今日、バスを待っていたときのことです。 陶芸教室からの帰り、いつもよりちょっと時間をとりすぎて急いだのだけどいつものバスには間に合わなくて次のバスを待っていた。 前のほうで白い杖を持った母子が声をかけられていた。 男性「どこ行きに乗るの」 母「はい、空港通りに乗ります」 男性「じゃ、ここだよ」「ここに入れてあげてね」(並んでいる人に対して) そこで、その親子は、私の4人くらいの前に並ぶともなく並んだのだ。 そこでバスが来て並んでいた数人が乗っていった(それは親子が乗る予定のバスではなかった)ので、親子は私の二人前になった。又次のバスが来た。それもやっぱり乗ろうとしてるバスではなかった。 その時に相次いで二人の人が親子に声をかけた。 「どこへ行くの」「乗せてあげるよ」 母親はちょっとむっとした口調で、「バスには自分で乗れます。あのバスは空港行きとは言ってません」「空港のほうへ行くバスに乗るんです」と。 そして、母親は私に「ここは14番(乗り場)ですよね」 私は、「そうですよ、ここで待っているといいですよ。空港だったら39番に乗るといいですよ」と、答えた。 ちょうどそこに目的のバスが来たので、「このバスに乗るといいですよ。行きましょうか?」と声をかけると、男の子(小学校高学年くらいだろうか)がはじめて答えた「いいです」恥ずかしそうだった。 母親は、男の子に「どうする、いこうか?」と、聞いていた。 でも、男の子は動かなかった。 私は、自分の乗るバスに乗って、彼女たちを見たが彼女たちは結局バスに乗らなかった。男の子はやっぱり恥ずかしそうに母親に寄り添ったままでバス停に立っていた。 彼女たちに次々に声をかけた人たちは、もちろん悪気ではなく、手伝いたかったのだけど、あの親子にとっては、もしかしたら愉快な声のかけ方ではではなかったのかもしれない。 彼女たちはもしかしたら、あの時間にバスに乗る予定ではなかったのかもしれない。そうだったとしたら、私も彼女たちを傷つけてしまったのかもしれない。
ラナはどうやら夫のことを遊び相手と思っているらしく夫が帰宅するとそろそろと伸びをして様子を伺う。 夫としては「嬉しい嬉しい」と身体で表現してほしいのに、「あら帰ったの?」と言う感じで出迎えられるのは面白くない。そこで「ラナ、帰ったぞ」という。 ラナは夫が着替えを始めるとそっと伺うように上目遣いをしてもういいぞと判断すると近くによって前傾姿勢になって尻尾を振り、遊ぼうと誘う。 夫はそこでもう負けてしまう。 さあ、走るぞと狭い室内を逃げる振りをするのだ。 そこからがゲームの始まりで夫が逃げる。 ラナはぴったりと後ろについてフォックストロットで追いかける。 私はそのフォックストロットで走るラナの姿が大好きだ。 何しろ優雅なのだ。心持ち肩をゆするようにしてまっすぐ前を向いて同じ歩幅で進む。群れのボスの後を追ってる感じでとても嬉しそうだ(笑) 残念ながら夫はその姿を見ることは出来ない。 だって私を相手には、その遊びはしないからだ。 やはり犬は賢いのかもしれない。ちゃんと人を選んで自分がしてほしいことをしてもらってるもの。
6時半に一時目覚め、今日は早起きしなくていいんだと、又目を瞑る。 あ、そうだ、ごみの日だったと目を開けたのは7時20分、遅れたかもと思ったけれど何とかセーフ。 その起き掛けのときの夢がまたまたいやな夢。 私は何か団体の旅行に参加してた。 みんなの後に続いていつものようにバスに乗り込む。 私の前の人まで座席に次々に座っていく。私はと言うと座ろうとすると誰かの荷物が置いてあったりしてとうとうバスの前半分には座席はない。 仕方がないので、なぜか中央の広いステップの後ろのほうの座席を探す。 でもやっぱり荷物を全部おいてあって座れない。 ちょっとだけあいてるところがあったのでそこにとにかく座って様子を見ていると、後ろの座席にやってきた人たちは日本語ではない言葉を話す。 そこは韓国からやってきていた人たちの座席だったのだ。 仕方がないので中央のステップに立つことにした。 前のほうには現在の知ってる人が何人も座っていて、私のほうを見るのだけどだれもここへ来ないかとは声をかけてはくれないし、昔の知り合いもいるのだけどなぜか彼女は座れて私は座れない。 