ドイツの首相メルケルさんは旧東ドイツの出身、 「自由を得たのが人生最大の驚き」と言った。 まだ東西が分裂していた頃自由にあこがれた中学生の彼女は学校の手洗いに隠れて西の議会演説を聞いていたと言う(日経新聞夕刊より) ベルリンの壁を越えようとして射殺された人は200人以上。 超えようとしても超えられないまま、会いたい人に会えないままに亡くなった人はもっと多数。 突然に築かれた壁で30年近くも分断されてしまった国。 その壁が人々の熱情で一瞬にして崩壊して行く様を私はテレビで見ていた。 ものすごい衝撃と感動を覚えながらもそれはテレビでの光景だった。 メルケルさんにとっての40年は、 私にとっては1世紀近い時間をもってしても経験することのない時間だ。
最近は天気予報がよくあたるようになって今日の予報もぴったり。 朝からぐずついていたがどうやら本降りになったようだ。 この時期を”秋隣”と、言うそうだ。 (立秋は過ぎているのに日中は真夏。でも朝夕は少し涼しさを感じられる) 日本語って本当にきれいな言葉だと思う。 ひとつひとつの文字を組み合わせることで、幾通りもの言葉をつむぎだしている。 旅に出るのにも歩いて行くしかなかった時代の人たちは五感を通して感じるものを、何度も何度も反芻して、考えられるものすべての文字の中から、それらにぴったりの言葉を選び出していったのだろう。 だから言葉(音)で聞いてもわからなくても文字にすることで光景が浮かびだされるのだ。 月を表す言葉にもその満ち欠けでそれぞれに名前がある。 満月(望月、十五夜) 十六夜(いざよい) 弓張月 立待月 居待月 寝待月 などなど・・・・ しかし、今の時代、皆既月食の次に来るのは、新人議員のスキャンダル、などなど・・ ゆっくり月を眺めてウサギを探す時間などは、ないに違いない。
佐賀北校優勝おめでとう! 信じられない逆転ホームランで優勝が決まった。 佐賀では今頃大変なことになっているだろう。 もうだいぶ前にも書いたことがあるのだけど、 佐賀県人は人に”どこの出身?”と訊ねられたとき”佐賀です、ではなく九州です” と答えるほうが多かった。 佐賀と言っても案外知られていなかったりするし、それを説明するのもなんかめんどいし、 てな感じで、”九州”と言ってたように思う。 でも、今、佐賀はかなり有名になった。 13年前の甲子園での佐賀商の優勝しかり、 最近ブレイクした”がばいばあちゃん”しかり、 そして、今回の佐賀北校の甲子園優勝。 二つの高校はどちらも県立の高校だと言うことがまず素晴らしい。 がばいばあちゃんは洋七さんの本や映画、テレビドラマで大ブレイク、 でも、それだけでは終わらない。 ロケが行われた武雄市の市長さんが自分のブログで武雄市をそれこそ世界に向けて発信している。 実際に武雄市の7人のがばいばあちゃんを作りCDまで作り出した。 実際に”ばあちゃんず”はいろんな場面ですごく活躍している。 もう、ここまでくれば、佐賀出身者もよそでどこのご出身? と、聞かれても堂々と”佐賀です”と答えることにしようよ。
この暑さにも負けずにけなげに咲くツルバラ(かなり貴重です(笑)) 昨日の高校野球 実家でみんなで見ました。 もうかなりの興奮状態、9回の裏からは特に行き詰る感覚。 13年前の我が母校と重ね合わせて喜びと期待がいやがうえにも高まる。 あの時は、あれよ、あれと興奮状態が進み途中での寄付の追加にも”もちろん!”て、感じで応じた。 あの当時は自分でも収入があったし(笑) しかし、佐賀北高、本当にすばらしかった。 総じて言えるが、今の高校生は実に楽しそうにプレーしている。 いきいきとのびのびとプレーしている。 そして、そういうチームほどチャンスをモノにして勝ち進んでいる。 あと半月ほどで80歳になる我が母は、 耳が遠いのでいろいろ説明などは聞こえないのだが、自分なりにしっかり解説をしながら まるで、若者のように応援をしている。 