日々の思い

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浅見探偵の連載小説が終わる。 サリン事件のむなしい終わり。
2003年10月31日(金)

西日本新聞(朝刊)に連載されていた小説が終わった。浅見光彦探偵の物で北海道は小樽から始まり、下関までをつなぐ。昔私たち親子が転勤のときに乗ったフェリー「すずらん」なども出てくるし、毎日朝一番に新聞を取りに行き、まずは小説を読んでから、その日が始まっていたのだが・・・
とても楽しかった。

サリン事件の麻原は、とうとう一言も言わずに1審が結審した。
弁護団は無罪を主張して終わった。これほどむなしい裁判て他にあるだろうか。日本中を恐怖に陥れ被害者は数知れず。
7年もの時間を費やし、本人は一言もしゃべらず。弁護団はむなしく無罪を唱えるだけ。判決が下りて後控訴してまたまた長いむなしい日々を送ることになるのだろうか。


IEの入れ替え。 掲示板で思い出したこと。
2003年10月30日(木)

ずいぶん前からアプレットを使ってるホームページに行くと突然接続が切れてしまって悔しい思いをしていた。ウイルススキャンを常駐しているとどうしてもだめなので、気がついたときは前もってスキャンのところを消してから行くようにしていた。でも、何しろ不便なのだ。
そこで、一度IEを入れなおしてみることにした。

夕方から始めて、2時間くらいもかかったろうか。
以前にも試したことがあったけどどういうわけか動作が不安定になるので結局削除してしまって今に至っていたのだ。
けど、今回はどうやら成功したようだ。
アップデートのところで何回やってもできずにいた項目も全部できたし、スキャンをオンにしたままでアプレットのページに行ってもちゃんと表示された。以前のは多分私のやり方が間違っていたのだろう。
これで、消化不良に悩まされずにすみそうだ。

あちこちのホームページに出かけてたまに親しい方と会話をするのは楽しい。
我が家は子供たちが遠く離れて住んでいるのもあって、我が子と同じくらいの年齢の方の日記を読んでは懐かしく思ったり、なぜかほっとしたり、妙にうれしかったりする。

「釣りしている側を二人の息子さんがお母さんをはさんで 
歩いていたのですが、何故がひばりさん親子を思いだしていました。 
私も、何時か大きくなった息子たちと静かに散歩など出来れば幸せだなぁって思ってみたり。」と、掲示板で書いてくださったRitukoさんありがとう。

この文章を目にしたとき心がとってもほっかりしたのです。
そういえばそうだったなあて思ったのです。

我が家は子供たちが家にいた頃は、出かけるときはいつも4人一緒というのが普通だった。それを不思議なことと思ったことなどなかったのです。
でも、いつの間にか別れ別れに住むようになって、4人一緒にいるのは数年に一度。今ではその時間が妙に落ち着かなかったり、照れくさかったりするのです。大人になってしまった子供たちに大人のほうが戸惑っているのですね(笑)




渡り鳥がやってきた。 選挙の行方
2003年10月29日(水)

昨日の夕方の散歩のとき池のガンたちが増えているのに気づく。
ニュースであちこちに渡り鳥が飛来したと言っていたが、私が毎日のように足を運んでいる池にもとうとうやってきた。
彼らの数はまだ少ないがそのうちもっと増える。そして来年の3月まで羽を休めるのだ。

選挙の看板があちこちに立てられ、候補者がにこやかに笑いかけている。
今回の選挙はどれくらいの人が足を運ぶのだろう。
ほとんどの選挙を棄権したことのない私だけど、一度だけ会場まで行って白票を投じたことがある。そんなことをしたって何の意味もなかったのに(笑)

73歳定年制とか、自民党員だった人が無所属で立候補するとか、興味あるところも多い。自分の住む国がどういう方向に動いていくのか、どんな季節を迎えることになるのか見届けたいと思っている。


前途にさえぎるものもなく転がるボール
2003年10月28日(火)

王監督が「歴史に残る」とコメントしていたが本当にそうだと思う。
ダイエーホークスおめでとう!素晴らしかった。

今日面白いものを見た。
私の住むところは一戸建ての団地なのだけど、もともと山だったところを削ってできているので全体が坂道になっている。
朝の散歩のときに団地の中を下から上に向かって歩いているとどの角から現れたのかサッカーボールが転がってきた。
それが私の横を通り過ぎどんどん下のほうへ一定の速度で落ちていった。
子供たちが遊んでいて置き忘れていたものが偶然に風に乗ってしまったらしい。同じ場所で以前に野球ボールが転がるのも見た。
拾えばいいのかもしれないけど、眺めているのが楽しくて拾おうとは思わない。1000戸ほどもある団地のちょうど中央あたりのまっすぐに伸びた道路に、たまたま人の姿もなく見えなくなるまで眺めていた。
前途に何一つさえぎるものもなく気持ちよく転がるボール、ボールに自覚があるとすれば止まりたいのかな、なんてひどく馬鹿なことを思い浮かべながら見送る自分にあきれてしまうのだが。


