Spilt Pieces
2003年06月30日(月)  漫画
私は、よく漫画を読む。
少年漫画には大抵、ヒロインめいた登場人物がいるような気がする。
少女漫画にも、容姿のいい男の子が出てきたりする。
恋愛をテーマにしたようなものは、最近あまり読んでいないが、昔は好きだった。
ほとんどが、紆余曲折を経て結果的には美男美女が結ばれるというストーリー。
そんな世界に憧れもし、うんざりもした。
「きっと現実はこんなことないのだろうな」
どこか冷めたことを考える子どもだった。


最近好きなのは、人間の本音を突くかのような視点。
悲劇を読みたいわけでもないが、ボロボロな面と美しさを兼ね備えたようなものに惹かれる。
綺麗事など、今さらおもしろいとは思えない。
ストレートで、感情が伝わってくるものが好きだ。
歌もそう、小説もそう、日常においてもそう。
現実をパテで塗り上げた、技巧的で表面的なものには共感できない。
友人が好きだと言ったものを何となく迎合してしまっていた時期もかつてあったが、今は仮に誰がいいと言っても自分の直感で違うと思えば私には必要じゃない。


悲しいときほど楽しい曲を聴きたいという人がいる。
私は、無理をしたがらない性格なので、自分の感情が上がらないときは放っておく。
むしろ、悲しいときほど悲しい曲を聴く。
自分の悲しみに浸りたいだけなのかもしれない。
ただ少なくとも、とことん落ち込んだ後は上がるしかないということを何となく知っている。
人それぞれ気分の盛り上げ方というのは異なるのだろう。
私は、自分の感情と合う音が好きだ。


沈んだときに空を見上げると、それが美しく澄んだ色であればあるほど、曇り空に見える。
空元気とはよくいったもの。
虚しさを背景に、空が笑う。
元気なときは、雨が降っても雷が鳴っても、空を美しいと思う。
激しさの内に潜む優しさを感じる。
きっと、本質的な空はいつも変わらない。


話が脱線した。


性善説・性悪説という言葉があるが、私はそれで割り切ろうとは思えない。
かつて性弱説などと勝手な言葉を作ったものだが、善か悪かなど、どう判断したらいいのかが分からない。
「いい人」が時折足を踏み外すと、周りは垣間見えた部分を本性だと思う。
「悪い人」が時折いいことをすると、周りはそれを本性だと言う。
かく言う私もギャップに弱い。
表に出す人間性など、多少経験を積んだ人であればどうとだってコントロールできよう。
「本当の悪人は、捕まらない悪人だ」
こう言ったら、友人に笑われた。
要するに、何が本当だか分からない。
私も、悪人なんだろうか。


人間は深くて、どこまで描いてもきっと描けないだろう。
残虐な殺戮を行った犯人の、心の奥底を誰がどこまで捉えることができるのか。
先日、福岡の一家惨殺事件の報道を見ながら父が言った。
「殺した方も、殺された方も悲惨だな」
殺した方も、悲惨。
きっと、真実だろうと思う。
仮に捕まらなくても。
仮に苦しんでいないとしても。
それでも、悲惨だと思う。
捕まらないのだとしたら、心に負った痛みや重さが。
苦しまないのだとしたら、苦しめない心に育ってしまった境遇が。
割り切れない。
ニュースを見る人々は、だがそこまで考えると痛みを引き受ける心がいくつあっても足りなくなる。
だから、他人事として噂する。
無責任で冷たい噂にさえ、その人の本心を見ることなどできない。


「人間」を描く漫画が好きだと書いた。
だが、それを完璧にできる人などいないのだと思う。
ただ、努力している人の視点は見ていれば伝わってくるような気がする。
恋愛漫画を嫌だと言っているわけでもなく。
ただ心ときめくような描写だけの漫画には飽きてしまうし、性的な過激さをおもしろおかしく描かれても辟易する。
少年漫画のヒロインが、いつもかわいらしく笑っている人でなければいいのにと思う。
少女漫画の思われ人が、上っ面だけじゃない人間性でもってかっこよければいいのにと思う。
人間の深さに挑戦したものを読みたい。
漫画は小説に劣るという人もたまにいるけれど、絵を効果的に使って心情に訴えかけるのが巧みな作者であれば、ずっと優れている場合も多い。
ギャグばかりの漫画も、時折ぐっとくる表現を挟める作者であれば、ギャグに笑うばかりではなく尊敬もする。
シリアスな漫画も、「何となく」美しさを求めているだけなら満足できない。


それにしても、我ながらごちゃごちゃとうるさい。
まあ結局のところ、フィーリングなのかもしれないけれど。
2003年06月29日(日)  トマト
高校の頃からの友人に久しぶりに再会した。
彼女は福祉系の学科に通っていて、東京まで毎日数時間かけて通っている。
今日も卒論の関係で東京へ出かけていた。
帰宅を待って、夕方近くに会うことになった。
駅まで迎えに行く。
笑いながら近づいてくる彼女の表情は、昔と変わらない。
懐かしさと安堵した思いで、助手席の鍵を開ける。


いつの間にか、卒業してから3年以上が経過した。
この前まともに会ったのは確か大学2年の頃。
お互いの近況を報告しあう。
話す内容で、時間の流れを実感する。
そういえば、以前はサークルや恋愛の話で盛り上がっていたような。
今日は、自分の進路や将来についての話がメインになった。
不透明な未来。
だけど楽観主義な私たちは、なぜか笑って理想と現実の痛みを話してしまったりする。
結局のところ、自分にもいつかは何かができると信じていたい。
それが若さなのかもしれないし未熟という証拠なのかもしれないが、こういう考え方は大切にしていたいと思う。
我ながら、嫌いではない視点。


暑さも薄らぐ午後の風。
初めて入るカフェ。
オレンジティーを頼んだ。
ストローで氷を沈めては遊ぶ。
ガラスのコップに入った氷はカラカラと音を立てて、夏の訪れを告げるかのよう。
コップの周りに水滴がつき、持ち上げるたびにぽたぽた垂れる。
溶けていく氷。
2年近くも会っていないだなんて忘れてしまうかのような、穏やかで、いつも通りの時間。
そういえば高校の頃はいつも一緒に帰っていた。
汗を流して自転車を漕いで、自分の夢を語っていた。
今は、車に乗ってお洒落なカフェへと向かうことができるけれど。
何となく、懐かしさに混じった寂しさ。
それを感じられるほどに、お互い変わっていない。
そんな空間が好きだとも思う。
複雑。


彼女は、いつも優しい顔で笑う。
普段早口な私も、彼女と話していると同じペースでゆっくりしゃべる。
合わせている、という感覚もない。
彼女と同じ空気で話している時間、私も気持ちがゆったりして楽になる。
日々の慌しい生活の中、ややもすれば忘れてしまいそうなことを思い出させてくれる人。
自分が彼女を好きだと思う理由。
「他人のため、を考えないと動けない」
と言って悩んでいた彼女は、優しすぎるがゆえに苦しんでいた。
「自分のためだけに何かができなくて、それに、他人のため、というのも私の利己的な欲求に拠るものなんじゃないかと不安になる」
自分のことばかり考えてしまう私。
彼女のような考え方に触れることは本当に刺激的。
誰かの喜ぶ顔が何よりも好きだと、静かだが真っ直ぐな目をして言う。
いつも「何もできない」という彼女。
自分の魅力に気づいていないのだろうが、私は彼女にはずっと今のままでいて欲しいと勝手に願ってしまう。
何かしてあげる、ということで相手に押し付けしていないか、相手はどう思っているのか、そういうことを常に考えてはバランスの取り方で悩む人。
友人に恵まれた、と思う。


カフェを出て、まだ少し時間があったのでおしゃべりしながらドライブへと出かけた。
突然の大雨。
道路の隅に溜まった水が跳ねて、フロントガラスが覆われる。
その度に大騒ぎして、笑った。
「よそ様のお嬢様を事故に巻き込ませては申し訳ないですから」
笑いながらもハンドルを握り締めていた私は、おどけた口調で変なことを言った。
そんな些細なことにも、明るい声で笑ってくれる。
普段は嫌いな雨も、楽しくなってくる。


