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2004年02月29日(日) おまけ

日本で一番距離単価が高いという高速道路を使って、彼女の家に行った。
打ち合わせが本格化しているため、一日かける必要があったからだ。

濡れた路面が今朝の天気の名残を残していた。
家のチャイムを鳴らす前に、良く手入れされた庭が
雨上がりの後の春らしい匂いをさせていた。

打ち合わせた後、車で帰る途中でそれは少しずつやってきた。
そういえば、今日はクスリを飲んでいない。
騙し騙し家まで帰り、ゆっくりと薬を流し込んで一安心する。
落ち着いてくると、世界はとてもきれいに見える。
生きなければいけないね、と語りかけてきているようにも見える。

帰り際のフロントガラスの先に、白い花をよく見かけた。
多分梅の花だろうか。
梅は春を告げる花なのなら、桜は春を終わらせる最後通告なのかもしれない。
そんなことを考えながら、桜の下に埋まる死体に想いを馳せる。
僕の死体を埋める桜は、咲くのは潔く、散るは往生際悪く。
ばっと咲いてはらはら散るのがいい。

連絡先が分からない人の中には嫌いな人もいて、
そんな人の連絡先を探るのはちょっと疲れるなあ、と思っていたら
またうっかりタバコを前後ろ逆に吸ってしまった。
フィルターの燃える匂いが鼻について離れない。
そして今日が終わった。

二月の余った一日は、おまけの一日だ。
本当に頑張った人にだけ与えられる特別な一日。
でもみんな頑張ってるから神様は今年も平等に与えたようだ。
僕はこんなふうに過ごしてしまったけれども。
ちと間抜けっぽいぞw



2004年02月28日(土) 中くらい

3月10日付で転勤して郊外の街に住み、中くらいの女と暮らし、
「遠くで犬がないてる パイプベッドがきしんでうるさいのかな」
というなんだか虚ろで薄い膜が張っているような詞が、
スガシカオの「310」という曲にある。

この詞を聞くといつも思い出す友人がいる。

数年前、東京のど真ん中で暮らしていた友人が九州の郊外へと転勤した。
それまでやっていた営業は自分には向かないから総務に移して欲しいと
自分から懇願したというのだ。
そういう場合、普通は転勤というより左遷である。

一度だけ、友人の結婚式のついでに彼の部屋に遊びに行ったことがある。
彼の服や部屋はセンスが良くて、羨ましいほどだった。

そんな彼に二年ぶりくらいに昨日連絡を取ると、今年の秋に結婚するという。
僕は彼がどんな人とつきあっていたかを粗方知っていたので、
誰と?と聞くとその誰とでもなく、親しい大学の同級生だという。

僕の知っている彼は、その当時付き合っていた彼女とセットだった。
うまく説明できないのだが、彼のそばにはいつも彼女がいて、
いつか彼らは一緒に暮らし、そのまま生きていくのだろうと思っていた。
周りの友人達も同じようなふうに思っているようだった。
でも、彼らには彼らなりの事情があって、付き合ったり別れたりを
繰り返した挙句、別の道を歩んでいったようだ。

電話でこちらの話もした。
今度会おうよ、という彼の声は明るくて、やはり羨ましかった。

その後、彼女の写真をメールで送ってもらったが、
彼とその彼女とが二人でいるところを想像できない。
写真の印象からだけで失礼だとは思うのだが、
彼女は中くらいの女にしか見えなかった。

自分で何故そう思うのか分からない。
ただなんとなく、悲しかった。

今度君のことも彼に話してみようと思う。



2004年02月27日(金) 、と思った。

判決は主文を後回しにして、事件の事実認定と理由の朗読から始まったという。

主文を冒頭にするか、後回しにするかは裁判官の裁量で決まり、
暗黙の取り決めで、主文を後回しにする場合はほぼ死刑判決であると
最近知った。

それでも即日控訴されたので、
彼の死刑が決定してそれが執行されるのは
まだまだ先の話になる。
彼が死刑になったとしても、残された人への癒しには程遠いだろう。

僕らは全ての事実を知ることはできない。
あの本の最後の話ではないけれど、
子供の頃から僕は、自分が死ねばその瞬間に
全ての事実を知ることができると漠然と感じていた。
それは、現在僕が知りたい事実を知ることができないことへの
言い訳なのかもしれない。