いいお天気の中でのピクニック(愛犬をなくした老夫婦にであって)
2003年10月27日(月)

昨日は最高にいいお天気。
海ノ中道の入園料も無料だったのでラナをつれてピクニック。
お弁当は簡単、おにぎりにつけもの、玉子焼きのおかずのみ。
昔は道路が混んで混んでいやになるほどだったのが、海の中を横切る道路ができてから30分で着くようになった。
途中、問題のケヤキをながめながらも、ロケーションはすばらしい。
カメラの電池をしっかり充電し、コスモスなんかを写してこようと弾んで行ったのだけど、肝心のメモリーカードが抜いたままで・・・・
仕方がないのでフィルム一体型の簡単カメラで写してみたけど、結果はどうだろう・・・

お弁当を広げたところで、老夫婦に出会った。
一月前にわんこに死なれたそうだ。

「とっても賢い柴犬でしたよ。交通事故にあってね、足を一本なくしたんだけど(変わりにステンレスの棒を入れていたそうです)そのときかかった病院の先生にこの子はとても賢い子です。痛いし、辛いだろうに泣かずにぐっと我慢してましたよ。と、ほめてもらったし、家の前が公園なので毎日連れて行くんだけど、入る前にね、ちゃんと公園の中を観察してね、自分の嫌いな犬がいたら、もう入ろうとしないんですよ。なぜだかわかりますか?足がそんなだから、意地悪な犬には対等に対応できないんですよ。寝るときにはいつもちゃんと枕をして寝てましね・・・」
「ちょうど10年生きて、亡くなりました。お葬式を出して、初七日を済ませてもうすぐ四十九日が来るんです。毎日、私たちと同じご飯を仏壇に上げて、そのご飯は後で公園のハトの所にもって行くんです。納骨できなくてね、今でもちゃんと家においてあるの。
元気な頃は、お父さんがもう87だからどっちが先に逝く事になるんだろうねと、話していたのに、わんこのほうが先に逝ってしまいましたよ。」と、話しかけてこられました。

見たところ70代半ばのお元気そうなご夫婦。
「もういちど、犬を飼いますか」などとはとても聞けなかった。

奥様が、ラナちゃんを見てると胸が詰まりますとご自分のお弁当から、玉子焼きを下さって、別れる時にご主人がニコニコしながら「長生きしなさいよ」と声をかけられた。この言葉は私の胸の中で大きく響いた。

2時間くらい歩き回って、帰ってきたのだが、ラナはあちこちで声をかけられ、なでられ草の上で寝そべって、人も犬もとっても気持ち安らいだ一日を過ごした。


フレーフレー ダイエー!
2003年10月24日(金)

今日も阪神に流れがあるような・・・頑張れダイエー!
しかし、球場の地鳴りのような声、声、すごい。

昨日は牛乳パックを使っての紙すきをした。
初めての経験だったけど、思ったより手順は簡単だった。
でも、パルプの量や、アイロンの当て方ひとつで出来上がりはさまざま。
奥が深いなと感動してしまう。


見たくない夢。「親はなくても子は育つ」
2003年10月22日(水)

夢って深層心理の表れとよく言う。
そして、うんなるほどと思う夢は良くある。
でも、これがもしそうなら・・なんて考えると自分が怖くなってしまうようなそんなすごい夢もある。
登場人物はまさに”そうそう”とうなづける過去の知り合いばっかり。
そこで何がおこるかというと・・なんと殺人事件。
それがもうリアルで、夢の中の自分の行動や逃げようのない追い詰められた心の中で思うことまでもはっきりわかるなんて・・・
こんな夢はいやだ。すごく後味が悪い。
目覚めてから前日に読んだ新聞記事とか、テレビのニュースとかを必死で思い出しきっとあの記事が心に残ってたせいだなどと自分に納得させる。

