最近ちっとも本が読めなかった。 正確に言うと、読もうとしても、頭がすぐに睡眠モードになってしまって気がついたら時間が過ぎているのだ。目覚めているときは真剣に眠らないように病院に行ってみようかと悩むくらい。原因のひとつは飲んでる薬のせいでもあるのだけど、それにしても眠い。どうすれば眠らずにいられるのだろう。 椎名さんの本はそんな私にとても優しく語りかけてくれた。 中で一番よかったのは「娘と私」 椎名さんのお家の中を窓の外からのぞいてるようなそんな錯覚を覚える。 娘の「葉ちゃん」の独特の言葉がまたいいのだけど。 息子の岳君が短期の留学に行く日の見送りのとき、あせる椎名さんを尻目に「大丈夫よおとうさん、だめだったら今日家に帰ってくるでしょう。ここでしくじっているくらいならあっちへ行ってもきっと大騒動だとおもうからこれがちょうどいいテストになるわ」という。 すごい娘だと思った。彼女のこんな鷹揚な所はきっとお母さん似なんだなあと感心しながら読んだ。 私にも、これくらいの鷹揚さがあったら子供たちもきっと違った風に育ったろうな。 椎名さんの奥さんという人は、すごく魅力のある人だ。 たくさんの不思議を持ってる人だ。 彼女は「人生のヨロコビと人生のシアワセは違うものよ」という。 このご夫婦はお互いを尊重しあってるがもたれあってはいない。 だからお互いに相手に自分を押し付けることをしない。 踏み込むべきでないところは決して無理押しして入ってくることもしない。 ああ、こんな夫婦が実際にいるんだなあと、読み進むほどに心が温かくなっていった私である。
息子(長男)がすばらしい人(歌手)を見つけたといっていつだったか電話してきた。そして絶対お母さんも聞いてほしいから、CDを送るからといった。 彼女は単にバイリンガルという程度の人じゃないんだよ。 本物の国際人だよと興奮してわざわざ電話をくれたのだ。 トップランナーに出演した彼女を見てすぐにCDを買いに走ったそうだ。 アン・サリーは、韓国出身で、日本で暮らし、現在アメリカでドクターをしている。 早速聴いてみた。 ボサノヴァ調の伸びやかで優しい声。 私はその中の「こころ」という曲が一番好き。 その一部・・・ 「わたしの こころは おちばです しばし おにわに とどめてください やがて風ふけば さすらい人 またもや あなたを はなれましょう」 ああ、こんな人生もあるんだよなあ・・などと妙に感傷にふけったり(笑) いろんなことに執着しない生き方ができたらどれほど楽だろうなどと 年齢をすっかり忘れて昼間の時間を犬とすごしたりしてる もしかしたら、息子は私にとんでもないプレゼントをくれたことになるのかも(笑)だって、その間主婦業なんてほったらかしだもの。 実は二男の部屋には夜中に霊のようなものが出没するといっていたことがある。息子だけでなく友人たちも何度も会っているという。 それで、先日泊まった時に、私は息子たちより一足先に熟睡モードに入ったのだが、夜中にふと何かの気配を感じた。 テレビの上が何色かに点滅を繰り返しており、CDから緩やかな曲が聞こえている。私はすっかりこれがその霊の仕業だと思い込んだ。 布団の上に起き上がって聞き耳を立てる。なんてやさしいつぶやき声・・ 不思議に怖さは感じない。かなり時間が過ぎたけれど、勝手に消しに行って何かあるといけないので、もうしばらく聞いていようと座りなおしたところで、長男が何かつぶやいた。 そこで大急ぎで声をかける。 「ねえ、ちょっと起きてよ。」「あれが、あの話に聞いたやつ?」 息子はきょとんとしていたが、そのうちに大笑い。 「お母さんが寝てからCDをかけたんだよ」 そのときにかかっていたのがこのアルバム、「Day Dream」だったのだ。 二男は、そういえば最近、あれ、来なくなったよという。