変だなあと思いつつ、はたと気がついた。 そうだ、この旅行は韓国に一泊二日だったのだ。 でも私は、パスポートも持ってきていないし、化粧道具はおろか着替えさえもない。いつもの布のトートバッグをぶら下げてきててそこには取り出すのを忘れたままの通帳が入っているのでお金は何とかなる。 けど、パスポートがなければ外国へはいけない。 心の中はあせるのだけど、顔はいつものように至極平静、添乗員らしき人に何て言おうかと一生懸命考えていた。 そのうちにバスは走り出し、私のいる場所に今度は雨が降り込んできた。 「もうすぐ、佐世保に着きますよ、準備をしてくださいね」と案内が入った。 「ねえ、私のところこんなに雨が降りこんで来てびしょぬれになってしまったんだけど」と、言うと「まあ、ほんとねえ、でももうすぐつくから待っていてね」なんて、のんびりした声で返事をされて、「それもそうだなあ、どうせパスポートもないことだし、いいか」と思ったところで目が覚めた。 なんて、変な夢。
金曜日のこと、陶芸教室からの帰りが遅くなった。 4時過ぎには帰る予定が5時を過ぎていた。ちょうど自宅への最後の角を曲がったところで夫がわんこを連れて散歩に出るのが見えた。 低い声で届くかなと思いながら「ラナ!」と呼んでみる。 どうやら耳に届いたようで、いきなり振り返ったラナはもう散歩気分はどこへやら、私のところへ一目散の様子。 夫はリードで引っ張られてやってきた。 もう、散歩は中止とばかりに私にまとわりつくラナに、夫はご機嫌斜め。 「俺はもう行かん、お前が行け」それで、結局私が行く羽目に。 おかげで、ますます夕食が遅くなってしまった(う〜〜ん、複雑、声をかけなきゃ良かった) 土曜日は姪の結婚披露宴。 唐津での泊りがけの招待だったのでラナはペットホテルへ。 そこでは可愛がってもらってるようで、玄関へ一目散に入って行き、中の部屋にも大喜びで入っていくし、預けやすくていいのだけど、ちょっとさびしい気持ちもする(笑) この日は風が強く玄界灘は荒れていた。 そんな海にはボデイボードの若者が数人、午後からの波が良かったのか次々に車がふえてきていた。 早めに着いた私たちは、みなが集まる前に露天風呂へ向かったが屋上の露天風呂はさすがに寒そう。結局大浴場に入る。 女風呂はちょうど西側に面していてガラス張り。 夕日が傾いていて浴場が金色に染まっていた。 はじめ一人きりだったので思い切り手足を伸ばして太陽を独り占めしてみる(笑) 式は本格的な披露宴とはちょっと違って、招待客の長い挨拶は抜きでおいしい食事を堪能し、カラオケが続く無礼講。 緊張なしのこんな披露宴もたまにはいいかも。 お礼代わりにデジカメと一眼レフのカメラで新郎新婦をとりまくり。 出来上がった写真はまあまあだったので、これから編集してプレゼントするのだ。 唐津からの帰りに”雷山千如寺”に寄ってみる。 もともと雷山神社に行きたかったのだけど、よくわからないまま行ったので、千如寺のことだったのかなと一人合点したのだ。 ここは中に大きな観音様が住んでいらして、拝観料を払えば誰でも見せてくれるのだ。その観音様は4メートル63センチもあり鎌倉時代の作だと言う。特に信仰深くないものでも思わず手を合わせたくなる像だった。 庭には400年と言う楓の大木があり日本庭園が見事だった。 ただ、後になって知ったのだが、私がもともと行きたかった雷山神社はこの千如寺のもう少し上だったのだ(残念)
昨日のことだが、久しぶりにデパートへ行った。 ボジョレーヌーボーの試飲に出会えるかもという気持ちを頭の隅っこにおいてデパ地下に入ったところで案の定人だかり。 そっちを見ると、あった、あった、3種類のワインを勧めてくれていた。 今年のワインは最高だと前評判が高く、飲んでみたい人たちの試飲欲をそそっていたし、あまりに試飲しすぎて酔っ払った人もいたようだ。 私も友達と一緒に試飲。 「う〜ん、やっぱり今年のは香りもいいし、若者みたいなすっきりした感じでおいしい・・」 なんて、とても口に出しては言えないけどボジョレを口にしたというだけで、ワイン通の仲間入りをしたようでちょっぴりいい気持ち。 