結婚と不倫と離婚の間
蒲公英



 延期

娘、体調不良にて別居延期

2003年01月31日(金)



 一人壮行会(笑)

昨日から夫は出張で留守だ。
娘と二人で過ごす時間。
心身ともにリラックス。

明日からいよいよ別居開始!

とは言え、自宅からクルマでほんの数分のところ。
子供は、家がほんの側にあるのに、どうして家に帰らないのだろうと思うだろうな〜。家に帰りたいと言う事もあるだろうな〜。
どうしよう...
家にいても平日はほとんど夫と顔合わす事もないので子供が帰りたい言い出したら帰ろうか?とか考えるけど、そういう中途半端な事はやはり良くないかな〜?

取りあえず、「判子ついてくれなきゃ、家には戻らん!」の一点ばりで離婚成立まで一気に、、、と行きたいところだが、、、
そうそううまくは行かないんだろうな、、、

ま、でも、良いや。
どんなにきつくても頑張るさ。
自分の、それに娘のも、これからの人生が掛かってるんだもん、頑張るしかないさね。

負けんな! ファイト!


2003年01月30日(木)



 報い

早く貴方が「こんな生活耐えなれない!」と思ってくれますように。

そんな事を願ってしまう自分が嫌だけど、
私もそんな気持ちをずっと抱えていたんだよ。

しかも、貴方は私を心から愛していると言いながら、
そんな私の気持ちに気付きもしなかった。

堪えきれなくて私から言葉と態度で訴えた時にも
軽く受け流しただけだった。

でしょ?

ひどいようだけど、これがその報いだよ。

そう思って欲しい。

2003年01月29日(水)



 いらいら

朝、めちゃくちゃいらついてた。

久々に早起きしたので、自分ののついでに夫の弁当も作った。
さて出来た!と思ったら、夫の弁当袋が無い!
私「どこよ!?」
夫「えっと、、、<ドギマギ」
おろおろ辺りを探し回る夫。いらいらする。<私

私「あ、今日は銀行行かなきゃ。ついでだから、貴方の方の入金もしてくるよ。通帳は?」
夫「えっと、、、<ドギマギ」
おろおろ辺りを探し回る夫。いらいらする。<私

私「貴方って、どうしてそういつも物をきちんと管理出来ないの!」
夫「そんなにカリカリするなよ、、、<ドギマギ」

一瞬、言おうかどうか迷ったけど、夫は分ってないと思ったので言っといた。

私「なんで、私がこんなにいらついてるか分ってるの? 貴方がこのごにおよんで『やっぱり判つくわけにいかん!』なんて言うからよ。 私はもうそのつもりで動いてるんだから、そういうの困るのよ! 仕事も来月末で止めると言ってるんだし、引越し後の仕事だってもう目処立ってるんだし!」
夫「・・・<無言」

ほんと、いらつく!


2003年01月28日(火)



 最後の日曜日

来週には私は家を出ている予定。
今日が最後の日曜になるかも。

午後には、家族揃って娘の学習机を見に近所の家具屋に出掛けた。
ここでもまた、夫は私の意見など聞き流しで、店の中で一番効果な机を買った。
いままでずっといつもこんな感じだ。
そう言えば、結婚前、私と夫と夫の妹さんと(変わった3ショットでしょ?)婚礼タンスを買いに行った時も、何故か夫が気に入ったタンスを購入することになってた、私の婚礼タンスなのに。
ま、それは良いとして、、、

数日前、義母から電話があり、娘の入学祝いに、おじいちゃん、おばあちゃんからと言う事で、学習机を贈りたいから、近いうちに好きな机を決めてきなさい。必要なだけ後日振込むから、と言われていたので、帰宅後早速、夫は(夫の)実家に電話し、机を決めた事を報告していました。

夕方、私が前々から夫に勧めていた、メインバンクの口座をネットバンキング登録する申込用紙を手渡し、さっさと申込みするように促した。
夫は早速申込書を開き書き込みを始めたが、なんだか結構ややこしいらしかった。
そのうち夫は短気を起こして、
「なんでこんなもん申込まなあかんのや!?」といらつきだした。
私:「だって、毎月○○銀行(住宅ローンの支払いをしている銀行)に移金するのにわざわざ窓口に行くの面倒でしょ?」
夫:「なんで? お前、もうやってくれん、て事?」
私:「私がいなくなったら、貴方がやんなきゃなんないんだよ!? だから、貴方にとって少しでも便利な様にと思って勧めただけど。まさか、この前言った「今月中に家出ると言った事、脅しや這ったりで言ってると思ってるんじゃないでしょうね!?」
夫:「そうは思ってないけど、、、あの後、メールで「考え直して欲しい」といっただろう!?」
私:「読んだけど、私は「分った」と返事してないよ。」
夫:「でも、「分らない」と言う返事ももらってない!」
私:「・・・、らちあかんな〜」
相変わらずの夫に怒りが込み上げてきた。それで、怒りに任せて、今まで言わなかった鬱憤をぶちまけた。
私:「ま、私がいなくなる、ならないは別にしても、毎月、毎月移金のために、私が仕事を遅刻いたり早退したりしなあかんのを、貴方は当たり前に思ってるんだろうけど、その度に私は仕事に調整して、頭下げて時間取ってる事、考えた事あるの?! 子供がらみのことは仕方ないにしても、もう自分の事は自分でやってよ! もう、貴方の事で、自分の時間を費やすのは嫌なの!」

