「おかあさん、今までの部屋はやっぱり狭いから3間あるところに引っ越すことにしたよ。それで契約書に印鑑が要るんだけど・・・・」 「え、そんなこと急に言っても、家賃やなんかいったいどうするの」「あんまり変わらないんだよ」「でも・・」といったところで目が覚めたのです。 時計を見ると4時50分。なんだかいやな夢。 しっかり目が覚めてしまったけれどまだ早すぎるから、6時まで布団に入ってようと思い目をつぶっていた。しばらくして夢がどうしても気になり早めに布団から抜け出して階下に降りテレビのスイッチを入れた。 北海道に大地震発生。大きな見出しでキャスターが次々に説明をしている。 とにかく落ち着いて内容を把握しようとテレビに集中する。 激しい揺れのところには申し訳ないが、息子たちのところはどうやら大丈夫のようだ。でも、長男の部屋はコンクリートのしっかりした建築だけど荷物があふれているし、二男の部屋は荷物が少なくてきちんと整理されてるけど建物自体が不安がある。 なんともなければいいけれど・・・ やっぱり不安が募って6時過ぎに余震が来たあとこれ以上待てないと電話を入れた。 長男は、揺れたけど大丈夫、そんな変な夢見ないでよとあきれていたし、 二男のところは息子はいち早く職場へ出勤して、お嫁さんが怖かったけど一応大丈夫だという。 ほっと胸をなでおろす。 こんなときやっぱり離れて暮らしていると、もどかしいと思う。 すぐにと思っても間に合わないもの。 昼から出かけて帰りが遅くなり夕方遅くなってからの散歩に出た。 50メートルくらい先に猫がいた。その猫はいち早くラナに気がついて塀の上に飛び乗ったので、大して気にもしないでそこを通り過ぎようとした。 すると「ぎゃー」というような叫び声をあげながらその猫が塀の上からラナの上に飛び降りたのだ。 ラナは、びっくりしたが相変わらず無言。 私はもうびっくり、思い切り大声で「きゃー」と叫んでしまった。 暗いので周りに人がいたかどうかわからないけど、そこの家の人には聞こえただろうな。ああ、あんなに驚いたことはなかった。 さいわい、誰も怪我はなかったようだけど、猫はいつまでも威嚇をやめなかった。 わたしは、びっくりしても声を上げるよりすくんでしまって叫び声なんてあげたことはない。 でも、ちゃんと声が出るんだななんて、妙なことに気がついたりしている。
先週は毎日のように出かけていたせいか、ラナが足を異常になめるようになってしまった。 どう調べてみても怪我したところも何かができてる様子もない。 しかしあんまりひどいので、一昨日病院に連れて行った。診察の結果はやっぱり何も問題ないということだった。 一人ぼっちの時間が多すぎてストレスになったのか、先生はもしかしたら小さいときに何か怖いことがあってそれが強迫観念となってしまったのかもとおっしゃる。 そこで、方法としては、足にレモンを落とすなり、アロエを塗るなどしてなめたら苦かったりすっぱかったりすればなめるのをやめるようになるかもしれないとのこと。 一昨日はそのままお墓参りとか実家に連れて行ったので、たくさん散歩に行ったり車に乗ったりで緊張してる時間が多くて、足なめはやらなかったのだが、昨日からまた初めて、口元をよく見ると下あごが赤くなって血が薄くにじんでいる。夜中にまた一生けんめいになってやっていたのかもしれない。 そこで今朝は遠くの公園まで連れて行って散歩をして、お昼からはお友達の家に連れて行きそのまま散歩に行った。 緊張してよそのお宅にいるときは、やっぱりなめないし、散歩中は喜んで歩いているし、疲れると眠っている。 でも、家にいると突然足なめをはじめ夢中になると、どんなに気を惹いてみても気が済むまでやめない。 今夜は足にアロエを多めに塗っておいて様子を見ようと思っているのだが・・・ でも、あごの皮膚が薄くなるまでやめないなんて・・・一体どうしたらいいんだろう 東京の病院でがん治療のお年寄りが手術中に大変なことになり一ヵ月後になくなったというニュースが流れた。 この医師たちは、患者を人体実験に使ったといってよい手術の仕方だったようだ。このところ、いろんな事件があるけれど、この事件は人として最低のことだ。医は仁術だとずっと信じてきた私たちに今の医学は裏切りをするのだろうか。どんな時代であっても医者は絶対に聖職であるべきで人を裏切る治療など医ではないはずだ。
