日記もくじまえの日記つぎの日記
2002年04月30日(火) 具合が悪いです。【9週0日】

昨日忙しかったからか、今日は朝から具合が悪く、動けない状態になってしまいました。
また、腹痛も酷くて「痛みで身動きできない。」という感覚を久し振りに味わいました。
午前中仕事を休んで午後から出勤しようと思っていたのですが、体をゆっくり休めることにしました。
最近、毎週火曜日に休んでいます。
「魔の火曜日」なんでしょうか?


2002年04月29日(月) 目が回る忙しさ

カレンダー上でいけば祝日なので仕事はないはずなのですが、今日は日直当番で出勤です。
本来であれば、妊産婦は当直免除になるのですが、シフトが決まった段階では妊娠が判明していなかったのです。
シフトが決まった後で「当直変わって」と言っても、変わってもらった日にちに当直が出来るわけでもないので、今回は勤務することにしました。(前回のは補助だったのでパスすることが出来たんです。)

ところが、少し後悔です。
もの凄く忙しくて、休む暇もなかったのです。
最後の方では具合が悪くて目が回り、お腹は張ってくるし、赤ちゃんが無事でいるか不安になってしまいました。
次回からは免除だからと自分を励まして頑張るしかありませんでした。

日直は2人でつくのですが、もう一人の方が経産婦で、自分の時もつわりや職場での不理解で苦しんだ話をしてくださいました。やはり、男の人は自分が経験しないことだから分かってくれないみたいです。
「よく、病気じゃないから、みたいに言う人がいるけど、あんなの嘘よ。病気よ!これが妊娠じゃなくて病気で毎日吐いたりしているようだったら、入院しているところなのに、妊娠と言うだけで我慢しろって言うのは無理よ。つわりが軽い人もいるみたいだけど、辛いというのは人によって感じ方が違うんだしね。病気であれば、薬を飲むとか対処が出来るけど、妊婦は薬が飲めないぶん辛いということを分かって欲しいわよね。」
と、わたしが思っていて言えなかったことをズバズバと言ってくださって、少しすっきりしました。
今まで、もっと辛い人もいるんだし頑張らなければと思っていたのですが、辛ければ無理しなくてもいいんだ、と思えるようになりました。
赤ちゃんに負担を掛けないよう、気を遣いたいと思います。


2002年04月28日(日) 引越その3

今日は冷蔵庫とその他の家具が搬入される日です。
今回は友人のセリカちゃんが手伝いに来てくれました。
前回、手伝いに来てくれるといっていたのですが、都合が合わずにキャンセルしたことを気にしていたようです。
「手伝うよ。」って声を掛けて貰うだけで有難いことなのに、本当に律儀な友人です。
車まで出して貰った上、おねだりしちゃいました。
セリカちゃんの作るサンドウィッチがとても美味しいので、お昼にリクエストしたんです。
久し振りに食べたサンドウィッチはやっぱり美味しかったです!
セリカちゃんも「良かったー。食べられるかどうか、心配してたんだよね。」と安心していました。
みんなに心配を掛けているわたし。本当に申し訳ない。

今日はいつになく体調が悪くて、ほとんど横になっていました。
今回も役立たずです。
その替わり、しっかり者のセリカちゃんとゆかりくんが大活躍してくれたので、本当に助かりました。
やっと、家らしくなりました。
段ボールを片づければ、もう暮らせそうです。
本当は今日から暮らし始める予定だったのですが、5月の連休に変更しました。

夕食はまたしてもとんかつ。
不思議と、とんかつは食べられるんだな〜。


2002年04月26日(金) そんなぁ!

今まで有休を使っていた健康診査ですが、実は特別休暇が使えることが判明しました。
有休を無駄に遣ってしまった事実にショックは大きいです。
というか、制度とかはきちんと調べておかないとダメですね。
妊娠初期のうちに気付けて良かったと思い直すことにします。
そして次の診査は、はりきって特別休暇を使いたいと思います。
ところで。
この件を調べているときに、女性の先輩から「通勤緩和も申し出たら?」とアドバイスを頂きました。
通勤緩和が出来るということは知っていたのですが、朝出勤が遅いと台所の準備で他の人に迷惑を掛けてしまうし、夜は必ず仕事が定時で終わるとは限らないので利用は難しそうです。
本当は「朝ゆっくり〜」をしてみたいんですけどね。
そのくらい、朝のラッシュは地獄です。
貧血を起こして倒れそうになります。
妊娠初期の妊婦さんは大変だったんだなぁ、と思います。
自分が経験してみないと分からないということもあるのです。


2002年04月25日(木) そのお金はどこから?