彼が起こした事件に対して出した結論は、
現在持ちうる人間の英知を最大限に使い、
事実をかき集めた警察官、検察官、弁護士、裁判官が出したものだ。

そして、死刑自体が法の名において行う殺人である。
彼が死刑になったということ自体を、我々は責任を持てるだろうか。
死刑の執行は絞首と決まっている。
一人の人間の殺人を、躊躇無く、全ての人間は行えるだろうか。
最後のボタンを押せるだろうか。

ここのところ刑法の本を読んでいるので、余計なことをいろいろ思う。

---

高校の部活の友人と、それこそ10年ぶりぐらいに飲みに行った。
10年という時間は長くも、短くも感じられるいい飲みだった。
今年母校が改築工事に入るというので、夏のOB会には必ず来いと言われた。
もちろん、そのつもりだ。

---

昼間はあれほど暖かかったのに、終電間際の駅までの道のりは少し寒かった。
それでも、都会の空気からも、もうすぐ春が来る匂いがする。

落ち着いたら、少し遠出するのも悪くないな、と思った。
春には、実はあまり良い思い出が無いのだけれど、
同じ空を見上げて、それが青空ならば尚更いいだろう。
ゆっくり生きている自分を感じられるだろう。
そのうちゆっくり話ができるようになるといいね。
---

今日は上手くまとまらない文だね。ごめん。



2004年02月26日(木) お土産

今日も恒例の英会話で、やはり同年代の女友達と一緒だったのだが、
先週熱海に行って来たとかでお土産のキーホルダーを貰ってしまった。
一応この前のチョコレートと一緒にお礼ということで
食事を奢ってきたのだが。

自惚れかもしれないが、ヤバイと思う。

食事中、兄弟の話になった。
妹が二人いて長男だ、という話をすると、
彼女も大体の人と同じく、やっぱりね、という感じの反応をする。
自分自身でも、子供の頃からできるだけ人に甘えないように、
むしろ自分から積極的に何かを人に働きかけるようにする傾向がある。

でも、本当はそれは愛情に飢えていることの裏返しなのだと気がついている。
それ故に僕は、あるときは甘え、あるときは甘えられる関係を
人に求め、欲している。相手と自分が対等な立場を望む。

今までで長く付き合える人は大体そういった人達だ。
自分が弱いことを曝け出だす相手には、残念だけど彼女はなれそうにない。
次からはレッスンの時間をずらす必要がありそうだ。
ほんの少し、勿体無いとは思うのだけれど。
今日休み?



2004年02月25日(水) ズル休み

寝る前に薬を使った所為かどうかはわからないが、
朝どうしようもなく体がだるい。
無理をすれば昼から会社には行けたかもしれないが、
体調が悪いから、と一日休みにして貰った。

昼過ぎまで寝ていた。
何度か電話があったのだが、朧気に覚えているだけで
正確に何を言われたのか分からない。
ちょっと前のことと、今していることの時間を正確に
測れない感じがする。

やろうとすればやることなどいくらでもあるのだが、
結局何をするでもなく、夜まで無言でぼうっとしていた。

今日はそういう日だ、ということにした。

何処まで行けば、自分が自分であるための意義を見つけられるのだろう。
皆それを探しているんだ。ある者は素手で、ある者は知恵で。
僕もその戦列に加わっている。
戦う相手は、自分自身だ。この戦いに勝たなくてはならない。
なんかくれって訳じゃないから気にしなくていいからね(笑)



2004年02月24日(火) 境界

大学の履修届を出すために昼から休みにして大学へ行った。
友人と待ち合わせをし、履修を一緒に出した後、
マクドナルドで話をした。

薬を飲んでいるせいか、僕の話に切れが無いらしい。
自分でもなんとなくそう思う。
話はいつのまにか精神論や仏教の方向へ。
理系の人間ほど、答えを求めてそういった考え方へ行き着くようだ。
心の動きの客観視、人と人との境界線について話を進める。

「僕は自分と人との境界を測り、出来るだけ縮めることで幸せを感じる」
時間が来て、駅へ帰る途中で考えたこと。
話をする、理解をする、理解される、
同じ物を見る、聞く、感じる、
肌を合わせる。
そうやって不確かなものを測り、確かなものへと変えて行きたい。

世界中で君さえいれば何もいらない、と
そう感じた人にサヨナラが伝わった今日そう思っていた。
何もいらないよ。もういっぱい貰ったじゃん。
編集したな?本当は何か送りたいんじゃない?



