我が家の庭にある”はなみずき”は、ちゃんと来年のための準備を始めている。 植物は普通、まず葉を落とし、季節を過ごして次に花芽か葉芽をつけてその季節になれば開花する。 それなのにはなみずきはすでに準備をはじめている、と言うより支度を終わっている。 葉っぱもまだ健在だし赤い実も沢山つけているのに花芽まで沢山つけた。 いつもこの木を見ながらなんでこうも急いで準備をするんだろうと思う。 この木の場合、まずは来年のために花芽をつける。 そして、葉が紅葉して落ちて行く。 冬の間は固いつぼみをずっとつけたまますっくと立っている。 寒い季節が終わり、あたりの空気がやわらかくなってきた頃に少しずつガクを開き始め木全体をまるで光をともしたように包むのだ。 そしてその花がひとつ、またひとつ落ちていって、小さな葉っぱを芽吹くようにしてつけてゆく。 庭のはなみずきは背が高くなってしまって写真を撮るのが難しいので、ピントが合ってないのだけど・・・
先日兄弟姉妹と母とみんなで集まったときの話。 母のちょっと遅れ気味の傘寿のお祝いをしてその流れでなぜか昔話に花が咲いた。 ま、母にはいろんなことがあって・・ この2ヶ月の間に私には内緒にしていたのだけど、川に落ちそうになったことがあったらしい。 それも、ちょうど一年前に落ちたところに近い場所でひっくり返ってしまったらしい。 そこから始まった河童の話。 私も小さい頃に川に2度落ちたことがある。 我が家は家を取り囲むように川があった。川と言っても農業用の用水路のようなものだけど、昔は泳げるほどに深かった。 そこに一度、もう一度は家の裏にあった完全な農業用ため池に。 そのため池はもっと深くて、もう少し発見が遅れれば死んでいただろう。 田舎のことで、その川の周囲には数軒の家があった。 幸い、私の家では誰もおちて亡くなった人はいない。 しかし、すぐ近くの2軒の家では人が一人ずつ亡くなっている。 今では、川もちゃんと堤防が作られていて落ちる人もほとんどいないのだけど、 農業用の用水路とはいえ、その川は大きな川の支流なので雨がひどく降ったりすると水の流れも結構速かった。 そこで、近所の人たちの話に寄れば、 亡くなった二人は”かわっそ”(地方の方言で河童のこと、かわうそと河童は同じものだったらしい) に、引っ張られたそうなのだ。 その証拠はなくなった二人のお尻にあったそうなのだ。 母は、完璧に信じていた。 私だってその話は小さな頃に何度も聞かされ、川では十分注意するように言われていたのだけど、 ほかのみんなと一緒にどうしてもフナやエビ(アメリカザリガニのこと)を捕まえたかった。 ミミズを針に挿すことだってうまくできないのにその上、運動オンチのわたしは、何とかして一人でやろうとへっぴり腰で竿を川に投げ入れて、その瞬間に自分まで川に入ってしまったのだ。 そんなことを大笑いで話していたのだが、そのときに母が言った。 ”去年はなすびを上げるのを忘れたから” え、なすびって? なんと、これまで何十年も”一番成りのなすび”を川にささげていたそうなのだ。 つまり、”かわっそに引っ張られないためには一番成りのなすび”を川にささげると言うのだ。 なんですって・・・ 河童はきゅうりが好きだったんじゃないの? そこにいた子供たち(私たち)は異口同音に叫んだ。 ”違う、かわっそはきゅうりじゃなくてなすびなんだよ” 母は断言する。そうなんだ、かわっそはその年に一番はじめにできたなすびを貰わないと悪いことをするそうなのだ。 ”そんなばかな! それに河童なんて想像上の生き物でほんとにいるわけないじゃない!” と、私が叫ぶと、 私の10歳下の妹が ”いるよ!ばあちゃんが(母のことを私たちはみんなばあちゃんと呼んでいる)いつも言ってるし、見た人もいるってよ!” こんどは、私が絶句する番だった。ほとんど、笑いすぎて酸素が足りない状態の私。 ”え、そんな、あんた、もう一度聞くけど、あんたも信じてるの?” ”姉ちゃん、そんな馬鹿にして・・・いるんだよほんとに!” 妹の真剣さに圧倒されてしまった。 そりゃ確かに、佐賀市内でも伊万里市でもそのほかにもいろんなところで河童がいたらしいとは聞くけれどほんとに信じてる人をこんなに身近に見るなんて、今の今まで知らなかった・・・・・ 50年も姉妹をやってきたのに知らなかった・・・(爆笑) みんなで、1年分くらい笑ってしまった。 大勢が集まってくだらないことでこんなに笑える。 幸せなことだと思う。