わたしの分娩はそうへいの立会のもと行う予定ですが、ふと(出産の様子は記録するのかしら?)と思い、「やっぱり子供が産まれる前にビデオを買っておくの?」と聞きました。
そうへいに向けた質問だったのに、母親が「そりゃそうでしょう。やっぱり産まれてくるところとか、その後の記録はしたいじゃない?私達の時はビデオなんていうものは存在しなかったから、あんたが産まれたときは写真を撮りまくったわよ。そういえば、ゆりこ(わたしの従姉妹)も出産の時にビデオ買ったのよ。」と言いました。
そうですか・・・。
それはいいけど、ビデオって結構高いです。
そのお金はどこから湧いてくるのでしょうか。
貯金、しっかりしないといけないなぁ、なんて思ってしまいました。
母親じゃないけど、やっぱり我が子の記録はきちんと取ってあげたいという気持ちがあります。
今から親ばかすぎますか?


2002年04月23日(火) 大丈夫かな?(健診2回目)【8週0日】

今日は2回目の健診日。
心音の確認が取れる週数のはずなので、もし今回確認できないようだと流産の可能性が高くなります。
朝から体調が良く、つわりを感じなかったので(もしかしたらダメかも・・・)と、またしてもネガティブになってしまい、診察を受けるまで憂鬱でした。
前回同様、受付前に尿検査を自分で行い、待合室で待ちました。
しばらくすると名前が呼ばれて、そうへいとともに診察室へ入り、わたしだけ前回と同じ診察台へ呼ばれました。早速確認を取るようです。

わたしもそうへいも緊張していました。
経膣プロープがゆっくりと挿入され・・・いました!赤ちゃん!!
前回の2倍以上に胎嚢(赤ちゃんの入っている、羊水で満たされている袋)が大きくなっており、今度はきちんと胎児が見えました。心臓も、ゆっくりチカチカ動いています。
先生が身長を測ると13ミリで、これは前回の胎嚢とほぼ同じ大きさになります。
先生によると約8週くらいでしょう、とのことでした。(ちなみに8週未満の赤ちゃんは胎芽と呼びます。)
そうへいは赤ちゃんが育っているか心配でならず、モニターをのぞき込むようにして見ていたので、先生に「そんなにのぞき込まなくても見えますよ。」と笑われていました。赤ちゃんを確認できたときの感想を聞くと、本当に感動して泣きそうになったそうです。「心臓、チカチカしてたね!」と興奮していました。
その後分娩予約を取り、体重測定・採血・血圧測定をしました。
病院を出たあと、病院の近くにあるファミレスへ入ってお昼ご飯を食べました。
わたしは余り食べられない感じだったので、栄養を考えてほうれん草ソテーを頼みました。
これがとても油っぽくて、少し残してしまいました。
食べ終わった頃、親から「仕事が終わったから合流する?」と連絡があり、ファミレスで合流。その後、車で区役所まで連れて行ってもらい、母子手帳を貰ってきました。
初めての母子手帳です。
どきどきしました。
中を開くと細かく記入できるようになっていて、昔母親に見せてもらったわたしの母子手帳とは大違いだな、と思いました。
正確に記入して、赤ちゃんがいつか大人になったときに持たせてあげたいです。

そういったことを済ませて、帰宅途中、とても具合が悪くなってしまいました。
家に着いた途端、トイレで戻しました。
内容物を見ると、やっぱりほうれん草ソテーです。
それも、キレイにほうれん草の茎とか葉脈だけ残っていて、キノコやベーコンは消化されていました。
油っぽいものと、消化の悪いものはダメなようです。
吐いた後、夕食をどうするかという話になりました。
もう時間は7時を過ぎています。
具合が悪くなる前に、とんかつを食べに行こうと話していたけど、これじゃぁ無理だと親は思っているようでした。
でも、わたしは「とんかつは大丈夫」と予感していました。
不思議と「ダメ」と思ったものは必ず吐くし、「平気」と思ったものは食べられるのです。
そこでわたしの意見を信じてくれて、みんなで近所のとんかつ屋さんへ出かけました。
ここのとんかつは、美味しくて大好きなのです。
そして案の定、食べることが出来ました。

