Spilt Pieces
2003年04月30日(水)  土
昨夜は、柄にもなく寝付けなかった。
風が強くて、その音が気になってしまった。
我ながらそんな繊細だったろうかと疑問を感じながら。
ともあれ、風の音を聞きながら布団をかぶっていた。


ふと、昼間の出来事を思い出した。
母が野菜の種を蒔くのだと言って、嬉しそうだった。
そういえば結局蒔いたのだろうか。
風が吹いたら飛んでいってしまうのではないかと思った。
土の中にあるとしたならば、種は今どのような状態になのだろう。
想像が膨らんでいった。


地表近くに薄く土をかけられただけでは、きっと風と共にどこか遠くへ行ってしまう。
地面の奥深くであれば、土の重みで息苦しくなってしまう。
ならばやはりほどよいくらいの土の中、風が通り過ぎるのを待っているのだろうか。
土は、暖かいのだろうか。
布団をかぶって揺れぬ家にいる自分より、地面で程よい重みに耐えながらその恵みに与っている方が、心地よいような気がした。
眠れない春の夜の戯言。




大学からの帰宅途中、空を見上げた。
今日は朝から天気が悪い。
昨夜の風と、今朝の雨。
それは土の中でひっそりと暮らす種たちにとってどんなものだったのだろう。


休み半ばの図書館。
閑散とし、並ぶはずの印刷機を1人で使う。
ヘッドホンをしている私。


なんだ、結局はいつもと変わらない。


すいているはずのレンタルショップ。
半額デーと称して人を飲み込む。
一緒に、飲まれてみる。


なんだ、いつもと同じこと。


夜、空は曇天。
段々畑のような雲が、空の端を占める。
パチンコ屋のサーチライトは、今宵誰を呼んでいるのだろう。
鉄の少し大きめなゴーカートに、私は小さな命を乗せてアクセルを踏む。
投げ出されぬよう、吸い込まれぬように、空を睨む。
空を睨む。
空を睨む。


…駄目だ、結局私は空が好きらしい。




足元にある大地。
今私がここで消えても、空から見たら何がどう違うのか、きっと何年かかっても間違い探しの答えなど見つかりやしない。
大地に根っこを生やして、笑う。
それが仮に限界だとしても、できる範囲で幸せになれればいい。


空は、今日も遠くて。
雲の浮かぶ夜は、普段より闇が深い。
臆病者な私は、今日も土の替わりに布団をかぶって眠るだろう。
2003年04月29日(火)  技術
私の愛用している携帯電話は古い。
高校生活も終わろうかという年の3月、すでに0円で店に出ていたものだ。
かれこれ3年以上の付き合いになる。


単音、単色。
当然のようにインターネットへの接続機能などついていない。
件名表示欄がないので、しばしばそこに用件を書いて送ってくる友人との間で話が噛み合わなくなる。
「件名:○○です」「本文:携帯の番号変わりました」
私には、本文しか読めない。
誰ですか?と返信すると、少なからずショックを与えるらしい。
ほんの数年。
されど数年。
あっという間に、フルカラーで画像まで送れる機能を持つ携帯ばかりになった。


古びた携帯を今も使っているせいか、「物持ちがいい」と言われることがある。
しかし実際のところ、私の扱いはひどい場合が多い。
放り投げたり、床に落としたり、鞄の中で別の物とぶつけてしまったり。
横着して風呂で電話をかけることすらある。
しかし、今まで故障したこともなければアンテナも無事だ。
私の物持ちがいいというより、単にこの携帯が丈夫なのだと思う。
私と同時期に同じ携帯を買った友人も、未だに使っている。
「いつまで電池もつかな?」
と言っていたのがかれこれ1年以上前。
機能で困ることもそう多くないので、今もそのままだ。


新しい技術が発達すれば、当然のように人はそれを応用・利用するだろうし、それが悪いことだとは思わない。
そもそも、今私が生活しているこの社会だって、そういった発展を繰り返してきた結果あるものなのだから。
進歩を否定するなら、私は今の生活をも否定しなくてはならない。
携帯の新旧どころか、携帯そのものだってないのだ。
ゆえに、この古い携帯が仮に頑丈だとしても、「それがどうした」と終わらせようと思えばそれは容易だ。


技術の良し悪しを判断する間もなく、次から次へと新しいものが出てくる社会。
出てくる、といっても、人間の恣意的な活動に拠るものなのだからやや表現はおかしいかもしれない。
しかしそれでも敢えて「出てくる」と表現したいくらいのスピード。
目まぐるしく、何もかもが変わっていく。
この弛まず先へ進み続けるこの社会を見て、危機感を覚えないはずはなく、だから携帯を例としたことも、単に私自身の覚える技術に対する猜疑的感情を表現するのに、今偶然手元にあった材料にすぎない。
技術を今のところ否定も非難もする気はないが、怖くはある。


雨後の竹の子と言っては研究職に従事する人々に対して失礼に当たるのだろうか。
ただ、そう感じてしまわざるをえないほど、何がいつどう変わって、どこがどう違うのかさえ私には分からない。
「素人では分からない」ものが、あらゆる分野においてスタンダードとして用いられていくのならば、世の中は誰の目にも見えないところ、あるいは空中にでも浮いているかのようだ。
遺伝子分野での発展に社会の倫理面が追いつかないのと同様のことが、あちらこちらで起こり始めているのだろうか。


とある会社のHPに載せられている文章を読んだ。
より便利な社会を創っていくため、技術的貢献を図ることを目指すという。
しかし、どこからどこまでが便利と言えるのだろう。
スーパーにいながらにして冷蔵庫の中身が分かるといったことを、どれだけの人が必要としているのか。
手塚治虫氏の描いた鉄腕アトムは、本来作者の科学技術発展に対する警鐘だったというのは有名な話だが、本当に未来が彼の危惧したようなものとなったらどうなるだろう。
分からないが、人間自身の居場所すらなくしてしまうような「進歩」を私は望まない。
例えば完全な統制がなされた社会は、確かに安全かもしれないし便利かもしれない。
だからといって、それがよいかというと話は別なのではないか。


多くの執筆家が半ば冗談めいてロボットに支配される未来社会を描いていたりもするが、そのうちの何割かはネタではなくて本気で心配しているのかもしれない。
私の場合、携帯電話1つから考えが飛躍しすぎなのだろうか。
ただ、往々にして何かに夢中の人間というのは周りが見えないものだから、技術開発に携わる人からそれを利用する人までの全てを含め、気づかぬうちに恐ろしいことをしてしまっている可能性があることが怖い。
杞憂ならば、それはそれでいい。
2003年04月28日(月)  友
理屈で分かっていることというのは多い。
だが、実際にとるべき行動で迷うことも多い。
何が真実か見極める力を自ら育まない限り、きっと私は何もできない。
外にある価値基準にどんな由来を求めたところで、判断を下すのは自分自身だ。
そんな当たり前のことを、時折完全に脳裏から忘却せしめたかのような生活を繰り返しているならば、ふと我を取り戻したときに途方もない後悔が襲うだろう。
きっかけは、いつでもほんの些細なこと。
そしてその些細な、しかし自分の中からだけでは手に入れられないような契機を与えてくれるのは大抵周りにいる人々の説得ともつかずに無言で前へ進む姿。
私は、友人に恵まれている。


偽りが嫌いな私は、相手に欺瞞を感じた時点で離れていく。
本人の自己評価など関係ない。
ただ、その目に真実を感じられるかという、それだけのこと。
相手が自身をどれだけ偽りと称しても、自分の直感が違うといえば私は信じる。
同様に、相手が自身をどれだけ真実であると称しても、自分の直感が違うといえば私は信じない。
その直感がどれだけ合っているかは分からない。
なぜなら、私は「似ている」ということも嫌がるし、それと間違えることも少なくないから。
結局、私はいいかげんな人間だということだろうが。


「真っ直ぐな人が好き」だと言った私に、かつて友人がこう言った。
「私は、真っ直ぐな人といると自分の歪みを実感せざるをえなくなるから苦手だ」と。
しかし、私は自らを歪みと言った彼女そのものが真っ直ぐな人だと思っていた。
真っ直ぐすぎて、ゆえに不器用で、歪んでいると見せかけられてしまう人。
そういう人もすごく好きで、ひょっとしたらそれは諸刃の剣なのかもしれないとは思うけれど。


理屈から脱して動くためには、当然自分の意志が必要となり、そこに逐一言い訳を求めていては何も前へは進んでいけない。
後悔を伴う、言い訳に依存しかけた生活は、しかしそれでも私を襲うことがあり、ゆえにそこから脱するための起爆剤となるかのような刺激を求めることもしばしばだ。
言い訳など関係なく、ただ自分の信じた道を行こうとする友人を必要とし、また大切だと思う理由は、自分勝手ながらこういう私自身の悪癖に求めることができるかもしれない。
ここでも結局「理由」なのだろう。
しかし、それは「言い訳」とは程遠い。
心地よい。


最後に。
この文章そのものがかなりの矛盾を含んでいる。
理屈ばかりで、どこに「動」の部分があるのか見えない。
単なる照れ隠しかと言われればそれまでのこと。
とりとめもない日記。
2003年04月27日(日)  東京
入社試験を受けに東京へ行った。
帰ってきたら疲れてしまって、日記を更新しなかった。
というわけでこれは思い出し日記。書いているのは28日。


私は、正直言って東京が好きではない。
都会の喧騒とでも言ったらいいのだろうか、人が多くて、多すぎて、誰が消えても分からなさそうな「他人」集団の雰囲気が苦手だからだ。
東京の駅を利用する人などは、東京に住んでいるとも限らない。
そう考えれば、きっと当然なのだろうけれど。


