日々の思い

ひばり【MAIL

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詩 「折りたたみメニューから出てきたものは」
2007年05月24日(木)

ひだの奥の奥、仕舞われてしまった隠しファイル

どうしても見たくって次々に開いていく

心を砂漠のようにからからにしながら次々に開いてみる

砂粒を吐き出しながら開いていく

どこまでいっても飛び出してくるのは

真っ黒な数珠球


数珠だまを噛んでつぶした

そこからあふれてきたものは壊れてしまった文字たち


”あ”という文字は横棒がない

”き”という文字は縦棒もない

どれを見てもどこかが欠けて・・・

とどまることなくつぎつぎにあふれてくる

私はあせって、ぜんぶを数珠だまに閉じ込めていく


次に噛んでみた玉は

涙のかけらが詰まってた


壊れた涙  とんがっててガラスのように光ってた

とがったガラスは小指を刺した

ぼとぼとと赤い血がこぼれて数珠だまを濡らしていく

私は涙を流しながら、ぜんぶ数珠だまに閉じ込めてゆく



次に噛んでみた玉は

壊れたおんぷが詰まってた


四分音符には尻尾がない

十六分音符には頭がない

勝手やたらにおとがあふれる

抱えきれないほどの壊れたおたまじゃくし達





今も流れるなみだの川が

おたまじゃくしたちを浮かべている



おたまじゃくしは玉に戻すまい



私は、

吐き出した砂粒をすっかり拾い集め


音符の入っていた玉にいれ


最後に黒い数珠だまを糸で次々につないでいった







なくしたファイル
2007年05月23日(水)

直近のメールで大事な数通と、
そして覚書き風に作っていたメモ(これも直近のもの)は
やっぱりどこを探しても出てはこなかった。


私はもともとよく探し物をする。

”これは大事”と仕舞うのだけど、仕舞いすぎて場所がわからない。

はたまた、手元に置いとけば無くならないと、
ぞんざいにおきすぎるのか近くにあるのが目に入らない。


こんな私がずっと後になって人生を振り返るとき、

なくしたものがどれだけあったのかなんて、思い出せるのだろうか。


たぶん、たぶん、思い出せないし、

思い出そうなんて思わないだろう。


そのときって、やっぱりそのときに必要なものだけを、また探してると思うから。


人は、それだからいつまでだって長生きできるんだ。


な〜んて・・・・

ちょっとだけ、強がりも混じって・・・



ふる〜いメールも、

残ってないほうがいいからやっぱりぽちっと


削除ボタンをおしちゃおう


グレーーのように 大道珠貴さん
2007年05月22日(火)

大道さんの連載が終わった。

彼女の住む部屋のベランダに薄いグレーの落書きを発見したそうだ。
5歳くらいの男の子が書いたのだろう”顔がゆがんでやせっぽちのドラえもん”
彼女はその横にこっそり毛が一本で、ハイヒールを履いているオバQを書いた。
次の住人がそれを見つけて何か書いてくれるといいなとある。

ドラえもんにオバQ、すると次はちょっと忙しく”キーン”の彼女かな?

代々そこに住む人にそっと書き継がれていく物語があるのもいいかもしれない。

”いつもは一人だけの孤独な世界。
グレーのように白黒どっちでもない、あいまいさ。そんな日々。
人生は夢マボロシだと思うから、はかないものだから、これからも日々のちょっとしたことを
かみ締めつつ生きよう。

生きているってこと自体、奇跡に近いことでありますしね。”



そうだよなあと思う。

自分が心優しき人間になったときにこの文章を読むとこころの中がとってもやわらかく湿ってきて、

空に浮かぶうす雲になった。
刷毛ですう〜と引かれたグレーの雲。

な〜んにも考えることなく何年もの時間が過ぎていったみたい。

彼女の文章を読むことは仙人になれる方法”その1”かもしれません。


心優しき人間になれたのはこのせいかも(笑)








パソコンの不具合・・・うっかりミスからメールが復元できない
2007年05月18日(金)

