CYMA’S MURMUR

2002年07月31日(水)   コンヤクハキ

びっくりした。

不在着信があったから連絡してみたら、
開口一番「婚約破棄したから!」だもの。

俺、だまされた。
あの人、同棲中の彼氏と別れてなかったんだよ。
婚姻届まで書いたけど破棄したよ。

とのこと。

まあ今度会いましょう、ということで詳細は一切聞かなかったけれども。

複雑な心境です。
すっごい勝手で失礼なのはわかってるけど、
正直な感想を書いてみる。

・彼女に同棲中の相手がいたことに関して、腑に落ちた感じ。
 2LDKに住んでたってのも、相手があってのことだったか。

・S君と結婚するよりも、例えば同棲相手の気持ちを試したくて、
 S君の気持ちをもてあそんだ、と考える方が彼女のキャラクターにぴったり。

・それにしてもS君ってば、ついてない。

・でもやっぱり他人のものになっちゃうのは寂しかったから、
 私的にはよかったかも。

・婚約の話を聞かされたときに、「私にも彼と付き合うチャンスはあったな」と
 思った。惜しいとは思わなかったし、付き合うのは無理だともわかってるけど。

・私は別にS君のことが好きではないけれど、身近なところにはいて欲しいのかも。

・S君が結婚するということで、結婚できない自分、という言葉がクローズアップされ、
 憂鬱に拍車がかかっていたのが、婚約破棄で晴れた。

本当に勝手な言い分ですが、そんな感じ。

同じ職場の相手で、まだ正式にオープンにしていないとは言え、
会社の上の人たちにはもう報告済みで、なのに破棄だなんて大変だと思う。

まあ熱くなりやすいS君のことなので、
いつ「やっぱり結婚することにした!」と言い出すかもわからない。

 彼女の同棲相手のことは知っていたけど別れると思っていた
 または
 彼女が同棲していること自体知らなかった

 彼女はS君に本気だった(けど同棲相手とも色々あった)
 または
 彼女は最初からS君を当て馬にしていた

いろいろ気になるなあ。他人事ですが。

S君がんばれ!





2002年07月30日(火)   旅の思い出

今回友人とヨーロッパへ行くことになって、
その友人と約10年前にドイツを周った時の日記を探した。

見つからない。

実家まで探しに行った。
見つからない。

なんだか大ショックだ。

今の一人暮らしの家は、
それほど探すところも多くないから、もう全部探した(と思う)。

実家は広いけど、私の持ち物は作りつけクローゼット1ヶ所に
わずかに残るのみだから、そこにもないとなると・・・

何故人は旅先で日記を書くのか?
というテーマの英文を、大昔受験用問題集で見た気がする。

何故だろう?
非日常を書きとめようとするのだろうか?
恋の日記を綴るのとそういう意味では似ているのかもしれない。

とにかく、私は普段も思いつくと日記を書くけれど、
海外旅行に行けば絶対日記を書く。

家族で旅行してもそのことに変わりはなく、
香港やスペインで私は毎日妹に呆れられながら、
早々に眠りに落ちた妹の横で日記を書いた。

家捜しして今見つかったのは、
5年前のトルコ旅行の日記(これは家にあった)と
3年前のオーストラリア旅行の日記(これは実家にあった)だけ。

ヨーロッパふらふら1ヶ月旅行記は?
卒業旅行の記録は?
スペインの思い出は?
どこにいっちゃったわけ?

もういちど徹底的に探すつもりだけど、
もし出てこなかったら・・・と思うとたまらなく悲しくなる。

出てこないかも・・・ということを思い煩うのは一旦やめにして、
トルコ日記を読み返してみた。

自分で言うのもなんだけれど、結構面白い。
すっかり忘れていた情景が、いっきに細部まで蘇る。

記憶の中ではもっとインパクトがあったはずの
ブルーモスクに対する描写が、すっごく冷めていた。
おまけに「アラブ系の建物は好きじゃない」とまで書いてある。

確かに私はゴシック好きだけど、
でもアラベスク文様も大好きなのに。
いつから嗜好の変化があったのだろう?