普段から歩くのが遅い私は、駅の改札口でしばしば戸惑う。
切符を鞄から出すことさえ間に合わないときは、いつも横に逸れて立ち止まる。
ゆっくり、次々流れていく人の波を見ていると、ふと自分1人が取り残されたような気がして怖くなる。
通過するだけのところ。
肩と肩がぶつかっても、一瞥もくれることなく歩いていく人がいる。
そういう人が多い気がする。
他人と関わることが嫌なのだろうか。


以前友人は、東京ではしゃぐ私を見て「幼いのね」と笑った。
私がはしゃいだ場所は、高いビルが立ち並んでいたところ。
ぽっかりと穴が開いたかのように、空が遠くまで見えた。
普段邪魔だと思っていたビルが、逆にそこにあることで空の高さを確認できたように思えた。
笑われて、少し悲しい顔をした私を宥めるかのように、友人は続けて「でも、そういう風にいつでも感激できるのは幸せなことよね」と言った。
その言葉は、静かな余韻を保ちながら、私をますます落ち込ませた。
きっと、この都市に生きるには、この都市を利用するには、そういう感激など無意味で、むしろ有害なのかもしれないと感じたから。
私には合わない場所なのだろう。


山手線で、杖をついて壁に寄りかかるおばあさんがいた。
ヘッドホンをして本を読んでいた私は、目を上げるまでそのことに気づかなかった。
いつからいたのだろう。
そして分かったのは、そのおばあさんに近いところに座る誰もが席を譲っていないことだった。
私は、少し離れたところに座っていて、だから声をかけるのも変かと思った。
それに赤面症なので、人前で「イイコト」をするのは嫌いだった。
少し悩んで、結局声をかけた。
でも、もうすぐ降りるので、と、優しくそして温かい感謝の言葉と共に断られた。
驚いたのは、そのおばあさんがまずは意外そうな顔をして、その後すぐに満面の笑みを浮かべたことだった。
意外だったのは、何だろう。
私?それともそういうことをされること自体?
京王線で同じことをしたときも、やはり同じような表情を見た。
真っ赤になって、周りを見ることもできないで、それでも私にはその表情が気にかかって仕方がなかった。


私は元々田舎で暮らすことが好きで、だから昔神奈川に住んでいたときも大きな街へ出ることを好まなかった。
渋谷から30分くらいのところに住んでいたのだが、渋谷どころか最寄の駅前へ買い物へ行くことすらあまりなく、家の近くの公園などで走り回るのが好きだった。
いつも泥だらけ、遊び疲れて9時には就寝。
だからだろうか、時折「今の子どもが分からない」などとぼやくのは。
きっと、今の子どもどころか当時同年代だった子どものことさえ分からなかったに違いない。
もちろん、それもこれも全ては一部のことなのだろうけれど。


東京にいるのは、昔から東京にいた人ばかりではなく、たまたま通りすがった人や進学・就職によって初めて来た人も多いだろう。
それなのに、どうして誰もが同じに見えてしまうのか。
効率的で、大きなビルはどこもかしこも綺麗で、熾烈な争いにおいて生き残るためだろうか店員の態度はどこへ行ってもよい。
便利で、他の都市にはないものがある。
それなのに、どこに個性があるのか分からない。
ああ、きっと語弊があるのかもしれない。
私は、東京ではなく基本的に大都市が嫌いなのだろう。


近頃、日記を書いていてもとりとめのないことが多くて、結局何を書きたいのか分からない。
ただ、それは日記なのだから当然だろうと自己弁護してみたりもする。
ともかくとして。


この国で人々は、シルバーシートに平然と腰かける。
車椅子用の駐車場に車を停める人がいる。
こういうことが普段から嫌で仕方がない。
そしてこういうことが繁栄の片隅でまるで影のように存在しているから、その分対照的で目につきやすいから、東京が嫌だと感じるのかもしれない。
色んないい面もあるけれど、まるで私の苛立ちを凝縮させたかのように悪い面もよく見える。
それは、人の数のせいでなおさら感じているだけなのだろうか。
それとも、都市もしくはこの国が持つ悲しみそのものの形だからだろうか。
2003年04月26日(土)  渦
水を一定方向にグルグルかき混ぜると、小さな渦になる。
それが例えば洗面台に貯めた水ならば、小石を落としてもすぐに見つかる。
けれど、もしもそれが大きな河や海だったならば。
確かに小石はあったはずなのに、きっともう見つかることはないだろう。
渦は、遠くでぼんやりと見ている分にはおもしろい。
しかし、時に飲み込まれそうで怖くなる。


イラクでの戦争が沈静化し、連日のようにあった放送が急に減った。
新聞を読んだ。
昨日の夕刊も、今日の朝刊も、一面トップは北朝鮮の核開発問題。
戦争の最中、「○人死亡」と数字で片付けられてしまっていた人々は、今はもう数字ですら表記されない。
ましてや大切な人々を失って悲しむ人の嘆きの声など。
歴史は、全ての人の叫びや祈りを含有することなく記述されていく。
事実だけが、淡々と。
そうでなければ、膨大すぎて書ききれないし、そしてきっと耐えられない。
全ての痛みを受け止めるなど、誰にもできるはずがない。


北朝鮮は、恐れられている。
話題は、その保有する核や金総書記など。
その地で生きる人々の情報はあまり入ってこない。
食事は満足に取れているのだろうか。
考えるばかりの自分を、私は時に軽蔑する。
言い訳がましく、安易に自己嫌悪という言葉を使いたくはない。


自分が悲しいと思うこと。
嫌だと思うこと。
辛いと思うこと。
それを他の人がそう思わないはずもない。
誰もが、幸せでありたいと願うのだろうから。
それを自分はある程度叶えられていて。
だけど、その違いはどこにある。
差などない。
同じ人間だ。
それとも私は、やはりお気楽主義なのだろうか。


歴史の渦の中に、飲み込まれてしまえば何も変わりがないけれど。
「こういう辛い運命の人もいたね」
そうやって片付けてしまうことが、どうしても狂っているようにしか思えなくて。
だけどどうしたらいいのか分からなくて。
飲み込まれたくない。
それは、私も他の人々も、同じこと。


タイの、少女売春に関する本を読んだ。
数ヶ月かかった。
途中で、辛くて読むのをやめてしまったからだ。
10歳にも満たないような少女が、ある日突然住んでいる地域から攫われて、強制的に性労働へ従事させられる。
解放しようと奮闘する人たちがいる。
しかしそれで生計を立てている人々は猛反発する。
それは私の住む「現実」とあまりにもかけ離れていて、別の世界の物語のようにさえ思えてしまう。
不謹慎ながら、そういう「現実」があるということに対し、実感がないというのが本音。


少女たちのことを思うと同時に、どうしてこういうことをしないと生きていけない人たちがいるのか、何がそうさせるのか、を考えてみる。
ただやめさせようとするだけでは、犠牲になる人が変わるだけで結局は何も変わらないのだろう。
奮闘する人たちの活動を読みながら、それでも悲観的に見てしまう。
もちろん、活動に意味がないだなんて決して思わない。
ただ、こういう仕事をしないと生きていけない人たちが世界の中にいて、それを買う人がいて、この社会の構造が変わらない限りは変わらないのだろうな、と。


いかにも優しい、いい父親として家族を支えているような人であっても、タイで少女を「買う」ことを正当とみなしている人がいるという。
しかもそれを愛だなんて称している。
私には理解できない。
だけど、買う人の中には日本人が多くいる。
日本人のためだけの通りまであるという。
この事実から目を背けてはいけない。


何を書きたいのかよく分からなくなってきたけれど。
渦の中に飲み込まれてしまえば皆一緒。
だからといって、それを望んでいる人なんていないはずだと信じたい。
ならばこの現実をどうにかするしかない。
私は、たくさんある「現実」のうち、どれに関わって生きていこうとしているのだろう。
2003年04月25日(金)  「心から」
言葉が形骸化しているなあと思う。
示す意味に恥ずかしくないほどの行動をしている、と、誰が断言できるのだろう。
それができる人に投票したいと思うのだが、生憎よく分からない。
選挙に関する話だ。


私が住む地域で行われる選挙が27日にある。
それこそ毎日のように宣伝カーが家の前を走る。
朝も夜も関係ない。
公職選挙法に定められた時間の範囲内において、彼らは大声で名前を連呼する。
住宅街に住んでいるせいか、よく回ってくる。
家の前と後ろを、別々の候補者が走っていることも多い。
自分もウグイスのバイトをやっていたことがあるからあまり文句を言ってはいけないのだろうが、そんな言葉では慰められないほどイライラすることがある。
下手な宣伝カーだと、名前の連呼や「心よりお願い申し上げます」といった常套句の繰り返ししかしない。
「心より」の「心」って、誰の「心」なのだろう。


自分がバイトをしていたとき、名前以外のことを言っていいかと尋ねたことがある。
そのとき、世話をしてくれていた人が言ったこと。
「主張を言って意味があるのは、ある程度認知されている人だけ。知られていない人は、とにかく名前を言うしかない」
まずはこういう候補者がいるのですよ、と伝えなければ話が始まらないということだろうか。
まあ確かにもっともなことではあるのだろうけれど。
聞いているほうはたまったものじゃない。
私がバイトをしたのは隣の市だったのが、自分の市の選挙の際にも手伝ってほしいと言われたとき、すぐに断ってしまった。
ずるいとは思うが、実家の近くに敵を増やしたくないというのが本音だった。