「今の若者」・・・もう、昔から使い古された言葉だけど、その時代、時代で変化してる。今の10代の少女、といっても十把一絡げではないけれど、同じように眉を細くし、肌を出したファッション、大きな何が入ってるのかわからないくしゃくしゃの袋を提げ、サンダルを引きずって雨が降っても傘もささず歩くそんなスタイル。 自分の興味のあることにはとても敏感で、それ以外にはまったくの無表情。 それでも、時に大人よりもある意味しっかり周りを利用して生きる術を身につけている。 そして、そんな子供たちの親世代・・・夫婦それぞれ車を持ち、夫は仕事に疲れ、妻は、子供に振り回され、我が子の奔放さに翻弄されながらもそれが今風なのだと納得する。(私が勝手にそう感じるのかもしれないけど) 次にそんなの親たちのまた親世代・・・・戦中に生まれ、高度成長の時代を自ら作り上げてきた世代。何もなかったところからあらゆるものをここまで自分たちの力で作り上げた自負と、その後のあまりにも早すぎる変わりように孫たちにどう接してよいのか戸惑っている。 近頃、その親世代(祖父祖母世代)の人と接することが多いのだけど、年をとるということはそんなことかもと、感じるときがある。 時に自己顕示欲がとても強くなるときがあるのだ。そんなときは周りが何を言おうと聞く耳を持たない。自分のいうこと「が正しい」、いや、自分のいうこと「だけが正しい」のだ。 私は自分の性格は、ある意味ずるいのかもしれないと思う。 争いごとになりそうになるとできることなら話題をそらしたり、気がつかない振りをしたりして、わざととんちんかんなことで済ましてしまう。 もしかしたら、これは私がベビーブーム世代にうまれ、育ったせいでこれもその時代性なのかも。
もうすぐお盆が来る。 去年までのお盆は夫の休暇が連休であったのでお墓参りに行くのでも、実家にお盆参りに行くのにも、さあ、お盆だという感じで行っていた。 そういう暮らしが二十数年続いていたのだけど、今年からはカレンダーどおりの休日しかない。 今年の場合、お盆がカレンダーの真ん中にあるわけだから、お寺に行くのにも実家に行くのにも、「お盆」という感じがしないまま、あるいは終わってしまってから行くことになる。なので、今、これまで感じたことのない奇妙なずれみたいなものがあってその「ずれ」に戸惑っている私だ。 数年前、この時期父が入院していて、毎日毎日、今日は何とか無事だったと時間単位で一喜一憂していたことがある。 その時にも今年のように台風が襲ってきた。 何とか持ち直したからと、いったん病院から引き上げてやっと自宅にたどり着こうとした矢先、急変したと電話を受け、あわてて引きかえしたりした事もあった。 お盆の13日には道路が冠水してそれでも何とかして病院までたどり着きたくてあちこち回り道を探し、やっと到着した。 実際には心臓が動いてるだけなのに、ちょっと身じろぎをすれば皆で喜んだり、悲しがったり、冷静に考えると生きてるといえる状態などではもちろんない。でも、母の気持ちを考えるとそれでも治療をやめてとは誰もいえなかった。父にとっては辛い時間だったろう。もちろん意識があるとしたらの話だけど。 そうして22日に父は亡くなった。 壮絶な死だった。母にとっても地獄の日々。 お盆の時期の台風はこの思い出がどうしても繋がっている。 母も、思い出して辛いだろうな。 夫は、その時期、何も言わずどんな場合にも車を出してくれた。
村井国夫、春風すみれのミュージカルを先週見に行った。 結婚から老後までの50年間?をたった二人で全編歌い踊る。 指輪を渡すシーンからベッドに入るまでのわくわくそわそわがコミカルでたのしい。ピアノが左と右に一台ずつおかれていて笑ったりドキドキしたりの感情をピアノが丸ごと伝えてくれる。男と女の結婚に対する思いの違い。 マイケル「君の青春は終わったんだ。」激怒するアグネス。 それでもスーツケースを持っていってパジャマに着替えてくるのに、ベールをつけたままというのがとても可愛い。 幕が変わり、妊娠したアグネスがまた可愛い。赤ちゃんが足でお腹をけるのと歌う。子供が産まれ、洗濯物を山ほどつるしたロープが張られる。 このころから、マイケルは何かというと仕事だ仕事だと妻に対して冷たくなりどうやら浮気をしてる様子。 アグネスは「炎のアグネス」を歌う。 女をばかにしないでと、真っ赤な羽帽子を打ち振りながら歌い踊る様子はなんと言えばよいかエネルギーが舞台全体を包んでいて、同じ女同士と、共感に包まれる。 子供も結婚し空虚な気持ちになったアグネス、私にはまだ他にいき方があると家をでようとする。 