夢くらい、何か楽しい映像を見させてくれると良いのになあ。


「親はなくても子は育つ」
私は、自分自身は長女だったせいで、小さいときは母以外の周りの大人たちにずいぶんちやほやされて育ったようだ。ただ次々に妹たちが生まれたので母に可愛がられた記憶はない。
母に言わせれば、私は親よりも祖母や親戚のおばさんたちといるほうを喜んだので悔しくてつねってみた事もあるそうだけど。
昔の農家の子沢山の家庭は子供にかまっている時間などないわけで、子供は要領よく自分のしたいことをし、食べたいものを食べ、喧嘩をしたり、仲良くしたりしながら自然にいつの間にか大きくなっていった。

でも今の時代は、子供を少なく生んで全神経を子供に集中してしまう。
生まれたばかりの赤ちゃんの体重からミルクの量、育児書に書いてあるとおりでないと不安になる。私にも思い当たることはあるのだけど、少しでも他と違っていたりすると思い悩みより神経質に細かく子供を観察してしまうのだ。
そのときそばに話し相手がいれば問題は解決するが、そうでない場合、母親のほうが参ってしまうことになる。
自分の子供が一人とか二人ではなく、3人も4人もいれば、一人一人違うんだってわかるし、他の子に気をとられることになる訳で育児ノイローゼなんてことはなくなるんじゃないかなあ。
これからの世界が、誰もが行きたい大学にいけて、どこにでも住む場所が見つけられてなんてそんな夢みたいだけど、いい国になれば子供もたくさん産めるようになるのにな。



わんこの心にも悩みが。残ろうとする長老と引退した元総理。
2003年10月20日(月)

家のわんこは一時足をなめてなめて、とうとう顎まで赤く血がにじんでいた。やっとそれが治まったと思っていたら、ある日の夜、今度は尻尾が赤く血が滲んでる。はじめはどこかで怪我でもしたかと思ったが心当たりがない。考えてみると二日ほど私が留守をした。
どうも長時間一人にされるとさびしくて、自分を咬んだりしてるらしい。
普段から、ほとんど吠えないし、とにかくおとなしいので良い子良い子で来たのだけどもしかしたら、心の中に悩みがあるのかも(笑)

今は尻尾の傷も治ったけれど今度は首の辺りの毛が抜けている。
足で引っ掻いてるのだ。
皮膚病でもないのに、こんなふうに自分を傷つけるというのがもしかしたら一番厄介かもしれない。
それで、出かけるときは夫がいるときはできるだけつれて出かけることにしてる。けど犬連れでは行き先が制限されるし、いつも連れて行くわけにも行かない。
まわりからは大事にしすぎた結果だよと言われたりしてるのだけど。

けど、これって私のせいでなくわんこの性格だとおもうんだけどなあ・・・


藤井さんと石原大臣の喧嘩(適当な言葉ではないけれど)は、大きな問題をますます膨らませて、ますますこじれてきた。
大いに興味が増してきた人は私だけではないだろう。

先日の新聞に、元総理の村山さんと細川さんにインタビューに行った話が載っていた。二人とも同じように「もう引退したし政治とは関係なく生きてるから」という返事で、今の小泉政権にはまるで関係ないと答えていた。
けど、この二人が総理になった頃から何かが違ってきて曲がり角が始まってきたわけだから、関係ないって言うのも変だ。
それにまだまだこれからも頑張ってやりたいと言ってる二人の長老と比較してみるなんだかどっちもどっちだなあと思う。


こまつ座「紙屋町さくらホテル」 井上ひさし
2003年10月17日(金)

原爆を落とされる直前の広島が舞台。
「さくら隊」は移動演劇団。舞台に立つ前の最後の練習の場面。
団員は人数が足りないために補充されたメンバーは特高警察、日系2世のホテルオーナー、宿泊中の文学博士、天皇の密使他。

「すみれの花咲くころ」の歌声のなんときれいなこと。
暗い粗末なセットから伸びやかな歌声が流れたときの心洗われるような鳥肌が立つような感覚は本当にすばらしかった。
この時代にこんなに美しい歌があったんだと改めて思い知った感じだ。

敗戦の色は濃く内地決戦をするかやめるかぎりぎりの状態の今。
神宮という名前を持った日系2世に国家は名前を変えろといい、彼女の両親はアメリカで迫害され、彼女は日本で迫害されどこにも受け入れてもらえない。
博士の教え子はエヌオー(NO)について研究していた。
世界中の言葉で「いや」という言葉には「NO」が含まれているという。
その彼が最後に敵に向かって飛び立つ日に書いた日記は、手帳の最後までびっしり「おとん、おかん」と繰り返し繰り返しかかれていた。

