昨日は一日北風が吹いた。 そのせいか昼間は涙がとどまるところを知らず夜は夜で鼻づまりに悩まされ、家のすぐ隣にある空き地兼駐車場に止まった車のエンジン音が一晩中が鳴り続けるのに合わせたように、いやな夢が次から次に襲い掛かってきた。 今日はとてもよい天気だったのだが、そのせいなのか、花粉症の症状が最大限に悪化して、これほどの鼻水が一体どこから沸いてくるのかと思うほど、あふれていた。 特に陶芸の教室にいる間中のすごいこと、きっと周りの人に不快感を与えたに違いない。3時間ほどの間にポケットティッシュ4袋、あまりの異常さに身体まで急に熱を帯びて汗をかいてしまった。 ここまでなったのは初めてのことだった。 けど、このところなんとも言えず落ち込んでいた気持ちは鼻炎に反比例して少しずつ薄れてきている。 先週作った、お雛様も出来上がっていて、なにやら柔らかい気持ちになれたし、何よりも犬の背中や、お腹をなでているととても和らいでくる。 無意識の内に言葉や文字の間からにじみ出る優しさを、あちこちで探してみるときがあったりする。 まるで見知らぬ人の何気ない言葉が奇妙に心に染み入る時もあるのだ。
赤ちゃんなのか子供なのかわからないような幼いときから、ソーネチカは本の虫だった。気の利いたことを家族に言うのが得意な兄のエフレムは、いつもお決まりの冗談を繰り返したものだ)もっとも、兄が始めて口にしたときはもう使い古しといった感じだったけれど)。 「本ばかり読んでるから、ソーネチカのお尻は椅子みたい、鼻は梨みたいになっちゃったんだ」 という文章から始まるこの本はソーネチカと言う一人の女性の「女の一生」である。 夫になる人と、電撃的に出会い、結婚し子供を生み、育て、いろいろなことに出会っていくのだけど・・・ ソーネチカはなんと幸せに満ちているのだろう。 なんと静かなんだろう。 どんな時も信じることを止めず、悲しみさえも喜びに変える。 夫は芸術家、死してからその絵を認められる。 それもソーネチカあってのこと。 夫や娘に比べると、ソーネチカには何一つ秀でたところはない、たった一つどこまでも本の虫なのだ。 いつだって、どんな時にだってその中に入り込んでいける。 夫が、ドストエフスキーを理解しなければ、「この人とはドストエフスキーの話はしなければいいのだわ」と、「ただ」思うのだ。 信じられないような夫の裏切りにあっても、夫のためにと、ヤーシャのためにと喜びに変えてしまう。 自分の運命を正面から受け入れ、決してあわてることも、騒ぐこともない。 ただただ、静かに受け止めるのだ。 作者は、ソーネチカの物語を、悲壮感も高まりさえもなく、本当にただ淡々と書いていく。 それが、読むものに、まるでぬるま湯がゆっくりゆっくり冬のひび割れた足や手に沁み込んで、いつの間にか柔らかな眠りを誘うようなそんな幸福感をもたらせてくれる。
このところ、ずっと気分が沈みこんでしまっていた。 まあ、原因がわかってるといえばわかってるのだけど、それはできれば気がつかないところへ追いやってしまいたいと願っていた。 そのせいか、浮き上がるのにずいぶん時間がかかってしまった。 でも、何があろうとなかろうと、時間は、毎日決まったように動いていく。 それならやっぱり自分も、同じように動いていかなくては。 散歩に毎日歩いていると、私でなくラナが来るのを心待ちにしてる方があちここちにいて見かけると家から飛び出してくる。 そんな時は心楽しく、雲の形や、花のつぼみの話をして通り過ぎる。 今では、散歩の時間に、1日に2,3時間も費やしてしまっている。 家をでてしまえば、歩くのがとても楽しいのだ。
●めまぐるしく変わっていく国際情勢。 イラクや、彼の国もさることながら、韓国の地下鉄事故を報道を見ていると日本とはまるで違うなあと思う。 あれほど大きな事故、1000度近くまでも高い温度で車内が燃えた。 あまりのことに身体が震えるし、考えるほどに吐き気がする思いだ。 韓国は、犯人探しをして早々に逮捕してしまった。 なにか、空恐ろしいものを感じてしまう。 ●シャーロックホームズの冒険をずっとビデオにとっていた。 今日時間に任せて5話も一挙に見てしまった。 主婦がこんなにのんびりしてていいのかなと、ちょっぴりの反省と共に・・・ ホームズは1を見て20くらいはわかるんじゃないかと思うほどの推理をする。ほんとは無理やりな推理もあるんだけどそこは大目に見て、変身の見事さも一緒に堪能する。
