だと思いました
親の目から見る姿 スタッフの目から見る姿 それぞれ違っていて当然なのではないでしょうか そしてそれぞれの良い所を取り上げていくことが大切です 良い会にしたい・・・
カップ一杯の紅茶から いろいろ学ぶことができました
異見
心に痞えていたもの
伝えてくれて
ありがとうございます
不安だった行いに
理由をつけることができました
理解してもらうことができました
決して自信は持てないけれど
全てが手探りではあるけれど
確実に一歩一歩踏みしめて
作り上げていきたいのです
そのためには
異なる思いが
とても大切なのです
私の伯母は 主婦の鏡のような女性 料理は上手 子育ては完璧 良い奥様 伯母のような女性だったら どんな男性も 幸せだろう ・・・・そう思っている そんな伯母と 今日一日を過ごした いい加減な私の話など きっとあきれて聞いていることだろうと思っていた 私はそんな自分を悟られないように 勤めて明るくし 伯母を笑わせた 何時間が過ぎただろう お腹を抱えて笑ったり 笑わせたりの繰り返し そのふとした合間だった 「今ね すごく悩んでいるの 泣いてしまうから 言えないけれど 言えるときが来たら話すね」 『え?伯母さんに それほどの悩みがあるとは思わなかった』 正直にそう言ってしまっていた 明るくて優しくて いつも気遣いをして・・・ 確かに伯母のように生きていると 傷つくことも多いと思う でも 年の若い私には そんな心のうちは 明かさないと思っていた 「誰にでも何かしら悩みはあるものよ」 意外な顔をしていた私に 伯母がそう言った そんな伯母が何やらとても 寂しそうに見えて 悲しくなってしまった
なかなか結婚せずに お見合いで結婚 晩婚であったが 女の子と男の子が生まれ 2人を大学にいれ 家を建てた ・・・私にはとても耐えられない 好きなことは? 見たいものは? 行きたいところは? 自由な時間は余るほどあるのに 家のことだけで 一日を過ごす 伯母にとっては 子供たちが全て 今 巣立った子供たちを思い それぞれの生き方に悩む 私はどれほど子供に自分を注いでいるだろう 注げるのだろう これからどれほど子供のために生きられるだろう 伯母のようには生きられないとしても 子供と向き合う自分の姿が ひどく情けなく思えた
今朝 子供の熊のぬいぐるみを見つけて ぎゅっと抱きしめてみた 4才の娘が 「お母さん くまちゃん愛してるの?」 と とてもまじめに聞いた そんな難しい言葉を理解しているとは思えないが 娘にとっての「愛してる」は ぎゅっと抱っこすることだとわかった 愛してあげるからおいで 私もまじめに言った 娘は照れながらも嬉しそうに抱っこされた 腕の中に包み込む・・・包まれる 何て小さな命なのかと せつなくなった
「幸せは人の心が決める」 もっと幸せになれるのではないかと いつも今に満たされずにいる私は どこかおかしいのだろうか
花
どんなに素晴らしい形でも
どれほど美しい色であっても
妖しく艶やかな香りであっても 奢らず 高ぶらず
ただひっそりとそこにある
どんな自分であっても
どこに置かれたとしても
全てを受け入れ
よろこぶことができる
どうしたら
花のようになれるだろう
何を捨てたら
幸せで満たされるのだろう
久しぶりに愛犬クーを洗いましょう
シャンプーの準備をしていると 期待に胸を膨らませたクーが ぴょんぴょんはねて 「シャンプー シャンプー」 と 喜んでいます 待ってて 今洗ってあげるからね 「うん 待ってる 待ってる」 ずっと気になっていましたが かなり汚れ犬です まずは お湯だけでお流しでーす 「ぷひーー きもちいいー」 でしょうねぇ・・・ ごめんねぇ ちっとも洗えなくて・・・ 白い泡になるまで 3回も洗いました 白い犬になっちゃいそうなくらい・・・ 耳もハンカチのように!?もみあらい・・・!? 顔からも茶色い泡 うはーっ汚れちゃったね
よーく石鹸を流したら バスタオルにぐるぐるくるんで 玄関先でドライヤーです 鼻先が濡れて気持ちが悪いらしく 洗ったあとは 鼻先をくっつけてきます 冷たい鼻 鼻から乾かしてあげるー 次は耳 頭 背中 その後は抱っこしてひっくり返してお腹 ・・・しかし・・・ 何をされても 怒らないのね とがった鼻先をちょいと上に持ち上げて ぶたさーーーん 「なんだよぉ ぷしゅん へっぷしゅん しゅん」 あ・・ごめん むずむずしたのね お腹を乾かしていたら 気持ちよくなったらしく えびぞり状態です ハンカチ耳は ペロンと裏返り 無防備な犬 だらしのない犬 かわいいよなぁ
そしてお決まりの カットサロンです 耳の毛を切り それにあわせて体の毛を切ります これがものすごく男前になるのですよ で それだけでは気がすまない私 しっぽはやっぱりライオン風がいい♪ 最後は切りにくい黒い爪の爪きり クーも切られるのが怖いらしく 手を・・・あ・・足かな・・・ひっこめようとするので お互いビクビクしています 爪もさっぱりして出来上がりーー うーん 何てカッコ良いのかしら 「そうかな・・・それほどでも・・でも・・・うれしいな」 とってもかわいくて ぎゅーってしてしまいました 「くーーっくるしいかも・・・」 いいのいいの ぎゅーーーー 「あはは あったかーーい」 くーもあったかーーーい 生きてるってかんじだぁ ・・・生きててね ずっとずっと 生きててね 「・・・・ん・・・・・」 これで誰が来ても恥ずかしくないし ナデナデしてくれるはずだよ 「やった やった やった」 鎖に戻すと 前足を突っ張って おしりを持ち上げて しっぽを振って見せます わかったわかった もっとまめに洗ってあげるから さっぱりしてよかったね 「えへへ ありがと」 はーい
