CYMA’S MURMUR

2004年10月31日(日)   FLAMENCO


FLAMENCOを見てきた。
なかなかエキサイティングで、楽しめた。
踊り自体より、私はギターの音色の方が気に入った。

今回は、本当に突然の成り行きで
チケットを入手したのだけれど、よかったな。

大枚をはたいて押さえたチケットは、
祖母の葬儀で無駄になってしまい、
なんとなく、FLAMENCOとはもう縁がないかも・・・
と少々残念な思いでいたのだ。

これで、本当にすべりこみで、
10月の文化的イベント、クリア!ですね。

来月は、何しようかな。
今押さえてあるのは、1月のTAPと4月のCATS(劇団四季)だけ。

何か、こう、インスパイアされるような魅力的なイベント、ないかな。

ちなみに見損ねたRafael Amargo は、
顔が好みだったんだよなぁ。
ちょっと濃すぎるかもしれないけど。
顔だけ見て「好み!」ってこと、
私は割と少ないので楽しみにしていたのにぃ。

不謹慎承知でさらに言うと、
イラクのテロ絡みで報道番組に出演している
中東調査会研究員の大野さんという人の話し方も
かなり好み。顔は別に普通だけど。
解説の内容もわかりやすいし、日本語も適切だし、
落ち着いた声でしゃべるので要注目。

東大教授の姜尚中さんも、私の中では高得点なのだけれど、
それにつぐヒットだわ、大野さん。

何か事件があると、
教授だの研究員だのがテレビに引っ張り出されるけど、
結構聞き苦しいことが多いのよね。
聞かれたこととずれた返答をしたり、
話しが要領を得なかったり。
だから、キレイなしゃべり方で、
まともな内容を語ってる人がいると、
すごくホッとします。

まぁ、地震とかテロとかの悲しい事件で、
専門家がテレビに出演しなきゃいけない事態というのは、
もう起こって欲しくはないけれども。






2004年10月30日(土)   和解


とりあえず、
和解?
のようなものをした。



まだ納得しきれていない部分はあるけど、
長引かせても仕方ないし。



感覚が同じ、ってことは大事だ。
あまりに同じすぎると、
一緒に路頭に迷いそうで危険だけど。


しかしなぁ、
バカなのか、なんなのか、
さっぱりわかんないよ。



私も、怒りすぎなんだろうけど。
反省ポイントもよくわからない。

ちょっとつらい。





2004年10月28日(木)   後味がわるい

言いたいことを言ってすっきりしたかというと
そうでもなく、

後味わるい。

でも、言わずにはいられなかった。

だって、そうでしょう?




せっかく流れを取り戻せそうだったのに。




落ち着かない。






電話しちゃおうかな。
電話したいのかな。
言い訳が欲しい?




そんなわけない。




誰にも本音を話していない。
それでも。
その方がいい。



もう少しだけ、待ってみよう。


我慢できなきゃ、週末に。







2004年10月27日(水)   看過するということ


今回の日記、

3回書いて全部破棄。

上手く説明できないのだけれど、

看過できることとできないことがある。

誰かが自分にとって致命的なことをしたとき、

相手に悪気がなくてもその分反省もなく悪質だったりして、

正義感とは違うけど、

ただ見過ごせないという思いだけが突っ走ってしまった。

結構手に余る問題。





2004年10月26日(火)   アラビア語


昨日の夜見た、
NHKのアラビア語会話が面白かった。

いつの間に、外国語講座に
アラビア語がラインナップされたのだろう?

アラビア文字があまりに不思議に見えて、
理解できそうな気がさっぱりしないのだけれど、
それでも面白かった。

スペイン語のうち、かなりの単語(AL-で始まるヤツとか)は
アラビア語起源だし、
トルコ語の中にも、アラビア語から来た単語が沢山ある。

というか、トルコはもともとアラビア圏だもんな。
アタテュルクがアルファベット化を断行したから、
トルコ語はなんとか私でも読める文字になっているけれど、
アラビア文字の素敵さと言ったら、ちょっと他にない。

ヨーロッパの人から見ると、
漢字とかハングルとかもそう見えるのかな?
でもアラビア文字の方が優美な感じがするよね?

講師の人が、美人で、これまた私好み。
ハーフの人だそうだけれど、話し方も好き。

しばらく、はまりそうだ。






2004年10月25日(月)   ハーブティ

何か明るいことが書きたいなと思うのだけれど。

地震で再度自然の恐怖を認識させられたこともあり、
山間部の村が被災すると大変だなぁとか、
そういうことしか考えられない。



明るい見通しなんて何もない。

Sigh.