お昼過ぎにチャイムが鳴ったので「はい」とインターホンのカメラを覗いた。 姿が映ってないんだけどと思ったけれど、「ご近所に工事のことで来ました」という返事。何か変だなと思いながらもご近所が壁塗りでもされるのでその挨拶をしに業者の方が見えたのかもと玄関を開けると手にしたパンフレットを間髪をいれずに差し出した。 ついオウム返しのように受け取ってしまう。 すると「玄関の壁をとんとんたたきながら、お宅は塗り替えたばかりのようですね、まだきれいだ」という。 そこではじめて受け取ったパンフレットを見ると、みのもんたさんがにこやかに笑っているあの、会社のパンフレットなのだ。 「ちょっとご近所周りをしてるものですから」といいながら、「すみません。ではまた」「あ、おくさん、ここ水が漏れてますよ。」と、風呂場のほうを指差すのです。そこには水漏れなんてあるはずもないところだし、玄関での感じに気分を悪くしてた私は、「どこですか、家回りはいつもちゃんと点検を受けてるから水漏れなんてありませんよ」と、応じると「ほらここですよ。ここ風呂場でしょう、風呂場と壁の間に水がしみてますよ。お宅の風呂場タイルでしょう」というのです。 「いいえ、家はタイルではありません」というと「あ、そうでしたか。ユニットバスですか。でしたら、大丈夫ですね。このシミはきっと雨があたったか何かしたんでしょう」と、まるで捨て台詞状態で後ろ向きに出て行きました。 彼はいったい何が言いたかったんでしょう。 風呂場の壁についてもいないシミがついているといって、それにそこのうちの人が動揺するようだったらそれをいいチャンスだとリフォームの話をするつもりだったのでしょう。 もう3年くらいも前になるのだけど、この会社の人が以前にも同じ方法で来た事があります。そのときは、もう一度戻ってきてほとんど脅しのように「このままにしておいたら、家はどんどん腐っていって取り返しがつかなくなるよ」と言ったのです。 我が家はちゃんと定期点検を受けてるのでよその業者からこんな風に言われても動揺はしないけど年取った老人だけの家で、もっと怖そうに脅されたらやっぱり「それじゃ見てください」なんて言ってしまうかもしれないなあと思ったものです。
昨日21日、阿蘇で開かれた南こうせつ「アスペクタ音楽祭」に行った。 某眼鏡屋さん主催の野外音楽祭だ。今年でもう7回目だそうで今回のゲストは「さだまさし」「ムッシュかまやつ」それに「チキンガーリックステーキ」 阿蘇連山に囲まれた平原に設置された大野外音楽堂に集った人々は2万人以上。熱心なファンは前日から並んで待ったという。 懐かしきフォークの世代、澄み渡る空に澄み渡る歌声、のんびり寝転ぶ人あり、ススキの野原で走り回る子供たちあり、熱心に星やふうせんを振る人あり。 天候ははじめ曇り、開演のころはなんと、ピーカンの青空、ジャケットをシャツを通して背中の一点にまるで、凸レンズを置いたようにじりじりと焼ける。じりじりという音が聞こえるほどだ。 その時間を過ぎるとさわやかな風が吹きはじめ、「いきてるって、それだけで悲しいことだねと知った」若かったあのころに戻り、それこそ、あんなこと、こんなこと、次々に浮かんでは消える。 きれいな声にすっかり酔いしれた。 カメラ持ち込み禁止だったので、正直な私たち二人、預け所に預けて入場したので山のすばらしい全景を撮れなかったことが残念だったけれど、心をすっかり開放して何にもない、空っぽの状態になって帰ってきた。 そのせいなのかムラサキさんのところで見つけた占いをやってみると次のような結果が・・・自分ではいつもストレスを抱えていてじっと暗く生きているタイプのつもりだったのに(笑) 心の空模様テスト http://girls.www.infoseek.co.jp/fortunes/skytest/ 常夏の楽園青空 ストレスのない解放的な生き方、感性豊かで情熱的なタイプ。心はまさに、南国の青い空のように晴れやか、そして湧きあがる白い入道雲。思い切り人生を楽しんだり、何かに夢中になったり、ハイになっている状態でしょうか。旅行に出掛けたくなっていたり、恋をしたくなったり、新しいことにチャレンジしてみたくなっているようです。パワーがあるので、たいていのことはうまくいきます。それに、周囲に人が集まってくる陽気さもあり、人気運に恵まれた状態! でもはしゃぎすぎてオーバーヒートすると、夕立雲が発生して、思わぬトラブルになることもあるので要注意!