観光内容と、周囲で起こった出来事が、事細かに記されている。
カッパドキアツアーの16歳ベルジャン・ガイドとか。
つれていかれた絨毯屋のショーの模様とか。

想像以上に内面的記述が少ないので、
人に見せてみようかなと思うくらい。

今実家では病み上がりの父がもう一度家族旅行に行きたいと切に願い、
来年のトルコ旅行を企画しているところなのだ。

父に読ませてみようかな・・・
時々気になる表現はあるけど。

このごろ人生に悩んでたから(ほんとに!)、
旅行で何か開眼するんじゃないかって甘い考えがあったけど、
体調も悪かったし忙しかったしそれどころじゃなかった。

とかそんな感じ。

5年前の私よ、一体何を悩んでいたのだ?

でもまあこの程度の表現なら他人に見せてもいいかなあ。
もう時効だし。
具体的に書いてないから何を悩んでたか本人もわからないくらいだし。

行方知れずの卒業旅行記なんて、同行した友人の性格分析で溢れてる。
(私と彼女は旅行が原因で友人関係が崩れた。
 旅は仲間選びが何よりも肝要と知った出来事だった)

何のために旅先で日記を書くのか?

答えはひとつだと思う。

読み返して笑うため。

だってトルコ日記すっごく面白かったもん。
他のも読みたい!
ああ、みつかりますように!





2002年07月29日(月)   サビシイ

職場で友人からの他愛もないメールを読んで、
ちょっとニコニコしたり。
それだけですごい幸せ。

週末にベッドカバーを新しく買って部屋のイメージチェンジ。
そういう些細なことも幸せ。

旅行計画もなんとか軌道に乗ってきたし、
あとは仕事をちゃんとこなして休みをもらうだけ。

なのに。

なんでこんなに泣きたいんだろう。

寂しい。
寂しくて辛い。

友達がいない。

一緒に海外に行く友達も、
たまにメールくれる友達も、
ご飯を食べる友達もいるけど、でも、
友達がいない。

平気になったはずだったのに、
またここ数日別れた彼のことばかり考えている。

なるべく感情を動かさないように、
固く戒めているから表面上心に動きはないけれど、
でも彼のことを思い出す度に、
どんどん自分が傷ついていくのがわかる。

心の傷を表すかのように、
アトピーの状態が悪化したまま全然改善しない。

去年の今ごろは・・・と繰り返し思う。
まだ幸せだった頃。
一緒に暮らしていた頃。

結局私は彼に捨てられて、
それは仕方のないことだったと思うけれど、
まだまだやりきれない。

泣きたい。
泣く私を誰か優しく受け止めて欲しい。

泣いても何も変わらないのはよくわかっているのに。

誰かに依存しなきゃ生きていけないの?

強くなりたいけど、
今はただ涙をこらえてやりすごすだけ。





2002年07月26日(金)   S君の婚約

S君が婚約したそうだ。

いきなりS君と言っても
前の日記を読んでない人にはわからないでしょうけど。
昔の職場の知り合い&ちょっと一緒にでかけたりした男の子です。

お相手は、冬に振られた後輩の女の子、ではなくて、
職場の年上の女性だ。

よくやった!って感じ。

あなたを振ったあの後輩の子より、全然いいじゃん。
美人だし。
仕事できるし。
自分というものをしっかり持っている。

私はそのお相手とも短い間だが一緒に仕事をしたことがある。
確か、33歳だったかな。S君は29歳。

彼女は、独りであることを楽しんでいるように見えた。
一人暮らしなのに2LDKに住んで、
片方の部屋は洋服やモノで溢れていて、
それをネットオークションに次々出品しているという話も聞いた。

サバサバしてて、友達になれたら楽しいかも、と思う相手だった。

3月末に一緒に花見に行ったときには、
S君はまだ失恋についてグダグダ言ってたから、
その後始まった恋なのだろう。

でも私は知っている。
恋に時間なんていらないってこと。
始まるのも終わるのも、一瞬だったりもする。
一方でいつだかわからないくらいゆっくりと始まり、
末永く継続する恋があることも勿論知ってる。
突然始まった恋が定着することも勿論ある。

とにもかくにも、S君おめでとう!

自信のないあなたは、振られた後輩の子のように、
自分が庇護できると錯覚できる相手しか愛せないと思ってたよ。
(↑おいおい、言い過ぎ・・・)

あなたの選んだ彼女は、自立してて、
多分あなたを理解し、励ましてくれるのでしょう。
よかったね。

S君を見直しました。
なかなか女を見る目があるじゃないか・・・

まあ彼女の側の男を見る目についてはノーコメントで。

それにしてもなあ、
彼女には独身をずっと貫き謳歌してもらいたかった。
もし、年齢のプレッシャーで、
こんな相手だけどそろそろ結婚するか、なんて思ったとしたら残念。
(↑これも言い過ぎだってば・・・)

だって、彼女に彼は不釣合いなんだもの。
なんというか、足りないんだよね。
彼女の方が1枚も2枚も上手だし。

まあそんなことは、いいか。
所詮他人の人生だし。

S君、Tさん、末永くお幸せに!