ハーブティがとてもおいしい。
体が欲しているのだろうと、素直に3杯も飲んだ。

原材料は、ハイビスカスとブラックベリーとローズヒップと
オレンジピールとチコリルート、そしてクエン酸。

クエン酸が足りないらしい。





2004年10月24日(日)   血脈

母方の母方(つまり私の祖母方)の家系は、
とてつもなく血縁を重んじる。

別に○○家を残すため、とか、そういうのではなく、
異様なまでの家族に対する執着と愛がある。

私が大学に入って東京に出てきた頃、
母からは毎日、祖母からは3日に1度程度電話があった。
心配で、居ても立ってもいられなかったらしい。

私が1ヶ月ヨーロッパを旅行していたときには、
祖父母、母、父(単身赴任で別居中)の3箇所に、
順繰りに葉書を(3日に1度程度)書いていたのだけれど、
その3者は、日々電話で、私の葉書に何が書いてあったか、
報告しあっていたというくらい。

ただの過保護なおうちだと言えばそれまでだけど、
それだけでは済まされないような迫力がある。



具体的なことは書かないけれども、今回祖母の死後、
祖母の遺志(意思)ともとれることが色々起こったり発覚したりして、
祖母の家族愛の強さというようなものを痛感している。



この家族愛は、カニバリズムにだって発展しそうな強さだよ、
なんてことをふと思った。唐突なようだけれども。

たとえば、事故や何かに家族が遭遇したとして、
自分の血肉を与えれば子や孫が生き延びるなら、
喜んで体を提供するだろう、というようなことだ。

「自分を食べてでも生き延びろ」というような
強いメッセージを送られたとき、私はどうするのだろうな。

鬼気迫る迫力があるのだ。
うちの祖母と母には。



親戚筋の中には、祖母の愛の根源を、
幼い頃に母親を亡くした経験に見る向きもあるけれど、
それだけじゃ説明がつかない気がする。
だって、祖母以外の親戚だって、すっごい家族に執着してるもん。

それは、子供のためならどんな犠牲を払っても構わないという覚悟でもあり、
また、甘やかしすぎて子供をスポイルしてしまうことであったりもする。

たいてい、ダメになるのは、息子だ。
母から息子への溺愛というのは、母から娘への溺愛の比ではないので、
マザコン男はロクでもない、ということだけは、はっきり言える。
うちの親戚には、ほんと、ロクでもない男が多い。



一方、父方の家系は、家族のつながりがとても緩やかだ。
母方的濃い関係から見ると、それは冷淡に見えるほどだけれど、
特に気にかけてないわけでもなく、それでも家族でも他人、という風情。



どっちがいいというものでもないのだけれど、
少なくとも祖母と母の強い愛(であり、思いやりであり、思い込みであり、執着)が、
私を生かしてる部分はある。
何があっても、受け止めてもらえる場所がある、という意味で。

だから、祖母が亡くなったとき、
私は自殺に一歩近付いたな、と思った。
私の自殺を阻む理由の1つである祖母の存在がなくなったということだから。







2004年10月23日(土)   形見


あんまりモノが欲しいとは思わない。

多分それは愛された記憶があるから。
確かな気持ちがあるから。
モノなんかに託さなくても大丈夫だから。
きっと。

妹は、泥の中から発見された小銭入れが欲しかったと言う。
それは叔父があまり何も考えず、
従弟に与えていたのだけれども。

でも実は私の手許には形見と呼べるようなものがある。
手巻きの腕時計。
これは曾祖母から祖母に渡った品物で、
そして母を飛び越えて私の手許にある。
もらったのは、たしか、10年くらい前かな。
全然使っていないのだけれど、
ちゃんとベルトをつけて使おうと思う。
結構イイモノだし。

でも、大切なのは、モノより気持ち。

と言いながら、やっぱり目に見える拠り所が必要なのかな。

今日は、休日出勤後に、実家に寄った。
土砂から奇跡的に発見された祖母のアルバムの写真を整理するため。

時系列でもなんでもなく、
余っていた写真を適当に貼っただけという、
いい加減なポリシーのアルバムだったのが幸いした。

子供時代の祖母から、
祖父母の結婚式の1枚や、
小学生時代の私と祖母が写るものまで、
バラエティに富んだ写真があるのだ。

その中で、何を焼き増しするか、検討した。
私と妹は、
それぞれ子供時代の自分と祖母が写っている写真と、
若かりし祖母のアップ(ブロマイドちっく)の原本を、
思い出として持ち帰ることとし、
それ以外に祖父母のツーショットや、
結婚式の写真を焼き増すことにした。