宣伝カーに対して不満を持つ人も少なくないだろう。
このことについて考えたとき、インターネットで少しだけ調べたことがあるが、「子どもが寝ついた途端に宣伝カーが来て起こされた」「ただの騒音でしかない、主張をしろ」といった意見が多くあった。
しかし、法律で定められている以上、腹が立ってもそれを妨げることはできない。
「地域の皆様のために頑張ります」と言っている張本人が迷惑そのものなのだから、やめればいいのにと思う。
だがそれができるならとうの昔にやっているはずだ。
「宣伝カーがある」ということから、意味をもっと考えなければならない。
これはただの推測だが、候補者本人もあまり好んでやっていることではないように思う。
お金はかかるし、自ら乗る人ならば体力も使う。
かといってやめれば他の候補者に遅れをとるし、他に名前を売る手段がない。
逆の立場を考えれば、やむをえない選択なのではないだろうか。


自分も含めてのことだが、宣伝カーが嫌だと言いながら他の方法を用いて自ら情報を集めようとする人がどれほどいることだろう。
駅前で演説をしているのを横目に見てそのまま通り過ぎたり、選挙管理委員会が発行している候補者一覧を見て、出身校が一緒だなどという安易な理由で投票したりしていないか。
「誰がやっても同じ」
こういった諦観が蔓延してしまっているからか、「意見を話せ」と言いながらその「意見」を聞こうともしない人が多い。


私は、上っ面の言葉が大嫌いだ。
正直、「心から」にはもう辟易している。
しかし、自分もそうなのではないかと思うと、とても恥ずかしい。
「意見を、主張を言え」という言葉そのものが上っ面かもしれない。
こういうことを考えているためだろうか。
宣伝カーが家の前を通り過ぎるたび、不快になるのだ。
2003年04月24日(木)  本
宮城谷昌光という作家が好きだ。
高校の頃彼の本を読み、単純ながら大学で中国史を専攻にしたいとまで思った。
彼の言葉遣いは、とても優しく愛情に溢れている気がする。
現代の日本に生きる私にとって、分からないことはとても多い。
祖霊に対する信仰の厚さや、天子が崩御した際の生贄といった事項は、どうにも理解できないのだ。
それでも、彼が描くのは歴史というよりもその中で生きた人々。
難解な漢字、文化、歴史に関係なく、惹かれる。


近頃、ずっと本から離れた生活を送ってきた。
「近頃」と言っても、ほんの数ヶ月ではなくて大学時代ほぼ全部といっていい。
どうしてか、活字に飢えることもなく私は、本を読むことをやめていた。
こんなに時間を自由に使えることは滅多にないだろうという大学時代、もったいないことをしたという思いはある。
ただ、私は、誰に強制されるでもない、自ら読みたいと思ったときが本を読む時期だと考えているし、たまたまそれがしばらく来なかったのだと思えばそれはそれでいいのかもしれない。
過ぎた時間を悔やんでも仕方がない。
それに大学では、本では学べない多くのことを学んだという実感もある。


今、何となく本を読みたいという欲求に駆られている。
その「何となく」が、きっと私には一番大切なこと。
そして何となく、一度読んだ彼の本をゆっくり読み直してみたり、まだ読んでいなかった本を読み始めたり。
高校の頃に受験勉強も放り投げて朝方まで読み耽っていたことがある。
平日だったので睡魔に襲われて、もうやめようと思いながらも同じことを繰り返した。
どうしようもなくなったとき、カバーを裏返して白くして、やっとのことで勉強に戻った気がする。
ふとそんなことを思い出しながら、改めて彼の本の魅力にとりつかれている今日この頃。


ところで彼の書く文章には、見たこともないような難しい漢字が用いられていることが多い。
一応ルビもあるが、数ページ進むともう分からなくなって前へ戻ってしまう。
最近平易な漢字を用いた文章ばかりに触れていたせいか、おもしろくもあるのだけれど。
それにしてもよくこんなにも多くのことを知っているものだと、読むたびに感心する。
そしてそれに独自の色をつけながら、人間味豊かに書き上げているところに彼の人柄が表れているのかもしれない。


今日は会社訪問のため、片道3時間電車に乗っていた。
就職試験用の本を読むのもつまらないので、今回は小説にしてみた。
あっという間の3時間。
駅についてから割と時間があったので、近くに公園を見つけてベンチで続きを読んだ。
読み終えて、とても穏やかな気分で会社に向かうことができたし、充実感があった。
やはり本は何となく読むのがいい。
その「何となく」で巡り合う本が良書なら、これほどの贅沢な時間はないのだろうな。
2003年04月23日(水)  報道
愛知県の会社役員が誘拐・殺害されたという事件。
計画的で、残虐な犯行。
これを行った犯人が、社会的にどんな制裁を受けてもそれは当然のことだと思う。
でも、報道の仕方には納得がいかない。
同じことを繰り返す可能性がないとは言い切れない。


もう何年も前のこと、松本サリン事件が起きた際、容疑者扱いされた人がいた。
どのメディアも、名前こそ出さなかったものの、その人が犯人だと断定するかのような報道を行った。
当時ただぼんやりと新聞を読んでいた私も、犯人が捕まったのだと思っていた。


全く知らない人間にとっては、誰であっても「見知らぬ人」であることに変わりがない。
ただその固有名詞が違うというだけだ。
関わりがない、ということは怖い。
どんなに残虐な事件が起こったとしても、無関心でいられてしまうから。
しかしその分、容疑の段階にある人を避けたり軽蔑したりということは起こらない。
それが誰であるかを断定できるような情報というのは、近隣に住む人間や何らかの関わりのある人間が知って初めて意味を持つ。


顔を出さない、名前を出さないなど、細かい情報を隠していても、住んでいる地域や役職、年齢などを出せば周りにいる人たちはそれが誰であるか分かる。
そしてきっと本人や家族にとって、一番知られたくないのはそういったごく身近にいる人たちだろう。
見知らぬ全国の人たちに名前を知られることよりも、それが何より恐ろしいに違いない。
それなのに報道では、親しい人たちだけが断定できるような情報を流す。
何の意味があるというのだろう。
「容疑者」と言いながら、実際にやっていることは「犯人」扱いだ。


松本サリン事件で容疑をかけられ、散々メディアに叩かれた人は、真犯人が捕まるまで地獄のような生活を送ったと聞いた。
自分の家に毎日のように報道記者が訪れ、自分が犯人のように書き立てられたらと思うと、脆弱な私の神経では耐えられそうもない。
彼は、訴えるのではなく「もうこんなことはしないで欲しい」と言った。
強い人だと思う。
だけど、今回の事件ではその同じことが起きているような気がする。
「同じ」でなくなるのは、彼らが真犯人であった場合のみだ。
細かい情報を伝えるのは、犯人が特定されてからでもいいではないか。


メディアは狡猾で、今回「事情を聞いている」とだけ示されている。
それならば、「知人二人に事情を聞いている」ということを報道すればいいし、役職や年齢まで書く必要がどこにあるというのだろう。
名前を伝えていないだけで、それ以外の情報はほとんど伝えてしまっている。
これだけ騒ぎになった残虐な事件。
報道側も入手できただけの情報を伝えたいという思いがあるのかもしれない。
しかし、それで間違いを犯すことがあるということを、これまでにも何度となく経験してきているはずだ。
反省の弁がつらつらと並べられるのは、それが冤罪だと分かった場合のみ。
本当に犯人であったなら、そらみたことかと胸を張る。
こんなことの繰り返しでは、たとえ今回起こらないにしても、どうせいつかまた同じことが起きる。


失敗が起きるたびに、「もうこういうことを繰り返さないために」と言っていかにももっともそうな言葉が並べられる。
過去ばかり見ていて先へ進まないのは確かに問題だと思うけれど、だからといって毎回反省して終わらせる構図では、誰も救われない。
「次は」という言葉を繰り返したところで、その「次」が「今」だと思う姿勢に欠けているのではないか。


今回や、松本サリン事件の場合ばかりではなく。
きっともっとたくさんこういう報道のなされ方は続いているのだろう。
今事情聴取を受けている二人が真犯人だったとしたなら、きっと何も問題にはならない。
誰も何も気にすることなく、社会の中でのこの事件は終わる。
違えば大騒ぎになるだろうが、以前同様の反省を聞くだけだ。
「疑わしきは罰せず」というけれど、メディアがこういう報道の仕方をしているのであれば、法的な裁きを受ける前に、社会的な罰を受けてしまう。
そしてその「疑わしい」人たちの家族が今どんな思いをしているのかと思うと、居た堪れない。


私は、「犯人」に同情しているわけではない。
「犯人」だと、確実に特定されたならそれはそれで構わない。
「関与した疑いがある」という段階なのに、身近な人たちに誰だか特定されるレベルまでの個人情報を明かしてしまうという、報道の仕方に腹を立てているだけだ。
2003年04月22日(火)  山
今日、近くの山に行った。
理由は特にない。
大学の事務に用事があったのだが、家を早く出すぎてしまい昼休みの時間に着きそうだったため、ただ緩慢とした時間を構内で過ごすよりは、春の山で過ごした方が楽しいかと思った。
ただそれだけのこと。


突然進路を変えて山に行くということを私はしばしばするので、あまり抵抗感もなく進む。
ぼんやりと旧家の瓦の屋根を眺めながら運転していたら、いつの間にかいつも通る道を通り越してしまった。
私は来た道を戻るということが嫌いだ。
時間がないときならいざ知らず、何となく時間を潰そうとしているときに道を間違えたからといって戻るほどつまらないことはない。
せっかくなら、別の風景を見たいと思う。
結局、見知らぬ道をしばらく走った。


山の麓に至るまで、初めての田舎道を進む。
地図も見ずにふらりと気の向くままに進んでいると、目的地へたどり着いた。
たまに、戻らなかったがゆえに平気で100キロほど迷ってしまう私。
今日は幸運だったらしい。


