やたら美味くて高い焼き肉を3人で食べた後、 イスラム圏のどこだかの国の料理屋で トルキッシューコーヒーだか何だかを飲みながら かなり長い時間話をした。
一人は、 いろいろ失敗をしたけど、それは辛くない、という。 今は多分十分幸せで、その時々の失敗はあったけれども それ等全てが幸せである今に繋がっているのだから 辛くないのだという。
もう一人は、 失敗に対してニュートラルでいたい、と言う。 事実として受け止め、感情の起伏を押さえて 冷静に対処するのだという。
僕は、失敗をしたら辛いし、後悔する。 取り返す努力も、昇華して乗り越えるのも時間がかかる。 その間、後ろ向きになることは人として自然なことだと 僕は認識している。
かといって、彼らが不自然だと感じている訳ではない。 一方は生まれながらにして真理を知り、 もう一方は努力して悟りを目指している。 僕は、まだ水たまりの中で泥だらけになって喘いでいるレベルだ。 それに彼らのことを理解できても、 彼らと同じものを目指すことはできない。
この手の話題にしては珍しく2対1の構図になっったことで 今日はお開きとなった。
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失敗した、とは言いたくないが、 あのときの選択に未だに後悔を続けている。 そして、まだそれを昇華するところまでたどり着けていない。 その一方で、あの選択はその時点では仕方なかったのかもしれない、 とも思う。 何にせよ、してはいけない嘘をついて廻った。 それが、後悔の元だ。 前向きに、前を向いて、と言う割りには、 多分、ずっと想って行くのだろう。
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精神的な成熟が遅い、遅かったのではないか、と今になって思う。 本来、もっと早い段階で形成されているであろう精神的な構造が この歳になってようやく築かれつつある、といったような感じだ。 物事に対して深く考えられるようになったのもここ数年。
僕は未熟だった。 未熟な故に何度か選択を誤ったと言い訳するのは簡単だが、 そんなにさっぱりした性格なわけでもない。
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隠すための嘘をつくようなことは辞めよう。 今思うことは、正しく伝えよう。 そう思って、地下鉄でこの文章を書く。
水曜日に古い友人と会うことになった。
知り合った頃から世間ずれしているな、と感じていたのだが、 最寄駅や親の職業の話があまりに突拍子もなくて、 良家のお嬢様なのだな、と納得した経緯がある、 そんな彼女も既に3人の子持ちだ。
それが、共通の友人を通して みんなでご飯でも、ということになる。 4年ぶり。あとは誰が来るのかは知らない。
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今朝の風の香りで、夏が終わるのを感じる。 酷く悲しい気分になった。 多分、時間が過ぎ去ってしまうことが怖いのだと思う。
あの時期を思い出した。 気持ちは何も変わらない。
今出来ること、今しなければならないことをする。 幸せになれるかどうかなんて、わからない。
午前中の半日会社を休んだ。 まあ、ずる休みだ。 だがサボリ癖がつかないうちに、と 気合いを入れ直して会社へと向かった。
行ったら行ったでしっかり働いてしまうのが 還って良くないのだろう。 仕事はあまり楽しくない。 客先で孤独のなか、一人石を積むような作業は 目的意識を強くしないと 何をしているのだか見失ってしまうことになる。
そんなことをたまたまコチラに来ていた同僚に言うと、 だったら上司に話してみれば、という。 もともと今の仕事は自分から志願してのものだし 通勤時間さえ目を瞑れば仕事自体は楽だし、 と言っているそばから、 自分でも「こりゃ文句の一つも言った方がいいな」と いう気持ちになる。 こういった突っ込んだ話が普段出来ないのが 本当は辛いのだ。酒でも飲めれば楽なのだが。
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病院も慣れてきた。 というか俺が替わりに入院したい。 いや、そんなことを言ってはいけないな。 平和な世の中において、 あそこほど戦っている人ばかりのところはない。 そして生きようという力が強いところも。
強く生きている人を見て、 ああなりたいと切に思う。 俺は弱い。
物凄い雷と雨。 夏は過ぎていってしまう、 引き千切られるような痛み。
何の意味も無い。 なのに生きている。 訳が判らない。
いや、俺が決めたことだ。
昨日は仕事が全く手につかなかった。 全く関係のないネットのページばかり見て 時間を潰した。 いつもチェックしている占いのページでは 水瓶座は全く持ってついてなかった。 そんなこと分かりきってるぜ、なんて 開き直って、EXCELを使って 日頃組んでみたかったツールを作ってみる。
仕事はしていなくても夜まで都合で 会社にはいなくてはいけなかったので、 いい暇つぶしにはなった。
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トンネルは長い。