で、なぜデパートに行ったかというと、明日姪の結婚披露宴がある。 平服で出席をと言う通知が来たのだが、着ていく服がない。 昔の洋服で行こうと思ったがウエストサイズがどうにも合わなくなってしまっていた。それで何か適当なスカートをブラウスを探そうと思い立ったのだ。ちょうど「せいもんばらい」があっているし安いのを探してみようと重い腰を上げたのだ。 数年前から、服を買いに出ることがなくなった。 普通サイズの体型だと何にも苦労がないのだけど、りんご型なので何を着ても似合わない。それでおしゃれに臆病になってしまい、素敵なドレスなど目をそらして通り過ぎる。 何かセレモニーがあると、「なんとかせねば」って思うのだけど・・・・ プリーツスカートとニットのブラウスを買ってきた(疲れた)
昨日夕方になってパンが焼きあがった。ちょうど夫が帰ってくる5分前。 まづかったら早く処分しなくてはと焦り気味だった私。 二次醗酵の具合がまずまずだったので、ちょっと期待していたら、まあまあの出来上がり。型が粉に対して小さめだったようで、下のほうにわずかにふくらみの足りない部分があったが、「食べれる食パン」が出来上がった。 一番喜んでいたのは我が家のわんこ。 それを見た夫が、「おお、ラナが喜んでるわけだから食べれるってことだ」と、いかにも「どれどれ」と手を出す。 「これから、遅出の日の朝食のパンはこれで行こう」と言うと、「まあいいけど、出来損ないは食べないからな」となぜか胸をそらしておおいばりの返事が返ってきた。
あちこちのおいしいパンのサイトを見ていて急にパンを焼いてみたくなった 粉とイーストと無塩バターを買い込んできて仕込んでみた。 さあ、どんな結果が出るだろう。 その昔よくお友達と集まってはロールパンやソーセージパンを焼いてはおしゃべりしていたのだが、それこそ大昔のこと、今となってはレシピを見ながらの作業となる。 真紀子さんが民主党と手を組んだというニュースを見る。 又国会やその他であのものすごい破壊力を持って旋風を起こすんだろうな。 たまにでよいからやさしい顔を見せてくれるといいのにと思ったりする。
眠ろうと目を閉じた直後、瞼の裏に自分が見えた。 それもなにか動物園のようなところ、トラのオリの中かあるいはサル山の檻の中のコンクリートでできた岩の上に立っていた。 誰かがあぶない、早く出なさいと叫んでいる。 なぜ、私はこんなところにいるのと、びっくりして閉じた目を開けた。 一体なんだったんだろう・・・ アフガンで井戸掘りをしている中村医師のに米軍のヘリが攻撃してきたそうだ。 もちろん間違いに違いないが、「間違いです」で済まされることではない。 たまたま怪我がなかったからよいが、危険なところで命がけでやってる仕事を米軍に脅かされるなんて許されない。 ペシャワール会のアドレスをおいて置きます。 ぜひ、一度ホームページをたずねてみてほしい http://www1m.mesh.ne.jp/~peshawar/
土井さんが党首を辞任した。 私は別に社民党ではないのだがある時期土井さんには羨望のようなものを感じていた。 社民党は社会党時代には炭鉱や地区労、国鉄など組織に労働組合を次々と作っていき、労働者の味方として華々しく活躍していた。 でも、この頃会社にやってきていた地区労系のオルグはただ大声で怒鳴るだけで大嫌いだったけど。 私の父親は国鉄職員だったので、選挙のときは社会党に投票していたし、母親は地域の付き合いだといって自民党に投票していた。私はというと、会社が繊維産業だったので、その頃あった全繊同盟の関係から今はなき民社党に投票して、今思えば家族がそれぞれの党に公平に投票していたことになる。(考えてみるとちょっとおかしいが) 土井さんが始めて登場してきたとき、「ああ、女性もやっと自分の意見をはっきりといえる時代が来たんだ」と、感動したものだった。 たしか大学の教授だったと思うが、そこを潔く辞めて政治の世界に飛び込むなんて、なんて素晴らしいと・・・ そのうちに党首になって、マドンナ旋風を起こして、若々しかった土井さんが衆議院の議長になってしまった。 そのときは、「ああ、ちがうなあ、女性の代表としての土井さんのままでいてくれたほうがいいのに」と思ったものだ。 そして、私にとって羨望だった土井さんはいなくなったのだ。 そのごは、社会党は社民党に変わり、どんどん小さくなっていった。 多分、このまま消滅していくのだろう。 でも、土井さんには女性の代表としてこれからも活躍してほしいと思う。
