にっき日和
おしながき前よむ次よむ


2002年09月27日(金) 伝染るんです

同僚のMは、よくため息をつく。

彼女は不幸なオンナだからだ。

自分で言うのだから、たしかに不幸なのだろう。


彼女を不幸にしている理由は、

離婚した。

子供をダンナにとられた。

貧乏。

もう、若くない。

彼女は毎日のように、

「なぜわたしだけが・・・・・」とか、「老後が心配」とか、

口癖のように繰り返し、くら〜〜〜いため息をつく。

そして、自分の不遇は社会が悪いのだと怒りを洩らしている。


けれど、彼女の幸福基準にあてはめれば、

わたしは、さらに不幸な女ということになる。


だって、わたしはまだ一度も結婚してないし、

同じ職場で安い給料で働いているのだから、貧乏度は彼女と双璧。

歳だって、彼女と二つしか離れていないのだ。

しかも、わたしには彼女のような美貌もない・・・・ ( ̄ェ ̄;)


彼女は、他人と自分を比較するのが癖なのかもしれない。

他人が持っていて自分に足りないもの・・・・

いちいちそれらを見つけ出しては、また深いため息をつくのだ。

そのくせ、不遇を打破する努力もしていないようだが。


信じられないことに・・・・

彼女からしてみれば、

このわたしでさえ嫉みの対象になっているらしい。

両親が健在。

実家でのん気に暮らしている。

雑草のように元気。

・・・・・そんな些細なことすら、理由になるらしいのだ(爆)

たしかに、わたしは自分を特別不幸な人間だとは思っていない。

けれど、日々幸せをかみ締めて生きているわけでもない。

要は、気の持ちようだと思うのです。

雑草には雑草なりに、悩みも苦労もあるのだ。( ̄ω ̄;)

老後の心配だって、まるでないわけじゃないのよ。

ただ計画性がないので、

先のことは考えていなかったりするだけ・・・(爆)

彼女に限らず、“自称苦労人”という人種には、

わたしのようなお気楽な人は、

いらただしい存在に映るようです。


彼女は他の同僚がいるときには、決して愚痴をもらさない。

○○ちゃんだから愚痴も言えるのよ、と言うので、

わたしも適当に相槌を打ちながら、聞いてあげている。

ふと思ったのだが・・・・

彼女は単に愚痴を聞いてもらう相手が欲しかったのではなく、

いっしょに身の不幸を嘆く仲間が欲しいのだろうか?? 

(; ̄ー ̄A アセアセ


「なぜ私だけが・・・・」

彼女のため息は、うっとうしい。

わたしの気分まで重苦しくさせる。


不幸って・・・・・・伝染るのかもしれない。

C= ( ̄- ̄;;) ハー


2002年09月21日(土) 美術館へ行きました

秋の一日、美術館へ行ってまいりました。

だって、芸術の季節ですもんねぇ・・・・ε=( ̄ ̄ ̄∇ ̄ ̄ ̄〃)ほっ

目指したのは、山間の町に佇む、

「秋野不矩美術館」です。
http://www.shizuoka.com/hokuen/tenryu/


美術館は、小高い山の上に建っています。

駐車場から、しばらく山道を歩かなくてはなりません。

てくてくと道を登ると、どこからか笛の音が聞こえてきました。

そういえば、秋祭りがもうすぐです。

きっと、お囃子の練習でもしているのでしょう。

林の中に群れて咲くのは、燃えるような彼岸花です。

赤とんぼが、ついっとわたしたちを追い越しました。


そのとき、ちくんと痛みが走ったのです。

見ると、腕にヤブ蚊が止まっていました。

すぐさま叩き潰そうかと思いましたが、払いのけるに留めておきました。

この時期、殺生はやめておきましょう。

なぜなら、今日は彼岸の入り。

どこかの家族が帰ってきているのかもしれません。

昔、祖母がそんなふうに話していた記憶があります。


額にうっすら汗をかいて、やっと美術館にたどり着きます。

黄土色の土壁が、風変わりでいて素朴な風情の建物です。

インドを愛した画家と聞いていますので、

かの地の民家をイメージしたのでしょう。


作品も、自然から切り取ったかのような素朴な色使いが印象的です。

空の青、土の色・・・・そして、乾いた風の色まで感じられる気がします。

正直言って、特に好きな画家というわけではないのですが、

木造の日本建築には、こんな絵が合うんじゃないかなと思いました。


登って来た道をたらたら降りながら、

ふと、小腹が減ったことに気がつきました。

そういえば、この近くに美味しいラーメン屋さんがあったっけ。

醤油味のスープを想像したら、おなかの虫が鳴ってきました。

芸術もいいけど、やっぱり秋は食欲ですよねぇ・・・( ̄〜; ̄)