雨上がりの空。
ふと出かけた筑波山は、雲が色づいて少し神聖な空気。
石でできた階段、土の道。
ほんの数分だけの散歩。
穏やかな時間が過ぎていく。
何をするでもない、ただ話していただけ。
他愛もない言葉の繰り返し。
こんな時間が好きで仕方がない。
「勉強もしないとね」
高校の頃から、二人の口癖。
言うばかりでなかなか進まないところも、お互いきっと変わっていない。


暗くなって、車のヘッドライトがつき始める。
彼女を送りに家へ向かう。
私の実家から、10分くらいの距離。
「わざわざありがとう」
遠回りをしたわけでもないし、付き合いも長いのに、礼儀正しさを忘れない。
「また近いうちに遊ぼうね」
そう約束して、車を降りる直前。
持っていたビニール袋の中から、「おすそわけ」と言ってトマトをくれた。
「今日行った施設の方にもらったんだけど、よかったら食べて」
大きくて、綺麗な形の立派なトマト。
「あ、でもお母さん気にする?」
ふと、窺うような様子でこちらを見るので驚いた。
「気にするって、何を?」
「私が行ってた施設、病気の方々がいるようなところなんだけど、そういうところの人がくれたものを嫌がる人、たまにいるから」
「そんな人いるの?気になるわけないよ」
「よかった」
嬉しそうに笑う彼女の顔が、印象的。


正直言って私は、自分の中に偏見が全くないとは断言できない。
大学に入って、身体や知的に障害を持つ方々の施設へ行ったり養護学校を参観したりという経験をさせてもらった。
そこで色んな方と話をするようになって、初めて平気になった。
全く経験のなかった高校の頃の私はそれこそ偏見の塊だったのかもしれない、と今さらながら恥ずかしく思う。
「かわいそう」と思わないにしても、「大変そう」だとは思う。
そんな思いまで無理に消すのは不可能。
ただ、「特別」だとは思わないようにした。
少なくとも、変な目や好奇で見る対象でもないし、嫌がるのもおかしい。
私は幸運だ。
幼い頃に偏見を拭い去ることのできるような経験をすることなく育ってしまったものの、社会に出るギリギリ一歩手前の大学時代にたくさんの経験をさせてもらえた。
すぐさま変わることは無理かもしれない。
だから、偏見がないとは断言できない。
けれど、少しずつでも今の調子で前進していけたなら、とだけ思う。
私は、聖人なんかじゃないし、醜いところもたくさんある。
だからいつも悩むのだろうが。


今日会っていた彼女は、いつだって人を見るときは澄んだ目をして真っ直ぐ向かう。
トマトを差し出しながら不安そうだったのはきっと、これまでにそれを拒否ないしは不快な感情で避けられた経験があるからかもしれないと、何となく思った。
「よかった」と言って笑ったときの表情が、これからたくさん増えるような世の中になるようにと願うばかりで。
私もいつか、彼女のような顔で笑える人間になりたいと思った。
素敵な時間を、どうもありがとう。
2003年06月28日(土)  記憶
昨日、27日付けの日記を書いていたら、パソコンの調子が悪くなって強制終了。
あと少しでアップというところで消えてしまった。
ワードなどと違って自動でバックアップが取られるわけでもないので、最初から書き直しになる。
とは言ってもそろそろ寿命かもしれないパソコンを使用している私としては慣れたもので、ああまたやってしまった…と思うだけだ。
ただ厄介なのは、私は消えたからといって同じものは書かないということ。
むしろ、書けない。
記憶はいつだって刻一刻と変わっていく。


小学生の頃、作文を書くのが好きだった。
市のコンクールに出すと言われて、放課後教室に残って結局7回書き直したことがある。
400字詰め原稿用紙5枚、小学生にとってはけっこうな量だ。
それでも、納得いくまで出したくなかった当時の私は、なぜかこだわった。
内容は確か、「あたりまえ」の認識についてだったような気がする。
私にとっての「あたりまえ」が誰かのとっての「あたりまえ」と同義だとは限らない。
我ながら、当時から考え方の根幹がよくもまあ変わらないものだと思う。
結局その作文は、小さな賞を受けて市の文集に載せてもらった。
いい意味でも悪い意味でも「子どもらしい」文章に勝てないことを、ほんの少しだけ悲しく思いながら、納得がいくまで書き直したので自分としては満足だったような気がする。
しかし思い出してみれば、7回書き直したうち、同じ文章はほとんど書いていない。
同じテーマで同じ量。
部分的にだけ書き直せばきっともっと少ない回数で終わったのだろうが、書くたびに表現したいものが変化していって困った。
頭の中に描いている構造は、一瞬だって留まっていない。
脳の不思議。


自分のもののはずなのに、時間が経てば変わってしまう。
いくら時間が経ったからといって、考え方が急に変わるということはあまりないのだから、自分の文章であることには間違いない。
それなのに、どうしてこうも違うのか。
過去の自分が書いたものには、いつだってどこかに不満が残る。
私は日記を書き直さない。
書き直そうとしたなら、同じ題名で全く違うことを書くに違いないから。
昔書いたものが記憶から消えるわけではない。
だが、書いたら最後、その言葉は私の中から消えていってしまう。
以前大学の先輩が「芝居は僕の排泄物だ」と言っていたが、私にとって外へと表現してしまった言葉とはきっとそういう意味を持つ。
表すことに意味があり、表されたものには意味がない。
目的の置かれている場所が違う。


昨日の分の日記は、そのうちまた書くのかもしれないが、昨日書いていたものとは全く違う内容になるのだろうなと思う。
毎日違う文章を書くことは、苦ではない。
むしろ、同じものを書く方が辛い。
考えることの移ろいに、手も時間も追いつかない。
人の脳は、つくづく不思議。
脳から直接メモをとることができればいいのに、などと時々冗談めいて思う。
30分車を運転をしたなら、変わりゆく風景の中で30個書くことができるような気さえする。
しかしそれをメモすることも、表現することも、言葉も、足りない。
もどかしくなる。


記憶というのは不思議なもので、その瞬間は確かに覚えているはずなのに、時が経てば脳の隅の引き出しに仕舞われてしまう。
鍵をかけろと言った覚えはない。
それなのに、脳の中の誰かが気を利かせてか、意地悪をしてか。
厳重に鍵をかけられたエリアがあって、いくら力を込めて引っ張っても開かない。
何をどこまで、どのレベルで覚えておこうなどと、誰が指示しているのだろう。
忘れたくないこと。思い出。
気づくと断片的な塊となって、どれが本当のものなのか分からなくなる。
ひょっとしたらそれは、夢で見ただけの風景だったのかもしれない。
夢だと思っているそれは、忘れたい本当の記憶なのかもしれない。
何がどこまで、本当か。
誰にも確かめる術などない。


心理学の授業でも、記憶に関するものがあった。
記憶が移ろっていくこと、本物ではない記憶さえ信じられてしまうこと。
実証的に証明されてしまうと、抵抗できない。
だから私はしばしば開き直る。
何を覚えていても、覚えていなくても、今自分がここにいるという事実が、確かに今まで何年間か生きてきた証拠。
記憶がどこかで間違っていたとしても、消えてしまった正しい記憶によってしか今の自分は存在し得ない。
確認する方法を求めるのは、答えのない難題に取り組み続けているかのようだ。
私は、生き続けることによってしか、自分を確認できない。


毎日のように日記を書いていても、例えば一年前の自分を否定したくなるときがある。
文章があるということは、そんなことを考えていた自分がいるということなのに、時の流れの中で少しずつ経験を積み重ねていった自分がそれを認めるとも限らない。
事実さえ、否定したくなる瞬間。
無責任な私。
私が責任を負えるのは、今書いたものだけ。
過去について何か言われても、説明のしようがない。
「確かにそれは、当時の私にとっての真実だった」
私はいつもそう言う。
だから逆に、否定したくなっても否定しない。
今の私のエゴで、過去の私を否定するのは卑怯だし、不誠実。
なぜなら当時の私はもうどこにもいない。
反論する術を持たない人間に対して文句を言うのは、好きじゃない。
それに、もしそんなことを繰り返してしまったなら、私はどこにもいなくなる。
嫌いな自分も好きな自分も全て含めて、今の自分がいる。