2004年02月23日(月)

今日はルールを逸脱します。

午前中に君に写真を送りました。
僕が買って君に贈り、僕が借りたことになっていたCDも入れてあります。
あと君には何の役には立たないものですが、リクエストにあったのも。
毎日見につけていて、使っていて、僕と同じ物をみていたものです
取り扱いに注意してください。
気持ちが冷静なとき、太陽が明るいときに開封したほうがいいでしょう。
不要なとき、あるいは不要になったときは送り返してください。
相変わらず精神不安定ですが、ちゃんと寝てるので大丈夫です。

---
そして今日のことを。

朝ちょっとお腹の調子が悪くて、電車から降りた後トイレへと駆け込む。
駆け込んだのはいいのだが、駅のトイレには紙が無い。
買うしかないか、とつぶやくと近くにいたおっさんが
ポケットティッシュをくれた。
ありがたく頂き、有効に活用させてもらった。
小さな親切を貰ったらどこかでお返ししなくてはな、と思う。

昼休みになっても調子が戻らず、とりあえず薬を飲むために
軽くパンだけを食べて薬を飲み、あとは寝ていた。

寝ると少し回復したので、なんとか仕事を続ける。
火曜日までの仕事を今日までにこなしたので、
少し余裕ができた。
明日は午後は大学に行かなくてはいけないので、
半日だけ行けばよいし、楽でいられそうだ。
その後、友達と会う予定も出来て楽しみになる。

帰ってきて、当たり前のようにパソコンを立ち上げログを見てから巡回。
それから買ってきたCDを聞いたのだが、微妙に失敗。

今日は寝ながらお気に入りのMDでも聞こうかな、と思う。
高校時代、当たり前のように毎日寝ながら音楽を聞いてたように。
そういう気分。



2004年02月22日(日)

前に書いたような気がしていたのだが、
日記を戻ってみても見当たらないので。

友達からいきなり数ヶ月ぶりの電話が掛かってきて、
曲を探してくれませんか、ということだったので、
22歳のときに書いた曲を少し手直ししてMDに落として
送っておいた。
今日電話でその感想を聞いたのだけど、
「最高、イメージどおり」ということだったので嬉しい。
報酬は?と聞かれたのだがそんなものはいらないと言っておく。
自分としてはもう作曲からは離れてしまったつもりなので、
その曲が使われることになっただけでも嬉しいのだ。

夕方、カメラ量販店へ行く。
結構性能のいいマウスが一つ1000円だったので、
衝動買いで2個買う。
一つはパソコンにつけ、一つは死蔵することになるが、
そのうち誰かに譲ろうと思う。

帰ってきて、時間があるうちに部屋の掃除の続きを
しようと思ったのだが、人に借りてそのままのビデオや、
他に使いようの無いソフトなんかが出てきて取り扱いに困るものが多い。
いっそのこと全て捨ててしまおうかとも思ったのだが、
オークションにでも出してみようとも思う。

さっき、ご飯を食べたあと、薬を飲んだのだが、
どうも飲んだこと自体を忘れていてもう一回飲んでしまったようだ。
大丈夫だろうか?少し頭がジンジンする気がするのだが。

今日はあまり書くことが無いな。もう寝ます。

---
その後友達から電話があったのだが、何を話したのかあまり覚えていない。
大事なことをレシートの裏にメモしてあったので
かろうじて明日やらなくてはいけない事が分かった。
さて、がんばるか。



2004年02月21日(土) 言葉

病院へ行く。
軽く現在の状態を話してに二週間の薬を貰ったあと、
「なにか他にありますか?」と聞かれたのだが
特に何もなかったので頑張ります、とだけ言うと
あんまり頑張り過ぎないようにね、と返された。

人に相談されたとき、僕がいつも使う言葉だ。

薬局で薬を貰ったあと、路上駐車していた車へ戻って
コンビニで買った遅い昼飯を食べ、
それからどこという宛てもなくドライブをした。
どうも車に乗っているとある瞬間ふと思うことを
口にしてしまう癖があるようだ。
言った言葉の意味を思って苦笑したりする。

家に戻ってやろうと思っていた資料書きも、
なんだか気が乗らないのでやめて炬燵で寝てしまった。
夜には一度実家に帰ろうと思っていたのに、
すっかり遅くなってしまう。

実家で出された夕食があまりに美味しく、
珍しくおかわりをするほど食べてしまった。
両親と交わした言葉は少なかったが気を遣ってくれているのはわかる。
それから、しっかりしろと言われているようにも思う。

