ちょっと近くの野原にお散歩のつもりが登山靴、靴下、リュックを持参してくれたご近所の年上の彼女。 彼女は、アルプス登山を最後の目標にしてあちこち登ってる人、とにかくちょっと行ってみようと、着いて行ったのだけど、 きつかったら途中で戻ろうねといいながら、ゆっくりあるけば大丈夫の声に励まされながら、メンバーは、5人だけど、私を除いて皆60代なのです。もちろんみんなは、ある程度の経験者。登山靴を持ってる人たち。 そこすべるから気をつけて・・大丈夫、休もうか・・と、声をかけられながら、でも、私が、みんなよりはるかに?若いんだけど。と、複雑な心情で、(体力は、みんなよりはるかに劣るんです) 1時間半くらいあるいたかしら、でも、時間を感じないのです。そこで、良しもう少し頑張ろうと、頂上まで、行くことになったのです。断崖絶壁、(と、私には感じられる)そんなところや、木の根がいっぱいで、足の置き場を注意深く探しながら、最後には、岩登り・・・ でも、着いたのです。頂上に。2時間半の工程でした。 この山は、福岡県民の登山コースとして知られていますが、私は、運動はまるで、駄目、体力まるで駄目人間なので、高校生の時、友人と佐賀にある天山に登ったのが、 最初で最後の登山でした。 しんじられない。ここに私がいる! それが感想なんだけど、でも、カメラは持参しなかったので、証拠はないのです。 帰りも同じ道。 行きよりも帰りのほうが、怖かった・・ 途中で、転んだ人もいて・・ けど、おしゃべりしながら、あるくと何とかなるんだなあと実感でした。 けど、かなりお荷物だったかも。 約830メートルのやま。 全工程を6時間で、終わりました。 夕方、帰ってきた夫に言うと、えっ! と、絶句。ほんとにか?ですって。 本人が、信じられないんだものね。無理ないよ。 お風呂に入って、寝るころには、足が張って、パンパンでした。 興奮状態が、続いてて、寝れないかと思ったけど、布団に入った瞬間、もう意識がありませんでした。
福岡県にあるスサノオ神社の境内には、 樹齢600年の大藤がある。 テレビで、紹介されていたので、頼み込んで、土曜日に行ってみた。雨の予報が、出ていたので、朝早く出発する。 到着したのが10時丁度。でも、もうかなりの人出で、近くの駐車場には、止めれなかった。 でも、町役場の人が、たくさん出ていて、離れた駐車場から、無料の送迎バスが出ていた。私たちは、たった二人なのに、何も言わず、送ってくれて、とても感激だった。 開花情報が、書かれていて南の大木が、7部咲き、孫木は、5分咲き。 連休まで、散らずに頑張りますと書いてあるのが、ユーモラスで、嬉しかった。 こちらが、南側の大木の根の部分
小学校が、小高い丘に建っている。 そのそばに、アザミが咲いている。 もう少し先の山のほうに行くと、しっかりと根を張って、自己主張の強さを表すようなアザミが両手を精一杯広げている。 でも、まだ、蕾だった。 子供のころ、この季節になると、すかんぽやアザミを取りに行ったものだ。 といっても、家の前は、国鉄の線路なので、いくらも歩かなくても、両手にいっぱい取れるのだ。 あのころ、すかんぽは、土地言葉で、「しいかんちょ」と呼んでいたような気がする。茎を食べると、すっぱい味がして、それでも、草の汁がほうふにあって、おいしかった。 今の子供たちは、決して食べないと思うけど、ある種、ゲーム、ある種おやつと言った感覚だった。 それに、アザミのとげを気にしながらも、美しさに勝てず、できるだけ大輪の花を選んで、抜いて帰ったものだった。 今でも、人目のないところで、そっとやってみたくなる遊びである。 たんぽぽやれんげを、両手いっぱい摘んで、花冠を作ったり・・このごろ、れんげそうは、探さないと、見付からなくなってしまったが。 今日のようにいいお天気だと、どうしても野原に出かけたくなる。
