日々の思い

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「悪童日記」 アゴタ・クリストフ
2003年05月29日(木)

途中何度も、読むのをやめ最後に救いはないか、どこかに救いが隠れてないかと探してしまう。

もう終わりにしようとおもい、日にちをあけてようやっと読み終わる。
作者はハンガリー生まれの亡命女性。
自身の子供時代、ナチの影、ソ連の影がはっきりした文字では出てこないけれど、そこここに溢れている。

双子の子供たちは、母親と別れ魔女と呼ばれる祖母と暮らすことになる。
信じられないほど彼らは賢い(このことばが適当か?)

二人で、生き抜くためにいろんな訓練をする。
お互いを傷つけあって、苦しみを感じなくなる練習、盲人になる練習、聾者の練習、殺すことの痛みに耐えるため殺す練習、などなど・・
毎日、事実だけを日記に書く、形容詞は絶対に使わない。
それは、事実とは違うから。

僕らの日記は、本当に淡々と飾りのない文章で書かれている。
まるでレポートを読むみたいに。

読み手によって感想は違うだろうが、私は呼吸ができなくなった。
何度も酸素不足に陥って、本を閉じた。
彼らは一切、痛みを感じないように自らを訓練して、身体も精神も強靭になった。母も父もある意味彼らの手によって殺された。
でも、情愛を持たなくてよい相手、祖母や、兎っ子やその母に対しての彼らの気持ちは「愛」だ、まぎれもなく。「潔く決断する愛」神がいて祈る愛ではないけれど。

これは、3部作になってる、この一冊で終わってしまったら、後悔するかも知れない。最後には救いがきっとあると思うから。


懐かしかった動物園
2003年05月28日(水)

日曜日に植物園に薔薇を見るのが目的で雨模様の空の中出かけてた。
でも、もう薔薇は殆ど終わりかけ。
それで、動物園まで足を伸ばす。

福岡に住んで初めての動物園。
ゴリラやトラやライオン、白熊にペンギン、最後に動物園に行ったのは何年前だろう。もうゆうに18年はすぎている。

上の子は幼いころペンギンが好きで、ペンギンの前にいつまでもへばりついて歩き方をまねしていたし、下の子はサメの水槽に手を入れて「サメさんおいで、おいで!」と、周りの人をドッキリさせていたことなどを思い出す。

今、動物たちは恋の季節らしく、あちこちでそれらしい光景を見た。
仲がいいのもいれば、いくら誘っても見向きもしないメスもいる。
オスは、ずいぶん苦労してるんだなあと、つい同情してしまう。

白サイはまるで、岩が転がっている感じ。
歩いててそこにいても気が付かないだろうし、ゾウは草をまるでゲームでもしてるかのように鼻の先で遊んでいる。

相当歩いて、足はパンパンだったが、たまにこんな風に過ごすのもいいな。


ルイス・サッカー「穴」
2003年05月24日(土)

読み終わって思ったのです

「私ってこれまで穴をちゃんと掘ってきたのかな?」「もし、子供たちの未来が展望の開けない未来だったとしたら・・・・私の穴掘りがいい加減だったのかも」などと、奇妙な思いにとりつかれてしまった。
この本は、絶望を希望に変える物語なのに。

少年は身に覚えのない罪で「キャンプ」に行かせられ、毎日毎日穴を掘り続ける。
ひいひいひい爺さんがうっかり約束を破ったために子孫が不運を背負ってしまったのだ。何をやっても、不運続き。
でも彼は、日ごとに自分が逞しくなってきたのを知っている。
ある日、ゼロと呼ばれる仲間が、キャンプを逃げ出し、彼も後を追う。

そこで普通だととっくに死んでしまうはずなのに、たまねぎに命を救われ、
信じられないほどの力を出して、山に登る。

少年もゼロも知らないけれど、ゼロは昔ひいひいひい爺さんが、約束を破った相手の子孫、ゼロを背負って山に登ったことですべてのことが逆転する。
今まで、不運ばっかりだったのが、すべて良い方向に治まっていくのだ。

彼らは、ただ頑張る。頑張ることの意味もわからないままただ頑張る。
どんなに不運が続いても、きっと希望はある、それもとんでもないところに希望はある。

この本を読み終わった後、車で走行中、偶然前を走る車の後ろに、ワニのおもちゃが下がっていて、私はそれを本気で「黄斑(おうはん)トカゲ」だと思ったものです(笑)
「あ、トカゲ」と叫ぶと「ばか、ワニのおもちゃだ」とばかにされてしまいました。