いやいやながら町の集団検診を申し込みやっと受けてきた。 私はとにかく病院が嫌いで夫からやいやい言われてしぶしぶ出かけるというのがいつものパターンだ。 それで、もう何年もちゃんと検診を受けていなかった。 今回は受けれるすべての検診を申し込んで、3日くらい前から緊張してすごし(何しろひどい便秘症なので当日にちゃんと用意が整うのかどうか心配だったのだ)何とか準備も整って会場に出かけた。 基本検診に始まって、大腸がん、肺がん、肝炎、乳がん、胃がん、骨粗しょう症、眼底検査に心電図、ほとんど半日くらいの時間を使った。 乳がんの検診というのはもちろん初めてだったけど、一人の医師がやっていた。言うことなしに触り放題、と言えば申し訳ないけれど、そんな感じの触診、異常ないですよの言葉にもう絶対検診なんかしないやと心でつぶやき、 胃がん検診はといえば、発泡剤を飲みあのいやな白いどろどろの液体を飲む。台の上に載って右を向いてとか、左を向いてとか回転してとか、いったい何回回ったろう。もう絶対検診受けないからともう一度心に誓う。 骨粗鬆症は、ちょっと気になっていたので、どきどきと結果を待つ。 「年齢層の同じ人たちと変わらないレベルです。でもこのままでは将来危険なので運動や食事を気をつけましょう」 やっぱり、ちょっと不安になる。そこで今度は明日から、カルシュームのサプリメントを摂らなくちゃと心に誓う。 こんなわけで、今は結果待ちなんだけど、多分何もないと思う。 本当は毎年ちゃんと受けておかないといけないんだけどなあ
福岡市美術館にミレー展を見に行く ちょうど小学校の中学年のころだろうか教科書にミレーの名画といわれる「落穂拾い」や「晩鐘」が載っていたのを覚えている。 その当時私の家は農家だったので、稲刈りが終わると稲を干すために「稲小積み」というのをした。 そのときの子供の手伝いは稲束を抱えて三角錐状に積み上げる「稲小積み」のところへ運ぶことが主な仕事だった。 稲が身体のあちこちをちくちく刺してきてとてもいやな役目だったがその当時は家族中でやって、子供たちは貴重な労働力だった。 疲れてくると、積み上げが終わった稲の陰でこっそり隠れたり座り込んだりしてよくサボったものだったが・・・・ その仕事がすっかり終わったころは気候的に少し肌寒くなってくる。 農家では自分のうちの田んぼの稲を一通り積み上げると、あたりに落ちている稲穂がないか見廻って拾って回ったものだった。 それでもまだあちこちに残っていたりする。 その落穂を小鳥たちがついばみにやってくる。 そして、ほかにも町の人たちが何人かで連れ立ってやってきていたものだった。そして一粒一粒を丹念に拾って帰る。 子供だった私にとってそれは当たり前の初冬の行事であって、それ以上の何者でもなかった。それで、教科書に載っている「落穂ひろい」を見ても「ああどこでも同じことをするんだなあ」と、単純に思っていた。 今、年齢を積み重ねてきて同じ絵の前に立ったとき、私の心にそれはまったく違ったものに写っていた。 そこにいる農夫たちのなんと貧しいこと。 そして、なんとたくましく力強いこと。 この展覧会はミレーとヨーロッパ自然主義の画家たちの作品が展示されていた。そこにあった絵は、美しい女性たちや心和む景色ではなく19世紀の貧しくも力強く生きた農夫たちであり、シャツや靴がなくともたくましく生きている子供たちだった。 