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「寡黙な死骸 みだらな弔い」と 二つ同時進行で読んだ。 小川さんの物語の世界は、入って行くほどに戻ってこれなくなる。 一度踏み入ってしまうと、そこから戻ってきたとき、私ってどんな人になったんだろう。 以前の私なのか、それとも、もう死んでしまった人なのか、なんて妙な感覚に取り込まれてしまってわけがわからなくなってしまうのだ。 特にこの短編集はそうだ。 以前に読んだときも長い間戻れなかった。 作品の中にある「拷問博物館」が、なんだか現実味を帯びてきて眠っているときや、一人で歩いているときにいきなり目の前に現れてきそうな錯覚さえ覚える(笑) そんな自分が、子供じみていて自分であきれるのだが・・・ 小川さんの言葉を借りれば ”物語はすでに誰かによって秘密の洞窟に刻み付けておいたものを、いろんな作者が私(小川さん)に語って聞かせてくれているのだと感じる一瞬が一番幸せなのだ”とあった。 小説というのは、洞窟に言葉を刻むのではなく、洞窟に刻まれた言葉を読むこと。 なんて、すばらしい言葉だろう。 私は、物語が好き。 わかりやすい言葉でいろんなことを表現してくれるそんな文字たちにこれからもずっと会っていたいと痛切に思っている。 小川さんの言う”名も知らない誰かが刻みつけた洞窟の言葉たち”を 作家と呼ばれる人たちができるだけ沢山見つけて一つ一つ読み上げてくれたら嬉しいと、心から思っている。 今日は、相変わらず暑いけど、「なんとなく雨模様」の一日。 つい、物語の世界に入りすぎたかも。 そろそろ現実に戻る時間になってきたようだ。
トム・クランシーの小説が大好きな私。 大統領やファーストレディー、その家族たちについているコードネームはとてもすばらしく、 なるほどその人をイメージしてつけてあるのか、しかし、どれもいいネーミングだなあと思っていた。 MI5のスパイ小説に出てくるスパイたちもすばらしいコードネームをもっている。 そのコードネームだが すべてのコードネームは”米軍の当局者によって決められる”そうだ。 それも言葉自体に深い意味はないということになっている。 けど、記者はアメリカでも「名は体を表す」のではないかと書いている。 ブッシュは タンブラー レーガンは ローハイド クリントンは イーグル カーターは ディ−コン(教会の執事) ヒラリーさんは エバーグリーン オバマさんは レネゲイド だそうだ。 レネゲイドとは? 最初に出てくる和訳は え、まさか?とぎょっとするのだが、 アメリカ人は「1千人を敵に回しても俺は信じる道を進むぜ」という、肯定的な意味合いで この言葉を受け止めるのだそうだ。 (太字部分は大部分、西日本新聞からの抜粋) ずっと時代を追っていろんな人のコードネームを調べて行くと楽しいだろうな。 もしかしたら、その時々の世相だって見えてくるかもしれないし。
ブログって何? などと質問する時間さえ、なかったほどの速さで今の時代、ブログは普及していって完璧浸透してしまっている。 ちょっと前のインターネットのネットサーフィンといえば、 いろんな人のホームページを尋ね歩いたものだった。 研究し尽くされた見事に美しいサイト。 作り始めたばっかとわかる初々しいサイト。 そこここに工夫がちりばめられていて、それをどうやって作っているのか知りたいと日参したサイト。 写真ひとつ貼り付けるのにも、自分のパソコンの容量だけで受け取るほうの容量なんて考えもせずに大きいファイルをそのままに貼り付けたりしたこともある。 一枚の写真が開くのにひどいときは2分も待ったりしながら(笑)。 いろんな人にその時々に、注意されたり、親切に教えてもらったりそれなりに自分磨きの時代だったのでは?と思う。 日記の中に写真を入れてバックの色を変化させることができるHTML文字が書けたときにはどれほど感激したことか(笑) いまは、昔である。 今は、それらがブログに取って代わり、 日記読みの日記書きさんだった人たちや、それ以外の人たちもブロガーと呼ばれるようになった。 