桜の葉が落ちる音に きょろきょろして遊んでいます
くーちゃん9回目の秋
クーの秋
秋だね・・・クー
桜の葉っぱが こんなに綺麗
来月はクーが家族になった月だね
クリスマスプレゼントだったクー
だから本当の名前は「クリス」なんだよ
もうクーなしの日々は
考えたくないな
君をもみくちゃにした子供たちも
大きくなったよね
一緒に育ったクー
ずっと見ていてね
一緒に見ていてね
お願いだよ クー
紐を編んでつくり 腕に巻いておくと 切れたときに願いがかなうものらしいです
私も左手首に巻いていますが プロミスリングが丈夫で いつになったら切れるかわからないくらいのものです ・・・・それでは願いが叶わないじゃないの・・・ いやーな感じですよね でもいいんです 願いが叶ったときに はさみで切ってしまおうと考えているからです ・・・強引なプロミスリングだな・・・
そもそも私は やってみることが好きなので 挑戦できそうなことがあると 足を止めてじーーーーーっと眺めてしまいます もともとストラップにしたねじり平編みという 紐を編んだことから始まりました 平編み 四つ編み あわじ結び 変わり巻き結び ねじり結び はちの字結び とめ結び・・・ まぁ・・・紐からできる模様はたくさんあるものです 4本の紐を絡めていくものなどは ちょっとよそ見をしたり ねじりを戻した隙に 右からだったか左からだったか わからなくなってしまうのです そうなると仕上がりにはっきりと現れてしまいます 途中から模様が違ってしまうのです きっちり編んでいるだけに やり直すのも勇気が要ります 途中でやめて切り取ってしまって 初めから編みなおそうかという決断も できるだけ長く紐を保護したいですから そう決めたら編むのを早めにやめないと もったいないのです だいたい2メートルほどの紐ですが 上手くとれば二つ とんちんかんですと一つしかできません 私はたいていとんちんかんなほうですから 一つ・・・時には二つ・・・そういう時はラッキーです
そろそろ願いが叶わないかな プロミスリング・・・取り替えたいなぁ・・・ と・・・願いを叶えたいのか リングを替えたいのか・・・ ・・・自分でも謎です
願い
虹をわたると
願いが叶う
石に願いを書いて 海に投げると叶う
柳の葉に
くちづけをして川に流すと 願いが叶う
叶えてくれそうな
たくさんのおまじない
試してみたいけど
願いが見つからない
私に願い事をください
そう願った
施設へ行きました 食事介助のときに いつも あまり反応のない方に 話しかけてみます
『こんにちは』 不意打ちの笑顔と挨拶に 驚かれます 「こんにちは」 不覚にも答えてしまった・・・ そんなことはなかったでしょうけれど ピントがあったようです あんまりニコニコとしていたせいでしょうか 「かわいいね」 なんて言葉が出ます うれしい・・・ 繋がりついでにもうひと刺激 『どちらでお生まれですか?』 と伺うと 「私は台湾で生まれたの」 ええええっ 繋がってる・・・ 『ご兄弟は?』 「お兄さんはいない・・・・お姉さんはいた 弟も妹もいない・・・」 『お父さんのお仕事は?』 「・・・・・」 あ・・・繋がりが切れてしまったかな・・ 『お父様は厳しかったですか?』 「父はね・・そんなことなかったですよ」 あ・・・もどってる 『お母様は優しかった?』 「・・・・・・」 このあとは もう何を伺っても 答えがありませんでした ほんのわずかな時間の出来事でした でも この方の脳に刺激が加わり 記憶の回路が 繋がったのです 人間の言葉って すごい刺激だと感じました
聞こえない人は? そう思ったとき ヘレンケラーを思い出しました 彼女が聞こえない世界に入って 自分を閉ざしてしまったとき サリバン先生の働きかけによって 少しずつ自分を取り戻していきます そして衝撃的な水の感触 「W・A・T・T・R」で 幼いころの記憶が蘇ります 手のひらからの刺激で 言葉を思い出したのです 聖書に 「パンを食べなくても死なないが 言葉で死ぬことができる」
というようなものがありました 確かに 食べない心の痛みより 人の言葉で傷つけられた心の痛みのほうが はるかに 深く傷つくものです
言葉はうまく使えば よい刺激になりますが 使い方を間違うと 凶器のように傷つけていくのです
あらためて 言葉の重さを感じました
言葉
一つ一つ
選ばれた言葉は
大切にくるんであって
手渡すと相手が開く
喜んでもらえたら
とても幸せ
生きている間ずっと
私は人から
言葉の包みを
もらい続けたい
そして渡し続けていきたい
冷たい風の吹き荒む日に モスラは現れたのです
玄関のガラスを叩きつけるように パタパタ・・・・パタパタパタ・・・・ モスラ色した大きな蛾です 家の中に入らないように タイミングを見計らって いまだっ と素早く入ります 初めあわてた私は 「ガメラがいる!!見てごらんガメラだよ」 と娘に伝えました 「ガメラ?亀吉のこと?」 それは家で飼ってる亀でしょ・・・・ 「あ・・・ごめん モスラだった・・・」 くもりガラス越しでも十分大きさがわかります 夜は寒いから 死んでしまうだろうね・・・ 朝・・・どったりと横たわるモスラを始末しなくてはと 玄関に出てみましたが モスラの死骸は見当たりません 強風で飛ばされちゃったのかしら・・・ そんな程度で あまり気にもとめませんでした 午後子供のお迎えに出ようと 鍵をかけていて あれっ? ゴマ位の粒々が 一つ・・・また一つと あちこちにくっついています 初めは風と雨で飛ばされた植物の種かと思いましたが どう考えても モスラの卵です パタパタとガラスを叩いていたのは 卵を産み付けていたのです とほほ・・・・嫌だなぁ・・・ 虫娘の出番です 「モスラがさ・・・卵を産み付けていったらしいの 明日にでも何とかしてもらえるかな・・・」 と 相談です するといとも簡単に 「一つずつとって裏の土においておこうか それとも熱湯かけて 駄目にしちゃおうか」 うーん・・・どちらも選べない感じです あんなに大きな蛾が 大量発生しても困るし 娘が手をかけて殺すのもすすめられないし・・・ 答えに詰まってしまいました
