日々の思い

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ひさしぶりに
2002年03月30日(土)

お花の写真を更新しました。


鹿児島旅行
2002年03月29日(金)

1日目
3/21AM7:00 自宅出発
ラナをペットホテルに預け、大宰府インターから、一路鹿児島へ。ずっと高速道路のため、その上、かなりの雨。運転は、夫一人なので、大変だろうなあと思いつつ、ほとんど、うつらうつら・・
ナビゲーターとしては、点数が上げれない状態が、鹿児島まで続く。
途中トンネルが23個も続くところがあるのだけど、ほとんどおぼろ。

指宿スカイラインに変わる。トイレ休憩をかねて展望所でおりる。
晴れてると素敵なところなのだけど、1メートル先も見えないほどの深い霧。それでも、雨がやんだので、降りてみる。
鹿児島湾が、一望できるはずだが、霧のため、多分海だろうくらいしか見えない。でも、指宿の香りを吸って、また乗り込む。


目的地は、知覧特攻平和会館。
映画「ホタル」で、出てきた桜のトンネルが、そのままにとても美しかった。
中に入るときそれなりに覚悟して入ったけれど、隊員たちが、遺書として、書いた手紙の数々。やはり涙なしでは、読むことはできなかった。実物を目の当たりにすると、戦争とは・・と、改めて、考えてしま
う。彼らが、妹や、弟、両親に当てた手紙には、自分のことではなく、残されるものの事を、心から、厭う気持ちが字面から、にじみ出るように書いてある。
欲などかけらも感じられなかった。
ただただ、自然に心から湧き出る言葉がつづってあった。まだ17歳の少年もいた。土地の子供たちと野球などをしてる写真は、これから死に向かうなど、微塵も感じられない。あどけなく楽しそうに見えた。
彼らを見送った桜は、いまも、とても綺麗に咲きそろっていた。鹿児島市は、桜の開花は、遅いのに、指宿では、もう満開だった。



重い気持ちを奮い立たせて、次に向かったのは、武家屋敷
山口県にある萩の城下町は行った事はあるのだけど、こちらの武家屋敷は、庭が、そのまま保存されていて、苔むした、石垣など今が、平成の時代であることを忘れさせてくれた。


経費節約のために自宅から用意した、お弁当を食べて、腹ごしらえ。
かなり歩いたので、ちょっと疲れ気味だ、この後池田湖を回って、フラワーパーク鹿児島。長崎鼻、そしてホテルの予定。

池田湖は、ネス湖のネッシー、屈斜路湖のクッシーと同じようにイッシーが住むとされている。このあたりでは、雨もやんだけれど、強風があり、それに、やはり、イッシーは幻の怪獣であった(笑)
ただ、締め殺しの木が大木に育ったのがあり、不気味さを添えてはいたが・・・
フラワーパークに着いたときは、また雨。
それに中は広く、ゆっくり回れば1時間以上もかかるというので、お花を見るのは、宮崎だけにしようと、ここは、引き上げることにして、そこから5分の長崎鼻に行く。パーキングガーデンになっていて、動物園もあるのだけど、目的は、海を見ることなので、突端まで、歩いていく。
ちょうど雨がやんでいたのでちょっと寒いが良い感じだ。
開聞岳がくっきりと見え、ああ、ここは、日本の果て、薩摩半島の最南端と大きく息を吸ってみる。晴れた日には、種子島や屋久島までも見れるのに、とても残念。
でも錦江湾の綺麗な水の色、まさにコバルトブルーはしっかり感じた。






さて、これからホテル。温泉に入って、ゆっくりしよう。
母も、疲れてるが、海を見れたことに大いに満足していた。
到着は、PM6:00ほぼ予定通り。




休日の過ごし方
2002年03月18日(月)

この二日間、本当に、良いお天気だった。
そこで、冬中伸ばし放題の草を抜くことにした。
狭い庭だけど、よく伸びてるところ、ちっとも伸びないところさまざまだ。
今の草は、抜くのが、気が引けるほどに、やわらかい。
でも、この時期を逃すと、土が固くなり作業が困難になる。そこで、土曜日からの二日間、今風に言えば、ガーデニング、つまり土いじりに徹したのだ。
パンジーが、どういうわけか、なかなか花をつけなかったのが、突然大きな花を付け出したし、プリムラもよく咲いている。
気をよくしながら、ここ数年気になっていた、ローズマリーを植え替えようと抜いてみた。4年位前の台風で、かなり傾いてしまっていたのだ。もう植えつけてから、10年は過ぎた、大木だったので、大変だったけど、いざ抜いてみると根がほとんどなくなっていた。もう植えつけても改修不能の状態だ。こんな状態で、どうして、と思うほどの葉の繁りようなのだが・・・
仕方がないので、葉だけを収穫して、木は、のこぎりで切って、処分した。
今度は、さし芽で、やってみよう。
セージ類は、今年も、あちこちから、新芽を伸ばし始めた。
気持ちよい疲れに包まれた二日間だったけど、夜になると、もう目を開けていられない二日間でもあった。