それもその移り変わりのためにはほとんど時間は使われなかった。 もう、ほんと、あっという間の出来事だった。 たしかに、ブログは読みやすい。 なんといっても、広がり(つながり)がいい。 ひとつのブログから、次々につながっていって、どこまでも果てしなく連なっていく。 人気のブログにはコメントもものすごい数だ。 どこからそれだけたくさんの人がそのブログを見つけてくるのだろう。 蜘蛛の巣はあの粘々した液でしっかりと編みこまれていて、 よく見ると実に秩序だっていてその上、美しく光っている。 やっぱり、そうなんだろうな。 美しく光っているとたどり着く場所を両手を広げて探している者にとってどうしてもよってみたくなるはずだもの。 けど、ちょっと前のホームページをじっくりと読む時間も、 そして、そんなホームページにもやっぱり出会いたいと思っている。 うんと若いころ、 清書をするときは万年筆だった。 私は、自分で給料をちゃんともらえる様になったとき、 自分に最初に買ったのがブルーの万年筆だった。 その当時にちょっとだけ高価なセーラー万年筆。 ステータスのつもりだったことを今でもしっかりと覚えている。 その万年筆、いろんなペン先を試しながらも今でも大切にしまってある。 使うことはほとんどないのだけど、たまに思い出す。 ブログと日記のことを考えていたら、その万年筆を思い出した。 一生懸命に作ったホームページは、自分にとって万年筆。 その当時あっという間に事務業界に浸透して行ってしまってすべての帳簿を網羅したボールペンはブログなのかもしれない。 なんて、 ちょっとした感傷ではある。
![]() 北九州市のカルスト台地 どこまでも広がっていてもう少し早い時期(5月くらい)にいくと最高です。 全体が白い石灰岩で埋め尽くされていて羊がのんびり遊んでいるように見えるのだ。 はるか昔、このあたり一帯海底だったなんて信じられない。 この日は曇り、夜の間雨が降ったこともあって、石全体が潤っていてちょっぴり黒ずんでいたし、 霞がかかって見通しはよくなかった。 それがまた私の気持ちにぴったり。 梅雨の間のすばらしい休憩日になった。 結局ワンコ連れで3時間あまりもゆっくり歩いてたっぷりオゾンを吸い込んだ。 (お昼ごはんはオゾンと、サンドイッチなんてことになってしまったのだけど) ![]() これは台地の中に自生するノハナショウブ 数は少ないが、しっかりと自己主張して凛とした姿を披露していた。 ワンコも久しぶりの長散歩にすっかり満足した様子。 ![]() わたしは、プロ野球の桑田選手が好き。 桑田選手がやっと大リーガーとして姿を現してきた。 今の彼は、すばらしい。 マウンドに上がれるのが嬉しいといい、すべてに感謝しているという。 そんな、桑田とイチローが出会って握手している様子が新聞に出ていた。 イチローの気持ちが、桑田の気持ちが、全身に現れている写真だった。 日本人て捨てたもんじゃないと思った。
カッコイイ ひたすら カッコイイ と感じた。 そのスタイル、流れるような動き、その目、そして漏れ出る言葉、すべてがカッコイイ。 この世にはいろんな職種があるが、 ”ワインのソムリエはまさにタレント(才能)である”(私の心からの感動が言わせた(笑)) 息子もたまたま居合わせて、口も利かずテレビに集中していたが、終わったときに ああ、感動したなあ、これが本当にプロフェッショナルだよねえ と、一言言った。 (私も、息子も、ただひたすらにストイックな人が好きなのだ) 佐藤さんは、全身全霊でソムリエの仕事に打ち込んでいた。 まだ幼い彼の子供たちにもそれが伝わっていた。 審査会場での様子は息詰まるものがあり、 それを幼い彼の長男が十分に感じて祈っている姿がまたすばらしかった。 人には、誰にもその人にだけ持っている才能がある。 なんて、よく小学校のころから言われたっけ? けど、そんなことはないよねと心のうちに思っている私。 何かひとつだけでもある筈だから、探してそこを伸ばそう。 