やっと年賀状が終わった。 といっても,パソコンで作るわけだが・・・ この前,パソコンが壊れたことですっかりリストがなくなってることを, もっと早く気づくべきだった。 この二日でやろうとどっしりかまえて, さて取り出そうとして,初めて気がついた。 仕方がないので,年賀状を取り出し150枚の住所を入力した。 掃除を予定していたのだが,半分もできなかった。 ああ,今年もやはり,後悔に始まり後悔に終わりそうだ。 明日から,甥たちがやってくる 私は,仕事があるので,主人が中心に相手をすることになるが, 昼間を一人ですごすよりはいいのかも・・・ ついさっき、メールで、クリスマスカードがついた。 なんと,私がはじめてチャットに興味をもったときに,知り合って, 顔文字を送ってくれた女性だ。 それこそ一年程前のこと。 一時パソコンが不調になり,それ以来そのチャットには, 顔を出すこともなくなりすっかり,遠のいていた。 覚えていてくれたのだ。年の終わりにすごく嬉しかった ホームページをはじめて,いろんな方と知り合い, 自分の世界も少しは広がったように思う。 未来が不透明のこの時代にも,こんなにも暖かい人がいるのだと, 痛感したこの一年でもあった。
言いたいことを,遠慮せずに自分の言葉で はっきりいえたらどんなにいいだろうとおもう。 私には,天敵といっていいほどの人がいる。 もっともその人には、私だけではなく, ほかにも何人か同じ思いの人がいるのだが・・ こまかく言うとぐちにしか聞こえない 愚痴を言うのはプライドが許さない あくまで,何事もない風を装うでも, これが続くとどうしてもストレスになる。 よくある「女の戦い」と周りからは見られるぎりぎりまで我慢して, 言い返したい言葉をぐっと飲み込む。 でも,ときに絶えられなくなって、どうして こんな思いをしてまで,私は会社へ行くのだろう。 行きたくないやめてしまえばどれほど楽か・・ なんて思うのだが,会社のことを思うと、 やめるわけには行かない。彼女はもう60過ぎ・・・ もう少しと思うのだが・・時々つらくなる
親元を離れ,就職をして来年の3月で3年。 小さいときから,まるで,野生児の代表。 やんちゃで,大食漢,でも傷つきやすい泣き虫。 いつも甘えていてそのくせ,妙に,正義感だけは強い。。。 そんな男の子が二男。 電話をしてきて免許が取れたよ。ありがとうといってきた。 職業上,いきなり大型免許が取れるので, 初めての講習から3ヶ月をかけての教育期間だった。 それなりにストレスもあったようで、 たまに電話をかけてきて,愚痴を言うこともあった。 親元を離れて約3年になるのだが・・ 一度も書いたことがない,手紙を書いて免許証のコピーを送ったからね という 今年のお正月は帰れないので、でも,早く見せたいからと・・ 電話で,最初にいった,ありがとうという言葉が,心に染みた。 免許を取るのに親が何をしてあげたわけでもないのに, 自然に出た言葉だったから。
昨日,会社の友人とももち浜へいってみた。 福岡の,新しい名所がまたひとつ, オープンしていたのを見てなかったので、ちょっとミーハ−気分で出かけたのだ.大観覧車がテレビで紹介されていた のだが次々に色が変わって,とても綺麗だった。 アウトレットの店が建ち並び,これらが海のそばにマリナタウンという感じで作られている。 まさに新しい感覚のデートスポット。 昨日は火曜日,ウイークデーだというのにまるで日曜日のような賑わいだった。連れの彼女と思わず言った言葉は 「私達,生まれてきたのがちょっと早すぎたようね」 めまぐるしく福岡の町は,変貌を遂げている。 ここ数年の発展は,すばらしいものがある。 でも,ほんの前に一番だったものが、今では古く感じられる。 ちょっと早すぎるなというのが,実感だが・・ 大きなワインの店で,今一番売れているというワインを一本買って, そして、おいしい,ジャージャー麺を食べて,豊かな気持ちで帰ってきた。
