この季節になるとイチジクがひどく懐かしくなる。 小さい頃に私のうちの隣の家に大きなイチジクの木があって毎年沢山の実がついていた。 それが欲しくてたまらなかった小さい私は「ちょうだい」ということが出来ずいつもいつも眺めていたものだ。 田舎のことだからたまには熟したイチジクを貰っていたと思うのだけどなぜか貰ったという記憶はあまりないのだ。 それよりも”あんなに沢山あるのにどうしてくれないのかな?”という気持ちのほうが残っている。 よっぽど欲しかったんだろう・・(笑) 小学生の頃におばあちゃんに頼んでこっそり自分だけ買って貰ったことがある(何しろ姉妹が多いのでみんなの分までは無理だったのだ。それに妹達に言わせれば6人姉妹・兄弟の一番上だったのでえこひいきをされていたようだ(笑)) それは、熟していて大きくてしっかりと手ごたえがあった。 実の下部のほうが赤くて柔らかくしっとりと手に馴染んだ。 嬉しくて、嬉しくて食べるのは後回しにしてそっと大事に両手に包むようにして持っていた。 そのイチジクはほんのり甘くてこの上ない幸せを私に運んできたことを覚えている。 あの時の何ともいえない甘さを忘れられなくてイチジクを手にするのだけど大人になってからはまだ出会えていない。 長い間”エンピツ日記”にいろいろと書き連ねてきましたが、ブログにかいてみようと思い立ちました。 この日記は過去ログとしてもずっと残しておきます。 そのうちにまた、戻ってくる可能性もかなり大きいのかも知れません。 時々読んでくださった皆様ありがとうございました。 引越し先は下記です。 「今日もあしたも」
キンダーランドの絵本の中で女の子が見つめているコスモス ママが読んでくれたコスモスのお話 そこには宇宙があるんだって 庭でコスモスを見つけたけれど 足元でただ見上げるだけ 次の年にはママに抱っこされて その次の年には あともう少しね わんことどっちが先に大きくなるかしらって 一年生になった頃 迷路のようなコスモスの中を 鬼ごっこして走り回っていたっけ 向こうに居るはずのパパの姿が見えなくて 急に怖くなって大きな声で呼んでいた 4年生の頃 思い切って折ってみた キンダーランドで読んでもらった宇宙の話 そこにあるって信じられず あの時の小さな女の子 あのこはほんとに宇宙を見たのかな 中学生になった頃 自転車通学の道路で出会った 届かなかったはずなのに わんこはとうにいなくなり 花びらの真ん中が僕に向かってた 忘れてしまっていたけれど そこに宇宙はあったのかな
帰り道を探しても見つからない このままずんずん進もう 歩きつかれて一休み どうせ時間は余ってる 眠ったってかまわない うん、どれくらい経ったろう ここには沢山の猫達がすんでいる 飼い猫なのか それとも地域猫なのか まるでねこ鍋のように まるまって重なった子ねこが2匹 携帯のシャッター音に驚いて 子ねこは隠れ 見えなかったはずの母ねこがニュゥと顔を出す やっぱり母さん エライね
10月第2月曜から札幌へ出かけた。 観光と言うよりも息子や知人に会いに、孫の七五三のお祝いにと、人に会うほうに主目的がおかれた旅。 札幌の息子の家に一泊した後、次の日はお祝いの記念写真撮影。 そして旭川に向けて出発したのがもう3時過ぎ。 二日目の夜は3家族で健康ランド泊。 次の日、朝から動物園に行く予定が雨。残念ながら予定を変えて層雲峡へ向かう。 トンネルを抜けるともうすぐ層雲峡。 旭川から層雲峡へは高速道路が開通しまだ試験中なのか有料道路の料金は徴収されなかった。 銀河、流星の滝はちょうど見ごろ。糸を引くような白い水が流れていた。 層雲峡温泉の向かい側には紅葉に彩られた公園が、ふかふかの腐葉土に埋め尽くされていた。 このあと、私は友人達と会う約束があり、そちらへ。 