夜 玄関を出て行く音が・・・ 「明日考えればいいから・・・」 と覗くと 懐中電灯を手に 卵に霧吹きしているわが娘・・・ どうやら玄関で孵化させようとしているようです・・・・ 「あのさ・・・それだけはやめて・・・・」 「わかってるけどさ なんとなくね」 虫の卵を見ると 霧吹きしたくなるのかしら・・・ カブトムシじゃあないんだから・・・
まぁ・・・モスラも必死だということか・・・
きっと寒空の強風にあおられて どこかの土の上で ひっそりと土に返る準備をしているのでしょうね・・・
蛾
木枯らしの 風に背押され 産卵す 羽根ほろほろと 朽ち落ちるまで
(羽根がぼろぼろでした・・・)
知らぬ地に 運ばれし身も 顧みず 僅かな時に 命を残す
(生む場所すら探す機会を奪われて ただ風に身を任せて ここに決めました まさか・・・取り除かれるとも 思わずに・・・・)
悲しくも 置き去られたる 儚さに 激しく叩く 寒風にも耐え
(置き去りにされた卵 儚い命 なのに寒風は厳しくも 容赦なく吹き付けています)
今日は幼稚園の聖書に親しむ会です
昨日のコンサートの後 今日の机や椅子の設定はやめて 朝に準備することにしたので できるだけ早く会館へ出かけます
珍しく誰の気配もなく 部屋の中も外も静まり返っています 今日でよかったのよね・・・ そんな不安を抱えながら お茶の準備をします 時間が過ぎていくのに 誰も入ってきません 机を出します 椅子を出します ・・・おかしいなぁ・・・ 時間があったので 子供と遊ぶ会の 道具入れの片付けをしました ぐちゃぐちゃで 数週間前に なだれを起したそうで いまもって危ない状態です 片付け終わるころ やっと役員仲間が現れました ずっとでているので 家のことを少しやってきたとのことです ひとりで机を並べたことを知って 私の怪力に驚いていました 間もなく 役員がもうひとり現れます 「スィートポテト焼いてきたぁーーー」 ありがたーい 遅れたけれど許しちゃう そこに牧師先生・・・ 「時間ですね・・・」 「先生・・・3人しか集まらないようです・・・」 と少し申し訳なく感じながら言うと 「少ない人数には慣れていますから ぜーーんぜんだいじょうぶですよ それより・・・いいにおいのするものが 目の前にあるようですが・・・」 そんな和やかな話から始まります 「今日は きてよかったと思えるような時間にしましょう」 ・・・・ところが マタイの福音書は やけに難しく 終わったあとの質問すら出ないほどです 何か話題はないかと 芋談義をしてみます バザーの話 そしてやっと信仰に戻ってきました どんなばかばかしい話でも 「そうですね そうだと思います」 という受け入れから入ります 神様の教え イエスの伝えたいことにまで 文句を言いたくなるときも 懇切丁寧に答えを探し出してくださいます 聖書に文句言ってどうするんでしょう でも 納得のいかないことがたくさんあります 全てを納得したがることも おかしいということにも気がついたりして・・・ 「全部理解して 納得できていたら こんなところにいないかもしれないですよ 人が一生をかけてもわからないものです」 そんな言葉には 妙に安心したりして・・・ でも 心の中ではふつふつとしていて・・・
話を聴く 知らないことを知ることは 楽しいものです おいしいスィートポテトをいただきながら 香りのいい紅茶を飲みます 終わりの時間を過ぎても なかなか話のたえない今日の会でした
話す
人は 話してみないと
わからないものです
どんなに人を傷つけるような
言葉を発していても
心はもろく
頼りないものだったりするのです
人は 役者です
いくらでも
本当の自分を守り
人を欺きます
いくらでも
人を守るために
自分が傷つくことができるのです
バザーが無事に終わり 感謝コンサートが開かれました
ソプラノオペラ歌手をお招きして・・・・ といっても 彼女のお子さんが幼稚園の卒園生なのです でも 二期会で活躍中のオペラ歌手といったら ただではなかなか聴くことができないと思います そして 東京フィルで活躍していたこともあるという チェリストです 朝から雷と豪雨で出足を心配しましたが まずまずの入りです いつもながらに素晴らしいドレス ひけをとらない彼女の姿 華があるのです 日本歌曲から始まり オペラへ・・・ なんていい声なのでしょうか いつの間にか入り込んでしまいます
ホールの広さからすると もったいないような声量です 声の波が壁と天井にたまるようです あれだけ自分の体から声がでたら どんなに気持ちが良いでしょう ちょっぴり想像したりして・・・ とても無理だけど いいな
チェロもいい音です スーーっと1つ音を出しただけで うわぁ・・・ってため息が出ます フォーレの「夢のあと」大好きです
いい音を聴く いい絵を観る 秋は感受性を豊かにしてくれるものが たくさんあります というか・・・秋だからそう感じるのかなぁ・・ あっ・・・おいしいものを食べる もですね