ふだん芸術には、とんと縁がないわたしですが、

秋の風に誘われて、

こんな一日を過ごすのも悪くないなぁと思いました。


2002年09月14日(土) あなたはだあれ

夕方ひとりでお留守番をしていると、

我が家に来客がありました。

手に袋いっぱいの野菜を抱えています。

「うちで採れたんだけど、みんなで食べてね」

ありがとうございますとお礼を言いながら、わたしは考えました。

はて?だれだったっけ?? ??( ̄- ̄?)

自転車で来ているところを見ると、近所の人のようです。

なんとなく顔に見覚えがあるけど、どうしても思い出せません。

「お母さんによろしく言っておいてね。わたし・・・・わかるよね?」

「はい」

と、思わずお返事してしまったわたし。。。 


ほどなく母が帰宅して、台所の野菜をみつけました。

誰にもらったのか尋ねられたけど、

自転車で来た太ったおばさんとしか答えられません。

「こどもの留守番じゃないんだよ!御礼を言わなきゃならないのに」

ごもっともです・・・・・・( ̄▼ ̄;)

さんざん母にどやされてしまいました。


ちょっと前に、携帯のCMでこんなものがあったっけ。

久しぶりに会う同級生が、親しげに声をかけてきます。

むこうは自分を知っているのに、自分は相手を思い出せない・・・・

このシチュエーションって、わたしには他人事ではないのです。


実はわたしって、人の顔を覚えるのがとっても苦手なの。

いままで勤めていたどの職場も、来客が少なかったけど、

たまにふらりとやってくるお客さんには戸惑ってしまいました。

なかには当然のような顔をして名乗らない人もいるので、

たいへん困るのです。

名刺の裏に、こっそり似顔絵を描いてみたこともありました。

(↑いちおう努力はしている)

その点、写真が印刷された名刺はとても助かります。

ついでに全員、名札をつけてもらいたいくらいです。


「どちらさまでしたっけ?」って聞きにくいんですよね。

初対面ならともかく、何度も会っているはずの相手だと、

ついつい知ったかぶりをしてしまうんです。

だっていまさら聞くのも失礼な気がするでしょ?

わたしのような人は、きっと客商売には不向きだろうと思います。


聞くところによると、韓国人は姓の数が非常に少ないそうです。

それって、同姓同名がゴロゴロしてるってことなのでしょうか??

あっちのキムさん、こっちのキムさん・・・・・

(T.T )( T.T) オロオロ


もしも・・・・

とってもひさしぶりに、あなたにお会いしたとします。

そのときなぜか、わたしが無口だったら、

無口なわたしを訝しく感じたら・・・・

きっとわたしは、

あ な た を 知 ら な い の で す 。

そんなときは、どうぞ速やかに名前を名乗ってください。


わたしは、途方に暮れています。 ( ̄∀ ̄;)汗


2002年09月08日(日) 萩の寺

母と二人、久しぶりのドライブをいたしました。

萩の寺を訪れたのです。

森の石松で知られる、遠州森町の山あいの寺です。

正しい名前は、蓮花寺というのです。

萩は地味で控えめなお花です。

静かな風情が、初秋にぴったりですよね。


蓮花寺は、想像より小さなお寺でした。

まだ時期が早すぎたのか、

お目当ての萩は、ほとんど咲いていませんでした。

狭い境内は、わたしたちのほかに人影もなく、

ひっそりとした秋の午後を味わったのです。


駐車場に戻る途中、レトロな建物を見つけました。

森町民俗資料館。

もともと村役場だった昭和初期の建物を、

資料館として使用しているのでした。

なんだか昔の木造校舎のような造りです。


中に入ると、こじんまりとした館内に、

古びた、農具や生活の道具が並べられていました。

農具などは、説明を読まないと、

何に使うのかさっぱり見当がつきません。

けど母にしてみると、かなり懐かしい道具ばかりだったようで、

頼みもしないのに、張り切って説明をしていました(笑)