帰りにそうへいと「つわりの時って、食べたいものだけ食べればいいんだって。というのも、その食べたいと思ったものが、赤ちゃんの欲している食べ物(栄養)だかららしいよ?」と話していたら、「うーん、そうしたら赤ちゃんは肉好きで野菜嫌いってこと?というか、魚は?魚好きじゃないと困るよ。魚好きになーれ!」とわたしのお腹を撫でていました。
どうやら、赤ちゃんが大きくなったときに魚嫌いだと、食卓に魚が上らないかも知れないと危機感を覚えたようです。そのくらい、そうへいは魚大好き人間です。
まだまだ安定期に入っていないのに、気の早いお父さんだなぁって笑っちゃいました。
次の診察は2週間後です。
また次回も赤ちゃんに会いたいです。


2002年04月22日(月) 吐かない日はない

毎日毎日吐いてばかりで、吐くことに疲れてきました。
でも、弱音ばかりは言っていられないので頑張って今日も出勤です。
朝、課長にお茶を運んでいくと「はい。」と言ってポッカ100レモンの大きい方の瓶をくれました。
「レモンを食べたら体調が良くなった。」と前に話をしたのを覚えていてくれたようです。
とても有難い差し入れです。
早速、レモン水を作って飲んでいます。
これで水分補給をきちんとすることが出来そうです。
明日は健診日。
赤ちゃんがちゃんと育っていますように。


2002年04月21日(日) 雨の中、荷物運び

お義父さんがトラックを運転してそうへいと二人、荷物を東京まで運んできてくれました。
あいにくの雨で、わたしの両親、お義父さん、そうへい、ゆかりくんは雨に濡れながら荷物を部屋まで運んでくれました。
そんな中、重たいものを持てないわたしは、一人役立たずで横になっていました。
食器棚も入り、だんだんと生活できるような状態になってきました。
あとは冷蔵庫が入るだけです。
28日から、二人で暮らしていけそうです。
わたしの体調を除いては・・・。


2002年04月20日(土) 辛すぎる

実は、仕事に行くということはとても疲れることらしく、家に帰るとぐったりして、必ず吐いています。
親もそんな状態の娘を見て心配しているようです。
今日はそうへいの荷物を松本から東京へ運ぶ作業のため、そうへいは松本に帰ります。
わたしは職場の方の送別会があったのでそれに参加する予定だったのですが、体調が悪くなり欠席してしまいました。
そんなわたしを心配して、そうへいはそうめんを茹でてくれ、昼はそうめんとトマトを食べました。
ところが、そうへいが松本に帰ったあと猛烈に具合が悪くなり、昼ご飯を全て戻してしまいました。
せっかくそうへいが茹でてくれたのになぁ。
いつもだったら吐くときにそうへいが背中をさすってくれるのですが、親も仕事に行っているし、家にいるのはわたし一人。
一人で心細い思いをしながら、吐きました。
吐いて、苦しくて、涙を流しながら吐きました。
本当に苦しい。辛すぎます。
つわりは終わりがあるものといいますが、今のわたしには無限に続いていくような気がします。


2002年04月17日(水) レモン

今日も具合が悪かったのですが、そんなことばかりも言っていられないので仕事に出かけました。
仕事をこなすスピードが妊娠前の半分で、やらなくてはならない仕事が貯まってきています。
仕方がないので、少しずつ減らすように努力をしているところです。
秘書係長にも協力して貰い、昼休みは特別応接室を借りて睡眠をとっているので少しは体が楽なようです。
なんとか今日一日を乗り切って家に帰ると、わたしが「白菜なら食べられそう。」と言ったのを覚えていた母親が白菜鍋を作ってくれていました。
ただ、温かいものは食べられないのと立ち上る湯気にノックダウン気味だったので、一人別室に避難し、白菜は冷ましてから食べ、横になる、を繰り返しながら食事を摂りました。
食後突然、白菜鍋に使っていたレモンを無性に食べたくなり、そうへいに輪切りにして貰いました。
レモンを食べ始めたら止まらなくなり、不思議と酸っぱさを感じず、その酸により唇の皮が溶かされて血が出てきても、皿が空になるまで食べ続けました。
すると、不思議と気分が良くなり、ここ数日間の「意識が朦朧とした状態」を抜けだし、久々に「具合は悪いけど、意識はある」という風に好転しました。
これなら、仕事もこなせそうです。