夫と子供達は雨が上がってきたのを幸い、動物園へ。 三日目の夜。 もう食べれない、もう飲めないと言うくらい飲み放題、食い放題の歓待に圧倒されながら尽きることのない昔話に夜が更けていった。 次の日は札幌に戻り、藻岩山の展望台に。 お天気もよく秋空が心地よかった。 ところが帰る頃に突然の雨(乗り物に乗ってる間だけで濡れることはなかったけど)ロープウエー乗り場に着くと雨が上がってきれいな虹が空にかかっていた。 虹を見たときの孫の言葉 ”わあ、きれい! ほんと、きれい! しあわせ!” それほどきれいな虹だった。 その夜の食事、息子の招待なんだけど、ちょっとお高めなので早々に次に行く(笑) 最後の晩は札幌のホテル泊。 あっという間の五日間、帰る日は最高に良いお天気 今度会えるのはいつかしらね、みんな元気でねと空港を後にした。
いつかの新聞に秋色(あきいろ)と言う言葉は辞書になかった、と言うことが書いてあった。 秋色と書いて(しゅうしき)ならばあるという。 私たちは、普段なにげなく秋色(あきいろ)という言葉を使っている。 で、その色はどんな色? と聞かれたとき、その定義みたいなのはあるのかな? とふと思ったのがきっかけで、わたしもちょっと気になって引いてみた。 沢山の辞書を見たわけではないけど、やっぱりなかった。 ”しゅうしき”ならば「秋の気配」とある。 ふ〜ん、秋の色だから、”あきいろ”と思ったけれど”しゅうしき”だったとは・・・ 人が感じる”あきいろ”は、人によってさまざま。 なにしろ”あきいろ”はあくまで感じるものだから。 いや、人によっては、食べるものかもしれないし、体に纏うものかもしれないし、耳で聴くものかもしれないな。 で、色に拘って表すとしたらそれは、 もみじのあか、 いちょうのきいろ、 そらのあお、 栗のちゃ、 稲穂のきん、 ゆで銀杏のエメラルド、 はなみずきのあか、 思い出すほどに多色になる。 心の中に浮かぶあきいろは、暖色系の黄色や、茶、くすんだ赤、やっぱり紅葉が心底にあるってことかなあ。 なみだいろと、運動会の澄み切った青空も忘れることができないし、ススキの穂が一面に広がる山肌も、それにちょっぴり寂しい夕暮れとカラスの鳴き声も・・・ 泣き声は色じゃないけど、夕暮れに溶け込んでいて切り離せない。 下の写真は北海道 層雲峡でのスナップ まさにあきいろに染まっていて、橋の白さが際立って美しい
先週は札幌から旭川と息子のところと、その息子とともに友人のところを訪ね楽しい時間をすごしてきた。 完璧にタイムスリップして子供たちがすばらしい時代を生きた幼児期にみんなですっぽりと入り込んで20年もの空白をあっという間に飛び越えてしまった。 ドラえもんの世界はここにあると本気で信じられる時間だった。 ただ、その中にあって心配事がひとつ。 我が愛犬は実家の母のところに預けていたが、少し前に痛めた肉球が完全に回復していなかったのだ。 はじめ、痛めていることに気がつかず、また足の指をなめる癖が始まったと思っていた。 そんなある日、旅行まで2週間あまりの頃散歩中に前足をかばうようなしぐさをして私の顔を見た。 なんとなく歩きたくなさそうだ。 でも、ちょっとすると何でもなさそうにまた歩き始めた。 家に帰ってから、足を洗いよく見てみると肉球が大きく腫れていた。 大変だ、旅行にいけなくなるぞと病院に連れて行くと、肉球と肉球の間が切り傷かあるいは石が刺さったか明らかにほかのところとは違っていた。 そこで、抗生物質の飲み薬を飲むことになったのだが・・・・ その飲み薬がよほど嫌いなにおいらしく徹底的に嫌がるためにあれこれ手を尽くして好きなチーズを巻いたり、肉で巻いたりして無理やり薬を飲ませた。 その上、肉球を必死で舐めようとするためにエリザベスカラーをつけたり、足に靴下を履かせたり・・ その結果、ご飯を食べようとしなくなった。 