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やっぱ好きだよねぇ


ピ〜ピ〜ピ〜ピ〜ピ〜ピ〜
ピ〜ピ〜ピ〜ピ〜ピ〜ピ〜のお兄さん

ノーへルで、バイクに乗って
横顔むけて、しかめっ面で
「ろくなもんじゃね〜」って

おふくろ食堂の店長、下別府勇次との
出会いは中学1年生になったばかりの春。

チュッチュルチュリ〜チュッチュルチュリ〜
チュッチュルチュリ〜チュッチュルチュリ〜

裏町の片隅で九の字にぶっ倒れちまったお兄さん

荒川の土手をノーヘルでバイクに乗って
「マリオ〜」ってさけんでた
あのラーメン屋のお兄さん。ラーメン屋の名前は
忘れちゃったけどお兄さんの名前は、ヤザキタモツ。ターボー。
出会いは小学校6年生。

実はもっと前から知っていた。
家庭教師もやってたお兄さん。
だけどその頃はオレ小学校3年生ぐらいだし、
お兄さんも髪の毛長かったし、うっすらとしか記憶がないが、
確かに知っていた。

でも、そのお兄さん
オレが中学校3年生の時にヤクザになってしまった。
ショックだった。あの時は。

それは、置いといて。

中学1年生になったばかりのオレが
ピ〜ピ〜ピ〜ピ〜ピ〜ピ〜って唄ってたある日
4つ上の茶髪のThe Street Slidersが大好きだったアネキが
「あれ〜?ヤス、長渕なんか好きなの〜」って言って来た。
「誰?それ?」って言うと
「その唄、唄ってる人だよ」
オレにとって、ドラマの中での下別府勇次。
それが長渕剛って言う名前の歌手だと言う事を知った日だった。
「今から駅前の友&愛に行くけど、ヤスも来る?長渕のレコード
沢山あるから全部借りてきてダビングしちゃえば良いじゃん」

なんだか良く分からなかったがとにかく
目の前が急に広がって今まで経験した事がない何かが
待っていると思った時だった。

気が付けば、アネキと一緒に自転車で駅前の「友&愛」に行き、
帰りの自転車のオレのカゴの中は10枚程のレコードがぎっしり入っていた。
オレの未来がその自転車のカゴの中にたくされていたようなもんだった。

あの「友&愛」からの帰り道をオレは忘れない。

それからの3年間、足の先から爪の先までオレは長渕になった。

生まれて始めて行ったコンサートは「LICENSE」というアルバムを
出した後のツアーの武道館。
一人で行ったら、隣の席のお姉さん達が話しかけて来てくれて
住所とか交換して、デビュー前のライウ゛ハウスでのLIVE音源
とかをダビングして送って来てくれたり、デビュー当時
オールナイトニッポンをやっていた時のテープとか
ファンクラブ会報を コピーして送って来てくれたりして
聴きまくって、読みまくって 、もう長渕だった。

そして「NEVER CHANGE」というアルバムを出した後のコンサートの
武道館、その後の東京ドームに行った。

でも、中学3年生の時に「とんぼ」というドラマで
ヤクザの役をやって、風貌も変わってしまって、
あの時は本当にショックだった。
全然変わっちまってさ、「とんぼ」も全然良い唄だと
当時は思わなかった。

だがその時『昭和』というアルバムをだして、その時のツアー、
後に『LIVE89』というアルバムにもなったツアーには行った。

そして、オレはギターを弾くようになった。

高校1年生の時、「JEEP」っていうアルバム出して
これがまた、当時のオレには良くて
その後のコンサートもツアー途中の国立代々木体育館と
ファイナルの横浜アリーナに行って

「JAPAN」というアルバムを出した後の
東京ドームで真ん中にステージをセッティングして
ギター1本でやったコンサートも行って
そのツアーの追加公演の横浜アリーナに行って


その頃は学校の中で長渕同盟が出来ていて、
日本で一番の長渕ファンを自負するようになっていたオレは
野球部の後輩も一緒に合わせて、ファンクラブに入っていたオレは
みんなのチケットを取って、みんなでコンサート行って、
コンサート始まる前、そして終わった後はギターもって
会場の外で大声で唄ったりしてた。