楽器
体で演奏する
チェロで演奏する
それぞれ演奏家の努力と訓練で
素晴らしい楽器になる
楽器には心が宿り
歌いだす
声を奏で 弦で歌う
半年前から始まった 手話奉仕員の講習会で ばったり 小学校のころの親友と再会した 「一年間よろしく」 知り合いが居ることは心強い ただ・・・ふざけすぎないように気をつけなくては・・・ ちょうどいいことに 席順は毎回 主催者のほうで決められている 同じグループになることももちろんあるが ほとんどは離れるため 内心ほっとしている お互い受けを狙い始めると 止まらなくなるからだ・・・
彼女は生まれつき 右てのひらと左足がなかった 出逢った小学校のころは 義足をつけていたが 成長期には義足にはめ込む膝下5センチほどの足が痛み 蒸れと皮膚の化膿に かなり苦しんでいた 気の強い彼女は 手足のことでからかう友達に 食って掛かり 転んではからかわれ それでも負けずに立ち向かっていった そんな彼女の姿が なぜか私は大好きで 私との喧嘩も絶えなかったが 大の仲良しだった 忘れもしない うがいをした水を 水道の外に吐き 私が偉そうに注意すると 松葉杖で額を叩かれた こめかみから血がにじみ 腹を立てた私は 怪我の痛み以上に騒いだことがある 今思えば 義足の調整のために 何度も東京へ通い 出来上がってもすぐに痛む この繰り返しで ぶつけようのない苛立ちや 思うように動けない悔しさが そうさせていたのかもしれない
卒業とともにぱったりと交流は途絶えて 社会にでてから 実業団の障害者水泳選手に 選ばれたと聞いた 幼いころから活発で勝気だった彼女らしいところが 嬉しかった 今夜 声を止めて今までに嬉しかったことを 手話でスピーチした 彼女の話は 「私は 生まれつき手足に障害がありますが 体を動かすことが大好きです。スポーツはずっと続けています 1番嬉しかったことは 障害者スポーツ指導員の 資格がとれたことです 今は盲人に卓球とバレーボールを 指導しています」 というものだった 彼女の右手では 表現できないこともある でもあえて「手話」を選び 左手で補いながら 表している そんな彼女はあのころのまま 私は大好きだ
盲人の卓球もバレーボールも ネットの下をくぐらせて 球を転がして打つ方法 球の中には鈴を入れることもあるが バレーボールは 普通のかたいボールを使うらしい そういえばずいぶん昔に 卓球を見に行ったことがある 応援の声が響く試合とは違い 信じられないくらいの静寂の中で行われていた 球の転がる音 打ち合う音 盲人が楽しめるスポーツがあるのだ
今日は隣同士になり 久しぶりに 冗談の言い合いに華が咲く 「こらぁ・・ちゃんと聞きなさいよぉ」 「笑いのつぼにはめてやるー」 前列の人の肩に隠れて 不自然な2人の動きだろう・・・ 大柄な体に ちょこんとくっついた二つの三つ編み ちっとも変わらない笑顔に引き込まれ いつしか2人は小学6年生
原点 (悪友せっちゃんへ)
私が福祉の仕事を選び
抵抗なく「障害」を受け入れることができるのは
あなたと出逢えたからです
恥ずかしくて顔を見ては言えやしないけど
出逢えてよかったよ
生まれてきてくれて
ありがとうね
ちょっとした用事がありまして・・・ お山に向かいました
素晴らしいお天気と それに映える山の景色を楽しもうと 朝から車の量は相当なものです 渋滞を覚悟の上で 渋滞突入ドライブです
ゆっくりゆっくり登る坂道 うわぁ・・・きれい・・・ と思っていても 上に行くにつれて さっきよりもきれいに目に映ります 目的の場所についたときには ここが1番きれい・・・と感じました 見渡す限り 赤や黄色に彩る 山の尾根に囲まれています 身近に目を戻すと 真紅のもみじが 日に透けて 葉の形が影絵のように輪郭を重ねています 一枚欲しいな・・・と思って近寄ると お日様と空気とたくさんの紅いもみじの中だからこそ 美しさが伝わるようで 採るのを止めてしまいました
私はどんぐりの木を探しながら 時々止まっては上を眺めます たまに行き交う人が 何が見えるの?と不思議そうに並んで上を見ます クヌギかと思って・・・ スダジイかなぁ・・・マテバシイかなぁ・・ ポケット図鑑を持ってくるんだった・・・ 娘は虫はいないかと下ばかり見て歩きます 「羽根ナナフシ」 ・・・そんな虫いるのかしら・・・・ と 下を見ると 不器用な動きで進んでいます 「かわいいーー」 ・・・かなぁ・・・ と 手のひらにのせて もう片方の手で 包み込むようにして歩き出します ・・・待って・・・置いていこう もって歩いたらすぐに弱ってしまうよ・・・ 「持っていかないよ もう少しいい場所に移してあげるだけ」 ・・・それだけにしようね・・・ 草がたくさん生えた お日様のあたる暖かい場所を選んで 置こうとして 「毛虫がいた 刺されるからもっとあっちね」 ・・・何とかうまくやっていくから大丈夫なのに 「じゃあね・・・気をつけるんだよ・・・」 やっと手放していました
紅葉の美しい季節 虫がたくさん出てくる季節でもあるわけです いろいろと・・・楽しい季節
紅葉
紅 朱 黄 黄緑 緑
秋が絵の具をつけた筆で
優しく触っていったように
色とりどりの山々
秋は木々と示し合わせて
色を楽しむ
ここは黄色く ここは紅く
秋の風は天才芸術家
聾学校の文化祭に行ってきました 新しく建て替えられてから まだそれほど年数が過ぎていないので 外観も中身も 近代的です