めぐり合う時間たち
2003年05月23日(金)

違った時代に生きている3人の女性のたった一日に人生のすべてが盛り込まれている。

ヴァージニア・ウルフの小説「ダロウェイ夫人」に魅入られた3人の女性。
ウルフ本人、名前がクラリッサだから、友人に「ミセス・ダロウェイ」と呼ばれる女性、そして「理想の妻」像を生きながらそれに耐えられなくなってしまっている妊婦。
その3人が、一本の糸で結ばれている。

はじめから、衝撃的な入水シーン。
ウルフの遺体は冷たい水中で藻に絡まって沈んでいたそうだけど、流れる水の中に戸惑うことなく入り込んでいくウルフの美しさに初めにはっとさせられる。
次々にフラッシュのように違った時代が重ねられていく。

レナードへの置手紙。
「一番良い方法を選びます」この上なく優しい夫あってこそ作品を生み出せたというウルフ。これ以上生きていくことは、狂気を増大させるだけ。
死んでいくしかなかったのでしょう。

クラリッサの一見強い生き方もすばらしいのだけど、私には妊婦のローラが一番心に残った。
息子との間にある、なにかしら隔たりのようなもの。それを敏感に感じ取っている息子、息子役の少年の目のなんと美しいこと。
ローラにはすばらしい理想的な妻として生きることは苦痛でしかなかったのでしょうか。死を覚悟してホテルに入ったのに、死ぬことはできなかった。
そして、子供が生まれた後、夫と子供を捨てる道を選ぶのです。
でも、彼女の選んだ道は決して幸せではなかったと思う・・・

詩人が死んだ後、ローラが尋ねてきて、クラリッサの娘と抱き合う。
その姿に初めてほっと救われたように感じたのは、私だけではないと思うのですが。

同性愛というのが底辺にあって内容的にかなり難解だと思う映画だけど、映像と音楽の美しさ、3人の表情、イギリスの田舎の美しさなどが見ることを飽きさせなかった。


レーシングマシーン
2003年05月22日(木)

今週は出歩いてばかり。たまにはいいか。
昨日は水曜日、久しぶりに昔の職場の友人からの誘いに夕方からいそいそ映画に出かけた。
ヴァージニア・ウルフを扱った「めぐり合う時間たち」以前「ダロウェイ夫人」を見て、俄然興味をもって短編集を買って読んだ。
何一つ予備知識がなくて、いきなり見たら、殆ど理解できないかもという感じの難解さだった。ずっしりと感じた感想は、別の日に。

今日は、福岡市美術館へ。
ひょんなことから友人が只のチケットを取ってくれたので、入場料なしで入れた。17世紀から20世紀までのたくさんの作品、ゆっくり廻って現実の時間を忘れて過ごした。

ネットの友人でオートレース(という言葉でよかったのだろうか)のメカニックをやっている人がいる。
彼が、今年初めて参戦した様子を実況中継的に書いて送ってくれた。

それをまぶたの裏で再現フィルムをまわすような感覚で読み進んでみる。

メカのあくまで美しいフォルム、マシーンと一体化した乗り手、タイヤのきしむ音、胸が痛くなるほどの緊張。
一瞬のきらめきのためにそれまでにかけた時間の長さ。その長さに反比例する結果。
一台のマシンの走行にどれだけの人と時間が費やされるのだろう。
夢を追い続ける男たちの姿がまぶたに浮かんでくる。

次のレースはどうか女神が微笑みますように!と、祈る。



セブンティーン
2003年05月19日(月)

甥が17歳の誕生日を迎えた。でも特に気分は変わらないと完全に冷めている。
ふと、昔を思い出す。

「夢見るセブンティーン」なんて言葉があったし、雑誌もあった。
そのころ高校2年生(当たり前か)、中には「美しい死」を夢見る仲間もいた。真剣に考えていたわけでなく、
「もし死ぬとしたら、山の中の誰も知らない湖で穢れを知らぬまま・・・」なんて、単に小説の主人公気取りだっただけなんだけど。