ドラマなどはほとんど見ようともしないのに、バレーと高校野球だけは見るのだ。 大声で叫び、手をたたき応援する様子は、多分私たち子供の誰よりも熱心だ。 こんなとき、ああ、家族って良いなとしみじみ思う。 いじけることなくみんなひとつだもんね。 試合終了! 勝った勝った!! すばらしい!! 最高!! ありがとう!! みんなで大喜び。 ん、変だな、母の声がしない と 振り返ると 一人で感涙に咽んでいた。 ああ、と言うみんなの声を聞いてさっさと自室へ引き上げてしまった。 一人で、号泣してるのだ。 そんな母を見るごとに、歳をとったなと思い知らされる。 母さん、もう少し頑張って来年も高校野球また一緒に応援しようよ。ね。 今年は、九州勢が特に気を吐いている。 佐賀の県立の進学校が東京のスポーツ名門校に競り勝ったのだ。 佐賀県民の喜びはどれほどのものかと思う。 アナウンサーだったか、 繰り返し言っていた。 ”このゲームが始まるときに誰がこの結果を予想していたでしょうか?” 私もそう思う。
小池大臣と防衛次官のバトルが新聞でも華々しくドキュメント風に書いてある。 今の内閣は私のようなおばさんから見ても形だけの、まさに壊れようとしている砂上の楼閣だ。 何とか、取り繕うとしても次から次にほころびが現れる。 陶芸の土をいい加減に練って紐をつんだときや、 タタラで伸ばしたときにつぶしてもつぶして現れる空気のようなものだ。 どこにでも潜んでいて折りあらば顔を出そうと膨らんでいる。 その空気たるや、ごまかそうとすればするほど潜みながら大きく膨らんで終いにはせっかく積み上げて、 何とか成型した作品が破裂してしまうことになる。 側から見ていて、それ今だと乗り込んだ側にも自我だけが目立って、 肝心なものはなにも解決できない。 今の時代、テレビや新聞は、そんないろいろを自分たちの好きな部分だけを切り取って次から次にシャワーのように流している。 あまりの暑さにこもりっきりで、テレビのリモコンにばかり手を伸ばしてしまってるが、 浴びすぎたシャワーからは結局疲れだけしか得られなかった。 ”白い恋人”よ、お前もか? 大好きなお菓子で、北海道のお土産の中でも絶対に喜ばれる保証つきだったのに。 今のコマーシャルは知らないが、 電車は出て行く、私は残る。 そこで ”白い恋人〜”のメロディーが・・・ そのシ〜ンが20年以上もたった今でもしっかりと脳裏に焼きついているというのに。 せめての憩いにふるさとの風景
恋愛感を知りたい人に回そうって言うバトンです。 よそでこういうの見たことはあったのだけど・・・ 20代の頃の自分に戻ってやってみました。 けど、あんまり変わっていないかも、私・・・って思います。 現実と夢のギャップは大きかったですけどね、わはは・・・ 【ルール】 ★タイトルに次に回す恋愛観を知りたい5人の名前を書いてビックリさせよう♪ 【バトンスタート☆】 ★外見でタイプを教えて下さい。 一般的ですが肩幅が広い人、 でもムキムキでなく細身、泳ぎでバッタがうまい人。 指が長くてきれいな人。 ★内面でタイプを教えて下さい。 自分をしっかり持っていてぶれない人。優しいけれど見かけは妙に冷たい人。 ★恋愛対象は何歳から何歳まで? う〜ん、自分の年齢から逆算すると・・・複雑 うんと若くて17歳くらいだと孫みたいだし・・年齢は取り払って人だけを見よう。かな? ★無口な人と喋る人はどちらが良い? ゆっくりと考えるようにして喋る人。 わざとらしくしゃれを言ったりしてはしゃぎまわる人は嫌い。 ★異性のこういう所に弱いというのは何ですか? 話をするときにわずかに下を向いて一呼吸入れてから目を見て話し出す時の口許。 こちらが気づかない位のタイミングでさりげなくドアを開けてくれるとき。 信号で歩き出す瞬間にかすかに目配せをしてお先にどうぞって合図を送ってくれるとき。 