いつも、何かのついでや寄り道がてらに山へと向かうせいか、格好がどうにも似合わない。
周りには、登山服姿の老夫婦が多い。
ジーンズに春物のシャツ、トートバックにヘッドホン。
そういえば数ヶ月前にも同じことをやった気がする。
またしても妙に浮いてしまった。


もう散ってしまった梅林の方へと足を向ける。
葉桜が少し残っていて、春の日差しの中をはらはらと舞う。
梅の姿はさすがに見えるはずもない。
昼間だというのにほんのりとした暗がりが行く手を塞ぎ、ヒヤリとした空気が待ち構えていたもので、また今度と言って引き返してしまった。
以前別の山へ行ったとき、女の山道1人歩きは危ないと、カキ氷屋のおじちゃんに忠告を受けたことを思い出したためだった。
来年、梅の花が咲く頃にまた訪れようと思いつつ。


山の上を、雲が流れていく。
ただそれだけのことなのに、その場にいられる自分を喜ぶ私はやはり能天気なのかもしれない。
遠くから見るのもいいけれど、山はそばで空気を吸いながら眺める方がいい。
こういう気持ちを共有してくれる人がいたらどれほど幸せだろう。
大学を卒業したら、友人たちも私も、それぞれ忙しくなってしまうに違いないだろうけれど、その前の今度また晴れた日に、誰かを誘って来てみようかなと思った。
2003年04月21日(月)  郵便
最近すっかり普及したメール。
これを「電子郵便」と表現する場合があるらしい。
正式な名称であるかどうかは分からないが、少なくとも、こういう表記をしているHPに出くわすことはよくある。


私としては、どことなく「違う」という印象を覚える。
同じ平面でも、本物の郵便物の方が温かみがある。
メールでは、文章の内容しか伝わらず、筆跡から相手を想像することすらできない。
私も字のうまい方ではないので、このことは救いといえば救いなのかもしれないが、無機質な手紙の交換は、どこか寂しさを伴う。


パソコンで書いた方が、手で書くよりも確実に早い。
手で書いていると、考える速度には絶対に追いつかないが、パソコンなら多少は健闘してくれる。
それでも、どうしてだろう。
例えば手紙を断ち切る気にはならないが、メールならそれができてしまう気さえする。
平面上での、幻のようなやり取りだからだろうか。


今私は、パソコンのディスプレイの前に座っている。
目は、その画面を見ている。
何かを表現するとき、自分の一部がここにいるかのような錯覚。
だが、一歩外へ出ると、この薄い画面の中に自分がいるはずもないと思う。
何も書かなくても、何も表現しなくても、外の立体空間の中で手を伸ばす時間があれば私は自分を確認することができる。
三次元の中に生きている自分にとって、この二次元は不思議な空間。
我が物とした小さな場所をいとおしくは思えども、それで満たされないのが現実。


肌を撫でていく風が、どんな温度でどんなタイミングでどんな表情だったかと、いくら考えたところで言葉で表すことができない。
「電子郵便」で何を伝えたいと思っても、春の暖かな日差しと冷たい空気が共存していることをどう表へ出していけばいいのか分からない。
ひょっとすれば手紙なら、それを伝えられるかもしれないと思うのに。
それと同時に、元々言葉が三次元ではない以上、思いのままを伝えることだって無理なのかもしれないとも思う。


何かをそのまま映し出そうと願うこと自体、間違っているのだろうか。
少なくとも、私には何かをありのまま表現する手段はないし、だからこうやって今何かを書こうということそのものが矛盾しているのかもしれないけれど、それでも妙なところ頑固な私は、今日も批判をしながらこの薄い画面の前で何かを吐き出しているのだ。


それでもやはり、「電子郵便」よりは郵便の方が好きだなという思いには変わりがないのだけれど。
2003年04月20日(日)  夢
夢といっても、将来とか希望という意味ではなくて。
眠るときにみる夢のこと。


最近、妙にリアルな夢をみる。
それも、きまって悪夢だから嫌になる。
選挙の宣伝カーが次から次へと家の前を通るせいだろうか。
そんな八つ当たりをしてみたり。


近頃よく本を読む。
読みながら、気がつくと頭の中でそのシーンを思い浮かべてしまう。
正直、あまりそれが好ましいとは思わない。
美しいシーンならまだしも、残虐なシーンであっても浮かんでくる。
自分が経験したことのないものを鮮やかに頭の中に「再現」するというのは、どこかしら滑稽でもある。


血が噴き出すような場面は、できればあまり読みたくない。
それでも、病院に絡んだ話や戦争の話を読むことは多い。
そういえば、悪夢はほとんど読んだ話の中に出てくるようなものばかり。
どれだけ泣き叫んでも、私は普段なかなか夢から覚めない。
一晩のうちに、何度も嫌な夢にうなされる。
浅い眠り。
それなのに、どうしてか目が覚めないからうんざりする。


起きたときぐったり疲れていると、疲れをとるためにまた眠ろうとする。
いかにも馬鹿げた話である。
2003年04月19日(土)  実習
教育実習の指導教官が決まった。
私は母校で実習をするのだが、昨日その通知が来た。
高校2年のときの担任。
苦手だった人だ。
ある程度予想はしていたものの、やはり溜息が出た。


彼は、自慢話が大好きな人だった。
忘れもしない、2年最後のHR。
順風満帆な彼の半生をみっちり聞かされた。
ご丁寧に年表まで書いてくれた。
残念なことに、頭に残ってしまった。
しかし、何の参考にもならない。


いつも、生徒を個人として見てくれなかったような気がしていた。
彼にとって重要だったのは、模試やセンターの平均点。
生徒にとっては、平均などどうでもいいことだ。
「○○高校を抜かしましょう」
うんざりしていた。
今思えば子どもじみた反抗だったけれど。
私は、彼に褒められた次の試験で、偏差値を10以上も落とした。
声をかけられることがなくなった。
ほっとした。


私が通っていた高校は、地元ではちょっとした進学校だった。
母校に教育実習へ行くのだと言うと、同じ高校出身の友人に「バカにされるよ」と言われた。
そういえば自分が高校生の頃、どんな風に教育実習生を見ていただろう。
とりあえず、妙に冷めた目をしていたような気がする。
当時の私は、自分が教員免許を取るなどと考えてもいなかった。
ましてや、あの教師とまた話すことになるとは。


彼の授業は、とても分かりやすかった。
知識も豊富で、勉強熱心。
彼についていけば、よい成績が取れることは誰が見ても明らかだった。
だが、どうしても性格だけは好きになることができなかった。
幼くて頑固だった私は、頑張りたくなかった。
褒められると、彼の自慢話に貢献しているような気がしたから。
今以上に、器用じゃないな。


次は、教える立場。
子どもっぽい意地で、高校生に迷惑をかけることはしたくない。
それがたとえ、自分と同じ目をした高校生であっても。
忍耐の3週間になりそうだ、と思いつつ、前とは違う目線から物事を見ることができる機会に恵まれたことは、幸運なのかもしれないとも思う。
わずか3年の月日。
でも、その3年の間に、私はどれだけ変われたろう。
彼は、どれほど変わったろう。


あと1ヶ月で教育実習だ。
2003年04月18日(金)  月
月が、ぼんやりとしていた。
手を伸ばすことなく届くような気がした。


車の窓、全開。
強い風に流されて、髪が顔にまとわりつく。
カーステレオのボリュームを上げる。
坂道を下るとき、対向車のライトが眩しくて視界が悪くなった。
まるで、先の見えないジェットコースターに身を預けているかのよう。
こんなことじゃ、本当はいけないのだろうけれど。


手を離したい衝動に駆られる。
心静めて、ミラーを見るフリをしながら背後に浮かぶ空を吸い込む。
現実に引き戻されるのは、信号を待つときだけ。
暗い田園風景の中、ゆっくりとアクセルを踏み続けた。
窓を開けているので、あまり速度を上げることなく風を感じる。
後ろの車が、近寄ってきた。
制限速度を守る私に、少しイライラし始めたようだった。
窓を開ければいいのに、などと届くはずのない独り言を投げる。
暑いくらいの春の夜。
昨夜テレビが、五月下旬の気候だと言っていた。


信号の赤いライトに照らされながら、ギアをニュートラルに入れて待つ。
田舎道、長い長い信号。
大丈夫、時間はたっぷりあるのだ。
空を見上げると、ただでさえほのかな明かりの朧月夜、月が申し訳なさそうに佇んでいるのが目に入る。
ふと、青い光が顔を差す。


このまま空へと溶けたいと、坂道を走りながら目を閉じようとする私を月が見守る。
冷たいわけじゃない、だけど静かな目線。
そして結局は今日も、私の足は地面を踏む。
ジャリ、と、コンクリートの上の砂の音。
ここは空じゃない。
確認しながら、今日も何かに勝った気分。
意味もなく楽しくなる。
こういうことの繰り返しが、私にとってはひどく心地よい。
だから、空へ溶けること、本当はまだ望んでいないのだろう。
それは、願わくばもう何十年後かに。


月の夜の戯言。
儚い時間の繰り返し。
優しさに溢れた空間を積み重ねて、悲しみを置き去りにして、今ここにいることが嬉しい。
年をとることは嫌じゃない。
今日、冗談で学年を誤魔化した。
でも本当は、そんなことどうでもよかった。
2003年04月17日(木)  流
あれだけ世間を騒がせたイラク問題が、一段落したとみえる。
新聞では、一面記事に「北朝鮮」という言葉が踊る。
まだ何も始まっていない。
だから何も終わっていない。
「やれやれ」と肩を落として緊張を解き始めた世界を見て、大切な人を失われた人々や傷を負った人々は、何を思うだろう。
もちろん、その場にいる人たちが緊張を解いているとは思えない。
ニュースを伝える各メディアが落ち着いてきたとも思えない。
だが、しばしば思うこと。
この国では、何かが一段落したと思ったら、忘れるのが本当に早い。
それが解決したかどうかではない。
「流行」とどこかが同じ。
形の見えない、定義できない「一般大衆」の傾向であるからなお悪い。
自分だけは別であるなどと、自己弁護するつもりもない。
「一般大衆」の一人。
誰もが「自分は違う」と言ったなら、どこにも「世論」がなくなってしまう。
そしてそれでもそこにある「世論」は、誰が責任を負うこともなく暴走するというのだろうか。
「無責任」の始まりは、ほんのちょっとした言い逃れから始まる気がする。