内容は、つらくかなしく、涙があふれてくる。
私には土居裕子さん演じる神宮淳子さんがとてもすばらしいと思った。
全体が膨大なせりふと、たまにコミカルなダンスが入り、ふっと息抜きもある。
見終わってすごく疲れたのだが、あの「すみれの花咲く頃」の歌声はいつまでも私の胸から抜けることはないだろう。


「一瞬の光」白石一文  角川文庫
2003年10月16日(木)

あとがきがないのだけど帯が「村上龍」になっていてこう紹介されている

「この小説は、絶望的に弱者の側に立とうとする人間を描いている。それが楽観的過ぎる思い込みか、あるいは希望へとつながるものか、その判断は読者にゆだねられている」

大企業の人事課長橋田浩介は38歳。エリートコースまっしぐらでハンサム、仕事だけに生きている。その彼が男に絡まれている短大生中平香折に出会ってからなぜか彼女のことが気にかかって彼女の存在を心の中から消すことができなくなる。
はじめ大雑把に読み始めて途中でやめれなくなり、飛ばし飛ばし最後まで読んでしまう。そしてもう一度今度はじっくりと時間をかけて読んだ。

大企業の内部を書いた企業小説かと思ったほど政治家と経済界の内幕が手に取るように書かれている。献金の事実、父とも慕う社長の裏切りによる上司の自殺などなど、派閥間の抗争に翻弄され、その忙しい日々の中に香折が抱えた問題は日も時間も考える暇もないほどに入り込んできて彼を捉えて離さなくなる。
香折は幼いころから母と兄から暴力を振るわれつづけ、自分自身を汚いものと思い込んで生きてきた。誰一人信じることもできず、自分させも信じることもできず、愛することなど決してできない。

浩介には誰もが振り返るような美人で聡明、その上エリートの家庭で育った恋人がいる。その恋人とともに過ごしこの上なく愛されて、大事にされているのに心の奥にいつも泣いている香折が住み着いている。
香折はとうとう兄によって意識不明の植物状態になってしまう。
その時になって初めて浩介は自分の本当の居場所を知るのだ。

しかし、しかしだ。
浩介が駿河に一切をしゃべってしまい、その結果彼は死を選ぶ。
つまり駿河に引導を渡したのは浩介である。浩介は社長に対して辞表を出す前に駿河の写真に土下座を迫る。
このあたりまでは違和感は感じなかった。
でも、恋人の瑠衣が浩介に言う。
「父がいつも言ってたの・・・最後に走ってるときに横に男がいたら男に先を譲れって」
この小説の中の瑠衣はそれまで、最高の女性だと思っていた。
このせりふはあまりに違和感がありはしないか。古風すぎる。

それに、彼にはどうにも突き動かされるものがあってそのときには暴力だって振るってきた。香折に対して付きまとっていた男に、そしてカラオケで出会って絡んできた男に。それに同僚は容赦なく飛ばした。
そこまで冷酷にもなれる男が自分の居場所は香折の中にしかないと思う。
浩介は最後に香折を選んで、回復する見込みのない彼女を救う最後の手段として結婚届を出すわけだけど、そこにあるのは究極の愛なのかそれとも究極の同情なのか。

村上龍の言葉、思い込みか、あるいは希望へとつながるのか・・・
私には、もう少し何か良くわからないけれど消化不良的なものが残ってしまった。
この小説はデビュー作だそうだ。
つぎの作品をぜひ読んでみたいと思っている。



今のペット事情 我が家の場合
2003年10月10日(金)

動物病院に行くとおいてある雑誌が目に入る。やっぱり開いて見ずにはいられない。ぺらぺらめくっただけですごいなあと思ってしまう。
いまどきのペットは人間のお嬢様よりもおしゃれなのだ。
ふかふかのお布団に、それとわかるかわいいブランドの服。
果ては遊び用の滑り台とか、ペット用キャンピングハウス、などなど・・・
ただただ感心しながら、眺めているのだが、そのうちについ真剣になって読んでしまったりしている(笑)

昔の犬や猫たちは、ねずみ退治とよくほえる番犬が主流だった。
というより、そういうものだったはずだ。
それがいつのころからか、人間に守られる犬と、豪華な食事をしてただ美しく座ってる猫になり、今では着飾っている。