僕らは言葉を使ってコミュニケーションを探っている。
時には音の無い、目に見えない言葉も使っている。
もうすぐ写真送ります。



2004年02月20日(金) 火傷

昼に電話で、面白そうな仕事の話を聞く。

凄くやりたい、と思える仕事なのだが、
残念ながら自分の力でその仕事を請け負うように
誘導するのは難しい。
自分のポジションをなんとか変えようと思ってはいるのだが、
今のポジションから動けないし、一朝一夕では変わるはずも無い。
とにかく目の前の仕事を片付けることに専念する。

煙草の量が増えていて、ビタミンCが足りないようだ。
煙草1本で250mgのビタミンCが減るようなので、
4本吸えば一日の成人基本摂取量を超えてしまうようだ。
ちょっと怖くなってビタミンドリンクを飲んではみるが、
全く追いつかないだろう。

夜帰ってきて、やはり煙草を吸っていたら携帯の上に煙草の火が
落ちてしまったようでちょうど携帯の背中の真ん中が溶けてしまった。

僕の代わりに火傷をしてくれたのかい?
ならば、ちょっと遅かったようだよ。



2004年02月19日(木) なんとなく

今日は自己育成のグループ面談があって、
一度横浜へ出勤しなければならなかった。
同じ等級の人とこれからの方針について話したのだが、
ずっと他社に出ていたせいかあまり話が噛み合わない。
年齢的にも、等級的にも緩やかな転機が来ているのを感じる。
久しぶりに自分の会社の雰囲気に触れると
自分が新人の頃に緊張しながら足を踏み入れた空気を思い出した。
あの頃の自分にしてやりたい助言が山ほどある。

話し合いが終わり、ぷらぷらしていると後輩の女の子から
遅いバレンタインチョコをもらった。
全男性社員に配っていたものをわざわざ取っておいてくれたらしい。
大したことではないのだけれど、こういった配慮が嬉しい。

東京に戻って仕事をこなし、再び横浜に戻って英会話へと急ぐ。
特に予習復習などしていないのだが、
なんとなく上手くなってきているようだ。
ちょっと前にいつもレッスンで一緒になる同年代の女性と仲良くなったのだが、
急にバレンタインの話をするので何だ、と思ったら
彼女からもチョコを貰ってしまった。
騙すのも良くないだろうと彼女がいることは話しているのだが、
義理とは言え個人から貰って良いものだが悩む。
まあ結局は貰っておいて、三倍返しを約束した。

状況が状況でなければ、なんとなく幸せな日々なのかもしれない。
これから自分がどうなるのか見えない不安が拭えないが
それでもずっと想っていることがあるだけでも
なんとなく幸せな日々なのかもしれない。
チョコは前後半年受け付けます。



2004年02月18日(水) 眠り

昨日寝る前にぐっすり寝ようと思って眠剤を飲んだが、
効き過ぎて寝坊。なにやってるんだ、という感じ。
髪はボサボサ。速攻で着がえて走って駅まで行く。
世間はそろそろ暖かくなってきたようで、
コートを着ていると汗ばむくらいだ。

でも天気予報だと明日はまた寒くなるらしい。

昼に先日病院にて液体窒素で焼いてもらった
手の疣をうっかりつぶしてしまった。
手の真ん中にある傷はやがて跡形も無く消えてしまう前に
疼いて、その存在を記憶として残す。

水曜はノー残業デーなので、仕事も適当に切り上げてすぐに帰った。
いつもは座れない満員電車で、偶然にも席が確保できたので、
あれほど眠ったにも拘らずまた眠る。
電車での眠りは浅いのに不思議な幸福感がある。
そういえば、徹夜後の朝帰りで山手線を2周したことがあるのを思い出した。

目が覚めて、一瞬忘れていたな、と思うということは、
起きているときはいつも頭にあるということだ。
でも世界は時々美しすぎて、いろいろなことを忘れてしまう。
忘れていたものはそのまま沈む夕陽と共にゼロに戻る。

・・・わけはない。
やれることをやるだけだ。
気持ちはわからんでもないが、それは送れないよ。普通(笑)



2004年02月17日(火) 不運

ずっと何かを探していた。
何年も探していた。
見つからないものだと思っていた。

探し物が見つかったとき、それは既に遅かった。
運が悪かった、という単純な言葉では済まされないほど。
---
大学生の友人からは、どうも俺はついていない印象が強いらしい。