あのころの通勤通学列車は長く、確か13両はあった。
朝7時の汽車(実際はもう少し早い時間だけど、私たちの呼び名はそうだった)の2両目がいつもの車両、そこは通勤の人半分、通学の人半分くらいだったろうか。いつも必ず同じ顔ぶれが乗っていた。
たまに見たことのない人が増えていても、いつしかその人たちはいなくなりやっぱり同じ顔ぶれが同じ席あたりに集まるのだ。

私は同じ高校の5名でちょうど真ん中当たりにいた。学校まで約1時間をずっとそこで過ごした。
一番初めに乗ってくる人(私より三つ前の駅)がまず席を取り、その次の駅で乗る人が同じように席を取る。
私が乗るときにはもう満員、それで、前に席を取ってくれた人が席を立ち、私に譲り、次の駅にもう一人乗ってくると、同じように譲る。
最後に乗ってくる人には私が譲りと、それを3年間ずっと続けた。

3年の間には、他のメンバーが増えたりしたけれど、結局最後まで一緒だったのはその5人。最初の二人は男性で、中学は別のところ、後の3人は同じ中学で女性。いつも5人で、何を取り立てて話すこともなくいつもの儀式のように当たり前に過ごしてきた。
増えたメンバーの中には、急性の白血病で亡くなった人もいた。
よその学校の人もいた。そこでは、いろんな青春もあったし、そばでは人生模様を垣間見たこともあった。

あれから、ものすごい時間が流れた。
その時の5人は、今それぞれの道を生きてる。


元へはもどせない
2003年05月18日(日)

周りのお宅もそうだけど、このところ庭仕事に忙しい。
雨が降り続いた後は、すべての植物が勢いを増し、花が育ってると同時に草も次々に伸びだしている。
その上「蚊」までも出てきたし・・

あちこち蚊に刺されながら、草むしりをする。
途中であれこれ眺めてる時間が多いのでちっとも進まないのだけど・・・

家のキッチンをIHにしてから一ヶ月が過ぎた。
今ではもう元に戻すなんて考えられない。とにかく使い勝手がいい。
後は汚れないし、温度管理も良いし、何よりタッチパネルが心地よい。
でも、こんな風に、あまりに便利な暮らしを続けてると、何かが壊れていくような気もする。
関東では電力不足が予測されている(電力というのは無尽蔵にあるように思ってきたので不足するというのがはっきりわかってない気もするけど)

いたちごっこで考えると、なぞなぞ遊びのように次々に広がってくるのだけど・・・でも、やっぱり、もう元へは戻せない


亀との初対面の巻き・・ラナ編
2003年05月14日(水)

昨日の昼から振り出した雨が、夜になって勢いを増し朝まで降り続いていた。お昼になってやっとやんだので散歩にでる。

いつもの池を一周して帰ろうとするが、ラナは戻りたがらない。
じゃもう少しと歩いていくと、突然茂みの中に頭を突っ込んでなにやら興奮している。なんだろうと覗いてみると、なんと池から大きな亀が上がってきて茂みの中に潜んでいたのだ。

それから亀と犬のにらめっこ。
亀は首を縮めたり伸ばしたり、目玉を開いたり閉じたりする。
ラナは、遊ぼう姿勢から、次にけん制姿勢、それから後ろに下がったりしながら眺め眇めつ・・前足を出すのかと思ったが、どうやら亀が怖い様子。
足は出さずに、声を出した(笑)

めったに聞けない「わん」「わん」一声づつの攻撃である。

しばらく続いていたが、どうやら亀のほうが一枚上手、絶対に繁みから出てこない(笑)
私のほうが根負けして、帰ろうとしないラナを引きずって帰る。
少し歩いては、すわりこみ、また少し歩いては座り込む。
仕方がないので、戻ってみると、もう亀の姿はどこにもない。

諦めきれないラナを、何とか家まで引きずり引きずり戻ってきた。
もしかしたら、今夜あたりラナの夢に出てくるのかも。



嬉しいことが・・・
2003年05月11日(日)

今日は母の日、といってもわが子供たちは「ああ、母の日、そうだったね。はははは・・」で、終わってしまうのだけど。

でも、とっても嬉しいことがあったのだ。
ピンクのカーネーションが、そっと添えられたような、手をかざすと胸の奥まで赤い灯がともるようなそんな嬉しいこと。
書いてしまうと、それが夢であったりして、消えてしまうと怖いのでこっそり自分の胸の中にしまっておこう。