思わずにっこりしてありがとうって言いたくなっちゃう(単純な正確だからすぐに乗せられる) ★異性にされて、もしくは言われて特に嫌な事は何ですか? 血液型を”あ、やっぱりね”と、いかにもって感じで言うこと。 (血液型は大根にだってあるじゃないのと思ってるアンチ血液型信仰だから) ここに座ってとハンカチなどで拭いたりして場所を指定されること。 ★好きな人が出来るとどんな行動をとる? 心とはうらはらに、面白がってる振りをしてからかってみたり、反対に気のない振りをしてみたくなる。 ★積極的ですか?消極的ですか? 完璧、消極的。何もいえない。 ★告白はしたい方?されたい方? 告白するなんてとんでもない、天地がひっくり返っても無理、無理。 ★次に回す恋愛観(というか恋愛のかたち)を知りたい5人のイメージを教えて下さい。 かなり迷いました。 数少ないお友達にバトンを回そうかとも思ったのですが・・ 今回は一人で遊ぶことにしました。 もしも、私もやってみようかなと手を上げてくださる方がいましたらぜひ声をかけてくださいね。 【感想】 う〜ん、改めて文字にしてみると、いや、してみても詰まんない消極人生です(笑) 次に生まれてくるときは、 思いっきり運動大好きで、大声で”何君大好き!”て宣言できる人になりたい・・でも、やっぱ、無理かも。
最近良く夢を見る。 ある日、母が妹と二人でやってきた。 季節は夏の初め、でも、暑い日ではなく肌寒い日だった。 突然やってきた母はなぜか裸足だった。 「どうして靴も履かないで来たの、早くこれを履いて」 と実際には我が家にはないはずの突っかけサンダルを差し出していた。 次の夢は 親類の人たちがなぜか沢山我が家に来ていた。 一晩過ごしたあとは皆がそれぞれ出かけると言う。 ”それじゃ私は今日は家に残ることにするよ” といってると一人のおばさんが ”私も残ることにするよ”というので、 それじゃ二人でゆっくりしようとほかの人を送り出した。 そうしてると残ったおばさんが ”実は、私ショッパーズに言ったことがないから一度行きたいと思ってるのよ”という。 ”そう?じゃ私、今日は特に予定ないから連れて行ってあげるよ” そう答えながら、首をひねる。 このおばさん、もう20年以上も前になくなってる人なのに、と。 そして、今朝方の夢 小学校から高校まで一緒だった友人のお母さんが瀕死の重病で、私も看病に来ていた。 でも、医師はもうすっかり見放しているのでそこにはいない。 何か、怪しげなものを煮詰めてこれが一番効くのだよとおばあさんがせんじ薬のようなものを作っていて どろどろに煮詰めたものを少しずつ口に入れてやる。 そうやって、頑張ってきたのだけど、もうだめかもしれないと言う。 そして、私に言うのだ。 ”さあ、今夜は彼女とあなたでしっかり看病しなさい。そのときはこの着物を着るんだよ” と、何か浴衣のようなものと帯を渡される。 それを着ようとするのだけどなぜかうまく着れない。 急げば急ぐほどうまく行かない。 やっと準備をして側に行く。 だけど、また心の声が囁く。 ”彼女のお母さんはとうに亡くなっている筈なのに” そうなのだ。彼女のお母さんはもう40年も前に40歳の若さでなくなったのだ。 一体なぜ、こうも続けて死んだ人が夢に出てくるんだろう。 お盆が近いからって訳でもないと思うのだけど。 このところ、小川洋子さんの「沈黙博物館」に入り込んでしまってるので、 生きてる人と死んでる人が溶け合えるような場所に私まで入り込んでしまってるのだろうか・・・