探し物は大抵その用が終わった後に見つかるし、
ちょっとしたことから怪我をすることも少なくない。

左手の人差し指の先がほんの少しいびつな形になっているのも、
料理しててうっかり切ってしまったのもだし、
右ひざの跡も新人研修で張り切りすぎて転んだものだ。
親からもらった体は結構いいものだったのに、
自分で台無しにしている感じ。

怪我は仕方ないにしてもだ、
ちょっとしたことで人生の歯車が狂ってしまったのだなあと、
過去を振り返ることが多い。
どれもこれも不運の所為にしたくは無いが、
たまには良いことがあった、と思うとすぐそれを覆されることもある。

---
だからまた探しつづける。
次こそは、手遅れにならないように。
写真以外に何か送りたいと思うとき、何を送ればいい?
あとそれから、ハヤクネロ。
じゃあ、とっておきのやつを。



2004年02月16日(月) 捨てる

今日は仕事で展示会の説明員をやっていたので
ずっと立ちっ放しで足が重かったのだが、
気合を入れて有楽町の無印良品へ行き、
いろいろと買いこんできた。
昨日の勢いに引き続き、今度は写真を整理してやろうと思ったのだ。
部屋に帰り、ずっと密閉させていた禁断の箱を開けてみた。

思ヒ出ガ重過ギル。

結局箱を右から左に移しただけで、再度密閉した。

基本的に写真は勿体無くて捨てられない。
同じ捨てるなら本やCDの方だろう。
捨ててしまうと二度と手に入らない、と思うと捨てるにも腰が引ける。
デジカメを使うようになってから、物理的な場所は取らなくなったのだが
その傾向は強くなったように思う。

昨日掃除していた中で、同じように捨てられないものがいくつもある。
昔のお守り・山のような筆記用具・昔の芝居の台本。
抜いた自分の親知らずなんて物まで出てきて、ちょっと鬱になったり。

本当は、昔の自分が捨てられないのだ。
髪の毛を切るように出来れば、苦労など無いのだが。
その言葉に返事をしようと思っているけどね。



2004年02月15日(日) ゲーム

自分が今の職業についているのは、
少なからずテレビゲームの影響があるからだろう。
多勢に漏れず、ファミコンっ子だった僕は
ゲームセンターに入り浸り、家では親の目を盗んでドラクエしたりと
普通の子供だったと思う。
高校大学は殆どゲームをしなかったのだけれど、
社会人になって箍が外れたのか、社会人初のGWは
起床五分後にプレステのコントローラーを握るというものだった。

最近はインターネットが普及したおかげでゲームも変わった。
いわゆるネットゲームという代物。

僕がやっていたゲームは日本人文化の中に外国人が入ってくるという
現実世界ではあまりない状況だった。
そんな中で右往左往する彼らに日本人はあまり近寄ろうとしない。
基本的に文字でしかコミュニケーションの取れないネットゲームでは
日本人の側に言葉の壁があるのだろう。
そんな中、僕はただ面白そうという理由でよく外国人の案内役を買って出た。
いい加減な英語で話し掛けると相手はスペイン人だったりして、
国籍ごった混ぜの感覚はかなり新鮮だった。

そんな中であるアメリカ人と知り合った。
二人でゲームの世界のいろいろなところへ行った。
現実でならば、そこそこ仲の良い友達だっただろう。
やがて、僕はそのゲームを辞める事になったとき、
彼は本当に悲しそうだった。

実は、昨日そのゲームを2ヶ月ぶりにやったのだ。
どこの誰かも知らない彼はいなかったが、
どこの誰かも知らない彼だからこそ、もう一度話をしてみたいと思う。

---

今日は一日暇でボーっと過ごしそうだったのだが、
意を決して部屋の掃除をした。
あふれんばかりのカセットテープとCD、本は結局ほとんど捨てられなかったが、
引き出しに名前をテープ張りし、整頓すると大分綺麗になった。
布団を干し、掃除機を掛けて、昨日突然頼まれた曲を書いたりしていた。
まあ、そんないきなり言ってもすぐ出来るものでもないので
前に作った曲を焼きなおしただけなのだが。
昨日病院へ行った帰りに寄った100円ショップで買ったパスタを
茹でて食べ、結局家からは一歩も出なかった。