写真の中の曽祖父の顔が、
また従弟の顔にとても似ていたりして面白かった。

祖母の初恋の人、と思しき写真も出てきた。

祖母亡き後、祖母の小姑から聞いたのだけれど、
祖母には初恋の人がいて、
でもその人は戦争に行ってしまい、
それで祖父と結婚することになったらしい。

そういう話、もっとちゃんと聞いておけばよかったな。
まぁ聞いても「秘密」って言われちゃうかもしれないけど。




大して遺産があるわけでもないし、
偏屈な親戚がいるわけでもないのだけれど、
事後処理は結構面倒。

今後、親が年老いていくこととか、
いずれ(普通に行けば)私より先に死ぬだろうことを、
考えないわけにはいかない。

妹がいて、本当に良かったなと思う。

世の中の1人っ子は、
親の死を受け止めるのも大変だろうな。

妹を生んでくれた、両親に感謝だな。

元々、妹は私と正反対で、
性格もよく、行動力もあり、とてもいい子なのだけれども、
家族として色々分かち合えるきょうだいというのは、
本当に大切な存在だなぁ。





2004年10月22日(金)   寄り道

明日も出社するし・・・
ということで、早々に退社。

19時台に会社を出るのなんて、
メチャメチャ久しぶり。

しかし、電車が事故で止まっていたので、
予定を変更して、別ルートで帰ることにし、
久々に雑貨屋やデパ地下をふらふらしたけれど、
全然買いたいものがなかった。

ツマンナイノ。





2004年10月21日(木)   数珠

今週はまともに仕事しないまま終わるのかな。

2度ほど客先を訪ねてミーティングしたけど、
それくらいしか仕事らしい仕事してない。
いや、ホスト用のコード変換というやりたくない仕事を
1個終わらせたってのはあるな。

なんかねぇ、
最近私は土曜日だけ仕事して、
平日は遊んでいる人なんじゃないか、
なんて思い始めたよ。

いや、もちろん、色々、やってあげてはいるんだけど。
自分のタスクって意味では、進捗少なく・・・

おまけに情シスからもらった本番機データを解凍したら、
最後の最後で意味不明のエラーで落ちるし・・・
週末このデータをセッティングしなきゃいけないんだけど、
30GB超えデータの扱いは面倒くさい。



また物欲がグングンあがってきている。

今欲しいのは・・・数珠!

渋いなぁ、我ながら。

先日の祖母の葬儀で、
私は実家にあったあまりものの数珠を借りたのだけれど、
この先もずっと実家から借りるのもなんだし、
私もいい歳だから、そろそろ買おうかなぁっと。

今後数珠を使うたびに、祖母のことを思い出すだろう。
それもまたよし。

大体、こういうものは法事とか、不祝儀のときに買うもので、
何もないときに買うべきじゃないって言うじゃない?

というわけで、祖母の49日の法要までに購入予定。

調べてみると、数珠って色々な種類がある。
今惹かれているのは、インドヒスイのもの。
15,000円から20,000円というところかな。
まぁ、一生使うなら、これくらいの金額出してもいいかも。

母に相談して「ずっと使うし」と言ったら、
「なくさない限りね」と言われた。
失くし物クイーンの母らしい発言だ。

あとは、ついでに袱紗なんかも買おうかなぁとか、
ついでに白いハンカチで素敵なのが欲しいなぁとか、
法事も晴れのイベントというノリで物欲増進中。

気に入るものを探して、
手に入れて、
メンテナンスしながらずっと大切にする、
というスタイルは私の性格にしごく合っているので、
やはり「間に合わせ」はやめようと思うのだ。

だって、今持ってる、真っ白なハンカチ(確か800円くらい)は、
あんまり気に入ってなくて、
だからお葬式からもどって洗濯したあとそのまま放置してある。
さっさとアイロンかけなきゃ、
突然何かがあったときに困るってわかっているのに。
これが、10,000円を超えるスワトウか何かのレースのハンカチだったら、
きっと私はもっとずっと丁寧にそれを扱うと思う。
しかしさすがに、ハンカチに10,000円出すのは勇気がいる。
でも、8,000円のハンカチは気に入らない(←ナマイキ)。
やっぱり「いいな」と思うと、20,000円くらいするんだよなぁ。
いいやつ見ちゃうと、それより悪いの買う気になれず、
だったら800円でもいいか、とか、思っちゃうし。
ハンカチについては、急がずしばらく悩むことにしよう。
数珠よりも消費財だし、高価すぎて涙も拭けないんじゃ意味ないし。







2004年10月20日(水)   倦怠 甘え


非常にテンションが落ちている。
何故だ。

体調悪いのかな。
目の前の人が咳しまくってる(パーティション越しだけど)。
移されたら嫌。

仕事する気になれない。
今週末も出勤確定しちゃったし。
(DBの設定変更だから、誰もいないときじゃないとダメなの)

と、ここまで書いて気付いた。
あー、割とかったるい日かもしれない。ちょうど今。
自然の摂理なのでそれはそれでいいけれど、
このそこはかとない不快感は何とかならんもんか。
表面上特に何が変わるわけでもないからなあ。

なんとなく、全てがネガティブで、逃げの姿勢。
今一番欲しいものは連休(5日間くらい)だけど、
多分そんなに休みがあってももてあましてしまいそうなくらい、
気力が足りない。




雨も鬱陶しい。

残りわずかな力まで全て奪われるような感じ。




でも、1月のTOEIC受けてみるかな、
なんて唐突に思い立ってみたりして。

外国で働きたいなぁ。
トコトン一人で。

仕事内容は、なんだっていい。
簡単なシステムのお守とかがいいなぁ。
日系企業の片隅なんかで。

などと甘えたことが頭をよぎる今日。







2004年10月19日(火)   ウゴカナイコンピュータ

息抜きに、会社においてあった
「日経コンピュータ」を久々に開いた。

もちろん、私が好きなのは
「動かないコンピュータ」シリーズだ。

完全に怖いもの見たさ・・・
それにしても、今回読んだ話は怖かったなぁ。

今号は、訴訟まで発展したケースをいくつか
とりあげていたのだけれど、、、
(【特集】法廷に出た、動かないコンピュータ)