今朝の気分
2002年03月16日(土)

「やさしさに包まれたなら」  荒井由美

小さい頃は神さまがいて
不思議に夢をかなえてくれた
やさしい気持で目覚めた朝は
おとなになっても 奇跡はおこるよ

カーテンを開いて 静かな木洩れ陽の
やさしさに包まれたなら きっと
目にうつる全てのことは メッセージ
小さい頃は神さまがいて
毎日愛を届けてくれた
心の奥にしまい忘れた
大切な箱をひらくときは今

雨上がりの庭で くちなしの香りの
やさしさに包まれたなら きっと
目にうつる全てのことは メッセージ

カーテンを開いて 静かな木洩れ陽の
やさしさに包まれたなら きっと
目にうつる全てのことは メッセージ




指輪物語
2002年03月15日(金)

今日見てきた。
一言で、面白い。次回は、一年後なんて待てない。明日にでも見たい。

ものすごく大きなスケールを感じる。
ファミコンで、昔やった(今のはまったく知らないので)ファイナルファンタジー・・ロールプレイングゲームなんだけど、これをすぐに思い出した。
アニメであり、ゲームであり、ファンタジーである。
もちろん、子供にも楽しめると思うけど、
これは、紛れもなく大人の映画。
気がつたら、3時間が、過ぎていた。というより、え、もう3時間?の方が、あたってる。

特に美しい少年がいるわけではない(これは私の主観だが)
音楽がまたすばらしい。次々に襲い掛かる苦難。おどろおどろしい部分もあるが、
何かさらっとした感もあり、常にフロドの青い目に清らかさが漂っている。

まだ、興奮が残っている。
あと一年・・・長いなあ。

嬉しいことに今日の映画で6本目、次の映画が、ただで、見れる。


「平成」
2002年03月14日(木)

著者 青山繁晴

実名でサイトを運営されている青山さんの小説が、「文学界4月号」に発表された。

知っている方(?)の作品を、出来上がるのを待つようにして読むことなど、めったにない経験だが、書き始めからのいろんな苦悩などを、サイトで、公表されていたこともあり早速、購入して読んでみた。

読んでいてもつい雑念が混じってくる。
その雑念を追い払いながら読み進んだ。

感想というには、程遠いけれど、紹介のつもりで、書いてみる。

主人公「楠陽」彼は、アメリカの投資会社の東京支社のアナリスト。
ソウルから話は始まる。

導入部と本題に入るまでのプロットが長い。よく掴めないままに、皇太后が、なくなった日に時間は進んでいく。

彼は、元新聞記者。
11年前のメモが詰まっているダンボールをあけるところから、本題に入っていく。ここからは、推理小説を読んでいる錯覚に陥る。
五木寛之の「戒厳令の夜」というのが、なぜか頭の片隅から離れずに、ついて回った。

天皇が、病に倒れ、その後崩御される。元号が、「平成」と決まる。
その息詰まるような歴史的な時間を、刻一刻とまるで秒刻みで、進んでいく
研ぎ澄まされ、張り詰めた空気だけが、この小説を支配していると感じた。

天皇の、闘病の様子が、テレビで、輸血何ccと報道されていたのが、脳裏に浮かんでくる。

小気味よいテンポで淡々と進み、天田原との、心の通いを感じたころ、ヒロインは、これでおしまいと唐突に楠の前から去っていく。

題材が題材だけに、それに著者の青山さんが、記者であっただけに、作品と事実を頭の中で混同しながら、読んでしまう。

楠陽は、今の仕事を続けていくのだろうか、また、記者に戻ることはないのだろうか。まだ40歳位のはずだから・・・





3月
2002年03月13日(水)

もうすぐ新年度が始まる。
私の家族にとって、今年はそれぞれが
人生の試練の年。実は去年の暮れから
それが始まっているのだが。

母親として、妻として、してあげられることはない。
でも、こういう状態は、つらいものがある。
何も言わずただ信じる・・・一番難しいことかも。
今日美容院で髪を切ったら、何か心配事がありましたか?
と申し訳なさそうに聞かれた。つまりそうなのだ、円形脱毛症。
もう生えてきてますよ。だって。
う〜ん、こんな形で出てくるとは。