夜に親父から電話が来て、今度彼女の家に謝りに行くことになった。
自分が謝りに行くのはいいが、親に謝らせるのは本当に心苦しい。

それでも、親父が電話で言ったことが僕の考えと同じだったので、
血の繋がりを感じる。

優柔不断なところもしっかり引き継いでいるのが、
なんとも、なのだが。
昨日書いていたこと、消してしまったんだね。
そっちこそちゃんと寝るように



2004年02月14日(土) アンプラグド

アコースティックギターを初めて買ったのはある年の五月だった。
芝居の公演が終わった二週間後に、僕は当時付き合っていた彼女と別れた。
その前の週に僕は違う女性と会っていて、
どちらが好きなのか曖昧なまま、
僕の態度の変化に気がついた彼女の方から
別れようと切り出された。
そして、今でも人生最大だと思っている失敗をした。
僕は頷いて「しまった」のだ。

恵比寿の駅の山手線のホームで別れた彼女は、ずっと僕のほうを見ていた。

僕はその足で次の山手線に乗り、駅を乗り継いで楽器屋へ向かった。
そしてレッドサンバーストのアコースティックギターを買った。
馬鹿丸出しの僕は、暫くは彼女のかわりにこれを抱いていよう、
なんて考えていた。

しかし、澄んだ音が出ていたはずだったそのギターは、
いつのまにかネックにヒビが入ってしまっていて
少し濁った音を出すようになった。
そしてこの前、妹がギターを始めたいというのでこの前実家に預けることにした。
保証書に掛かれていた日付の意味を笑い話にして。

本格的に習おうと思ったときにそれからもう一本ギターを買ったのだが、
あのギターほど弾いていない。
定価で言えば3倍もするそれは、それなりにいい音がするのだが、
音以外の何かが違うように感じる。

そして、僕は音楽で飯を食おうという夢は夢で終わらせることにした。
また別の方向へ向かおうとしている。夢へ向かおうとしている。
それでもいつかは回帰するのだ。濁った、優しい音を奏でるギターへと。
僕のしたいことがこれで伝わるだろうか?



2004年02月13日(金) 青空

18歳の時に母方の祖母を亡くしたとき、
見舞いにも行けなかったことを悔やんでいたので
父方の祖母が入院したとき、頃合を見て見舞いに行った。

その日は前日の雨が嘘のような青空だったと思う。

母の運転する軽自動車に乗って病院へ向かった。
祖母は早くに夫を亡くし、一人で子供を育てあげたためか
非常に気が強かった。
またしつけにうるさかったので
一緒に住んでいた長男の嫁とはかなり仲が悪かった。
僕の父は次男なので直接その影響は受けなかったが、
親類同士でいがみ合う姿はみっともない以外の何者でもない。
病院までの道のりで、長男の嫁は入院費は払っても決して見舞いに行かないと
普段あまり悪口を言わない母が愚痴を言ったのを覚えている。

大部屋の一番窓際で寝ていた彼女は、もう90歳になるというのに
とても綺麗な顔をしていた。
母についで僕が話し掛けると、もう殆ど意識が無いというのに
しっかり僕のことを覚えていて軽く悪態をついた。
母が花瓶の花を替えに洗面所に行っていた間、僕は彼女の手を触って話し掛けた。

僕がいる間、ずっと意識はしっかりしていた。
何を話したのかはよく覚えていない。
ただ、未来を約束するようなことを何か言ったのだと思う。

次に彼女に触れたのは、密葬の直前だった。
おばあちゃん子だった従姉妹が泣いていた。
生気を失った肉体は、それでも美しかった。
軽く頬をなでて、僕はさよならを言った。

長男の嫁は、葬儀のその日に祖母の着物を全て処分させたという。
死んでも消えない想い、たとえそれが憎しみであっても
もしそれに意味があるのならば、時々思い出して欲しいと思う。

本当は人間の記憶なんて曖昧だ。確かあの日は曇っていた。
それでも僕は、彼女のことを青空とともに思い出す。
なぜだかはわからない。でもそれは青空だった。
それを忘れないうちに、墓参りに行こうと思う。



2004年02月12日(木) コミュニケーション

職場の上司とは、どうも馬が合わない。
人に頼みごとをするときに「〜してくれませんか」とは言うのだが、
その内容が非常に理不尽なことが多い。
しかも、自分でも出来るんだけどね、みたいな態度。
じゃあやれよ、と言いたくなるのだがグッと我慢をして仕事をこなす。