一番怖かったのは、

午前2時にSQL*Plusから本番機のデータを削除してしまった

というお話。
悲劇は続き、データ復旧でもヘマをしてしまったため、
結局1ヶ月分の経理データが復元できず、
人海戦術で伝票から入力しなおしたみたいだけれど・・・


通常取り上げられるケースは、
プロジェクトが全体的に暗礁に乗り上げる話が多いけれど、
この話に限って言えば、明らかに特定の個人のミスだもんね。

ま、夜中に本番機からデータ取得しなきゃいけないような
状況に追い込まれていたということから、
それ以前に開発作業が混迷状態だったのだということはわかるけど、
でも、やっぱり、「個人の責任」だよね。

あー怖い!
思わず鳥肌立ったくらい怖い。

私だって、意識朦朧とした真夜中に、
データを消したことくらいある。
(さすがに本番機じゃなかったし、
ちゃんとバックアップデータもあったけど)
真夜中じゃなくても、
「あ!消しちゃった」ってことあるし。

言い訳じゃないけど、
こういう事故はごく普通に起こり得る。

だからこそ、バックアップは重要なのだ。
そして、テープも入れっぱなしじゃなくて、
ちゃんと交換してね。お客様、お願い!

息抜きどころじゃなく、
気を引き締めないと危ないなぁとしみじみ思う
休憩時間なのでした。







2004年10月18日(月)   ツイテナイ

昨日、昼食のうどんをゆでて、
ざるにあげるときに、熱湯が手にかかった。
大したことなかったけど、火傷した。

今日は、みなで昼食に出た帰りに、
横断歩道の真ん中でこけた。
両膝すりむいた。

プチ厄って感じか。

おまけに、また目の調子が悪い。
慌ててブルーベリーサプリを買ったけど、
効くかしら?

明日はまた客先。
面倒くさいなぁ。




2004年10月17日(日)   メンテナンス

メンテナンス・デー。

昨夜は、衣替えを実行。
冬服、あるような、ないような・・・
冬のスーツを1着買う必要があるかもしれない。

今日は朝から洗濯。
昨日部屋を片付けきらなかったので、
DVDを見ながら部屋の片付け。

クリーニングに夏のスーツ4着をもっていった。
それとスカート1枚で、3800円。

続いて、メンテナンスショップへ。
ブーツ1足(ヒール修理)と、
サンダル(つま先とかかとの張替え)と、
パンプス(ストラップがちぎれたので修理)。
しめて3000円。

メンテナンスはお金がかかる。

家に戻って、夏物の靴をしまい、
代わりにブーツを出してきた。

再び買い物に出て、
公共料金をコンビニで支払ったり、
ドラッグストアで買いものしたり、
数ヶ月前にオープンしてから気になっていたキムチ専門店で
チジミを購入。
あと、久しぶりにお花を買った。

トイレと洗面所の掃除もしたし、
部屋は大分居心地よくなった。

モノも、心も、身体も、メンテナンスできた1日。

ちょっとだけ気持ちが上向きつつある。
この調子で明日からもがんばろう。





2004年10月16日(土)   買い物いっぱい


充実した1日。

9時に起きたら曇天。
でも天気予報の「今日の降水確率は0%」を信じて、
シーツとコンフォーターケースを洗濯。

10時過ぎに家を出てバーゲンへ。
・靴1足
・スカート3枚
・セーター1枚
・フライパンと片手鍋のセット
・プジョーのペッパーミル(大安売りしてて我が目を疑った)
・フォトフレーム
などを購入。

余りの重さに、駅のコインロッカーに預けて、病院へ。
アトピーの薬をもらったあと、
ファーストフードで昼食を摂ってから出社。

音楽をガンガン聴きながら仕事をしてたら師匠登場。
今日は他プロジェクトの休日出勤者が多い。

ちょうといい、ということで、
我がプロジェクトのDBモデリングの現状と、
今後予測される問題について意見を伺う。
30分程かけて、
今のままでパフォーマンスの壁にぶち当たった場合
どう回避するのが工数が少なくまた安全であるか、という点で、
ありがたいアドバイスをいただいた。