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いずれ、別の機会に詳しく書きたいと思っているのだが、移金云々の発言は、
家を建てた事、その際の借り入れ先の銀行に事、それらの決定が全て夫の一存
だったので、私はそれらに関わる事を全て夫自身の事、私には無関係の事と
思っての発言なのだ。
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夫:「・・・そんならなんで今日学習机なんか買ったんや!」
私:「なんでって? どこで住もうがあの子にはこれから机が必要でしょ? 離れて暮らす子供には机も買ってやりったくないというなら、今すぐキャンセルすれば良いやん!」
夫:無言
夫はその後自分の部屋の引き篭もった。が、何を思ったのか、しばらくしてガタガタと部屋の片付けを始めた。
1時間ほどしてリビングに下りて来た。
私:「夕飯は?食べるの?」
夫:「うん」
私はやりかけの仕事を片付けてからと思い、そのまま続けていた。
夫は黙って自分で自分一人の食事を準備して食べ始めた。
目に入るところに夫がいる事に耐えられなくて、今度は私が寝室に引き篭もった。
何かを考えようとすると、呼吸すら苦しくなるので、私は横になって目を閉じて静かにしていた。
しばらくして、「具合でも悪いのか?」と夫が声を掛けに来た。
本気でそう思ってだろうか?
それとも、以前私がこういう場面でそう言う風に心配するのが普通でしょ!と文句を言った事を思い出してそう言ってみたのか?
でも、今回の場合は「具合でも悪いのか?」と聞く場面じゃないだろ!?と思った。そして、もう、夫が何を言っても悪いようにしか受け取れない自分を嫌だとも思った。

一番近くにいて、一番解り合いたい、一番触れ合いたい相手と、解り合えない、触れ合えない(触れられたくない)、遠くに感じると言う事は、空しい事だ。
寂しくて、辛い事だ。

ほんのちょっと考え方を、受け取り方を変えてみれば、、、と言われもするし、自分でもそうしてみようとするが、、、もう、今更遅い、そう、もう遅い。そんな時期はもう通り過ぎてしまったのだ。

今日が最後の日曜日


2003年01月26日(日)



 幸せを求めた

美容院に行った。
髪をカットしてもらう間、いつものように女性週間誌を読んだ。
30〜40代の主婦向けの「離婚」に関する記事が目に止まる。

石坂晴海さんの新刊「離婚する勇気 再婚する情熱」に関する記事があった。
近々読んでみたい。

ゲーテの言葉があった。
「20代の恋は幻想である。30代の恋は浮気である。人は40才に達して 初めて真のプラトニックな恋愛を知る。」
ふ〜ん、なるほど〜

「35歳は恋したがり」なんて記事もあった。
夫との恋愛が終わり掛けている事に気付き、新しい恋を求めたくなるのだそうだ。
40歳になると、人生最後の10年を誰とどんな風に過ごしたいかを考えるのだそうだ。
そして、静かに愛情に変わっていた夫への想いに気付き、老後を夫と供に、、、と想える日が来るらしい。
これはゲーテの言葉の裏づけか?

恋をしたがっていたとは思えないが、私が彼と出会ったのもちょうど35間近の時だ。そしてその出会いは自ら強く求めていたものだった。
40歳にはまだ少し遠かったが、私は、人生後最後の10年を誰とどんな風に過ごしたいかを考えていた。
そして、夫とは一緒にいたくないと思った。いや、本当はまだそこまでは思っていなかった。が、一緒にいても幸せじゃないだろうな、と思っていた。
私は幸せでいたいと思った。そして幸せを求めた。強く。
それは何も夫以外の男性を求めた訳ではなかった。
仕事だったり、地域との関わりだったり、友人だったり、子供だったり、、、
もちろん夫にも歩み寄っていたつもりだった。

結果、お互いの人生を供に重ね合いたいと思える人に出会ったのだ。


2003年01月25日(土)



 思いやり

夫はコーヒーを飲む時、私がすぐそばにいる時でも絶対に自分の分しかいれない。
「お前も飲む?」と絶対に聞かない。

そんな文句を誰かに話すと「男ってそんなもんだよ〜」と言う。
「そんな些細や事に不満を感じるのは結局は愛情がないからで、その事自身はそう大した事じゃないだろ」とも言う。
そうなのだろうか・・・?

