日々の思い

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演説
2003年01月30日(木)

アメリカの大統領の演説はなぜあんなにステキなんだろう。

あ、内容のことでなく「演説」そのもののことだけど。
テレビには映らないカンペがあることも知っているが、それをまねした細川元首相ではあそこまではうまく行かなかった。

聞いている人たちも実にうまく途中でスタンディングオベーションを入れる。それもタイミングよく何度も何度も、これでもかと言う具合。
どうみても、映画の一シーンである。
それも最高の演技者の最高の演技。

そこで出てくる言葉は強いアメリカ、正義の代弁者アメリカ。
たまに下唇をぺろりと舐めながらのすばらしい演技で大統領はますます強くなるのだろうか。



外務省だけにある国名表記とは?
2003年01月28日(火)

外務省独特の表記と言うのがあるそうだ。
「ジョルダン」「サイプロス」「プラーグ」「連合王国」・・・

何のこと?と思ったら国の名前だと言う。

なぜか、日本人が普通に使う国名でなく、現地の人の発音に近い表記と言うことで決められたそうだけど、外務省以外の人がネット検索してもこれらの国は正式名称でないと、つまり上に書いたとおりでないと出てこないそうだ。

これらの国は順番に「ヨルダン」「キプロス」「プラハ」(チェコの首都)
それに「英国」のこと。

大昔に決められた表記のままで今でも使われていて、平然としてるなんて、それがお役所仕事なのか。
そういえば、役所に行くと訳のわからない言葉と文書が氾濫してる。
もっと普通に誰でも、わかるようにしたほうが、仕事も速くできるだろうに。

だって、新人が役所に入ったとしたら、彼、彼女は言葉から覚えなくてはならないだろうし、そのための教育が必要なんて事になったら、無駄な経費がかかるような気がするけど・・
こんなことを言ったら、きっと「エイイ努力します」とか何とか言うんだろうな。

その点、小泉総理がいった「この程度の約束違反なんて、大したことない」は、内容はともかく、言葉の使い方としてはとってもわかりやすくて面白かった。
「反省します」といいながら、「言ってしまったことは元に戻らないし・・」というのも、ある意味、はっきりしてていいかも。

だけど、こんなで、これから先どうなっていくんだろ。
今か、今かと、戦争を待っている人も、待ちきれないで先制攻撃だと叫んでる人もいる。
それに対しては、どんな風にわかりやすい言葉で説明をするんだろう。


皇妃エリザベート
2003年01月24日(金)

”ウエストがなんと50センチ”と言うコピーが何度もテレビで流れていた。
その精ではないが、見に行きたいと思っていた。
昨日誘ってくれる人がいたので、寒くて雨だったけど出かけていった。

エリザベートは、ハプスブルグの皇妃。
彼女のいとこの子がノイスバーンシュタイン城の主、ルードヴィッヒ大王であり、彼女の息子は妻子ある身で17歳の少女と心中。
そのため、ハプスブルグ家の跡継ぎは、フェルジナンドで、かれはサラエボで暗殺。
それが第1次大戦の始まりなのだ。
エリザベートはスイスのレマン湖のほとりで刺されて死ぬ。
その前日に散歩している写真もあって、半年前にその近くに立ったことを思い出すと新たな感慨がわいてくる。

実際に会場で見た彼女は美しかった。
写真で、油彩で、リトグラフで・・どれで見ても本当に美しい。

172センチの身長というのに、その足の小さく細いこと。
あの足で、馬に乗り、小さいころは山を駆け巡り、後はあちこちを50人ものお供を引き連れて旅行する。
列車の中では、タロットや、カードであそび、専用のトイレも持って回っている。
思わず彼女が毎日向かっていた鏡に自分を映してみる。
しかしそこに見えたのは、年をとった自分の姿でしかなかったが(笑)

ドレスの刺繍はとても細かくて、殆ど痛みがない。
ハンカチだけが、真ん中の部分の布が裂けていた。

いつまでもこのまま生きていくのかと、死にたがっていたエリザベート。
刺された時は、胸に傷がついたことさせ気づかないまま、舟に乗り込みそのまま、意識を失い命絶えたという。

世界の歴史が大きく変わるとき、そこには女の影が、と言われるが、エリザベートもやはり歴史を変えたことになるのだろう。
お姉さんのお見合いに無理やり連れて行かれたそうで、その時行かなかったらもしかしたら、違った運命がやって来ていたのかもしれない。



