今、中小企業は非常に苦しい。 「きっといつかは」、なんて希望をつなぎながら仕事に励んでいるけれど 、なかなか、その「いつか」はやってこない。 いろんな職種があるけれど、私がかかわっているところは、 なかなか先が見えないのだ。 でも、少しでも光をと、あがいているのだが・・
半年前に立ち上げたときは、ちょっと興味本位、特に目的もなく・・ そんな感じでした。でもいろんな方と出会え、 いい話を聞かせてもらって、また時には、 ひどくめげてくじけたときもありました。 ふと、立ち寄ったサイトで励まされたり本音で会話したり・・・ 今では、欠かせない時間になりました。 内容の充実に励むつもりです。これからもどうぞよろしく!
連日、オリンピックの話題で持ちきりのテレビ! ついつい、という感じでハイビジョンにつなぎっぱなし。 気が付くと、その他世の中のニュースに疎くなっている。 現実のいやなことなどできれば棚上げして過ぎれば良いと思うこともあるが、でもやっぱり追いかけてくる。 そんな時画面からは、輝いた顔、顔、・・ あるいは、思いがけないアクシデントにより涙する顔・・・ そのたびに、「ああ私なんか、やっぱり、足元にも及ばないや」 などと思いながらそれでも励まされる。 さあ、毎日は容赦なくやってくる。 今日もがんばって仕事こなさなくちゃ!
ここのところ、地域の仕事に参加することが多く結構忙しい。 敬老会に始まり、日曜日には子供みこしを作った。 そのときに感じたこと。子供たちの数は、 確実に減っているということだった。 我が家の子供たちがそれぞれ6年生の頃は、 そんな行事には沢山の子供たちの参加があったと思う。 敬老の行事にもそういえば幼稚園の子供たち少なかったなあ。 確かに子育ての面から見ると、子供の数は多いと大変だけど、 こうして別の立場で見ると子供が少ないというのは、ちょっと悲しくなる。 国勢調査が始まる。調査員としては結構緊張が走る。 もうしばらく、こういう仕事が続きそうだ。
敬老祝賀会のお世話をした。 地区の行事で全体で70名あまり、そのうち参加者は34名。 中には、「私はまだ若い。敬老会など、まだまだ」 という方もいらっしゃるけれど、大半の欠席の方は病気の方が多い。 中には、ご夫婦で入院してる方もいらっしゃる。 私たちにとって、老いはまだ先のことに思われる けれどこういう席に出てみると、いろんなことを考えさせられる。 とっても忙しかったけれど、楽しんでもらえてよかった。 祝電披露というなれないことをやって、少々「疲労」はしたけれど・・(笑)
小さかったころ、実家の縁側で、姉妹そろってお月見をしたものだった。 でも今思い出すのは、きれいだった月のことではなく、食べたお団子のこと。 うちは農家だったので忙しかったのだが、 季節の行事は欠かしたことがなかった。 七夕様には近所の山から笹を切り出してきて、 水芋の葉にたまった朝露をとってきてお習字を書き、 色紙を使って飾りを作った。 でも、そういう習慣から離れてもう、久しい。 いつの間にか、空を見上げることを忘れてしまっている。 視野が狭くなるのは悲しい。
瀬戸内寂聴さん(作家で出家なさった)は出家のときの心境を「すててこそ」 という言葉に込めておられる。 いろんな意味で捨てるというのは難しい。この言葉の後には続きがあるのだけれど、ここでとめているのも瀬戸内さんなりの意味があるのだろう 今、三宅島の方たちが、本当にどれほどの気持ちで、島を後にしているのかと思うと胸が締め付けられる。 住み慣れたふるさとを、どうしても離れなければならない・・・・・ これも、もしかしたらひとつの「捨てる」になるのだろうか? 決してそんなことにならないよう、早く山が静まることを祈る
陶芸教室で作ったコーヒーカップが出来上がった。 4個作ってそのうち2個が持ち手が不十分だったのでフリーカップに変身。でも釉薬をかけて出来上がってみると、すごく良いできだった。 1年間やってきてよかったと ホントに嬉しかった。考えた結果、母にプレゼントすることにした。 ちょうど73歳の誕生日を迎えたばかり。いつも気にかけてくれる。 いくつになっても母から見ると、子供なのだろう。 ひとりでさびしくないかと、週の中日を選んで電話をかけてくる。 よろこんでくれるといいが・・・・
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