たくさん荷物を抱えている人の、その荷物。ひとつでも良い。
抱えてあげれたら・・心から思うけれど、
それもかなわない。けど、それらもみんなひっくるめて、
必要な時間なのだと思う。

去年中途退職のため、確定申告の書類を
作って、郵送した。納めた税金は
全額帰ってくる。せめてもの「わ〜い」だ。


春一番
2002年03月11日(月)

昨日、ここ北部九州でも春一番が吹いた。
生暖かい風とともに、本当に春がやってきた。

母から、野菜がたまに送ってくる。
買えば、手にはいる、白菜やほうれん草、大根である。
送るほうが、運賃がかかって、より高価なものになる。
でも、やっぱり嬉しい。母が乏しいお小遣いで、
運賃自分負担で、送ってくるのだもの。格別おいしく感じる。
着いた日は、結構大仕事だ。

白菜、ほうれん草は、ゆでてから、いろんなサイズにカット。
にんじん、ごぼうは、カットした後で、ゆでる。そして、それぞれ冷凍するのだ。
他に、ねぎ、にらは、洗ってカットして、そのまま冷凍。

楽しみであるけど、結構忙しい。
でも、いつでも、好きな時に使える。
味噌も、いつも、袋に小分けしてもらっているのだが、
(もちろんちゃんとお金は払ってる)
今回は、20キロ入りのたるで持ってきた。
それを1キロずつに小分けする。
コブや、根になるしょうがが入ってるのもまた嬉しい。

それらを、全部整理すると、半日はかかる。そして、冷凍庫に保存するのだ。
だから我が家には、多分不釣合いというくらいに大きな冷凍庫がある。

いつまでも、母の味をこうして分けてもらえる私。
幸せだと思う、同時に自分は、
子供たちにしてやれる自信はないなあ。




マーシャル・ロー
2002年03月09日(土)

デンゼル・ワシントンが好きなのと内容的に非常な興味があるのとで、ビデオを見る。

やっぱりデンゼル・ワシントンは、最高。
何を見ても、好き。

この作品は、2000年に公開されたものだが、その当時は、
現実におこるとは考えることもしなかった。
あくまで、第三世界の、アフリカの、中東の、といったところでしか、
テロは考えられなかった。
あの、トム・クランシーの作品のなかでもアメリカでのテロは
ありえないと書いているくらいだから。

でも、今見ると、まるで、暗示をしているような作品だ。
この映画の中での「軍」(将軍個人というほうがいいのかもしれないが)は、モンスターそのもの。
戒厳令をしかれ、自由を奪われた非白人たち。
それでも、私はアメリカ人ですという人々。FBIの同僚もアラブ系。
彼は、息子を人質にとられFBIであることを捨てようとする。
人が人でなくモンスターと、侵略され虐げられる他民族。
という二つに分かれたとき、どれだけの人が、
人間の尊厳を取り戻すために戦えるのか。
今、この時代、いつこの再現が・・と思わせる映画。


スプートニクの恋人
2002年03月08日(金)

村上春樹

いまさらという感じだけど、もう一度読み返した。
はじめ、なんとなく馴染めなくて、
と言うより、ストーリーを追うことを本を読むことと信じていた私に馴染めなかっただけなのだが。

「遠い太鼓」を読んで、もう一度という気になった。
ストーリーと言うより、視覚、感覚に訴えるものを感じてみた。

体の中のどこかに反応するある感覚。
みゅうが、すみれが、僕が取り込まれていった世界。
今の自分ではない、もう一人の自分。
会ってみたい気がする。
でも、会ってしまったら、もう戻れないかもしれない。

スプートニク、地球の周りを回りながら、すれ違うだけ。

以下、引用
「どうしてみんなこれほどまで孤独にならなくてはならないのだろう、
僕はそう思った。どうしてそんなに孤独になる必要があるのだ。
これだけ多くの人々がこの世界に生きていて、
それぞれに他者の中に何かを求めあっていて、なのになぜ我々は、
ここまで弧絶しなくてはならないのだ。何のために?
この惑星は人々の寂寥を滋養として回転を続けているのか」

寂しさの隙間を埋めるために・・netもそのひとつの手段なのかも


ベートーベンの恋文
2002年03月07日(木)

ベートーベンが「不滅の恋人」にあてた手紙がある。
小説の中でしか見たことがないような言葉が、なぐり書き状態で、書いてあるのだ。
しかも、相手が誰なのか、わからない。
あて先は、Kというところに今、いる女性。
それを、誰か知りたくて、40年もかけて追っている人がいた。
青木やよひさん。
夕べ遅くの番組でやっていた。ベートーベンには、たくさんの恋の遍歴があるが、肖像画も一人だけ名前がわからない人がある。柔らかで、みずみずしい感じの美しい人。