そういう自分も遅刻はするし仕事は遅いしで文句を言えたもんでも
ないのだが。

定時近くに「〜をやってください。どれくらいかかります?」と
聞かれてやはりムッときた。「どれくらい」の言葉には今すぐやれ、との
意味が込められていたのだ。ちょっと頭にきたので、目もあわせずに
すぐやります、とだけ答えて本来は半日掛ける仕事を1時間で終わらせた。
だが分からないところで一部の機能をサボって省いてやった。

そんなこんなで、いつもの電車で帰ると英会話に間に合わない。
仕方なくJRを使って横浜まで行き、2時間英会話レッスンへ。
このまえ間違えて洗濯乾燥機にかけて悲惨な状態になった生徒カードを
スタッフに見せて笑われる。友達になった生徒にも笑われる。
僕も笑う。コミュニケーションの基本は目を見て笑うことだ。

昨日デパートの閉店前に安くなっていた天ぷらの買い置きで
天そばを作って食べた。
そしてボーとしている間に時間は過ぎてしまう。
気が付かないうちにメールが2通来ていて、さらに1通来た。

誰かと繋がっているという安心感は、時に不安の種にもなりうるのだけれど、
今日は、ありがとう。今日も、ありがとう。



2004年02月11日(水) 髪を切る

昨日はついだらだらと起きていてしまい、寝たのが3時だった。
夢を見ないように睡眠薬を飲んで寝たら起きたのが12時半。
しっかり寝たにもかかわらず、美容院で髪を洗ったら何度もコクリコクリ。

出来上がった髪型は、髪型だけは坂口憲二のようだ。

それから人に会ったのだが、死ぬほど眠くて途中で切り上げてもらう。

が、帰ってきたらやたら目が冴える。
悪い事したなあ、と思う。

---
こんなに不安な夜は今年に入って初めてだ。
どうしようもないのに、どうすることもできないのに。
おやすみなさい。



2004年02月10日(火) 中休み

水曜に休みがあるというのはなんだか嬉しい。
土日以外にも掃除と洗濯が昼にできるので
余裕ができるというものだ。

明日、起きたらの予定。
ずっとオークションに出そうと思っていたものを整理して、
風呂掃除をして、
ゴミを捨てて、
いままで整理していなかった新聞や本を片付けて、
髪を切りに行く。

長い髪もそれなりに似合ってきたのだが。

---
今日はあまり書くことが無いな。



2004年02月09日(月) Where Do I Go?

眠剤が効きすぎて朝からボーっとしていた。
おかげで会社に遅刻する。
早めに寝られるようになったのだが、
体調が万全とまではいかないようだ。

薬を飲み始めて以来、精神的に追い詰められるようなことは
なくなったようだが、会社にいてもボーとしていることが多くなっている。
ひょっとしたら風邪をひいたのかもしれない、と思う。

そしてすっかり忘れてた。
土曜の英会話レッスン、すっかりすっ飛ばしてしまったことを。

最近の煙草の量が凄い。
一日一箱はいっているかもしれない。
と思ってたら、煙草を逆に火をつけて葉っぱを吸い込み、
咳き込んだと思ったら灰皿をひっくり返した。
占いの結果も最低だったし。

最後のコーヒーを飲んで寝てしまおう。
泣かせるつもりはなかったよ。ごめん。
---
コーヒーを淹れて飲んでみたが、全然味がしない。
やっぱり煙草の吸いすぎか。



2004年02月07日(土) 土曜、彼女の家に行く

髪を切るタイミングを完全に失った。
薬の副作用かもしれないが、かなりの無気力っぷり。
こんなんで大丈夫だろうか。

ここからはかなり厳しいことを書くので読まないで欲しい。

昼過ぎに彼女に家に行って、経緯を説明した。
病院へ行ったことも含めて、彼女との心が離れたことも含めて。
それで、式の延期を申し出る。

彼女の言い分は、とにかく計画どおりに結婚したいということだった。
結局彼女は俺のことなんか考えてないのかもしれないと思う。
これから何ヶ月か掛けて彼女との関係を修復していくわけだが、
かなり自信がない。
それでも、彼女の家で日本酒を飲まされ、フラフラになりながら
家に帰る。眠剤を飲んでロードオブザリングを見ていたら5分で寝てしまったようだ。
死ぬほど君に会いたい。