更にバリバリ仕事。
今日は捗る。
平日、これくらいの集中力と勢いで仕事すればいいのに、私。

夜早めに帰れそう。
あと数時間頑張ろう。







2004年10月15日(金)   ブクログ


ふと思い立って、ブクログに登録してみた。

そんなことしてないで仕事しろよ、、、
と心でつぶやきつつも会社でボソボソと。

これ、なかなか面白いなぁ。

同じものを所有している人の本棚を覗けるのが楽しい。

でも、本棚を作ってるだけで、
レビューを書いてない人が多くて、それはちょっと残念。






2004年10月14日(木)   過ぎ去った関係



モトカレに限らず、

  過ぎ去った関係

ってものが私は結構好きかもしれない。



ふと気付いた。




ちょっと前に会社で席替え(小学生っぽい単語だな)があり、

別のフロアに移動したのだけれど、

そこは前に一緒に仕事をしたことのある人がいっぱいいて、

そしてなんだか楽しい、

のだ。




一緒に仕事していたころ、

すっごく仲良かったってわけでもないのにね。




きっと、

一緒に仕事していないから利害関係もなく、

だからこそ友好関係を保てるのだろう。

こういうところが、

「過ぎ去った関係」のメリットだ。

現実にとりたてて接点がないということ。

・・・・偶然以外・・・・



お互い深い興味があるわけでもないから、

わざわざ連絡を取ったりはしないのだけれど、

ちょっとすれ違ったりすれば雑談するし、

偶然同じタイミングになってランチに一緒したりするし、

その程度の距離感って、とてもいい。



それぞれの、今のプロジェクトの悪口言ったり、

共通の知人の噂話したり、

近況報告したり。



こういうレベルの付き合いって、ホッとするな。

もちろん、上辺だけのお付き合いなので、

これ以上どうもなりようがないし、

それでいいんだけどね。



過去は美化されるというのもあるし、

お互い不満をいだきつつも、

共に昼夜祝日を問わない苦難を乗り切った!

という連帯感・・・なんだろうか。



そう。だから、ただ一緒のプロジェクトにいた、

という事実だけではダメで、

一時期ではあっても、ある程度、蜜な時間を過ごした相手、

が、今となると心地いいのよね。



なぁんてことを、

わざわざ海外旅行土産のお菓子を届けにきてくれた

同僚を見ながら考えた。



その人とは、

数え切れないくらい真夜中のタクシーに同乗したし、

色々食べ歩きにも連れてってもらった。



当時は、結構、嫌いな人だったんだけど(仕事のやりかたが)、

今はそうでもない。不思議。







2004年10月13日(水)   モトカレのこと

最近、モトカレのことを考えている。

せっかく忘却の彼方へ押しやることに成功したばかりだってのに、
あんなことがあって連絡をとってしまってから、
気になるっちゃ気になるのだ。


彼と結婚したい。
かもしれない。


えぇ?なんで、いまさら??


付き合いたいってわけではない。
大体、恋愛感情はもうないし。
彼と、キスしたりエッチしたりすることだって、もう想像できない。
恋愛対象じゃないんだよね。


じゃぁ、結婚したいって、何さ・・・

結局、『駆け込み寺』として、明確にキープしたい。

ってことみたい。←みたいって、ヒトゴトかよ。


どこか思考回路変ね、私。


結婚にしろ付き合うにしろ、
もう一度親密になれば、それは必ず破局を迎える。
世の中に「絶対」はないとはいえ、99.9%破局する。
もうこれだけは自信あるもんね。


どう考えたって、今の関係がベストなのだ。


現状のように、
年に1〜2度私がヘルプを求める程度の関係なら、
多分、あと5年〜10年は軽く続くだろうと思う。


そんなに心配しなくたって大丈夫。
万が一、彼に彼女ができたり、彼が結婚したりしても、
私が夜中に電話して泣きつくことは可能なはず。←迷惑なヤツ。



ちょっとだけ言い訳をしておくと、
私の行為は普通に見てとても傍迷惑に見えますが、
彼の特異なキャラクタにとっては、
それほど迷惑行為でもなく、
むしろ私は変わったネタ提供者、程度の扱いだと思われます。



精神的に非常事態を迎えたときに
(もしくは現実的に法律的に実務的に非常事態を迎えたときに)
一番頼れる相手がモトカレであるという事実に、
私はやはり傷つき寂しく思っているのだ。


今は私に付き合っている人がいないし、
モトカレにも相手がいないから別にいいけれど、
もしかしたら私は付き合っている人がいても、
モトカレにより信頼を寄せるのではないかと、
そのような心配まで出てきたりして。



この先何があろうと、
私の中でモトカレの占める位置は不動なのだ。

彼の存在が私を救う。
大げさではなく。



ただのモトカレにそんなに依存していいものか?

そんなに大切なレスキュー隊なら、
身近にとどめておく必要があるんじゃないか?


なぁんていう馬鹿げた発想が、
「結婚したい、かも」につながったのでしょう。



ほんと、馬鹿げてる。



モトカレから独立しなきゃいけないなと思う。←理性では。
でも、頼れるもんは頼っておけばいいじゃない、と思う。←本音では。



今のところ、特に彼に連絡しなきゃならない用事もないし、
また何かコトが起こるまで私と彼は疎遠なままだ。


このまま何もなく過ぎ去っていけばいい。


私も彼も離れた場所で、それぞれ幸せになれればいい。



でも多分、そう簡単にことは運ばない。
なにせ世の中、Troubles are many. なのだから。







2004年10月12日(火)   DVD



DVDプレーヤが大活躍。
私が買ったのは、YAMAHAのDVD-S540。

リージョンフリーの設定も行い(あっけない程簡単!)、
下記3種類全て問題なく再生できることを確認した。

・北米版(Region1 NTSC)
・欧州版(Region2 PAL)
・日本版(Region2 NTSC)