夕べ夜半から、しっかりとした雨の音。 昨日はまるで夏のような一日だったのに。 雨音を聞きながら先日、山歩きをしたときに見つけた、小さな祠に立てかけてあった、手作りの箒を思い出しました。 ほうき草という春先に芽吹き、夏に新緑、秋に実を結び真っ赤に紅葉する一年草があるのです。その草を、手元を結んで、乾燥させる。 そして、形を整えると、小さな手ほうきができるのですが・・・ その芽がたくさん出たので、もらいにおいでというので、今年は、私も、育ててみようと思っています。 それから連想するのは、源氏物語にある「ははきぎ」のはなし。 雨夜の品定めは有名な源氏物語、帚木(ははきぎ)にあるくだり。 光の君と空蝉の間で、和歌が交わされるのですが、 「あるように見えてそばによれば、(あなたの姿は)、見えない。」と、源氏 私は(ははきぎに)姿を変えたのです。」と、空蝉 この時代の意志の伝達方法は、今の私たちよりも、数段、心に響くものだったように思います。 この、「ははきぎ」という言葉、母の意味でも使われています。 「沙羅 源氏物語」のサイトにはお母様が、読まれたうたが、載せてあります。 悲しみに満ちた母の思いです。
傍らで水を飲む気配 ん?眠ってるはず・・ ああ、ゆめをみてる 水を飲んで、さあ次は・・ きゃんきゃん・・わんわん 思わず、目を見交わす 起きてる時きいたことのない声 パピーの鳴き声 子育てに夢中だったあの時代 過ぎ去った幼子をその声に見る いとしいもの
ちょっと遅れたけれど、評判の高さに、やっぱり見に行く 数学だけに夢中で、まるでもてない男それなのに、なぜラッセル・クロウ? こんな気持ちもちょっぴり。 ノーベル賞の対象となった研究「ゲーム理論」は、映画を見た範囲では、残念だけど、殆ど理解できず、最後に字幕で、紹介されて、ものすごい広い範囲で、応用されるものだということだけはわかったが( 笑) 大学の寮が、一人部屋のはずなのにルームメイトが・・ この時点で、おかしいと気づくべきかも知れないが、あまりに魅力的なルームメイトで、まるで気づかず。 それから、好みから言うと、スパイのパーチャーも、いかにもという感じ。とてもよかった。 後半からの展開には、完全に引き込まれた。 毎日大学に聴講生として通うナッシュ。オフィスがいるかいと、問われて「部屋はいらない、図書室でいい。」 初めて教壇に立ったときの、横暴な態度が、私の脳裏にちらつく。 激しい狂気と、それを、抑えようとする、理性。 控えめな、控えめな演技に、クロウではなく、完全にナッシュを追っている自分に気がつく。 献身という言葉があるけれど、アリシアのそれは、愛そのもの。 「今の彼の上に、愛してくれた時の彼を見て今の私をその時の私にするの。いつもというわけには行かないけど」 (苦労があるとき、年を取った時、本当はこうありたいけど、なかなかできないな) それから40年もの間、毎日、大学の図書室に通い続けるナッシュ、ある日、一人の学生が、目をきらきらさせながら、話しかけてくる。 「ナッシュ教授ですよね」 そして、人とのかかわりが、あれほど苦手だった彼が、手に持った、サンドイッチを進め、学生と、笑顔で話し始める。 彼の周りには、アリシアや、学友など、いつでも、見守ってくれる人がいた。ノーベル賞は、数学に対してだと思うけど、もしかしたら、彼の、頑張り、決して治る見込みのない分裂症を、ここまで、しっかり付き合って飼いならしてきたその業績にも、よるのではないかと思わせた。 若き日に、クラブでペンを一人ずつ、置いていくシーンを、羨望の目で見ていたナッシュ。 そのクラブに誘われ、同じように、たくさんの人が彼にペンを差し出す。そして授賞式。 あのハンカチを愛のしるしとして、最後に鼻にもって行くナッシュ。 その何ともいえず、柔和な顔、あの激しい狂気は、もうどこにも見付からなかった。今でも、ナッシュ教授は、大学に通い続けているそうだ。 自分の心をここまで、しっかり見据えて、その意志の強さで、押さえきれない狂気までをも克服する。 ああ、ほんのちょっとでいい。私にもあればいいのだけれど。その強さが。
