
仕事あがりで急いでMARZへ。arはもう始まっている時間。
しかしhaltで入ろうとおもったらmotionで受け付けてくれとのこと。そんなこんなでmotionへ行ってMARZへ行ったら1曲程度しか聞けず。
motionに移動してのthai kick murphは人が多すぎて見るのをあきらめ。今度一回ちゃんと見に行きたいところ。
allport diaryはやっぱり苦手。良い歌で良い演奏、だとは思うのだけどね。フィーリングが合わないのだろう。
そしてhalt。
サウンドチェックからドラムさんの意気込みがビンビン伝わってくる。haltのドラムさんは激しさと繊細さ、そして時折見せる柔和な表情、そしてオタクっぽいところとかが非常に良い。
まあ上手ギターの藤堂氏がラスト(=現行haltラスト)というモチベーションはもちろんあるんだろうけど、変な感傷はライブからは感じられず。
というかバンド全体が放つテンションがすごい。プレイヤーの感情がダイレクトに伝わってくるような演奏。
演奏に集中し切ると入れる変なモードがあって、「演奏することを意識している」という自意識はあるんだけど、自分の思考が全く別個のものとして存在している感覚。
"自分の意思で演奏しつつも体が勝手に演奏している"ような感覚。
そんな時は、出音云々ではなく奏者の感情が見ている聴いている方にダイレクトに入り込んでくる。
四則演算的な単純な感情では無く、悲しさや寂しさ、楽しい嬉しい、という感情が瞬時に入れ替わり立ち代り混ざり合っている、複雑な数式のような、それでいて割り切れる事は無い混沌とした感情。
そういった感情が流れ込んでくると同時に、音楽が体側から脳みそを揺らす。
すると、こんがらがった糸が美しい糸に織られていくかのように、雑多に頭をかけめぐる感情が、音楽という織り機によって一つに収束されていく。
それは何色とも呼べない色、喜怒哀楽どれにも属さない感情。
その時の奏者の気持ち、見ている人たちの気持ち、音、光、いろいろなものが集まり、収束し、体の中で小さい固いカタマリみたいになる。
そして「ただ"それ"でしかない」としか言いようの無い空間が生まれる。
音も止まり、光も止まり、時間も止まっているかのような一瞬。
1分1秒がそれぞれ永遠に続いているかのような、それでいて全てが瞬間でしかないような。
長いような、短いような。
気づくと、ライブは終わった。
ここ最近、haltのライブを見る度に感じていた不完全燃焼感や集中の無さなど微塵も無かった。
年の瀬に、素晴らしいライブが見れました。
haltが来年からどうなるのかは分からないけど、願わくばまたこんなライブを見せて欲しいなと思いつつ。
weatherをチラ見してMARZへ移動。
ってかtakutoさんとか普通に見てるし。間に合うのか?と心配になったり。
about tessは出し惜しみ無く。
すごい。本当にすごいとしか言いようが無いライブで。
about tessも、もっと見たいなあ。
そんな日。