●独身のころ、私は殆ど偏った仕事人間だった。
両親が結婚話を持ってきても「私がいなければ会社がつぶれる」などと言って聞く耳をもたなかった。
結果、当然のことながら、私がいても会社はつぶれた(笑)
そのころ、上司だった方が、ご自宅のある奈良に帰られる事になり、私に「向こうへ戻ったら、自分で事業を始めるつもりなので、どうだろう、私のところに来てくれないだろうか。家に住めばいいし、もちろん、いい結婚相手も見つけるつもりだから」「是非、親御さんにも話しておいて欲しい」といわれた。
そこのお宅は、奥さんと養女にこられたお嬢さんの理想的な暖かい3人家族だった。

会社の最後の整理にしばらく通っていた私は、ちょっと心を惹かれたのだけど、両親は特に母は、きっぱりと「とんでもない」と一言で退けた。
「今まで、これだけ仕事をしてきたらもう十分でしょう。ほかの事を考えなさい」と、てんで取り合わなかった。
それまでの私は、給料や、ボーナスの闘争などがあれば、殆ど徹夜の仕事をしていた。
その上司は、「残念だなあ、でも親御さんの気持ちはわかるし、諦めるしかないな」ということで、その話は、終わったのだけど。

人の生きていく道というのは、ちょっとした、運命のいたずらや、思い余るほどに考えて決めた方向とか、選択肢はいろいろあるように若い時には、考えたものだけど、過ぎてしまった今では、「なるようになっていくものだ」と考えるようになっている。もしかしたら、日ごろ考えないでいい時間を送っているからだろうか?


めったにない夫のヒット!
2003年05月09日(金)

ラナの朝の散歩に夫が行くというので、行ってらっしゃいと送り出す。
その間に健康茶を作っておいてくれといわれ「うん、わかった」と返事をしたものの、ほかの事をしてるうちものの見事に忘れていた。

散歩から帰った夫、「お茶は? ほらやっぱり忘れてる・・」
あ、いけない、ホント忘れてたという私に、自分でお茶を作りながらの

夫の一言
「あんたはまあ、下取りにも出せないね、おまけ付きでも引き取ってくれないよ!」


「そうだねえ、あちこち手を入れなおさなければ、引き取り手はいないねえ」「その上、支度金をいっぱいつけないとねえ」


「支度金つけたって多分無理だよ、物忘れはひどいし、いらないのはいっぱいついてるし」
「そういえば今日は、結婚記念日じゃないか?」


「あ、ほんとだ、わすれてたよ」

朝から、涙が止まらないほど大笑いしながらの会話でした

ちなみに今日は、26回目の記念日でした。
26年前はとても暑かった(汗)


朝から南風
2003年05月07日(水)

昨日は、ちょっとお疲れ状態の一日だった。

今日は朝起きた時から、生ぬるい南風が吹き湿度は83パーセント。
久しぶりのボランティアの日だった。

●言葉の検索をしながらネットサーフィンをしていて、何の関係もないことが妙に心に刺さってくることがある。見知らぬ人のサイトでの、なんと言うことのない一言。
その一言がなぜか自分の今にぴったりあっていたり、過去のある時期に感じていて、言葉を見つけられずにじれったいまま過ごしていたそのことであったり。
そんなときには、その人に妙に親近感を感じたりする。
その人は違った意味で書いているのに、読み手の私が勝手に解釈してるのだけど。
それは読みようによって心の襞に心地よく響いたり、
ひどくえぐられて急に欝状態に落ち込んでしまったりするのだ。
そんなとき、以前の私は良く、お気に入りに入れておいて、また後で
たずねていった。でも今の私は、もう一度行くことはしなくなった。



3連泊もしてしまった
2003年05月05日(月)

二泊して帰ってくるつもりだったのだけど、帰りづらくなってしまってとうとう3泊もしてしまった。

法事には兄弟姉妹と、めったに会えないいとこが神戸から孫を連れてやってきた。
今年3月で定年退職になったので自由な時間ができたのだ。
彼女は若くして(19歳で)結婚し子供をもうけた。
でも、幸せは突然に襲ってきた車によって奪われた。
その事故から後、子供二人とほぼ植物状態になってしまった夫を抱えて30年頑張ってきた(夫は今では意志の疎通はできるようになっている)

自分の力でしっかり生きてきた彼女は、見かけはたおやかだが、
背筋をしっかりと伸ばして大きな目でひたと見つめてくる。
そこには大きな自信と、力強さがあふれている。
私にはそのどちらも備わっていず、時として目を逸らしてしまう。