それだけ人が裕福になったせいなのだけど、やっぱりどこか変だなあ。

そういう私も、犬をほとんど子供代わりにしてるし、番犬というより人間に守られる犬にしてしまってるのだが・・・
そういう人の心理をすっかり、掌握してしまった我が家のワンは、気がつくと人の言うことを聴いてる訳じゃなく、自分がそばに寄りたいときにより、食事をしたいときにする。

でも、他人様から見ると、とってもおとなしくて、決して紐を引っ張るわけでなく、人に出会うとうれしそうにすりよって、吠える事もなく”ほんとにかわいいねえ”といつもほめられる。

結局は人間が、犬を守ってるというのではなく、もっとはっきり言えば
犬が人を上手に操っているということかも(-_-;)


薔薇が逝った日
2003年10月08日(水)

昨日倉庫の片づけをしていて何かにつけてお花を生けていたガラスの花器が割れた。この花器は私の青春時代を知っていた数少ない”もの”のひとつだった。約30年くらい前のもので適当に大振りなのでちょっと大目のお花を入れるのに、いつも使っていたのだけで、最近出番がなく倉庫に眠っていたのだ。ちょっと横のものを動かそうとしたとたん大きな軽やかな音を残して微塵になった。
こうして青春の思い出がまたひとつ消えていったと複雑な思いで眺めてしまったのだけど・・・これも私だけの歴史。


ちょうど一年前の今日、とても美しく咲いていた薔薇が力尽きて逝った。
人は生きていることをよく「生かされて在る」という言葉を使う。
だから逆の場合でも、その必要があったと。
それはそれで(死ぬこと)仕方がないのではなくて、その必要があったと。


その人がいるだけで、周りが幸せになるような、そんな人であればなおさら「生かされて在る」のではないか。
いつの時代でも、私たちは生きている限りいつかは、命の日が消えるときが来ることはわかっているのだけど、あまりに突然に理不尽なその日がくるのはつらい。
それでも私には思い出を追うだけで、何もできないのだけど。

そんなことをふと思っていた矢先、薔薇の花が届いた。
あの薔薇の人が心から愛した薔薇が。
それはあのころとおんなじ、少しも色あせないあの薔薇があった。
私はやっぱり何もできないけど、薔薇をなでながら涙しようと思う。

日光に輝く薔薇




おたるわいん ナイアガラ
2003年10月07日(火)

いつだったか長男が「お母さんにお土産」とワインのビンとお父さんにもと焼酎のビンを重そうに、大事そうに抱えてきたことがある。
息子の言葉だとこれは限定品だからおいしいよということだった。
早速その夜飲んでみたら、めったに口にしないアイスワインの味でとてもおいしい。甘口の白ですっきりしててぶどうの香りが強い。
私はそのワインがとても気に入った。
一度に飲んでしまうのはもったいなくて(貧乏性なのだ)数回に分けて飲んだ。その後もどこかに売っていないかとなんとなくお酒売り場で探してみたりしたのだが、どういうわけかお目にかからなかった。
それが偶然に見つかったのだ。
めったにそのお店には入らなかったので気がつかなかったのだけど、ちゃんとおいてあった。限定品ではもちろんなかったけれど。
その前に別の店で一本ワインは買っていたのだが980円という安さもあって早速買い込んできた。

よく冷やしてから一口・・おいしい。
あのときの味とは条件が違ったせいもあるから、微妙に違ってはいるけれど
うん、同じ系列だ。
今度からは、あのお店に行けば手に入るなと、すっかりうれしくなってニコニコとボトルに手を伸ばす私だった。


ニコニコ日記とそして最近よく見る夢
2003年10月06日(月)

「ニコニコ日記」大好きで見ていたがとうとう終わってしまった。
ドラマの最終回なんていつもたいてい裏切られて「なんだ、こんなだったら、見なきゃよかった」なんてことが多いのだけど、このドラマは最後までとても楽しませてくれた。

原作が漫画?だからか絶対にありえないストーリーと設定。
けどにこちゃんの博多弁のせりふと笑顔にナレーター。もう最高だと思った。現実にあんな子が我が家にやってきたら、けいちゃんみたいに天真爛漫には暮らせなくて毎日自分磨きに大変だろうなとあるはずのないことをつい夢想したりして一人、にやついたり、胸がつぶれるほどの悲しみを背負ったにこちゃんがいとしくて一緒に涙したり。
ドラマなのに、これからもけなげに自然に生きていってほしいなと本気で思ってしまった。

近頃またよく夢を見るようになってしまった。
特別疲れてるわけでもなく、悩みに打ちひしがれてるわけでもないのだけど、何度も何度も寝返りをうって寝言を言ってるのに自分で気がつく。

