先日義父の法事のことを書いたが本当の命日は12月6日。 この日が都合がつかないので、早めた。 12月6日は私の誕生日でもある。 義父がなくなった日, 病院からとにかく一度家に戻って片付け物をしようと車に乗り込んだ。 どういうわけかこのときのことを今でも、鮮明に覚えている。 そのときふっと「今日は7日。よかった私の誕生日じゃなくて」 という言葉が胸に浮かんだのだ。 三日間のほぼ睡眠なしの頭の中で時間が狂ってしまっていたのだ。 とにかく、奇妙にすっきりした頭でひどく冷静に、そう感じたのだ。 そのあとは事務的にいろんな雑事をこなし やっとまた病院に戻り義父を連れて戻った。 そのとき以来自分の誕生日を祝ったことがない。 どうしても祝う気分にはならないのだ。 もちろん年齢のせいもあるけれど・・
子供たちがまだ小学校へいっていたころ、 この日は,給食のおばさんに感謝する日だと言っていたのを覚えている。 どういうわけか,うちの子供たちにとって, 毎日働いてご苦労様という相手は、父でも,母でもなく, 給食のおばさんでした。一番身近にいて,働いている姿を, はっきり認識できる状態だったんだろうと,今は想像がつく。 父親や母親は,それに先生は、あまりに身近すぎて, それはごく自然なことと,思っていたのだろう。 いまや,この言葉さえ,死語に近いのでは・・ほとんど聞くことがない。 叙勲の日であり,私たち庶民にとっては,紅葉を見に行く日である と,言うのは、あまりに言いすぎかな。 大分に,耶馬溪という美しいところがある。 大きく3ヶ所に分かれているが,青の洞門のあるところと, 言えば、きっとわかるだろう 今日は,その3ヶ所を全部見て回った。 お天気はいいし,とてもすばらしかった。 観光客が多すぎるのをのぞけば(もっとも,自分もその一人だけれど)・・久しぶりによく歩いたし, 命の洗濯をした感じこうして,出歩けるのも, 案外,子供たちが独立してしまったおかげかなあ
先月の末に突然cd-romが読み込めなくなって、 それを何とかしようとしているうちにとうとうパソコンの機能が 停止してしまい、やむなく修理に出すことになってしまい・・・ 昨日遅くにやっと、自宅にパソコンが帰ってきました。 あまりに馴れしたしんでいましたので、 この半月あまり寂しい思いをしました。 今、NETによる、「出会い」についていろいろ取りざたされていますが、 中毒とは行かないまでもいつもお会いしている方たちとの会話は、 日常になっていたのでやはり何か足りないものを感じました。
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