2002年07月24日(水)   久々ハイ!

雨降るかと思ったけど、今日もいいお天気。

何とかチケットも取れそうで、気分もいい。

目指すはハンガリーとチェコ。
ブダペストとプラハの2都市だけ。
移動をECにしようか飛行機にしようか思案中。

ウィーン経由で、ってプランもあったけど、
面倒くさいからやめちゃった。

いちいち通貨を替えなきゃいけないのも負担だし。

でもウィーンでアイスカフェ飲んで、ヴィーナーシュニッツェル食べたかったなあ。

約10年前、1ヶ月共にヨーロッパを周った友人とのようやくの旅行だ。

初めて出会ってから10年が過ぎ、
その間のお互いの恋愛とか、家族の状況とか全部知ってて、
そしてまだ友人であることは、有難いことだと思う。

ボスに旅行日程変更の話しなきゃなあ。

その前に仕事しなきゃ。





2002年07月23日(火)   ダブルブッキング

やってしまった・・・

他社にした問い合わせの分が生きているから、
チケット取れません、とBAが言っているらしい。

そっちの会社には正式回答してないのに・・・

失敗したなあ・・・
航空会社への搭乗者氏名登録はフライトの1ヶ月前から・・・
という私の知識は古いか間違っているかどっちかなのね・・・

慌てて最初に見積もり取った会社にキャンセル入れたけど、
どうなるかなあ。

例の不動産でごたついてたときのことを思い出す。
ダブルブッキングなんて別にする気なかったけど、
はからずもそうなっちゃったんだもん。

憂鬱。
これでチケット逃したら、どうしたらいいんだろう・・・
フライトも決まったと思って、ホテルの予約もしたってのに・・・

神様お願い!!
チケット私から奪わないで!
今は旅行だけが頼りで生きているのに!!

反省してるので、お願いします。





2002年07月18日(木)   夏旅行

今日は全く仕事しなかった。
休んでしまいたいくらいだったが、
ボスとのインタビューがあったため仕方なく出社。

インタビューでは、まあよいお言葉をいただき一安心。

あとは何をしていたかというと、チケット取得合戦。
昨日、夏の旅行の予定が決定したのです。
友人と中欧へ。ウィーン、プラハ、ブダペスト!

スタートが遅すぎるのは重々承知なのだけれど、
色々都合があって決められずにいたのだ。

で、9月半ばの連休を含んだチケットを取ろうとしたら、
もう何をやっても無理で。
ヨーロッパ方面全滅らしい。
ピーク割増でやたら高いし。

現在予備を押さえつつ、
日程をちょっとずつずらして調整中。

一日問い合わせのメールを書いたりしてました。

旅行いくんだ〜ふふふ。

何が何でも成就させねば。





2002年07月17日(水)   寂しい夏

すごい久々の日記です。。。

毎日朝から晩まで働いてました。
深夜3時〜4時のタクシー帰宅が6日連続。
さすがに頭が働かなくなってきた。

昨夜の作業でひと段落したので、
今日は夜さっさと退社して友人と食事。
仮病を使ってでも早く会社から逃げるつもり。

抱えたタスクと、次々湧いてくる緊急案件で、
すっかり振り回されてしまった。
でも深夜作業をするといろいろな人と親密度が増すので、
それはそれでよかったかも。

転職から3ヶ月が経過し、ようやく馴染んだといえるかもしれない。


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話は変わって、
仕事の必要で最近ずっとORACLEの会議室をチェックしてるのだが、
ハンドルネームが女の子っぽい「あき」とか「ゆう」とかだと、
詰まらない質問でもレスがいっぱいついている。

男って単純・・・?