ヘアケア製品のコマーシャルで女の子3人で「もっとモテルかも・・」ってやってるのがある。あの女の子達はもちろんモデルさんだと思うけど、今良く似た子達がとても多い。 スーパーのレジのバイトの子(多分バイトだと思う)が、気がつくとずら〜と3人くらい同じで見分けがつかないし、街角で歩いてる子達もやっぱりよく似た子達がつるんで歩いている。 今の女の子ってスタイルいいし、歩き方も颯爽としてるし髪は長くして風になびかせている。以前も髪の毛の長いスタイルがはやったが、重い感じだったのが今はすごく軽い感じの髪に変わっている。 けど、「みんなおんなじ」ってところはやっぱり違ってない。 もっともどの世代でもやってきたことだけど。
急に寒くなってきた。最近お天気がむちゃくちゃ。お天気の神様も気まぐれなのか・・・ 今、撮りためた写真を何とか判り易く整理しようと躍起になっている。 もう半年以上も前にあげるねと約束していたアルバムにやっと手をつけたら、急にやる気が出てきたのだ(笑) デジカメにそのときの画像ファイルがきちんと入ってると良いのだが初めの頃のはただただ、写すだけで日付など途中で何にも入ってなかったりする。 そんなときは記憶だけで分類するのだけど、関係ないものが入ったり、すっかり忘れてしまったりしている。 できれば普通の写真もスキャナーにかけてアルバム保存にしたいなどと途方もないことまで考えているのだけど、出来上がるまでに一体何枚のCDを無駄にすることかと頭のどこかがささやいている。
70代くらいの方たちがゲートボールを楽しんでいた。 そこから大きな声が聞こえてきた。 男性「夕べは選挙速報を見ていたらなんと2時半になってしまったよ」 「山崎拓も落ちたし、大田も落ちた、その上土井たか子も落ちたなあ」 女性「ああ、あの二人は落ちると思うとった」 女性B「うん、私も」 女性「山崎は顔も見たくない」 女性B「ああ、そうそう、問題あるもんなあ」 この会話は、山崎さんの選挙区ではないし、もちろん大田さんの選挙区でもありません。 やっぱり女性を敵に回すと大変なことになるんですね。
出ずっぱりの三日間が終わった。「疲れた」 信州から”王林”という名のりんごが届いた。青くてほんのり赤みが頬紅のような感じでさしている。今年も、早やりんごの季節がやってきた。 一昨日は友人がお箸で食べる”欧風会席”をご馳走してくれた。 おいしい白ワインを飲みながら、柔らかいお肉を口に運ぶ。 ああ、こんなお肉一体いつ以来だろう・・・・カメラ持参だったことを 思い出したのがきれいなデザートを見たとき。 メインディッシュの頃は猛烈におなかがすいていてすっかり忘れていた。 今我が家では、かぼちゃにジャガイモ、大根が毎日のように食卓に乗っている。ちょっと休憩を挟まないと辛いかなと思いながらも、昨日はかぼちゃのスープ、今日は、ジャガイモたっぷりのシチュー。端休めには大根の浅漬け。明日からはりんごも登場することになる。 北海道のかぼちゃの甘さはほとんどお菓子、お砂糖に近い。 ゆでてすりつぶせば調味料などミルクとほんのひとつまみの塩で他は何もいらない。思い出せば昔、友人たちはストーブにお鍋をかけてコロコロに切ったかぼちゃをゆでて、そのまま食べていたっけ。 食べ物はそれを口に含むと一瞬で心をいろんな場所や時代にに誘ってくれる。 幸せな思いで食べたものはいつになってもそれを口に運ぶとき幸せをもたらせてくれる。