新年を迎える時に二人で歌う「愛が溢れる」は、中年の男女が今までの人生を振り返りながらふと幸せをかみ締めるそんな瞬間をとてもわかりやすく気持ちよく現していた。 一番好きなシーンは最終の幕。 二人で机に座ってメークアップを始める。80代に変身するのだ。 そして部屋を出て行くことに(二人で住むには広すぎるからと引越しをするのだ。)結婚式の時に持ってきたあの枕を後に住むことになっている若い夫婦においていこうとするアグネス。 そんなものをおいていっては駄目だと言うマイケル。 何度も二人のやり取りが繰り返される。 歌う歌は「このいえ」だったか・・ アグネスが思っていたよりもマイケルはステキだったのです。 本当にステキな男性だったのです。 いつのまにか自分の人生とどこかで比べてしまってる私。 多分廻りにいた女性たちも同じ思いだったとおもうけど、ハンカチを心の中から取り出していた私。 二人は結局枕とワインをシーツの下において部屋を出るのです。 老人になった春風さんが最高にすばらしかった。 歩き方といい、声といい、ステップのすべてが老人そのもの。 大きな感動に包まれてしまった私でした。 そこにはもちろんあのピアノの音色が、わかりやすい歌詞があったからこそですが。
つづき 北国の小さな教会でほんとに内輪だけの式が始まった。 親としてはお友達も呼んでたくさんの人に祝福されて挙げるほうが良いのではと思ったが、彼らは少人数のほうを選んだ。 親兄弟だけの参列によるささやかだけど心のこもった式だった。 牧師さんのお話を聞いて、賛美歌を歌って署名をする。 式場の担当の方のおざなりでない心のこもったもてなしは、まるで身内か友人のそれだった。 ここは日本全国から若者が式を挙げに来るそうで前日も、福岡からカップルが来たそうだ(その日は水害で大変だったから飛行機がちゃんと飛ぶかどうかやきもきしたに違いない) すべてが無事終了して、私たちと息子夫婦はホテルへ宿泊。 次の日はミニ新婚旅行を兼ねて、5人で富良野へ行くことになった。 富良野駅の近くにあるカレーやさん「唯我独尊」に寄ってちょっと辛いがおいしいカレーを食べる。 ここはちょっと変わっていて知らずに通ったらまず気づくことはない店構えだ。店内に入るとひげのマスターが大きな元気な声で迎えてくれる。長男が以前3回ほど寄ったそうだ。 テーブルの隅には大学ノートが置いてあってお客さんからのいろんなメッセージで埋め尽くされていた。私も書き込もうかと思ったが残念ながら3冊あったノートは全部最後までびっしりと文字が埋まり少しの余白もなかった。 札幌を出発したのが10時過ぎ、車2台ののんびり走行だったので、目的地に着いたときは、もう午後の3時半を過ぎていた。 見渡す限りのラベンダー畑は青空に映えてすばらしかった。 次の日仕事が待っている子供たちを遅くまで付き合わせるわけにも行かず1時間くらいの滞在で引き上げることになる。 夕食をどうしても一緒にしたいと、子供が譲らないので結局は夜の9時ころまで一緒の時間を過ごす。 私たちは次の日の飛行機なのだが子供たちとはこれでお別れ。 子供たちはなかなか帰ろうとしない。 いつまでもいても同じだから、もうお帰りと促すと握手を交わして帰っていった。家に着くまで殆ど無言で帰ってらしい。 会うときは嬉しいがどんな場合もやはり別れは辛い。 私たち親よりも子供たちの方が辛かったようだ。 下の子は小さいときからファンキーな子でテレを隠すためについふざけたことをするタイプだった。いつもお兄ちゃんを頼りにしてどんな時も後ろからくっついて歩いていた。 親元を離れ5年半、彼もいつの間にか成長したんだなとつくづく思う。 どこが良かったのと彼女に夫がしつこく聞いてえられた言葉は、なんと「行動力」だった。私たち親の目から見たらいつまでたっても下の子で甘えんぼ。それなのにと、絶句して噴出す私たちに長男が「一番評価が低いのは親だな!」の一声。 これからは、彼がみんなの前で堂々と挨拶したように、まるでお人形さんみたいに可愛い奥さんと幸せな家庭を作っていってくれることを願っている。
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