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彼のことを思い出して辛くなることは全くなくなった。
思い出さないわけではなくて、辛くはならない、というだけですが。

去年の今ごろのこと、彼と過ごした夏をよく思い出す。
いいことも悪いこともあって、でもまあ終わったこと。

恋に落ちるなんて案外簡単なことかもしれない。
理屈もなにもなくて、突然やってくる。

一生を通して唯一の人、なんてあり得ない。
その時その時、唯一の人を大切にすればいいのかもね。

相手が違えば、自分の状況も違うわけで、
だから可能性はいくらでもある。

きっとね。

ダイエットして次の恋を待たなきゃ、
とちょっと思った。(残業中の飲食は危険!)
一緒に花火を見に行く相手もいない寂しい夏でした。





2002年07月08日(月)   真夜中の恐怖、ささやかな結末


蒸し暑い夜、熟睡中の午前3時半。
玄関のインターフォンが鳴った・・・気がした。

眠りを破られて不機嫌になりながらも、
ドアの外に誰かいる気配に一気に心臓が冷える。

一体誰が真夜中にインターフォンを押すのだ?

先日の鍵騒動で鉄壁の守りが証明されたとはいえ、
その気になれば錠なんてあっという間に破壊される。
それよりも、ここは1階なのだ。
ベランダへの侵入はあまりにも簡単。
窓を割られたら終わりではないか。

泥棒が、人がいるかどうかを確かめるためにインターフォンを押したのでは?

まだ寝ぼけた頭でそんなことを考えながら、
部屋中の明かりをつけ、玄関前で息を潜める。

魚眼レンズで確認する。誰もいない。

数分様子を見ていたが、何も起こらない。

気のせいだったのだろうと自分を納得させ、
眠ろうとベッドに戻った瞬間、再び玄関で物音がした。

心臓が跳ね上がる。

足音をしのばせて玄関へ。
・・・誰もいない・・・

でも確かに音がしたのだ。
確認したくても怖くて扉は開けられない。

結局明かりをつけたまま、緊張しながら眠りについた。

@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@

そして翌朝。

出勤しようとして玄関でキーを捜すが見つからない。

はっ!と思い当たった。

またまた心臓が凍りついた。
それと同時に昨夜の物音の原因がほぼ確定された。

私の予想が正しければ・・・
あるモノを期待しながら、ゆっくりとドアを開ける。
ドア枠の淵に、小さな張り紙。

「ポストの中を確認してください。102 山田」

安堵と恥ずかしさで今度は一気に顔に血が上る。


ことの起こりは前日の夜。

会社から帰ってきた私は、
マンションの入り口で小さなゴキブリを発見したのだ。

一人暮らしで初めての夏。
あの生き物と遭遇したくない一心で私は様々な情報収集と予防策をとってきた。

部屋の外での遭遇とはいえ、
隙間から我が家に侵入する可能性があるものを見過ごすわけにはいかない。

慌てて家に飛び込み、玄関に常備している「ゴキジェット」でゴキブリを退治。

そして。

そそっかしい私は、あろうことかキーをドアにつけたまま放置してしまったのだ。

真夜中に帰宅した心優しい隣人は(まだ顔を合せたことはないのだけれど)、
隣家のドアに刺さりっぱなしのキーを見てインターフォンを押してくれたらしい。
返答がないので一旦家にもどり、親切なメモを作成して我が家のドアに貼り付け、
キーそのものはポストに投入してくれた、ということだ。