会場を巡って進むごとに生きるって、こういうことなんだと心に激しくしみこんできて瞼の奥から湧き上がってくるものを押しとどめるのにかなりの労力が必要になったくらい。 シャツはつぎはぎだらけ、つぎを当てる布さえなく破れたままのズボン、老女の手は太く節くれだっている。 しかしどの絵を見てもどこかに希望の光が差し込んでいて、力強いのだ。 なかでも強烈に印象に残ったのはヨゼフ・イスラエル作「嵐の後で」だった。 海のそばの家で嵐が過ぎ去った家のドアから海が見え、暗い空の一角に青い空と差し込む光、ドアの入り口にたたずむ少女と老婆、貧しいテーブルには幼い少年が座ってもくもくと食事をしている。 お皿に載っているのはほんの少しの食事、多分少年の分だけしかないのだろう。老婆の目はしっかり見開かれていて、絶望よりも働こうという気力が勝っている。 人が多く、なかなかゆっくり見れる状態ではなかったが久々に生きることの意味を突きつけられてさっぱりと胸を張っていたいと、いい緊張感で美術館をあとにした。
ずっと以前から一度連れて行きたいと思っていて、大げさな表現ながら昨日やっと念願かなった。 夫の職場が近くにあって、2週に一度朝1時間ほど仕事らしい?のに出かけるから、そのついでに散歩に連れて行きたいと思っていた。 暑さもそれほどではなくなったのでやっと昨日行ってきたのだ。 私のうちは山を切り開いたところにあるので、団地自体が丘になっている。 つまり道路がアップダウンが激しいので、散歩にもかなり体力が要る。 それで普通の平地の道路を歩くのってどんなに楽だろうと常々思っていたのだ。 大濠公園はたまに美術館に行く以外にはほとんど用がない、でも、そんな時ワンちゃんがいっぱい散歩してるの見ると「ラナもいつか」っていつも思っていたのだ。 ああ、やっぱりとっても楽だし、大きなお堀からの風もあって涼しいし最高に気持ちのいい散歩だった。 1時間歩いたって少しも疲れたって思わないし、それほど時間が過ぎたことさえ感じない。やっぱり平らなところっていいなあ。 それにほんとに最高の親ばかとしてもあちこちで「わんちゃんかわいいね」って言ってさわりにきてくれるって言うのもちょっとくすぐられるものがあったりするし(笑)なんと、15分くらいもくっついて離れなかった男の子もいたりして・・(笑) でも裏返せば、毎日ふうふう言いながら坂を上ったり下りたりしてることが足の鍛錬になったってことかも。
昨日10日に「アンネの日記」を見に行った。 舞台装置はアンネの一家とファン・ダーン一家が隠れ潜んだ部屋。 伊藤孝雄、奈良岡朋子、日色ともゑ、そしてアンネ役は花村さやか。 アンネは学校で「おしゃべりおばさん」といわれるほどのおしゃべり。 姉のマルゴーは物静かで成績優秀、母親にいつも比較されていて、そんな母親との関係は最悪。大好きなのはお父さん。そのお父さんが日記帳をプレゼントしてくれた。アンネは大きくなったら有名な人になりたいと思っている。そこで日記帳をもらったアンネは毎日のことを日記帳に話しかけるように書き続けるのだ。 アンネの話は有名なので多分世界中の人が知っている。 私も同じ、だけど考えてみるとお話は知ってるけれど本をちゃんと読んだことはなかった。 周りは狂気のような世界、支援者の助けを借りて2年もの間じっと暗闇の中で生きる家族。ファン・ダーン夫妻の夫婦喧嘩や途中から仲間入りした歯医者のデュッセルさんのわがままなど細かに日記に書いていく。 伊藤孝雄は物静かで知的、争いを好まない、そんなフランク役を彼のイメージそのままに演じて悲しみがこちらまでひたひたと届いてくる。 