聴覚障害の子供たちがしている補聴器が カラフルでおしゃれなものになっていることに気がつきました 赤や青 ピンクや 迷彩色まであります そういうおしゃれはいいものです
幼稚部のおゆうぎ会 小学部の舞台発表会などがあり 小学部を観る事に・・・ みんな頑張って明るい表情で挑みます 手話を使う子と キュー式を使う子とあり 自分で選択できるようでした 手話は目にすることが多くなり 見慣れてきているのですが キューというのは 昔ながらの 発音を重視した サインのようなもので 行によって 手のサインを変えるものです あ行は「あー いー うー」と声を出すと 胸に音が響きますから 胸に手を当てるのが あ行です か行はのどの奥をはじく発音なので のどを指差すのがか行です このように発音のイメージにあわせた サインをつけながら 50音で伝えていきます 私たちが話をする速さでサインをつけて話すものですから とても読み取れません 舞台の横には パソコン通訳機が備え付けてあり 台詞やエピソードはそれを読むことでわかるようになっていました
私の後ろに座っていた人は父兄らしく 一人一人について語り合っています 「背が伸びたわねぇ・・・」「大人っぽくなって・・・」 その中に 「もったいないね あんなに口話ができているのに キューを使わせているなんて」 という話が聞こえてきました なるほど 手話なら単語で話をするので 「わたしは みんなといっしょに 行きたい」 というのも 「わーたーしーはーみーんーなーとーいーきーたーいー」 となってしまうのです それから 「綺麗な声でうらやましいわぁ」 という話も 聞こえました 聴覚障害ですと 自分の声が聞こえないから どうしても大きな声になり 裏返ってしまいます 声量を一定に保ち 発音することは とても大変なことなのだと思います 親の視点から見ると そういうことに着目するのです 小耳に挟んでしまった会話でしたが 子供の成長を望む親の姿に 心を揺さぶられるものがありました
劇のあとは 中庭で和太鼓の演奏です 高等部の子供たちも演奏したようですが 私たちが見たときは 卒業生で作られた 同好会のようでした 聴覚障害児の音楽教育に太鼓があることは聞きますが タイミングや呼吸を合わせるのに とても苦労するため 太鼓は嫌だという 年配の聾者の方もいらっしゃいます 客席といっても立ち見ですが そちらに向けて並べられたいくつもの形と大きさの太鼓 お祭り姿の男女が登場し 配置につきます 準備が整うと あたりの空気が張り詰めます 合図は 呼吸 みんなの視点が集まり 目の掛け声のようです まったく狂いがなく 叩かれ始め 呼吸を合わせて間を取りまた打ち始め・・・ 視線 呼吸 リズム 全身で太鼓に挑みます 中庭には 大勢の観客です 聞こえる人も聞こえない人も 同じ響きを体で感じ 同じ響きを楽しんでいる 同じ空間を共有しているのです 太鼓の響きが 体中をかけ渡り 感動で涙腺が緩んでしまいます キューのやり方 また覚えてみようかな
響き
体で感じる音 ひびき
振動により
そこには音があることを知る
体中が耳となり
体中で受け止める
音のない音
音のない世界とは
どういうところなのだろう
知っていたら・・・・ 変わったかもしれない 変えられたかもしれない そんなことが 今までに何度かありました 私が無知であるがゆえに 恐れなくてもいいものを恐れ 不安にならなくていいことを不安に感じ ただただ傷つけるばかりで どう手を差し伸べたらいいのか わからないまま 前を去ってしまった経験があります 自分が知ろうとしなかったことへの反省 相手が伝えようとしなかったことへの反発 いろいろな形で 自分の中に受け入れようとしてきました まずは知ること 相手を知ることも大切ですが 自分を知ることはもっと大切です 相手を傷つけても 伝えるべきことがあり 自分が傷ついても 傍にいなくてはならないことがあるのです
障害を持つということの 理解はどこまでできるのでしょうか
周りが彼等の安全を確保しても 彼等にとっては差別になります 怪我のないように ひろいスペースを用意しても 「狭くても 好きな場所にいたい」 となります 生活介護をするのに ボランティアとしてでなく 友達として 来て欲しいと要求され ローテーションが崩れてしまい 亡くなってしまった障害者もいらっしゃいました 彼等の言う差別とは 健常者の考える気配りだったり 思いやりだったりすることもあるのではないかと思うのです 健常者にしてみたら 障害者からの差別ということになります 特別扱いするとか 端に追いやるなどと 悪く取られることも健常者を差別しているとはいえないでしょうか そこにあるのは 区別であって 決して理解し得ない立場というものがあり 区別されるべきことなのではないでしょうか 歩けることを認め 歩けないことを認め 歩けないものの思いを汲むばかりでなく 歩けるものの思いも汲む これが平等ではないでしょうか みんなちがってみんないい だとしたら・・・ 健常者が障害者を特別視しないことであり 障害者も健常者を特別視しないことであり どちらも優位に立つべきではなく 尊重しあえればいいことなのです
差し障る 害のある者 妨げになること ひどい意味のある文字が並んでいます 障害者はこの字を使うことを嫌います 誰に何をしたというのかと 憤る人もいます 障碍者という字に変えていこうという試みも 意味なく消えてしまいました 碍 だって気休めにもなりませんから・・・ 障害者は常に世の中に出て行くことを意識して 社会の仕組みにあわせる努力をしているというのに 健常者は 何かしているでしょうか 少数が多数にあわせる努力をし 多数は少数に気づきもせず 日々追われて生活をしています 障害者に対する知識は いつどうやって学べばいいのでしょう 小学校の授業に取り入れて欲しいものです おそれず車イスが押せて 白い杖を盲者だと気づけるように 無知から来る差別ほど 悲しいものはないです 自分の反省も含めて感じます