ある時、友人をクルマに乗せる機会があった。
私はいつものように何気なく助手席のドアを明け「乗ってちょうだい(^^)」と勧めた。
後から聞いた話だが、その友人はその時「あぁ、こういう風にされるのって気持ちが良いなぁ」と思い、それ以来自分も誰かを自分のクルマに乗せる時には助手席に回ってドアを開けるようにした、と言う事だった。そして、ある時、その友人は意中の人から、「気の利く素敵な人」と誉められたと私に感謝してくれた事があった。

つまり、夫のコーヒー云々の話は、何もコーヒーを煎れてくれと言っているだけではないのだ。

自分が妻や夫から受けてうれしかった行動や言葉を、何かの機会に妻や夫に返そう(お返しという意味ではなくて)と思う気持が大切なのではなかろうかと思うのだ。

2003年01月24日(金)



 母の結婚生活

もの心ついた頃から母は私に
「お金がないからと言う理由だけで、人生を諦めなきゃならない事がないように、女であってもしっかりした仕事につけるように、母さんは、貴方を大学に行かせたい。」と良い続け、その通りに成し遂げた。

母が言った「人生を諦める」とは、離婚したくても出来なくて、我慢して結婚生活を続けると言う事だと私は思いこんでいた。
父の暴力に耐え、貧しさに耐え、子育てと家業に追われ、何1つ自分のための自由はなっかた暮らし。それに耐えるしかなっかた人生。


2003年01月23日(木)



 お母さんへ

お母さん!
私、幸せな毎日を送りたいの
ダメ?
お母さんみたいに、我慢しなきゃダメ?
娘のために我慢しなきゃダメ?

涙が溢れる

お母さん!
娘の幸せを一番に喜んでくれるよね?
ダメ?

お母さん!
産んで育ててもらったお礼に
幸せな私を見せたいんだけど
それは間違い?

お母さん!
どうしたら良いと思う?

涙が止まらない


2003年01月22日(水)



 今の願い

今朝起きたら、昨日、洗い桶につけっぱなしにしておいた食器が綺麗に片付いていた。

夫が洗ってくれたのだ。

確かに、そんな風に家事を手伝って欲しいと頼んだ時もあったが、それはその時にして欲しかった事だ。

何がいけなかったのかと、夫も夫なりに考えているんだろう。
今までに私が夫に言った言葉を、今、1つ1つ思い出して、私が「こうして欲しかった」と言った事をやってくれようとしているのだろう。

だけど、それは全て、話したその時にして欲しかった事。
今ではもう遅い。
今して欲しい事はもうそんな事じゃない。

今お願いしたい事は、
生きてる事が楽しいと思えるように、私を解放してください。
と言う事だけです。

2003年01月21日(火)



 手遅れ

昨日の話し合いのせいだろう。
夫は早く帰宅した。

夫を、お父さんを求めていたのに、、、と言う、私たちの気持ちに答えようと心に思い帰って来たのだろう。

家族と一緒に夕飯を食べて、娘と一緒にお風呂にも入って、、、そう思って急いで帰って来たのだろう。

しかし、急になんの連絡もなしに、いつもになく早く帰宅されても、夫の食べるものさえ用意してない。
「も〜、メールでも良いから「帰る!」の一言くらい連絡してよー!」言うまいと思ってもつい文句が出てしまう。

「今日はお父さんとお風呂入ろ〜」と娘を誘っても
「いや! おかあさんと入る!」と断られてしまう。

「だから、もう、手遅れなんだってば!」と、その言葉は声には出さなかった。


2003年01月20日(月)



 吐き出た想い

翌日、目覚める瞬間ふと気付いた。
昨日、思わず夫を平手打ちしてしまった瞬間、強い咳と供に血の塊を吐いたような感覚、あれがなんだったのか。

私は夫を求めていたのだ。
困った時、辛い時、夫を頼り助けて欲しかったのだ。
なのに、夫は、私が、娘が、夫を必要と思う時にそれに答えてはくれなかった。
(きっと時々は答えてくれていたのだろうが、それは覚えていない)
休日にはいつだって一緒にいたかったのだ。
なのに、夫はうれしそうにたった一人で出掛けて行った。