先週の土曜日映画の日に見に行った。 若い人たちにはあまり人気が無いようで場内は中年くらいの男女が多かった。 ハリウッド的で涙を誘う場面も多く、一言で感想を言うなら面白かったし、手に汗を握ったし、ハンカチを取り出しそうになったことも数箇所あった。 でも、やっぱり今の時代と比べてみてしまう私がいて、その私は心がさめてしまっていた。 過去にアフリカで部族間の争いがあってその国は結局むごたらしい殺し合いになり、ものすごい数の難民を生んでしまった。 それをヒントに作られた映画と思うが、現地で医療活動をしている女性を米兵が救い出しに行く。命令では救助するのはその女性一人でアフリカ人は含まない。しかし、女性は一人では逃げないと言う。 救助チームは彼女の意見を聞く振りをして途中までアフリカ人を連れて行くのだが、ヘリには女性だけを乗せ飛び立つ。 しかし途中で急に考えを変えアフリカ人も救出することになる。 そこからがまさに地獄の中を進むことに。 同じ人種なのに、部族が違うだけでむごたらしく、実にむごたらしく殺していく部族。その場面に出会うごとに、救出チームが人間愛に目覚めていく。 といったストーリーなのだが・・・・・ 私の心の中になぜかカスター将軍の騎兵隊が突き進んでいくシーンがずっと付きまとっていた。現代の西部劇という感じがどうしてもぬぐえなかったのだ。
今日は我が家の愛犬の2歳の誕生日。 我が家にやってきてから毎日が、犬中心になってしまったくらいにしっかり根付いてしまった。 シャンプーのときはなぜか早めに察知していて、昨日などは夫がお風呂に入ったとたん、ケージの中でぶるぶる震えていた。 初めの頃はちっとも嫌がっていなかったのに、なぜか前回からとても嫌がっている。さては何か、いやな事でもされたかと思ったが原因は不明。 シャンプーが終わると大好きなドライヤーの時間になる。 なぜか家のわんこはドライヤーが大好き。 ドライヤーを見たとたん、早く早くと飛びついてせがみ、顔を差し出し、 背中の段階になるともう至福の表情を浮かべる。 写真に残したいくらいだ(笑)
19歳の少年と16歳の少女がお互いの家族を殺して二人だけで暮らしたかったという事件に衝撃を受けている。 同じように両親が2歳の子供を大やけどをしてるのに死んでもいいと思ったと放置して死なせてしまった事件にも大きなショックを受けた。 報道を見ていくにつれ感じたのだが、先に行動をおこしたのは少年だけれど、本当にやりたかったのは少女だったのではないか。 親を殺そうという気持ちがいつから沸いてきたのかはわからないけれど彼女は本当は自分が死にたかったのではないだろうか。 自分の死にたい気持ちと、やっぱり死ねない気持ちが心の中で交錯して行っていつの間にか親を殺そうという方向に進んで行ったのでは。 少し前に自殺志願者や未遂の人たちを治療する病院のドキュメントを見た。 そこに入院していた女性は語っていた。 「私は、自分がこの世に生きていても何にも役に立たないのではないかと思うのです。娘がいてその娘に家事を頼んでも彼女はやってくれなかったし、夫は私の話など何も聞いてはくれない。それはつまり、私があまりにもだめな人間だからで、彼や彼女が悪いわけではない。私がこんなにだめな人間だから、私の言うことなど何も聞いてはくれないのです。何にも役に立たないのであれば死んでしまうほうがいいのです」 彼女の自殺は、うつ病から来たものだったのだけど、その原因は自分に自信がない。いつもいつも自分はだめな人間だと思っていたからのようでした。 でも、この彼女と私との違いはなんだろうと思ったのです。 私も今でも、よく思う。 何にも役に立っていないのではないか。生きてる意味ってなんだろう。 でも死にたいとは思わない。死んだら誰かが悲しむとかいうのではなく、はじめから死を考えることなどない。 この女性は病院の医師と娘とに会話を通じて心を開き退院していきました。 夫との関係は難しい部分があるけれど、周りで誰かが自分を待っていてくれるとわかっただけできっと生きていけると思うし、そうなってほしいとつくづく思ったのです。 そこで、少女に戻るのですが、この少女には話を聴いてくれる医師が本当は必要で、この少年ではなかったのではないかとそんな気がします。 この二人とその家族は、これからどうして生きていくんだろう。 救われてくれるといいと思うのだけど・・・
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