2002年04月16日(火) ダウン【7週0日】

もう全然食べられなくて、トマトのみで生活しています。
朝起きたら動けなくて仕事を休んでしまいました。
(こんなことしている場合じゃないのに。もっと動けるはずなのに。)
と自分を責めても虚しく、そうへいに背中をさすってもらって眠り、具合が悪くて起きるというのを繰り返していました。
夜、試しにそうめんを食べてみたら案外大丈夫でした。
今日は、そうめんを食べられそうな気がしていたんですよね。
これで明日は頑張れそうです。


2002年04月15日(月) 食べられない

今までは食べづわりで、お腹がすくと具合が悪くなるけど食べれば落ち着く、といった感じだったのですが、今日は一転して食べられなくなってしまいました。
朝も、一口ご飯を口にしたら「だめ・・・。」と言って箸を置いてしまい、かろうじて御味噌汁だけ頑張って飲んで出勤しました。
昼も食べられる気がしなかったので、コンビニでプチトマトと豆腐を購入し、それのみ食しました。
食べなくても、案外何とかなるものですね。
15時過ぎぐらいに血糖が下がって具合が悪くなったのが分かったので予備の豆腐を食べたのですが、吐いてしまいました。
もう豆腐は食べられない予感がします。
食べられない状態、いつまで続くのでしょうか。
今日も赤ちゃん、元気だといいんですけど。


2002年04月14日(日) 引越その2

今日はそうへいの友人・すえおさんとごみやんが手伝いに来てくれました。
男手って凄いです!
力仕事をサクサクとこなしてくれるので、とても助かりました。
昼過ぎにはお義母さんとゆかりくんが再び手伝いに来てくれ、わたしの両親を含めると結構な人手でした。
午前中配送予定だと思っていた家電が、午後(しかも16時頃)配送だと判明したり、実際届いた冷蔵庫が大きすぎて部屋に上げられず返品したりとバタバタしていました。(階段の寸法を測って店員さんに聞いたら平気だというので買った冷蔵庫だったのですが・・・。)
あまりにも足りないものが多すぎるので、今日から暮らし始めることが出来ませんでした。
そうへいはがっかりの様子でしたが、わたしは少し安心してしまいました。
というのも、つわりが酷いからです。
昼に胃液だけ吐いたのですが、その味?が喉に付いていて、ずっと憂鬱に過ごしていました。
食べられるものも限られてしまっているし、二人で生活できるのかとても不安だったんです。
わたしの両親としても、わたしの荷物が全て運び出された部屋を見て寂しかったようです。
今しばらく、娘のわたしと過ごしていたいというのが本音のようです。


2002年04月13日(土) 引越その1

朝9時前に引越屋さんが到着して、どんどん荷物を運び出していきました。
今日は高校時代からの友人・ヤマウチが手伝いに来てくれました。
ヤマウチに「妊娠したよ。つわりで体調悪いので、役に立たないけど許してね。」と報告すると、もの凄く驚いていました。わたしに赤ちゃんなんて、想像が付かなかったようです。
それからとても喜んでくれて、何かあったらいつでも言ってね、駆けつけるから。と言ってくれました。
ヤマウチは、わたし達の引っ越し先の近くに住んでいるのです。
昔から世話焼きな子で、いつもお世話になっています。
本当に頼りになる友人です。とても心強いです。

引越ですが、今日は他に荷物が届くこともないので、掃除や必要なものの買い出しなどをしました。
ところが。
わたしが通販で頼んでいた家具が16時過ぎに配送されてきたのです。
17日に発送予定と聞いていたので、とても驚きました。
手伝いに来ていてくれたお義母さん・ゆかりくんは帰ってしまった後だったので、そうへいとヤマウチの2人で組み立てました。
これが思った以上に大物で、2人とも苦戦していました。
なんとか21時には完成。
途中でお腹がすいたときには、お義母さんが松本から持ってきてくれた栗おこわを食べて乗り切りました。
ヤマウチは「こんなに美味しい栗おこわは初めて!」と言って喜んで食べていました。
重たい思いをして持ってきてくれたお義母さんに感謝!です。
わたしのつわりで大変だと言うことで、色んな人に助けて貰っています。
人の親切が身に染みます。
みんな、ありがとう。


2002年04月12日(金) 気にしすぎでした。

今日は仕事をお休みして、明日・明後日の引越準備です。
体調が悪すぎて、荷造りが全然進んでいなかったので焦りながら箱詰めしました。
荷造りには心強い味方・ゆかりくんが来てくれました。
ゆかりくんは義妹です。
引越屋さんで箱詰めのバイトをしたことがあるので、凄く手際が良いです。
ゆかりくんのおかげで箱詰めがはかどりました!
本当に感謝!なのです。
ところで、昨日あれだけ不安がっていた「つわり」ですが、気にしすぎでした。
今日もしっかりつわりがあり、具合が悪いです。
良いのか悪いのか分かりませんが、とりあえず安心しました。
赤ちゃん、元気に育ってるかな?