身近に2人の障害児を抱えている方がいらっしゃいます 子供を持つ母親として 悲しむばかりではなく 支えあいたいと 願います 与えるにしても 得るにしても お互いにとって 大きなことだと感じるからです
目に映る
元気に走り回る
仔犬のように ころころと
いつしか転ぶようになり
次第に起き上がれなくなる
次には歩けなくなり
さらに立っていられなくなり
年月をかけて動けなくなる
そして・・・・
9才で自由が奪われた
我が子に起こる事実として
受け止めることができるだろうか
無力な私には
何1つとして
力になれることが無い・・・・無い
風邪をひきました
のどが痛いのと 関節がガタピシします 扁桃腺持ちなので 扁桃腺が白く化膿して腫れあがり 体中がガタガタと震えてしまう状態を 5 だとすると 今のところ3といった感じです まだまだ頑張れますよ♪ 口の中がちょっと痛いけれど・・・
とにかく周りの人がひどい咳だの熱だので 苦しんでいるのに 扁桃腺持ちの私が なんでもないはずがありません ・・・・なぁんて威張っている場合ではありませんが 熱が出ても 予定がぎっしり詰まっているため 熱を口実にのんびりでれでれと 過ごすこともできそうにありません
この悪寒と闘うために ガスストーブを出すことにしました このところやけに寒いように感じていました お山の紅葉は 彩るのでしょうね・・・・
治ったらドライブしたいなぁ〜
おばあちゃんのかぜぐすり
私が熱を出すと
おばあちゃんが必ず買って来てくれた
透明のりんごジュースはね
特別においしかったんだよ
あのころはただ嬉しいだけだったけれど
今思い出すとね
涙が出るほど
ありがたいことだったんだって感じるんだよね
「みんながそうしていると思っていない? 実はみんなしていないんだよ」
どうも私は 肩に力が入ってしまうらしい 理想を掲げては それにより近づこうともがいてしまう 自分の力が及ばないことにも気がつかず ただ無心に登りつめようとしている
いつものように友人に愚痴をこぼしているときの出来事 「無理なことを望んで そうできないことを悲観している そんな必要まったくないと思う」 言われたことは納得できるのに 少しも変われない・・・いや 変わろうとしない自分がある 変わりたくて 変えたくて話をしているのに また元居た場所に戻ってきている まわりを追い詰め 自分も苦しいのに なおも続けている
何なのだろうか
このところ 大切なことが自分に欠けているような気がしてならない 知らずに人を傷つけたり 思いやりに欠けていたり 気遣いを怠っていたり・・・ 「私は おかしくない?」 何度も人に確かめたりしている自分の姿がある まるで迷路に入って 出られなくなったような気持ち 下ばかり見てぐるぐるさまよい歩いていて 上を見上げると 私に出口を教えようと こっちこっちと 声をかけて手を差し伸べてくれる人たちがいる
「わかっているけど ここから出られないよ 私には下しか見て歩けないから 上を見ていたら 壁にぶつかってしまうから 危ないもの」
生きている間には 何度かこんな気持ちになるのだろうか 生きてきた自分に ここまで来たけれど これでよかったのかと投げかけたくなり 今の自分に 今立っている場所は どんな眺めかと尋ねたくなり これからの自分を どんな風に演出していこうかと悩む・・・
凝り固まりたくない 柔らかく生きていたいのに どうしてこんなに 頑固な生き物になってしまったのか 早く何とかしないと 早く自分を知って 自分を見つめないと・・・ 何かに急かされて 焦らされて 見えない出口に向かって ひたすら歩いている
瞳が曇って 本質を隠してしまった
享受
頑張らなくてもいい
それはいったい
どう生きることだろう
子供と遊ぶ日
今日は前回より少ない人数です そして担当スタッフが 今日始めて通しで責任を持つ人です 彼女は 音楽大学を出て リトミックのプロですから どんな風に作り上げていくのかとても楽しみでした まず始まりの歌から もうすっかり彼女のペースに圧倒されます 参加した親子はひきつけられ すっかり心を掴まれてしまいました ・・・さすが 私は心の中でつぶやき 拍手を送ります ぼんやりはしていられません 少人数とは言え 彼女を盛り立てるのは あと私しかいませんから 気を張ります 邪魔になってはいけないけれど ボーっとしていては 圧倒された親子は引いてしまいます お母さんの気持ちになったり 子供の気持ちになったり いつもは引き付けるための声かけも 今日は 参加する立場の声にしなくてはなりません テーマは「三匹のやぎのガラガラドン」 ガラガラドンになってお母さんと出かけます 途中で新聞でお相撲をしたり ダンボールのトンネルをくぐります まだ年齢の低い子は 怖くてなかなか反対側までいけないのです 反対側へお母さんにまわってもらい 名前を呼ぶようにしてもらいます くぐりたくて覗いてみるのですが 入るのはちょっと怖い そんな自分との葛藤がかわいらしいのです 大きい子は何度も何度も くぐっては戻りしています トンネルの中が気に入ったようで 途中で止まって出てこない子もいます 暗くて狭いところが好きなときってあるものです 「邪魔だから出なさい」と注意するお母さんに 見向きもしないで 座り込みます 皆がトンネル遊びに満足したころ ずるずるずるとトンネルごと端へ移動してしまいました 好きなだけ入っていてもいいですよ 時々ダンボールが もこもこっと盛り上がり 中で立ち上がってみてるのがわかります ・・・・たのしそう