記憶力が悪い。
誰かの名前を忘れるのに、そう時間はかからない。
それはしばしば人間関係について自分への困難となって降りかかるけれど。
でも、忘れてしまったその人のことを、新しく知るための機会が増えたのだと思うのもまたおもしろいかもしれない。
ひどい言い訳。
だがそれもまた、私にとっては真実だ。
2003年06月26日(木)  メール
日記を書く気すらしなくて、ぼーっとしていた。
気づけば午前一時。
我ながら何やってんだろ。


最近、時々チャットをやる。
以前はメッセンジャーも入れていたのだが、パソコンの調子が悪くなったときに捨ててしまった。
リアルタイム、文章での会話。
こんなにも言葉一つの重みを知ることってなかなかない。
一瞬で判断し、相手の感情を損なわない言葉を選ぶのは難しい。
直接会っているわけでもないから、場の空気を読むのもこれまた困難。
相手の感情が分からない、不思議な空間。


この前話した相手が、こんなことを言っていた。
「たかが短いやり取りの繰り返しだけど、結構人間性分かるものだよ」
「私はどんな人間に見える?」
「…人間関係の築き方が丁寧な感じ。文章だけからしか判断できないけど」
ある意味正解。
でも臆病と言った方が正しいような気がする。


たかが言葉、嘘をつこうと思えばいくらでもつける。
ポーカーフェイスの苦手な私でさえ。
同時に、余計な思念を挟むことなく、考えをまとめることもできる。
本音が出やすく、本音を隠しやすくもある。
日頃からインターネットが日常と切り離された空間だと感じてしまう所以かもしれない。
毎日のように日記をつけているけれど、私は一体どんな人間だと思われているのだろう。
ふと、そんなことを考える。


「さとのメールっていつも用件だけだね。あんまり短いから、機嫌悪いのかと思った」
友人に指摘された。
私は近頃携帯電話でのメールが苦手だ。
機種が古いというのもあって、一度に入力できる文字数が少ない。
その上時間がかかる。
面倒くさがりな私は、きっと他の人よりも電話をかける回数が多い。
メールを打つという雰囲気が好きな人は、突然電話に切り替える私を訝しく思うのかもしれない。
ただ、思うことがたくさんあるのに、たかが100文字くらいにそれを留めなければならないことは私にとって苦痛。
対照的に、パソコンでのメールのやり取りは好きだ。
きっと周りからすればなかなか分かりにくい奴なんだろうなと思う。
理由は単純なんだけど。


言いたいことを、簡潔に表現する方法。
さすがにもうそろそろ身につけなければいけないのかもしれない。
だがそれは、自分の中の湧き上がる感情を抑えろと言われているかのようだ。
正直、今の私にはまだ難しい。
高校生の頃、「常に何かを感じ、考えられる大人になりたい」と言っていた。
現在の自分に同じ言葉を言わせるならば、
「感じ、考えたことを内面でじっくり成熟させられる大人になりたい」。
言葉少ななのがが大人だとも思わないけれど。
コトコトと、心の中の鍋で煮込むように。
そういえば、煮物を煮る鍋の音が大好きだった。
余計なことを思い出す。


たかが文章、されど文章。
短いメールの中にも、自分の思いをまとめられたなら、きっと私は今より携帯電話を好きになるのだろうなと思う。
誰が打っても同じ文字。
「こんにちは」
たった一言でも、話せば相手が分かるのに。
伝わらない気持ち、それに納得できればいいんだろうか。
違う、背景にある自分が深くなれたならそれが一番の解決策なんだろうと思う。
すでに新しくもなくなってきたツールに、未だ考え事をする私は発想が若くない。


ゴチャゴチャと考えながら、夜は更けゆく。
ああ、まとまらない。
2003年06月25日(水)  空
何もかもが真っ赤。
空は全てを染めるが、時と共にその色を変える。
誰もがそれに従っていく。
空を舞う鳥も、地上から空を見上げる私も。
刻一刻と色を支配され、なのにそれが嫌じゃない。


色が弾ける。
同時に散りゆく、瞬きの華。
闇の中に飲み込まれていく。
溶ける空、受け入れる空。
そのタイミングが、絶妙。


夕焼け色の信号機。
帰宅ラッシュのストップランプ。
人工色が、勝つ瞬間。
頭上で花開いた、満開の曼珠沙華。
ハラハラと、その体をすり抜けさせて。
地上へ、還る。


空の半分、猛る血の美しさ。
空の半分、静けさ彩る紫黒色。
表現を知らない私を、笑う。
帳が降りてゆく過程を、ただ見るだけ。
空と空の競演に、手を伸ばすことさえ憚られ。
目を見開いて、脳へと記録。
いつかこういう風景を、忘れた時のために。


街が眠る準備を始める。
夜を描くための視覚的序章。
消えゆく華の余韻を僅かに留めて。
交じり合う、時間と時間の笑い声。
どこかから聞こえる泣き声。
何もかも飲み込んで、それでも容赦なく陽は落ちる。
咲き誇る、空。
どこからも見られる独壇場。


見えない光が、夜を支配する。
自分の体まで溶けていく錯覚。
怖くなって、だけど気持ちよくて。
両手を広げて、空に抱かれる。
叙情に満ちた官能。
自分がどこにいるのか見失う。
空と共に消えた体が、どこかから私を呼ぶ。


クシャミが一つ。
夏はまだだと、風が通りすがりに囁いた。
2003年06月24日(火)  雨と傘
雨、中途半端。
私、中途半端。


雨が降っていた。
傘を差す私の前を、見知らぬ女の人が歩いている。
雨を予想していなかったのだろうか。
ずぶ濡れで、ゆっくりと歩く。
今日はそういう人を多く見かけた。
だから、彼女は珍しいわけじゃない。


だけど追い越そうとしたとき、何だか自分がひどく冷たい人間に思えた。
衝動的に、傘を向けた。
「途中まででよければ」
当然のように、彼女はびっくりした顔でこちらを見た。
その後満面の笑みを浮かべて、「ありがとうございます」と言った。
雨のキャンパス、誰が濡れて歩いていても不思議ではない状況。
それなのにどうして、そんなおせっかいをしてしまったのか自分でも分からない。
ただ何となく、そのときの笑顔で自分のしたことは悪くはなかったのだと思った。
「勝手な、自己満足」
そういう声が、自分の中から湧き上がってこないわけでもなかったけれど。


きっと、彼女は人見知りしない性質なのだろう。
突然声をかけたいわゆる不審者の私に、色々尋ねてきた。
「どこに所属しているんですか?」
「何年生ですか?」
私は、自分がした行為がやや照れくさかったのもあって、笑って言葉を濁した。
雨の日の出来事は、そのまま雨に流してしまっていいのだと思う。
「見ず知らずなのに、嬉しいです」
彼女の目はとても真っ直ぐで、純粋な人なのだなと思った。


些細な自己満足かもしれなくても、何かが返ってくる場合もあるのだと知った。
それを期待してやったことではないけれど、他人に無関心に思える世の中だからといって、それが必ずしも、必要ではないという意味には繋がらない。
嫌で仕方なかった雨が、心地よい雨に変わる。


結局、自転車置き場までの短い距離だった。
私は車で通学しているのだから、そのまま傘を貸せばよかったと後で思った。
ただ、一瞬話しただけでも分かるような人のよさ。
貸したら彼女には負担になるに違いない。
そう思って、やめた。
そのときの判断がどうだったのかなんて分からないけれど。
中途半端な自分の行為を、温かく受け止めてくれる人もいる。


降ったり止んだり、梅雨真っ最中。
今日も雨は中途半端。
悩んで結局傘を渡せなかった自分、中途半端。
だけどどうしてか、いつものように痛みを伴わない。
きっと、いい出会いをしたからだろう。
彼女の名前は知らない。
どこかでもう一度会っても、私は覚えていない。
一期一会。
ほんの一瞬だけの関係でも、それが優しいものだったら。
たかがそれだけのことで、どうしてか胸の中がホカホカする。


誰かと出会う、別れる。
それは毎日の出来事で、日常茶飯事。
その時間の流れの速さに、時折涙もするけれど。
悲しい思い出が増えぬよう、優しい思い出が増えるよう。
損得なしに笑える、そんな時間が日々を埋めれば幸せ。
温かい時間をありがとう。
2003年06月23日(月)  利益
さっき昼食を食べながら、母と一緒にテレビを見ていた。
政治関連の中継をやっていたのだが、なかなかおもしろい。
自分の利益に固執している人の言葉が特に。
肝心なところは「覚えていない」くせに、上っ面の主張だけはするんだな。
政治家の使う「誠心誠意」という言葉ほど信用できないものはない。
本気でそう思っている人が、大事なことを「覚えていない」というのはおかしい。
それくらい、小学生にだって分かるはずのこと。