2002年04月11日(木) つわりが無くなった?

今日の朝までは酷いつわりで、具合が悪くて仕方がなくぐったりとしていたのに、午後になって突然つわりがなくなりました。
すっきり、さわやか。
つわりが楽になることはあっても、無くなることはなかったので不安で一杯です。
「ずっと続いたつわりが突然無くなる=流産」と聞いたことがあります。
悪いことばかりが頭の中で駆けめぐり、明日の朝体温が低くなっていたらどうしよう、出血したらどうしよう、次の診察で赤ちゃんが全然育ってなかったらどうしよう、と悪いことばかりを考えてしまいます。
こうなると、辛いつわりが恋しくて堪りません。
つわりが戻ってくるのを切実に待っています。


2002年04月09日(火) 初受診【6週0日】

今日は待ちに待った?初受診の日です。
この数日、不安で不安で仕方ありませんでした。
そうへいが心配して一緒に付いて来てくれたので、少し安心です。
・・・それでも、不安は不安なんですけどね。(笑)
情けないことに、病院に着くまで何度も帰りたい気持ちに駆られました。
それを、そうへいに引っ張らるような形で病院に着きました。

実際に病院を見た感想は「病院らしくない病院」です。
一般の病院のように無機質な感じは少しもなく家庭的な感じ・・・友人の家に遊びに来た、そんな感じのする病院でした。
というわけで、わたしもそうへいも第一印象は二重丸。

さて、受付をしたら次は妊娠検査!と思っていたのですが「最近の検査薬は精度が高いので家で陽性が出たのなら必要ありません」と言われ、普通の尿検査のみ行いました。この尿検査では、糖と蛋白の数値が分かります。
ここの病院の尿検査は、妊婦さん本人にさせる方式です。
トイレの中に試験紙が置いてあるのですが、その容器には尿に反応させた後の色が段階的に表示されていて、色によって陰性、±、などと数値が分かれています。
妊婦さんは病院に来ると、まずトイレに入って試験紙に尿を掛け、その後の試験紙の反応をチェックします。
そして試験紙はその場のゴミ箱に捨て、受付で数値を自己申告します。
わたしは職場で毎年行われる健康診断で、同じ事をしていたので違和感なく行うことが出来ましたが、初めての人は驚くのかなぁ、などとぼんやり考えていました。

そうして待合室でしばらく待っていると名前を呼ばれました。
あまり待たされた感じがしなかったのは、無理な患者(妊婦)数を引き受けていない証拠だな、と思いました。
中にはいると椅子が二つあったので、夫も同席できるか確認し、そうへいも診察室に入ることが出来ました。
あとでこの時の心境をそうへいに聞いたところ「一人で置いて行かれたので寂しかった。」そうです。実は、超音波の画像を生中継で見せてもらえるかも!と期待に胸を膨らませていたらしく、見られないかも知れないと思ったときは本当に落ち込んだそうです。
二人揃って診察室に入って挨拶をした後に、最終月経日や陽性反応の出た検査日などいくつかの質問を受け、わたしだけ隣の部屋に入るように言われました。
壁1つ隔てた向こう側に診察台があり、そこで経膣プロープによる超音波検査が受けられるようになっているのです。
モニターは、その部屋と診察室両方に備え付けられており、そうへいも診察室で子宮の中を見ることが出来るのです。

「力を抜いて。」
と言われ、プロープが膣の中に少しずつ入っていきました。
しばらくプロープをぐりぐりと動かした後「良かったね、赤ちゃんいますよ。」と先生が言いました。
「旦那さん、見えますか?この部分が子宮で、黒いのが赤ちゃんの袋ですよ。分かりますか?」
と突然話しかけられ、おたおたしながら「これですよね?」と応えるそうへいが面白かったです。
先生は袋の両端に+の印を付けて袋の全長を測り「13.4ミリですね。」と教えてくれました。
その後先生はプロープを抜き、診察室へ戻りました。
そして、診察室でそうへいに向かって「赤ちゃんいましたよ、おめでとうございます。」と言う声が聞こえてきました。
わたしが慌ててパンツとストッキングを履いてから診察室に戻ると、机の上に超音波写真がありました。
これが噂の!と思い、同時に希望しなくてもくれるものなんだということを知りました。
袋の大きさと、心拍の確認がまだとれないことから現在5週と少しですね、とのこと。