そしていよいよ橋を渡ります ガラガラドンは そこでトロルに脅かされます 「橋をガタガタさせるやつは食べてしまうぞ」 彼女が変装して登場です ゴム手袋にスカーフで顔を隠しています 橋を渡ってご機嫌な子供たちが 突然顔色を変えて お母さんにしがみつきます 中には泣き出す子まで・・・ 打ち合わせ通り 落ちている新聞紙を 丸めてトロルに当てるように促します みんな!トロルをやっつけるよぉ!! 怖くて近寄れないものだから 玉があたらなくて トロルが弱らない・・・ えいっ!えいっ! そのうち1つ2つと当たりだし やられるばかりであることに気づいた子達が 安心して玉を当てます 当り始めると トロルはあっという間に倒れてしまいます ばんざーいやっつけたぁ! トロルは皆を脅かしてしまったお詫びに イチョウの葉にかたどった サツマイモチップを ご馳走してくれたのです 「これをあげるから許してね」 というトロルにみんなで「いいよ〜」って言ってあげます 約1時間こうして遊びました
楽しませるには楽しむこと 私たちのモットーにぴったりの時間でした
その後は お天気がいいので外に出ました 棕櫚(しゅろ)の葉を使って作った バッタづくりです やってみたいお母さんだけ挑戦していました 何か覚えて帰ることは ちょっぴり満足に繋がるようです
「たのしかったねぇ」 親子でそんな声を掛け合って帰っていく姿は なんとも嬉しいものです
今日もニュースで 我が子をベビーベットに叩きつけて 意識不明の重態にしてしまったお母さんが居ます 子供を殺した後で自分も死ぬつもりだったと聞きました 「どうか こちらを向いてください 遠くからでもいいですから こちらを見てください 少しずつでいいから 近づいてきて欲しいです みんな居ますよ みんながたくさん抱えて こうして頑張っていますよ 辛いことだけではないです 楽しいこともあるんですよ」 そんな声を 風に乗せて届けたい 心の叫びが聞こえるから 受け止めていることも気づいて欲しいのです 1人ではないことに気づいて欲しいのです 道はたくさんあることを 知って欲しい・・・ 外を見て欲しい・・・心の窓を開いて・・・
長い時をかけて続けていたら たくさんの思いが きっと届く日が来ると信じています
孤独〜罪悪
心に訪れる
突然の翳りは
全てを落胆させ
破壊に導く
自分ではどうすることもできず
起きてしまった事実の重さに
己を取り戻す
暗闇の穴に落ちてしまったら
人の手によって引き上げられなければ
どんなに足掻いても
出てくることはできない
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幸福
たくさんの出逢いがあり
得ることの楽しさを知り
与えることに充実感を得る
生まれたことに感謝することができ
生きることの価値を見出す
幸福感を知らなければ
自分を幸福感で満たすことはできない
夏に花火を観ました 大きな川の川原であげるもの・・・ 兄のマンションで おばあちゃんと観ました
ここの地域には 11月にも花火を打ち上げるというものが 4〜5年前から企画され始めました 川原の花火もそのころから始まり ひと夏に 川原と浜辺とで花火が楽しめていました ところがこのところ 川原の花火は予定通りに決行し それはそれは見事で 観客も年々増え続けていています やはり見物しやすいということと 予定通りというのは 影響が大きいようです そして 浜辺の花火・・・ 夏から延期続きで 打ち上げられず とうとう今頃の 秋冬の花火になってしまってからが よくないのです
風で延期 雨で延期・・・ とにかく延期続きです だいたい今頃ですと 夜は寒いです きっと秋に花火が定着している地域もあるのでしょうが 夏から移動したこのあたりでは どうも不自然でなりません そして昨日 花火の予定でしたが 風が強くて今日に延期だったようです 今日も日中 強い風が吹き 延期でしょうと 確信していました 夕方・・・ドンドーン・・・・パラパラパラ・・・ 花火が上がっている音です 決行の合図かと思いましたが どうも 合図にしては ドンドンとパラパラが・・・ 合図もなくあげているのかしら・・・ と 不思議に思いましたが 3分ぐらい音がした後 止まったのです 途中で止めたのか 中止の合図が派手に上がったのか 謎のままです
この時期の花火に期待して 心待ちにしている人っているのでしょうか・・・ 冬の花火・・・ちょっぴり寂しいです
冬花火
どこまでも空気が澄んで
瞬く星を眺めながら
冷たい花火を観る
いたずらな風が頬をくすぐり
肩寄せあって暖をとる
冬の花火は夏と違って
恋人同士で観るといい 素敵な花火の演出に 寄り添いあって
優しくくちづけ
菊の美しいころとなり 菊花展や菊祭りがあちこちで開かれています
実家には 350株の白いざる菊が植えてあり 所狭しと庭を華やかにしています 今日はお天気もよく 人寄せをして ご自慢の菊を披露します