まさかこん時はこれが長渕のコンサートに行く
最後の時だとは思っていなかった。

高校2年生の冬。
たまにしか家に帰って来なくなっていた金髪の
アネキが

「ヤス〜、BLANKEY JET CITYって知ってる〜?聴いてみん。
ヘッドフォンのボリュームあげるんだよ。」
って言ってCDを置いてった。

そのアルバムは『BANG!』という、出たばっかりの
ブランキーのセカンドアルバム

ぶっ飛んだ。

そして初めて観たブランキーのライウ゛は
今までオレが思っていたコンサートと言うものを
全てぶっ壊してくれた。

アネキの彼氏が中村達也と知り合いだったため
NHKホールの前から3列目の席で観る事が出来た。

高校3年生の時に
ブランキーがサードアルバム「C.B.Jim」を出して
それを聴いたオレはぶっ飛んで

浪人中に、さかのぼるように
Rc Succesionを聴くようになり、その良さにすっかりはまり
アネキが好きだったThe Street Slidersに今度はオレがはまった。

大学に入ってからは
洋楽も含めいろ〜んな音楽を聴くようになったけど

BLANKEY JET CITY
Rc Succesion
The Street Sliders

そして長渕剛。

実は
今日、朝からずっと長渕を聴いている。

「ろくなもんじゃねぇ」アルバムでいうと
『LICENSE』までの長渕は
センスも良く、唄も上手いが、
それ以降は駄目だと思っていたけど、

その後の『昭和』というアルバムの声は
今聴くと、とっても良い。
長渕は実はあまり叫んでいないのにも気付く。
音楽もロックの渋いところ(The BANDっぽさ)を取り入れた
アルバムでかなり完成されている。

その後の『JEEP』は
「海」とか「西新宿の親父の唄」とか
「myself」とか入っているけど実はそんなに良くない。

ま〜そんな批評は置いといて、まだ髪の毛が長い頃の
『SUPER LIVE IN 西武球場 』の「長いのぼり坂」とか
「愛しているのに」とか「賞金めあての宝探し」とか
なんか聴いてて、一人で盛り上がってしまった。

「僕のギターにはいつもHEAVY GUAGE」なんか最高。

お〜今『STAY DREAM』の「ひとりぼっちかい」が
部屋で流れてる。う〜。

シングル「SUPER STAR」のB面に入っている
「Don't Cry My Love」の弾き語りバージョン。

シングル「ろくなもんじゃねぇ」のB面に入っている
「勇次」のギター1本のLIVE音源。

今、聴いても「長渕って上手いんだな〜」って思う。

そういえば、高校生の時
CDラジカセしか持っていなくて
いつか長渕の音楽を大きなスピーカーで聴きたいと
思っていて
それから、10年近く経って初めてじゃん。

大学卒業する頃に手に入れた
4つのスピーカーから長渕の音楽が
今日はずっと流れている。

実は結構、長渕の事、好きだった人いると思う。
でも「とんぼ」以降の長渕のイメージが強いから
みんな、恥ずかしくて好きだった事言わない人が
結構いると思う。オレとか・・。


確かに「ろくなもんじゃねぇ」以降の長渕は
全然良いと思わないし、今は大嫌いだけど


やっぱ

好きだよ。

長渕。

と、

アルバム『LIVE89』の

「巡恋歌」を聴きながら思っている。





2006年04月29日(土)

ここ最近



ここ最近

息子が急に大きくなって来た事を

実感している。


オレはといえば

事ある事に

自分の幼少の頃とか

中学生の頃とか

その時の風景や気持ちとか

とても客観的に蘇る事がある。



今の自分と当時の自分が同時進行して

ある意味

2回、自分を過ごしているようだ。




2006年04月26日(水)

よいしょ!


先週の金曜日から昨日までの3日間
福島県は泉崎村に行っていた。
妻の実家。

生後6ヶ月の息子をやっと
福島のお父さんに会わす事が出来た。




お父さんは寝る時以外は
息子をずっとだっこしていた。

それを観て
「こういうもんなんだな〜」と
その無償の気持ちに
えらく気付かされるところがあった。

帰りの新幹線のプラットホームで
ドアが閉まり
お父さんとお別れをした。



そして息子は
3日ぶりに東小金井の
いつもの部屋に戻ってきた。


興奮していた。


仰向けのまま、夢中で
手足をバタバタさせていた。




よいしょ!よいしょ!よいしょ!

よいしょ!よいしょ!よいしょ!

よいしょ!!!



この日



興奮さめやらぬ息子の

寝返り記念日となった!