ここの医院は妊婦さんの体の管理に厳しいところで、きちんと努力をしていかなければなりません。(もちろん、それを承知で来院しています。)
この医院だけでなく、他の病院でも「患者自身が努力しなければならない」のは同じだと思います。それがグローバルスタンダードだと、少なくともわたしは思っています。
ところが、お金を払えば何でも買えるように自分の健康も診察代を払えばなんとかなる、と間違った認識している方は大勢いるのです。医師はサービス業ではないのに、診察代を払ったという事実だけで、その他のサービスを要求する方は本当に多いのです。どうして他人に自分の体を、命を、まかせきりにすることが出来るのでしょう。実際、わたしが前に配属されていた病院で、患者さんに「患者は、お客様だぞ!お客様は神様なんだからな!」という罵声を浴びせられたことがあります。(この時、違う人種に出会ったようなカルチャーショックを受けましたが、この方も不幸な人で、きっと「私は先生だ。」と見下したような医師にしか診察してもらったことがなかったのでしょう。)
本当は、医師はアドバイスと手助けをするだけです。患者自身が治そう、と努力しなければそれらのアドバイスは全て無駄になってしまいます。
だから、この医院はそのはき違えは無しにしてね、ということを確認したかったのだと思います。
そして、それでもここで産みますか?と聞かれました。
わたしもそうへいも、始めからこちらにお願いする気だったので「努力します、頑張ります。」と約束して診察室を出ました。

その後、助産婦さんからプリントに沿って今後の流れの説明を受けました。
2週間もすれば心拍の確認が出来ますよ、とのことで、次の診察は23日になりました。

これで妊娠は確定です。
今は1ミリ程度の赤ちゃんですけど、大切に育てていきたいと思います。


2002年04月06日(土) 食べづわり。

どうやらわたしは「食べづわり」の様です。
食べづわりの場合、口の中に食べ物があると落ち着くのですが、何も入ってないと具合が悪くなったり吐き気がしたりするものらしいです。
逆に、食べると具合が悪くなる人もいるらしいのですが。
わたしの場合は「デブ一直線」になりかねない、恐ろしいものなので気を引き締めなければ!と思っています。
というのも、妊婦が太ると産道の周りに脂肪がついてしまい、赤ちゃんが出てくるのに邪魔になるらしいのです。
お母さんも難産で苦しむし、赤ちゃんも出たいのに出られないという2重の苦しみを呼ぶ最悪のものなので、きちんと運動をし、太りすぎないという理想の妊婦を目指して頑張りたいと思います。

ところで、今日は一日寝て過ごしました。
午前中、お腹が凄く張ってしまい、刺すような痛みが連続で起こっていたからです。
初期の流産は止めようのないもので、動かないようにして安静にするしかありません。
出血はありませんでしたが、貧血気味でもあったので横になっていました。
赤ちゃん、ちゃんと生きているかな?

9日に初受診です。
楽しみでもあり、不安でもあります。


2002年04月05日(金) 涙もろくなった。

妊娠してから情緒不安定ぎみで、ちょっとしたことで涙が出てきます。
3日の雅子さまの会見の時も涙ぐんでいたのです、実は。

最近仕事が忙しく、女性の当直制度も導入されたので体を休める余裕がありません。
本当は「妊婦・未就学児童の母親は当直除外」なので、わたしも除外されるところなのですが、職場で妊娠していることを内緒にしているため、そういうわけにはいきません。
「話してしまえばいいのに。」
と思われるかも知れませんが「妊娠初期の流産は15%」と言われると、言う気になれません。
わたしが神経質になりすぎてるのかもしれませんが、もし職場に言った後に流産してしまったら、職場の人もわたしに気を遣うだろうし、わたしも気を遣われている状態に傷つくだろうし、悲しみは長引くしと良いことはないな、と思ったからです。
こんなに神経質になりすぎるのは、15%と言えど、わたしの周りの経産婦さんに流産経験者が多いせいもあります。
流産しないで子供を産んだ人を、まだ知らないんです。
明日も当直関連の出勤があったのですが、最近の体調を考えると無理しない方が良いんじゃないかと思い始め、焦燥感に駆り立てられました。
そこで、信頼の置ける職場の先輩に相談したら、もの凄く親身になって話を聞いてくださいました。
その先輩(40歳代)にはお子さんがいません。
こういった話はデリケートなので、あえて詮索しようとは思わなかったし、知りたいとも思っていなかったのですが、先輩の口から理由を聞いてしまいました。
先輩も「病気じゃないんだから」と無理をして働いていて、流産してしまったそうです。
そしてその後、いくら努力しても子供を授かることは無かったそうです。
よく「1度流産しても、妊娠できる体だと分かったし、2度目があるのだから。」と聞きますけど、それは嘘です。
2度目があるかどうかなんて、誰にも分からないのです。
先輩は、自分の様な犠牲者を増やしたくないと、あえて話してくれたのでした。
この話も、こうやって話せるようになるには10年以上かかったと言います。
「10年も続く後悔は、しちゃいけないよ。」
と言われ、自分は少し「妊娠している」ということを軽く考えすぎていたな、と思いました。
もっと、自分と自分の赤ちゃんを大切にしなくては。
妊娠して子供を産めると言うことは、本当に大変で、幸せなことなんだ。
そう思わずにはいられず、またしても目が潤んでしまいました。