「ダイオキシン」「環境ホルモン」「温暖化」「水質汚染」「産業廃棄物」
これらの言葉は、「流行」となって去らなかっただろうか。
何が解決したのだろう。
それなのに、テレビをつけてもこういう話題を今ではもうほとんど見かけない。
人や資源ばかりではなく、問題までもが使い捨て。
話題にならなくなった途端、それが過去となるのは異様。
以前隣に住んでいた留学生が言った。
「日本は、朝見ても夕方見ても、同じニュースを繰り返しやるのね」
「バラエティは確かにおもしろいけれど、どこの局を見ても同じに見える」
「ニュース専門のチャンネルはないの?」
そうですね、と同意しながら、何も反論できない自分がいた。
集中的に同じ話題を取り上げ、飽和が来ると消え去る。
そんなことの繰り返しが、現在形であるのはずの問題を過去へと葬ってしまうのだろうか。


考えるべきことが多すぎる。
だけどそれを言い訳にして、流れ流れて結局何もかも置き去りにしていくなど、あまりにも馬鹿げているような気がする。
そして時折、忘れていることさえ忘れてしまう自分。
新聞記事を読みながら、遠いイラクの空を思った。
2003年04月16日(水)  身体
身体が、こんなにもよくしゃべるものだとは思わなかった。
研ぎ澄まされた空間の中、音も立てずしなやかに動く。
幻影か。
動いた身体を目で追っては遅れてしまう。
「個」など、どこにもなかった。
切り離して感想を述べるほど無粋じゃない。
ただその空間全てを、そのものとして捉えるので精一杯だった。
その場所では、音も声も息づかいも、全てが身体を引き立てる飾りにすぎない。
幻のように過ぎた時間。
身体が、こんなにもよくしゃべるものだとは思わなかった。
表情すらも、いらないところ。


大学の講堂で、ダンス部の公演を見た。
「感想をお願いします」
そんなこと言われても、言葉が出てこなかったのだからしょうがない。
むしろ、言葉で表現したら今感じた全てを空中に放出しかねない気がした。
だからほとんど何も書かずに出てきた。


私の通う大学のダンス部は、とてもレベルが高い。
以前テレビに出ているのは観たが、目の前では、これが初めて。
いつも、行こうと思いながら行きそびれていた。
今までどれほど損をしたことか、そう思いながら、今日観られたことが嬉しかった。
教えてくれた友人に感謝。


私は、日常においても多弁だ。
言葉に頼りきってしまっている。
だが、言葉を使えないときには、表情を使う。
両方を使えないときには、手を使う。足を使う。
普段、あちこちで見られる光景に違いない。
鍛えられた身体で、洗練された動きになるとああも違うものか。
身体だけで、あれほどまでに多くを伝えられるのかと思ったら、全身が震えた。
各プログラムの冒頭に入る解説の言葉さえ、消してほしいと思った。


言葉は私の中から出てきた廃棄物。
劇団の先輩が、以前「芝居は僕の排泄物」と表現していた。
その意味が、最近になってやっと分かってきたような気がする。
私という人間がいて、それ以外の事実がなくて、なのにあえて出てくる言葉。
悲しいことに、私は他の方法を知らない。
感覚的に分かったところで、それを実現できるかどうかは別の問題。


私は、空気や、雰囲気や、目や、身体や、そういうものの使い方が未だにうまくいかない。
吐き出した途端に宙へと消えていく言葉は、その瞬間私の中から失われる。
だから、ネットなどで言葉を吐くことに対しては抵抗がない。
ここは、私が言葉を捨てる場所。
消しきれない顕示欲を満たし、いらない自分を捨てる場所。
捨てたものに、誰かが重ねて同じ思いを捨ててくれるのなら、こんなにも嬉しいことはない。
そう思いながら、毎日何かを吐き出しているんだろう。


普段の生活の中で、言葉を発さずに会話できるようになりたい。
だけどそれは理想。
理想はいつだって遠くにあって、手を伸ばせば、ゆるやかに解けて空へと溶けていく。
2003年04月15日(火)  年齢
年齢など、単に自分を紹介するときに使う言葉の一つに過ぎない。
大学に入学してくる1年生などを見て、私はしばしば「若いよね」などと言う。
でもそれは、何となく周りと話しているうちについた口癖のようなもの。
我ながら変な口癖だなと思う。


ある年齢を聞くと、各自が自分の中にある年齢イメージをそれに付き合わせる。
そしてそのイメージで相手を判断し、「幼い」とか「老けている」とか色々言う。
「人それぞれ成長の速度は違うものだ」
そう言う人でも、多くは、例えば30歳前後の人がまるで思春期にある人が抱えているような問題で悩んでいると、「幼いね」と、当たり前のように評価する。
それとも、私が持っている変な口癖のようなもので、思わずとも口に出てしまうだけなのか。


私は、しばしば実年齢よりも若く見られる。
同い年の人にまで高校生と間違えられるとき、一般に言う「大学生」のイメージとはどのようなものなのか、具体的に知ってみたいと思うことがある。
抵抗感を覚えることがないとは言いがたい。
ただ、そういえば高校生の頃には中学生と間違えられていたから、単に外見年齢の成長が他の人より3年ほど遅いだけなのかもしれない。
将来は得かもしれない、と、ぼんやりと思う。


そういえば、年齢とは不思議だ。
学校に在籍しているうちなら、学年もその一つ。
生まれたときのことなどほとんどの人が覚えていないはずなのに、それが1年やら2年違うというだけで、敬語で話したり敬ったりする。
中学生や高校生の頃と比べたら、最近はそんなこともほとんどなくなってきたけれど、それでもやはり変な感覚。
年齢が上だというだけで尊敬すべき点がないのなら、私はその人を「先輩」と呼びたいとは思わない。
年齢が下でも、尊敬できる人ならいくらでもついていく。
誰もがそう思うであろう当たり前のことかもしれないのに、表に出される年齢や学年という名の数の割り当てによって、それが阻まれる。
実際のところは、そういう生活に慣れているし、特に波風立てたいわけでもないから流されるままでいるけれど。


なぜ今さら年齢についてなどをわざわざ書こうと思ったのかというと、最近ネット上にある精神年齢鑑定のようなものをやったからだ。
時折遊びに行くHPで紹介されていて、何となくやってみたのだった。
私は、こういう結果を信じていない。
ただ、結果を見て思わず笑ってしまった。
「精神年齢33歳」「知能年齢47歳」
…あんな少しの設問で、私の何が分かるのだろうと思いながら、この他にも出ていた全ての結果において実年齢より上になったことで、微妙な気分にもなった。


専攻のこともある。
心理系のテストを受け慣れているため、結果が歪んでしまったのかもしれない。
そもそも信じていないのならば、歪もうと歪むまいと関係ないのだろうが。
ただ少なくとも、このようなテストはネットを探すと色々あるらしいし、人がこういうものを好む理由はどうしてなのだろうと思った。
年齢とは、生まれてからの年数にすぎないのに、これほどまでに人(むしろ日本人と言うべきか)の関心を引きつける。
不思議なものだ。
そして、それに影響を受けてこのような文章を書いている時点で、私もその1人ということなのだろう。


矛盾を感じるとき。
例えば、坂本竜馬を好きだという年配の人が、自分より随分若い人の意見を「甘い」もしくは「若い」と一刀両断にして、受け付けないこと。
きっと、竜馬を知ったときの年齢が、竜馬より若かったに違いない。
そういう人にとっては、追い越しても、竜馬の年齢は常に上のまま。
「好き」という言葉だけが残ってしまったのだろう。
2003年04月14日(月)  窓
昨夜、サークルの友人に誘われて花見に行った。
久々に、同級生ばかりではなく先輩や後輩にも会えた。
他愛もない話をしながら、同じ場所で3度目の花見。
このサークルに入ってから、毎回行っている。
葉桜になりかけている日の夜、他には誰もいない。
大きな桜の木の下、風が吹くたびに雪のような、柔らかな花びらを全身に浴びる。
幻想的な雰囲気。
毎年、特等席のような場所。


友人と、今度の進路について話をした。
友人は、自分の望む進路を家族に猛反対されていると言って悩んでいた。
私は最近、求人しているかも分からないような小さい企業に直接連絡をとるようになった。
お互いに器用じゃない。
「とりあえずどこかに」
そんな選択、今さらしたって意味がない。
桜の木を眺める時間も放って、私たちは話をした。
話をしたからって何かが解決するわけじゃない。
ただ、自分の選んだ道はこれなのだと、お互いに言い聞かせるかのようだった。
支え合うことしかできないけれど、これからもそれができたなら、と思うばかりで。
昨夜のこと。


最近、風も春の陽気を帯びてきた。
桜が散っていくことには、いつも寂しさが伴う。
でもこれからが春本番。
窓を開け放し、入ってくる風を体で感じる。
思わずベランダに出て、いつもと同じ、だけどどこか違う風景を眺める。
夕暮れを迎え、春のうららかな一日が終わりを告げる頃、青い空が夜の帳に吸い込まれていく。
目を閉じて、そのまま夜に溶けていけたならと思う。
春は、昼も夜も、家の中にいることがもったいなくなる。