平和のためと称して、アメリカが、ソマリアの内戦に介入した時の実話 感想を書くにも、紹介と称するにも言葉を捜しながら、書かなければならない。何のための戦争だったのか、あの市街戦で死亡したのは、アメリカ軍19名,ソマリ軍(人というべきかも)1000人。 「この映画は、見てあなたが判断を」と、監督は言われたそうだが、 出撃前の兵士たちの、いかにもアメリカ人的なというか、テレビを見て笑ったり、また恋人に電話をしたり・・・ 1時間で終了する作戦だった筈。 戦争になぜ行くのか、・・未来を作るため。軍曹の答えに 冷たく笑う中佐。彼だけが、戦争を知っていたのだ。 ヘリから落ちる一人の兵士。 悪夢が始まる。「ブラックホーク・ダウン」と叫ぶ声。 なんとしても、全員を連れ帰れ。一人も残すな。 もう、どの人物が誰なのかよくわからなくなる。 とにかく、RPGのすさまじい炸裂。手や足や、胴体がちぎれる。 なんとしても、仲間を連れ帰ろう。 捕虜を捕獲して戻るだけの作戦の筈が、信じられないような、市街地で、信じられないような、戦争。 あれが、現実。 襲ってくる人々は、本当にアイディード派だけ? 暴徒となった市民は、ただ、外敵としてアメリカ人を襲っているだけでは。 ただただ、ソマリ人は暴徒にしか見えない。 だけど、あそこは、町の筈、一般の市民のほうが多いのでは・・ 心の中で、葛藤がおきる。耐えられなくなりそうな1時間40分 ものすごい緊張で、この映画は終わった。残ったのは、激しい疲労。 誰もヒーローになりたくて行くんじゃない。 結果としてヒーローになるんだ。 その前に、なぜ、その戦争が必要なのか、もう一度考えたいと思う
三日目 3/23(最終日) 翌朝の朝食は、テーブルにセットがいっぱい(予約がいっぱいは、本当だったんだ。) お昼のお弁当付きのプランだったので、お弁当を貰ってから出かける。 こどもの国の開園が、9時からなので、8時半に出発。でも青島に先に行くほうがいいなと思い直し、青島へ。 風が強いが、晴れて良いお天気。初めてだ。 青島神社へ入る前にお土産やさんについ目が行ってしまう。 綺麗な貝で作ったブローチや、タイピンや、飾り物。 殆どお土産を買わない主義なのに、つい買ってしまった。 安いよといわれても、心の中ではほんとかな?でも、久しぶりのお天気につい嬉しくて、三つも・・・ 青島神宮の境内は、まさに南国、ここにある樹木はまず本土では眼にすることはない。 島の外周をぐるっとまわってみる。石が、貝殻が、珍しい形で、侵食されている。 母は、綺麗な貝拾いに夢中。 樹木は、過酷な風を受けて捻じ曲がりながら、しっかり太い根を張っていた。 南国のムードをしっかり感じながら、子供の国へ。 ああ、ここは、こんなに綺麗だったかと、昔を思い出す。 ただ、青い、草がいっぱいだったような思い出が・・ いたるところに、美しく整形された、花たちが、まるで、目が覚めるような美しさだ。 とりあえず、全体を見たいので、観覧車に乗る。 上空に上ったところで、海がとてもやさしく波打っていて、とにかくすばらしい。 ああ、きてよかったねえ。三人で、声を合わせる。 父が元気だったら一緒に来たかったねえ、思わず、言葉にしてしまった。 両親を連れての旅行は、子供たちが、まだ小さかったころ、山口県の秋芳洞へ行ったきり。下の子は、抱っこしての旅行だった。 ちょっと、思い出を語り合ったりしたら、もう下界。ゆっくり歩いて回る。 