フリースの袖に入ってしまったラナ
2003年01月15日(水)

寒くなりかけたころに私が着ていたみかん色のフリースをラナはたいそう気に入ってしまって、私が着さえすると飛びついてきてあんまりひどいので、ラナ用にすることにした。
それからと言うもの毎晩寝るときには上にかけてやっていたのだ。
あんまり過保護すぎるよねと、二人で言いながらも寝るときにはついついかけてやる。

今まで全然何事もなくきていたのだけど・・・
今朝のこと、朝起きて下へ行ってみるとラナがおかしな格好で丸まっている。「どうしたの、こんなに丸まって」と言いながら、フリースをはずそうとしたら、なんてこと。

完全に袖の中に入ってしまって身動きできない状態になっている。
あさ、まだふとんの中で、犬の鳴き声が聞こえて、
「ラナかなあ?でもよその犬の声のようだし、ラナが声を出すなんてないしなあ」
と、なんとなく気になりながら起きてきたのだ。
やっぱりあの声はラナだったのか?

なんと、肩のほうの袖の通し口から、前足を突っ込み、そのまま頭を突っ込んでいったらしい。
袖口から頭だけが飛び出ていて、袖の中に前足と身体がぎゅうぎゅうに押し込まれている。
これは、まるで動物虐待ではないかと言う言葉が頭の中をぐるぐる回る。
大急ぎではさみで袖口を切ってラナを出した。

ラナが弱っていたらどうしようと、まるで生きたここちがしなかったけれど、飛び出したらラナは身体をブルンと震わせて何事もなかったように走り回る。
多分朝方になって入ってしまったのだろう。
もうびっくりして、ほっとして、最後は笑ってしまったけど、顔から血の気が引いた気分だった。

どんなことが事故の元になるのかわからない。
その上、散歩にでれば、オスのワンちゃんに思いっきり迫られて、逃げるのに一苦労。私の足にまで取り付いて離れないのだ。

飼い主さんはと言うと、殆ど見て見ぬふり、リードをつけてくださいと言うと、「あんたちょっと止って、そしたら犬を捕まえるから」だって。

そして、そのわんちゃんに「お前、嫌われてるのにしつこくしたら駄目だといってるだろうが」と言うだけ。
ごめんなさいの言葉も出ない。すっかり疲れ果てて帰ってきた。

今日は、なんだか変な一日だった。




香水の思い出
2003年01月14日(火)

久しぶりにゆっくりホームページを巡り歩いていて懐かしい香水の瓶をを発見した。

あれは、まだ、学校を卒業したばかりで、お化粧の仕方もわからず、それゆえにこそ化粧品店に足が向いていた。
おずおずと足を踏み入れた私は、悲しいかな実年齢よりかなり年上に見られていた。
化粧品店に入ることさえ初めてだったので、年齢のことはとうとう言えずじまい。
それで、言われるままに椅子に座ってそのころで言う「美容部員さん」にはじめて顔をいじってもらったのだ。

これくらいの口紅はつけなくちゃとか、アイラインはこう入れてとか、言われるまま、されるままで、まるで自分ではない顔が出来上がるのに抵抗さえできなかった。
その時に見つけた、ホワイトローズという香水。
綺麗な瓶に入っていて、とてもいい香り。

というよりも、薔薇の香りだと言うことと、容器のデザインの美しさとに、すっかり目を奪われてしまっていた。
化粧をしたことで、それが似合ってるのか似合ってないのかさえ判断つかないくせに、大人の仲間入りをしたような気分に陥っていた。
そして、少しでも大人に見られたいとも思っていた。

心の中に大きなさざなみが起きて、もう収まりがつかなくなっていた。
化粧品を一式とその香水を買うとなると大きな決心が要る。
そのころ、就職したばかりで、1月分の給料は、この化粧品と香水は同時には買えなかったのだ。
その時心の中に沸き起こった波は結局抑えることはできず、思い切って香水を買うことにした。

綺麗な瓶にはいった香水は、綺麗な布がしいてあった。
でもその香水を使うには、アトマイザーが別に必要だった。
結局、アトマイザーも形が素敵で、銀色のライターのようなタイプを選んだ。

持っていたお金を全部はたいて、香水を大事に持って帰るとき、私の心には羽がはえていたような気がする。
駅のトイレに入り、自分の顔ではない、つけてもらった化粧は全部洗い流し
やっと平常心を取り戻しながら、それでも香水の瓶をしっかり抱いてほかのことは何も考えずに家路に着いたような気がする。