町内会の年内最後の行事もちつき大会。 石臼と杵を使ってのもちつき,見た目には楽しいがやってる方は大変。 案外老人(失礼ないい方かな)のほうがうまい。 若い男性は,腰が最初から引けている。 私の実家は今から10年位前までは,木の臼と杵でもちをついた。 それこそ朝は4時頃に起きてである。 昔は,朝が寒かったように思う。母は蒸し器で,米を蒸す。 私達子供は,庭にこしらえられた,臨時のかまどの火をたくのだ。 真っ白に霜が降りた庭先。親戚が大勢でわいわい騒ぎながらのもちつき 楽しかった。 今でも毎年みそかの30日になると、実家に集まりもちつきをする。 臨時のかまどは変わらずもえている。 ただ餅つき機は臼と杵ではなくなり機械が回る。 佐賀では、つきたてのおもちをお湯の中に入れ, なが〜く延ばして,ほんのちょっとのしょうゆをつけて, すするように食べる、「もちすすり」と言われる食べ方がある。 父はこれが好きで,最後のもちを特に念入りにつき, さもうまそうにすすった。 どれくらいの量なのかなかには,一升も食べる人もいるそうだ。 その時期になると,もちすすりで人がなくなったなどと, 報道されることもあった。父は,ついたもちを手でちぎるのがうまかった。 次々にちぎられたもちを私達は争うようにして丸めていったものだ。 今ではそれは母の役目。 この行事いつまで続けられるのだろうか? 今年も30日はもうすぐだ。
毎朝,バスでいっしょになるおばさんがいる。 年齢は65歳を過ぎたくらい バス停から職場までほんの7分くらいだけど,話をする。 とにかく元気で,実に堂々と歩いていく。 小さくなっていては駄目。胸を張って歩かなくては。 など,教えられることばかり。 その方の青春時代,結婚するときには,花嫁修業と いって、よそへ奉公へあがったそうだ。 その方は,大阪のサラリーマンの家庭だったという。 一年くらいの奉公の間に,あらゆる家事を教えてくれたそうだ。 料理,掃除,果ては布団の作り方まで。 そのため,結婚してからとても役に立ったという。 私が,まだ小さかった頃,そういえば,母が布団つくりをしていたのを思い出す。 綿を均等に並べて,最後に真綿をそっとかけて, 布団の端のところをしっかりもちなさいと持たされ, ひっぱりっこをするのだ。そのときうっかり離してしまうと、 もう一度,やり直し。 その頃は,綿が鼻に入るし,面倒だなと思っていた。 そして,もう思い出すこともなくなった今, その方と話をしながら思い出した。 今は,布団は買うものだと思っている。 あの頃の小さかった自分は,母の苦労も知らず, 貧しいことの意味も知らず、でも, それなりに幸せだったのかなともおもう。 今日も,母は電話をしてきた。「特に用はないのだけれど、水曜日だからと」 私が一人暮らしだからと,いつも気にしているのだ。
昨日,今日と忙しくすごした。 地区のボランティアで、 夏の間,元気に咲き続いてくれた、ポーチュラカを抜いて, これから美しく咲いてくれる、パンジーを植えに行った もちろん,一日中やったわけではなく、朝9時からの1時時間あまり, お天気もよくてよかった。 午後からの時間を、昨日は美容院,今日は,陶芸と自分のために使った。 この土、日は一人だったので,好きなように過ごせた。 初めて,電動ろくろを使った。 1時間ほどかけて,出来上がったのは,なんと湯のみが一個, 後は失敗ばかり・・土は,生きてると実感した。 練る時からすでに,土の動きを感じなければならないのに, 初心者ゆえに,ついついいろんな方向から練ってしまう。 そうすると,ろくろに乗って動き出すときに ,土はいろんな方向に動き出してしまうのだ。 必ず,ひとつの方向に練って,ひとつの方向に回さなければならない。 先生の手にかかれば,まるで魔法のように、 あっという間に出来上がっていく。 でも私がやれば,ちっとも言うことを聞いてくれない。 まるで,上に伸びていかないのだ。 やっと何とか形になったかなと思ってると,油断が出て,その瞬間, ぱっと壊れてしまう。ああなんてこと。 繰り返すこと4回。ひどく疲れた。 結局ほとんど,残ってしまった土を,持ち帰る羽目になってしまった。 でも,とても楽しかった。 今回は,体験なので,近いうちにもう一度,正式にやろうと思う。
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