どこを見ても花、花、花、始まったのが確か16日だから、ちょうど一週間くらい。 見所いっぱいなのだ。途中で、シャッター押してくださいと頼まれる。 若い女性の一人旅だ。構図は、こっちがいいのではとついおばさん気を、出したら、 いえ、ここでいいのですと、見事にぴしゃり。 パンジーや、ラベンダーや、その他いっぱい、名前を知らないのもたくさん。 ただ、ポピーが、とにかく大輪なのに驚いた。 肥料の無料配布をやってるから、貰っていってくださいと声をかけられる。 宮崎の家畜に関するアンケートを書いて、人数分の肥料をくれるのだ。 でも、宮崎には、家畜は多いと思いますか?という質問には、ちょっと答えられない。はいに、丸をつけたけどよかったのかな? いつまでも、遊んでるわけに行かないので、1時ころに出る。 あとひとつ、高千穂峡をとおる予定なのだが・・・ 延岡まで、10号線をまっしぐら、の予定が、つい、こっちの山越えのほうが、近いようなと口を出してしまう。 これが間違いの元。迷った夫、良し行ってみるかということになり、途中で、山越えの道を行く。日向から西郷、五ヶ瀬に向かう道路だ。 五ヶ瀬は、スキー場があるところだし、平家の落人伝説があるところ、それだけで、 山奥だと悟るべきだったのだけど・・・・ 通潤橋を見た時に、時間が、絶望的になり、でも、ずっと桜並木が続いた時は、 よかったのだけど、諸塚山スカイラインという名前、それから飯干峠・・もう決して忘れない、目的が登山であれば問題ないけれど、横断するためだったら、どんな人でも行かないだろうと思う、決して。 果たして、出られるのだろうかと思うような、山道をひたすらカーブしながら登り、やっと降りて、高千穂峡への分かれ道に着いたのはもう午後5時、母は心労で、疲れてるし、ワンちゃんを迎えに行くのは、7時と言ってあるし、夫は、いきたそうだったけど、あきらめる。 でも、この道路、多分ある意味穴場のようで、たまに、車に出会ったし、人にも出会った。登山や、山菜取りの人が出入りしているのだろう。 この後、御船インターまで走り、そこで、6時、ひたすら福岡へ。 約束の時間7時に、ちょっと遅れて到着。覚えていてくれるかと、ほんの少しの不安が、あったが、ちゃんと覚えてて喜ぶ。 「えさがちょっと多めだったようですよ。残してました。 他のワンちゃんを追いかけて遊んで、たまに怒られてもめげずに追ってました。 でも、どうしても、お外に出たがらないので、お部屋でだけ遊びました。」と、報告を受けてる間、ぴょんぴょん飛びながら、思い出したようにまた部屋に戻ったりする、ラナを受け取り、我が家に帰る。 全工程1000キロ以上。 こんなに走ったの初めてだという夫も、お疲れ気味。一人運転だものね。 いろいろ途中変更もあったけど、楽しい旅行だった。
2日目(3月22日) 指宿から鹿児島の桜島へ、それから宮崎へ向かう 指宿を出たのは、8時ちょうど。スカイラインを行けばよかったのだけど、雨だし(あんまり関係ないかな)鹿児島の市電も見たいしとわりと気にしないで下の道を走る。すると、平日のため道路は混雑、雨はひどくなる一方。 予定を変更して、桜島へ寄るのはやめにして、そのまま宮崎へ。 昨日鹿児島へ入ってから、あらゆるお店にお芋が、売ってあるのをちょっと奇異な目で見ていたが、やっぱりお土産に買おうかと話は決まった。 けど、この予定変更で、お芋は、その後目にすることがなかった。 市電だけは、他の車に邪魔されながも、見て通過。鹿児島市は、思いのほか都会だった。 本当は、、この日、こどもの国のフラワーフェスタを予定していたが、この雨ではと、思い直し、まずは、鵜戸神宮へ。 大昔、ふた昔以上も前に訪れたことがあるけれど、岬の突端の神宮までは遠かった記憶がある。 そこで、途中で、腹ごしらえ、「しゃんしゃんうどん」と言うのを食べた。