私もお手伝い ばたばたと立ち働いていたとき 足の小指を強打してしまいました 「いったーーーい!!」 でも することがたくさんあり たいして痛みも続かなかったので すっかり忘れていました 夕方ごみを片付けようと靴をはくと 靴に押されて小指が痛いのです あたらないように 浅くはこうとしても かえってすれて痛い・・・ そんなに打ったかしら・・・たいしたことなかったのに と 思いながら家に戻りました 夕食の支度で 台所をうろうろしていたら 同じ足の小指を 丁寧にもう一度 強打!!です 「いたい」 それはそれは大きな声で 叫んでしまいました それはもう怒りの声です そんな声にもかかわらず みんな疲れてしまって 他人事です だぁれも気にとめてくれません 痛がるのも腹立たしくなり 何もなかったように立ち直ります あ〜あ・・・ 腫れちゃった そりゃあそうですよね 一日に二度も同じように強打したんですもの かっかと熱くなって 腫れてしまったせいでしょうか ビクとも動かなくなっています ズンズンと 痛みが続きます すごく痛いですよね・・・足の小指・・・ 一日の疲れを癒すために あたたかい紅茶を入れて お疲れでしたと ゆっくり温まります 足の小指だけ 別の生き物のようになってしまった中で・・・
小指の痛み
ここにわたくし小指が居ります
いつも体を支えております
あまり考えていただくことはないので
時々 物に当たってみます
するとどうでしょう
何度も眺めていただけたり
時にはいい香りのスーッとしたものを
塗っていただけたりするのです
いえ・・・いつもでなくていいのです
こうして時々
思い出していただければ・・・はい
下の娘のお友達(6歳)の女の子が お泊りしました
はじめは遊びに来ていたのですが お母さんが熱を出し 急きょ決まったことでした 子供のお友達ではあるけれど なんだかうきうきしてしまいます お風呂を洗って・・・ 夕飯は何がいいかな あるものを使って 子供むきに・・・ そんなことを考えていたら 楽しくなります お布団を整えて ・・・まるで旅館の女将みたい 次の日も夜まで遊ぶことにして とにかく食事のお世話が楽しくて・・・ 好きなものや 駄目なものを聞いたりして 張り切りました 好き嫌いが少なく いろいろ食べてくれるのですが 量は食べられないようで 夜ご飯のころになると お腹がすいてなーい と 言われてしまいました ちょっと張り切りすぎたようです いろいろなものを少しずつ食べて欲しいから 1つのお皿にも いくつもの種類を並べます まるでおままごとです 同じ味をどっさりと出されるよりも 気持ちも楽なのではと思ったのです お腹いっぱいと 夕食に手をつけなかったのですが 何せ好きなもので攻めていますから 一度は席を離れたけれど 何度も戻って 最期には 小分けして 食べていました 「お腹がすいていたら食べたのになぁ」 と ちょっと残念そうでした
お母さんの熱もだいぶ下がったようで お返しすることにします 娘たちもお友達も 寂しくて仕方が無かったようです
生活
ともに過ごす空間
長い時間が過ぎると
居場所が出来上がる
いつのまにか
きちんとそこにおさまって
当たり前の存在になる
受け入れる能力と
順応する力は
「家族」を作り出せる
アロエの茂みが気になるクーは 今宵 とうとうアロエの上に寝ていました 時間はたっぷりあるものね・・・ それにしても・・・ 少しずつアロエに乗りかかっていったのでしょうか クーに毛があるとはいえ 痛いでしょうに アロエの茂みは無残にも クーのベットに変わっていました でもね・・・ アロエって 葉の芯は透明で水分を含んでいて 苦くて薬になるものです ベタベタねばねばしているものです クー・・・ ちっとも洗わない私に対する 抗議でしょうか? 抱き上げたら しめっぽーいのです うわっ・・・ 明るいところまで来てよく見ると 足がべとべとです 足にくっついたものの 舐めて乾かすにも苦くてかなわんのでしょう どうして?まだ何か気になるんだ・・・・ ねぇねぇ・・・・クー?
「・・・・・・・」 今日のクーは無言です かなりお疲れのご様子 お隣で 猫が「フーフー」逆立っているというのに まったく無視して寝ています ・・・おやすみぃ 明日洗ってやりたいけど 時間があるかしら・・・
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施設に行きました お散歩が定着しました あちこち歩き回り 時間があと少し残っていたので 「図書室」に立ち寄ります 時々関西弁が出ることもあって 大阪の写真集を広げます 何か記憶にないかと言う期待もありましたが・・ 写真の見出しに 「大阪の繁華街」とか 「大阪城の石垣」とか書いてあるのですが まず全部読めるのです 脳の不思議を感じますが 会話ができないのと 字が読めるというのは 違う脳なのでしょう 左の脳が切れたり詰まったりすると 右に麻痺が来て 言語が成り立ちませんが 麻痺がないということは 大きな詰まりはないのでしょう それともう1つ不思議にことに 誰だかまったくわからない状態なのに 施設の理事長が歩いてくると 「理事長さんよ ほらこっちにいらっしゃる」 と はっきり私に伝えたのです 顔の認識ができるのです 男性に対して 失礼のないようにと 座ってくつろぐ男性にも 丁寧なお辞儀をします いろいろな形で出る痴呆ですが お会いするたびに学ぶことがあります ・・・勉強不足・・・
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咀嚼〜嚥下
食べることは覚えていても 噛むことを忘れてしまった
口に入るものは拒まないが
飲み込み方を思い出せない
生きるための営み
生きるために必要なこと
あなたは 生きている
生きているのに・・・
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