変だなと思うことは多々あれど、そう簡単には変わらないのが世の中。
薄暗くなっている部分が多ければ多いほど、その利益に甘んじている人の数も多いわけだから容易には変わらない。
教育実習先で授業をしたとき、財閥解体について扱った。
それを支えた法律を紹介するとき、私は「誰もがこれじゃいけないと分かっていても、利益がある以上財閥自身としては解体したくないわけですから、だから法律も必要だったんですよね」と言った。
今はその法律を作る人たち自身が利益に塗れてしまっているんだろうか。
一般常識としての「暗黙の了解」は、全て言葉で表すのは無粋だとも思うし必要だろうが、国を動かしていく上でのそれは好きじゃない。


定職に就いていない私は、これまで税金とはほぼ無縁だった。
アルバイトをしても、所得税が引かれるほど稼いだことはない。
だが、消費税くらいは支払っている。
小学生だった頃、絵の具を買おうとして1円足りず、家まで取りに帰ったことがあった。
些細なことかもしれないが、子どもだってお金を納めている。
誰かの私腹を肥やさせるために貯金箱を開けたわけではない。
「慣例」や「伝統」といった言葉が、言い訳として用いられるのが嫌いだ。
悪い人ほど口がうまいだなんて、いつ持ってしまった先入観だったろう。


テレビを見ながら母が、「お金持ちはずっとお金持ちのままね」と言った。
私は、今の自分の暮らしが気に入っていると言った。
贅沢はできないけれど、毎日が穏やかに過ぎていく。
悩むことも考えることも自分の自由で、誰かとの兼ね合いを考えながら生きているわけでもない。
できることなら、利益ではないことを考える生活を送っていたい。
こういう考えは、私がまだ社会に出ていないから言える甘えたものなのだろうけれど。
友人が、民間企業に内定をもらったものの、悩んでいるという話を聞いた。
基本的に利他ばかり考えてしまうような善良な彼女にとって、利益の追求を目的とした仕事は合わないのかもしれないと思う。


「誠心誠意」という言葉が、そのままの意味で使われるような社会であればいいのに。
自分の利益を守るために必死の形相で訴えるような人は、見ていれば分かるもの。
それでも、その人がいることでこれまた利益を得ている人もいるわけだから、なかなか変わらない。
非難したなら、その人が追いやられる。
結束の固さを、別のところで発揮してくれたならもっといい世の中になると思うけれど。
やはり自らの手で何かを動かせるような立場になってしまうと、つい悪い考えが頭をもたげてしまうんだろうか。
多分この辺り、私の考えは幼い。
でも自分ではそれがそう嫌ではない。


圧倒的な存在感と力を、求めることは最終手段なんだろうと思う。
引っ張っていってもらうことは楽だけど、それに頼ると大切なものが狂っても気づかない。
かつてヒトラーが言った言葉に、反発できる社会であってほしいと願う。
自分たちが自分たちの過ちに気づき、自分たちで変えていくことのできる社会。
私には力がないけれど、今それを持っている人たちが、少しずつでも変わっていってくれたなら。
基本的には真面目に考えている人たちばかりなのだと信じたい。
そうではない少数の人たちに、力が集中するならそれはもうどうしようもないのだと。
弱い多くの人たちが集まって強くなるためには、「自分1人くらい」の考え方がどうしても邪魔。
心優しき友人が、民間への就職を喜んでできるような時代が来ることを祈る。
2003年06月22日(日)  水
水が、絶えることなく流れゆく。
全ての不純物をも含有したまま、まるで透き通った川の流れのように。
流れに乗ってどこまで行けるか。
飲み込まれた過去。
今はもうその透明と一体化して、何も見えない。


梅雨の訪れ。
ミミズが道路で干からびていた。
何十匹もが、同じ形で散らばって。
毎年見かける光景。
彼らは学習しないのだろうかと思いつつ。
踏まぬよう気を配りながら歩みを進める。
いつもと同じ。


夕暮れ時、信号待ちの交差点。
前にいた車の窓が開く。
赤い光を宿したまま、タバコが外へと放り投げられ。
目の前の電灯が青へと色を変える。
タイヤに踏まれたそれは、風の吹くまま飛び散った。
私の車も、それを踏む。


人の善意も悲しみも。
誰かの命も生き方も。
全てを含んで水は流れる。
歴史という名の水の跡。
いつか雨が降れば、何もなかったかのように。
澱みなく、豊潤たる流れは一切を許し。
誰かの脳に、その記憶に。
何かは残る、印象深く。
それさえも、しかしいつか消えてなくなるなどと。
できれば考えたくない事柄に囲まれて。
今日も歩く。
氷が、そのうち水になると知りながら。


自分がどこかに残ること。
期待を捨てねば生きられぬ。
ならば今あるこの瞬間を。
私なりの華の咲かせ方を。
歩いていくしかないのだと。


水の中にいること、氷の上を歩くこと。
全て忘れて今はただ。
歩く、歩く、歩く。
生きているこの一瞬が、私にはいつも永遠。
2003年06月21日(土)  静寂
何年も前、泣き喚いても縋りついても、叶わない感情があるのだと知った。
それほどの感情を抱ける自分がいることも知った。
だけどそういう感覚は一瞬で消えて、いつの間にか諦めることにばかり長けた。


我儘な人を見ていると、以前は苛ついた。
必ずB型だと言われる気性。
最近は当てられたことがない。
我儘な人を見ていても、羨ましいと思うことはあっても腹は立たない。
以前から私を知っている友人は「成長したね」と言う。
でも実際は、諦め方を知っただけなのだと思う。
怒りを顕にしても、得られるものは何もない。
きっと、打算的になったんだろう。


親しくしている友人が、かれこれ3年ほど前今の私と同じようなことを言っていた。
その頃私はまだ感情表現が今より素直で、だから彼女は私にそういった部分を求めていたのかもしれないと思う。
いつも、もっと冷静な自分でありたいと願っていた。
だけど、実際そうなってみるとあまり楽しくないということに気がついた。
何だかつまらない。
でも、諦めることに慣れてしまった私は、誰に何を言われても基本的には笑っている。
これを本当に「成長」というのか。
きっと、こんなことを考えている段階にいる時点で、そこまで大きくは変わっていないのだろうけれど。
友人が、3年も前に通過した地点。


言いたいことや伝えたいことがまとまらないとき。
ひょっとしたら、最初から何もなかったんじゃないかと思う。
「私は何?」答えなどどこにもない疑問。
普通に生きていくつもりの私としては、今出すべき答えでもないはずだが。
それでも一応、考える。
迷いがあることを責められて困るのは、毎日進行形の自分でいたいから。
…書きながら、前向きなのか後ろ向きなのかよく分からなくなってきた。


静寂が、胸の中。
何も問題などないはずなのに、それが問題なのだと思う。
今、人生そのものの舵の取り方を考え直している段階で。
2003年06月20日(金)  役割
私が「私らしく」あることは、きっと私のせいばかりじゃない。
自分で定めたわけでも、望んだわけでもないけれど。
いつの間にか、何となく、流れの中で決まっていくこと。
時折それに抗しようとし、その度力尽きては項垂れる。
誰が決めるわけでもない。
だからこそ変えがたい。


もしも私の生まれる年が、ほんの数年違っていたならば。
今親しい人と他人行儀で、今他人行儀な人とも親しくなれたかもしれない。
「個が大事」と言いながら、そうとも限らないのが社会の実情。
それとも単なる日本の慣習か。
今自分の傍にいるのは、年齢とか、立場とか、それらを考慮に入れた上でたまたま近くにいた人?
こんなことを考えると、少なくとも周りの誰かを傷つける。
でも、別に今の関係を否定したいわけじゃない。


ほんの少し違うというだけで、知ろうという努力ができない。
それが悲しい、だけどきっと私もそう。
自己紹介のとき、年齢を言う習慣などやめればいいのに。
年功序列、年上を敬うという日本の風習。
もう随分と昔に入ってきた儒教。
それを美しく思うこともあるけれど、足枷に感じることもある。
自分だけが何かを変えようとしても無意味。
だって、全体がそういう流れの中で落ち着いてしまっている。