先日の夢はひとつ終わったあとに、続きなのかなんなのか・・
そこは、どこなのかおさない子供たちがたくさんいるところにきていた。
私とほかに知り合いが二人。子供たちと遊んだり、寝かしつけたりしていよいよ帰りの時間がやってきたのだけど、二人の子供(女の子)が私からどうしても離れようとしない。小さいほうのおかっぱの子供は特にわたしにぴったりと前から抱きついていていくら言っても離れようとしないのだ。
連れの人から、この子達だけをそんな風に特別にかわいがったらいけないのよ。問題がおきちゃうよと、注意されるし、もう変える時間なのにとせかされる。そこにはお布団を敷いてあって、子供を寝かせたら帰る約束になってるのだ。それで何とか寝かしつけようとするのだけれどその子は別れがつらいのでどうしても寝ようとしない。困り果てながらも何とか寝かそうと背中をなでながら気が焦ると言う状態で目がさめた。

この夢がニコニコ日記と関係あるとは思えないのだけど・・・

それにこの二日間は猫や犬が出てくるのだ。
前の日の夢の内容は忘れてしまったけれど、猫がやっぱりいたし、
夕べの夢には3匹も出てきた。
ラナを散歩中に紐が離れて、2,3メートル先にラナが待っている。
近づこうとしたとたん、十字路の3方からかわいい子猫たちがラナを取り囲むようにして寄って来た。
「大変」・・威嚇してる様子はないのだけど、いったいどうなるのと思った瞬間ラナがこちらをいつもの「どうしたの?」という目で見た。
そのとき私はやっぱり大声を出して目が覚めた。
時間はちょうど4時ころ。5時までは寝てようと布団の中でじっとしていたのだけど・・なんで、こんな夢をみたんだろう。
夢なんか見ないでもっとぐっすり眠りたいのに。


朝日のもつ力
2003年10月03日(金)

先週の土日は恒例の味噌作りを手伝いに田舎へ行った。
北海道の友人が福岡に来ていたのでちょっとだけ顔だけ見てそれから佐賀に向かったので着いたのはお昼過ぎ。
いつものように母はもうほとんどの作業を終わらせていた。
残ってるのは一回分だけ。けど、後片付けくらいは手伝えたのでよかったとしよう。もういい加減自分で作ってみたらどうだと夫はたびたび言うのだけれど「まだやりかた、覚えてないから」と、私は実家で母が作ってくれるのをもらいに行く。
母が自分で作ることを生きるヨロコビとしてる以上、これだけは夫には譲れないとひそかに心に誓ってるのだ。

その夜、猫たちが外に出たまま戻らないので弟夫婦が探しに行った。
私も外に出てみたら、星ぼしがなんと大きく瞬いていること。
どうして田舎の空はこんなにきれいなんだろう。
高い台地でもないのに我が家から見る星とは大きさまでもが違っている。
その夜、猫たちはとうとう家には戻ってこず庭先で一晩を過ごしたようだ。
弟夫婦には申し訳ないけどそのおかげで私たちはぐっすり眠れた(猫たちは客がいるとどういうわけか夜中に大騒ぎで走り回ったり、座敷の中に障子を破ってダイビングをするのだ)

翌朝、日の出のころに散歩に出た。
ちょうど高速道路の下に朝日がのぼった。
ああ、大きくてきれい・・・
カメラを向けたけれど高速道路に半分隠れてしまうので、もう少し先まで走って摂ろうと歩く速度を速める。
もちろんラナは大喜び、広い農道は前をさえぎるものはないわけだから、ほとんど跳ねるように走る。
線路の近くまで着くともう朝日はかなり昇ってしまったけれど、カメラを向けシャッターを押す。(自画自賛だけれど、この写真は家に帰ってからパソコンで見ると実際に見たときよりも写し手の気持ちがこもっていい写真になっていた)
朝日には何か特別の力があるような気がするときがある。
たまに、ひき篭り的な気分になってるときに、さえぎるもののないところで見る朝日はとてもやさしくてひび割れた田んぼに染み入るポンプからの水のような、栄養と力を与えてくれる。
これは多分夕日では得られない。

こんなことを感じで帰った翌日、新聞に引きこもりの人に朝日を見せることで社会復帰の道が開けると、取り組んでいるところがあると載っていた。
やっぱり私が感じたあの優しさは本物だったのだと思い、同時に私もひき篭り的な要素を持ってるんだなと二つのことを同時に確認した(笑)




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