「なんで! なんであなたはいつもそうなの! 私たち(私と娘)があなたが必要なときにそうやっていつも頼りにならないの!」
そんな思いが昨日一気に湧きあがったのではないか。
いつも、ずっとそうだったという思いが。

夕方、夫に尋ねた。
「昨日、あなたをひっぱたいた時、自分でも驚くほど頭の中は冷静で、『なんで私こんなに感情的になってるのかな〜?』と思ってたんだけど、あれ(私の態度)どう思った?」
「いや、、、感情的になってるだけで叩いてるんじゃないとは俺も思った。持ってる茶碗を叩き落そうとしたのを途中で止めたし…」
「で? なんだと思う?」
「う…ん…」
それ以上の事を夫に分れと言うのは無理か。
私は静かに今の胸のうちを話した。
私はずっと寂しかったんだと。


2003年01月19日(日)



 溢れ出た悲しみと寂しさ

子供を夫に預け仕事に出掛けた。
娘は週末から軽い風邪で微熱が続いていた。
仕事を終えて、夕飯までにはまだ少し時間があってので、子供が機嫌良くしているようなら買物でもして帰りたいと思い電話した。
が、出ない。
何かあったのではないかと、買物もせず急いで家に向かう途中夫から電話が来た。
子供の様子を聞くと「ベッドで寝てるよ」という返事。
ほっとして、じゃ、夕飯の買物だけしてかえるかと、スーパーに寄り帰宅。
ベッドで眠っている子供の様子を見に寝室に行き、私は驚いて。
娘は汗だくで、体に触ってみると火のように熱くぐったりしていた。
慌てて布団を剥ぎとると、外遊び用の防水加工の綿入りカッパズボンを履いたままだった。
「何やってるのよ!」
私は我を失くして怒鳴った。
「こんな格好で寝かしちゃダメに決まってるでしょ!」
急いでパジャマに着替えさえ、保冷剤で頭などを冷やした。
アタフタと私が動きまわる間、夫は一々邪魔になる場所にいた。
「もう、ちょっとどいてよ!」怒鳴り散らしながら寝室、洗面所、お勝手とアタフタ掛けまわった。
一段落して、夫はまだ何か言いげに私の付きまとって来た。
夫の口が動いた。
「子供を押しつけて出掛けておきながら、、、」と言いたそうだった。
その顔付きが無性に腹立たしいと思った瞬間、自分でもどうした事かと、頭の半分で驚くほどに、私は猛烈に悲しい気持になり、夫に平手打ちした。
「なにやってるよー! 子供があんな状態なのにも気付かないで、子供が大事、愛してるとか言ってんじゃないわよー!」と泣き叫んだ。
さらに殴りかかろうとして、今度は夫に押し倒されそうになった。
怒りを押さえ切れなくなり、手に持っていた食器を床に叩きつけようと思ったが、「あ、、、片付け面倒だよな〜」と半分冷静な頭で考え止めた。
その後は兎に角涙が流れた。はっきりしたわけは分らないけど、悲しかった、寂しかった。そのまま夫とは一言も口を聞かなかった。

2003年01月18日(土)



 気晴らしは誤魔化し

義母から電話があった。
みんな変わりなくやっているのかと安否を尋ねる電話。
娘が来春小学校にあがるので、ランドセルやら学習机やらを準備しなくちゃね、とも話していた。
喉元まで出掛かる言葉は口に出せない。
「ま〜」
「え〜」
「は〜」
と、のらりくらりとはっきりしない返事でかわす。
「私も同じ苦労をしてつい最近まで我慢のし通しだったから、、、なんとか、友達作ったり、趣味をやったり、そんな事で気晴らしでもして、、、」
と義母は言う。
けど、やっぱり、どうしても、そんな事では私の気は晴れない。
誰よりも近くにいて、何より一番大切な家族と思っているのに、その相手と心が通わない事がどんなに辛く、寂しい事か、、、
他の事で気晴らしをしてもそれは所詮一時の誤魔化しでしかない。


2003年01月16日(木)



 別居宣言

今日「今月中に家を出るから」と夫に告げた。
「約束通り、家を出る時には書類に判をついてね。」と念を押す。
夫はしばらく黙っていた後、はっきりとした口調で「承諾出来んな!」と言った。
「やっぱりね。まぁ、良いわ。兎に角今月中には家を出る。判をついて来るまでは絶対戻らんし、判をついてくれなくても3月には実家に帰るから!」
夫は今だに私が本気だと思っていない。いや、思いたくないから誤魔化しているのだ。お馬鹿...
そんな風に家庭の面倒に真っ直ぐに向かい合わないで誤魔化してきたから、今こんな風になってしまっているのに...
まぁ良いよ、私が本気になった以上、離婚成立は時間の問題だ。


2003年01月13日(月)
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