この題名はじめてみたときは、うん、骨、ルーツ?とか頭に浮かんで結局は意味よくわかんないやと終わっていたのだけど、原作は「暗殺者」だった。 マットデイモン主演なので見に行く。 原作はかなり昔に読んでいて、あまり覚えてはいなかったけれど、それとは関係なくストーリーの展開のスピーディーさと、何がなんだかわからないままに次々に起こる頭脳戦。 楽しんで見てしまった。 マットデイモンは天才的な数学者の役から始まって、リプリーのときの屈折した青年、プライベートライアンの時の戦争の意味さえ理解してないような少年、それからプロの泥棒、それに弁護士の役もあったな・・ それらを通り越して、このボーンの役、今までのイメージを見事にひっくり返して自信たっぷりの演技。 これからまた新たなデイモンが見れそうな嬉しい終わり方だった。 題名の意味はつまりボーンとは、どういう人物かっていうことだったようだ。
朝から鼻水がこれでもか、これでもかと溢れてくる。 でも、今日は行ってこなくちゃ・・ 書くのは明日にしよう。
市民劇場に見に行ったのです。 平幹二郎のリア王。 時間を勘違いして劇場に着いたのは開演ほぼ2分前でした。 でも混んでいた精で指定席には座れたのですが、地下鉄を下りてから階段をかけあがるのにもう、どうやっても足が着いてこず情けない思いをした上、やっとついたけど席の場所が見つけれずにとっても恥ずかしい思いをしました。このドジぶりはどんどんひどくなるようでこのごろ自己嫌悪に浸っています。 舞台は大掛かりな装置はまったくなく、真ん中にぼろぼろの今にも沈みそうな朽ち果てた木の舟。 そして一本の、葉っぱが一枚もないやせこけた木。 それはまるで、この世の終わりにたどり着いたような風景だけ。 少女のころに胸を高鳴らせて何度も読んだ、リア王、意地悪で欲張りなお姉さんたちに比べて、正直で欲がないコーディリア、でもそれに気が着かないリア王は財産を三つに分けず二つに分けてお姉さんたちにやってしまうのです。 そしてコーディリアは、フランスに追い払われて・・ 王は早速姉のところに行くのですが、体よく邪魔にされそのうちに気が狂って荒野をさまようことになるのです。 この芝居には平幹の息子が、出ていました。 その立ち姿のなんと綺麗なこと。兄を陥れて城をのっとろうとするドンファンの役なんだけど、でも際立って美しいので、善良な兄役はちょっとかすんで見えたかも。 1幕目は時々退屈で、睡魔が襲ったりしたのだけど、2幕目はもうすっかりとりこになってしまいました。 その2幕目のはじめ、城から追い出され乞食に身をやつした善良な兄が言うのです。 「ここまで、どん底に落ちてしまったら、もう何も失うものはない。 今残ってるのはただ、希望だけだ。笑顔だけだ」と・・ このシーンが最高に胸に焼きつきました。
土曜日に実家に泊まりに行った。 その時に怖い夢を続けて二つも見てしまった。しかも鮮明に覚えている。 第1話「もしかしたエイリアンだったかも」 いつものように自宅で夫の帰りを待っている。 今日に限ってなぜかご近所からと思うけど、いろんなところから預かったお金が数百万ある。 そこへいつもよりちょっと遅く夫が帰ってきた。 外はどうやら冷たい雨が降り出したようだった。 「おかえりなさい、今日はちょっと遅かった?」と聞きながら夫を見ると その夫の後から見知らぬ人が4,5人ついて来ていた。 それもなんとなく身長が普通より低く、同じように中学生か高校生が体育の時に着るジャージの上下の体操服のようなものを着ている。 そこで夫に「どうしたの、この人たちは誰?」ときいても、いつもと違ってうるさそうに私を見るが、なぜか夫は一言も口を聞かない。 その人物は全員が彼らか、彼女らかははっきりしない性別不明の顔だ。 そして彼らは突然小さめの布団をどこからか出すとさっさと引いて横になりはじめる。 「ねえ、どうしたの、この人たちは誰なの?」もう一度聞いてもやはり夫は不機嫌そうにしたまま口を聞かない。一言も声を発しないのだ。 私は彼らのほうを見る。するとなんてこと、さっきまで4,5人だったはずなのにもう10人くらいになっている。 やはり同じスタイルで無表情、布団を持っているのだ。 それはあっという間に次々に増えていった。そう、まるで増殖と言う感じで次々に増えていって、家の中は、あふれるくらいになっている。 私は自分のたつ場所さえもなくなってくる。 