日曜日の出勤は、止めようと思います。


2002年04月04日(木) 眠れない。

ここのところ、よく眠れません。
眠るのが大好きで、快眠を誇るわたしなのですが、これは辛いです。
一応、眠ることは出来ます。
ところが1・2時間に一度、具合が悪くて目が覚めてしまうのです。
どうも深く眠れていないようです。
目が覚めると、お腹が痛かったり頭が痛かったりして、また寝付くのに時間がかかります。
よく眠れないので疲れが取れません。
改めて、これが原因で毎日だるくてフラフラするのかと認識しました。
そういえば、味覚も変わってしまったようです。
今まで美味しいと思って食べていたものを食べても、違う味がするのです。
ご飯を食べても「凄く美味しい」と感じなくなってしまい、悲しいです。
吐き気もするし、このまま痩せてしまうような気がします。
それを、赤ちゃんのため!と思い、食事を摂る毎日です。


2002年04月03日(水) これがつわり?

朝出かける前はいつもテレビを見ていますが、久し振りに雅子さまが会見を開いたようでした。
親子三人で仲睦まじくテレビに映っていましたが、そのなかで雅子さまが出産の経験を「産まれてくれてありがとう」と表現していました。
これには、凄く共感しました。
わたしも、赤ちゃんがお腹の中で育っているのか、ちゃんと産まれるのか、毎日心配です。
妊娠初期の流産は10人に1人の割合で起こると言われています。
自分がその中の一人になってもおかしくない、そんな数字です。
特に雅子さまは一度流産を経験されています。
加えて「お世継ぎ」プレッシャーは相当なものだったと思います。
本当に雅子さまは、強い女性だと思います。
もちろん影で支える皇太子の力あってのことでしょう。
人間は一人では生きていけない。
パートナーと支え合い、助け合って生きていくもの。
わたしも、そうへいと力を合わせて出産に臨みたいと思いました。

そう思うのには理由があります。
最近、体がだるくて疲れやすいのです。
気持ち悪くなったりお腹が痛くなったりします。
これがあの「つわり」なのでしょうか?

通勤が辛いです。
電車に乗っているとき、本当に具合が悪くなります。
凄く座りたい気持ちになるのですが、優先席等も毎日の通勤に疲れ果てたサラリーマンの専用席となっているため、座る場所がありません。
これでわたしのお腹が大きければ「いかにも妊婦」という感じなので、譲ってくれる人もいるでしょう。
だけど、見た目はまだ普通の女性と変わりません。
わざわざ「妊婦です。つわりで具合が悪いので席を譲ってください。」と言うことが出来ません。
別に遠慮することはないと思うのですが、遠慮しちゃうのが不思議なところです。
こういう経験をすると、ベネッセがやっている「たまちゃんキャンペーン」のようなことは、もっともっと必要なのではないかと思いました。
本当だったら、国が率先して妊娠初期だと一目で分かるしるしを作って、病院等に妊婦さんに配布するようにするなどのことを行わなければいけないと思います。
少子化対策を行います、という言葉を良く聞きますけど本当にそれは行われているのでしょうか。
例えば、不妊症で苦しんでいる女性が多数存在します。
この方たちの治療費は保険が利かないため、相当な額に上るそうです。
不妊治療は保険が利くようにするとか、助成額を上げるとか、妊娠初期の女性を守るとか、子供を産みたいと思える社会を作るとか、もっと政治家の人達は努力をして欲しいと思います。
そんな、献金がどうのとかやっている場合ではないのでしょうか。
自分のことだけじゃなく、国民のことも考えてもらいたいものです。