2004年02月06日(金) 金曜、病院へ行く

せっかく取った休みをボーとして過ごし始めてしまった。
これではいけないと、ずっと行こうと思っていた病院へ行く。

昼頃市民病院へ行ったのだが、外来は午前中で終わっていた。
苦しいので受付に聞いて別の病院へ向かう。

最初のカウンセリングでは良かったのだが、
次に出てきた先生は非常に良い方で話をしているうちに涙が滲んだ。
縁があるということはこういうことなのかもしれない。
薬を手に入れ、若干すっきりして帰ってきた。

早速薬を飲んだのだが、あまり効いていないようだ。

大学生のとき、友達同士で薬のやり取りを見ていたとき、
そういのはやり取りしてはいけないとたしなめたことがあった。
そんな昔のことをこの頃良く思い出す。

結局健康ランドには行かなかったし、髪も切りにいけなかったな。
少しお腹が空いてきたので、コーヒーでも飲もう。
そうしたらもう寝ることにする。



2004年02月05日(木)

朝起きて、携帯電話のマークに気が付いた。

何度もメールを読み返して、着信した時間を見て、
どうしようもない感情に流されそうになる。

金曜、休みが取れた。
できなかったことをするつもり。



2004年02月04日(水)

今日は昼から出張。
仕事は相変わらず頑張ってる。
新橋へ行ってから嘗て無いくらいではないか?
明日は残念ながら出勤になってしまったが、
金曜はなんとか休めそうだ。

一度できた溝を埋める方法はなかなか無い。
昔親友だった男ともそうだった。
彼の信頼を裏切った代償は大きいが、
本当は仲直りできるチャンスもあったのかもしれない、
と思うこともある。

時々、夢の中で彼が出てきて話をすることがある。
目が覚めて、複雑な気分になる。

時には人を裏切り、時には人を敬い、愛し、嫌い、
くじけたりもするが、明日がやってくる。
刻々と状況が変わっている。伝えたほうが良いだろうか。



2004年02月03日(火) 日常

寝たのは3時頃だった。

朝目覚ましで一応目が覚めたのだが、天井を見ているうちに意識を失って
次に気が付いたのが30分後だった。
やばいなあ、と思いつつ着替えをして出掛ける。

仕事は至って順調。これならば今週一日休めそうだ。
もうすぐ帰宅時間、というところで出張先の人が太巻きを買ってきてくれた。
今年は東北を向いて笑いながら食べるのだと言う。
こっちは去年くらいからセブンイレブンが積極的に始めたくらいで
あまり馴染みのない習慣だ。

家に帰っても、ボーとしていた。
まだ早い時間の電話で彼女はもう寝るのだといった。
彼女もまた不安なのだ。良心が痛む。

久しぶりに連続ドラマを見て少しホロリとした。
ゴメン、まだ電話は出来そうにない。



2004年02月02日(月) 落ち着つけ

今朝はどうしようもなくイライラしていた。
炬燵でそのまま寝てしまって体が痛い。
丁寧にヒゲを剃り、何日か分のゴミを捨てて出張へ向かう。

とにかく仕事をすることにした。
一週間で終わる仕事を手っ取り早くこなせば
一日くらいは休めると思ったからだ。
何もしない日を作らなければいけない。

昼にカレーうどんを食べた。
夜はマクドナルドで安いハンバーガーを食べた。

友人に教わった、とにかく冷静でいられる方法をずっと試していた。
そして、昨日酷いことを言った彼女に電話で謝った。

メールをもらったときは、炬燵で寝ていたんだ。
夢をばんばん見たよ。
ちょっと君にはまだ電話は出来ないと思うけれど、
大丈夫。大丈夫。
---
落ちがついたな。苦笑。



2004年02月01日(日) いいだろうか?

昨日のことで今日は最悪な感じで目が覚めた。
もうどうしようもないという感覚。

少しでも冷静さを取り戻すために、
近くにあったスーパー銭湯へ行く。
1時間ほど露天風呂へ入ったりサウナに入ったりしたが
心は一向に晴れない。
そのままどうすることも出来ず、服を買いにいくことにした。
衝動買いをして、家に帰ってきても心は晴れなかった。

君に電話をした。
別の電話は父親からだった。早くなんとかしろという電話だった。
次に彼女に電話をした。最悪のことを言って切った。
それから友達へ電話。もう冷静でない俺自身を確認させてくれた。

もう少し頑張ってみようと思う。
それまで好きでいてもいいだろうか?


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