今まであまり意識したことなかったけれど、
やっぱり字幕ってとても便利。

何でも再生可能ってことになると、
どの国の商品を買うかは、
価格と、おまけ(Making映像など)と、字幕、
の3点の問題になる。

日本語字幕に固執していてはメリットをいかせないので、
国内版にこだわるつもりはないのだけれど、
今回購入した日本版は、日本語字幕だけで英語字幕がついておらず、
それはそれでショックだったので、
字幕のチェックは大切だなあと思った次第。

ちなみに欧州版(フランス語メイン)は、
仏語、英語、独語、西語、の字幕つきのものだった。
これは色々な意味で長く楽しめそう。

ただ、思ったほど買いたい商品がなくてツマンナイ。
1回見るだけならレンタルで構わないし、
わざわざレンタルしてまで見たい映画もないし(メンドクサイ)、
やはり繰り返して見るとなるとミュージカルなんかが、
突っ込みどころ満載で面白いのだけれど、
結構好みがうるさいので選べない。




それにしても、JCS、面白い。
1973版と2000版を交互に見て楽しんでいる。

台詞はなく、全て歌で綴られるミュージカルなのに、
若干の違いはあるとはいえ、98%歌詞だって同じなのに、
解釈と演出でこんなにも違うものになるんだな。

2000版は、1973版より作品としては面白いんだけど、
グレン・カーターってどうもなぁ。
ジェロームもなんだか微妙な空気出してるし。
いや、ほんと、面白いんだけれど。
やっぱりテッド・ニーリーのはまり具合に比べちゃうと、ね。







2004年10月11日(月)   休日出勤

休日出勤中。

ほんとは昨日も出勤しようと思ってたんだけど、
土曜日に夜更かししすぎて(寝たの朝5時)、
かったるくてパス。

仕事は、捗らず。問題続発。

特に、愕然とするほどのパフォーマンスの悪さが発覚して、
焦りを通りこして呆然としている。

そりゃ、SQLがまずいのもわかってるけどさ、
ここまでレスポンスが帰ってこないのってどういうこと?
SQLServerの限界なのかしら。
Oracleなら、これくらいちゃんとこなすはずなんだけど。
そもそも、DBの作りが悪いんだ。
いやいや私が設計したわけじゃないし。

今回は、既存のシステムと同じ仕組みを用いての新規開発なので、
既存システムを踏襲できるところは全て踏襲している。
個人的にはとても好みでない仕組みも多いのだけれど、
今回だけ枠組みを変更しても、
ゆくゆくメンテしていくお客様の情シスの担当者が混乱するし、
致し方ないところ。

それにしてもなぁ。
これどう回避しようかしら。
もう既にスケジュールにビハインドなのに、
さらにパフォーマンス対策なんて始めたら、
ニッチモサッチモな状態になっちゃうよ。

明日からの1週間が勝負だなぁ。というか、寝る暇ないかも。

ため息しか出ない。


****

ごめんなさい。>SQLServer。

私が悪うございました。
単純ミスでCartesianになってた、、、
あぁ単純な原因でよかった。


あと数時間頑張ろうっと。

********

やっと一山超えた。

予定していた時間の、10倍は費やした。
ああもぅ・・・

元々は、お客様のデータ整備が遅れているせい。

データをもらえるはずの期日はとっくに過ぎているけど、
向こうの作業が終わらないらしく、
仕方なくデータ手作りに乗り出したのだけれど、
そこで色々トラップにはまってしまった。

あと1時間頑張ろうかなぁ。
もう帰りたいけど・・・






2004年10月10日(日)   アルコール


日曜の夜。

1人でチューハイなんぞを飲んでいます。

私が1人で家でお酒の類を飲むのは、
3年に1度あるかないかの珍しい出来事。

このチューハイは、通販で買った品物と一緒に、
試供品として我が家に届いたのだけれど、
半年以上も冷蔵庫に寝かせてあったのだ。
でも今日は久々「酒だ!」という気分だったので。



祖母の死が、
とても、しっくり来ている自分を、
持て余している感じ。

もう会えないんだなあ。
何をどう頑張っても会えない。
優しくしてあげられない。
もう二度と。



とても冷静に、
悲しい事故だったけれどこれでよかったと、
納得させるポイントを数え上げてみたり。



ふと。
−−−ああ、もう、ゴキブリ団子作ってもらえない。
なんて、どうでもいいことに思い至ったり。



今、少々、号泣したけれど、
どういう反応をしめすべきなのかわからない。
「べき」なんてないんだろうけど、
もっとトコトン泣き喚くべきなんじゃないかとか、
残された人が嘆き悲しむと故人は成仏できないとか、
どのみち人間はいずれ死ぬんだからとか、
死んだら無になるだけだから、
私の中にある祖母の思い出を大切にしていくべきだとか、
なんだかよくわからない考えがぐるぐるしてる。