おいしかった。 駐車場から本宮まで、やはり遠かった。 でも、道路はすっかり整備が整い、昔のあの、穴のような道とは大違い。 ほんの少し、小止みになった雨が嬉しい。 お乳岩には、男性の観光客が、歓声を上げながら、恥ずかしそうに触っていた。 私もやっぱり触ってみる。ちょっと気恥ずかしい気分。 その後、メインの亀岩への石投げ、三人とも、一つも入らなかった。 仕方がないので、幸運の石を買って帰る事にした。神宮に飼ってある?いのししに遭遇してびっくり。こんなに近くで見るのは初めてとビデオに収める。 堀切峠の眺めは、雨がひどいため断念。 次に、サンメッセ日南へ。 小高い丘を一面切り開いて作られた、テーマパーク。ラウンドカーの貸し出しがあるのだけどこの日は、雨のため中止。 雨はほとんどやんでたんだけど・・・残念。 歩ける範囲を歩こうと、入ってみる。 大きなモアイ像が海に面して7体。でも、向いている方角は海ではなく頂上の地球感謝の鐘の中央。年に2回春分の日と秋分の日、真ん中のモアイの背中から、昇った朝日が、天空の塔の10センチの隙間から太陽の階段を駆け上り、頂上の鐘の中央に差し込むように設計されてるという。 その場面に立ち会えたら、きっと感動するだろうなあ。 でも、今年は、前にも書いたようにひどい雨の日だったのです。 羊の牧場で、怖い声の羊にえさを上げ(母が、びっくりしてえさを取り落とすシーンあり) ゆっくりと小一時間散策。この間傘は手にしていたが殆どささずにすごせた。海も、見えたし少しは満足。建物の中には、結局入らず。 次に、サボテンハーブ園へ。 車に乗っている間、やはり雨。 サボテン公園と呼んでいた昔は、グロテスクなサボテンがにょきにょき林立していたのを思い浮かべながら到着すると、以前とは、すっかり変わっているよな・・また、ここで、ちょうど雨が小止みになる。 スロープコンベアがついて、上へ自動的に運んでくれる。 コンベアが上りついたところは、パンジーがぎっしり。見事だ。 そこで夫いわく、うちで、こんなに花がついたことはないなあ・・ その言葉には、実に真実味が・・私、絶句・・である。 その場所から、頂上まで、スロープカーが動いていたが、殆ど、怖がることなどない母が、コンベアで、怖がってる様子がありありで、大笑いだったのだけど、疲れもかなりあったので、上まで行くのはやめにする。 ブーゲンビリアの温室では、真っ赤な花が、咲き誇っていたし、金蓮花も、いっぱい咲き誇っていた。サボテンも、グロテスクなものは、殆ど見当たらず、全体に、優しい感じだった。といって、全部見たわけではなかったけれど。うっかりして、食虫植物園を見逃したのが、残念だったが、 来たことのなかった母は、一応満足だったよう。 また、雨が降ってきたので、そろそろ宿に向かうことにする。 ホテルは、大淀川のほとり。 温泉がついていないのが残念だけど、近くの温泉のチケットをくれるので、それもまた楽しみ。 到着は、ほぼ5時。 食事を6時に頼み、とりあえず、大浴場へ。なんと他に、お風呂の客はいなくて、母と二人。熱いので、水を入れる。 こんなお風呂始めて。 食事に行くと、用意されてるのは、私たち3人分のみ。 でも、予約の時、確かに、3人部屋がひとつだけ空いてるって・・? ゆっくりできて、よかったけど、こんな経験も初めて。 温泉の券をもらって、行ったところ、なんと、名前は、一流なのに、実態は・・・他の温泉でも、共通券なのに、・・・もうがっかり。 でも、温泉自体は、美人湯、たまゆらの湯なんだから良しとしよう。 ベッドはゆっくりでしっかり眠る。母は、いびきで眠れなかったらしいが・・
もう花が4つになりました。 真っ赤で、とても綺麗です。
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