なんていい人なの、山田(仮名)さん!
運が悪ければその鍵を使って押し入られるところだった。
気づかない間に合鍵を作成されたりしたら大変なことになっただろう。

それにしても、私はアルツハイマーか何かじゃないのか。

キーをさしたまま忘れてしまうなんて。

隣人もキーのついたままのドアを見て、
不可解に思ったことだろう。

ああ、本当に山田さんありがとう。

以後気をつけます。






2002年07月07日(日)   未練

なんだかまた彼のことが気になりだして、
ふと会いたいなあと思ったり、
思い出に引きずりまわされる日々。

そしてついに電話をしてしまった。

会社でプレゼンをする必要があり知恵を借りたかった、
というのが表向きの理由。

ただ声が聞きたかっただけなのかもしれないけれど。

でも彼は出なかった。留守電が空しく応答した。
無言で受話器を置いたけど、ナンバーディスプレイだから私からってわかるだろう。
彼が私の番号を削除していなければ。

電話なんてかけてしまったことを、激しく後悔した。

彼からコールバックがなければないで、また傷ついてしまう。

どうして余計なことしちゃったかな、私・・・

彼と最後に話したのは、別れ話の翌日の電話。

「やっぱり指輪返して」ってという私に、
「わかった。いつにしよう?」というメールが来て、
「急がないから、都合のいいときでいいよ」と答えて以来音信不通。

多分もう指輪は返ってこないなあと思ってた。
それはそれでいいじゃん。
過ぎたことは変わりようないし。そう思ってた。

それでも。
私はこんなに離れてしまったのに、
今でも彼のそばにいる人たちに嫉妬する。

具体的に言うと友人達。

彼は友人をとても大切にしていて、
それは多分一生続くのだろうけれど、
私との関係は呆気なく終わってしまって・・・

焦っても仕方ないけどね。
うまくいかないなあ、色々と。




2002年07月04日(木)   鉄壁の守り

ちょっと仕事が落ち着いた途端、体調不良。

早く帰ろうっと、19時という退社時刻に感動しながら帰途へ。

駅のホームに立った途端に元気が湧いてきたので、
進路を家ではなくデパートへ変更。
サマーバーゲンを堪能してようやく家の最寄の駅についたのが21時20分。
悲劇はそこからだった。

鍵がない!
キーケースごとない!

一瞬で事態を理解した脳が、パニックでどうにかなりそう。
バーゲンに行った私が悪かったの?これは罰?

はやる心を抑えて家まで急ぎ、
家のドアの前でカバンの中身を全て点検。

やっぱりない!

血の気が引いていく。

鍵は先月大家の意向で取り替えられたばかりなのだ。
私が2月に引っ越したときにも取り替えたはずだから、
うちは替えなくてもいいですよ、と軽く主張してみたが却下されたのだ。
取り替える前の鍵は、高い金を払って合鍵を作製済みだった。
新しい鍵にはまだ合鍵を作っていない。
OH MY GOD!

諦めて錠前屋さんを呼ぶ。

夜道で鍵屋の到着を待つ間、別れた彼が鍵をなくしたときのことを思い出していた。
同棲前で、デートして二人でタクシー帰宅した日だった。
あの時やっぱり業者に依頼して、2万円近く取られてたんだよなあ。
あっという間に開いたって言ってたよなあ。
彼が鍵をなくしちゃったから、私がもらってた合鍵を一旦返したんだよね。
あれ、でも、こないだまで私のところにその合鍵あったな。
もう一回もらったんだっけ?記憶がないや・・・・

電話での予告通り、業者は10分でやってきた。
スーパーマリオのようなルックスのおじさんだった。

「あ〜EC錠か、こりゃ難しいわ」

その第一声に呪われたかのごとく、
何をしても我が家のドアは開かなかった。

<1.ドアの隙間から針金方式>
隙間がほとんどない上に、ドアガードが邪魔をして上手くいかない。
この手段は呆気なく放棄。

<2.ベランダのクレセント錠に挑戦>
「案外ベランダの方が開くかもしれないね」と適当な予想の元に、
がたがた窓ガラスをゆさぶるが、あと一歩のところで開錠失敗。

<3.ドアの魚眼レンズ経由で>
魚眼レンズをはずし、そこから差し込んだ棒で開錠を狙う。

マリオおやじは、
「もうすぐEC錠を開ける機械が発売されるのよ。6万円」

などとどうでもいい情報を私に提供しつつ、作業を続ける。

「おかしいなあ。これで開くはずなのよね」
「開くと思うんだけどなあ。開けば売れるよね」

どうも魚眼レンズから鍵を狙う道具は彼のオリジナルらしい。
「1セット4万円で売るとさ、全国に10万人は鍵屋いるからね、いいでしょ」

うちの鍵も開けられないのに4万円なんかで売れるわけないだろ!!

苦闘1時間半。結局シリンダー錠を壊す以外方法がないという結論に達する。

私は疲れた身体をもてあましながらも、
鉄壁の守りが証明された我が家の堅牢さがちょっと嬉しかったりして。

6,000円お支払いして、マリオおじさんとはお別れ。

神様、一体私どんな悪いことしましたか?
これは何の罰なのでしょうか?
あまりの境遇に打ちひしがれながら、一晩の宿を求めて実家に向かう

P.S.駅に落し物が届いていました。神に感謝。






2002年07月02日(火)   まだ泣くのか

いまだに彼との思い出フラッシュバックがおさまらない。

何も感じないつもりだったけど、
なんかやっぱり辛いみたい。

去年の今ごろ。
本当に幸せいっぱいだった頃。

色々な場面が浮かんでは消える。

私はただそれを眺めてる。

何も感じちゃいけないと言い聞かせながら。

存在の欠如はただでさえ物悲しいのに、
それが大切にしていたものだとすれば尚更。

まだ泣くのか、私。

まだまだ続くのか。

仕方ないね。





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