ただ、今回の突然の祖母の死でわかったのは、


私は孤独ではないんだな

ということ。



孤独っていうのは強いことなんだ。




孤独って言うのは、
寂しいとか誰かに話したいとか分かち合いたいとか
理解して欲しいとか、全く思わないことなのだろう。



少なくとも泣きつける相手がいて、
不安をぶつける相手がいて、
だから私は弱くて、そして孤独でない。



多分、幸せなことなんだろう。


どんなチッポケな人生だって、
スタートを切ってしまった以上、
進んでいかなくてはならないのだから。
孤独でないというのは、幸いなのだろう。




私は祖母を愛していた。とてもとても。
でもそれ以上に、祖母は私を愛してくれていた。

孫の中で、祖母は私が一番好き。
それは、親戚中の共通認識だった。
私が一番のお気に入り。
だって、初孫で、一緒に過ごした時間も一番長かったし。



でも今回お葬式やその他のイベントで、
祖母が大事に思っていたのは私だけではないのだなぁと
そんな当たり前のことに気が付いた。
みんなが祖母を大切に思っていて、
祖母もそういう人たちに囲まれて幸せだったと思う。




私が祖母にしてあげられることはもう何もないけど、
私は祖母のことを決して忘れない。
50年後だって、忘れないよ。

そして、とりあえずは、真面目に仕事して生活していく。
誰からも後ろ指さされないように。
祖母が自慢に思えるように。

いつか、
ひ孫でも見せてあげられればいいんだけれど、
そればっかりは思うとおりにはならないから。


だから、見守っててね。






2004年10月07日(木)   デリカシーのない人たち

朝から激しく憤ってしまった。
相手は父。

悪い人ではないんだけどねぇ。
どうにもこうにもデリカシーに欠けるのだ。

いや、やっぱり許せないよなぁ。
父の周辺の人も含めて。
本気で許せない!




この件に関しては、妹も私の味方をしてくれたけど、
でも妹は父の状況もわかると言う。




一般的に、お悔やみって、どの程度のことを述べるものか?

私の常識では、
「大変だったね」
「大丈夫?」
「残念だったね」
「あんまり気を落とさないでね」
というラインかな。

間違っても、
「土砂の状態はどうだった?」
「何軒の家が流れたの?」
「遺体はすぐ見つかったの?」
なんてたずねるべきではない。
決して!




私の職場は、プロジェクト単位で、
そのプロジェクトも流動的なので、
だから人間関係が希薄なのだと、妹は言った。

妹のように、入社以来同じ部署にいると、
会社の人との関係も強くなるし、
そういう同僚は、色々興味を持って聞きたがって当然だ、と。

他人の不幸や、珍しい災害に興味があるのは当たり前だと思う。
でも、それを口にする?大の大人が?嬉しそうに?

それは、非常識っていうんじゃないの?




何故、父が、会社の社長に、
被害状況を報告しなければならないのか私には理解できない。

父自身の親の話であるなら、好きにしてくれればいい。
(それでもどうかと思うけど)
でも、今回は、義母の話でしょ?
そんなのを、なんで社長にいちいち詳細に報告しなきゃなんないの?



事故の詳細が載った新聞記事を貸して欲しいと言われて、
理由を尋ねたらこの有様。

社長が聞きたがってるから報告する?
はぁ?何それ!?

祖母のことを全く知らない人に対して、
そんなことをペラペラしゃべって欲しくない。

かなり強い調子で断りのメールを書いたけど、
それ以降父からの返信はない。

全くどうなっていることやら。

でも私の怒りはおさまらない。

私が大人げなさすぎる?






2004年10月06日(水)   無神経

久々に、
「あー恋人欲しいなぁ」という気分。

ただ単に物寂しいだけなんだけど。

寒くて寂しい夜に、隣に体温を感じたいな、と。

でも、もう、誰かとちゃんとした関係を結べる気がしない。

私は1人で完結しようと思えばある程度できちゃうタイプみたい。

それでも。ちゃんと誰かと関わりたい。

しっかし、まぁ、今年はロクでもない一年でした。(まだ3ヶ月弱あるけど)

祖母の死というのが一番今は大きいけれど、

それ以外に、嫌になるほど何もなく(悪いことがないだけ感謝すべき?)、

ただ無為に流されてきちゃった感じがホトホト嫌になっちゃうよ、全く。

自業自得ですが。




話は変わって。

今回の祖母の事故について、
私は会社ではリーダーのみに報告した。
もちろん、その声は、周りの席に聞こえていたと思うし、
第一報を受けて取り乱して泣いているところを目撃されてもいるので、
プロジェクトのメンバも事情は承知してくれているはずだ。
特に誰も私に声をかけない。それはそれでありがたい。

一方妹の会社では、休んでいる妹を追いかけて、
興味本位な部長が電話をかけてきたそうだ。
祖母の名前を尋ね、現地の状況を根掘り葉掘り・・・
その他にも、「顔はキレイだったの?」という
無神経極まりない質問をした同僚もいたそうだ。