今日は仕事を早めに終えました。
といっても、終バスの時間です。
慌てて電車に乗りこんで駅に着いたのですが、終バス一本前のバスは目の前で出てしまい、終バスまでの時間が30分ほどあいてしまいました。
寒くて、具合が悪くて、とにかく冷えちゃいけない!と思って、タクシーを利用して家まで帰りました。
引越や出産に備えてなるべく無駄遣いをしたくなかったんですけど、仕方ないですよね?
家に着いたらぐったりして、一応そうへいに「ただいまコール」。
そこでタクシーを使ってしまったことを話して謝りました。
そうへいは「気にしなくていいよ、具合が悪いんだから仕方ない。体の方が大切でしょ?」と言って励まし、心配してくれました。
少し気持ちが落ち着きました。
また明日も頑張ろうと思います。


2002年04月02日(火) 不安。

まだ病院へ行っていないので、妊娠していると仮定してお話しします。

不安です。
とっても不安です。
何が不安かと聞かれると、ちゃんとお腹の中に赤ちゃんがいるのかが、不安なんです。
妊娠4ヶ月を過ぎればお腹も大きくなってくるし、5ヶ月を過ぎる頃には胎動も感じることが出来るでしょう。
だけど、2ヶ月だといるのかいないのか、さっぱり分からないのです。
いつの間にかいなくなっていたらどうしようとか、考えても仕方のないことをグルグルと考えてしまいます。
確かにお腹は張っています。
でも、ただ単に便秘で張っているだけなのを、勘違いしているのではないか?
お腹が痛いのは、赤ちゃんがお腹から去ろうとしているため?
本当に、悪いことばかり考えてしまいます。

ところで、わたしは結婚してから基礎体温を計っています。
わたしは生理が不順なので、いつか治療するときに必要だろうと思い、計り始めたのがきっかけですが、今のところほぼ毎日計っています。
いままでは不順のせいなのか、基礎体温はバラバラでした。
それが妊娠した途端、きれいに高温期が続いています。
人の体って、つくづく不思議だなぁと感心します。
この高温期が続く限り、赤ちゃんは大丈夫なのだと思うことにします。

不安を持ち続けて、ストレスを抱えても良いことはないと思い、そうへいから義両親に妊娠報告をしてもらいました。
検査薬で陽性が出たこと、9日に病院に行くので詳しいことが分かる、ということを話したようです。
わたしの方も、自分の親に報告しました。
夜、そうへいと電話で話しているときにお互いの親の反応を聞いてみたのですが、同じような反応でした。
びっくりして、始め言葉が出てこなかったようです。
それぞれ理由は違うかも知れませんが、わたしの親については自分たちがまだ「おじいちゃん・おばあちゃん」になる心構えが出来る前のことだったので、驚いたようでした。

どちらにしても、わたしがこの数日間具合が悪くてフラフラしていた理由を分かってもらえ、色々と気を遣ってくれるようになったので楽になりました。
面倒ばかりかける娘でごめんなさい。


2002年04月01日(月) 病院選び。

病院へ行って、検査を受けよう!
と思ったものの、どの病院へ行ったらいいのか全く分かりません。
初産なので、当たり前といえば当たり前ですが、自分でどういう出産をしたいのか、どういう病院が良いのか、判断基準が分かりません。
普通分娩が良いのか、和痛分娩が良いのか、ラマーズ法がいいのか、ソフロロジーがいいのか。
また、何かあったときに安心な大学病院が良いのか、サービスのいい個人病院がいいのか、安心できる助産院がいいのかも見当がつかないのです。

そこでわたしは情報収集をすることにしました。
色々な情報が得られれば、その中で自分の最善が選べるかも知れないと思ったからです。
そんなわけで、土日は病院探しをしました。

その結果、「A医院」という医院に出会いました。
自然なお産を試みているこの医院は、わたしの心にピッタリと来ました。
そうへいにもホームページを読んでもらいましたが、すぐに賛成してくれました。

「この病院にお願いしよう。」
わたしの心は決まりました。

人気のある医院なので、分娩予約が取れるか分かりません。
とりあえず初診予約を9日の午前に取ることが出来ました。
ここでどんな結果が出るのか。
分娩予約は取れるのか。
心配は尽きませんが、一歩前進しました。

結果を考えるとドキドキです。


哉 |HomePage

My追加