日色ともゑは、いつも悲しみをこらえていて、極限状態ではとうとう爆発してしまう。そしてアンネといい関係が結べないことを常に悲しんでいる母親役に徹しているが、若いときにアンネをやっている。 アンネはすばらしかった。 膨大なせりふを次々にまるでにじ色の噴水から清水があふれるように噴出させていった。 13歳から15歳までの2年間、普通だったらたくさんの男の子とおしゃべりしその中から恋も生まれるはず。少女が必ず通過する時期を「とても素敵なこと」と感じ、「今度はいつかしら」と胸を弾ませる。 同年代の男の子はといえばペーターだけ、ペーターとの間に恋が生まれても不思議はない。私にはペーターはちょっと物足りない気がしたけれど。 どんなに大人たちが絶望しても彼女は言う。 「人間は絶対に善だ」と、「空を見て、あんなに青くてきれい」「この時間なんて長い歴史の間の一瞬なのよ」 でも彼女も思うのです。「大人たちはいいわ。でも私たちはまだちょっとしか生きてないのよ。もっともっとやりたいことや知りたいことがいっぱいあるわ」と。 もう、連合軍がそこまで来てるというのに彼らは連行されるのです。 そして生き残ったのはフランクだけ。 フランクは最後につぶやきます。「アンネに恥ずかしい・・」と。 アメリカは2年前まで決してテロのない国でした。 なぜテロがないのかという意味を、アメリカという国は、先住民の人々のことは別にしてもともと世界中からの人々が移民して開拓して作り上げた国だから。あらゆる人種がお互いの人権を尊重しあって作り上げていった国だから。と私は信じていました。 でもあの2年前の今日のこと。たくさんの人が突然にわけもわからないまま殺されてしまった。 それからアメリカはすっかり変わって行ったのです。 アフガニスタンを、イラクを攻撃、大統領の言葉を借りれば攻撃ではなく、2国の人々を解放したことになるのですが。 アンネを見て、あの日のビルの炎上をテレビで見て、今また、追悼式が始まっていますが・・・今、改めて思います。 どんな名目がついていてもやっぱり戦争は間違っていると。
最近また、いやな夢を見る。 何か潜在意識があって、そのもやもやが夢の中で得体の知れないものを出現させているのかしらなんて、自己嫌悪に陥っていた。 あるときは土足のウサギが家中を泥足でかけまわり、捕まえようとしてもいかにも走るのを、汚すのを楽しんででもいるようにわざとすり足で跳ね回り、あるときはなにやら形を成さないぶよぶよした黒か、緑色の物体がねばねばとうねっていたりする。 そのつど悲鳴を上げたり、叫んだりしてうるさいと連れに起こされ、夢の続きを見ていたい私は、私なりに消化不良を起こす。そんな日々が続いていた。 昨日から、留守の間にかかってきていた電話が、今日もしかしたら夢のその意味を伝えてきたようだ。 私には、どうしてか予知能力があるのではないかと思ったことが過去に何度かあったのだけど、もしかしたら、それを予知していたのかもしれない。 あのウサギはもしかしたら、私を呼んでいたのかも・・・・・ 人にはいろんな生き方があるとは思うけれど、破滅の方向に向かっていることがわかっているはずなのに、それをやめることができないのはどうしてだろう。 それをたずねても、「あなたのように苦労のない人にはわからないよ」と、一言言うだけだろうな
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