にっき日和
おしながき前よむ次よむ


2002年10月26日(土) 人生あみだくじ


人生って、あみだくじのようなものだと思います。



誰がハズレを引くかわからないけど、

誰がハズレを引いても、おかしくはない。



誰がアタリを引くかわからないけど、

誰がアタリを引いても、おかしくはない。



引くべき人が、ハズレを引いているわけではないのです。

引くべき人が、アタリを引いているわけでもないのです。



社会は不公平です。

けれど、あみだくじは誰にでも公平なのです。



たいていの人は、

それに気づかないで生きているのだと思います。



ん?

何を言いたいのかわからないって?(笑)


わかるひとだけがわかればいいのよ・・・・・・・


― ̄) ニヤッ


2002年10月12日(土) 沈黙の輪

行楽日和の土曜日でした。

秋空はどこまでも青く、繁華街は人であふれていました。

きょうは三連休の初日でしたから、無理もないことです。



駅前の広場で、賑やかな音楽が流れていました。

思わず近寄ってみると、

二年後に地元で開かれる、花博覧会の宣伝ブースでした。

色とりどりの花たちが、通行人の目を楽しませます。

花の即売や、ガーデニング教室のテントなどもありました。

花の種を無料配布するコーナーでは、人々が群がっています。

誰も彼も、この秋晴れの一日を楽しんでいるかのようです。



広場の隅で、奇妙な人だかりをみつけました。

華やかな花博のブースとは対照的に、

会話もない静かな人の輪です。

近づいてみると、

そこには、動物愛護団体のパネルが展示されていました。



たとえばこんなタイトル。


「人間に近いがために、より非人間的な虐待を受けている猿たち」

頭に電極を差し込まれ、

脳神経反応の実験台にされている猿の写真。

狭い檻の中に閉じ込められ、

こちらにむかって歯をむきだしていました。

猿には、”ごほうび”と称し、日に数滴の水しか与えられません。



あるいは、こんな写真。

保健所のトラックに乗せられようとする飼い犬。

荷台の犬たちの異様な様子に、首を振って抵抗をしています。

この犬たちが生きて保健所を出ることは、まずないでしょう。

また、このパネルの隣には、

灰の積もった焼却炉の写真が並んでいます。

保健所で処分された、犬や猫たちの灰でした。

化粧品の動物実験にされている、うさぎの写真なんてのもありました。

彼らたちは皆、

飼い主に捨てられたペットたちの末路なのです。



わずかな枚数のパネルでしたが、

それらはかなりショッキングな内容でした。

皆、一様に押し黙り、パネルに見入っています。

ちょっと情けないけど、

わたしは途中で気分が悪くなり、全てを正視することはできませんでした。



わたしは特に動物好きというわけではありません。

普段使っている化粧品には、動物実験された商品もあることでしょう。

人間たちの、ほんのちょっとの娯楽のために、

血を流し犠牲になっている動物達の存在を知っても、

化粧は毎日しないわけにいかないし、病気になれば薬も飲みます。

やりきれない思いを、それぞれの胸に残しながらも、

わたしたちは、

ああ、かわいそうねと、そのまま通り過ぎてゆくのです。



広場のはずれの、その一角。

沈黙の人の輪は、

いつまでも途切れることがありませんでした。



夕方帰宅すると、地元のニュース番組で、

さっそく今日の花博のイベントの様子が紹介されていました。

けれど、同じ広場で展示されていた動物たちのパネルについては、

ついに、ひとことも触れていません。

連休初日の話題としては地味すぎた・・・って、ことでしょうか。



青空の下の、光と影。


光が明るく眩しいほど、

影はその濃さを、いっそう深めてゆきます。



物言わぬ写真の動物たちは、

きっと、こんなふうに問うていたのではないでしょうか。



 「人間って、そんなにエライ生き物なの?」



人間って・・・・・・・・・・・・・・・



ぴょん

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