来年の春、同じ木の下で花見をすることはないだろう。
ただ、春の幻の中に消えることなく、また友人と一緒に話ができたなら嬉しい。
願わくば、次はお互いにもう少しだけ器用になって。
2003年04月13日(日)  日記
またしても日付がずれてしまっているけれど。
12日の日記。
今、久しぶりに酒を飲んで少し酔っている。
こういうときは何も考えずに済むから楽だ。
というわけで、今日は出来事記述だけの日記。
でも、明日になったら訂正したくなりそうな気がする。


今日は、祖父と弟がそれぞれ自分の家へと帰ってしまった。
両親と私だけの家は、急に静かになった。
皆それぞれの生活がある。
寂しがっていないで、私も私の生活を頑張ろうと思う。


午前中、愛車の定期点検に行ってきた。
コーヒーを入れてもらい、のんびりと雑誌を読んでいた。
いつも見てもらっているダイ○ツは、いつ行っても接客態度がいいので好きだ。
なのに、最近大学近くのレンタル店で偶然借りてきたCDが当たりで、調子に乗ってボリュームを上げていたら、声をかけられてもしばらく気がつかなかった。
何となく、悪いことをしたような心持ち。


点検が終わって帰り道、家の近くの古本屋に寄る。
古本屋、といっても、以前書店であったところを改装したそこは、新しい本がズラリと並ぶ。
本のリサイクルショップ、と表現した方が適切だろう。
ともあれそこは、ハードカバーの本でも100円で売っていたりするので、行くたびなかなか帰れない。
今日も、文庫やら新書やら絵本やら、と、不審者に思われないか不安になるほどウロウロしていた。
特に、深く帽子をかぶっていたのがよくないかもしれない。
それでも私の場合、結局はあまり気にすることなく店内をうろつくのだけれど。


今日はハードカバー1冊、文庫2冊、花の本1冊購入。
ハードカバーの本は、珍しく100円ではなく800円もしたが(まだ新しかったからだろう)、立ち読んだ冒頭に惹かれて思わずレジへ持って行ってしまった。
ちなみにその本は、帰宅後すぐに読み終えてしまった。
時折こういう「読んでよかった」と思うような本に出会えると、たまらなく幸せな気持ちになれるからいい。
800円でも安かったな、と1人喜ぶ。
文庫は、まだ読みかけ。
楽しみを取っておくのもいいものだ。
花の本は、色鮮やかで春が溢れていて、名前をほとんど知らない非常識者の私にはちょうどいいかもしれないなどと考えつつ購入。
絵本を買おうかと思っていたけれど、花の本がすでに十分絵本の替わりをしてくれる。
得な買い物をした。
些細なこと。
でも、幸せだなと思ったり。


夜になってパソコンの電源を入れたら、昨年お世話になった大学院生からメールが来ていた。
「元気ですか?卒論で困ったことがあったら遠慮なく質問して下さいね。今度飲みましょう!」
研究室も違うので、疎遠になってしまわないかと心配していた。
ちょっとした心遣いが嬉しい。
そろそろ本気で卒論取り掛からねば、という焦燥感にも駆られたことは否めないけれど。


今日読んだ本は、「生きる」ということがテーマに扱われており、重くもあった。
でも、今の私にはこういう小さな幸せの積み重ねを生きる意味とするしかないような気がした。
一生かかっても答えの出ないような問いに頭悩ませるより、今をどう生きるか考える方が有用なときというのは多い。
楽観主義者か、はたまたこの刹那しか見えていないのか。
しかしどちらであっても、大差ないな。
いつだって、自分が生きていく上で、立派な定義などたいして問題にもならない。
それとも私は、自分の能天気さを喜んで生きるべきか。


遠くの地では、今この瞬間にも悲しい出来事が多く起きている。
見えない引き金を自分に向かって引くより他に、今自分には何ができるだろう。
シトシトと雨の降る今日、「戦争反対」を唱える選挙ポスターを見ても、生憎と虚しさしか覚えなかった。
世論の気に入るよう準備されたものではなくて、候補者自身の言葉を聞いてみたいと思うのに。


まだ酒の酔いが醒めない。
最近飲んでいなかったせいだろうか、コップ半分程度のアルコールだというのに。
頭がクラクラしてきたので、これにて終了。
やはりこういう状況のときに日記なんて書くもんじゃないな。
少し反省しつつも、面倒なのでそのままアップ。
…それにしても支離滅裂。
2003年04月12日(土)  弟
珍しく午後のうちに寝ようかと思ったので、先走って明日の日付の日記を更新。
そもそも昨夜二日分まとめて書いてしまったのがいけない。
しばらく日付がずれてしまいそうな予感。


「さとって少しブラコンじゃない?」
以前友人に尋ねられた。
「あー、そうかもね」
そのとき私は、否定するどころか普通に肯定した。
二つ年下の弟。
最近東京で一人暮らしを始めたが、自宅にいた頃はお互いの部屋に行っては他愛もない話で騒いでいた。


弟と私は、同じ両親から生まれたものの、全く似ていない。
顔も性格も趣味も正反対だ。
大きな目の弟と、小さな目の私。
理科や数学が好きな弟と、国語や社会が好きな私。
そして私は、いつだって勝てなかった。
成績、スポーツ、容姿。
その上、怒りっぽい私に比べ、滅多にあの子は怒らない。
幼い頃は、コンプレックスの塊だった。
自分にないものを、同じ姉弟なのに持っているあの子のことが羨ましくて仕方がなかった。
そのせいか、喧嘩を吹っかけては親に怒られた。


だけど月日流れて、今は、努力家の弟を尊敬している。
自分にできないことをきちんと自覚して、それを補うための努力をする弟。
あの子にあって私にないもの、そして私にあってあの子にないもの。
それが姉弟なのにとかじゃなくて、別の人間なのだから当然の違いだと思えるようになったのはいつの頃からだったろう。


かつては私の肩くらいまでしかなかった身長が、いつの間にか逆になった。
そんな弟も、今春から大学生。
男の子ゆえの家族の期待やら、一人暮らしを始めての大変さやら、色々あるとは思うけれど、姉としてはこれからの大切な時間が充実したものとなるようにと願うばかりで。
自分のやりたいように、望むように、素敵な大学生活を送ってほしい。
2003年04月11日(金)  桜
近頃この国では、夜に桜が泣くらしい。
月と話ができぬという。
夜空に映えぬと嘆くという。


漆黒の闇の中、妖艶な光を醸し出し、かつて桜は恐れられそして愛された。
街灯のない田舎道、桜に出会うと決まって身を小さくした。
桜の下に何かが埋まっているなどいうフレーズを、当時の私は知らなかった。
ただただ闇の中に浮かび上がる桃色の発光体が怖かったのだ。
発光体。
そう、確かに遠くない昔、桜は光っていた。
月の光を反射するそれは、美しすぎた。
春の夜の戯言と、幻。


今も時折、月と語らう桜の姿を見かけることがある。
全身で柔らかな光を集めて、笑う。
その笑い声に、思わず早足になる。
しかし。
近頃、明るすぎる電灯の下で、夜の来ない街の中で、酒を片手に騒ぐ人々に囲まれ、桜は呼吸ができぬらしい。
そういえば、夜道を歩けばあんなにも存在感のあった桜が、街の小さな街路樹になってしまっているのを見かける。
迫ってくるような力も、感情を喚起させ高鳴りを誘うことも、ない。
街の凡庸な人工物質に囲まれた桜は、それと同化し、申し訳なさそうに隅っこで膝を折り佇む。
飾りか客か。
春の主役たる威風を、どこぞへ置き忘れてしまったかのようだ。


月もまた、その光を一身に集め輝いていた友を失い、空から寂しげな表情で視線を投げている。
眼下には、人工の仄かな、されど月よりも明るい光が桜を照らしている。
かくて桜と月は、分かたれた。


近頃この国では、夜に桜が泣くらしい。
月と話ができぬという。
夜空に映えぬと嘆くという。
そしてそんな桜を眺めながら、時折胸を撫で下ろしつつ女が一人、横を通りすぎていくのだ。
2003年04月10日(木)  会話
英会話に通っているのだが、私が行く時間はいつも夜だ。
夕食も早々に済ませ、慌てて教室へと飛び込んでいく。
今日は少し遅れてしまった。
恐る恐るドアをノックすると、"Hello"と明るい声がかかる。
先生は、クラスが始まっているにも関わらず、名前を呼んで笑顔で声をかけてくれた。
ただそれだけのことなのに、嬉しい。
もっと、自分の知らないことを知っている人たちとたくさん話したい。
そのための手段として、言葉が必要なだけ。
根本的なことを、言葉を学びたいと思う動機を、学びに行っているのだと思う。


「就職活動のためですか?」と、入学当初日本人の先生に聞かれた。
「違います、それはどうでもいいんです」
言い切った当時の私は、周りから見たらなかなかの変人だったに違いない。
話したいことがあるのに話せないという経験が、私の背中を押した。
アルバイトで貯めたお金は、すぐに吹き飛んだ。


その割に、暗記の苦手な私は英語が上達しない。
雰囲気や表情を見ていると、知らない単語があっても多少は分かる。
でも、理解や聞き取りができても、自分が話すとなると言葉が出てこない。
思わず、身振り手振りになる。
しかし、言葉だけで済ませてしまえる日本語を使っているときよりも、真剣に相手の目を見ながら話を聞くし、表現も全身で行うからおもしろい。
日本語なら、体で言葉を話そうなどとは思わないから。
単語は少しずつ覚えていけたら、と思う。
高校の頃までのように、義務感で覚えるのはもうたくさん。