妹は優しく、また大人であるので、上手くかわしたようだが、
私だったら、切れると思う。




人の死というのが、未だかつてないほど、身近に感じられる。

今までだって、祖父を亡くしてきているのだけれど、それとは段違い。

それだけ、祖母が私にとってかけがえのない人だったということなんだ。






2004年10月05日(火)   モトカレ



祖母の訃報に動揺した私は、
またしてもモトカレに電話した。
事故の知らせを受けた日と、
お葬式も何もかも終わって帰ってきた日と、2回。

奴は私の駆け込み寺だ。
向こうがどう思ってるかわからないけど、
これはもう運命なので、引き受けていただくしかない。

真夜中に電話しても平気で
(たいてい起きているし、熟睡していれば電話くらいじゃ目覚めない)、
泣き喚いても平気で(そんな様子は今までに何度も見せているから)、
私の話を深刻に受け止めすぎることもなく、
たまには私の思いつかない視点から有意義なアドバイスをくれ、
「何か気分転換に面白い話してよ!」と無理矢理馬鹿話を強要できる相手なんて
そうそういるもんじゃない。

若い女の子を追い掛け回すのはやめたらしい。(正直ちょっとホッとした)
今はフリーで、仕事も暇で、私の長電話に付き合う余裕があるらしくラッキー。
相変わらず、親友K子ちゃん(また最近彼と別れたらしい)の
長電話にも付き合っているらしいが、
私も二番目のクライアントとして無料でカウンセリングしてくれるらしい。
ありがたいことに。

「死んだらどうなると思う?」と聞いてみた。
彼の死生観は、初めて聞いた。彼らしかった。
うーん、なるほど、そういう考え方もあり?

説法で、「暗闇の中、幅一尺の道を、49日間歩いていく」
という死後の世界の話を聞かされ、
そのイメージがどうにも怖くてたまらないのだ。
ただひとり歩き続ける。灯明の薄い光だけを頼りに。

私は特に霊的なものは信じないけれど、でも、何かの気配を感じることはある。
怖くて、怖くて、家の電気を消せなくなってしまった。
家中の電気と、テレビをつけっぱなしで眠っている。

モトカレは、今週末引っ越すらしい。
引越し先は近所だけれど、電話番号は変わるらしい。
もし、私が電話したときに、その番号が使われていなかったら、
私のショックはもう計り知れないものだったと思う。

  3ヶ月は、新しい番号がアナウンスされるし、
  第一携帯の番号は変わらないんだからショック受けることないじゃん。

と奴は言うけれど、そんなことはない。
私が電話をかけるのは、今までの実績的に、年に数回だ。
それも切羽つまったとき。
長電話を想定するので、携帯ではなく、固定電話にかける。
だから、そういうシチュエーションで、電話がつながらなかったら、
私はもう立ち直れないだろう。

  まぁ、今回はこうして引っ越すこと話したんだし、いいじゃん。

って、まあそれはそうだけどさ。
携帯の番号が変わるとか、引っ越すとか、そういう基本情報の変更だけは、
お願いだから絶対教えて、と再度お願いしておいた。
さくっと忘れられる可能性も高いのだろうけど。

べたべたと連絡を取り合うつもりはない。
でも、何かあったときには、いつでも連絡が取れる状態でいたい。
これって、ワガママかな?

別れて、辛くて辛くて、2年以上かけてなんとか乗り越えて、
ようやく彼のことをなんとも思わなくなったところだった。
自分で自分が不思議だった。
あんなにも激しかった感情が、一体どこへ消えたのか。

それでも。
私は彼のことを1人の人間として好きだし、尊敬もしている。
悪い面も知ってるけどね。
私が精神的にどうしようもなく落ち込んで彼に助けを求めるとき、
必ず電話は2コールか3コールで彼につながる。
それが、よりどころになっている。

こういうときに電話できる相手が、モトカレだけだなんて、
自分の人間関係もこれでいいのか・・・って思うけどさ。
なんかおかしくない?

そう彼に言ってみたけれど、別におかしくないでしょ、と言う返事だった。
そうかしら。
傍目には、まだ私が彼に未練があるとかそういう風に見えるのかな?
私はただ彼を利用しているのだけれど、
利用されたといって怒るような人じゃないし、
暇なときに私の話し相手をするくらいはどうってことなくて、
多分私をうっとおしく思ってもいないようだから、
特に誰に迷惑をかける関係でもないんだな。

もしかすると、10年後、20年後も、
彼は私の緊急避難所であるかもしれない。
それはそれで、そういう運命なんだろうなぁ。






2004年10月04日(月)   祖母



祖母とお別れをした。



雨の音が怖くなった。大きな雨粒が窓を叩く激しい音。
田舎の風景も怖くなった。
今まで自分を包み込んでくれるように感じていた山の木々が、
突如襲い掛かることがあるということを知ってしまった。
そして、ほんの数日で山景色がまるで何もなかったかのように
澄ました顔になることも。



祖母は、家族を深い愛情でくるみ込んでいた人だった。
最期の最期まで、弱いところを見せず、
逆に残される私達をとことん思い遣り、手助けしてくれた。



私の手元には、祖母から来た何十通もの手紙が残された。
従妹の携帯には、本当に何の気なしに撮影した動画があった。
土砂の中から奇跡的にアルバムが1冊発見された。
若かりし頃の祖母や、祖父母の結婚式の写真、そして幼い私と写る祖母。



今祖母は、先に亡くなった祖父と一緒にいるのだと思う。
それで、幸せだと思う。






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