私が敬語を使う理由。
それは単に、「面倒」だから。
私がいくら同じ目線で話をしたいと思っても、相手がそれを許してくれなければただの無礼者。
気にするなと言って笑ってくれる人もいるけれど、そこは人間の本音と建前、どこまで信用したらいいのかも分からない。
打ち解けて話したい人に、たかだか表面的なくだらないことで避けられるのは嫌。
だから、とりあえず敬語を使う。
そうすればきっと、距離は縮まらずとも開きはしない。


今課せられている役割は、一体何だろう。
私は大学4年生で、家族の中では長女。
サークル内での役割、高校時代の友人たちの中での立場。
必ずしも、今の自分と合うものとばかりは限らない。
それでも、周りに期待されているはずの「自分」の役割を果たした方が楽。
あえて破って均衡を崩すのは、面倒くさがりの私には好ましくないこと。


幼い頃は何もなかった。
年下も年上も、それこそ性別さえも。
いつからか、私は私の役割を自覚し始めた。
ひょっとしたらそれは、周りではなく私自身が勝手に感じてしまっているだけのものなのかもしれない。
でも、もし今私が別の性格を表面化したなら周りは何と思うだろう。
知らない誰かのために自分がいるわけではない。
けれど、誰との関係も省みず、ただその場その場の自分を表現しながら生きられるほど、社会はきっと甘くない。


時折襲う、ジレンマ。
余計な垣根関係なく、誰とでも話せる機会があればいいのに。
それを実行するほど子どもではないけれど、全てを割り切れるほど大人でもない。
高校生だった頃、自分の枠を破りたくて仕方がなかった。
でも、その枠が目に見えない分、何をどうしたらいいのか分からなくて泣いた。
今の私は滅多に泣かない。
泣いても、人にその姿を見せることなどしたくない。
ただ妙に冷静な目線を保ちながら、そんな自分に溜息をつく。
あの頃悩んだ枠はきっと、私固有の殻だったわけじゃない。
それよりも厚く、もっと堅い社会的役割という名の殻が押さえ込んでいたのだろうと考える。


何事にも、疑問を持たなければ楽なのに。
怠け者な割に、やや損な性格。
2003年06月19日(木)  土
母が、芋掘りに誘ってくれた。
普段庭の手入れなど無関心な私も、こういうときだけ調子よく動く。
いそいそと準備し、帽子を借りて外へ。
手袋を用意してくれた母に感謝。
幼い頃のように、土のどこかに芋が隠れていないかと、しつこいくらいに掘り続ける。
「もうないよ」と言われてから発見できたときの嬉しさ。
掘りたての芋を両手に、写真撮影。
手袋を外すと、爪が真っ黒になっていた。


都会で育った私にとって、元々土の匂いは身近なものではなかったような気がする。
記憶にあるのは、社宅の中の小さな人工の砂場。
深く掘っては泥だらけになって帰り、土の椅子を作ったのだと言っては大声で母を呼んだ。
限られた土との触れ合いの中で何を学んだのか。
狭い空間、僅かな土。
それでも、いつの間にかその匂いを覚えていたのはなぜだろう。


栃木にある祖父母の家は農業を営んでいて、ハウスでトマト栽培を行っている。
春、水を流して土に水を行き渡らせる工程。
裸足になってホースから流れる水を追いかけた記憶。
土臭いほどの土の匂いは、心地よくて楽しかった。
栽培用の土ではあったが、足の下にある暖かさが好きでよく靴下を脱いでは入らせてもらった。
気がつくと、そんな経験をしたのもいつのことかという時間。
経過する時間と、それに伴い変わっていってしまった自分。
だけど、土の匂いは変わらなかった。
だからきっと、嗅ぐとほっとするのかもしれない。


見つけた瞬間走り出しそうなくらいの虫嫌い。
特にウニョウニョと動くものなど見るのも辛い。
それなのになぜか、芋を掘る手袋の上を走っていったアリやら足の多い虫が気にならない。
土を掘り返すと、ダンゴ虫が大量に出てくる。
不思議な色をした不思議な虫が目の前をうごめく。
きっと何よりも嫌いなミミズが出たら叫んだろうが、そのとき私はそれ以外のものには驚かないくらいの心境でいた。
それくらい芋に夢中だったかというとそうとも言えず、何となく、土の中の生物を見ていたら楽しくなってきたのも事実だった。
自分が知らないこんな世界が、あちこちに、それこそ数え切れないほどあるのだろう。
嫌いな虫さえいとおしく思える、土の匂いと太陽の味。
大きく吸い込んで、今ここにいられることを嬉しく思った。


教育実習期間中に日焼け止めを塗り忘れた日があって、今私の腕は例年よりも黒い。
それなのに、芋を掘ってすぐ帰る予定だったはずが、花や木に惹かれてそのまましばらく外にいたら、また焼けてしまった。
紫外線は危ないと思いながらも、外にいることが楽しくて仕方がなかった。


どこで得たのか、土の匂い。
いつの間にか染み付いたその匂いへの愛着を、時折思い出しながら生きている。
もう少し、庭の手伝いをした方がいいのかもしれないなと思いながら。
土はいつも、太陽をそのまま描いたような、明るい光で胸を刺す。
2003年06月18日(水)  コドモ
大通りを運転していたら、小学生が後ろをついてきた。
…とは言っても実際は、免許を取得できるような年齢の人だ。
若い、もしくは免許を取りたてなのだろうと思った。
その人の行動は、とても子どもじみていた。


沿道で、たまに一生懸命ペダルを踏みながら自転車競走している小学生を見かける。
彼らは自分たちの勝負のことで頭がいっぱい。
体が左右にぶれていて、隣を通り過ぎるのが何だか怖い。
今日見かけたのは、左右に車をゆすりながら迫ってくる車体の低い車。
前が詰まっているのに、じっと待つことができないらしい。
バックミラーで顔を確認すると、予想とは異なり30代か40代くらいの男性。
怖いというより、かわいそうだなと思った。


昨日、学校帰りにコンビニへ寄った。
レジへ向かうと、そのすぐ傍でタバコを手に取ろうとしている男性がいた。
レジに並んだのは私の方が早かったようだが、傍にいる人を追い抜くのも何だか申し訳なかったので譲った。
その人は少し遠慮がちに歩みを進めて、会計をして去った。
店員の人に対する態度も丁寧な雰囲気。
肩に大きな刺青がしてあったので、少し意外に思った。
外に出ると、クマのプーさんのキーホルダーが下げられた小さな白い車に乗り込み、中で待っていたギャルっぽい彼女と一緒に駐車場を出て行った。
派手な装飾も何もない、どこにでもあるような車。
ただ違うのは、その人の肩に大きな刺青があったということだけ。
何だか、嬉しくなった。


何でもルールを守るべきだとは思わない。
法治国家においては「悪法も法」と考えなければいけないのかもしれないが、法律に詳しいわけでもない私はその辺りいいかげんだ。
悪法を律儀に守る必要がどこにあるのか。
それを守らせる方法を模索するよりも、悪法が作られないような社会や人間を育成することに力を入れたほうがいいと思う。
「くだらない」と言いながら皆が守るから悪法の肩身も保たれてしまうのだと。
自分の生活の基盤となる法が悪法ではないか、各自が判断できるだけの能力を持っている、そんな社会と教育が必要なのだろうと思う。


横道に逸れてしまった。


私は、元々が不完全な法であるから、それを律儀に守ることができる人=大人、だとは思わない。
だから社会的に見て「大人らしからぬ」行動をとっている人がいるとしても、それがきちんと考えた上でのものならそれはそれで構わないと思う。
だが、今日後ろで車を運転していた人は、考えてそういう行動をとったわけではなかった。
渋滞していて、先へ進めないのに進めない状況。
それに対する苛立ちを、衝動的に表現していたにすぎない。
仮に彼が周りに対して威圧感を与えることで自分の「大きさ」を誇示しようとしていたなら、他に方法を思いつかないことが悲しい。
不安や恐怖感を与えることでしか自分を表現できないのは、思春期の青年ならまだしも大人の方法じゃない。
成長には個人差があるし、それを責めることはできないが、ただ可哀相な人だと思った。
私のような若輩者にまで同情される彼は、曲がり角で別れた後、誰にどんなことを思われただろう。