シャンプーのコマーシャルといえば昔懐かしく思い出すのが「エメロンシャンプー」 軽やかなメロディーに乗って、ちょっと振り返るのがとっても素敵だった。 あの時、振り返った女性たち、今頃どうしているだろうか? あのまんま、エメロンできれいなロングヘアーを保っているのだろうか? それは(エメロンでってこと)、ない・・かな? その次の時代のコマーシャル、次々に画面に現れたのはきれいな外人のモデルさん。 ロングにした自慢の茶髪をさっとなびかせて、きらきら輝かせていたっけ・・・ それが、今や、白いツバキのシャンプー。 輝く美しい髪といえば茶髪だったのが、 イメージをすっかり払拭して黒い髪。 今をときめく日本の女優陣6人が、すばらしい黒髪をきらきらかがやせている。 そうなのだ。 黒い髪なのだ。 気がつけば、ほかのブランドでもやっぱり黒い髪なのだ。 今、日本人の黒い髪が外国でロケをしても何一つ遜色なしに美しいと言うことが証明されたようだ。 しかし、彼女たち本当に輝いている、ため息が出るくらい。
今年は記念すべき誕生日が続く。 今日は母の80歳の誕生日、 そして、明日は長男の誕生日。 長男と母はその差がちょうど半世紀。 そして、12月は私の誕生日。 私は長男のちょうど2倍(ここまで書いたら私の年齢がわかるのでちょっと複雑(ーー;)) これも、何かのめぐり合わせなので、忙しいと渋る母を招待することにした。 ほかの兄弟の都合の良い日を選んで、敬老も一緒にしようと16日に決定。 母へのプレゼントは赤いものセットも良いけどあえて選ばないで、 いつも母が書いている日記帳とほかにもいろいろを用意することにした。 母はずっと3年日記を使っている。 そして、事あるごとに私たちに言うのだ。 去年は今頃こうだった。 その前はこうだったと。 その母が3年前に私に言った。 ”もう以前の日記は全部処分したよ。 長いこと生きているといろんなことがあって、それを吐き出す場所が日記だった。 今となって、自分にそのときが来たときのことを思うと、残して行くのはやっぱりまずい。 もう、自分の胸に全部しまって証拠は焼き尽くすことにした” そうだね、と、私も思う。 楽しかったことや嬉しかったことは別に抜き出せるものなら残したい気もするけどそれらだって、 自分以外には意味のないことだしね。と。 でも、やっぱり母にとって3年日記は手放せないらしい。 今では、新しい3年日記を手元においてある。 かあさん、まだまだ元気だし、今度は5年日記にする? と、聞いてみたら、”5年は、長すぎ。そこまでとても生きられんよ” と、即座に答えながらも、 朝早くから畑に出ては”ああ忙しい!”と人の3倍もの運動量で動いている母ではある。 私は、 このエンピツ日記・・私自身が消えてもそれが突然だったとしたら、 エンピツ日記が存在する限り漂い続けることになるわけで・・・それもいつか考える日が来ることになる。
食べ物について結構いろいろとこだわりのある長男がある日思いついたように言う。 「柿ピーて好きなんだよな。あれってどうしてあそこまで配合が好みにぴったりなんだろう?絶妙だよな」 ○○田の柿ピーは彼の好みにぴったりなんだそうだ。 なので、我が家には20袋も入った大袋の柿ピーが常備されている。 私は特にすきでもない、というより関心がない。 夫はピーナツがかなり好き。 これはどうやら遺伝子のようで、亡くなった義父もまたピーナツが大好きで、その頃小学生だった次男にたまにお金を渡して買ってきてくれるよう頼んでいたらしい。 そして、部屋でよくピーナツを食べていた。 でも、3人3様でピーナツの好みがそれぞれなのだ。 義父がすきなのは殻付きピーナツ。 新聞やチラシで折った小さなごみ入れにピーナツの殻が沢山捨てられていた。 夫はバターピーナツ派だ。 よくそんなに食べれるなと思うくらい毎日毎日、ビールのお供にはまずはピーナツと食べ始める。 もっとも、完璧メタボなのだからいい加減にしないとまずいのだけど・・・ そんな夫も最近は柿ピーの魅力に取り付かれているようだ。 そして、長男は柿ピーだ。 彼の場合はゆっくりとピーナツを食べる時間なんて週に1回もあるかなと言うくらいなのだけど。 次男は私に似たのかあんまり関心がない(笑) で、くだらないかもと、思いながらもその柿ピーを調べてみた。 いくつかあるメーカーで、 面白いことにもともとが米菓メーカーなのか、豆菓子メーカーなのかでその割合は違うようだ。 ”うん、なるほど”と、本気で納得。 でも、昔からおんなじように思える配合も時代の変遷に応じて少しずつ変わっていたのだそうだ。 息子が初めて食べたのはどの配合のときだったろう。 ここに調べた内容を書こうと思って、ちょっと待てよと検索にかけてみた。 すると、 あるんだなあ、沢山のサイトが。 私なんかの思いつきなんてまったくの序の口。 いろんな人が詳しく調べて見事に表現されていた。 その中で、特に面白かったサイトがある。 柿ピーのシーソー・ゲーム 柿ピーで相性診断だってできるようだ。 このサイトを読んで貰った方がうんと面白いので、興味のある方は詳しい内容についてはそちらをぜひ!
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