今日、休学届けを出してきた。
理由は、教育実習と就職活動。
二ヶ月間休むということを先生に伝えると、「寂しくなるな。でも、教えてくれてありがとう。頑張れ」と言ってくれた。
私は趣味で通っているだけなので、就職活動期に行かないことは別に困らない。
それよりも、急に行けなくなったときのレッスンの方がもったいないなと思った。


言葉を学ぶことは、私にとってとても苦手なこと。
できれば日本語だけで全て解決してしまいたいと思うことも多いのだが、伝えたいことや尋ねたいことが多くあるのに、言葉を知らないというハードウェアの部分でそれが叶わないのは残念に思う。
だから自分のペースでこれからも頑張ろう。
二ヵ月後まで、楽しみはしばらくお預け。
2003年04月09日(水)  痛
分からない。


戦争を報道するテレビ番組を、祖父と一緒に見ていた。
夕方くらいの日本テレビだったと思う。
今日記者が爆撃で死亡したというニュースが流れたが、その際の映像が放映されていた。
叫ぶ女の声が耳につく。
血まみれで倒れている人。
見つけた人々が、次から次へと救援を求めて人を呼ぶ。


戦争が、今現在起こっているのだ。
血に染められた取材用カメラが映っている。
その現場を目の当たりにした人間の表情。
それでも、何を見ても、私には分からない。
誰だっけ、命は平等だと言った人は。


捕虜になって救い出された女兵士。
美しい容姿のこともあり、彼女のことはアメリカの各メディアが取り上げているという。
ハリウッドで映画になるのではないか、ともテレビでは言っていた。
何でも商売にするのだな。
それが悪いとは言わない、誰だって生きていかねばならないのだから。
綺麗事ばかりじゃ、生きていけない。
そんな世の中なのだから。


だけど思う。
一人の人間のために、一人の傷ついた人のために、一人の亡くなった人のために、一人の恐怖を体験した人のために、一人の家族を失った人のために、泣けるくせに、数になってしまえば忘れてしまう。
「今日兵士が○人死亡」「市街地へ誤爆」
そういう見出しを読んで、数になってしまった一人一人のために誰が泣くというのか。
全ての痛みを自分の中に入れたなら、きっと心は壊れてしまう。
だから、数としてとらえるのだろう。


同じ「ミス」でも、誤爆は一行、医療ミスは一面に。
分かっているはずのこと。
分からなければならないのだろう。
誤爆によって殺された人々、一人ずつについて書くことなどできやしない。
だけど、銃を持つ人には、できればそういう一人ずつの顔を思い浮かべてほしい。
そしてメディアには、「死亡」と書かないでほしい。
「被害者」と書いてほしいんだ。
好きで死んだわけじゃない。


分かっているはずのこと。
だけど分からない。
分かりたくない。


テレビ報道を見た後、近所の家へ釣ってきたフナを見せてもらいに行った。
庭に水をためて、どう飼おうか相談していた。
くいくいと動く姿がかわいい。
でも、この後どうなってしまうのだろう。
そう考えていたら、周りの人たちは口々に冗談めいてそのフナの調理法について話し始めた。
おばちゃんが、「すいすい泳いでいるのに、頭の上でそんな相談していたらかわいそうよ」と言った。
そのうち、人間の言葉など分かっていないであろうフナに対しても気を遣ったのか、いつの間にかその話は終わり、餌は何がいいだろうという話に変わっていた。
冷たい雨の中、フナは今までいたはずの水路ではないことに気づかないのか、心地よさそうに泳ぐ。


命だけは、平等?
誰か、本気で私にそのことを信じさせてくれ。
何が本当なのか、時折分からなくなる。
2003年04月08日(火)  ハウス
栃木の祖父母の家へ遊びに行った。
私の住む家からは50キロくらい。
祖父母の家はトマト農家。
今ちょうど収穫の時期で、祖父母は朝からトマトちぎりで忙しいらしい。


祖母が、真っ赤なトマトを一つ、手の上に置いてくれた。
食べるのがもったいなくて持ち歩いていたら、少し傷んでしまった。
祖母に言われて、慌てて洗ってそのままほうばった。


大好きなハウスの匂い。
暖かくて、緑色のトマトみたいな匂いで満ちている。
ここに来ると落ち着くことを思い出す。
ほっとする場所がある。
2003年04月07日(月)  つくし
福岡から、祖父が遊びに来てくれた。
弟の大学合格祝いも兼ねて、しばらく滞在の予定。
家が賑やかだ。


今日、祖父と母と私の3人で花見がてら近くの公園へ散歩に出かけた。
霞ヶ浦湖畔にあるその公園は、風車が回り花が咲き、まだ故郷へ帰っていない渡り鳥がちらほら飛んでいる。
のんびりと、板張りの道を歩いた。
今日は昨日と違って風も弱く、ポカポカと暖かかった。
平日ということもあって、人が少ない。


小さな水車の近くまで行って写真を撮る。
心地よい陽気のせいか、顔にぶつかってくる虫の数も多い。
口の中に入ってきやしまいか。
少し心配しながら、いつもより控えめに口を開き写真に納まる。


公園では、あちらこちらでつくしが出ている。
家の庭にスギナが多く顔を出すので、普段母はつくしを見ると嫌な顔をする。
でも今日は散歩で行った公園でのこと。
3人でわいわいと摘みながら、スーパーでもらう半透明のビニール袋に入れていく。
まだ若くて緑色をしたつくしは、触れるとバサリと胞子を飛ばす。
空を、小さな胞子が次々群れをなして飛んでいく。
すぐさま袋はいっぱいになった。


桜の他にも、色とりどりに花が咲いている。
それらを愛でながら、春の1日を満喫した。
水の音、陽の光、他愛もないことで笑い合う。
私がいつも望むのは、こういうことが日常のどこにでも見ることのできる生活。
「憎しみの連鎖は断ち切れないよ」
誰かが言った。
結局のところ、私が願うことはいつも、現実を無視した理想論なのだろう。
愛する人を殺されて、それを憎むなという方が無茶なのだ。
紛争が止まないのは、きっと、人は幸せを我慢することより憎しみを我慢することの方が苦手な生き物だからなのかもしれない。
それでも、テレビを見ながら、遠い地で起こっていることを思い願うのは、いつも同じ。
特定宗教に対する信仰を持たない私は、祈りを捧げる相手がいない。
だから願う。


今日の夕飯は、3人で摘んできたつくしの卵とじだった。
数年ぶりに食べた。
懐かしい味を噛みしめながら、テレビで今日何度目になろうかという宮殿侵攻の報道を見ていた。
2003年04月06日(日)  カルメ焼き
今日、受けようと思っていた企業の筆記試験をすっぽかした。
説明会に出席し、メールでも質問した。
エントリーシートも他より気合いが入っていた。
私にしては珍しく、本気で頑張ろうかなと思っていたところ。
でも、やめた。
何だか、規模で決めているような気がした。
本当にやりたいことなのか、分からない。
高校の頃から思い描いていた夢と、違う方向へと進んでいっている気がする。
要するに、自分の中で決着がつかなかったのだ。
もっと器用になりたいと思うのに。


そういうわけで、今日の予定がなくなってしまった。
皮肉にも他社のエントリーシートを出しに、近くの郵便局へ。
普段なら車で行くけれど、今日は天気もいいので自転車にした。
カメラを鞄に入れて、お花見しながらのんびりサイクリング。
途中、何度も小学生やらお年寄りやらに追い抜かれた。
それくらい、ゆっくり漕いでいた。
久しぶりに太陽の下で暖かい時間を満喫した気がする。


風が強かった。
でも、桜の咲くところはどこも多くの人で賑わっていた。
静かなところで花を見たくなって、普段は人の少ない公園へ。
行ってびっくり。
静かどころか、今日きっとこの街で一番大きなお祭りが開かれていた様子。
自転車を、押して歩く。
見知らぬおばちゃんに話しかけられる。
私も笑って返す。
鳩に餌をやっては騒ぐ小学生。
Niconのカメラを片手に桜と向き合う中年男性。
遠くから眩しそうに孫を見守る老夫婦。
強風にも関わらず、たくさんの人が芝生の上でお弁当を広げて楽しそうだった。


「地元出身です!歌います!」
臨時に設けられたであろう、簡易ステージの上で青年二人が大声をあげた。
曲は、ゆず。
あまり詳しくないので曲名までは分からなかったけれど、春の日によく合う、暖かい雰囲気の曲だった。
椅子に座って歌を聴いていたのは、多くが年配の方。
きっと、普段の生活を送るだけでは接点がないはずの二つの世代。
それが、歌う人と聴く人とで、見事に関係が成立している。
祭りはきっと、こういう繋がりが生まれるから空気が優しい。


ぼんやりと歌を聴いていると、視界に不思議なものが入った。
「カルメ焼き」と書かれた看板。
カルメ焼きやらベッコウ飴やらが売られている。
その奥に、人だかりと大きなお玉。
見ると、カルメ焼きを作る体験ができるとのこと。
ベテランのおじいさんがお玉に入れた砂糖水(秘伝らしい)を火にかけ、沸騰したところで客にバトンタッチ。
客は白い粉(多分膨張剤)を入れ、棒でぐるぐるかき混ぜる。
色が変わってきたあたりで、お玉の底をじゅっと冷たい濡れタオルのところに当てて冷やし、冷えた頃にまた火にかけるとつるりとはがれる。
見ていたら、自分もやってみたくなった。
周りはほとんど親子連れかカップルだったので、女一人で少しくすぐったくもあったけれど、結局好奇心には勝てず、いそいそと並ぶ。


