日々の思い

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海の上のピアニスト
2001年01月28日(日)

劇場公開されたときに見に行った映画が、
wowwowで放映されたのでもう一度見た。
船の中で生まれ一度も陸地に降り立つことなく一生を終わった名ピアニストの話。
彼は言う。

鍵盤は端から端まで88しかない。
でも大都会はどうだ端はどこにあるのだ。
一体どこに見えるのだ・・と。
僕はキーボードの上でたくさんの曲を作る。
でも大都会ではたくさんの道たくさんの家たくさんの女。
一体どこを選べばいいのだ。
鍵盤が多すぎて弾くことができない・・と。

だから、人生を降りるしかないんだ・・と。
なんと悲しい言葉だろう。
こんな言葉の前では誰も何もなしえない。
人の力の無力さ。悲しさ。
以前公開された直後に長男が見てきて、
お母さんもぜひ見たらいいよと電話をくれた。
夫婦で見に行った。


震災の記憶
2001年01月27日(土)

昨日、阪神大震災の特集番組を見ていた。
母親と二人で、閉じこめられ、自分だけが助かった少女が、今は21歳。
岡山の大学に通っている。
母親の代わりに自分が死んだ方が、
世の中のためになったのではないかと言う思いを、
ずっと引きずって生きていた。
このままだと、この子は、生きていけないのではないかと、胸がつぶれる思いがした。
が・・・特集の最後に、彼女は神戸に帰っていった。
父親と一緒に暮らすという。その顔は、吹っ切れたように見えた。
きっと、彼女は、母親の分まで生きていくだろう。
親類に、震災にあった人がいる。
マンションが、崩壊したが、家族は無事で、喜び合ったのだが、
それもつかの間、その数ヶ月後、震災とは、何の関係もなく
ご主人は癌でなくなった。まだ30代前半。
残された彼女には、生まれたばかりの子供と、幼いその姉、
どんなにかつらかっただろう。
そのときの、赤ちゃんが、もう小学校にはいることになる。




子離れするって・・
2001年01月26日(金)

母親と子供
一緒にいると時間を共用してる感じでその時間も
同じ速さで流れているように錯覚してしまう。
それで、ある時期巣立っていかれるときに本当は
子供の時間は別の世界を流れていたんだと気づく。
そんな風に子離れって少しづつ少しづつ、
小さな事件を繰り返しながら進むものらしい。
はじめはその小さな事件は親にとってうれしい。
けれど、ある時期からただそっと見守るしかできないようになる。
当り前の事なのにもどかしい。
十分わかっていても心の葛藤が続く。




時間の使い方。
2001年01月25日(木)

時間が過ぎるのはとても早い。
ふと、気がつくと、もう1週間が終わる、なんて思うことがよくある。
いときは、一日が、もっと細かく分かれていたように思う。
つまり、メリハリがあったと言うこと。
ここのところ、何となく、流されてという場合が多い
。もう一度、心に、はっきりとした時間をきざみ直したい。
小学生のように、時間割を作って、実行してみようかしら・・



「芯」
2001年01月15日(月)

少し前、BBSに、
あなたは、しっかりと、芯を持っている人だと、書いてくださった人がいる。
それから、なぜか、その言葉が、頭を離れない。
私は長女で育ったからか、周りから、幼い頃からしっかりしていると、いわれてきた。
そのため、いつも、しっかりしている振りをしてきたように思う。
決して、目立つことをせず、いつも控えめにして、
そして、それを、何の抵抗もなく本当の自分だと、思ってきた。
でも、本当は、自己主張をしたいときがある。
だけど、やっぱり、飲み込んでしまう。
それが、いつの間にか、当たり前になって、
思うことがあっても、自分にいいわけをして、気持ちをなだめてしまっている。
そんなことの、積み重ねが、いつの間にか、
私の中に「芯」(あるとすればだが・・)を作っていったのだろうか?



穴釜
2001年01月14日(日)

私が、通っている陶芸教室で、穴釜で、作品を焼いてくれることになった。そこで、早速応募してみたのだが、できあがってきた。
先生が、鹿児島の釜場まで、持っていき、そこで、焼いてくれたわけだが、穴釜というのは、焼くのに、大変な労力を要するということだ。
中腰で、作品を釜に入れ、火をたく。
私は、まだ、テレビでしか、その光景を見たことがない。
穴釜というのは、色を出すのに釉薬を使わない。
灰で、色を出すのだ。
そのため、できあがったのは、何ともいえず、柔らかな、優しい色合いになる。
手元に引き取るのが、待ち遠しい。



ホームページ
2001年01月12日(金)

ホームページを開設して10ヶ月。
ただ嬉しくてあちこちログめぐりをしていた頃が何だか
ひどく遠い過去のような気がする。
それこそ一言メッセージが付いているのを見て
「どうしてこんなことができるのだろう」から始まった。
ブロバイダで、用意してくれたそのままのページで・・・
でもこの頃新規ではじめた方たちはちゃんといろんな技術を持っている。
すごいと思う。
素晴らしい技術で楽しませてくれる人。
いろんな情報を提供してくれる人。
言葉をじっくり選んで推敲を重ねて考えることを教えてくれる人。
そんなホームページを訪ね歩きながら、ときどき考えてしまう。
私は一体何ができるのだろうと。



新年
2001年01月05日(金)

クリスマスから,日記を休んで今日はもう2001年1月5日。
10日以上も過ぎてしまった。
30日には,姉妹が集まって、といっても、3家族しかこれなかったが、恒例のもちつき。
いつもながら,朝の早い母は,4時には起きて布団の上に座っていたという。

やっと6時におきだし,支度が整った庭で今では,機械による餅つきが始まった。
もち米を蒸すためのかまどに,まきをくべて火をたくのは,以前は,私の仕事だったが、今では,甥たちが引き受けている。
わいわいと騒ぎながら,次々についたもちをちぎって丸める。
いぜんは、ちぎるのは、父の仕事だったが今はもういない。
速かった父の話をしながら,少々不恰好な形に,弟や,主人達がちぎってゆく。
実家では,餅つきの日は,おでんが昼食といつのまにか,決まっていて前日から煮込んである。
それを火鉢の形の,コンロにかけて、おなかがすいたら勝手に味見をしながら,仕事を進めていくのだ。
今年は,早く終わってしまったので、かまどに火をたきながら,久しぶりにみんなで昔話に花が咲いた。
私のうちに,壱岐から送ってきた,サザエがあったので、
やきながらほおばり、ビールを飲みながら,つきたてのもちを食べる。
楽しい,ひと時だった。

元日には,主人の姉妹がやってくる。
帰ったのは9時半。
少々疲れ気味で,片づけが終わったら深夜。
そうこうして,2日には、新年のあいさつ回り。
毎年,お正月はこうして過ぎてゆく。
今までは,子供達と一緒だったが、今年は,主人と二人。
これから,二人で過ごすことが多くなるのだろう。
初めての,今年はちょっと,寂しさが先行したが・・
でも,元日の0時過ぎに,キャッチで入る状態で電話があり,
「忘れてないんだね」という私の言葉に,
「あたりまえだろ」という息子の言葉。
「ああ、親でよかった」と、胸が温かくなる。
こうして,今年も始まった。




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