大人が、いつだって冷静でいる必要はないと思う。
感情的であることが求められる場面だってあるはずだし、常に気持ちを抑えていたら爆発してしまう。
でも、それは場面を選ばなければならない。
一時の衝動で周りを巻き込むだなんて、小学生のイタズラを見ているかのようだ。
…いや、最近の小学生には早熟な子も多いので、同じ扱いをしたらむしろ非難を受けそうな気さえする。


どこからが大人で、どこからが子どもかなんて、分からない。
境界線を引くことにもそれを求めようとすることにも私は共感できない。
ただ、今日見た「コドモな大人」にはなりたくない、と思った。
自分は今、どれくらいの位置にいるのだろう。
2003年06月16日(月)  写真
最近写真を撮っていない。
教育実習のとき、クラスで集合写真を撮った以外はここ数ヶ月カメラを手にした記憶がない。
…とは言っても、風景や花の写真は撮っているので、要するに自分の顔、という意味でだが。
デジカメを持つと、私は人物を無視する。
人間が入っているものを撮りたがるのは、どうしてか大抵インスタントカメラを持っているときだ。


みんなでワイワイ盛り上がっているような場合、動きを止めさせて写真を撮る人というのはあまり好まれない。
しかし時が過ぎてみれば、形に残るものがあまりないというのもあって、求められるようになる。
そしていつも私は、カメラを持って歩いてはいても取り出さないという立場をとる。
「これは残しておきたい」と思ったときに、なおかつそんな余裕がある場合のみ、鞄から500円くらいで買ったカメラが出てくる。
ちなみに、「撮るよ」と言うばかりで「撮って」とは言えないのだが。
自分の顔を残しておくのには、どことなく、気恥ずかしさが伴う。


最近父が昔の写真の整理をしている。
昨夜、自分の中学校時代の写真を見かけた。
学校指定の薄紫色のジャージ。
肩も腕も足も細かった頃。
「痩せてたんだなあ」
感慨深げに見ていると、横にいた母が「でも当時は太ったと言って騒いでたわよ」と言葉を挟む。
そういえば、そんなこともあったような。
今から見れば、本当にガリガリだったのだが。
体型だけ8年前に戻らないものかと、無理な願望を持ちつつアルバムをめくる。


中学生の頃、まだ弟は私よりも背が低かったらしい。
くせっ毛な私のショートカットは、キノコのような不思議な髪型。
歯を見せて笑う顔は、きっとニキビ最前線。
肌が、赤くて痛々しい。
テニスをしていた。
ピンクの短いスコートを穿いて、眼鏡をかけた私と部活の仲間。
丸い顔でいつも怒鳴っていた、顧問の若い女の先生。
殴られては怖くて泣いていた。
それなのに、卒業式では私の肩を抱く先生の隣で、満面の笑みだった。
きっと、在学中というよりもすでに今の感情に近かったのだろう。


懐かしくなって、思わず小学生の頃のアルバムにまで手を伸ばした。
我ながら、10年以上前ともなると肌が白くて綺麗だと思った。
どの写真も楽しそうに笑っている。
痛い記憶、悲しい思い出、当時何を思って何をして何を見て暮らしていたのか。
写真に記録されていない全てが、色褪せる。
頭の中にはもう残っていない記憶。
それらを写真は蘇らせ、時々どこかを美化してしまう。
きっと、なかったはずの記憶さえ、生み出してしまえるような。


私は何を思っていた?
私は何を考えていた?
誰に尋ねても、返事などない。
私の記憶は、私の中にしかないというのに。
それさえも、時と共に曖昧になってくる。
さあ考えよう、昨日私は何を食べたのか。
ひょっとしたら、今朝の食事さえ覚えていないかもしれないというのに。


毎日は連続している。
私は、生まれてこの方生きるのをやめたことがない。
全ての記憶は私の中にあるはずだろう。
しかしそれらはいつもどこかの隅に隠れていて、時折呼び出そうとしてもどこの引き出しだったか思い出せない・開かない。
ただでさえ定かではなかった「記憶」という名の蓄積物は、写真がうろつき始めてからというものますます怠け者の様相を呈している。
そして私はきっと大きなミスを犯している。
写真はあくまでも「鍵」に過ぎないということ。
肝心の思い出は、私の中にしかないということ。
それを忘れてしまうから、自分のことのはずなのに、私は嘘さえも信じるだろう。
本物とよく似た模造品の鍵は、ない扉さえ開けてしまう。


最近、私は写真を撮っていない。
風景や花の写真は撮っているのだが、自分の顔を撮った記憶がない。
撮る必要や場面がないから、というただそれだけの理由。
そして今私は写真を撮らなくても特に困りはしない。
そもそも、ほんの数十年前までは写真などなかったのだ。
しかし、そうは思ってみても、私はいつか今の写真を欲するだろう。
生まれた頃から写真のある生活を送ってきてしまった私は、今さらどうにもならないくらい記憶に対して鈍感で。
今この瞬間自分がここにいることを確認することはできるけれど、次の瞬間、さっきまで自分がそこにいたことを確信するには頭だけじゃ足りない。
私はどこにいた?私は何してた?


何が本当か分からなくなる。
何が嘘なのかも分からなくなる。
そのうちに、私が私であることさえも分からなくのではないかと怖くなる。
「どこにどうして何の確信が持てようか」
「きっと、こんな時代だからだろう」
誰の囁き声とも分からぬ言葉が、頭の中で響くように。
そういえば、昔似たような詩を書いたこともあったっけ。


写真について。
記憶について。
考えれば考えるほど分からなくなってくる。
もう止めにしようかと思う。
そして最後に1つ。
私が日記を書く理由は、日々のことを記したいからではない。
出来事日記ではない日記を、ここで綴る理由。
それはきっと、何をしていたかというやはり曖昧な現実よりも、とりあえずそのときその瞬間、何かを考えている自分がいたという確かな証拠を残したいだけなのかもしれない、と。


ああ、面倒くさい。
ごちゃごちゃ考えるのはどうも性に合わない。
…矛盾?
2003年06月15日(日)  移
言葉が乱れてきているという。
正しい日本語を、といった類の本が売れる時代。
「時代と共に変わっていくもの」と言ったら怒られた。
「それでもどこかに歯止めは必要だろう」と。


教育実習先の高校で、何度か古文の授業を受けた。
私が古文を理解するためには、時代背景や文法、古語辞典が必要になる。
きっと昔の人たちからしてみれば、今の時代の言葉など、乱れているどころか理解さえできないのではないかと思う。
色んな時代に現れた「改革の人」は、当時非難されても後世で受け入れられたから名が残る。
生前認められずに死後評価が高まる人というのは歴史上数多くいるが、きっとそんなのはつまらないし悲しい。
死んでしまった後のことなど、誰にも分からない。


以前、坂本龍馬を好む人が若者の意見を切り捨てるのは不思議だとどこかで書いたが、言葉にしてもそうだろうと思う。
ただ一様に「乱れている」と責めるばかりでは何も変わらない。
古文を理解する上で時代考証が重要になってくるのと同様に、現代の言葉を理解するためにもやはり時代を考える必要があるに違いない。
同時代だからといって、分かっていると思い込んで、何も考えることなくただ非難するのはおかしい。
多くの人は、自分が生まれ育った時間や国や状況を基準としてしまいがちだから、一歩下がって全体を見渡さない限り、議論をしても平行線だ。
私自身、ほんの数年違いの子どもたちのことさえ分からない。
分からないのは、無意識のうちに自身が育った環境との比較を行ってしまっているからだろう。


時代は移ろいゆく。
その流れのまま、何のストッパーも設けないのであれば、確かにこれまで培われてきた言葉が崩れ去るのも一瞬だろう。
しかし(結局はそのバランスの問題だとは思うが)、なぜ今ここにこのような言葉があるのか、それを考えなければ何の意味もない。
何が「崩れ」で、何が「時代相応」なのか。
私はこれから先どのような言葉を使っていけばいいのか。