順番が来て、ホイとお玉が渡された。
急いで白い粉を入れて、かき混ぜ開始。
思っていたより短時間で色が変わる。
すぐにおじいさんから「はい、もうあげて」と声をかけられる。
今まで見ていた人たちのと同じように、小さくじゅっと音がした。
むくむくと、おもしろいくらい綺麗に膨らむ。
しばらく見とれていた。
すると後ろのおばちゃん、「お姉さんちょっとどいてちょうだい」
…しまった。


何の変哲もないカルメ焼き。
でも、自分で作ったのは味が違うような気さえする。
既製品と異なり、手にぬくもりが残る。
口の中で、ふわふわ溶けた。


今日、私は試験をすっぽかしてしまったけれど。
それ以上に、大切なものを思い出したような。
就職、就職と言っていると、本来の自分の目的が分からなくなってきてしまう。
「とりあえずどっか入っておけ」
これは、現在の就職難・不況という状況でよく耳にする言葉。
だけど、それでは私はきっと満足しない。
私が望むのは、こういう心地よい時間の流れる街が増えること。
こういう時間が、もっと増えること。
そのために、色んな人としゃべって笑って書いて伝えたい。
規模なんかどうでもいいじゃない。


大切なことを忘れそうになるときは、また自転車に乗って散歩に出かけよう。
2003年04月05日(土)  恋愛
小学生の頃、「赤い実はじけた」という文章が教科書に載っていた。
私が通っていた公立の小学校では、テストがいつも簡単だった。
80点台をとることさえ滅多にない。
それなのに、「赤い実はじけた」のテストでは、60点という驚異的な点数をとってしまった。
すごく悲しくて、悔しかった。
だから10年以上経った今でも忘れられずにいる。


「赤い実はじけた」は、ほんのりとした少女の恋を描いた話だったように思う。
とある少年に、何かのきっかけで胸の中の赤い実がパチンとはじける。
「好き」という言葉は出てこないけれど、甘酸っぱく優しい恋が描かれていて、暖かい物語だった。
詳しくは覚えていないのでそれ以上は分からない。


ちょうどそのテストを受けた頃、私には好きな人がいなかった。
だからできなかったのかなと思った。
少し難しそうな評論文でさえそんな点数をとったことないのに、という釈然としない気持ち。
要するに言い訳だったのだろう。
「好きな人さえいれば、もっと点数とれたはずだもん」
小学生だった私は、そう言ってテストをしまいこんだ。


あれから長い時間が経って、私は今あのテストで満点をとれるのだろうか。
自信はない。
好きとか嫌いとか、単純そうで複雑な感情。
考えれば考えるほど、逆に答えを見失う感情。
私はいつも自分の直感で人を好きになるけれど、時間が経って考える時間が十二分にできてしまうと、本当に好きなのかさえ分からなくなる。
「永遠」なんて言葉、自分には想像がつかなすぎる。
だから、言い切れる人が羨ましいしかっこいい。


きっと、あのテストでまた悪い点数をとったとしたら、昔のように「好きな人さえいれば…」なんて言い訳は使わないだろう。
「そんなの人それぞれでしょ」と、一蹴すること間違いなし。
2003年04月04日(金)  返信
つい最近、初めてファンレターのようなものを書いた。
好きなアーティストがいるのだが、たまたまホームページを見たら何だかアットホームで見ていて心地よかったので、突然思い立ってその場でメールを書いたのだった。
送信ボタンを押すまで、柄にもなく躊躇った。
そもそも、自分がそういうものを書くこと自体非日常的。


今日、教育実習の事前指導が終わり、友人と一緒に久々に夕食を食べ、筍と金魚の餌を買って帰宅した。
テレビを見てからのんびりお風呂に入り、メールチェックをすると謎のメール。
送信者が、この前メールを送ったアーティストの名前になっている。
正直、変なところからのウィルスメールもしくはメールの受付確認用自動送信メールだと思った。
開けてびっくり、本人から。
予想だにしていなかった分、本当に嬉しかった。
曲を聴くことは一方通行で、忙しいだろうからメールもきっと一方通行が当たり前だと思っていた。


メールは短かったけれど、きちんと私の書いたものを読んでくれたことが分かる。
彼女の歌に対する姿勢や思いも伝わってくる、自然体なメール。
ぜひライブにもいらして下さい、と結ばれていた。


彼女は、メジャーデビューして一年半くらいのアーティスト。
大学の近くのレンタルCD店で偶然手に取り、それ以来好きになった。
ストレートな言葉を書き、ストレートに歌う。
こういう歌い手は、共感できるし好きだ。
私の場合、好きだからといって別に「様」扱いする気も崇拝する気も毛頭なく、共感できる分親しみを感じるというか、友達になって話をしてみたいと思うだけのこと。
でもそれは、関係として私が一方的に知っているだけなので、無理な願いだというのも分かっている。
ただ、何となく思うことを言ってみたいなと思った。


昔からのファンというわけでもなく、突然メールを送ったような私にも、きちんと丁寧な返信をしてくれることに本当に驚いた。
最近アルバムのレコーディングが終わったとのこと、新しい曲がとても楽しみ。
いつか直接歌を聴いてみたい。
好きな割に我儘だけど、あまり売れてほしくないなと思いもする。
よくいる歌手のように、メディアに消費されて終わり、にはなってほしくないと思うから。
いつまでも真っ直ぐな言葉で自分を表現することのできるアーティストでいてほしいと願う。
2003年04月03日(木)  教師
私は比較的担任運がいい方だと思う。
性格が好きだったかどうかは別として、教育熱心な人である確率が高かった。
やる気の全く感じられない、「でもしか先生」にも多く会ったことは事実だけれど。


教育実習の事前指導が三日間続く。
同じような言葉、同じような経験談。
現場の教師による教職論、授業案。
私は疑う。
今まで自分が出会ったやる気のない教師たちは、このような講義を受けたのだろうか?
本当にこんな教師ばかりなら、日本の教育の批判すべきところもかなり減るだろうに。


話をしてくれた現場の教師たちは皆、生徒にとって入学するのが大変な学校に勤めていた。
世間の教育熱心な親たちが、いい学校に行かせたいと言っている意味が痛いほどよく分かる。
こんな教師に教えてもらえるなら、一時の努力くらいたいしたことがない。
熱心で、生徒のことを真剣に考えてくれる教師ばかりの学校。
きっと、親に勧められるままとりあえず受験をして入学できた生徒たちは、自分の恵まれた環境に気づくことはほとんどないのだろう。
転校や、自分が教師になるという機会さえなければ。


私が今日指導を受けた教師は、高校で公民を教えているという中年の男性。
彼は、1時間分の授業を構成するのに、本を5〜6冊は読むと言っていた。
ベテランの教師なのに、今もそれを繰り返しているという。
また、新聞も最低2誌、多い時期には4誌を読むらしい。
そして押し付けがましく教えたりしない。
大学生の作った拙い指導案を目にしても、いいところをたくさん挙げてから、ほんの少しの改善すべき点をあくまでも提案という形で示す。
だからといって甘いわけでもなく、きちんとやるべきことはやっているのだから驚く。
「1回分の授業を構成するなら、最低1冊は本を読みましょう」
と、嫌味ではない笑顔で言った。
ベテランである自分は、その何倍も本を読んでいるというのに。
押し付けではない、その分、自分が模範を見せる。
すごい教師だと思った。
本当に、あんな人に教わってみたかったと思いながら指導を受けた。


子どもの頃に出会う教師の質は、その後にも大きな影響を及ぼすような気がする。
熱心な教師に出会える子どもは、やはり恵まれている。
孟母三遷の教え、今更ながらに納得。
現代は、土地というハードウェアを求めてよりも、人というソフトウェアを求めて移動するのかもしれないとは思うけれど。
2003年04月02日(水)  夜と朝
夜が好きなのは、きっとそれの支えとなる空間を前提としてのこと。
誰かがそばにいるという確信さえあれば、一人でいても怖くない。
夜の闇ではなくて、その闇の中に潜む人の醜さが嫌い。
明るい世界では悪さをしようだなんて人も少ないんじゃないかと楽観的にでいられる。
でも、暗いのは駄目。
一人でいられない。


例えば、隣の部屋に家族がいると思えば、一人でずっと起きていても平気。
だけど、本当に一人だと、全く同じであるはずの空間が違って感じられる。
不思議だけど、昔からこう。
単なる怖がりだということかもしれないけれど。


ぐっすりたくさん眠れるのは、安心していられるからなのかもしれないな。
2003年04月01日(火)  涙
戦争の報道を見て、友人が泣いたと言っていた。
あまりにも辛くて、見ていられないのだと。
私は、泣かない。
泣けない。
妙に冷めた目線が私を支配する。


「戦後処理」を、考えないのは愚かなこと。
だけど、おおっぴらにそれを議論するのもおかしい気がしてしまう。
自分の愛する人を兵士として、記者として戦場に送り出している人は、その人たちが帰ってくるまで戦争は終わらないだろう。
「終わったら」を連呼されて、愛する人が戻ってこなかった場合、その思いはどこで消化させればいいのか。
今、戦っている本人たちのことを飛ばした議論の中で。


戦争反対。
だけど、始まってしまった以上、他の話をするしかないのだろう。
いつまでも同じところで留まっていても何も進まない。
だけど本心では、戦争勃発前と同じように「反対」を言いたい。
始まることを前提とした議論に耳を貸したくないくらいだった。
いつも、終わったことを流して、流して、だからきっと歴史は繰り返す。


「戦後処理」
それはとても大切なこと。
でも、まずはこの戦争がどう終わるかが問題で。


結局のところ、始まって誰も傷つけない戦争なんて、ありえないというだけのことなのだろう。
人殺しを正当化してしまう戦争に、正しさを求めようというのがそもそもの間違いか。
悲しい。
だけど、涙は出ない。
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