近くで雷が落ちた。 電車が長く止まったらしい。
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いままで『となりのトトロ』を、 ちゃんと見たことが無かったのだけれど、 今日時間があったので、取り溜めていたビデオから見る。 何故か途中から涙が止まらない。 デジャブでも感動でもなく、 とても恐ろしく、悲しい感情が湧き出てきた。 理由が全く分からない。こんなことは初めてだ。
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日本航空123便の事故から21年目の今日。 また、あのフライトレコーダーの声を聞いた。 あれから何度も、テレビやネットで聞いた記録。 機長が、最後まで周りを励まし続ける声に、 子供ながらに、底知れない感動と堪らなさを感じたのを覚えている。
人は時に取り返しのつかない過ちを犯す。 起きてしまった後、残された人は、 全力で繰り返さないようにするしかない。 それでも、堪らない。
あんなことを書いても、 結局は僕のエゴなんだと思うと いろいろな感情が入り交じって 何だか分からなくなる。
君が読んでくれたのか、 君に伝わったのか分からない。 増してや、どう感じたのかすら。 でも、それはもう知らなくていいことだ。
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この前の休日出勤の替わりの休みが 明日になった。 特にすることもない。 朝の占いは絶好調なのに、 勿体無い。
それでも、人を好きになることを辞めてはいけない。
正直な気持ちを書くと、 君に対してどうしようもない未練はある。 でも、最後に逢ってから時間が経ち、 最後のメールから時間が経ち、 傷つけあってから時間が経つにつれて、 もう、お互い前を向かなければならない筈、 と思うようになった。 あのときの自分は、どうしても自分でその決断が出来なくて、 諦め切れなくて辛い思いをさせたと思う。すまない。
こんな言い方はしたくないのだけど、 今の僕はとても君を幸せにできる状況にない。
突き放す言い方になるけど、 幸せになれるかどうかは、今は君自身が選べるんだよ。 ただ、迷っているうちは、いい恋愛は出来ないと思う。 でももう君は十分苦しんだんだから、 幸せになれるのなら、いい恋愛をして、幸せになって欲しい。 僕は大丈夫。君が幸せなら、僕は嬉しいよ。
部屋のいらない本などをアマゾンの古本やオークションに出す。 本は10数冊出したのだが、そのうち2冊に買い手がつく。 ネットは凄い、と思う瞬間。
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大学のときの友人から暑中見舞いの葉書が届いたので、 失礼とはおもいつつメールでその返事をした。 既に二児の母となっている彼女だが、 子供の躾の方針をめぐって旦那と対立しているらしい。
こっそり泣いているのを子供に見られて 子供が旦那に文句言ったらしいのだが、 子供の発した言葉の文面に方言が混じっていて 読んでいる僕としては微笑ましかった。
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返信には、少しだけ近況を書いた。 近況というか、直面している問題というか。
変な話だが、 「みんな苦労している、だから頑張ろう」 と、思ってくれればいい。
言葉の遺伝子というものを常に意識している。
映画を見た後に、ドーナッツショップでその感想を言い合うこと。 携帯のメールに感情のままに書きなぐった会社での悪口を 全く関係無い友人に送ること。
思っていること、感じていることをお互いに共有することで、 その知能の中に相手の一部を取り込むということ。 やり取りする遺伝子は親子や恋人同士だとさらに濃いものになる。 インターネットが発達して、 言葉の遺伝子の到達距離は飛躍的に大きくなり、 理解さえ出来れば、地球の裏側のミクロな人々の思考を 僕らは共有することができる。
それは、脳内のシナプスに似ているのだそうだ。
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重要事項を通知するメールに対してスパムメールがあるように、 脳内にも重要な情報を伝達する電気信号のほかに そうでない雑多なシグナルも出ているらしい。 多くの言葉のノイズの中に重要なヒントはある。
そのつもりで、 僕は人と会話し、 メールし合い、 コミュニケーションをとっている。
或いは、 その言葉は自分への言葉そのものでもある。 薄まった言葉の中に小さなシグナルを潜ませている。
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意図的に君の事を書かないのは、 今でも忘れていないからだ。 すまない。
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まあ、つまり、 頑張れ。俺。
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