4月の末からずっと調子が悪かったパソコン。

”ええい! 仕方ないや”と、またまたリカバリをした。

もう慣れてるという気持ちがあったわけでもないのに、
あちこちのサイトを渡り歩いてこれはよさそうと参考にして、やってみた。


その結果・・・


ああ、内容をきちんと読みきれていなかったみたい。


ま、ファイルが全部戻らなくてもそれはそれはいいやと思うのだけど。

なんと、メールのエクスポートをファイル形式を違えてやってしまっていた。

いろいろ調べてみたけれどできそうにない。

普段、マイクロソフトアウトルックを使っているのに、dbxというファイルで保存してしまっていた。

これは、エキスプレス用のファイルなのだ。

いつも二重にも三重にも保存するのになんてこと・・・

少し前の分でも残ってないかと探してみるが、なぜか見つからない。


思いきり トホホである。

必要なパスワードやアドレスなども控えてないのもありそうなのに、困ったことになった。


もしインポートできる方法をご存知の方がいらしたら ぜひ教えてください 



庭の花
2007年05月10日(木)




シラン  ピンクムラサキとうすピンクの花が満開。






こちらはサクララン

これはつる性でどんどん伸びていくのでいつもこの時期(葉っぱがきれいな桜色になる)を過ぎると短く選定をしてしまっていた。
ところが今年は、小さな白いかわいい花が付いているのにびっくり。

今まで見たことがなかったのに、どうしたことだろう。


夕べは、突然の雨、風、雷とびっくり。
わんこは起き出してうろうろし始めて寝かせてくれず、寝不足気味で朝を迎えた。



今、西日本新聞に大道珠貴さんが「楽々」というタイトルでコラムを書いている。
彼女が賞を貰ったときのインタビューを見ていてちょっと変わった人かもと思ったし、結果的に作品は読まなかった。

で、コラムを読んでいるのだが、

今、”死”についての文章が続いている。

人の死について、かなりさめた表現をされているので、ざらざらと引っかかる感じで読んでいて、けど次の文章が気になると毎日を追っていた。

今日の記事に

彼女に出来たたった一人の大切な友人の話。

「あとはもう死ぬだけ」といってさめてみせる彼女に「現実としてもうすぐ死ぬんだからこそ(高齢のようだ)目の前にある仕事をやりきる」と、世界中を飛び回って活躍しているその友人。

大道さんは言う。

「ああ生きていて良かった」と。



本当の友人を見つけるのは難しい。

孤独に負けないで生きていくのは難しい。

うんと長生きして、その友人のように素朴でかっこいい人になりたい。と結んであった。


そう思う。心からそう思う。

水が足りない田んぼの土のようにひび割れたところに今朝はオレンジ色の光が水を運んできてくれた。
ゆっくりでいいから、染込んでくれるのを待っていよう。


アルファブロガー
2007年05月09日(水)

昨日のNHKクローズアップ現代はアルファブロガーについてだった。

ブログがどうして”つながる”なのか、いまさらにして知らされた。
というかいまさらにして知ったと感じた。

ひとつのブログから、アンテナのように次々と触手が伸びていき(いや、くっついていき)
それにまた群がるように次々と触手が伸びてくる。

普通の人が書いた生活雑感、身辺雑記が、いろんな人の脳の中に染込んでいく。
その過程はまるで、蔓植物か、地上茎植物のそれに似ていて、スピードは光の速さにも似てる。

最初に記事を書いたブロガーは反応が反応を呼びますますいい記事を書いていく(はずだ)
それは百科事典に匹敵するようになっていくのだろう。
(すでに私もよく利用する『ウィキペディア(Wikipedia)』があるが )


ネットが始まってまだまだ時間は短いというのになんという情報の早さだろう。
それに群がる(言葉は悪いが)ビジネスも次々に起こされている。



ただただ、便利さだけに取り付いてしまっているけれど、やっぱりちょっと立ち止まって見極めながら進まないと怖い気もしてくる。

そういいながらも、グーグルの便利さに検索の手を伸ばしている私だけど。


庭の花たちも主役が交代してきた。

これは菊菜(植えっぱなしの春菊の花(笑))




こちらはかたばみ



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