ベートーベンが亡くなったのは、1826年、今から176年も前のこと。
そんな時代に、耳が聞こえない彼が作った曲が、今も、これからも不滅のまま人々に愛されていく。

一日の朝と夕、そして次の日までもかけて書かれた恋文。

あなたは、私の命
あなたは私のすべて
私を愛し続けてください

ルード・ヴィッヒ・バン・ベートーベンより
永遠にあなたの、
永遠に私の
永遠に私たちの

と結ばれていた。
あなたは、天井の館そのものと彼に言わしめたその人は、夫があり、
4人の子供がいた人だったに違いないと、青木さんは言う。
その女性と暮らしてつかの間、別れることになり彼女は夫の元に戻ってゆく
その後5年もの空虚な歳月を経て、彼は人が変わったように曲を作り出していく。

ピアノ曲「ハンマー・クラヴィーア」
それから、交響曲第5番

そして、14年後、57歳で死亡。
彼は、私には、幸せな家庭は作れなかったと日記に残したそうだ。

彼の足跡をたどって、プラハを旅した青木さん、声が震えていた。



記念日
2002年03月06日(水)

今日は日本の暦では、啓蟄・・・虫が這い出てくる日である。

そして、ジャンヌ・ダルクの日だそうだ。
私たちが、少女のころに知ったジャンヌ・ダルクは金髪の美しい乙女だった。それをそのまま信じて、まるで、夢見るような感覚で、
おとぎばなし的に盲目的に信じてきた。
しかし、映画ジャンヌ・ダルクを見て初めて現実として感じてみると、
あれは狂気であり中世のあの時代だからこそのものだったようだ。

教科書に載っていたような金髪の細い少女があの重い鎧甲冑をつけて
、馬に乗って、武器を持って戦うことなどありえないことだ。
そこから想像すると、体の大きな、力持ちの女性だったはず。

でも、彼女は紛れもなく実在したわけであり、男たちを率いて戦ったのだ。
今、考えると彼女は、戦争の道具であり、政治家の犠牲者だったのだ。
19歳の乙女だもの、恋もしたいし、楽しい歌も歌いたかったろう。
自分が望んだ訳でもなく闘争に明け暮れ、火あぶりにされる。
残酷以外何者でもない。

今でも、小学校の教科書には、オルレアンの少女は、美しく美化されて載っているのだろうか


はかない一瞬
2002年03月05日(火)

日本人はなぜ桜が好きなのか・・以前からよく話題に上る。
やはりそのはかなさからだろう。
はかないものに対する気持ち
懐かしさであり、悲しさであり、押さえ切れないいとしさであり、
一言で言えば愛情そのものかもしれない。

その象徴が桜。
冬の間、つぼみが固く閉ざされて過ぎ、
ふと気がつくとどうしても隠せない喜びのように木の幹までが色づいて、
遠くから見ると、樹木全体が、薄桃色に見える。
それから時間をかけて、花芽が開いてゆく。
その時期になると、人々の、移動も始まる。喜びと希望で飛び立つ人。
不安で胸がつぶれそうな人。
悲しみに暮れる人。
それぞれの旅立ちがあり、その数だけ出会いがある。
花が満開になり心は浮き立つけれど、すぐに終わってしまうことも知っている。
そのはかなさ、危うさ、脆さ、だからこそ、よりいっそういとしさが募る。

また、今年もその時期が来る。


真っ白でいるよりも
2002年03月03日(日)

私は空から見られているのだわ

カラスに雲にトンボに天使に

空から見ると

意地悪も嫉妬も見えなくなって

私は私じゃなくなって

きっと地面に溶けている



フォスターチャイルド
2002年03月02日(土)

ケニアのメル地区にすむコビア君をチャイルドとして、
支援してきましたが、この地区が、フォスタープランの援助がなくても、
地域の人たちで、自分たちの力で、プロジェクトを維持、
地域を発展させていくことが出来るめどがついたそうです。
それで、この地区から、フォスタープランは撤退するという報告が来ました。

コビア君はとうとう、手紙を書けるまでにはなりませんでしたが、
これから彼らの新しい力が、地域を発展させていくことになるのです。
とても嬉しいことです。

一人でも、少しでも、何らかの協力を得て自力で、
生きていけるように早くこの世界が、なれるといいと願います。


34243
2002年03月01日(金)

ふと気がついたらめずらしい。
しんぶんしだあ(自爆・・はは)



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