夫は、やはり無言のまま、まるで死んでるような顔でそこに立っている。 おびえきった私は、大声を上げた。 「もう駄目、このまま私は死んでしまうのだ」 「おいどうした、何を叫んでる」 初めて夫がしゃべった、と思った。耳には鈴の音が聞こえている。 そして、猫の爪を砥ぐ音も。 はっと気がついた。 私は夢を見ていたのだ。すっかり冷や汗を書いて目をさました。 第2話「まるで蜘蛛の糸のような・・・」 上の夢をみてから、しばらく眠れなかったのだが、ひとしきり猫たちが爪を砥いでいなくなるといつの間にか眠っていた。 そこはなんというか、大きなビルの地下駐車場のようなところだった。 地下トンネルなのかもしれない。 私はバスに乗っていたのだが、その場所についたとき、バスは直線で進むことをしないでなぜか大きく旋回して止まった。 仕方がないので、乗客は全員降りることにした。 降りてみると、バスはそこから進むことができなくなっていた。 道路いっぱいに大きな石のような障害物が、おいてあって身動きが取れないのだ。私は多分一人でどこかに行くつもりだったらしく誰も知り合いはいなかった。 その暗くて広い空間は前にも後ろにもドアはなく出口はどこにも見付からない。その場所にはたくさんの人がいた。 だれかが、「ダイナマイトをしかけようではないか」と言い出し、それはいい考えだと皆が同意する。どうしてか、ダイナマイトがそこにはあったのだ。 わたしは、そんなことは駄目だと思ったけれど、口にすることはできずにいた。だって、相手は大勢だし、なぜか怖かった。 でも、天井だってないのだから、爆破すれば、私たちは逃げることなんて絶対できないに決まってる。 そこで、私は、青白い顔の集団を見つけた。 彼らは、白い長い着物のようなものを着て、階段を上へ上へと登っていた。 私もあわてて、その後をついていった。 でもその階段は、とてつもなく長く、どこまでも暗い空間を上に伸びている。沈黙のままただ登る気味の悪い集団、わたしは、やっぱりこのままついていくのはやめようと途中で諦め下へ戻ってしまった。 下へ降りてみると、ダイナマイトの点火の準備が進み、スイッチを押すだけになっていた。あわてて数人でできるだけ離れた場所に逃げる。 「バン」と音がして、ダイナマイトは爆発した。 案の定、壁も天井もめりめりと落ちてくる。 私が逃げたところは上も下も横も鉄板でできていてそれが、徐々に下がってきて押しつぶされる寸前になっている。このままでは完全に落ちてくるのももう時間の問題だった。 その場に残っていた大勢はもう誰もが助かりようがない。 もう身体を半分に曲げている上体で脳裏に浮かんできたのはさっき上に上っていった人たちだった。 「あの人たちについていってたら、私は助かったかもしれないのに、もう駄目だ、私はこのまま死ぬんだ・・・」 そう感じて、涙が出そうになったときにやっぱり鈴の音が聞こえてきた。 また猫が隣の部屋から障子を破って飛び込もうとしていた。 どうしてこんな夢を見たんだろう。 ふたつとも、このまま見続けていたら、きっと死んでいただろう。 そんな、心底怖い夢だった。
スペースシャトルが空中分解して乗組員全員死亡のニュースは辛いニュースだった。 打ち上げの時タイルがはがれたのが原因かもしれないと言われている。 宇宙への夢は、大昔から、月にはウサギがいるとか、水汲みをしてる子供がいるとか言いながら手がとどかない、行くことができないからこそのロマンで片付けられてきた。 それが、人類の科学の進歩はとどまることを知らず、月はもちろん宇宙スペースまでもいけるようになった。 それも、ここ50年くらいの短い間に。 長い長い気の遠くなるような時を生きて今の人類がある。 戦争に戦争を重ねて今の人類がある。 私たちの知りたいという欲望は、決してなくならないし、それがあるからこうして進化してこれたのだけど、その代償はいつもあまりに大きい。 飛行士たちは飛ぶ前に必ず遺書を書くということだけど、本当に死ぬことになるなんて誰も思わないはず。 実際に飛ぶ飛行士と飛ばせる側とは宇宙への想いがどこか違ってるのかもしれない。もう後15分でふるさとに、空から見た地球に立てると言うところで自分がいなくなるなんて、信じられないまま彼らは消えた。 飛行士の方のご冥福を心から祈りたい。
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