そんな状態のわんこを預けていくのは忍びなかったが、 まあ、特別に美味しいものは食べるので、多分大丈夫だろうと母に預けていったのだ。 想像通り、わんこはすっかりお姫様のように大事にされて母の布団で寝起きしていた。 最初の日は飼い主の戻ってくるのを玄関先に座って待ち続けたそうだけどそのうちに母の家での暮らしを楽しむようになっていった。好きなだけ散歩をし、疲れたら抱っこされて、広い部屋の中では走り回っていた。 でも、ショックは大きかったようで足の傷はほとんど治ったのに、食欲だけは戻らなかった。 私が迎えに行くと、もう大喜び。けど、はっきりとわかるくらい「痩せていた」 片時も側を離れなくなり、 母曰く ”もう〜〜飼い主が戻ってきたら、私のほうを見向きもしない” ”あんたたちの車に乗ったときのラナの顔はいかにもほっとしとったね” だそうだ。 そして、やっと昨日から普通の生活に戻り、ご飯も何回にも分けてだけど食べるようになった。 ああ、よかった。 冬毛が生えてくる頃にはもう少し、食べるようになるだろう。
古いビデオテープを編集しようと一念発起したのは一体いつのことだったろう(笑) 少しずつやっていたのがいつの間にか飽きてきて、編集したのかしてないのかわからなくなったりして・・ そのうちに時代は進み次世代DVDの時代になりそうになってきた。 我が家も、やっとハイビジョンが録画できるHDDを手に入れた。 そこで、子供たちの成長記録をもう一度順を追って作り直そうと昨日から新しく取り込み始めた。 最初に手順をテキストを見ながらやることからしないと、一度くらい説明を聞いたってさっぱりわからない。 テキスト通りにと言っても、読み取ることさえ難しいのが本音(笑) やっと何とかつなげることができたぞ、ふう。 そこで、古いビデオテープを流しながら録画しているのだけど。 そこに現れる幼かった頃の子供たちの姿。 そのお友達。 幼稚園や学校の先生。 そのすべてがすごくすごく懐かしくて、その時代にタイムスリップしてしまう。 (ああ、私も少し若くて今よりもやっぱり少しスリムだったし) 画面に次々に現れる小学生たち。 彼らは今どこで何をしているのだろう。 すでに父や母になった子、夢を追って演劇の世界に入った子、挫折を味わった子。 名前を思い出せない子が多いけど懐かしい・・ つい、見入ってしまう。 ああ、またこうして編集がおくれてしまい、出来上がるのはいつのことか・・
政治家や、歌手やタレントが、使い出して今では一般の人も普通に使ってる謙譲語でとても気になる言葉に”〜させていただく”と言う言葉がある。 仏教用語の”生かされる”(生かされて 在る)と言う言葉が普段に使われるようになったころからあちこちで耳にするようになった気がする。 あるとき歌手が歌番組で”では、歌わさせていただきます”と言うのを聞いた。 これって、(歌う+する+いただく)の三つの動詞をひとつにくっつけて動詞を一つ作ったことになると思うが(正しくなかったらごめんなさい)頭の中で組み立てて言葉にするまでに練習が必要なくらい難しいと思うのは私だけだろうか? 人に対して、ていねいにへりくだって相手が気を悪くしたりしないよう、嫌な人だとか、えらぶってるだとか思われると困るからていねいに、とにかくていねいにと言う気持ちからそんな言葉が生まれるのかもしれないけれど、かえって気持ちが引いてしまう。 あっさりと、”では、歌います。聞いてください”と言われるほうが”うん、うん、たのしみ”って思うのだけど・・・ 敬語やていねい語、謙譲語はもともと使い方が難しい。 いま、テレビからはいろんな言葉が溢れていて、溢れた言葉は流れていったり、体のどこかに染み付いたりあるときは引っ掻いて傷になったりしている。 せめて、心に気持ちよく響くていねい語や謙譲語だけを、政治家やアナウンサーは使ってくれないかと思うのだが。 むやみやたらにへりくだった言葉使いをされてもその言葉だけが残って、何を言っていたのかそのときの話の内容など何も残らない。 もっとも、内容など何もないのかもしれないけど。 この文章、長いのを書き終わって投稿するときに間違って消してしまった。 仕方なくもう一度書いたのだけど最初の情熱が半分は消えてしまって文章をなさなくなったかも・・・