2006年04月24日(月)

福島へ



明日から福島に行く。

泉崎村。

妻の実家。

お父さん一人暮らし。

息子と初対面。

やっと会わす事が出来る。



新白河の駅まで

お父さんが

迎えに来てくれる。



福島はまだ桜が

咲いているという。





2006年04月20日(木)

低温火傷その後の後の後



順調に治って来ているらしい。

良かった。



4月15日の高円寺ALONEのライウ゛


LIVE中、ステージで
何度も曲に合わせて照明が息づかいを
しているのが分かって


生きてるじゃん


って思った。



ありがとう

高円寺ALONE




2006年04月17日(月)

昨日の高円寺ALONEライウ゛


昨日の高円寺ALONEライウ゛

とても、楽しかった。

お客さんも、沢山来てくれて

嬉しかった。


自分の中で こじんまりと

引っ込んでいないで出てこいよ!


そう思って、掴みに行った。


いい感触だった。



2006年04月16日(日)

明日


LIVEだ

高円寺ALONE

2006年04月14日(金)

高円寺ALONE「アンテナびんびんNght」で発表した



・・・・・・・・・まず、もともとある詩を発表した・・・・・・・・・


「メルヘン少年」

それはとても嬉しい事で
気が狂いそうになるけど

毎日毎日脈々と流れてる
俺の事なら心配いらない

その先にちっちゃな希望があって
俺は前を向いて語りかける

真っ白な紙に言葉を綴り
少年に俺の中の少年に

言っているかのようだ
随分と遠くから
言っているかのようだ
俺の中の少年に
言っているかのようだ

声にならない言葉を綴る時
胸の中に明かりが灯るんだ

暗い道でもちゃんと光ったぞ
暗い暗い暗い
道でも




・・・・・・次はお題が出てそれに対し即興で書いて発表した・・・・・・




お題:「豆腐」(テケタさんが出したお題)

自分の脳みそ
見た事ないぜ

頭が割れて
まだ生きてるかい

天井に鏡があったら
鏡に映った自分の脳みそ
観れるぜ

なんだ
俺を支配している奴って
この豆腐かい!!





お題:「テーブル」(HYOさんが出したお題)


テーブルに
文字を書く

けずれ
けずれ
あらけずりに

何て書く
何て書く

あらけずりに
けずっていけ





・・・・・・・・・・・最後に即興で・・・・・・・・・・



「大嫌い」

観客が、より観客になろうとしている見せ物なんて
嫌いだ。

絵だって、映画だって、観客は
ただただその作品を見たいだけなのに!!

観客が、より観客になろうとしている見せ物なんて
嫌いだ。

人の心をつかむという
幻想がなによりも好物の見せ物に
オレはだまされないぜ!!

観客が、より観客になろうとしている見せ物なんて
大嫌いだぜ!!




・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・



特に今回は
即興で書くのもそうだが
読まれたものを聞いて、すぐに
何を感じたかを発表する時が
結構、面白かったり、
好きな時間だったり
アンテナを試される時間に
自分には思えた。


感想、批評になったら
つまらないじゃないか。

読まれたものに対して
何を感じて、自分には何が見えて
それが、全く違う解釈だったとしたら
それが余計、新たな発見にもなって

う=楽しかった!




2006年04月09日(日)

真剣勝負



代々木第2体育館に空手の試合を見に行った

会場には気合いの声と笛の音が響いていた

生で空手の試合を観るのは、初めてだった。

あの空気はLIVEにも

完全に通じるものがある。


大人からちっちゃい子達まで

みんな真剣に戦っている。

逃げ場はなく

目の前の相手と戦うほかなく

目の前の相手は己の

内に潜む

もっとも戦うべき相手となり

神経を集中させ

笛が鳴る

試合が始まる




オレ

この子達と同じ気持ちで

ステージに立っているだろうか?

誰かがが殴り掛かってきても
自分で勝負出来ているだろうか



今日感じた事は

自分の中に

確かに刻まれた




LIVEやりてぇ!







2006年04月08日(土)

低温火傷その後の後


夕方

低温火傷した箇所

久しぶりに先生に診てもらった。

3日後に必ず来て下さいと言われてから

3週間が過ぎていた。


まず、その事で叱られた。


そして

靴下脱いで、火傷の箇所を診せたら

更に叱られた。


ベッドに横になるよう言われた。

助手が出てきて、オレの足を押さえはじめた。

先生が「楽にしてて」と言った。

いきなり、火傷の箇所を何やら

ナイフで削りはじめた。

痛え=!!