ふと、古い手鏡に目が留まりました。

曇った鏡面に自分の顔を映してみます。

いったい、どんな人が持ち主だったのでしょうね。

黒ずんだ生活道具は、すべて使い込んだ物ばかりでした。

昔の人は修理を繰り返しながら、

だいじにだいじに使っていたのでしょう。

母の子供時代といったら、たかだか半世紀前のことなのに、

日本人の生活も激変したものだなぁと思いました。


「今夜の晩ご飯どうする?」

母の希望で、帰路大手スーパーに立ち寄り、

買い物を済ませることにいたしました。


店内は、ちょうど夏物衣料最終バーゲンの真っ最中。

人々は、ワゴンの商品に群がっています。

拡声器から流れる店員の声。

売り場を駆け回る子供達・・・・


見慣れた光景のはずなのに、

売り場にあふれる物の洪水に、違和感をおぼえてしまいました。

道具としての寿命をまっとうできるのは、

この店内に、果たしていくつあるのでしょう。

わたしたちはふだん、無駄な買い物を重ねているのかもしれません。

本当に必要な物って、

実は、ほんのわずかな気がします。


道具は、ただそこにあるだけでは、ただの“物”なのです。

けれどそこに、

使い手の愛情や共に暮らした年月が加わって、

はじめて価値が生まれるのだと思います。

使い捨ての商品には、価値など在り得ません。

(ここで言う価値とは、
 =金額に換算できること・・・ではありません。念のため)


物があって幸せ。

物がなくても幸せ。


自分が探すべき幸福は、いったいどっちなんだろう?

答えは・・・・・・・・・


この秋の宿題にしようと思います。


2002年09月06日(金) 秋の葬列

今年の秋は、父方の祖父の三十三回忌です。


祖父が亡くなったとき、わたしはまだ園児だったけど、

葬式の日のことは鮮明におぼえています。

可愛がってくれた祖父の死に顔、白木の棺、そして火葬場の臭いまで・・・

生まれて初めて接した“死”に、

幼いながら、強烈な印象を受けたのでした。

死を怖いと感じたのは、

たぶん、あの日が最初だったように思います。


祖父は、大きな、なつめの古木がある家に住んでいました。

わたしたちが祖父の家を訪ねると、

帰り際に、必ず門で見送ってくれたものでした。

車に向かって並んで手を振る、祖父、祖母、叔母。

けれど、あの日以来、

祖父の姿だけがそこから消えたのです。

そして、穏やかな笑顔で手を振る祖父の姿は、

もう二度と、見ることができませんでした。

わたしは生まれて初めて、

“死の喪失感”を味わったのです。


今年、うちの父は69歳です。

祖父が亡くなった歳も、69歳。

そして、あの頃わずか2歳で、

祖父の死が理解できなかった弟は、

今、祖父の亡くなった当時の、父の年齢と同い歳なのです。


父は、亡くなった祖父に、

面差しが誰よりも似ているそうです。

そしてまた弟は、そんな父にとてもよく似ています。

6人の孫たちの中でも、祖父は弟を特に可愛がっていました。

今考えるとその理由は、

父方の血を、より濃く受け継いでいることと、

無関係でないように思えます。


三十三回忌。

“弔い上げ”とも呼ぶそうです。


人は、死んで三十三年が過ぎると、

極楽往生できるとか、転生するとか・・・

どこかでそんな話を聞きました。

祖父の魂は、今どこに在るのでしょう。

そして、どこへ行くのでしょう。


思うに・・・・

人の一生は、案外短いものなのかもしれません。

自分たちが考えているより、ずっとずっと。

そう・・・きっと、

生きる意味など、考え付く間もないほどに。


人は誰でも、永遠には生きられないのです。

だから、子へ孫へと短い命を受け継いでいくのでしょう。

遺伝子に、ささやかな生の記憶を閉じ込めながら。


9月に入ったというのに、

今年はやけに残暑が厳しい気がします。

けれど、朝夕、頬を撫でる風は思いのほか冷たくて、

秋はここにあるよと、教えてくれます。


墓参りをしましょう。

すっかり足が遠のいていましたが、

優しかった祖父だもの、きっと許してくれるでしょう。


供えるお花は、白がよいです。

秋空にひっそり映える、白いお花。


穏やかな祖父の笑顔を反芻しながら、

なぜだか・・・・

そんなことを、思いついたのでした。


ぴょん

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