「日本の教養」と言う番組、爆笑問題の二人が有名な学者を訪問して本当はすご〜く難しいことを楽しく面白いことにしてくれている。 夕べの「生物が生物である理由(わけ)」は、分子生物学者を訪ねた。 そこで、見た目にもえら〜い先生という感じではなく、どこにもいるおじさん(ごめんなさい)と言う感じの先生の話はとても面白かった。 人の体は分子でできていてその分子は人が食べ物を食べるごとに、その食べ物の分子が体の隅々にいきわたっていき、これまでその人の体にあった分子と入れ替わっているのだと言う説だった。 つまり、食べ物を食べるごとに新しい分子に入れ替わりながらその体を修復し形成していると言うのだ。 体の中にあった古い分子は体外に排出されそれはまた外で新しい分子として植物に取り込まれたり、ミミズなどの小動物に取り込まれたりしている。 この世界全体が、地球全体、宇宙全体がその昔ビッグバンを起こして以来ずっとそれを繰り返して今に至っているという。(だから、宇宙全体をひとつのものと捉えれば変わりはないと言うこと?) その中で、人の分子をかたどっている(修復しながら住み続ける)時間は80年くらいを目安として作られているのではないか。 この話を聞いていて、生きることと、死ぬこととは、大して違いはないのではないかと気持ちが妙にゆったりとしてきた。 科学だけど、文学であり、そして哲学でもある福岡先生の話、 遅い夕食をとっていた長男も”これは面白いね、 もう一度ビッグバンがおきたとしたら俺らの分子もその中に入ってるわけだから死んだって思わずに死ねるかもね” などと言っていた。 私の頭で先生の話を正確に聞けたかどうかはわからないが、 生物を形作ってる最小の単位の分子と言うのが近しく感じられたのが嬉しく、 これからは嫌いな両生類にあっても懐かしく思えるかも・・(それは、きっと無理だな)
”私本管理プラス”というフリーソフトを見つけた。 ネットにつないでおけば、本のISBNを入力すると本のすべてがわかる(笑)というか、一発で整理ができる。 自分の本棚の本もこれから読みたい本も積読のままの本もきれいに整理してみると案外自分の歴史みたいなのが見えてきて楽しいかもしれない。 かなりお勧めだ。
10月1日。 郵便局が今日から分割されていよいよ会社組織になった。 電電公社や、国鉄や、専売公社などが次々に民間になった昭和の時代が、いつの間にか遠い昔のような気さえする。 昔は教科書で「三公社五現業」と言うのがあって試験に出ていたことを思い出す。 (今や、死語となってしまったが) 国鉄の民営化は我が弟にも、理想をもって生きようとしたその生き方を大きくゆがめてしまった。 いまや、昭和とはその響きだけで戦争を思い起こす言葉なのかもしれない。 教科書からも「集団自決」の文字は消えてしまう。 ”おじいやおばあはうそをついたと言うことか”と言う高校生のメッセージも検定官の胸は刺さなくなってしまったのだろうか? 今は、もう平成の世、昭和の時代の思い出したくない遺物など季節の衣替えとともにどんどん捨て去ってしまえとでも思っているのだろうか。 何十年も後に、”なるほど、われわれは良い選択をしたのだ”といえるようになりたいと思う。
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