言葉は時代の鏡だと思う。
それを考えることなく言葉だけ矯正したところで、どうせ何の効果も望めまい。
「意味さえ伝わればいい」とは思わないし、「伝統ある言葉遣いを」とも思わない。
自分の語彙力が衰えていないか時折省みつつ、今ある言葉との共存をはかっていける、そんな許容力のある大人になりたい。
言葉へとかける思い僅かに留めおき、残る大きな力を内面へ向かわせられたなら。
2003年06月14日(土)  実習終了
木曜日、教育実習が終了した。
少しずつ日記を書こうと思っていたのに、忙しくてそんな余裕はなかった。
でも、あんなに充実していた日々がこれまでにあったかと思えるほどの毎日で、終わってしまって現在心のどこかに空洞。
「実習に行くと先生になりたくなるよ」
これまで散々聞いた言葉。
「夢もあるし、一時の感情だけで揺らいだりしないよ」
いつもそう答えていたけれど、生徒に何か言われるたび、揺らぐ自分の姿がそこにはあった。
「先生なら絶対いい先生になれるよ」
無邪気な笑顔と明るい声。
「本当は先生志望じゃないんだよ」なんて、とてもじゃないけど口に出せなかった。


私が通っていた高校は進学校で、自分なんかよりも頭のいい子がたくさんいる。
在学中あまり真面目に勉強しなかった私はコンプレックスの塊で、行ったところで自分に何ができるだろうと悩んでばかりいた。
それなのに、始まってみればあっという間。
難しい質問で苦しむと思っていたら、純粋な疑問の声しか上がらなかった。
意地悪しようだなんて雰囲気は、どこにもなかった。
真っ直ぐにこちらを見てくる目。
自分のため、ではなくて、みんなのために何か頑張りたいと思えた。
嫌いだった経済の範囲を任されて、動揺すれども生徒にとって私は「先生」。
どうすれば分かってもらえるだろうと、あんなに真剣に考えたことなど今までになかった。


上がり症の私は、人前に立つと汗が吹き出て声がかすれる。
何か伝えたいことがあっても、前に立った瞬間いつも忘れてしまっていた。
授業などできないと、実習前は教職を取った自分を後悔してばかり。
今は、行ってよかったとしか思えない。
自分を見つめてくる多くの目を、見つめ返すことができた。
返しながら、言葉を1つ1つ紡いでいくことができた。
今まで怖いとばかり思っていた目が、真剣な励ましに思えるようになった。
自分にだけ与えられた広い空間の中でも、手を広げることができるのだと知り、くだらないことばかり気にしていた自分を思わずせせら笑った。


6つも年下の生徒たちを見て、学ぶことの多さに驚いた。
多様な個性がそれぞれ毎日を真剣に過ごしている。
時にはサボって、時には悩んで、どれもが日々のどこかに腰を据えて前へと進んでいく。
最後の日、伝えたかった言葉を伝えた。
でもそれは、最初から私の中にあった言葉ではなく、生徒たちと過ごした毎日の中で、学んだことをそのまま戻しただけのことだった。
どの個性も、合うとか合わないとかじゃなくてどれも魅力的。
輪から外れようとしてしまう子の気持ちも、どことなく伝わってくる。
それをどう自分の中で消化していけばいいのか。
私には難しすぎて結局はできなかったけれど、自分にできることを精一杯やる以外なかった。


私はいつも中途半端で、どこかしら手を抜いた方が楽だし悲しくならずに済むと思っていた。
でも、今回はそんなことしても自分を苦しめるだけだと思った。
だから、できることを本気で考えたし、それの良し悪しを判断するほどの時間はなかったけれど、いいと思ったことをどれもやるように心がけた。
いつも何かをするときは後悔や反省が付きまとうものだけど、今回はそんなことない。
やり抜いたという自信がある。
あえて言うなら、もっとそんな密度の濃い時間を過ごしたかったということか。


生徒や先生方から、「教師に向いている」と、何度も言われた。
私の将来の夢を理解してくれていた先生までもが、「考え直さないか」説得してくれた。
嬉しくて、当惑もして、それでも私は意志を変える気はない。
教員試験が難しいからなどという理由ではなく、ここで自分の夢を変えたりしたならそれこそ中途半端。
本気で何かに取り組むことの喜びを、教えてくれた実習だからこそそう思う。
中学生の頃までは、先生になりたいと思っていた。
だから、諦めきれない気持ちがどこかにあって、大学1年の時母に勧められるがまま教職課程を取ることにした。
社会に出て、色んな経験を積んで、ふと立ち止まって考えたとき、それでも教師を志すならそのとき願書を書こうと思う。
今はただ、この経験を無駄にせぬよう、日々を真剣に生きていきたいという思いだけが残った、という感覚。


励ましてくれて、支えてくれて、慕ってくれて、相談に乗ってくれて、話を聞いてくれて、受け入れてくれて、一緒に過ごすことができて。
本当にありがとう。
みんなは「いい先生になって」と言ってくれたけど、裏切る私を許してほしい。
でも、みんなのおかげで自信を得られた。
自分も、こんなに何かに真剣になることができるのだということ。
私にも、支えてくれる人がこんなにいるのだということ。
本当は毎日でも1−Eの教室へ行きたいけれど、それだと学んだことを生かしていないんだろうな。
みんなが頑張って日々を過ごしているように、私もこれから自分の生活を充実させられるよう頑張りたいと思う。
「忘れない」だなんて、クサイ言葉はこれまで嫌いだったけど、他に表現を知らないからあえて言う。
この3週間と、共に過ごした全ての人たちのこと、忘れない。
いつかどこかでまた、再会できるならこれ以上の喜びはないよ。
2003年06月12日(木)  実習日記:21
思い出し日記。
この日は実習終了の日。


寝不足がひどかった。
前日3時間、前前日4時間、この日2時間。
ほとんど寝る暇もない日々で、体力もそろそろ限界かと思った。
朝から耳鳴りがするし、声の調子も悪い。
それなのに、思うのは終わってほしくないということばかり。
この短い期間で、私には何ができるだろうと考える毎日だったけれど、結局は何1つできたような気がしない。


授業で教える範囲は経済だった。
「大学で学んだことを生かして」と先生方からは言われていた。
でも、私の発想力では、経済に心理学を生かす方法など分からなかった。
だから毎日クラスの生徒用に身近な心理学を取り扱ったプリントを配布することにした。
読めとは言わず、帰りのHRでただ配りっぱなし。
少しでも興味を持ってもらえたら、という動機だけ。
利己的な私がそんな些細な動機だけで真剣になるだなんて自分でも驚いた。
読んでもらえているのかどうかも分からなかったけれど、だんだん生徒が反応を表に出してくれるようになった。
「先生、このプリントおもしろいよ」
「毎日楽しみにしてるよ」
そう言って、嬉しそうに読み始めてくれる。
何も言わない生徒も、いつの間にか配った直後に読み始めるようになってくれたり。
寝不足だと嘆きつつ、毎日夜中に1・2時間、心理学の本と格闘するようになった。


朝、高校へ行くのが嫌だった。
今日が終われば終わってしまう、そう考えると涙が出てきそうだった。
平静を装い、国語の授業参観と体育への参加。
研究授業を2つ見て、HRになった。
出席簿を取ってくるのを忘れて、教室に着いてから担任の先生に持ってきていないかと尋ねた。
すると、「俺が行くからお前は教室にいてくれ」との言葉。
どういうことかと思って周りを見渡すと、どうして気づかなかったのか、椅子が円状に並べられている。
黒板には、「○○先生ありがとう」の文字と似顔絵。
私のためのお別れ会をやってくれるのだと気がついた。
「ありがとう」だなんて気の利いた言葉は出てこない。
呆然として、「え?」と言うだけで精一杯だった。
その瞬間、クラスの生徒がどっと笑った。


中央に机が並べられ、クラスの女の子たちがお菓子の袋を開ける。
「先生、ここに座って」と、生徒から着席を促される。
黒板に、今日のプログラムが書かれていく。
すっかり準備が完了した頃、廊下を通った隣のクラスの先生が私に声をかけた。
「お前、絶対に泣くよな」楽しそうに笑う。
正直、ここ1年以上映画以外で泣いた記憶がない。
それに、驚きはしたけれど、涙が出てきそうな気配もない。
「私は先生なんだ」と、妙なところで意地っ張り。
「そんなことないですよ」
大声で言葉を返すと、先生はにやっと笑って去っていった。