でも、日常的に香水を使うことはなく、いつの間にか鏡台の奥にしっかり仕舞いこんでいた。結婚する時も大事に持ってきた。
でもやっぱり、使うことはなく仕舞いこまれたまま。

いまでも、殆ど減っていない。
蓋を開けることがないので、中身も減ることなく香りも残っている。
でも良く見ると、買ったときの透き通った美しさが消え濃い色に変わっている。

あるホームページが、殆ど思い出したことのなかった、あの頃・・・
はじめて世の中に足を踏み出したころのことをまるで、昨日のことのように思い出させてくれた。



お正月になると必ず作ったうま煮
2003年01月10日(金)

先日息子が電話してきて、「今度もうま煮作った?」と聞いてきた。
息子はなぜか田舎風の煮物が好き。
かぼちゃの煮たのとか、肉じゃがとかうま煮とか。

年末になると根野菜をたくさん買いこんでしいたけやコブと一緒に煮込むのだ。大きななべにいっぱい作っても2日もするもうないのというくらいにすっかり平らげる。

子供たちにとって、お正月と言うのはおとそを飲む日でなく旨煮を食べる日なのだ。今年も、材料は買ったのだけど、作らずに終わっていた。
でも、電話で話していると急に作りたくなってきた。

それに、レンコンやごぼうやてんぷら類も買ってあるし、にんじんはたくさん貰ってきて、乱切りにして冷凍してある。
やっぱり作ろうと、昨日3時ころから作り出した。
だって、煮物は炊き立てじゃなく煮上がったものを火を止めて冷えた間においしくなるのだもの。

レンコン、ごぼう、鶏肉、てんぷら、にんじん、しいたけ、こんにゃくがあったので、ある材料で作った。サトイモを入れると良いのだけどそれはないのでしいたけを多めに入れた。

材料をどんどん刻んでいくと、結構な量になる。
やっぱり作りすぎる。

結果、いつものように一品料理になってしまうのだ。
そして、子供の分までお腹いっぱい食べてしまう。

なぜか、年末年始になると、子供恋し、母恋しの気弱な母親になってしまう。


だんご汁、すいとんとも言うけど、田舎での呼び名はだご汁
2003年01月09日(木)

だけど、田舎での本当の言い方は「つんきいだごじる」なのだ。
「つんきい」とは、「ちぎった」と言う意味。

佐賀の田舎では、ふつう「だごじる」と言えば、自分のうちで小麦粉をこねて作るいわゆる手打ちうどんなのだ。
市販のうどん玉のように細くて上品なのでなく、太くて、煮た時にごってりとなるうどんであり、昔は大勢が集まると良く母が作ってくれたものだ。
作らなくなってもう何年になるのだろう。

お正月に行った時、すいとんの方のだご汁にしようと言う事になって、
大急ぎでお昼ご飯の替りに作った。
妹は私と12歳違いなのだが、ご飯がちょっと足りない時など今でもよく作るという。
私は、結婚してから一度も作ったことがない。
それで、言われるままに野菜を刻みながら、小麦粉の練り方を見る。

母に言わせると妹は練り方が下手だそうだ。
小麦粉は少量の塩を加え、お湯で練る。
水で練ると小麦粉が固くなるから絶対にお湯で練ること。
そして、ここが肝心なのだけど、練った小麦粉がボールのふちにくっついてべたべたした仕上がりのままではいけないのだ。
ちゃんとこねた小麦粉は決してくっつかないし、綺麗なやわらかい餅状になるという。つまり、パンをこねたときのあの状態だ。
それをたくさんの野菜と鶏肉で味を出したなべの中に手で小さくちぎって次々に放り込む。
そして、お酒と、みりんと、薄口しょうゆで味を調え、少しの濃い口おしょうゆで色をつけて出来上がり。

おせちで、痛んだ胃にも、久しぶりのだご汁はとてもおいしかった。

そこで、ゆうべ、同じようにご飯が少なかったので我が家でも初挑戦をした。夫が今夜は何だと言うので、だご汁だというと、露骨にいやな顔をした。何も夕食にそんなものをしなくても・・
それを無視して、何もいわずつくった訳だけど、結果はおいしかったそうだ。