4日には大勢で有田の陶器市に出かけ、ポーセリンパークに寄って帰ってきた。
ポーセリンパークはドイツのマイセン地方を模した街並みと宮殿があり、
もともと独立したテーマパークだったのだが、それだけではやっていけず、
地元の酒造会社が買い取って、見学ができ買物ができる酒造場が併設された。
彼女が神戸に帰るのが5日だったため、結局それにあわせて私たちも5日に帰ることになったのだ。

目いっぱいしゃべって、飲んで遊んで楽しい連休だった。

ラナにとってはどうだろう?
皆に気に入られ、いろんな人に入れ替わり、立ち代わり一日に5度も6度も散歩に連れ出され、嬉しいけれど餌も食べれないほど疲れきった連休だったようだ。
家に帰ったとたん、まるで、死んだように眠っていた。




明日から3連休
2003年05月02日(金)

●大統領が兵士たちの前で演説をした。
「君たちの勇気のおかげでアメリカは救われた
君たちのおかげでイラクの人々は自由を得た」と。

イラクの人々の望む自由が本当にやってくるのは
まだまだ先のことだろう。
イラク情報を聞くたびにあの「ソマリアでのこと」が
思い出される。
勇気ある兵士たちが一日も早く自宅へ帰れる日が
来るように祈っている。

●明日から3連休
実家で法事があるので、今日から行くのだが、
暑い一日になりそう。
長い間あってない、いとこも来るのでちょっと楽しみ
そして恒例の有田陶器市に行く予定

今年陶器市は100周年を迎えたので
新しい何かがあるかも・・ちょっとこれも楽しみだ

(多分4日に帰ってきます)





福岡市植物園
2003年05月01日(木)

「ハンカチの木」が今週いっぱいは見ごろと新聞に出ていたので
近くの友人と出かけてみた。
バスを利用して自宅から約1時間半、悩みながらカメラをデジカメでなく
昔から使っていた50ミリのカメラにした。
もう10年くらい使っていないので、果たしてうまく行くか
かなり不安なのだけど。

入場料400円、入ってすぐの売店で500円のお弁当を買い
まずはお昼を食べてから歩くことにした。
足を踏み入れたとたん、土の柔らかなこと。
なんと言うふかふか感、その柔らかさは殆ど感動ものだ。

何度も来てるけどまだまだ見ていないものがいっぱいあるのよと、
お向かいにいる方、大分の方で単身赴任のご主人のところを
たずねるたびに寄るという話。
その出だしの出会いがとても嬉しくて、わくわくしながら
歩き出した。

知ってるが名前がわからなくていつも消化不良状態の樹木たちが
次々に現れる。
気持ちは興奮状態。
ねむの木やメタセコイア、ホルトという木や、でも、でも・・

いっぱい興奮しながら、写真を撮ってきたのだが、
帰ってから考えると、名前が思い出せない。
ちゃんとメモを取ってくるべきだったといまさらながら、悔やんでしまう。

そして、お目当てのハンカチの木は、なかなか見付からない。
途中で出会ったご夫婦が教えてくれた。

ご主人が「でも、あなたがハンカチに使おうと思ってとっちゃ駄目よ、
もう残りが少ないから他の人が見れなくなるから」
などと面白い解説付きで「代わりに飴玉あげるから、これで我慢してね」
と、飴玉を無理やりに押し付ける。
70代くらいだろうか、あんなふうに年を重ねたら、楽しい毎日だろうなと
思う。

そして、やっとハンカチの木に対面できた。

そこには、熱心に撮影してる方が・・
その方は「はんかち屋さん」だった。
「この木は中国の木でね、日本ではここともう一ヶ所、つくば市にあるだけなんですよ。私ははんかち屋ですが、何とかいい写真をとりたいと思っているのだけどなかなかうまく行かないのですよ。」と話してくれた。

はんかちはもう上のほうに少しだけ残ってるだけで、殆ど終わりかけていた。さっきのご主人の話ではないが、下のほうに1枚でも落ちていたら、
多分みんな拾っていくのだろう。
もうその痕跡さえなかったけれど。

薔薇の木は、今殆どつぼみ。
咲きそろったら、すばらしいだろうな。
歩き回ること3時間半、とても気持ちいい一日だった。



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