とも、いわれたっけ? でも、それだって、本当は違うよと思っている私。 もし、本当にそんなタレントがあるとすれば一番大切で絶対になくしていけないものは、 信じて疑わない心だと思う。ひたすら精進する心だと思う。 佐藤さんの持っているスピード感、決断力、目から溢れる優しさと思いやり。 それらは、間違いなく彼の中にある”信じて疑わない心”から出ているものだから。 佐藤さんにも、彼の家族にもこころからの乾杯を! 今日の写真はハナショウブ(江戸ショウブ) 福岡県にある宮地嶽神社の民家村自然広苑にて 昔の我が家のようなわらぶき屋根の民家とともに広い菖蒲園があって、とてもくつろげる。 ![]() ![]()
パソコンは画面がまるで表示されなくなった。仕方がないのでメーカーへ修理の依頼をする。 電話でのサポート担当者は、マニュアル通りにチェックの確認をしていって、最後にこれはお預かりするしか方法はありませんとのこと。 そうだよねえ、それしかなさそうだもの。 結局はテレビボードの不良というので交換することにして、高い修理代を支払って無事に我が家に戻ってきた。 初期に戻すことはまぬかれたので、本体と画面をつないで電源を入れるだけでオーケー。 とっても簡単だったのだけど、その後復帰するのについ、ぐずぐずすごしてしまっていた。 そのお休み?の間に、あちこちでかけて写真を撮ってきた。 まずはアジサイ編 こちらは福岡市にある箱崎宮のアジサイ苑 百数十種のアジサイが丁寧に手入れをされて植えてある。 そのなかから、私の好きな色のアジサイを厳選(笑) 題して”露(梅雨)にはブルーがよく似合う” ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 先日の新聞(日経夕刊)に若者言葉のことが載っていた。 略語の中に”アニート” 兄貴がニートって意味だって? わからないよねえ、ここまでくると。 だけど、言葉の進化というか、略語の変化というか。 これは室町時代の女官からすでに始まっていたそうです。 しゃもじ=杓子+文字 ひもじい=ひだるい+文字 など、など・・ 言葉は乱れつつ生きていくのだろう。 と、結んでありました。 そうなんでしょうねえ。 ”れる、られる”だって、今ではどっちが正しいかなんてわからないときあるもんね。
とうとう本格的に故障してしまった。 今、違うパソコンで書いてますが・・・当分更新はできそうに無いです。 昨日は一日、最低の日でした(トホホ・・) 前々日にお守りを落としたせいなのか、 はたまた、庭の木を思い切り短くしようとばっさり切ってしまったせいなのか。 木が切られるの辛そうだったから、謝りながら切ったのになあ。
![]() これは、我が家に来てもう何年になるだろう? 咲くことをすっかり忘れてしまい、隅っこに追いやられてしまっていたが、 ”私を忘れないで!” と ばかり。 今年初めて4個も花開いてくれた。 とても嬉しい。 今度からはちゃんと手入れをしなければ。 最近、グーグルのいろんな楽しみ方が日経に乗っていたので、あれこれ試してみる。 なんといっても感激してしまったのが ”Google Earth ” 最初に自分家を入力してみる。 思わず ”お〜” 私って単純だから思いっきり感激してしまう。 だって3Dで、画面がどんどん動いて引き込まれるように連れて行ってくれものだから、やめられない。 あっという間に時間を忘れてあちこち旅をしてしまった。 あ〜あ、パソコンに取り込まれてしまうのは怖いと、いつも思いつつ。 そして、いろいろ気をつけねばなんて、いつも思いつつ。 どんどん、取り込まれてしまって機械の一部に組み込まれいらなくなって捨てられてしまう。 だけど、 こんな誘惑にとりつかれてしまうともうだめ、覗き込むのをやめれなくなる。 だって、こんなにどこにでもいけるんだもの。 まるで孔雀サボテンの中心を見つめるみたいに、そこはすばらしい。
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