それで、私が、なぜ今まで一度も作らなかったのか、それになぜ、夫がいやな顔をしたのか・・・
気が付いたのだ。
妹は私より12歳下。つまり、時代がそれほど貧しかったわけではない。
だからその昔、彼女が食べていただご汁はおいしかったのだ。
だから今でも、抵抗なく簡単だと言う理由で作るし、子供たちも喜んで食べる。

引き換え、私の時代はどうだろう。
だご汁は貧しさを象徴する食べ物だった。
だから、結婚してから一度も作らなかったし、夫もメニューを聞いていやな顔をしたのだ。
でも、今のだご汁はおいしい。

鶏肉に、ごぼう、大根、にんじん、白菜、こんにゃくに、てんぷら、ちくわが入るのだもの、おいしくないはずがない。
それで、これからはたまにだけど、食卓に出そうな気がする。
色が真っ赤な、自家製のゆずごしょうを入れて食べると、より温まるし。



寝てるか、食べてるか、飲んでるか、のお正月
2003年01月05日(日)

2日は、殆ど寝てすごしたので、記憶がない。
3日に夫が朝のうち出勤、その後実家に年始まいりに行く。

姉妹が、久しぶりに3組集まって話に花が咲く。
お昼からずっと、飲んで食べて寝て、ぐうたらのし放題。

4日になってさあ帰ろうと言う頃になると雪が降ってきた。
雪予報は出ていたのだけど、まあ、大したことはないだろうと心の中では思っているのだ。大体九州だものそんなに降るはずはないのだと。
それがだ、高速道路を走るほどにひどくなり、福岡に近づくほどに周りの景色が変わってきた。

ラナは車に酔ってしまってすっかりぼろ雑巾のような顔になっている。
いつもは1時間強で着くはずのところを3時間半もかかってしまう。
私たちが家についたころ高速道路は通行止めに。

5日はあさから、一番に公民館の掃除。
雪が降った玄関をそっと歩いて外へ出る。
本来なら外掃除があるのだけど、雪ですっかり覆われているので、室内だけで終わり。時間は大してかからなかったのでかえってよかったかも。

そして、今日はリンの命日。
去年の今日はものすごくいいお天気だった。
それなのに、今年はすごい雪景色。
お参りに行く予定だったのだけど、場所が山の中なので通行禁止になっている。仕方がないので、連絡をとって、来週行くことにした。




2003年はどんな年?
2003年01月01日(水)

朝早く起き出して、太宰府天満宮に運勢を占いに行くのがここ数年の行事になっていた。
今年ももちろんと思っていたのだが、夕べというか、早朝と言うか、お向かいの方が、初詣に出かけられるころ寝に付いた結果、起きられずに結局はっきり目があいたのが7時半。
夫はまだ熟睡中、とりあえず散歩を済まそうと玄関に出る。
朝一番に分厚い新聞を手にするのもまた、新年の喜びだと新聞受けを見るが、なんと新聞がない。
どこを探しても見付からない。

なんてこと、新年第一号の朝刊が届けられていない。
忘れられているのだ。
あんまり早く電話するのも気が引けるので、3日まで待つことにしたが、
気分は正直良くない。

結局は、ゆっくりおとそを済ませてお昼ころに大宰府に向かう。
いつも多いのだけど時間が特に混んでる時間になったようで、まるでアリの行列。一向に進まない。
やっと本殿まで進み、お参りを済ませてから、お札を買いに行く。
家内安全のお札をいつものように買い求めると2000円と言われる。
あれ、今年は値上がりしたのかと思い素直に2000円渡すとなんと2枚くれたのだ。つまりどういうわけか2枚だと思ったらしい。

一枚は返したけれど、これで、2度目のケチ。
では、と、いつものようにおまけ(景品)付きのおみくじを引いてみる。
やっぱりよくない、二人とも「末吉」で、景品はカレンダー付きの懐紙いれ?殆ど使えない。

まあ、神様に文句を言うと罰が当たるので、それを戴いて帰ってきた。
「初めよければ万事よし」と言うけれど、「初め悪ければ後はよし」なんて言葉もあるし?まあ、心の持ちようだとお互い慰めあう。

この日は、毎年義妹たちがやってくる日。
いつもと同じようにうちにやってきたのは夕方?ほぼ8時。
帰ったのは深夜1時半過ぎ。早朝3時半ころに今着いたよと電話が来た。

こうして、又今年も始まった。






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