もの凄く痛え=!!!

我慢出来ないほど痛え=!!!!



だが、こらえた。

息子がBCGの注射を腕にした時は
もっと痛かったはずだ。
そう思って、オレもがんばろうと思った。


それでも、とんでもなく痛え=!!!!!

大きく息を吸って、大きく息を吐いた。

先生が「大丈夫?!もう少しだからね!!」と言った

オレ「マジで痛いです!!!うお〜」と言った。

先生が「次はちゃんと言われた日に診せに来る?」と言った

オレ「はい、来ます」と言った。



なんだか、お仕置きされているようだった。

ベッドに横になっている間は
恐くてその火傷の箇所観る事が出来なかった。

血が出てた。



先生になんでこんなになるまで
ほっておいたのか聞かれた。

「だって痛くなかったんだもん」と
「だって」と言いそうになった自分がいた。


火傷のところは皮膚が出来ていない状況で
そこからいつ、ばい菌が入ってもおかしくない状況で
もしばい菌が入っていたら、それこそ大変な事に
なっていたと言うのだ。

だが、低温火傷は表面は全く痛くないので
それが逆に危険なのだ。


結局、先生はナイフで何を削ったのかは
分からないままだが、


あれは、マジで本当に死ぬかと思う位
痛かった。

時間にして2分くらいで終わったから良いものの

あの痛さが30分続いたら
いや10分つづいたら

オレ

気絶してた

完全に。







渋谷アピアへ

カワカミアラタさんの

ワンマンLIVEを観に行った


久しぶりに観た



感想は

直接メールで送った







2006年04月07日(金)

疲れた




朝、三重県は名張のホテルの窓からの景色






午後、東京の仕事先に戻ってきた。


疲れた。




2006年04月06日(木)

再び三重県は名張へ


PM6:00に名張駅に着いた。

月曜日、名張に行き
火曜日、戻ってきて
水曜日、再び名張へ


新製品のジャムの
ラベルの印刷立ち会いだった


今回は

OKだった

良かった


2006年04月05日(水)

宴のあと




三島由紀夫の「宴のあと」を読んだ



この人の文脈


純粋だ

危険だ

奇麗だ

人間だ



天才だ



















というか

いつもオレって

感想になっていないと言うか

雰囲気でしか言っていないような

気がする。





まぁ、いいかぁ





徐々に自然と

変わってくれよ

自分







2006年04月04日(火)

三重県は名張へ


三重県は名張と言うところに仕事で向かった。

まずは、新幹線に乗って名古屋まで行く。

その途中に富士山がくっきり見えたので

新幹線の車窓から携帯電話の写真でパチり!





後ろの席からもパチり!(誰かが同じ事をしてる)



名古屋に着いてからは
近鉄特急に乗り換え

三重県は名張に向かった。

その途中の景色が
見渡す限り田んぼなので

近鉄特急の車窓からパチり





今度はどこからもパチり!とは
聞こえなかった。



PM4;00に名張駅に着き

印刷工場へ向かった

ドレッシングの新製品のラベルの

印刷の仕上がり具合を観に行った。


が、その色

思うような色が出ず

NGになった


残念だった。




2006年04月03日(月)

低温火傷その後


低温火傷をして
3月の中旬に
医者に観てもらい
塗り薬をもらった。

その時
「3日後に必ず来て下さい。
今、表面に皮膚が無い状態だから
その皮膚を作るのに、対処方法を
その都度、見極めなければいけない
状況です。」

と言われてから
2週間が過ぎている。

塗り薬をもらった当初は
傷口が大分良くなったのだが
そこから、更に良くはなっていない。
ずっと、同じ状態が続いている。

未だ傷口が開いている状態。
表面に皮膚が出来ていない状態。
ガーゼでガードしている状態。

痛くないから
ほおっておいたのだが

低温火傷はじっくり火が通った状態で
皮膚の奥の神経とか皮膚の元が焼かれた状態であるため
皮膚の表面が火傷する状態と違い
痛みは感じないものと言うし

医者には痛くなくても
3日後に必ず来てくれと言われたのだから
ひょっとして
ほおっておいたら
いけないのかもしれない。

自然と治ると思ったのだが・・・。

そろそろもう一度
皮膚科に行ってみよう。


2006年04月02日(日)

小金井公園


気持ち良さそう

花見してる人







それにしても

凄い人だ






祭りだ

こりゃ



2006年04月01日(土)

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