最初はビンゴ大会。
中央のマスには、私の似顔絵が描いてあった。
クラス会長がミリオネア口調で番号を読み上げていく。
リーチになった後、なかなかビンゴにならない私を生徒たちが茶化す。
「先生の分もお菓子残しておいてね」
黒板の辺りにいた女子が、お菓子に飛びつく男子を制した。
ビンゴになった人から中央のお菓子を食べられるルールらしい。
上がった生徒たちが、「先生早く」と急かす。
とは言っても私は、嬉しさと楽しさで笑ってばかりで、あまり真剣に列を揃えようという気に欠けていたのだけれど。


ビンゴが終わった後、担任の先生が大学時代の話をしてくれた。
悲しい失恋の話のはずなのに、ところどころユーモアがあって思わず笑ってしまった。
こらえ切れずに笑い続ける私の腰を、隣の席に座っていた生徒が突付いた。
「先生、笑いすぎですよ」
笑う私を生徒たちが笑い、それを見て私はまた笑ってしまった。
先生には悪いけれど、笑わないと涙が出そうで耐えられなかった。


先生は、当時の彼女と一緒に聞いた曲を歌ってくれた。
題名は分からない。
ただ、先生の思いやりを感じて、ますます悲しくなった。
もうこのクラスにはいられないのだと思うと、胸が痛くて仕方がなかった。
涙を堪えようとすると、その度笑いが出る。
せっかく歌ってくれたのに失礼だとは思ったけれど、私は私で必死だった。
そういえば昔、友人に「悲しい顔をして笑うな」と怒られた気がする。


先生の歌が終わって、花束と色紙を受け取った。
誰からもらったのか、実は覚えていない。
それまで堪えてきたのに、涙が止めどなく溢れてきて前が見えなかった。
ハンカチを持っていてよかった。
ひどい顔を生徒に見せたくないと、後ろを向いて押さえようとしたけれど、生徒が声をかけてくれるたびにますますひどくなった。
ふと横を見ると、それまで楽しそうに笑っていた先生の目が潤んでいる。
「何か言葉を」と言われても、口を開こうとするたびにしゃくりあげてしまって、どうにもならなかった。
実習に行く前は、不安だらけだった。
それなのにいつの間に、こんなにこのクラスを好きになったのだろう。
初めて会ったときの不安、文化祭期間中悩んだこと、話をしながら感じたこと、全てが頭の中に浮かんできて、どの言葉を選んでも不適切な気がした。
結局、前を向くことすらできずに、「帰りに話します」と言って終わり。
まとまらない。
終わりの言葉を言ったが最後、この幸せな時間が終わってしまう。


お別れ会直後、地歴科での反省会があった。
慌てて行くと、何人かの先生が既に集まっていた。
「やっぱり泣いただろ?」
さっき廊下を通っていった先生が、優しい笑いを浮かべて言った。
「意地悪言わないで下さいよ」
そうは言ったものの、私の顔は誰が見ても泣いたと分かる。
部屋に入ってくる先生は、私の顔を見てすぐに何があったか悟り、一様ににこりと笑った。
恥ずかしかったけれど、嬉しさやら悲しさやらで胸の中がいっぱいだった私は、ハンカチを顔に当てながら誤魔化すので精一杯だった。


反省会が終わって昼休み、委員会で何度か話した生徒が2人で控え室に来てくれた。
かわいいシールなどがたくさん貼られた手紙をもらい、少しの間おしゃべりをした。
家へ帰って手紙を開けると、「お姉ちゃんだと思っています。これからも親しくして下さい」と、丁寧な文字で綴られていた。
本当に短い間だったのに、ここまで思ってもらえたことが嬉しい。


午後は反省会があって、帰りのHRの時間。
話したかった言葉を、初めてみんなの顔を見ながら照れることなく伝えることができた。
私は自分自身まだまだ子どもで、6つ違いくらいの生徒たちに何を言えるかというと本当は何もないのだけれど、それでも、みんなと過ごした3週間の中で思ったことはあった。
ただそれを戻したいと思っただけのこと。
最後の言葉に意味があるわけじゃない、ただ一緒に過ごした時間そのものに意味があっただけ。
それを少しでもまとめられたら、と、感謝の気持ちを伝えるのにいい表現が見つからなかったから、今思うことだけを伝えようと思った。
HR終了後、全員で写真撮影。
どんな顔をして写ったのか、いまいち覚えていない。


放課後、日誌を書いていたら部活の生徒が遊びに来てくれた。
「先生、部室に来てください!」
と言われたので行くと、丁寧に包装された色紙2枚と生徒たちの歓迎の声。
ぎっしりと書かれた色紙。
幸せ者だという思い以外、何を感じればいいのだろう。
「また遊びに行くから」
そう伝えると、わっと歓声が上がった。
2003年06月04日(水)  実習日記:13
5月31日に書いたのと同じ理由での番号振り。
今日で実習13日分終了。
あと8日。


今日は、授業が3コマあった。
経済のGDPやGNPについてで、自分でも難しいなと思う範囲。
これといってユーモアを入れられるわけでもない私は、いわゆる「普通」の授業しかできない。
自分が受けたいと思えない授業をやるのもどうかと思うけれど、進学校ということもあり、とにかく授業を進めなければならない。
さすがに6回目ともなれば最初の授業ほど緊張はしないが、範囲を終わらせようと思って焦りはする。
ただでさえ汗っかきの私は、ハンカチが手放せなかった。


午後一番の授業、昼食を取ったばかりで眠くなる頃、生徒が何人か居眠りをしてしまった。
自分が生徒の頃には、授業を批判するのは簡単なことだった。
でも、寝させない授業をやるのは、本当に難しいのだなと思った。
…そう思ったからといって、厳しい目を忘れてしまうのは問題だが。
それはそれ、これはこれ。
つまり、生徒はそういう厳しい目線を持っているということだろう。


生徒の様子を見ながら授業を進めていると、教壇からこんなにも多くのことが見えるのかと驚く。
授業に対する考え方、教師に対する意識、おもしろいほどよく見える。
きっと、当時私が眠いのをばれないようにしようとして無理やり顔を上げていたのも、お見通しだったのだろうな。
そして思うのは、不思議と腹が立たないということ。
居眠りをされてしまうのは、絶対に起きていようと思えるほどの魅力がないのだなと思う。
質問ばかりしてくる生徒も、少し教育実習生に意地悪をしようとしている生徒も、全員かわいく思えてしまう。
思うのはただ、色んな人がいるのだなということ。
自分も含めて、色んな個性の一部だということ。
もちろん、授業をやっている最中はあまりの質問攻めに「やめてくれ」と思うこともあるにはあるのだが。


今日は他の実習生の研究授業を参観させてもらった。
研究授業というのは、担当教員やら学年主任・副主任、同じ教科の教員全てや他の教育実習生が見に来る授業のこと。
自分と似たような状態にある仲間を見るのは、多くの意味で勉強になった。
私の研究授業は来週だが、頑張ろうと思う。
それまでに、少しは授業がうまくなっていればいいな。
今日、「声が随分良くなって、通るし大きい」と褒めてもらった。
ちょっとしたことだが、少しでも先へ進んでいるのだと思うと嬉しい。
明日は授業がないが、気合いを入れなおして残りの授業を頑張っていきたい。


帰り、2週間で実習が終わる仲間の反省録の綴じ込みなどをやった。
実習生同士、少しずつ仲良くなってきて、だから明日で半分以上の人が終わって帰って行ってしまうのがとても寂しい。
そのうち一緒に打ち上げをしようと話をしていて、そのために予定を調整しているところだ。
教育実習仲間というのもなかなか不思議な感じで、在学中はほとんど話したことのない人が多いからなおさらだ。
でも、こういう時間を共有できた仲間ということで、やはり1度のんびりと話をしてみたい。
今はまだ、それぞれが自分の授業の準備やらで忙しい。


綴じ込み作業が終わって、職員室で事務作業の手伝いをした。
明日の部活に参加したかったので、無理やり今日中に終わらせた。
「タフだね」と先生には笑われたが、単に明日やりたくないだけとは言えずに少しだけ困った。
ところで、数学の先生と話をしていたとき、「難しいですね」と言ったら、「大学生なんだから余裕だろ」と言われてしまった。
「いえいえ全然」と言うと、「弟は数学得意だろ?」とのお言葉。
痛いところをつかれたなと思いつつ、兄弟だと知っていた先生にびっくりして思わず笑った。
Will / Menu / Past : Home / Mail