明けがたに見た夢。 私はわんことなぜか川で遊んでいた。 そこで、いろんな小魚を捕まえ、水鳥も一羽捕まえていた。 もう疲れたねと魚たちとぬれた水鳥を抱えて家に帰り部屋に入って一休みすることにした。 その家は紛れもなく自分の家だったし自分の部屋だった。 そこで同じ部屋にわんこも水鳥も魚も静かに眠っていた。 ずいぶん長い間眠った気がして目を覚まして見回してみると、 その部屋は私のうちではない。 びっくりして飛び起きてみると顔見知り程度の方の家ではないか。 一生懸命に謝る私にその方は、”いいのよ”と一言言っただけで特に怒るわけでもない。 その上、捕まえた魚を早く水に入れてあげなくてはと広い庭に大きなポリバスのような入れ物を出してくれた。 魚たちは水を得た魚(まさにそのとおりだけど)とばかりに泳ぎ回る。 その魚たちは金魚のように色とりとりでとてもきれいだし、溢れる水はその魚たちをポリバスから庭先にある池へと導いている。 胸にしっかり抱えていた水鳥も相変わらず濡れていて嬉しそうだ。 私はその夢のなかで恐怖に押しつぶされていた。 どんな恐怖か・・・・ だって、この家に入るとき私はちっとも迷わなかった。 自分の家だと思い込んでいた。 よく見ると、いや、よく見なくたってそこは自宅じゃない。 自分の部屋でもないのにだ。 だけど そこは確かに以前に同じように夢の中で来た事のある部屋、 もっとはっきり言えば、夢の中で引っ越してきた部屋。 そんなばかな・・・ 夢で引っ越した家に、何年も経ったある日、同じように夢の中でやってきて 自分の家と信じてお昼寝するなんて・・・・ 信じられない。 胸にしっかり抱いていた水鳥はたっぷりと濡れていて実におとなしくくつろいでいた。
夏休みに子供に本物を経験させようと言う企画が今ブームらしい。 そこで、ホテルでは宿泊客を対象にした企画で 子供たちがホテルマンになって自分の両親にサービスをするというのがあった。 まず最初に子供サイズの本物のドアマンの制服でお客様(両親)を迎える。 次にベッドメーキング。 男の子は緊張した面持ちでピローを両手指でピンとさせてささげ持ちベッドに置く。 そして次にシェフの制服を着て、オムレツを焼く。 食卓テーブルに簡易型のガスコンロを載せて、そこでフライパンを器用にゆすりながらふわふわオムレツを作るのだ。もちろんすぐ後ろからシェフの手が常に伸びているのだが。 焼きあがったオムレツを食べる両親の目はもちろん潤みがち。 美味しいといわれて、ほっとした子供の顔は幸せに満ちていた。 造られた本物で、お金がある人たちの幸せのような気がするのは ある種の妬みかも(笑) 今の時代。 本物を経験させると言っても、させかたが違うんだな。 海遊びでも 実際に海に行って貝殻を拾って、遊ぶと言うのではなく、 遊園地や水族館にそれらしい場所を作ってあってそこで本物(海)の貝殻や小石や、ヤドカリなどを捕まえるのだ。 たしかにこの方法だと危険を伴わないと言う利点?はあるけど。 楽しい夏休み。 始まったばかりと思っていたら、もうお盆、宿題に追われつつ進む後半ももう目の前だな。
吾亦紅という花はその姿からお茶花に良く使われる。 ”吾も亦紅なりとひそやかに”(高浜 虚子)の句でも有名で私もその名前から好きな花だ。 一週間かもしかしたらもっと前にNHKの演歌の番組で流れていた歌、 ”すぎもとまさとさん”の”吾亦紅”と言う歌が (我が家は夫が演歌が好きなので火曜日だけは演歌の日なのだ)流れてきた。 すぎもとさんのお母さんは吾亦紅の花が大好きだったそうだ。 キャッチフレーズが”団塊の世代に送る歌” 私は 何かと言うと一まとめにしてくくるこの言葉”団塊”が嫌いなのだけど流れてきた歌の歌詞を聴いていて 思わず涙が溢れてきた。 (夫は母親が亡くなっているので、なおさら胸に迫ってきたようだったけど、お互いにそっぽを向いて知らぬ振りを通した(笑)) この歌は、すぎもとさんが亡きお母様にお母様にささげた歌で本当は発表するつもりはなかったと言う。 一度聞くと、いやがうえにも母恋しくなる。 特に2番の歌詞が良い。 側において聞いていたい気もするのだけど、あまりに悲しくなりそうなので今は考え中だ。
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